もっちんママさんへ

貸本屋さんはもっぱら何巻も続く大河小説を借りていたように思います。ここの店主は顔と名前を覚えているだけでなく、相当数いた会員番号も覚えていて、貸し出し台帳をパッと開きました。このワザにも感心したものです。
貸本代がいくらだったのかは、全く記憶にありませんが、結構通っていましたからそんなに高くはなかったと思います。
東京で初めて出会ったのが、月賦という制度でした。
私には定収がありませんでしたので、決まった返済ができませんので利用はしませんでしたが、兄がこれを利用しているのをみて、ビックリしたものです。田舎にはない文明でした(笑)。 (2010.05.02 09:07:17)

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2010.05.01
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今や世の中からこのような貸本屋は完全に消え去ってしまったが、上京して間もなく2~3日に一度は本を借りに通ったものである。九州弁を丸出しにしても田舎者と小馬鹿にもされず、ホッとするオアシスみたいな所であった。テレビでは松坂慶子さんが店主を演じているが、私の通った店のおばさんはそれ程美人ではなかった。それでも、入り口の引き戸を開けると、名前と顔を覚えてくれていて名指しで「Oさん、いらっしゃい」と声を掛けてくれる初めての東京の人だった。

上京して先ずは、兄の部屋に転がり込んだ。兄はすでに建築会社に就職して会社の寮に住んでいた。建築会社の寮なのに、なぜか、窓ガラスはあちこちと破れ、つぎはぎだらけの木造のおんぼろ住宅であった。
しかし従業員でもない私がタダで兄と同居することを認めてくれたのは、社長が九州出身で同郷のよしみで太っ腹だったこともあったが、なによりそれまで兄がこの会社であげてきた実績のたまものだったに違いないと思っている。

その寮は西武新宿線の新井薬師前駅の直ぐ近くにあった。
寮には賄いはついていなかったので、朝晩の食事は自炊であった。日中は、予備校に通う以外には、まだアルバイトもしていなかったので食事の用意はもちろん私の役目だった。
と云っても高校生時代から賄い付きの下宿に住んでいたから、自分で料理をしたことも煮炊きを教わったこともなかったので、自炊と云ってもご飯に具沢山のみそ汁がメインで、市場の惣菜屋でコロッケみたいなものを買ってきて添えるぐらいの、まさに一汁一菜の粗末な食卓であった。

生活費は、上京してしばらくは仕送りをして貰ったから食費は兄と折半にしていたように思う。それでも兄は建築会社の現場監督をしていたから、時間が不規則で特に帰宅時間などはまるで当てにならなかった。
しかしどんなに遅くなって、外食して帰っても、必ず用意してある食事に箸をつけて、美味しいと必ずお世辞を言ってくれたものである。


「ゲゲゲの女房」では昔ながらの質屋も出てくる。あのころの私の質草と云えば腕時計ぐらいしかなかったが、数日分の食費分ぐらいは貸して貰えた。
いよいよ手許に50円玉一個しかなく、どうするべきか悩んだ末に、これを元手にパチンコに投資し、すってんてんになったことも何度かあった。
それでもいよいよ八方ふさがりになった時は、寮の隣にあった専務宅を訪れ、夫人に「二人分の晩ご飯に少し足りないので、ご飯を貸して貰えませんか」と見え透いた言い訳をしながら、丼茶碗を持参して恵んで貰い、それにソースをぶっかけて腹ごしらえをしたものである。

金欠病は慢性で、遊ぶ資金などほとんど無かった。それでもときおり兄の帰宅を待たないで、気晴らしに夜遊びに出かけることもあった。そんなときは、兄のおかずだけはグレードをあげて食卓に並べておいた。たとえばコロッケをトンカツなどに格上げするのである。
トンカツはお肉屋で豚肉をグラムで買って、その場で揚げて貰うシステムだったが、そんなときは兄だけがトンカツで、私はお詫びの印に、お汁掛けご飯だけで済ませたものである。

その夜遊びで兄がいまだに誤解していることがある。
私の夜遊びは、たいがいはコメディをみるために新宿のフランス座に観劇に行くぐらいのものであった。新宿末広亭では落語と漫才はあったが、コメディは演目に入っていなかった。そこでコメディが見たければフランス座みたいにコメディとストリップとが交互に演じられているところでなければ見ることができなかった。
当時のストリップは、胸を見せて踊るぐらいの上品なものだったが、あくまで私の観劇目的はコメディであり、ストリップはおまけみたいなものだった。
しかし兄はそのようには理解していなかったらしく、いまだに私が「ストリップが好きで、よく見に行った」と、ときおり思い出したように口にする。

もちろん嫌いだったわけでもないから、それについて言い訳をするつもりもないが、そのころのコメディアンだった石井均さんや、てんぷくトリオの三波信介、戸塚睦夫、伊東四朗さんなどは、熱演しているにもかかわらず、ストリップ見物を主たる目的に来ている人から、「早く引っ込め!」などと罵声を浴びせられていたものである。
そんな試練を乗り越えて、これらの苦労人たちはやがて錚々たるコメディアンとして名をなしていったが、いまや伊東四朗さんぐらいしか残っていないのはなんとも寂しいことである。





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Last updated  2010.05.01 08:28:28
コメント(12) | コメントを書く


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貧しきは楽しきかな   
happytogether さん
おはようございます。

お話からすると、私が生まれた頃は、既に大学生かそれ以上という計算ですね。優しいお兄ちゃんといえば、私がまだ3つか4つだった頃、住んでいたアパートの向かいの部屋のお兄ちゃんも、ようやく買ったであろうTVなのに、「チロリン村が始まるよ」とよく見せてくれた事を覚えています。
昭和は、まだまだ人情がたっぷり生きている時代でしたね~。
それにしても、本当によいご兄弟!ご両親の教育の賜物ですね~!

「貧しきは楽しきかな 」、貧しさの程度が違うでしょうが、私も貧しさ楽しんでます(^^)。 (2010.05.01 10:50:15)

Re:貧しきは楽しきかな(05/01)  
happytogetherさんへ

もともと5男5女だったのですが、男性は厚木に住むこの兄と私の2人になりました。九州とは遠距離ですから殆ど会うこともありませんが、ときどき電話で慰め合っています。

今考えてみますと、東京は大都会にもかかわらず、結構人情味が豊かでしたね。当時はまだ田舎から上京した人ばかりの人が多かったのかも知れません。
そう言えば、なぜかお巡りさんから執務尋問をされたことが何度かありましたが、こちらは九州弁、あちらは東北弁でした。それだけでお互いニコニコになりましたね(笑)。 (2010.05.01 17:26:34)

Re:貧しきは楽しきかな(05/01)  
たまよ1066  さん
今回の連ドラ評判が良いですね。私が小さい時も、昔はお醤油やご飯を借りたりしましたが 今は殆どありませんね。
  (2010.05.01 19:54:46)

Re[1]:貧しきは楽しきかな(05/01)  
たまよ1066さんへ

これから数年経つと、今度は「神田川」がなんとなくぴったりくる生活になりますが、東京には銭湯なんてまだ残っているのでしょうか。
それにしても、昭和もだんだん遠くなってしまいましたね。
(2010.05.01 20:09:38)

Re:貧しきは楽しきかな(05/01)  
朝のドラマ、私も時々忘れながらも、楽しく見させてもらっています。
主題歌、なんと、以前ご紹介した「いきものががり」なんですよね。びっくりでした(笑)

貧しさ、自分の子供のころも親は大変な思いをして育てていたのだろうな、と今になっても思うことが多いです。
手元のお金が乏しくなって、というのは毎月の我が家の家計そのもの(現在です)。
お醤油がなくて実家から貰ってきたり、それでも昔から見たら、貧しさの度合いは微妙に異なるのでしょうね。

貸本屋さん、こちらにもありましたよ。かなり遠いところにあったので、利用することはありませんでしたが、マンガ本が主でした。
5円のくじだとか、懐かしい思い出がたくさんです。
マンガの本も従兄から順番に回ってきて読ませてもらっていました。
今は、満ち足りた生活を送りながらなんとわびしい思いでいる人の多いことか。
クリントさんのお話もたのしく読ませていただきました。 (2010.05.01 23:37:08)

Re:貧しきは楽しきかな(05/01)  
まゆはけ  さん
テレビ小説は見ていませんが、貸し本屋は懐かしいです
きんじょにあった貸し本屋さんは、おじさんがお店に居ました
沢山の本に囲まれて、本を読みながら仕事をする、何とも羨ましいと思ったものです
大人になったら貸し本屋になろうと、本気で思いましたよ(笑) (2010.05.01 23:43:13)

Re:貧しきは楽しきかな(05/01)  
Mrs. Linda  さん
当時は皆が貧しかったから、苦労にも思わなかった良い時代でしたね。それが当たり前でした。貧しくとも、心は豊かで希望がありました。

お兄さんの存在が大きかったですね。それと温情ある社長さんも。 

日本人の原点ですね。  (2010.05.02 02:50:44)

Re[1]:貧しきは楽しきかな(05/01)  

Re[1]:貧しきは楽しきかな(05/01)  
まゆはけさんへ

学生時代は、吉祥寺にあった前進座の前の書店に住み込みのアルバイトをしました。学校には時間割通り通学させてくれることと、2食を付けて貰うことを条件に一ヶ月2000円の収入でした。10坪ほどの店舗で、本の配達と店番が仕事でしたから、店番の時はゆっくり読書が楽しめましたし、家族同様の扱いをしてくれましたので、本当に理想的なアルバイトでした。人には苦学をしたと吹聴していますが、苦学がきいて呆れますよね(笑)。 (2010.05.02 09:16:58)

Re[1]:貧しきは楽しきかな(05/01)  
Mrs. Lindaさんへ

Mrs.Lindaさんのおっしゃる通り、日本には性善説の見本みたいな方々が沢山いたような気がします。
外国に住んでおられるのでよく観察できるでしょうが、いまや日本は性悪説の博覧会場みたいになってしまいました。
是非とも原点復帰して、本来の日本人に戻って欲しいものです。 (2010.05.02 09:24:17)

Re:貧しきは楽しきかな(05/01)  
灯里☆  さん
主人も大学は東京ですので淺草にはストリップショーを観にいったと言っていました。またハーモニカで流しをして焼酎を飲んだとか、荷台のアルバイトだの家庭教師もしたとか懐かしみながら話をします。就職も東京に決まっていたのに両親が社長に会い「1人息子だから入社させないで欲しい」と頼んだそうです。そんな時代でしたね。クリントさんの話も面白く読みました。 (2010.05.05 23:37:42)

Re[1]:貧しきは楽しきかな(05/01)  
灯里☆さんへ

ご主人も青春時代を東京で過ごされたのですね!

大学数え歌に「いつも神田で叩き売り バイトする奴ぁ ?大生 そいつぁ豪気だね そいつぁ豪気だね」と、吾が母校が歌い込まれておりました。
バイトは当たり前の時代でしたが、あまり悲惨な境遇とは感じなくて、明るく元気だったように思います。
唯一山口県出身の学友は、学費などを銀行振り込みで定期的に送ってもらっていましたが、これだけは本当に羨ましく感じたものです(笑)。 (2010.05.06 09:11:30)

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