思うことを適当に

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エッセイ GoとComeについて




 題名からもうこれから書くことに想像がつく人も多いかもしれない。そう、今回は日本語を話す人たちと英語を話す人たちの、生死と性的絶頂に対する考え方について、行くと来る、goとcomeの使い方の違いを通して、書こうと思う。

 日本語で「いく」と言えば、いくつか意味がある。よく使われる意味として、ひとつは、「行く」という、ある場所から別の場所へ移動する、という意味。ひとつは、あの世に「逝く」、というように、人が死ぬ、という意味。そして、中学生以降おなじみの(小学生もいまどきはつかうのかもしれんが、)、性的に絶頂を迎える、という意味である。

 「いく」を死ぬという意味で使うのは、日英で共通している。英語で、 going と言えば、死ぬことを意味する。死を物理的にとらえれば、そこにあるのは肉体の活動の停止とその後の風化であるから、「とまる」とか「なくなる」とかのほうが自然なような気がする。それを「いく」とあえて言ってしまうのは、我々と同様に、英語圏の人たちも、死後の世界を信じていて、死んだ後、故人が別の世界に移動する、と無意識的にも文化的にも考えているのだろう。死をおそれ、そこに希望を見出してすがりたくなる心理は、人間なら誰しももつものなのかもしれない。

 しかし、セックスに関していうと、日本語と英語では、その表現が180度異なる。日本語で性的絶頂を迎えることを表すスラングは、「イク」である。「行く」と漢字で表されることはまずなく、必ず、カタカナで「イク」と表現されるが、音から類推するに、移動にかかわっているのだろう。しかしながら、「イク」は男女ともに使うから、精液が移動するといったような物理的なものではなさそうだ。それにイクの主語は、ワタシいっちゃう!とか、おれイキそう!とか言うように、性的行為をしている行為者そのものであることからも、物理的な移動は否定される(とはいえ、経験にもとづいたことを言うと、「ワタシいっちゃう」は言われたことがない。。せいぜい、「いや!」とか「かんにんして!」ぐらいである。)。性的行為は、密室のなかで行われることが一般的で、行為者が物理的に移動することはありえないからだ。とすると、ここで移動しているのは精神的なものであろうと思われる。そこで私見をのべさせてもらえば、思うに、普段の、いわゆる正常であるとされる自分というものまずいて、その状態からの乖離(カイリ)をあらわすために「イク」と言うのではないか。つまり、かみくだいて言うと、ああ!もうワタシじゃないワタシになっちゃう!(普段と全然違うワタシに移行してしまう)ぐらいの意味だと思うのである。

 ところが、である。英語の場合、事情が異なる。英語で「イク」をあらわす言葉はcomeである。ワタシいっちゃう!を英訳すると、I am coming!となる。こちらも移動を表しているが、方向が180度逆なのだ。ここで、「行く」と「来る」の違いを(goとcomeの違いを)厳密に考える必要がある。「行く」も「来る」もある場所から別の場所への移動を表す動詞であるが、「行く」場合は、日常的な場所、もともとにいた場所、本来いるべき場所から、そうでない場所への移動、というニュアンスがある。一方、「来る」の場合、非日常的な場所、新たな場所、未知な場所から本来いるべき場所への移動というニュアンスがある。これはgoとcomeの場合も同様である。とすると、英語圏の人たちが、性的に絶頂を迎えたときにcomeを使うのは、性的に絶頂を迎えている状態の自分こそが、本来の自分であって、普段の日常はむしろ非日常な、不自然な、生命の摂理を反したものである、という訴えがあるからではないか。

 もしこの仮説が正しいとしたら、同じ人間においてなんたる考え方の違いであろう。人間の本性、人生に対する考え方がまるで異なる。英語圏の人たちのなんと積極的なことか!欲望に対してなんと素直なことか!そして、なんと動物的なことか!

野生をとりもどしたいあなた、必要なのはバイ○グラではない。英語に学べ。



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