「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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さんぽ すすんで にほ さがる
高校2年生―拒食症との闘い/心療内科
細い自分が好きだった。
★修学旅行★ 5月に山口県・広島県への修学旅行があった。皆、電車内で食べるお菓子を持参してきたが私は当然持っていかず、その口実としてバナナの入った袋を持って行き、お菓子の袋と間違えたのだと嘘を言った。
旅行先でのごちそうは、私にとって苦痛だった。頭の中では「食べたい」が渦巻いているが、心は「食べたら太る」という声が騒ぎたてるからだ。
結局、皆にいつもの減食を知られないよう、ほどほどに食べこっそり吸収阻害薬をのんだ。
観光地では、特産品を使った色々なお菓子などが売られていて、グループ行動の時に皆食べていたが、私は勧められても決して口にしなかった。
★究極の細さを求めて★ 口に入れるものはどんどん少なくなっていった。自ら食べて太るようなことは決してしたくなかった。自分で決めた量以上のものを食べると、贅肉が体に張り付いた気がして怖かった。だから親から食べるよう言われても絶対食べなかった。たった一口でも私には毒のように思えたし、強要されればされるほど、頑として拒否した。
友人との食事でも、カロリーの低いものばかりを食べ、カロリーの高いものを口にせざるを得ないときは、口に一旦入れ、すぐに鼻をかむ振りをしてティッシュに出していた。そんな面倒でストレスフルなことをするのが嫌で、友人と食事する機会はどんどん減っていった。
★朝食★ 朝食はキャベツをレンジでチンした上にワカメを載せたものを食べる日もあれば、無脂肪乳を寒天で固めたものに食物繊維たっぷりのシリアルを少量掛けて食べる日もあった。
★弁当★ 昼食に母が作った弁当はほとんど食べずに、図書館のトイレに流して捨てていた。(そのせいで、図書館のトイレが詰まってあふれた。ごめんなさい。&まだこのことは母に言っていない。)クラスメイトには私が減食しているなんて知られないようにした。(細すぎてバレバレだが)そのかわり、歩き回ったあげくスーパーで手に入れた低カロリーの刺身こんにゃくや、ゆでタコを公園で食べた。一回失敗したのはホタルイカで、中に肝みたいなものが入っているとは思わなかった。なので、カラスにあげた。そして、ところてんはいつ食べてみても嫌いだった。
★食事と運動★ 夕食は親に「食べろ」と言われるのが嫌で、食前に腹筋運動1000回以上など一通りメニューをこなし、食後は薬を飲んで食べた罪悪感を紛らわしていた。「食べなさい」と言われれば言われるほど絶対食べるものかと思っていた私の気持ちに親は全く気づいていなかった。
★細いって心地よい★ もちろん登下校は徒歩で、歩く前に脂肪燃焼効果が上がるコーヒーか緑茶を飲み、行きに2時間もかけ遠回りして学校へ行き(もちろん遅刻)、帰りは遠回りしたり、同じ道を何度も通ったり、ウィンドウショッピングを何時間もして帰った。
ショッピング街では同じ年頃の人達から「細すぎやねぇ~」と言われたが、私は普通体型の子を見て「あんな太っていて、よくスカートが履けるわ。私は細くて良かった~。」などと思い、自分の細さと人の目が心地よかった。
★痩せていれば・・・★ 夏は日傘をさして歩いた。暑さで苦しかったが、これでカロリーをどれだけ消費できるかと考えれば快感で、何時間でも歩けた。何時間もかけ遅刻して登校した授業中の私の頭の中は「今日はどのルートを歩いて帰ろうか。このルートは○○時間で・・・今日食べるカロリーを消費するには・・・」という計算でいっぱいだった。歩いていると、人から「骸骨みたい」とか「痩せすぎ」だとか言われたが全然気にしなかった。逆に痩せていて誉められたような気分だった。
★弁当★ 母の詰める弁当が負担になった私は自分で詰めるようになった。親は本を買って私が拒食症であると知っていたため、私は食べたくないことを母に隠さず堂々と減食した。学校の友人から、食べる量が少ないと思われないように、海藻、野菜、脂身のない肉、蒟蒻で量増ししたご飯を入れた。
★むくみ★ この頃、足や顔が浮腫むようになった。足が水風船のようで気持ち悪かった。親の買った本を読んで拒食症の症状とは知っていたが、痩せているゆえの試練だと思うと耐えることができた。
★母の気持ちは?★ 母とよく買い物にでかけたが、母はいつも他人から「娘にちゃんと食べさせているの?」と聞かれているらしかった。虐待だと勘違いされていたのだろう。「いつも聞かれる」と母に言われても私にはどうすることもできない。私は母に「私と歩いて恥ずかしいのか」と問い詰めた。母は否定したが本心は分からなかった。
★体のSOS★ ある日、いつものように帰りに3時間程かけて歩いていると途中で足が動かず頭がフラフラになったため母に電話して迎えにきてもらった。母はどんなに心配したことだろう。
★休日★ 休日は当てもなく歩き回って時間をつぶした。歩いていると、通りすがった人は私の痩せた姿に驚いてひそひそと話していたが、私は痩せた自分が嬉しく、もっと人に見て欲しくて、以前のようにがむしゃらに歩いているのを人に見られて恥ずかしいなどと思わなかった。
★もっと細く!27キロに。★ 夏休みになる日の前、体重が30キロを切った。両親は私が栄養失調で死ぬかもしれないと思い、慌てて「心療内科に連れて行く」と宣言し、私が嫌いな長い話し合いをした。私は抵抗し、「牛乳を毎日飲む。」という交換条件を出したが結局守れず、心療内科へ連れて行かれた。その時私の体重は27キロだった。いつ死んでもおかしくない体だった。その体重では、階段は普通に昇れず、寝た状態から起き上がるのも大変で、足の裏の肉さえも少なくなっていて歩くときは一歩一歩がとても痛かった。だから、2階の部屋には行けなかったので、1階の和室で数ヶ月間寝起きした。
★心療内科★ 心療内科では最初、心臓や脳、肝機能の検査などをした。結果、心臓は80歳の老人のように弱々しく、脳は萎縮し、脂肪肝になっていた。それを聞いた母親はショックを受けていたが、私は自分のことなのに何も感じず、逆に「痩せるのをやめさせる気?絶対やめんから。」と腹立たしく思っていた。それに毎回体重を量られるのが嫌だった。なぜなら、体重が増えていないのを知られたくなかったからだ。医師は私が考えていることを話すよう勧め、私は母親や妹との関係について話した。(後で分かることだが、摂食障害の原因の一つに母と娘の関係があるらしい。)
そして、自分は拒食症なのだと認知することから始まった。私は認めたくなかった。いや、自分が拒食症だとは気づいていたが、自分が拒食症だいうことを他人に宣言したくなかった。認めたら、治療させられて太らされると思ったのだ。しかし、次第に拒食症を認めるようになった。逆にそうすることで、食事の時に「自分は病気なのだから食べられなくても仕方がない」と親に言え、堂々と食事制限ができると思ったからだった。
病院ヘは週に1度行ったが、体重は増えるどころか、減っていた。入院を勧められたが、拒否した。
★母の企み★ 母は私に食べさせるのが課題となった。毎食ごちそうだった。私の食べる分が皆よりも多く見えないように、同じ料理でも私の分だけオイルの量を増やしたり、私以外の家族の油物料理は野菜で底上げして私と同じ量に見えるようにしたり・・・。だから、私がわざと残したりすると母はせっかくの努力が水の泡になったことを密かに悔しがっていた。私は食べるのが怖かった。太るのが怖かった。少しでも太ったら脂肪の塊が体中にくっついて、自分がデブで最低な人間になった気がするから。
★妹を気にするあまり・・・★ 妹には相変わらず食事の量のことで嫌味を言いまくり、妹も食べる量が少なくなっていった。あまりに私が意地悪を言うため、生活(特に食事)を一緒にするのが難しくなり、妹は知り合いのところへ何週間か泊まった。しかし離れていても妹の食べるものが気になり過ぎて自分はあまり食べられなかった。
★夏休み★ 20キロ代の体にもかかわらず夜明けの4時には起きて毎日2,3時間ウォーキングに励んだ。病院に行くようになってから母がはりきって朝から手作りの食事を出すため、その分消費しなければいけなくなったのだ。
★恐ろしい出来事★ 薄暗い夜明け前の時間、ウォーキングをしていたら木に囲まれた坂で若い男に襲われた。男は下半身を出していた。大声を出したら逃げていったが、本当に危なかった。あの頃拒食症で、痩せることだけしか頭になかったから、その事件がトラウマにならずに済んだのだと思う。その証拠に、次の日からも夜明け前のウォーキングに休まず行ったから。痴漢撃退用の傘は持って行ったけど。
★自分は健康?!★ 心療内科へ行き始めて数ヵ月後の冬、私は病院へ行くのが嫌になり行かなくなった。母親の高カロリー食の効果で体重は35キロもあって、自分は健康だと思ったから。両親は無理には行かせなかった。私は、「これで体重を無理に増やさなくても良くなった。」と安心した。しかし母親は何度も私の目標体重を聞いてきた。私は35キロで良いと考えていたが、母は不安で私が「45キロぐらい。」と言うのを聞いて安心したかったのだと思う。そして私が治したい意思があることを確認したかったのだろう。
★体の麻痺★ 冬のある日、寝ていてじゅうたんが熱すぎるから起き上がろうと思っても起き上がれなかった。意識はあるのに、息苦しく体が動かないのだ。そういうことが何度もあった。体は寝たきりになるほど休みたがっているのに、私が体を酷使していたからだろう。
★こだわり★ この頃少しずつ食べるようになっていたが、私の気持ちとして、どうせ食べるなら、最高においしいものを出来立てアツアツの時に食べたかった。料理上手な母は私の希望に沿うよう努力してくれたが、細かいことまでケチをつけ注文をいう私には、料理好きな母でさえ作りづらかっただろう。父はそれを配慮して私を色々なバイキングレストランに連れて行ってくれた。バイキングなら好きなものを好きな量だけ食べられるし、もったいない症の私には元をとるだけ食べなければいけないというあせりもあったから、父としては沢山食べてくれるだろうという目論見があったのだろう。でも、カロリーの気になる私はバイキング一食でその日の食事を終えた。
★バイト★ 冬、暇な私は学校の許可も得て、うどん・そば屋でアルバイトを始めた。しかしある日親指が動かなくなり、使いものにならなくなった私はいちゃもんをつけられて解雇された。
★完全なる私の計画★ 私の拒食症は高校2年の最後まで続いた。体重が35キロ以上になることはなかった。私が決して太ることを許さなかったから。自分の予定摂取カロリーをオーバーすることは一度もなかった。厳格な食事管理をしていた。しかし、母は私の体重を増やそうと躍起だった。
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