「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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お気楽ルイージーの部屋
日本は、今の日本になるまでたくさんの事件が起きた。
その事を人物データも使いながらまとめてみた。
約5000年前
縄文時代。原始人が生きていた。
3世紀
卑弥呼が魏に使いを送る
小さな「くに」が各地にできる
弥生土器や金属器がつくられる
米づくりが大陸から伝わる
縄文土器や石器がつくられる
かりや漁のくらしが行われる
【歴史上の人物データNo1】卑弥呼[2世紀後半~3世紀前半]
1000人もの召使いがいたとも言われる。邪馬台国の女王。
没後、200mの大きな墓が作られたと言われている。
【歴史上の人物データNo2】ヤマトタケルノミコト[?]
大昔、、大和朝廷の国土統一をに活躍したとつたえられている伝説上の英雄。戦いにすぐれ、九州南部や東北地方の豪族をしずめたと言う。実在した人物であったかは不明。
4世紀中ごろ
大和朝廷が国土の統一をすすめる
古墳が各地につくられる
●古墳
3世紀頃~7世紀にかけてつくられた天皇や豪族の墓。
■有名な古墳
前方後円墳・方墳・円墳などがある。
はにわ
古墳から出土しました。当時の人々の生活のようすがわかります。
≪はにわの作成者≫
天皇や豪族達は、土師部(はにわなどの土器をつくる専門家の集団)を支配し、はにわをつくらせた。
【豪族】
ある地方で勢力をもち,名を知られた一族のこと。
5世紀ごろ
渡来人が漢字・織物などを伝える
538年
大陸から仏教が伝わる
【歴史上の人物データNo】推古天皇[554~628]
飛鳥時代の天皇で、日本ではじめての女性の天皇。おいの聖徳太子を皇太子・摂政に任命し、豪族の勢いをおさえ、天皇中心の統一国家をつくろうとした。
仏教を保護し、大陸文化を積極的に取り入れた。
574年
蘇我氏の勢いが強くなる(蘇我氏=蘇我入鹿)
【歴史上の人物データNo2】蘇我入鹿
舒明・皇極朝において権勢をふるった人物。645年、暗殺される。
587年
聖徳太子が蘇我氏とともに、物部氏を滅ぼす
593年
太子が摂政となる
(摂政=天皇が幼かったり女性の場合、天皇のかわりに政治を行う役)
604年
十七条の憲法を定める
★十七条の憲法
第1条 争いをやめ、みんなで協力しなさい
第2条 仏教を深く信じるようにしなさい
第3条 天皇の命令は必ず守りなさい
第4条 役人たちは、礼儀正しくしなさい
第5条 裁判は、公平に行いなさい
第6条 悪をこらしめ、善をすすめなさい。
第7条 その役めに会った人に仕事をさせなさい。
第8条 役人は、朝早くから夕方おそくまで熱心に仕事をしなさい
第9条 おたがいに信じあうようにしなさい。
第10条 人の異なる意見に対しても、おこらないようにしなさい。
第11条 功績、過失を明らかにし、必ず賞罰をくわえなさい。
第12条 土地や人民は天皇のものだから、人民は天皇のものだから、人民から
勝手に税をとってはいけない
第13条 役人は、他の人の役めもよく知っておきなさい。 第14条 役人たちは、おたがいにしっと心をもってはいけない。
第15条 自分の利益を考えずに、国のことを大事に考えなさい。
第16条 人民を使うときは、その時期をよく考えなさい。
第17条 大事なことは、必ずみんなと相談して決めなさい。
【歴史上の人物データNo3】聖徳太子[574~622]
聖徳太子は、大陸の進んだ文化を取り入れるため、小野妹子を隋(中国)に送る。
遣隋使は大陸で、進んだ政治や仏教などを学ぶ。
このころから紙・墨・絵具なども伝わり、日本の文化に影響をあたえた。
17条の憲法も定めた。
聖徳太子は、昔の1万円札の肖像画でもある。
【歴史上の人物データNo4】小野妹子[6~7世紀]
607年、聖徳太子の命をうけ、遣隋使として隋(中国)に渡り、文化の取り入れを努める。
◆大和朝廷による日本の統一
奈良盆地大和地方の天王(おおきみ)↓
近畿地方をしたがえる↓
九州から東北まで↓
天皇となり日本全国を支配
607年
遣隋使を送る
法隆寺ができる
◆法隆寺
607年に聖徳太子が建てたと言われている。
現在残っている世界最古の木造建設。
1993年には、世界文化遺産にも登録される。
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」と言う名句もある。
622年
太子が亡くなる
645年
大化の改新が始まる
◆大化の改新
太子の理想を受け継いだ中大兄皇子や中臣鎌足は、豪族の力をおさえて、
天皇中心の国づくりを行った。
●大化の改新の方針
・豪族のもっていた土地と人民は、すべて朝廷のものとする。(公地公民)
・戸籍をつくり、それにもとづいて土地を人民に分け耕作させる。(班田の制)
・地方を国別に分け、役人(国司)に治めさせる。交通を整備する。
▼大化の改新
租・・・田からとれた稲の約3%をおさめる
庸・・・1年に10日間都で働くが、布をおさめる
調・・・地方の特産物か、布をおさめる
雑徭・・・1年に60日以内、地方の役人の命令で働く
兵役・・・成人男性は、都や九州の守りにつく
【歴史上の人物データNo5】中大兄皇子[626~671]
じょ明天皇の王子として生まれる。645年に中臣鎌足らとともに蘇我氏を倒し、
「大化の改新」とよばれる改革を推し進める。
【日本で初めて水時計をつくる・・・中大兄皇子】
つくっている姿はまるで模型づくりに夢中になる少年だったと伝えられている。
【歴史上の人物データNo6】中臣鎌足[614~669]
645年、中大兄皇子とともに。「大化の改新」を行う。
その後も、皇子を助け、政治の改革を進める。
【歴史上の人物データNo】吉備真備[693~775]
留学生として唐(中国)へわたり、学問をおさえて帰国した。
帰国後、政治家として活躍した。
710年
奈良に都をうつす(平城京)
712年
「古事記」ができる
720年
「日本書紀」ができる
(古事記・日本書紀とは)
神話や天皇の祖先の話しが中心に書かれた歴史書。
(覚えておきたい言葉;校倉造)
三角形の木材を組み合わせてつくる建物。
735年ごろ
天然痘が流行
ききんや大地震、水害が続けておこる
740年
貴族の反乱がおこる
752年
東大寺の大仏ができる
【歴史上の人物データNo7】行基[668~749]
15歳で僧になり、近畿地方を中心に仏教を広め、橋やため池をつくる。
大仏つくりに協力する。
【歴史上の人物データNo8】聖武天皇[701~756]
724年に天皇に即位。740年より、次々に替える。
乱れた国を治めようと、全国に国分寺や国文尼寺をつくる詔を出す。
743年、東大寺に大仏をつくる詔をだし、752年に完成させる。
◆奈良の大仏
天皇を中心に約260万人(冬至の国民およそ1/3以上)が参加しつくる。
この大仏をつくる技術は。朝鮮からの渡来人がもたらしたものだった。
工事は9年間かかる。ちなみに、全国から集められた農民が多数。
■大仏のつくり方
①木で骨組をつくり、粘土をぬって大仏の原型をつくる。
②原型に粘土をかぶせて外枠えおつくり、適当に切ってはなす。
③外枠を組み直し、周囲に土手をつくり、原型との間に銅を流す。
④土手と外枠を取り除き、像の表面をみがいて金をぬる。
▼大仏の大きさ
全長;約18.8m
耳の長さ;約2.5m
手の長さ;約3.1m
眉毛の長さ;約1.2m
口の長さ;約1.1m
大仏の重量;250トン
【大仏づくりの指導者】
大仏づくりの方法を考え、つくりかたを指導した中心人物は、国中公麻呂という人物だそうだ。(渡来人)
【コラム】大仏とウルトラマンどちらが大きい
大仏は座っているので、今回は立っている大仏で考えます。
大仏は立つと約30メートル、ウルトラマンは約40メートル。
この事から、
ウルトラマン
の方が大きい事がわかります。
【歴史上の人物データNo9】国中公麻呂[?~774]
奈良時代を代表する仏師。
753年
鑑真が日本に来る
【歴史上の人物データNo10】鑑真[688~763]
聖武天皇に招かれ日本に来日。
日本では唐招提寺を建てて、仏教文化を広めた。
759年
このころ「万葉集」ができる
■万葉集
天皇や貴族、農民や兵士などの歌を約四千五百首おさめた歌集。
すぐれた歌人として山上憶良、柿本人麻呂、額田王などがあげられる。
【歴史上の人物データNo11】山上憶良[660~733?]
『万葉集』第3期の歌人。702年、遣唐使に従って入唐。
「白波の浜松が枝の手向けぐさ幾代までにか年の経ぬらむ」などがある。
【歴史上の人物データNo12】柿本人麻呂[生没年不明]
万葉集第一の歌人。皇族の死を悲しんだ挽歌や、天皇の外出につきしたがってよんだ歌が多く、
雄大で重々しく、力強さにあふれている。
「天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」などがある。
【歴史上の人物データNo13】額田王[生没年不明]
『万葉集』を代表する女流歌人。鏡王女の妹。
大海人皇子の妃となり、十市皇女をもうけるが、後に天智天皇の妃となる。
「茜さす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」などがある。
794年
京都に都をうつす(平安京)
866年
藤原良房が摂政となる
【歴史上の人物データNo14】藤原良房[804~872]
平安時代初期の官僚。藤原4家の北家
887年
藤原基経が関白となる
(関白=成長した天皇を助けて政治を行う役目)
【歴史上の人物データNo15】藤原基経[836~891]
平安時代初期の重要な政治家のひとり。
894年
菅原道真の意見により、遣唐使が廃止される。
【歴史上の人物データNo16】菅原道真[845~903]
遣唐使の廃止への意見を出す。
905年
「古今和歌集」が著された。
●紫式部と清少納言
2人は、ライバル意識があったと言われている。
紫式部は源氏物語、清少納言は枕草子とそれぞれ代表作を仕上げている。
▼日本風の文化
漢字の形を変えたり、1部分を取り、平仮名や片仮名ができました。
(例)
安-あ 以-い 宇-う 衣-え 於-お
加-か 幾-き 久-く 計-け 己-こ
阿-ア 伊-イ 宇-ウ 江-エ 於-オ
加-カ 幾-キ 久-ク 介-ケ 己-コ
貴族を中心に日本の文化が生まれました。仮名文字は代表的。
中国語(漢語)で書いていた文章を、日本語で書けるようになり、
すぐれた文学が生まれました。
↓作品
古今和歌集
905年
醍醐天皇の命令で、紀貫之らがまとめたもの。
「竹取物語」
860年ごろ?
かぐや姫の話。最も古い物語。
作者はわからない。
「源氏物語」
1000年ごろ?
紫式部が、貴族の生活を書き表した小説。
「枕草子」
1000年ごろ
清少納言が、宮廷や世の中のようすを書き記した随筆。
【コラム】平安時代のかき氷
地面を掘り下げた穴(氷室)に貯蔵しておいた氷が使われた。
枕草子にもこの事が記されている。
【歴史上の人物データNo17】紫式部[10~11世紀]
代表作「源氏物語」を書く。他「紫式部日記」などがある。
【歴史上の人物データNo18】清少納言[10~11世紀]
当時の女性とは珍しく、漢文の教育も受けている。
一条天皇のきさきである停止に仕え、その時のことを「枕草子」として書き残している。
【歴史上の人物データNo19】一条天皇[980~1011]
藤原兼家を摂政とし、990年正月、元服。同年五月、兼家は出家し、道隆を関白・摂政とする。そして同年十月、道隆女定子を中宮とする。996年4月、道隆は薨じ、翌月道兼を関白としたが、道兼はその直後疫病で死去し、、代わって道長に内覧の宣旨を下した。999年、道長の娘彰子を女御とする。
学問を好み、漢詩にすぐれ、『本朝麗藻』などに作品を残している。
『一条院御集』があったらしいが、実際には伝存しない。
◆寝殿造
貴族達は、寝殿造の屋敷にすみ、はなやかな暮らしをしていた。
935年
平将門の乱(関東)
●平将門の乱
東国で平将門がおこした反乱
【歴史上の人物No20】平将門[?~940]
平安中期の武将。桓武天皇の曽孫平高望の孫,鎮守府将軍良持(良将)の子。
940年2月,攻撃を受けた将門は下総国猿島郡北山の合戦で敗死する。
939年
藤原純友の乱(瀬戸内海)
●藤原純友の乱
藤原純友が西国でおこした反乱
【歴史上の人物No21】藤原純友[?~941]
平安中期の地方貴族。
1016年
藤原道長が摂政となる
当時の遊び
・和歌の読み比べ
・絵合わせ
・蹴鞠
・舟遊び
・音楽(雅楽)
●望月の歌
道長は、自ら短歌を歌った。
「この世をば わが世とぞ思ふ もち月の かけたることも なしと思へば」
(この世は、自分の為にあるようなものだ。思うようにならないものは
一つもない)
【歴史上の人物データNo22】藤原道長[966~1027]
藤原兼家の四男として生まれる。娘彰子を天皇のきさきにしてからは、
次々と娘を天皇のきさきにしていく。
1016年には天皇の摂政になる。
1017年
藤原頼道が摂政となる
【歴史上の人物データNo23】藤原頼道[1052~1877]
平等院などを建立した
1051(~62)年
前九年の役(東北)
▲前九年の役
平安時代中期に、奥羽(現在の東北)地方の豪族安倍氏がおこした戦い。
1083(~87)年
後三年の役
▲後三年の役(東北)
平安時代の後期、奥州(東北地方)におこった内乱。前九年の役で,てがらのあった清原氏一族の争いがもとでおこった。が、しかし源義が平定する。
【歴史上の人物データNo23】清原氏[?]
平安時代の出羽国(山形・秋田県)の豪族で、後三年の役で滅びる。
1156年
保元の乱(京都)
▲保元の乱
後白河天皇と崇徳上皇の。後継をめぐる対立に、藤原氏内部の争いが結びつき、武士も加わった戦い。天皇がわの勝利で終わったか、武士が貴族の争いを解決し、政権をにぎるきっかけとなった。
【歴史上の人物データNo24】後白河天皇[1127~1192]
平安末期の天皇・上皇。
法皇になってからは,盛んに造寺・造仏を行った。
また,当時民間に流行していた今様を好み、自ら『梁塵秘抄』20巻を編纂。
当時の民衆の生き生きとした姿を現代に伝えている。
【歴史上の人物データNo25】崇徳天皇[1119~1164]
鳥羽天皇の第一皇子として生まれ
後白河天皇とともに、保元の乱を起こすきっかけとなる。
1159年
平治の乱(京都)
▼平治の乱
保元の乱で手柄をたてた、源義朝と平清盛の間に起きた争い。
平氏が源氏を破り、平氏による政治が始まった。
【歴史上の人物データNo26】源義朝[1123~1160]
源氏勢力が衰える中で誕生。源氏の地盤を築くため、大庭御厨や相馬御厨に侵略して領地を拡大して関東での源氏勢力の回復を担う。
【歴史上の人物データNo27】平清盛[1118~1181]
保元の乱では源義朝とともに戦い、大きな戦果をあげ。
平治の乱では、その源義朝をたおし、平氏による政治の基礎をつくる。
そして平清盛は、対立する武士の源氏や貴族をおさえて力をのばし、太政大臣となる。
1167年
平清盛が太政大臣となる
◆太政大臣
行政の最高の責任者。平清盛は、武士で初めてこの位をさずけられた。
1185年
壇ノ浦の戦い
源頼朝が諸国に守護・地頭をおく
■壇ノ浦の戦い
壇ノ浦で行われ、源義経の勝利で終わる
【歴史上の人物データNo28】源義経[1159~1189]
源頼朝の弟。1180年、頼朝が平氏打倒の兵をあげると、戦いの先頭に立ち、壇ノ浦の戦いなどで活躍。やがて頼朝に追われる。
【歴史上の人物データNo28】源頼朝[1147~1199]
1192年に征夷大将軍となり、鎌倉幕府を開く。
諸国に守護・地頭をおき、勢力を広げる。
メモ・・・俳優加山雄三の祖先、岩倉具視
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