「怒り」は「絶望」よりましだ
ある映画のせりふで主人公が「怒りは絶望よりましだ」といっていました。その映画ではそのせりふに対してとくにインタープリテーションがあるわけではなく、さらっと次の場面に流れていくのですが、僕はそこでふと、これって名言ではないかと考えました。言葉どうりに解釈すれば、何もかもがいやになって、絶望し生きる気力もなくなってしまうくらいなら、怒っていた方がましということですが、解釈の仕方によっては、「怒り」というのは、ショックなことがあっても「何を今に見ていろよ」みたいな気概で生きていくエネルギーにもなるのではないかと、その方がむしろ、明日への成長につながるって絶望に打ちひしがれるよりは、ポジティブな対応の仕方ではないか、この言葉は、こういう風にも解釈できるのではないかと思いました。「怒り」はストレスがたまるし、いい感情とはいえないけど、「絶望」の渕に立たされている人間にとっては1つのブレイクスルーになることもあります。 自然に関わる仕事は必ずしもいいことばかりじゃないです。とくに民間でやってる場合、経済的な面では、みなさん四苦八苦です。途中でやはり自然じゃ食えないやーってあきらめる人、学生などでは挑戦する前から方向転換しちゃう子たちもいます(もちろん、それはそれで選択肢の一つだから、良い悪いの判断は別です)。でも、そこに、このままでは、自然も人もダメになっちゃうだろーって、「怒り」を「使命感」に変えることができ、それを一種の社会運動みたくできれば、人と自然がより良い関わり方ができる世の中が築けるような気がします。人も他の生き物もすべてこの地球を共有しており、人はとくに意識しようがしまいが、自然から恩恵をあずかっているのは確かだから。その関わり方は個々人様々でよいと思う。でも、まったく意識のない人達も自然とふれあい、そこに生きる生命の不思議さや力強さを感じるだけでも、今までとは違った価値観でこの世界をみることができるようになるかもしれないです。そうすれば、現代に生きる人類の「怒り」や「絶望」といった感情は「優しさ」や「希望」に変わるかもしれません。There is still some hope left. Take it before it is too late.