おぎゃりん☆の 元氣に活きる通信!

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♪水になりましょう♪

5月23日の日記/【水の如し】


楽天でのご縁で、私の尊敬する いいこと探険家さん のページ(日記)からの学びです。




★氣づきの言葉&メッセージ



水は完全に自由です。

水は柔軟です。

水は自然そのものです。

水はすべてのものを包み込みます。

水はすべての中に入っていけます。

水はどんな形にもなれます。

水はエネルギーの塊です。

水は【いのち】そのものです。


水は私です。

水はあなたです。

水はみんなです。

水はすべてです。







●水が教える人生の6原則



第一則:みずから活動して、他を動かしむるは、水なり。


第二則:常におのれの進路を求めてやまざるは、水なり。


第三則:障害にあって、激しくその勢力を百倍し得るは、水なり。


第四則:みずから潔うして他の汚濁を洗い、清濁あわせいるる量あるは
水なり。                    


第五則:洋々として大海をみたし、発しては霧となり、雨雪と変じ、
霧と化す。凍っては、玲瓏たる鏡となり、しかも、その性を失わざるは、水なり。


【水五則】




何という見事な表現でしょう!

まさに水の本質をエネルギッシュに捉えた名文だと思います。

この水五則は、王陽明が伝えたとされていますが、戦国時代の武将である黒田孝高(如水)の伝という説もあります。


また、その内容から老荘思想の流れではないかと考える人もいるようです。

作者はともかく、実にダイナミックに水を表現しているため、自己を浄化し鼓舞する箴言として多くの人々に語り継がれてきたのでしょう。




◆新・水六則



私はこの水五則が大好きで、自分の言葉に置き換え、自己の教訓としています。

ただ私としては、まことに僭越かと思いますが、第六則を付け加えて「水六則」としています。


第六則:静止してすべてを映し、その本質を明らかにするは水なり。




私は、この「水六則」を自分なりに次のように解釈しています。



【水六則】 


第一則:自然の摂理に従って自ら行動しよう。自立するのだ。すると自分が変わり、その結果として他人が変わるのだ。


第二則:自らの使命を知り、目的を達成するまで行動し続けよう。


第三則:障害を克服することで大きく成長しよう。障害よ、ありがとう。


第四則:心を浄化し、その美しい心で周囲の人々の汚れを清めよう。
善悪、正偽の価値判断を超越し、その人のすべてを受容し愛そう。


第五則:生命は輪廻転生を繰り返し、循環している。しかもその性質は失われない。


第六則:心はすべてを映し出す水鏡である。それが波立っていると、ありのままを映すことができない。だから常に明鏡止水の状態に心を保とう。




地球は水の惑星です。

その地球で生まれた人間は、必然的に水と同じ性質を持っています。

あるいは「人間は水そのもの」といってもいいかもしれません。



水五則、ひいては水六則は、

「人の本質は水である。だからすべての人間は潜在的に水と同じ偉大な性質とエネルギーを持っている」

ということを教えてくれているのではないでしょうか。

この意味で「水六則」は、「人生の6原則」とも言えると思います。




◆上善は水の如し(老子)



ところで、水についての教えといえば「上善は水の如し」を忘れることはできません。

これは老子の非常に有名な言葉で、無為自然の境地が水の性を通して、直接魂に響いてきます。



上善は水の如し。
水善く万物を利して争わず。
衆人の悪む所に処る。
故に道に幾し。
居には地を善しとし、心は淵なるを善しとし、与うるには仁なるを善しとし、言は信なるを善しとし、政は治まるを善しとし、事には能なるを善しとし、動くには時なるを善しとす。夫れ唯争わず、故に尤なし。



これを谷沢永一氏が次のように意訳されています。



最上の善は、水のようなものである。
水は、丸い器に入れば丸くなり、四角な器に入れば四角になるといったように、決して万物と争わない。
しかも衆人がいやがる低い位置に身をおく。
だから、水こそ道に近い存在といえる。
ところで善といえば、住居は大地のごとく安定しているのが善い。
心は淵のごとく静かでおだやかなのが善い。
与えるには報いを求めることなく仁愛をもってするのが善い。
言葉は必ず実行して信義があるのが善い。
政治は平安無事に治まるのが善い。
事をなすには能力のあるのが善い。
動くにあたっては時にかなうのが善い。
そもそも水は決して争わないからこそ、他からもうらまれず、最上の善と言えるのだ。




◆水の如くあること



古語に「水は方円の器に従う」とあるように、水は見事な柔軟性を有しています。



これは、

「水からできている私たち人間も、他とは争わない非対立
の本質を持っている」

ことを示しているのではないでしょうか。



全一学で有名な森信三氏の「下座行」すなわち、

「その人の真の値打ち以下のところで働きながら、しかも
それを不平としないばかりか、返ってこれをもって、自己
を織り自分を鍛える絶好の機会と考えるような、人間的な
生活態度をもつこと」

という教えに通じるように思います。



たとえばビジネスでは、「買う方も売る方も本来対等」ですが、
そこに人間の奢りが入り込むと「買う方が偉い」という錯覚に
陥ります。


本来は、買う方は、「買ってやる」から「買わせていただく」に、
売る方も「売ってやる(少数だと思いますが・・・・)」から「売ら
せていただく」という下座の姿勢にいることが、実は最も安定
するのです。


これが「水の如くあること」のひとつの実践例です。




◆水から(自ら)学ぶ



また、二宮尊徳翁も

「商法は売って喜び買って喜ぶようにするべきである。売
り手が喜び、買い手が喜ばないようでは道ではない。買い
手が喜び、売り手が喜ばないのも道ではない。貸借の道も
また同じだ。借り手も喜び、貸し手も喜ぶようにすべきで
ある。借り手は喜ぶが、貸し手が喜ばないようでは道では
ない。貸し手は喜んでいるが、借り手が喜ばないのも道で
はない。あらゆることはみなこのようである。私の教えは
これを法則とする。だから天地の育ちゆくままの心を心と
して、親子と夫婦の情に基づいて、損得は問題とせずに、
国民の生活が潤い、土地が復興することを楽しむのだ」

と説いています。


今風に言うと、

「自社も喜び、消費者も喜び、取引先も喜び、銀行も喜び、
環境も喜び、動植物も喜び、地球も喜び、宇宙も喜ぶ」

という「全方位善し」の経営を行い、そしてそれを心から
楽しむということなのです。


一見難しいことのように感じますが、水の如く下座に降りれ
ば、そこから連鎖的に状況が好転するのではないでしょうか。


これが実現すれば、経営者として望外の喜びであり、本物の
成功を体感できるでしょう。


これらのように、ビジネスだけでなく、人生のすべてのステージ
において「水から学ぶ」ことは実にたくさんあります。

私としては、人にすすめる前に「自ら(みずから)学び、実践する」
ことを心がけて生きていきたいと思います。





★氣づきの言葉&メッセージ



水は完全に自由です。

水は柔軟です。

水は自然そのものです。

水はすべてのものを包み込みます。

水はすべての中に入っていけます。

水はどんな形にもなれます。

水はエネルギーの塊です。

水は【いのち】そのものです。


水は私です。

水はあなたです。

水はみんなです。

水はすべてです。






感謝!「合掌」



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