05話





アシャイアに別れを告げ、先に廊下に出たのはライアー。タームはお辞儀のぶん、出るタイミングが遅かった。
極端に短い鍵を穴に差し込みタームが手首を捻れば、思った以上に重い金属音が響き渡る。
そんな仄暗さと相まって不吉さが増す場面で、物騒な展開は起こった。
部屋の扉の施錠を済ませたタームが鍵を引き抜くのと、亡霊のように鳴りを潜めていたライアーが抜刀したのは同時だった。
ライアーは背後からタームを引き寄せ、密着。横倒しにされた刃がタームの喉元すれすれの位置に宛がわれた。
「……息を飲むどころか身じろぎ一つしないとはな。さては手連か?」
「まさか! 突然の出来事に反応が鈍っているだけでしてよ。
それに、こんなことをされるとは思ってもみなかった。わたくしはてっきり抱擁されたのかとばかり……」
絞りだした声は震えていた。その言葉を信じたライアーは刀を鞘に収める。
とはいえ解放するつもりはない。タームの両手首を後ろ手に掴むと、そのまま壁へと押し付けた。
咄嗟の判断で顔を背けることが出来たため、鼻梁からぶつからずに済む。ただし、片頬はしたたかに打ちつけてしまったが。
壁に押し付けられたことで、マントで分からないようにしていた胸の大きさが明らかになっても、気にしていられなかった。そんな余裕などない。
タームは苦痛の声をあげ、身を捩ってライアーから逃がれようとしたが、力で敵う相手ではない。目尻に涙を湛え、呻くのが関の山。
「そうだ、大人しくしていろ。こういうのは抗うほど痛みが増すものだ」
「あなた様はわたくしをどうするつもりなのです」
「さぁてね。どうしようか。殺意なら、この地に踏み入れてからずっと抱いているが」
明かりも届かない暗闇の中、彼の双眸だけが赤く煌めいているような気がした。
獰猛で野蛮な獣が、いまにも己ののど目掛け、噛みつかんとしている――タームにはそう思えて仕方ない。
ライアーが獣だと言うならば、貶める現況を作ったのは王族だ。彼にはこの城に住まう者すべてを憎むだけの理由がある。
果たしてアシャイアの名を出せば、考え直し、思いとどまってくれるだろうか? 先ほどは通用したが――。
しかし、アシャイアには既に寝床を用意してしまっている。どのように初潮に対処すれば良いのかも伝授済み。
これならばタームなどいなくとも2人でやっていけると見積もられ、意趣返しされていても、おかしくはない展開ではある。
薄汚くはあるが、休める場所ならばここに山ほどある。ライアーがこの廃墟アラバ・モダを乗っ取ろうと思えば可能だ。
ならばアシャイアを話題にするのは、文字通り諸刃の刃ではないだろうか。
「わたくしは、まだ死ねません」
凛と断言した。
ほぉ、とライアーの片眉が釣り上がる。面白い。風変わりな命乞いは、静聴に値する。
「死ねぬ理由があると?」
「はい」
きっぱりと言い切る。
ライアーはタームを解放した。どんな目的があり、どんな顔で生への未練を懇願するのか気になった。
「全てを与えられた身で、これ以上何を望む?」
嘲りと侮蔑と憐れみにまみれた問いを、タームが抱く“あくなき願望”の内容にぶつける。
民を踏み潰した王族が、自然を薙ぎ倒した王族が、手に入れたいモノだと?
「言ってみろ。言えるものなら。俺から妹を奪い、母を奪い、住まう場所も奪った貴様らが次に欲するものとは」
ぐつぐつと煮え滾るのは、怒りからくるものだとライアーは知っていた。
それでも沸点に達しないよう、理性を働きかける。まだだ。まだ。
理由を。下らない理由を聴いてからでも遅くは無い。下らなければ下らないほど、滅し甲斐がある。
対峙したタームはライアーに焦点を定め、言った。
「死ねぬのです。国王を倒すまでは」
「……なんだと?」
さすがに不意を突かれた。
タームは王族に名を連ねる者なのではないのか。王の繁栄を願いこそすれ、失脚を望むとはこれ如何に。
「王だと? それはつまり……」
頭の中で明滅している四文字の名。
実際に会ったこともなければ、見たこともない天上人にして、この地に災いをもたらした愚かな覇王。
果たしてタームが挫こうとしているのは、ライアーが幾度となく怒りをぶつけ、死という報復を願い続けてきた人物なのだろうか。
「現国王ファータ」
ライアーは息を飲んだ。やはりそうか。しかし――。
「……それは本心か?」
問わずにはいられない。ここは国王ファータが住まう城の一部。その一角で、不義理極まりない野心が燃えているのだから。
タームはこの期に及んで自分を騙そうとしているのではないのか。その疑問が頭をもたげたが、それきりタームは口を噤んでしまった。
「……そうか。分かった」
「わたくしを殺さぬのですか」
「なぜお前がファータ王を玉座から引き摺り下ろそうとしているのか、興味が湧いた」
「わたくしがそこまでペラペラ喋るとでもお思いでして?」
「手を組む、という手段もある。既にその考えに至っているとは思うが」
「さぁ、どうでしょうか……」
「それに、お前の口調にはもう余裕が戻っている。俺が殺さないと確信しているからだろう」
「……ライアー。今夜はもう、ここまでにしておきませんこと?」
タームの言にも一理ある。時刻は分からないが、深夜であることだけは確かだ。
いま触発したところで事態が好転するとは思えない。それに、疲労していないと言えば嘘になる。
「一時停戦か」
「アシャイアのためにも」
自ら禁句としていた名前を、敢えて出してみる。
あっさり「分かった」と返され、タームは疲労感に襲われた。始めからアシャイアの名前を出せば良かったのだ。
「……お部屋に御案内致します。こちらですわ」
タームに連れられ、長い廊下を歩き、長い階段を上がる。
アシャイアのそれとは違い、そこは名もなき部屋だった。
「歓迎されてないな」
「あなた様は危険ですもの。安全が確認できるまでの処置ですわ」
「まぁ、当然か」
「今日は湯浴みは諦めてくださいますか? もはや薪をくべる力も御座いませんもので……」
「構わないが、薪だと? アシャイアの部屋では薪など――」
ライアーの疑問に、一瞬だけタームは間を空けた。
「あちらは貴賓として御使用いただける部屋ですが、こちらは、その……」
言い淀むからには理由があるのだろう。部屋を一瞥したライアーはすぐに見当をつけた。
「アシャイアが居る方は新しい建物か。廊下を繋げたんだろう」
「気付かれましたか」
「夜目でも分かるんだ。板を踏んだときの軋み方、壁の匂い、肌に感じる温度の違い。
ここの棟は囚人が収監されるそれと似ている。いや、感謝してるんだこれでも。アシャイアをありがとう」
「……申し訳ございません、御助力に感謝いたします。明朝伺いに参りますわ。ごゆるりとお休みくださいませ」
「あぁ」
ドアが閉まり、施錠の音が聞こえた。簡素なベッドと小さな窓、部屋は狭い。アシャイアの待遇とはてんで違う。
それでも、己の不遇を嘆いたりはしない。
アシャイアが無事で良かった。ただそれだけが、いまのライアーにとって、最も重きを置く点だった。

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(→6話に続く)
2014.11.26



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