仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2024.06.18
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カテゴリ: 宮城

館踏切を渡って歩いていくと、分かれ道があり、右に石碑、左には「国指定遺跡 名生館官衙遺跡」と書かれた黄色い誘導サインがある。

まず、石碑から。古川市道館線の改修の記念碑だ。以下に記すが、苔むして読めない部分があり、私の転記(下記)も間違っている可能性がある。



記念碑
古川市道館線改修記念誌
当名生舘線は東は国道石巻酒田線に連なり西は旧国道羽後■道に通じる往時よりの要路であったがその規■極めて狭■且つ紆余曲折甚しく道路としての機能を充分発揮し得ず(略)地方の住民は世の文化に浴すること少なくその進展を阻害(略)こと著しいものがあった
茲に故福田卯平氏より道路改修の勧議があり部落民一同之を■とし昭和三十一年三月市当局へ請願の運びとなる
市亦之を了とし来地踏査等の結果翌三十二年三月遂に失対事業として之を採択するに至る
茲に於て部落民その共同■作による収益金弐拾数万円を(略)
福田氏の後継者笠原常治氏当の盡力による土地買収を完了し同年七月着工越えて三十三年四月十日待望の竣工を見る
今や面目一新せる当道路に立■之が将来に■す経済的■化的恩恵を思う時この事業遂行に絶大な協力援助(略)か■■部落民及び関係者並に後援者各位に対し深甚なる敬意を表する
茲に概況を録しその功績を讃え永く後世に伝える
昭和三十三年八月
選並書 大坂敏雄

名生舘部落人名
大場虎造 髙城惣三郎 福田丑治 大場はる 舘野忠 笠原直治 笠原忠吉 笠原良助 笠原長右ェ門 笠原勉 笠原伊三郎 笠原吉壽 三浦昭二 門脇縫治 菅原きくの 笠原哲 大坂敏雄 髙橋盛 笠原長造 三浦新三 寺山芳■
世話人
笠原常治 笠原三郎 三浦義一 渡辺伊興■ 笠原良夫 佐々木文夫
区長
佐々木永吉
岩出山町飯川石店刻



黄色い誘導サインは次の画像。


これに従い官衙遺跡の方に道を進んでいく。民家の間をすり抜けるように出ると、畑地が開けた場所に出る。ここに、官衙遺跡を示す説明板。城内地区なのだそうだ。



国指定史跡 名生館(みょうだて)官衙遺跡 ー城内地区ー
正殿跡発掘状況(西から)
政庁推定復元図(南東から)
政庁と同時期の竪穴住居跡(小舘地区)から出土した土器
 この地域の土器とともに、関東地方や東北北部地域の特徴を持つ土器が認められます。このことから、様々な地域の人々が官衙の造営に関わっていたと考えられます。
政庁の正殿に葺かれた瓦(8世紀初頭頃)
 名生館官衙遺跡は、7世紀末から9世紀代に大崎地方西部を治めていた官衙(役所)の跡です。昭和55年からの発掘調査では、多数の掘立柱建物跡や竪穴住居跡などが発見されています。城内地区では、周囲に板塀をめぐらした東西53m、南北61mの規模をもつ、政庁と呼ばれる役所の中心施設がおかれ、瓦葺の正殿や、南北にならぶ2棟の脇殿などが建てられていたことが判明しています。
 城内地区の政庁は、正殿に葺かれた瓦の特徴から8世紀初頭頃のものと推定されることから和銅6(713)年にこの地域に成立した丹取(にとり)郡の郡衙(郡役所)の中心施設と考えられます。
昭和62年8月17年
(ママ)  指定 大崎市教育委員会




説明板のある地点から更に道を先に進むと、こんな感じの風景。


上の画の奥の樹木の辺りで角を左折(西に)して進んで舗装道路に出たあたりで、西方向を望んだのが次の画像。


今度はその辺りから振り返って東を望む。さっきの樹木がみえる。画像の右端に上記の解説看板が小さく見える(城内地区)。


道を南に進むと、また集落にもどり、辻のそばに名生城の跡の解説がある。



名生城(みょうじょう)跡
 名生城跡は標高約43mの青木原台地東端部に立地しています。文献史料での初見は14世紀中頃で、その後は4代大崎満持(みつもち)の子の持直(もちなお)が城主であったとされます。また、11代大崎義直(よしなお)が家督を相続する以前は名生城主であったといわれます。12代大崎義隆(よしたか)が本拠の中新田城から名生城に写るのは文献から16世紀後半頃と考えられ、大崎市最後の拠点となります。
 大崎合戦の遠因となった際には、大崎市家臣の氏家隆継(たかつぐ)や伊場野惣八郎が名生城を占拠して籠城したといわれます。さらに葛西・大崎一揆では、蒲生氏郷の討伐軍が名生城に立て籠った一揆勢を鎮圧した後、城に数ヶ月間籠城しています。氏郷が出城した後は伊達氏家臣の高城宗綱や宮沢元実などが城番として常駐していましたが、間もなく奥州再仕置により廃城になったものと考えられ、文献にも名生城に関する記事がみられなくなります。
 名生城の範囲は東西約400m、南北約850mとなります。北と東が段丘崖で下方に渋井川が貫流し、南が沢を利用した堀で、西は堀や土塁によって遮蔽されます。文献では北館、内館、大館(城内)、軍場(軍評定)、二ノ構、三ノ構が記され、小字名には小館があります。発掘調査や地表に残る堀跡や土塁などから概ね9つの曲輪(くるわ)に分かれるものと推測されます。城内地区では、内部を区画する大堀跡や総柱構造の大型建物跡と3棟の付属建物跡を発見しています。内館地区で炭化した米や麦、雑穀類が出土したことから穀物を入れた倉庫群の存在が予測されます。また、小館地区の南辺で東西方向に延びる高さ約2.5mの土塁跡を調査しています。さらに城への出入り口は、土塁の食い違いが見られる南と西に想定されています。
令和元年10月 大崎市教育委員会




さらに、名生館官衙遺跡を説明する新しめの看板も。



国指定史跡 名生館官衙遺跡
昭和62(1987)年8月17日指定
 名生館官衙遺跡は奈良・平安時代に大崎地方西部を治めていた官衙(役所)の跡です。発掘調査では、政庁と呼ばれる官衙の中心となる建物が時期によりその形を変えながら建てる場所を移動するなど、官衙全体の改修が行われていることが分かっています。
【城内(じょうない)地区の政庁の時期】8世紀初頭頃
 政庁の大きさは東西53m、南北61mで、周囲に板塀をめぐらし、瓦葺きの正殿や、南北に2棟の脇殿が建てられています。この時期は、正殿に葺かれた瓦の特徴から8世紀初頭頃のものと推定されることから、和銅6(713)年に成立した丹取郡の郡役所であったと考えられます。
【小館(こだて)地区南東部の政庁の時期】8世紀代
 政庁は昭和40年代の土取り工事により構造などは不明ですが、工事で大量の瓦が出土したことから、瓦葺きの建物があったと考えられます。この時期は櫓を伴う外郭施設が造られることが特徴で、多賀城などと同様な城柵(蝦夷に対する役所)としての構造となります。出土した瓦の特徴から8世紀代のものと推定されることから、この時期は神亀5(728)年頃に丹取郡を改めて成立した玉造郡の郡役所や、天平9(737)年に多賀城とともに文献に記述される玉造柵(たまつくりのさく)と考えられます。
【小館地区南西部の政庁の時期】9世紀代
 政庁の大きさは東西57m、南北58mで、周囲に回廊をめぐらし、その中に正殿と2棟の脇殿が「品字型」に建てられています。この時期の遺物に、「玉厨(たまくりや)(玉造郡の厨房ー食堂ーの意味)」と墨で書かれる土器があり、櫓を伴う外郭施設が認められなくなることから、玉造郡の郡役所であったと考えられます。
【市指定文化財 伏見廃寺跡】
 遺跡の南約1kmには、付属寺院と考えられる伏見廃寺跡があります。
①名生館官衙遺跡全体図
②城内地区政庁模式図
③小館地区南西部政庁模式図
④墨書土師器坏「玉造」(東北歴史博物館提供)



上の画像のうち、地図部分を拡大してみる。


この地図でいうと、青い文字の「小館地区南西政庁」とされた地区の踏切から道を進んで、「城内地区説明版(ママ)」の赤い地点に出て、さらに北に進んで、左折(西へ)、また左折(南へ)と長方形を描くように歩いたのだった。




より広域の地図が次の画像。ここには、銃初稔、弥栄、躍進、昭和、交合、信念などの「戦中地名」が見えて(下記の関連過去記事を参照下さい)、地図好きの心が躍る。


■今回のシリーズ(東大崎駅から西古川駅までの散策)
東大崎駅、大崎神社 (2024年06月14日)
名生館官衙遺跡、名生城跡
名生館から西古川へ(大崎市古川大崎、古川斎下) (2024年06月19日)
西古川駅(大崎市) (2024年06月22日)

■関連する過去の記事
大崎市の戦中地名 (2024年03月20日)
中世宮城の名族たち(その2) (2016年12月26日)
中世宮城の名族たち(その1) (2016年12月23日)
古代人の移民地名(玉造、加美、志田、色麻など) (2013年4月16日)
「西古川」小学校と「古川西」中学校 (2013年1月27日)
東北の「館」を考える (2011年9月25日)(宮城の古代・中世の「館」)
葛西氏と大崎氏 (10年9月22日)
丹取郡と名取 (10年3月17日)
丹取郡の成立と大崎平野への移民 (10年3月16日)





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最終更新日  2024.06.22 21:18:03
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