G3 (―) 【Happy Valentine!】


日常編 (―) 【Happy Valentine!】



「……なんでここにいるんです」
「それはこっちのセリフだ」


*

2月14日、午後12時半。
昼休憩にありついた犬君が回転寿司店に入ると、店員からテーブル席での相席を請われた。
平日だが、チラシ広告が打たれた日とあって、ユナイソンネオナゴヤ店内は休日並みに賑わっている。
さらにこのお店自体が1皿85円のキャンペーンを行っていることも相まって、店からはみ出るほどの長蛇の列が出来ていた。
回転寿司といえば客の回転率は早い方だが、それでも昼時とあって席の確保は追い付かないらしく、犬君は二つ返事で了承したのだが。
「げ」
「うわ」
あろう事か、通された先には杣庄がいた。
「……店員さん、チェンジで」
「行っちまったぞ、馬鹿」
空の皿が2枚に、しょうが、湯呑み。杣庄も席に着いて間もないようだった。となると、しばらくは顔を向き合わせて食べるしかないだろう。
大人しく黙って食べればいいものを、テーブルに設置された注文用のタブレット端末を奪い合い、そのたびに言い争う格好となる。
口喧嘩の論点は次第にずれていき、今日がバレンタインデーということもあり、チョコレートの話題へと発展した。
「チョコの数だ? そりゃ減るだろ。彼女ができたんだから。誰も八女さん相手にしようなんて思わねーよ」
「ざまーみろです。僕は増えましたけどね、ふふん」
「透子とお前が結ばれるお伽噺なんざ、誰からも想定されていないからだろ。たくさん貰えてよかったな、モテ男」
杣庄は洒落た黒い紙袋を手繰り寄せた。中身を取り出すと、犬君に見せびらかすように、ひらひらと上下に動かしてみせた。
大きくはないが、小さくもない。手をパーに広げた程度の大きさだ。幅は5cmほど。その漆黒の箱は厳かに見え、決して安価には見えない。
「義理すら貰えないんじゃ俺の相手じゃねぇよな」
「まさかそれ、透子さんからとか言いませんよね」
「透子からだっつの。さっき貰った」
今日、透子とは2度ほど会話のやり取りをしている。プライドが邪魔をして、自分から催促はしていない。その実、淡い期待はしていた。
二人きりのタイミングを狙っての接触だったのに、チョコのチの字もなければ、何かを渡そうとする素振りも見受けられなかった。
――それなのに、ソマ先輩には既に渡しているだって? 義理なのに、あんなに立派そうなものを?
敗北感を抱かずにはいられなかった。己が惨めで仕方ない。
これまで何度も尋ねてきた。ソマ先輩を意識してるのではないのかと。そのたびに透子は怒り、「杣庄とはそんなんじゃない」と言い切った。
しかしである。待遇が明らかに違い過ぎやしませんか、透子さん。なんですか、あの黒い箱。あれ結構高そうですよ?
あぁ、太刀打ち出来ない――。本命とはいかないまでも、せめて義理だけでも。欲しかった。透子さんから。
「凹み過ぎだろ、お前」
お茶をすする杣庄が呆れ顔で犬君を見やる。その犬君からは、ずもももも……と黒い影のようなものを背負っているような気配すら感じられる。
児玉玄が見たら「祓いましょう」と言い出しかねない、ダーク極まりない落胆振りだった。
「きっと伊神さんも貰ってますよね……」
「あぁ、渡してた。俺より立派なものを」
――ちょっと。ちょっと待って下さいよ。一体何本刺してくるんですか。僕のライフもうゼロですから。あんたが貰ったって言った時点で既に。
「はぁ……」
「ご愁傷さん」
「……これが現実ですよね。奇跡が起きて、仕事終わった後にツンデレ口調で『ほら、早く受け取りなさいよ』なんて展開、ないですよね」
「透子ならあり得なくはないが、お前相手にそれをやるかと訊かれたら、答えはさて、どうだろうな?」
会話はそこで途切れた。二人からは、ただひたすら平らげ、空になった皿を積み重ねる音だけ。
お互い無言のまま皿の積み上がる高さを競っていたものの、杣庄が先におりた。
あぁ大人だな、と思う。ムキになって喧嘩をしかけてみたところで、相手は飄々とこなしてみせ、かつ綺麗に身を引いてみせる。
自分にはそれが出来ない。したいけれど。そんなオトナになりたいと憧れるけれども。
ふいにハッとする。いけすかない杣庄相手に憧れの念や嫉妬心を抱くなんて、どうかしてる――。
杣庄が店員を呼び、先に会計を済ませた。自分も既に満腹だし、同じタイミングで店を出ても構わなかったのだが、やめておく。
最後の一皿を取ろうと手が伸びる。掴んだそれは、サイドメニューのチョコレートケーキだった。
――甘いのは得意じゃないけど、やっぱり欲しいもんは欲しいよな。
ぱくりと頬張る。これが透子さんから貰えたチョコだったらよかったのに。


*

休憩時間は残すところ20分。バックヤードへ戻る途中、バレンタインの特設コーナーが視界に入った。
レジには青柳と柾が入っていた。当日に買い求める客は列をなし、忙しそうだった。
あの2人も沢山貰ってそうだが実際のところはどうなのだろうと考え、いや、バレンタインは個数ではないと思い直す。
それに、そういう考えは、自分にくれた人に対して失礼に当たるのではないか。チョコに込めた想いをもう少し大切に扱わねば、と思った。
――そうだ、チョコは想いなんだ。
透子さんが抱く、伊神さんへの想い。透子さんが抱く、ソマ先輩への想い。
そこに込められた想いの形というのは、感謝であったり、愛情であったり、友情であったり。さまざまなれど、どれも尊き感情だ。
――『チョコが貰えない理由』というのもあるんだ。
透子さんが抱く、僕への想い。想いが何もなければ、渡す理由もない。実に単純明快だ。
貰えなかったというのは、つまりそういうことなのだろう……。
トドメを自分で刺し、切なくなりながらもバックヤードへ戻る。ドライの詰め所へ行き、エプロンを着けていると、ノック音がした。
「はーい」
後ろ手にリボンを結び、廊下にいるであろう人物を出迎える。立っていたのは透子だった。
「とーこさん!?」
「な、何よ。何でそんなに険しい顔してんの?」
犬君の形相を目にした透子は半歩ほど後ずさる。
思わず期待してしまう。でも、既に二度も打ち砕かれている。これは三度目の正直? いや、そんな馬鹿な。
「え……と、青柳チーフに用とか?」
「青柳チーフ? 私が用あるのはあんただけど」
「よ、用って……」
「こないだ入力頼んできたアレ。拡大コピーしてって言ったのに通常コピーして千早さんに渡したでしょ。
数字が小さくて見辛いのよ。私がやり直すから原本渡してくれない?」
「はぁ……」
「ちょっと。人の話聞いてる?」
「聞いてます。聞いてますよ、はいはい」
言われた通り、入力に必要な書類一式を渡す。受け取った透子が中身を確認する。犬君はいても立ってもいられず、「透子さん」と名を呼ぶ。
「なに?」
「今日はバレンタインですけど」
「そうね」
「僕にはないんですか?」
ページを繰っていた透子の手がぴたりと止まる。
「ないって、チョコのこと? 欲しいの?」
マジマジと見つめる透子に対し、犬君はプライドをかなぐり捨て、真剣な面持ちできっぱりと言う。
「透子さんの本命チョコが欲しいです」
「本命って……。職場でそんなことさらっと言えるの、あんたや柾チーフぐらいでしょうね」
「僕まだ休憩中ですから」
「いや、そういう問題じゃなくてね……。あ、休憩中なの?」
「えぇ。1時半まで」
「ふぅん」
よくよく見ると、透子の胸にも休憩バッジが付いていた。
傍らにバッグが置いてあるところをみると、ここへは食堂へ向かうついでに寄ったのだろう。
透子はそのバッグに書類を収め、左右を見渡し人がいないのを確認すると、小さな袋を取り出した。
「ハッピーバレンタイン、不破犬君」
「え……」
いつものツンデレ口調じゃない。透子が伊神に話し掛けている時のような、優しく、元気な笑顔だ。
こんな表情で、こんな仕草で話しかけてくれること自体、稀である。しかも今日はバレンタインデー。これは夢だろうかとさえ思ってしまう。
犬君の動揺を知ってか知らずか――否、完全に知り得ないだろう。透子は自然な笑みを浮かべながら先を続ける。
「私のチョコ欲しいって言ってくれて嬉しかった。ありがと」
「……っ……!」
「私、これから休憩だから。じゃあね。あ、原本はコピーが終わり次第返すわ」
本命ですか? 義理ですか? このチョコには透子さんの、どんな想いが込められてるんです?
訊きたい。でも今は幸せで胸がいっぱいで、何も言葉が出て来ない。でもせめて。そう、そうだ、お礼だけでも。
「あのっ! 透子さん、ありがとうございますっ!」
「ホワイトデー期待してるから。3倍ね、3倍」
「3倍でいいんですか? 5倍にも10倍にもしますよ」
「重いわよ、馬鹿」
言いながら、くすくすと笑う透子を見送ったあと、紙袋を見た。そして中身を取り出す。
杣庄に渡したものとは全く別物のようだ。漆黒の紙袋でもなければ、漆黒の箱でもない。
自分に渡されたのは、真っ赤な紙袋に、真っ赤な箱。大きさは手の平ぐらい。だが、高さは10cmほど。
渡す相手によって、買う店を変えているとしか思えない。
それはつまり、1人1人の相手を想い浮かべながら、その人物に合った品を選び、贈っているということに他ならないではないか。
透子から真意は聞き出せなかったものの、犬君にはなんとなく、透子の想いが伝わってきたような気がした。


2013.02.13
2020.02.20 改稿

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: