IMPREZA-WRX

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BBS 鍛造アルミホイール


BBSジャパン



PFCブレーキローター BBS(RE)200702_BBS+ポテンザRE-01R


07/09/17 2007年F-1GP第14戦ベルギーGP決勝結果。
1位フェラーリ(K.ライコネン)、2位フェラーリ(F.マッサ)、3位マクラーレン・メルセデス(F.アロンソ)

DSK(ダイヤモンドシルバークリア)、DBK(ダイヤモンドブラッククリア)
価格: \86,625~\153,300(税込)

・レーシングラグナット レッド(マックガード製)
またはロックボルト(マックガード製)
・BBSロゴステッカー レッド(ホイール1本につき3枚)

BBS(ドイツ語では“ベーベーエス”と読む)の歴史は約37年前にさかのぼります。1970年、Mr. Baumgartner(バウムガルトナー)とMr. Brant(ブラント)はSchiltach(シルタッハ=シュバルツバルトの小さな町)で自動車部品の製造販売会社を設立しました。“BBS”とはその二人の名前と地名の頭文字から命名されているのです。
 ドイツBBS社の最初の商品は意外にも軽合金ホイールではなく、強化プラスチック製エアロダイナミクスでした。それは当時ヨーロッパで盛んになりつつあったツーリングカーチャンピオンシップ(ETC)のレーシングカーに採用されはじめ、以来BBSはモータースポーツと深くかかわりながらレーシングカー用スリーピースホイールの開発・製造に力を入れ、1972年にはスリーピースレーシングホイールの製造を始めました。

 今では当たり前になっているアルミ軽合金ホイールが日本で一般化したのは1970年代で、それまでスチール製だったホイールがアルミ軽合金ホイールへと変化していく様は、まさに革命的と言っていいほどの技術進歩でした。日本BBS社の創業は1983年。この年、鍛造スリーピースホイールRSが発売されました。RSホイールは、3ピースから2ピースへとその構造を進化させて、発売から約23年を経た今もそのデザインは変わることなく作りつづけられ、多くのファンに指示されています。時代を超えても変わらぬデザイン。これがBBSホイールなのです。

BBSの鍛造技術が高く評価され、世に広く知られるようになったのは、1985年10月アメリカ・ラスベガスで開かれたSEMA-AIA全米自動車用品ショーでした。自動車用品の万博と称される全米自動車用品ショーにおいて、BBS鍛造ワンピースホイールRGは技術革新大賞に選ばれたのです。
 この年は日本人にも馴染みのある有名メーカーも多く見られましたが、世界各国800社にもおよぶ有名メーカーから2万数千点のカー用品が出展されていました。10日間の会期中に、選考委員たちによりすべての作品が技術面を主としてデザイン面、機能面などあらゆる面から厳しいチェックをうけ、その中で最も優れた一品に授与される名誉の賞が『The most innovative import car accessory』つまり技術革新大賞なのです。

 このフェアはアメリカでの市販を目的とした製品が出展されており、いわば「品質、価格ともに実用品として市場に流通できるもの」という大前提があるのです。どれほど技術的に優れていても、市場に出せる価格でなければ意味が無いのです。BBSホイールは軽量化とファッション性を併せ持ち、なおかつ高い技術で製造されているにもかかわらず、市場に出せる価格で生産されているという点を高く評価されたのでした。

レーシングカーは時速300km前後という高速で、曲がりくねったコースを走行するために、タイヤとホイールは非常に大きな熱をもち、あらゆる方向から強力な荷重を受けます。しかもマシンの性能を十分に発揮させるためには、ホイールは剛性があり軽くなければならないのです。ホイールのデザインは、ただ美しいからという理由だけでなく、機能的な面をも考慮されなければならないのです。
 なぜBBSホイールがクロススポークデザイン(ドイツではメッシュデザインのことをそう呼ぶ)にこだわるのか・・・。その理由は、ホイール自体の軽量化に役立つとともに、放熱効果が高く、荷重に対するバランスが非常に良いためです。BBSクロススポークデザインは、モータースポーツを出発点としている歴史的・技術的関わりから必然的に生まれたものなのです。1970~80年代、BBSレーシングホイールを装着したマシンがヨーロッパのメジャーレースで圧倒的な実績を残しています。日本国内においても例えば、1987年富士スピードウェイで開催された世界耐久選手権(WEC)グループCでは、1位から7位までがBBSを装着していました。そして1992年よりF-1フェラーリチームの足元をBBSは支え続けています。ハイテクノロジーの集合体であるF-1マシンにBBSクロススポークが装着され続けているというその事実は、BBSクオリティの高さの証明です。

BBSホイールがF-1進出のきっかけとなったのは、フェラーリとの出会いでした。1990年春、ドイツBBS社からワシマイヤー社に「フェラーリから『テスタロッサ』に鍛造マグネシウムのホイールをつけたいが、そちらで試作品の製作が出来ないか・・・」という連絡が入りました。

 アルミニウムとマグネシウムは当然、性質が違うため、製造工程もまったく同じという訳にはいきません。しかしワシマイヤー社はそれまで積み上げてきた製造技術をベースとして、さらに工夫を加えることで試作品が完成したのです。翌1991年1月16日、イタリア・マラネロにあるフェラーリ本社でその鍛造マグネシウムホイールは公開されました。当時、鍛造マグネシウムホイールを開発していたメーカーはほとんど無く、フェラーリ社の技術陣が世界で初めてBBS鍛造マグネシウムホイールを手にした時、まず何よりもその「軽さ」に驚きの声をあげ、鍛造マグネシウムホイールの開発技術の高さとオリジナリティに驚きました。しかしフェラーリの経営陣はワシマイヤー社に対して、鋳造アルミニウムホイールと変わらない水準の価格を提示し供給を依頼してきました。マグネシウム鍛造という製法がいかにコストが高いかをフェラーリ社は理解できなかったようです。「コストを度外視してまで納入することは出来ない。」とワシマイヤー社はあっさりとフェラーリ社の申し出を断りました。

 その後1991年6月フェラーリ社より、ドイツBBS社を通じてワシマイヤー社に今度は、「F-1用の鍛造マグネシウムホイールを製作してほしい。」との依頼が届きました。世界最高峰の自動車レース。そして世界に名だたるフェラーリ。文字通り、世界最高の鍛造技術を思う存分に発揮できる舞台をBBS&ワシマイヤーは得ることになったのです。フェラーリ社が認めたワシマイヤー社の鍛造技術の高さは、「鍛造」そのものだけではなく、鍛造技術を核としたホイールの製造工程すべてを指しているのです。その中には、スピニング技術(引き伸ばし)も、切削加工も、金型製作技術も含まれているのです。

 1992年当時、F-1チームのほとんどが鋳造マグネシウムホイールを装着していました。フェラーリ社がワシマイヤー社に要求した条件は、それまで装着していた他社製の鋳造マグネシウムホイールよりも10%以上の軽量化でした。(フェラーリ社は10%まで軽量化できるかどうか疑問に思っていたようです)ところが何と、ワシマイヤー社製の鍛造マグネシウムホイールは、それまでのものに比べ、約20%もの軽量化に成功したのです。フェラーリ社の驚きはただごとではなく、しかも強度は従来の鋳造マグネシウムホイールよりも格段に高かったのです。F-1ホイール開発に着手して4ヵ月後の1991年10月、ついにF-1鍛造マグネシウムワンピースホイールが完成したのです。

 世界初のF-1鍛造マグネシウムホイール!それはすぐにドイツBBS社へ空輸され、厳しい検査の後、フェラーリ社へ届けられました。「The meeting with Ferrari on Thursday was very successful.(11月28日フェラーリ社とのミーティングは大成功だった)」というファックスが、ドイツBBS社からワシマイヤー社へ送られてきたのです。内容はそれだけではありませんでした。フェラーリ社より来年から3年間の独占採用を希望するという申し入れがあったのです。フェラーリ社は今まで部品採用契約はすべて1年という慣例を破り、異例の3年契約を申し込んできたのです。“独占”という破格の条件をつけて・・・。

 わずか10ヶ月前、テスタロッサ用鍛造マグネシウムホイールの試作品を持って、フェラーリ社を訪ねた時、「鋳造と同じ価格ならOK」という条件を出してワシマイヤー社を失望させたフェラーリ社が、今度は「3年間独占採用」を条件にBBSホイールを迎え入れたのです。

BBS

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