「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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G3 (―) 【Come Across!】
日常編 (―) 【Come Across!】
[1]
そうなんスよ。最近、ちょっと立ち寄り辛いですよね。若干怖い女の子がいるかなって。
触らぬ神に祟りなしですけど。正直、困ったと言えば困ってるんです。
「――ってコトを、平塚クンから聞いたの」
「それが俺の家に来られない理由? マジっすか?」
「治安が悪いんでしょう?」
「たまたま平塚が柄の悪い学生を見掛けただけですよ」
「十分怖いわよ」
「大丈夫だって。俺が迎えに行くから」
「そう? じゃあ明日。午前中は美容院に予約を入れちゃったの。14時にバス亭に来てくれる?」
「分かった。じゃあ明日な。お休み」
「お休みなさい」
会話を終わらせ、携帯電話の通話を遮断。
古着屋店への冷やかしショッピングを兼ねた恋人の初家庭訪問に漕ぎ着き、やれやれと言ったところか。ふぅーと息を吐いていると、
「『大丈夫だって。俺が迎えに行くから。お休み』……だって! きゃーっ」
黄色い歓声にギョッとして振り返れば、店番を終えて住居スペースに戻って来た妹の唄が柱の影からひょこっと現れる。
「唄」
「今の! 今の絶対彼女よね!? お兄ちゃんにも春が来たのね! ねぇ、どんな人!? どんな人なの、教えてよー!」
唄と恋は切り離せない。
いつでもどんな時でも恋に生き、恋愛を中心に人生を謳歌してる唄にとって、俺のスキャンダルは砂漠のオアシス並に魅力があるらしい。
「お前には関係ない」
存在を認めてしまえば、根掘り葉掘り質問攻めに遭うのがオチだ。ここは黙秘権を行使するに限る。
「いいわよ、大体分かるから」
「……は?」
分かる?
「分かるって、何が?」
「お兄ちゃん、意外にも堅物で硬派なトコあるしー、大和撫子タイプと思いきや、意外に元気な子に惹かれたりするんだよね。
黒髪サラリより、茶髪ふんわりが好きでしょー? ねっねっ、どう? ウタの推理! 鋭いトコ突いてる?」
どういう心眼をしてやがるんだろうな、コイツは。一応合ってはいる。だがここで認めるわけにはいかない。
「彼女なんていねぇよ」
「ふふっ、付き合いだしてまだ間もないんだねー」
……生活しにくいこと、この上ない。
[2]
杣庄唄の≪庭≫移動には、たいてい地下鉄とバスが使われる。
今日は地下鉄伏見駅から東山線に乗り込み、星ヶ丘に出た。デートは高級住宅街が広がる静寂と気品の街の中にある『星が丘テラス』に決定だ。
基本、唄はデートに時間を掛けない。デートは3~4時間で終わらせる。それがいつものスタンスだった。
だらだら一緒に居続けると刺激や緊張がどうしても薄れてしまうし、これからという時分で別れ、次の逢瀬に繋げるのが彼女のデートの仕方だ。
今日も待ち合わせはランチを兼ねたこともあり11時にセッティングしてあるが、相手には14時で帰る旨を、前もって告げてある。
「店番忙しいのに今日は付き合ってくれてありがとね、唄ちゃん」
「ウタも、少しでも一緒に過ごせて嬉しいよ」
「3時間しかないから、色々考えてきたんだけど」
「本当? ケヴィン、ありがとー!」
限られた時間内で唄を喜ばせようと、相手は有意義なデートプランを用意してくれる。やはり、時間はハッキリ区切ってしまうに限る。
[3]
デートの相手とは星ヶ丘で別れ、唄は単独岐路に着く。他にも寄りたい店があったため、唄は最寄りの市営バス停からバスに乗り込んだ。
学校が多い地区でもあるが、幸い、この時間帯は下校時刻とは重ならないようだ。それでも3人の女子大生たちが乗車した。
バスの乗車率は低いので簡単に席にはあり着けるのだが、何を思ってか3人の女子大生はバスの乗車口付近に塊っている。
次の停車場で乗り込んできた人の邪魔になりかねない。それを承知の上なのか、あるいは我関せずなのか……。
バスの揺れに心地よくなってきた唄は、うとうとと目を閉じる。
目的地まで寝てしまわない程度に休んでいようと身体を沈めるが、女子大生たちの話し声は大きく、前の方に席を取った唄にまで聞こえてきた。
「こないだ合コンした医大生。何度も電話掛かってきて迷惑なんですけど」
「でもこの御時世、医大生は貴重かもよー? キープしとけってー」
(他の乗車客も困ってるだろうな……)
休息を邪魔され目を開けた唄は、問題の集団をコソコソと見やる乗客が点在していることに気付いた。
早く降りてはくれないものかと舌打ちするサラリーマンの男性もいたが、その音は彼女たちにバッチリ聞こえていたようだ。
「聞いた今の? 胸糞悪いわ、あのオヤジ。うちらのコト邪険にした」
「聞いた。何アレ。超ムカツク」
「ナニサマのつもり? オヤジ死ねよ」
非難轟轟の嵐に、サラリーマンは俯いてしまった。 あわよくば彼女たちの暴走を止めて貰おうと思っていたのだが彼には荷が重かったらしい。
女子大生らは再び会話に花を咲かせていた。全く降りる気配も見せない。一体彼女たちはどこで降りるつもりなのか。
唄は意を決して席を立つ。近付く静かな気配に、3人は唄を見やった。
「なにあんた」
「えっとー……、ごめんなさい、少し会話のボリュームを落として貰えませんか?
それにそこは入り口だし、もう少しその長い脚を引っ込めてくれないと、他の方が乗る時に引っ掛けたりして危険かなー、なんて」
唄が笑みを浮かべながら告げると、相手は鼻で笑う。
「なにこのヒト」
「あれだ、お説教ってヤツ」
完全に馬鹿にした目が、面白そうに唄を嘗め回す。
上着、スカート丈、身に着けている装飾類の品定め――まるで唄のスタイルを推し量っているかのようでもある。
「オネーサン、雑誌モデルみたいな格好してるー。必死だねー。心優しい美咲が、オトコ紹介してあげようか。医学生なんだけどー」
「医学生?」
「うわ、オネーサン必死? ちょっと心揺れてるし!」
「ううん、そうじゃなくて。いま付き合ってるひと、お医者様なの……」
素で反応する唄。それがあまりにも自然だったので、その言葉に嘘偽りがないことを悟ったらしい。
唄が気に食わなかったのか、美咲が拳を突き出してきた。条件反射でよける唄。
呆れると同時に身の危険を感じ、唄は外の景色をチラリと見た。次のバス停までは僅かな距離だが、問題はそこから乗車する客がいるかどうかだ。
機転を利かして運転手が止まってくれればいいのだが――。
「素直に殴られなさいよ!」
今度は別の女子大生が殴りかかってきた。
(しまった、裁ききれない)
息を止め、覚悟を決めた唄だが、急なブレーキのお陰で救われた。「……なによ、赤信号?」「違う、バス停だって」と舌打つ美咲。
『名古屋駅前ー名古屋駅前ー』のアナウンスと共に、すぐ横の入り口が音を立てて開いた。主要停留所なだけあり、乗る客は多い。
「邪魔よ」とステップを登りかけた女性の声がした。その人物を見て、唄は目を丸くする。
乗車してきたのはとんでもない迫力美人だ。女性は3人を押しのけると仁王立ちに腕組みをする。その迫力に度肝を抜かれ、全員声も出ない。
「公共の施設で一体なんなの、アンタたち? というか、何の騒ぎ? 乗客が全員降りちゃったわよ」
「おばさんこそなんなのよ!」
「……ねぇ、このひと……どっかで見たことある気がする」
1人が呟けば、「はぁ?」「誰なの?」と他の2人も女性を見つめる。
「あ……あー! この人『芙蓉の君』だ! 2年連続ミス政嵐の!」
「なに? うちらのセンパイってこと?」
「そこ!」
急に鋭い声を発した女性に、唄を含めた4人はびくりと身体を強張らせた。
「はぁ? 何?」
「構図的に考えて、3対1の喧嘩かしら。見苦しいわね」
「なっ……」
「しかも、原因が手に取るように分かるわ」
女性は唄をチラリと見てから、鋭い視線を3人に向かって投げ掛ける。
「しかも私を知っているなんて、世間は狭いわね。――御機嫌よう、私の可愛い後輩たち?」
「……ヤバイ、逃げよう。名古屋駅で騒ぎ起こしたら後々面倒だし!」
青褪めた女子大生は発車寸前にも関わらず運転手に扉を開けるよう脅し気味に言いつけ、一斉に降りる。
歩行者専用道路を走り抜ける彼女らの背を見送っていた唄は我に返ると、目を輝かせて女性に声を掛けた。
「あの……! 有り難う御座いましたっ」
「別に、御礼を言われることなんてしてないわ」
苦笑をする女性。
名古屋駅からの出発だというのに、異例の少人数になってしまった、空席が目立つバス。
女性が適当な席に座り直すと、唄はおずおずとその隣りに腰を落とす。
「あの……隣りに座っても構いませんか?」
「あら。もう座ってるじゃない」
くすくすと笑うその笑顔に、唄は顔を火照らせる。
「ところで、さっきの騒ぎは何だったの?」
尋ねられたので、唄は事の経緯をざっと話す。話し終えると、「なるほどね」と彼女は言った。
「可愛いだけじゃなく、勇敢なのね。きっと素敵な教育を受けてきたのね」
女性の言葉に唄は顔を少しだけ曇らせた。それでも笑顔を貼り付かせながら、明るく答えてみせた。
「実は、両親がいなくて。祖母と姉たちに育てて貰ったんです」
「そう。じゃあ、その方たちがたくさん愛情を注いでくれたのね。私も母がいないから、父にはかなり苦労をかけてしまったわ」
「おねえさんには、兄弟がいないんですか?」
「兄弟はいないわ。一人っ子なの。あ、今、私を可哀想とか思ったでしょ? それは違うわよ。父の愛情を独り占め出来たもの。ふふっ、いいでしょ」
「……はい!」
そんな話をしながら、唄は『おねえさん』との会話をこのまま楽しみたいと思う。
(初対面なのに、それも図々しい話かしら? でも素敵な人だし……!)
出逢ってまだ数分。なのにどんどん惹き込まれていく。目が離せない。心が近寄りたがっている。
「おねえさんは、政嵐学院の卒業生なんですか?」
「どうして?」
「さっきの女子大生、ミス政嵐がどうとかって……」
「過去の栄光ねー。私にもそんな華やかな時代があったという話よ」
「そんな。今だって華やかですよ!」
「あら。ありがと」
だが、無情にも別れは近付いてくる。見慣れた風景は確かに地元のもので、バスの運転士は『大須ー大須ー』とアナウンス。
唄は断腸の思いで降車ボタンに手を伸ばしかける。だが、女性の方が窓際に座っていた分、押すのが早かった。
「あ……おねえさんも大須で下りるんですか?」
「えぇ。彼氏と待ち合わせしてるの」
「デートですか! いいですねっ。……あーぁ、私のお兄ちゃんの彼女が、おねえさんのような女性だったらよかったのにー」
「ありがとう。私もあなたのように、可愛くて素直な妹が欲しいわ」
(言うのよ、ウタ! おねえさんに連絡先を聞いて、アドレスを交換し合って――! さぁ早く!)
「あ、あの……」
【大須ー大須ー。降りる際は足元に御注意下さい】
アナウンスに急かされ、降りざるを得ない。こうなったら地上で接触するしかない。唄は先に降りると、彼女が降りて来るのを待った。
だが女性は待ち人を見付けたようだ。片手を挙げ、「待たせてごめんなさい」と嬉しそうに微笑む。
「……え!?」
唄は目を疑った。『おねえさん』が話しかけているのは紛れもない、実の兄だったから。
お兄ちゃん、と言いかけた言葉を遮るように、女性は「ソマ!」と呼び掛ける。
「ちゃんと迎えに行くって言ったろ? ……って……どうしてお前まで一緒なんだ、唄」
「お兄ちゃん……それは……こっちのセリフ……」
「え? ソマ? ……お兄ちゃん?」
「……えーと、お互い名前は知らないワケだ? 分かった、紹介する。八女サン、こいつは俺の妹の唄。唄、この人は職場の先輩で、八女芙蓉さん」
「ひどい!」
その紹介文に怒りの声をあげたのは唄だった。あまりの剣幕に、杣庄も芙蓉もビックリしている。
「おねえさんはお兄ちゃんのこと『彼氏』だって私に言ってくれたのに、お兄ちゃんはおねえさんのこと、職場の先輩だなんて言うんだ!?
どうしてちゃんと『彼女』だって言わないの!? お兄ちゃん、最ッッ低!!!!」
「な……っ、馬鹿、こんな往来で……!」
「男なら堂々と『俺の彼女だ』って言いなさいよね、お兄ちゃんの馬鹿ー!」
「だから唄! 黙れ、お願いだから!」
感情が昂ってきたのか、唄の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
芙蓉にはそれが嬉しくて仕方ない。自分の気持ちを察してくれただけではなく、見事に代弁してくれた。
「唄ちゃん、ありがとう」
芙蓉はぎゅ、と唄を抱き締める。いい子だ。こんなにいい子だったなんて。祖母と姉たちに育てて貰ったんです――。その言葉は、どこまでも本当だった。
「唄ちゃん、今から私と一緒に遊ぼうか」
「芙蓉さん……! あの……『おねえさま』って呼んでもいいですか……?」
「こらー。ちょっと待てー。どこへ向かおうとしてるんだお前はー。つーか、八女サンは俺とデートだっつーの!」
「お兄ちゃんに芙蓉さんは勿体ないと思う!」
「いや、それは確かにそうなんだが……。こら、待てよ唄!」
「お兄ちゃんなんて大嫌いーっだ! 行きましょ、芙蓉さん。大須、ウタが案内してあげる!」
「本当? 嬉しい」
「唄!」
ほら、だって。陽はまだあんなに高い。だから、まだまだ一緒にいられる。
2011.03.10
2020.02.21 改稿
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