03月14日 ■ 不破犬君


03月14日 ■ 不破犬君



3月中旬にしてホワイトデー。
暦上、春ではあるものの、吹く風は未だに冷たく、朝晩は5度以下にまで冷え込む。
下手をすれば冬より体調管理に気を配らなければならない日が続く中、なんとか快晴を迎えた今日。
僕はライトオンのジーンズにマウジーのTシャツと薄手ニットという比較的ラフな出で立ちを選んだ。
向かうはユナイソンの社宅マンション共同駐車場。手に工具を携え、腰にはバイクのキー。
今から何をするかと言えば、バイクのメンテナンスだ。やるからにはとことん綺麗にしようと思っていた。
だから休みである今日を狙っていたし、晴れ晴れとした天気なのは僥倖としか言いようがない。
空いたスペースを陣取って、愛車のYAMAHAボディを丹念に磨きあげる。
空気圧や溝に関しては、給油の時こまめにチェックするようにしているから問題ない。
2時間ほど掛け、仕上げの段階へ。パーツや傷の具合を見ていると、「おはよう、不破」と声を掛けられた。
振り向くと、私服姿の柾さんが立っていた。
アスペジのブラックパンツ、バナナリパブリックの白灰2枚重ねタンクトップ、ポールスミスのネイビーカーデ。
それらは思わず溜息が漏れそうになるくらい柾さんに似合っている。
うっとりしかけて、危うく挨拶を忘れるところだった。思わぬ人物の登場に、僕はすっくと立ち上がる。
「おはようございます、柾さん」
するとさらにその背後から、「よぉ。おはよ、不破」と、これまた私服姿の麻生さん。
リーバイスホワイトデニムをスリムストレートで穿きこなし、グレイカラーのユニクロ七分袖シャツを着ている。
羽織り物はGAPのサファリジャケット・コットンニットモデルだ。
柾さんもだけど、麻生さんの休日スタイルも真似たくなる。麻生さんだからこそ似合うスタイルなのだろうが。
「麻生さん! おはようございます。お2人とも、今日はお休みですか?」
「あぁ、休み。お前さんもみたいだな」
「えぇ。今日はバイクのメンテをしようと思いまして」
「奇遇だな。俺らも車イジろうと思ってさ」
「……麻生。やはり店へ持って行く」
柾さんは気乗りしないのか、苦い顔をして麻生さんに溜息をついた。
「またお前はそういうことをー。俺に任せろって。絶対大丈夫だから」
「その根拠のない自信が怖いんだ」
「お前の車、モノがモノだからそういうのも高いんだよ。俺ならロハだぜ」
「ロハって大正時代の言い方だろう……。いや、僕は別に構わない。今まで通りで結構だ」
やり取りからして、混み入った話なのかな。駄目もとで麻生さんに訊いてみる。
「今から何をするんです?」
「スタッドレスからノーマルに履き替えるんだ。もう雪も降らないと見た」
「タイヤ交換ですか」
「こいつさー、工賃払ってまで正規タイヤメーカー店でやって貰うって言い張るんだぜ」
「うわ、毎年そんなことしてたんですか? 勿体ない! タイヤ交換ぐらい僕も手伝いますよ」
「ほら柾、不破もいてくれたら安心だろ? それと悪ぃんだけどさ、不破。柾の後、俺のも手伝ってくれないか?」
「お安い御用です」
1台4本なんて15分もあれば余裕だ。2台に増えたところで30分と掛からない。
というか、別に3人も要らないわけで。始めから柾さんは頭数に含まれていないのだろう。
麻生さんは早速作業に取り掛かる。柾さんの愛車、BMWのトランクを開けると道具一式を取り出した。
レンチの平坦な部分を使ってタイヤカバーを外す。
次は1つのタイヤに付いている4つのネジを取る番だが、簡単には取れない。それは予想済みだ。
十字レンチをネジに差し込み、その上から足を掛け、乗ったと同時に一気に体重を掛ける。
柾さんとしては、心中穏やかではないだろう。きっとこんな場面はお目にかかったことなどないだろうから。
「……タイヤ交換とは、いつもこんなに荒々しいものなのか?」
「あのな。F1のピットストップとはわけが違うんだぜ?」
大方、タイヤ交換中は「珈琲でも飲んでお待ち下さい」と言われて優雅に寛いでいたんだろ。
そう指摘した麻生さんの言葉通りに違いない。柾さんは否定も肯定もしなかった。


*

「タイヤの摩耗をなくすためにフロントタイヤとリアタイヤの入れ替えもしておく。ローテは鉄板だぞ」
そんな麻生さんの蘊蓄を、柾さんは右から左へと聞き流しているのだった。
結局、麻生さんのホワイトデニムを一切汚すことなく、作業はあっさり終了した。
「楽勝楽勝♪」
満足気にレンチをバトンよろしくクルクル回す麻生さんは機嫌がいい。
麻生さんの愛車、プリウスαの履き替えも無事に終了したからだろう。その気持ちはよく分かる。
手入れされた車体は、そのホワイトパールを目映く光らせていた。
その麻生さんは、道具を片付け始めた途中で、こっちに近付いてくる人影に気付いた。
「よッス、青柳!」
「あれ、麻生さんに不破? 柾さんも? どうしたんですか?」
質問は敬語。ゆえにこの疑問文は麻生さんに投げ掛けられたものだろうと推理する。
「タイヤ交換してたんだ」
「あぁ、そろそろそんな時期ですね。俺もやっておいた方がいいかな……?」
「タイヤがあるならやってやるぜ。どこか出掛ける用事があるなら無理強いはしないが」
「暇だったんで、バッティングにでも行こうかなって。でもタイヤ交換したいです」
その様子を眺めていた柾さんが言う。
「こうなったら、他の社員にも声を掛けてみたらどうだ、麻生」
柾さんは車留めに腰掛けていた。その手にはいつの間にかBOSS缶が握られている。
よく見たらコンビニの袋があり、その中にコーヒーやお茶のペットボトルが10本ほど入っていた。
いつの間にコンビニへ……? ちっとも気付かなかった。
柾さんと目が合う。柾さんは笑みを浮かべ「お疲れさん」と労い、ペットボトルを僕の方へ放り投げた。ペプシネックス。これ、大好きなんだ。
「ありがとうございます。いただきます」
柾さんの意見を取り入れた麻生さんはスマホをイジり始める。誰に連絡しているのかまでは分からない。
打ち終えた頃には青柳チーフのシルバーメタリック、『カムリハイブリッド』が横付けされていた。


*

かくしてタイヤ交換祭りと相成った。「俺も俺も」と参加者が集い、共同駐車場は賑やかだった。
気付けば男ばかり集まり、どこからともなくボールが出現すると、簡易サッカーが始まった。
かと思えば違うコミュニティも出来上がっており、会話に花が咲いていた。
「どこの支店だったかな? アーユラ製薬のマネキンが可愛いって言ってたぜ」
「呼んでくれよ、日雑売り場ー」
「いいですねー。じゃあ第4週の日曜日に来て貰いましょうか」
「だめだめ。俺第4日曜休みだもん。次の週になんね?」
「我儘だなー」
「だって見たいじゃん」
やんややんやと浮かれている内に日が暮れ始めた。
小集団ごとに夕飯を食べに行ったり遊びに行ったり部屋へ戻ったりと、三々五々に散り始める。
その頃には早番出勤だった社員も勤務を終え、この騒ぎに合流していた。
「あー、腹減ったー! なぁ、飯食いに行こうぜ。杣庄、美味しい店教えてくれー」
麻生さんの提案に応じたのは、柾さん、青柳チーフ、五十嵐さん、平塚、ソマさん、そして僕。
計7人でソマさんオススメの飲み屋へと移動することになった。
「そう言えば、お犬様の誕生日だよな、今日」
平塚がにやりと笑う。「えっ、そうなのか?」と諸先輩方。
「不破には1日たくさん働いて貰ったし、今日は奢り決定だな!」
麻生さんがくしゃくしゃと僕の髪を掻き乱す。
「2次会はどこに行くつもりなんだい? ボーリングでもしたいけどね、俺は」
「よぉし、嵐、言ったな? 今度は負けないからな」
柾さんは何故か、揺るぎない声音で宣言する。
ソマさんが「五十嵐さんってボーリング強いんですか?」と尋ねれば、麻生さん曰く「嵐ってば鬼強」とのこと。
「あ、碩人と十御もいま仕事終わったって、メールが」
「マジか、青柳! よしよし、呼びな呼びな! 伊神と一廼穂には訊きたいことがあるんだ」
麻生さんは浮かれ気分だが、僕は萎える一方だ。
「青柳チーフ、やめて下さいよ、メンテ2人組呼ぶの……」
「嫉妬は見苦しいぞ、不破」
青柳チーフに窘められ、ソマさんからもそうだそうだと頷かれる。くそ、なんだこの布陣。
「楽しい誕生日の夜になりそうだなぁ、お犬様」
慣れ慣れしく肩を組んで来た平塚の横っ腹にエルボーを食らわせ、速攻で黙らせる。
ふと尋ねたいことがあったのを思い出して、僕は歩幅を落とし、最後尾にいた麻生さんの横に並んだ。
「麻生さん」
「んー? どした?」
そう尋ねる麻生さんの声は柔らかくて。だからこそ余計に尋ねるのに躊躇われた。
「凪さん……千早さんって、来ます……?」
僕の質問に、麻生さんは目を僅かに見開いた。次の瞬間、屈託ない笑い声とともに肩をガシと組まれる。
「ホント、不破は千早兄貴が好きなんだな。柾にとっては天敵だが」
そ、そうだよな。わざわざ友達の苦手な人物に呼び掛けるわけないよな……。
少しがっかりしている僕の隣りで、麻生さんはスマホを操る。
「ほら。見てみ」
そう言って差し出された麻生さんのスマホの画面には、今日のメールのやり取りが並んでいた。
タイヤ祭りの呼び掛けメールに呼応した何人かの中に、『千早凪』の名前もある。開くと、
「『今日は遅番なので、間に合えば参加します』。あ……」
「よかったな」
麻生さんは肩を組んでいた腕をほどくと、僕の背中をポンと叩く。
麻生さんは凪さんを呼んでくれたんだ。その事実が嬉しくて、でも気恥かしくて。
「……つーか10人の野郎集団って。どんなんですか、本当に」
照れ隠しに僕が一人ごちれば、そのすぐ横で。
「本当だ。暑苦しくて敵わん」
苦虫を噛み潰したような顔で、柾さんはしみじみと賛同したのだった。


2012.04.12
2023.02.13 改稿

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