Friday Musical Voice @shonanbeachfm 70
an impressive Everyday life 71
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1982年頃ってLPレコードが2.500円で、コンサートが2.800円って感じだったのだねえ。 レコードの製作費は、今みたいにPCの恩恵もないから、今の10倍も普通だったのにも関わらず。レコードが売れてたから、コンサートはプロモーションって概念だったのかな。 今は主従が逆転してしまった。実演の才能があってこそアーティストだから、一見「本質の時代」と括って、その現実論をゴールとしてしまいがちだが....定額ストリーミングとかが落ち着いて、音楽にまたお金を支払うようになってくと、分配も増えてコンサートも安くできるようになるのかもだけど、すげえ先だなあ。レコード(録音されたもの)は何度も聴けて何百円/1曲だし、コンサートは一回限りだけど安いと何度も行けるし、いろんな人のを観に行けるし、ってことは売れてる人のばっか見て後はおあずけから脱却できるし、ってことは耳も肥えるし、そうすると質のいいもの聴きたくなるし(おいしいもの屋の時流の変化と同じ)、したらアーティストの質も上がらざるを得ないし、やっぱレコードでアーティストに分配が十分に行くようになると、コンサートもリーズナブルな価格まで下げられるようになって....そしたら、作り手も聴き手もWINWINなはずだし。稼げる人が稼ぎ逃げしてる間に、どれだけの才能が埋没してしまうんだろか。。。もちろん稼げる人はたくさん稼がなくてはだめだ。要はそれが「還流」しているか、させる意識があるかどうかだ。T・スィフトのApple Musicへの直訴のような俯瞰性と大局性は大事にしたい。「ああ、自分がスターだったらなあ...ビッグだったらなあ...」と、いろんな意味で牽引できないことに、いつも悔ゆるとこでもある。芸能界は弱肉強食とは言われて久しいけど、弱いのを喰い続けたら、強いものが喰うもの自体がなくなる。。。ってのがまさに今なんだろう。野生の動物は無駄喰いしないのである。いまや全盛のアイドル陣のオケや曲や詩を書いてる人たちも、アイドルだけ聴いて音楽的な素養を培ったのではないし、そもそもアンサンブルを組むって事を学ぶためにも不可能だ。ユニクロのしゃれた安い商品も、手作りのハイコストな世界中のモードの才能の応用だ。そんなもっとも大衆に近い創作陣の元になる、ヒント、吸収の対象になるものが衰退すると、いつかセンスある廉価な服も、大衆的なアイドルが歌う和む曲も生まれなくなる。。。クラシックやブルース、R&Bがなかったらビートルズはない。まぐろの養殖も始まったし、育成と消費はもはやサークルじゃないとなあ。。こうしてみると、供給メディアを左右するテクノロジーの発展に翻弄される時代の流れ自体が、とてもいきあたりばったりだ。ぼくはいつまでもAKBのいい曲は聴きたいし、ジョン・ケイジの世界にも浸りたいし、その両方が楽しめるようになったから、その両方の素晴らしさが理屈を超えて沁みてくる。便宜上述べたその両者の間に、端的にいうと、すべてのジャンルが収まっているに『過ぎない』と言ってもいいと思っている。どんな作り手も聴き手も、みんながみんな幸せに、リーズナブルに音楽を楽しめる時代になったらいいなあ。。。<レコード興隆期の多彩で多才な音楽とgive&takeな関係のCM>https://www.youtube.com/watch?v=ErhUIhtVN1c
July 5, 2015
CDがまだ市民権があるうちに廉価で享受できる今、遠慮なく感謝して歴史的遺産を吸収したい。最近は、現役のアーティストの近年の作品までも網羅した「○○ in 1」などの形体まで通常化しているが、こういった企画は、昔と違い『安売り』という概念よりも『大衆への良心的アーカイブの提供』というそれが強い柱にもなっている。消費物化が激しい昨今の音楽シーンだからこそ、自負のある過去作を聴いてもらう機会を積極的に作ることは、ライブでそれらを楽しんでもらうのと等しい重要さがある。明らかにビジネス的下心あるベスト盤は論外で、いくらキレイに宣伝文句を取り繕っても、その姿勢が聴衆を欺き切ることは不可能なので、当人のみぞ知る聴衆への「本心の誠意」が不可欠なのが前提ではあるが。。。この作品のような究極の到達点の4次、5次的影響下の末席に、おこがましくも、ぼくらの「Anthology」があったら、少しばかりも音楽家の誇りを持てる。http://www.amazon.co.jp/dp/B001DA9VK6/ref=cm_sw_r_fa_dp_Hzffvb1BQVRSN
March 26, 2015
発展志向を実践できる恵まれた環境と境遇の人も、たとえば乳飲み子と病弱の妻を抱え、失業中の人でも、同義で信じ実践、結果を証明できる「整合性を持った」哲学、考え方に出逢い、または発見する事が大切だと思うなぎ♩心境(心の境遇)の格差の解消は経済の格差を凌駕するめ☆common sense常識,判断力 《★【異文化】 日本では「常識」は社会的儀礼としての知識だが,"英米では人生の経験から身についた日常の実用的な思慮分別" をいう》.(研究社 新英和中辞典)
May 25, 2014
今回の56th Grammy AwardのAlbum of the year...このアルバムをどう解釈するかで、このアルバムが何故、受賞作なのかという事への感想の質は大きく大きく違うだろうと思う。話せば切りがないのだが、端的に言うならば...世界中のクラブ好きの女子高生とジョン・ケイジが肩を組み笑い合い、そのお互いの体躯の間に無数の音楽宇宙が広がっているイメージと言ったらいいだろか。または...空き缶からダイヤモンドまでの間の世俗的に高価値、無価値なものを、限りなく高いセンスでコラージュしたポップアートと言ったらいいだろか。少なくともこのアルバムが、真新しさのないマゼマゼ音楽だとか、欧米ポップスのトラッドの寄せ集めだとか言い放つ人間には、永遠に理解できない受賞だろう。おそらく、音楽をよく知る(識るではなく)年齢に上がれば上がるほど、その落とし穴に墜ちている事も気づかぬまま、老けた音楽感を熟練と勘違いして自己肯定するはずだ。それも自由だけど。ぼくなりのヒントを言うならば、冒頭のGive Life Back To Musicのシンプルな曲調とプロローグ的歌詞、ジョルジオモロダーのイタリア訛りのトークのフィーチャーから始まりモジュラーシンセ自体の存在を音楽にしてしまった曲、Touchという曲のシンガー選びから曲の構成、編曲、ドラマ展開、そして、その次になんのためらいもなくGet Luckyが弾け、Beyondの冒頭のオーケストラの音楽的コンセプトからあのビートが始まり、そしてその曲でのあの歌詞の意味合い。。。そしてラストのContactでの破綻。。。そして、明らかなのは、芸術的要素から批判の対象になりがちなチープな要素まで、このアルバムを構成する全ての音楽的なそれらは”確信犯的に”動員されている。。。。(おそらくメンバー二人以外の参加ミュージシャンは、説明がない限りは、最後の仕上がりまで、ここまでのコンセプチュアルな志は予想できなかったに違いない)なんせ「サウンド」や「曲」でアルバムを聴いているうちは、Album Of The Yearという「人間が本能から哲学的思考までを様々に巡らせた音楽の作品賞」だとは理解することは不可能な、まさに聴いている側の心の自由さと青年さ加減が試される作品だ。つまり「なんかいい」と思えず、ついつい文句が出そうなら「良くない」ではなく「わからない」と言っておいた方がよい作品でもあるだろう。まさに音楽はランダムに、どこからでもどんなジャンルからでもアクセスしてよい歴史、想い出、衝動の積み重ねの継続でしかない。。。し、人類の営みのなが〜い歴史の縮図でもある。なんかフォレストガンプの映画を思い出した。
January 28, 2014
全文に、とても日本のシーンの未来が懸かっているようだ。極めて冷静で的確。http://mutant-s.com/special-interview01_01/
January 21, 2014
「昼間、町を掃除する人々が、夜には四重奏を演奏する。ー そんな社会が実現することを望んでいます」メニューイン (世界的ヴァイオリニスト)「先のことは分からねえ。どうせ倒れるなら、前に倒れるぞ」東日本大震災で壊滅した養豚場に、一時は廃業も決めた主人が、再建、再開時に妻に言った言葉。(宮城県登米市)
December 4, 2013
電車やバスなどで「若いのに席を譲らないのかね。。」という目を安易に向けることなどから、認識を新たにしなくてはいけない。(以下本文)「内部障害・内臓疾患」というハンディがこの国ではまだ充分に認識されていません。 内臓に障害があっても、外観からは判らないため 自宅で電車の中で学校で職場で スーパーで、「辛い、しんどい」と声に出せず我慢している人がいます。http://www.normanet.ne.jp/~h-plus/
November 27, 2013
池上彰さんの参院選での「タブーに切り込む質問」が話題だが、それぞれの内容が世間でタブーという認識が常識であっても、質問される側に「うしろめたさ」がなく、『大義と裏付けと、国際性にまでも目を向けた客観的良識の観点からにおいても、いつでも御説明しましょう』という立ち位置であれば、それは逆に国民に説明できる大チャンスなのである。時に偏見に満ちた体をとっている辛辣な質問も、国民の代弁性を兼ねているのだろう。その偏見が「正解」だと思っている無知な層も含めての代弁性に、冷静に回答できる政治家でなくてはならない。マスコミと政治家の関係は本来そうあるべきだろう。暗黙の了解による沈黙は、政治家サイドにも国民サイドにも存在する「良識なき常識」をますますエスカレートさせるだけなのだ。
July 26, 2013
最近、とっても旬なニューヴィンテージサウンドのヒントが、とってもバランスよく収まってるCD♩今のニューヴィンテージ系の特徴は、ビートルズやモータウン、アトランティックや、その他ビッグアーティストだけでなく、あの時代を満遍なく反映させてるとこだと思う。AdeleやAmy Winehouseに、懐古以外を見出すには、特にその目線の温故知新が必要なようだ。そいで、一番の最近の特徴は、曲やアレンジ以上に音色や演奏的な、時に鈍くさいほどの時代感がとても胆です。例えば、ビートルズほど普遍性を構築できなかったモンキーズやジェファーソン・エアプレインのようなトーンが、さらに時代を超えて「普遍性」に辿り着いた。80’sのモータウン復古系のビリージョエル(tell her about it etc...)やフィルコリンズ(can't hurry love etc...)がやった事も、今のとこ「洗練感」が混じっていて中途半端なのでニューヴィンテージには成り得ない。でも、あと10年ぐらいしたら、それすらもセピア色になってニューニューヴィンテージになる事でしょう。ハイファイ、ハイテクの正反対の美。でも、重要なのは「あの時代の音楽の方がよかった」観で捉えると”的外れ”なとこが更に大きな胆です。ちなみにJazzの分野では、いまやニルヴァーナの曲をジャズトリオで生裸な音やアンサンブルで、かっこよくやっちゃう、こんなバンドがhttp://www.amazon.co.jp/gp/product/B0060ANTV6/ref=olp_product_details?ie=UTF8&me&seller出てきちゃってる時代です^ー^)
May 6, 2013
小泉八雲文学の形態で、民話や名作文学などを、子供向けにわかりやすく書き直す事を「再話」というそうだ。「耳なし芳一」「雪女」などは、ギリシャ出身の小泉八雲による「再話」である。音楽の歴史も、各カテゴリーの時間的、地域的、人類史的連関性から見た場合、ポップスはまさに「再話」といってもよい。再話の優秀性がグラミーなどの主要部門で顕彰され、その土台を支えてもいるジャズやクラシック他のルーツ的、専門的分野がその担い手という部分においても顕彰されている。よって、それぞれの人間がコンプレックスや優越感を感じるなどは論外なのは当然の事、すべての分野が対等な誇りに満ちている事を確信する事が、純粋に音楽を楽しみ創る要諦だ。
March 24, 2013
特に被災地ではたくさんの人が、人のために、自分のために祈りながら奮闘している。浅薄な発想では「祈り」は弱者の依存的行為と見なすが、本来は目標への確信と具体的思考の確立のために行う極めて内面的な弁証術である。それは科学が高度な哲学の上にしか、普遍的な実証を導き出し得ないのと同じである。
March 18, 2013
大勢ながらジワジワ減衰していく側より、異端と呼ばれながらジワジワ実証を示していく側の方に幼少期から魅かれた。程度の低い批判に常に憤慨してきたが、思えばそれらは知恵の起爆剤であった。それらの内容には未だ1ミリたりとも歩み寄る真義を感じないが、彼らにはとても感謝だ。大器ではなくとも晩成でありたいと思い一生終わればよいと思う。。。のは深夜より朝がよい^0^)『想うこと』アーカイヴ...http://plaza.rakuten.co.jp/okranogunkanmaki/diary/?ctgy=1
March 12, 2013
「お客さまは神様です」ではない。お客さまは「人間」だ。創作者と聴衆は限りなく対等だ。でなければ例えばジョニ・ミッチェルとマイケル・ジャクソン、レナード・コーエンとビートルズの存在位置の違いがある上での、両者が歴史的アーティストで有り得ている説明はつかない。そこでは、もはやメジャーかマイナーか、ビッグセラーか趣味モノかという見方でビジネスを見切ろうとするしかできない人間の限界が、そろそろ日本でも露呈し始めるのだろうと思う。。。
March 8, 2013
時代は巡るのみ。かつてのCDがどうだこうだ、今の配信がどうだこうだ、ジョブズがiTunesが音楽をダメにするだなんだかんだ、youtubeでのfree視聴がどうだこうだも結局は大局で見れば枝葉末節だ。120年間の経済、技術、芸術産業の関係に通底するものを冷静に受け止められなければ、結局はそれぞれの分野の人間が既成の価値観を土台にした責任転嫁以外の何ものでもないところに、否が応でも追い詰められる事になる。ひたむきに現実に向き合い、考えに考え、「伝えたいものを伝える」というのは、どういう事なのかを想い、ってことは時代と冷静に付き合うという事と、時代におもねる事の違いも高いセンスで見据えなければいけないという事になる。連載第36回 ラジオの登場で売上25分の1になったレコード産業、イノヴェーションを重ね復活<エピローグ『未来は音楽が連れてくる』>■レコード産業、壊滅の危機から復活した歴史http://www.musicman-net.com/SPPJ01/48.html『想うこと』アーカイヴ...http://plaza.rakuten.co.jp/okranogunkanmaki/diary/?ctgy=1
March 7, 2013
過去がどんなであれ、今この時にやっているものがつまらなかったら、その人は単なる「遺物」だ。自分の過去を讃えて今の自分をHypeせんとする名誉主義、過去の功績主義は例えば「創り手」と名乗りたいならば死ぬまで忌み嫌わなければならない。「行為こそすべて。名声などとるに足らぬ」ゲーテ
March 7, 2013
信義を通した事で去っていった仲間に心揺らされるよりも、これから出会う真の友との出逢いに歓喜することを確信する事もまた、未来を信じるという事に他ならない。そのためには確かな信義を獲得確立しなければならない。「言語に絶する歓喜を以て殆ど六十年の生活法を一新するに至った」〜恩師の父師〜去る者は気にせず来るものは心から歓待し、を信条にするだけで、これもまた自身が揺れずぶれない。
February 13, 2013
悩みや苦難がないことが幸福ではない。どんな悩みや苦難が襲ってきても、闘い切る強さ、明るさを育て持ち続けられる事が幸福だろう。しかしながら、憂いを重ね心、思索の遊戯を繰り返すだけでは、心の動きを左右する命の源が革まらない。という事は実現力に繋がらない。そして、行動による実感でしか「生きた哲学」を掴み体感できない以上、それはつまるところ自分のためでなく、人のために心を砕き動く事でしか実現されない。歌はといえば...憂いを叫ぶ時代の使命は終わり、上記を各人々に内発させ得るような時代だと思う。今回もグラミーなどにノミネートされた優秀な作品群は、そんなメッセージへと成熟しているものが多い。おととしリリースしたぼくらの『Empowerment』(各人々の内発を促す力)と題されたアルバムの想いが、6月予定の新作でいよいよ拡がりますよう。。。
February 7, 2013
少なくともボクはいろんな現代ポップス(rock,R&B,pop,etc...)やジャズを聴く時。。。新譜で心(気持ち)を磨き、旧譜で心(気持ち)を深める。。。どちらが欠けても、偏りがちな人間の心のあやふやさをコントロールしづらい自分を正直に受け止めてから創作に挑みたい
January 8, 2013
たとえばジャイルス・ピーターソンが推奨するクラブ系のジャズと、脈々と続くオーセンティックなジャズ類とは、もはや『一旦、カテゴリーが違う』と、それぞれが認識した方がよさそうだ。お互いが持つ羨望とコンプレックス、または相手への優越感か卑下感は、かつてAOR系と呼ばれたロックと、脈々と『とんがり』がまずは柱であるROCK! 信奉者の批判の仕合に似ている。音楽は、自分の想いに感動があれば成立していいはずなのだ。でも、あくまで『一旦』ね!^ー^)
December 12, 2012
J-Popの潔いガラパゴス化が進む中、それは歓迎されていい事だと思うが、全体がそうなっていくと、曲、メロディー自体は国柄による傾向があるので置いておいたとしても、サウンドやアンサンブルの発展が明らかに止まることを危惧している。....兎にも角にも、今回のグラミーでテイラー・スイフト以外の日本での認知度がなさすぎるのは、ますます「海外は海外」という大義名分によって先のない国粋化に進んでしまうのがもったいない。自分的には、もはや進むべき方向に迷いなく進めるのでよいのだが....日本の新人さんなどは、グローバルな音へ挑もうとしても、今のとこマーケット的にもメディア的にも居場所がない。かつての達郎さん、オフコース、チューリップ、ユーミンさんetc...のようなブロックバスターが出現できた背景には、グローバルな音の日本化で、それによる聴衆の「よりよいもの」への興味、欲求、憧憬は欠かせなかった。そして、そんな彼らの、当時の歌謡曲とは違う方向付けがいまだにAKBに至るまでをも支えている以上、(なにしろ製作陣が、洋楽の消化によってスキルを身に付けている。また当時の歌謡曲ですら、実は欧米のメインストリームなポップスをしっかり活かそうと努力していた)ミュージシャンだけではない全ての音楽界、放送界の環境が、国内の音楽産業が行き止まりにぶち当たらないためにも、啓蒙も含めたビジネスモデルを構築し直さなければならないはずだ。なにしろ一般大衆は、知っているものの範囲内でしか、「よいもの」の選択はできないのである。
December 6, 2012
カンナムスタイルの楽しさ(ダンス真似してみた^0^)の一方で、こんな曲が47,900,000回以上も再生されている。しかしながら、日本のテレビで紹介されたのは恐らくBest Hit USAぐらいだろな。。。ラジオでも、めったに聴けなかった。。。極たまに聴けても、英語のこの曲がどんな曲なのかは語られなかった。。。CMでもおなじみのJames BluntのYou're beautifulが、彼がかつてボスニアの国連平和維持軍の兵士で、極限の環境下で、「You're beautiful」と歌い上げたかった想いも伝えられることはなかった。。。素晴らしい音楽性と表現力で、現代の若者の心の闇をきちんと描いている曲が、たくさんの人の心を支える時代を日本にも迎えたいなあ。。。かつてユーミンの「ひこうき雲」や「MISSLIM」が、そうであったように。。。Ed Sheeran / The A Teamhttp://www.youtube.com/watch?v=UAWcs5H-qgQ
November 27, 2012
欧米が大衆への大接近を確信犯的に常にし続けてきた傍らで「需要より、供給=啓蒙が最終的に需要の充実を生み出し、結果、文化とビジネスのπ(パイ)を拡げる」と深解し結実し続けている事を、デビュー以来見続けてきた。彼はいまや欧米ではポップスだが、日本では先駆どころか理解すらまだ起きていない。楽しいのがポップスだが、「悦楽」のみがポップスではない。とはいっても大衆にはなんの悪気もないので、ミュージシャンは楽しんで、「強い自分で」信じた音を作り続けなくてはならない。ラジオもテレビもレコードメイカーも、きっと変わって行かざるを得ないから、自分以外の何のせいにもしないで、コツコツ、ハッピーに創り楽しみたいね^ー^)bhttp://hostess.co.jp/gotye/
November 27, 2012
たとえるならば・・・、洋服や雑貨のセンスある小規模なセレクトショップに感じるステイタスの高さが大規模メジャーメーカー「よりも」、または「別の」高い価値として感じる目線を、単なるスノッブ主義とは違うセンスで捉える人々によって、最前線のカルチャーが大衆性を牽引していく、というのを、音楽分野のメジャーメーカーと、最近の成熟した一部のインディーズの関係に(作品性が高い場合のみ)感じられる民度は、いまだ欧米に追いついていない。最大公約数=大ヒットの時代から、細分化の時代に移行している事に、最も遅れて追いつけていないのは、かつて最前線と言われた音楽産業のようだ。その解決のためには。。。。ビジネスとカルチャーを同じ高いセンスで見つめることができている一部の洋服や雑貨や自動車メーカーやetc...に学ぶ事ができると思うのだが、なぜか音楽産業の人々は、そこから商品を選んで買うセンスある目線はあっても、自己の仕事になると一気に最大公約数的大衆性を選択しているのが大概のようだ。
October 10, 2012
「ヒッグス素粒子」が話題な今、かつてモスクワ大学量子力学者・ログノフ博士も、素粒子の開発のために巨大加速器を立ち上げた。しかし、当初は皆が「作動するわけがない」と反対した。のちに反対した人に尋ねたら、反対した事すら覚えていなかったそうである。代替案もなくリスクを恐れ、反対や異議ばかり唱える人間は、いつの世も、どこの世界でも同じだ。少なくとも長期ヴィジョンがない人間の意見は断片的には参考にしても、振り回されない程度を見極めないとエライ事になる。なにしろ、当の本人たちは悪気ない上に、その時点での「その事に限定された正論」を正解と信じちゃってるのだもの。そして、のちに時間が経ってから指摘すると人ごとのよな顔をしながら、まるでこちらが厳しすぎるかのような顔をするのである。まあ、しゃあないよね^ー^)それを見越して判断しないと。。。と、ある時わかったわけである^ー^)
July 10, 2012
東大の環境社会学の教授が、今回東大がTOEICなどの点数が高い人材を選抜して世界に出れる人材をエリート教育するプロジェクトを立ち上げた事を危惧していた。英語力は大切だが、わざわざそのようなものを既成化することで、英語ができる事が、イコール上昇志向の弊害をも免罪してしまう事への危惧だ。英語はあくまで道具であって「能力」の代名詞ではない。少なくとも10代の知能が高い子達が、勘違いをしてスキルあるバカにならない事を啓発しなければ、このプロジェクトは失敗するのだろう。English is so much easier than Japanese because we don't have to be nobody but Japanese at least !!(of course, I don't know this sentence is wrong or right . however HEART TO HERAT is very profound thing:)))))
July 9, 2012
花をいじってると色んな事が巡ります。春にたいがいたくさんの花が芽吹いて咲くのだけど、実は春夏秋冬なにかしら咲きます。ぱっと華やかに咲いて散るのもあれば、いつ咲いたのかわからないぐらい短期間小さい花を咲かせて立派な実がたっくさん生るものもあります。その季節限りのものもあれば、地味だけど毎年咲き続けるのもあります。朝、一瞬だけ咲くのもあれば、誰も見てない夜中だけ咲くのもあります。何年かに一回しか咲かないのもあれば、植えてから十年ぐらいして突然咲くのもあります。ウチにはないけど、木でもないのに、そこに株をすえてから1500年咲き続けてるのもあるそう。etc etc......そして花は他との比較の意思などあるわけもなく、ただただ「自分自身」です。。。60年代に33歳でデビューした彼は何年もシンガーソングライターとしては不遇の時を過ごしますが、90年代に世界中から注目されることとなります。気がついたらボブ・ディランからカート・コバーン(ニルヴァーナ)に至るまで、世界中のミュージシャンの憧れの人となっていました。そんな事を心から夢見なかった男の目線から生まれる作品と生き様が、実はエゴや優越感の先に向かいたい真のスターたちの到達したい場所だったのでした。どんなアーティストにも生まれ持った役割があって、誰かしら一人でも幸せにしていたら、アイドルでも前衛音楽な上にそれの異端児だとしても、世界中のスターでも、ひっそりと無名の国の村外れのシンガーでも優劣などなにもない誇り高いものなのは、花とつきあってるととても実感できます。とてもアクの強いシンガーなので、まずは聞き慣れたシンガーたちの声で触れてみてはいかがでしょか。狭量な音楽観の持ち主が「カバー」という言葉に持ちがちな安っぽい価値観もはるか凌駕した「継承」もここにはあります。http://ja.wikipedia.org/wiki/レナード・コーエン
June 6, 2012
AORというジャンル(ちなみに日本だけのジャンル)で、日本に芯のある名盤は少ない。自分たちを棚に上げまくっておいて、あえて申し上げるなら、それはAOR好きの人が『AOR』を目指して作るからだろう。AORと呼ばれるジャンルの海外の個性的アーティストには、AORという一概念は一切ない。そこにあるのは、例えばブルース好きや逆にカントリー好きがジャズも取り入れよう。。。とか、そこにクラシックの誰それ系を混ぜてみたい(実際は混ぜてみたいというよりは、頭の中に聴こえてきてしまう)とか、60年代のソウルミュージックを入れ込みたい、とか、エレクトロの空気をオーガニックなものにぶつけてみたい、とか。。。もう無数にある組み合わせが、各アーティストの音楽遍歴や趣向や思いつき(思いつきは実はでかい)で作品に昇華されたものだ。日本のフュージョンも然り。。70年代に一世を風靡したフュージョンが日本でも、たくさんの演奏者が追走したが、輸入されたフュージョンの作品を追随したものと、そもそもロックやラテン、R&B、ジャズ、アフリカ、ブルース、etc...etcを想いのままに融合、結合、競合させながら新しいものを目指した精神性とは差が生まれる。上に記した各ルーツ音楽をどれほど知り、身に染み込ませ、楽しんだかが大きな鍵だ。スティーヴガッドのドラムのフレーズ、音色ひとつとっても、ガッドっぽい人とガッドでは次元が違う。ガッドが何を聴き楽しみ体に染み込ませたのかを知らなければ、ガッドにはならないし、逆にガッドのとは違う個性のガッドの継承者には成り得ない。そもそもフュージョンは、上手さの競い合いではないし。閑話休題。。AORの話に戻ると、上記の動機から生成された音楽が、たまたま70年代後半から80年代初頭にかけて、ひとつの当時らしさのカラーがあったものに、当時のマスコミやレコードメーカーがAORと括って売りやすくしたものだ。それ自体はなんら悪い事ではないし、逆にその世界の音楽を広めるのに大きく貢献した事は事実だ。聞き手は気軽に楽しみ各々AOR論を一杯やりながら語るのは、どんなジャンルでもある素敵なワンシーンだ。しかしながら、作り手がそうだと話は変わってくる。例えば、プリンスの音楽がJBでGeorge Clintonでジミヘンでカウントベイシーでその他無数の先達への憧憬と研究と愛情で成り立っているように、AORも全く同じだ。そして、全てのアーティストに例外はない。たとえ、JBですらも。ツェッペリンも。もちろんベートーベンやバッハですらも。もちろんGAGAやケイティー・ペリーですらも。そしてビートルズは、その最たるものとして君臨した。ぼくの音楽遍歴にはAORの始まりはビートルズという事になる。音楽は感性の賜物だが、それが本能的、野獣的だろうが、理性的、論理的だろうが、意識、無意識を問わず知識と知性の土台なしには形にならない。破壊を基軸にしたピストルズを代表とするパンクですらも、破壊という意識、行為は既成の構築美への挑戦だから、因あっての果である以上やはり例外にはならない。カート・コバーン(ニルヴァーナ)は「おれの曲は所詮はベイシティーローラーズに毛が生えたメロディーに、有名無名のフォークシンガーの裸の言葉に影響を受けたオレが詞を乗っけて叫んでるにすぎない」と言い切った。ポール・マッカートニーを観た時、「ファッツドミノの曲みたいの書きたくて書いたのがこれです。」と述べてOh,Darkin'を歌った。すべてのアーティストは無からモノを生み出さない。SLTの曲を作る時、そんなわけで『AOR』という概念の曲を書くのだけはしないAORバンドじゃないと、AORじゃないんだよ、とよく若気の至りで呑み語っては曲作りに挑んだ事だけには誇りを感じている。繰り返しになるが、AORは、そんな世界中の音楽が、過去のDNAの組み合わせの上に、組み合わせを越えた感性でだるまの目を入れるという、例外ない過程を踏んで生まれて来た中の一形態にしかすぎないのである。そんな最近、ヒダカトオルくんがAORの作品にトライした。まだ聴けてないのだが、パンクだったビートクルセイダーズの彼が自由な目線で、確信犯でAORと言ってリリースした事に、とても期待を持っている。少なくとも、名う手の演奏者がとても上手に『AOR』というジャンルをナゾるよりも、ずっとAORな魂であるのは確かだ。
May 28, 2012
『未知への挑戦と既知への安堵』は、特にポップスにおいて重要な芯である。どちらか一つだけでは、「自分と他者の両者」の心を打つことはない。「未知」とは単なる奇抜さではない。そして「既知」とは単なる「普通なもの」の代名詞でもない。本当のポップアーティストは、(他者の喜びがイコール自分の喜び)という大義名分に逃げない。当然(自分の喜びと納得があればイコール、他者に伝わるはずだ)という大義名分にも逃げない。まずは、普通のもの、王道、典型の形の中に、「どんな」普遍を見たかでいつも始めなければ、出だしからブレる。そして、その自分なりの見たものを、未知への挑戦に満ちた心で紡がなければならない。「斬新さ」と「奇抜さ」は同義ではけっしてない。「常套」と「普遍」はなおさら同義ではない。また「無駄を省く」という大義名分が、即座に「普遍」を創りあげはしない。時に精査された「イビツな無駄」が、逆に普遍を明るく照らし魅せてくれる事を忘れてはならない。経験のない若者の作品が、未熟な方法と知識でありながら(これは最高に斬新で普遍でかっこいい!)という想いをパワーを持って伝えてくるのは、信じ切って純粋に到達できたと思い込んでいるその「イビツな無駄」に因るところは、あのビートルズを例にあげるまでもなく大きい。そして経験を重ね、沢山の事を知り、深さを知った大人になった時、多くの人が「常套」と「普遍」を混同し、「斬新さ」と「奇抜さ」の区別がつかなくなった自分を守るために、新しい動きを鼻で嗤うか、あたたかく見守る目を装って偽の笑顔でいる事に気づかなくなる。マイルスを例にあげるまでもなく、若者と自分は違う、若者の作品に学ばず感動できず(大人にしかできないものがある)という発想は成熟ではなく老醜である。「大人にしかできないもの」かどうかは、自分ではなく他者が始めて判断する事だ。そして本当の「大人にしかできないもの」は、わかりやすい云々で語られる短絡的な事ではない部分で、若者にいつか届かねばならない。(若者側の素養の成育も大切なので、即座に、である必要はない)いくつになっても年齢なりに目指す「未知」。。イコール「イビツな無駄」を忘れた自分からは求める音楽は生まれない、といつもいつも頭をよぎっている。その上で、曲を書く時は一心にそれらを忘れて音に向かえば、きっと求めるものが降りてくると信じるのである。45歳を過ぎたあたりから消えた迷いの先に出た、いまのところの答えだ。(この写真はあたりまえのモノ同士が、斬新な出会いをすることでアートと呼べるものになっているからこそ、メッセージを他者は探る意欲を持つ。。を顕す。。)
May 20, 2012
コレ、素晴らしいバンド、アルバムです。音楽は好き嫌いで楽しみ始めるのは誰もが通る処だが、沢山の多彩なものに出会っていきながら自分の美感、美観を育てるのは大切な事だ。自分の嗜んでいるものにある、自分が(ここがいいなあ)と思う正反対の部分に感動をおぼえる人が必ずいる事を識っていく事もできる。そうすると例えば(飽きるなあ)って感想が(静謐でいいなあ)と思えるようになる。一事は万事だから、そんな広い美感を持てたなら、違う思想や文化や価値観を寛容とか許容という、結局は自分から目線でしかない穏やかさの先の「敬意」や「同人性」にまで達する事もできる。それは評論家等が陥りがちな「系統化」する事で冷静さと折り合いを着ける、一見大人な立ち振る舞いも稚拙さの域を出ないということも見えてくる。当然、amazonやiTunesの感想投稿に時折見られる攻撃的で狭小な批判の幼稚さも見えてくる。そして、その先では妥協ではない本来の「融和性」の実感を味わう事ができる。そして。。気づいたら「好き嫌い」ではなく「好きか、まだ理解できていない」という差別ではない「区分感」と謙虚さを持った目線で人にも接することができるようになる。音楽で世界は変わらないが、音楽で、多彩な価値観を認める世界を目指す人を生み出すことは可能である。ガンジーやルーサー・キング、シェークスピア、ゲーテなど歴史上の偉人が何より音楽を大切にした事の奥底でもある。。。。蛇足だが、たとえばあのようなサウンドを展開しているLady GAGAは、この曲のような価値観の美も、当然敬意の対象にし得る。アーティストに「それも好きなんだ。意外だ。」という感想は、本来、例えばデニムを普段嗜んでる人に「タキシードも着れるんだあ」という位^ー^)浅薄な意見であるし、いわゆるそんな人の云う「意外性」なくして包容力のある音楽は生み出せない。http://www.youtube.com/watch?v=k20kPqcllgs
May 17, 2012
このアルバムを聴いて......「この人の歌でいろんな曲を聴いてみたい」という想いがどういうことなのかということをとても実感した。もっともっと色んな曲をボクの歌で届けていいんだなあ、少なくともボクの歌が好きな人には、とても大切な入り口になるんだなあという事の意味を、前より深く理解できた気がする。振り返ると中学生の時、ビートルズの『のっぽのサリー』を聴いた時ドキドキしたからリトル・リチャードのオリジナルヴァージョンも聴けた、という事を機会あるたびに、カバーの意味について話してきたが、その想いでカバーシリーズをやってきた事に改めて自負を持てたと同時に、もっともっと{拘らない事}の意味も今回のポールの作品で実感できたと思う。例えば...もっともっと「What's goin onはマーヴィン・ゲイのヴァージョンにかなうものはない」とかいう一見訳知り顔のオリジナル知ったかぶりよりも、曲自体の素晴らしさを、稚拙でも伝え繋いでいくことの深さを感じられた。それだけ今回のポールの新作は、自分の輝かしい歴史をさしおいて少年にシンプルに還った潔さに溢れていた。子供の頃、お父さんがポール少年に聞かせた先達の素晴らしさを、ただただ繋いでいこうという想いに溢れていた。そして、ポールとジョンは、実はただただビートルズでそれをやりたかっただけだという一面もインタビューで穏やかに伝えていた。
March 4, 2012
曲はこちら↓http://www.youtube.com/watch?v=T_SQBm8RJz8&feature=fvwrel彼らの音楽への意志が到達した現時点での最高傑作だと思う。絶対的にいい曲かどうかなどは、音楽にとっては無意味であるので、そこはただただ聴いた人が、どんな人でも例外なくある趣味趣向という曖昧なものと、この世の全音楽を把握しきれるはずはないという事実の上に、感動するかしないかだけでよい事だ。。。しかしながら、あえて分析してみると。。。この楽曲はHip-Hopからクラシック、民族音楽の影響を明確に打ち出す、たとえば最近のOnerepublicなどに代表されるオルタナティブ系ロックの流れと彼らも現代のバンドとして素直に呼応している。もちろん、ビヨンセやリアーナ、エミネムなどもそういったスタイルを明確に取り入れている。よって最近のJ-pop系でも特に若手がたくさんトライしている。それ自体は、世界中のポップスアーティストが何十年も前から、欧米の最新スタイルを取り入れている事で、文化が他文化へ影響を与えるのは当然の事として、またファッションとしても肯定されるべき事である。ポイントは、このMokey Majikの曲は極めてそこに向き合いながら、とても日本的な素晴らしさも同居させているところだ。欧米そのままなら、欧米のものを聴いた方が明らかに違和感がない。サウンドや曲は欧米一色なのに、日本だから日本語にしようという安易さが、この曲にはない。また当然の事ながら、欧米的なメロディーと日本的なメロディーに「違い」は感じていても、「差」を感じるコンプレックスや優越感も感じられない。そこには、けして、欧米のアーティストはやらないメロディーのスタイルを、「最新へのトライ」と共存させている素晴らしさとして止揚されている曲があるだけだ。実はそれこそがオリジナリティーだと思っている。いまさら何を当たり前の事を。。。と声が聞こえてきそうだが、実はそれを掲げながらも、特に日本の場合、DomesticかInternationalかを対立軸でしか把握できていないまま、結果は実現できている気になっているだけのものとは天と地の差があるという現実がある(おそらく日本だけではないだろう)。レニーニやカエターノなど、ブラジル的であり欧米的である。観点を変えると、たとえばスティービーはいつまでも黒人的であり白人的である。ビートルズは極めてアメリカ的なものをめざして、とてもイギリス的であり、その他の国的でもあった。ポールは、それをいまでも、時に一週間で世界で10万枚しか売れない作品を作っても続けている。当然、そのような危険なチャレンジはセールスにも山や谷を作ってしまう。それでもなお彼らは、ブラジル、アメリカ、イギリス人でありながら、他国のもの、新世代のものを取り入れる事にいつまでもあきらめない。また若い時にトライし成功をおさめながらも、そのキャリアを土台にDomesticに、彼らの既成イメージによる作風に需要があるからといって、けしてそこに安穏としない。またそれらの国々のたくさんの若手も、それが音楽という文化であるという自負をもってメキメキと挑戦している。それらは自国、または世界の「マーケットへ向けての作業」なのか、それとも「自分の創作でマーケットを生み出そうとするのか」の大きな違いでもある。もちろん、どちらがいい悪いではけしてない。しかしながら「アーティスト」という呼称は、あきらかに後者のみに向けられるものと、ぼくは思っている。グラミーの主要部門以外の90以上の分野は、それの顕彰を担い、結果的にメインストリームの主要部門の華やかさと深みを支えている。Monkey Majikにも、音楽的センスのみならず、そんなスピリットが継承されている。そして、ぼくが「今」に立ち向かう存在として尊敬するのは、そんなアーティストである。負けずにがんばろっと♪
February 5, 2012
今週から放送の段取りに余裕も出てきたので、各曲のレベル調整を事前にしっかりできるようになった。CDの曲の音量は、時代によってまちまちで、70年代のものなど今の半分ぐらいなのもザラだ。実は放送上、曲の音量は、聴いた印象を大きく左右してしまうので、リマスターされていない古い音源ほど地味に聴こえないよう目一杯を確保しながら、しかし慎重にアップさせないといけない。幸い、湘南ビーチFMはPCやスマホで聴いても並外れた音質の良さを確保しているので、思う存分調整できる。逆に最近のCDは音量がとても大きい分、ひたすら音圧のみを上げてインパクトに偏りすぎの傾向があるので、アレンジやアンサンブル以外にもエンジニアの音楽への向き合い方がしっかりしてるものを選んでもいる。専門的な話だと、コンプレッサーやリミッターを派手さのみにしか使えていない音楽は、必ず飽きられているのは歴史が証明してきている。楽器だけでなく、スタジオにある機械、機材も全て「楽器」なのだという概念を持って生まれた作品はすすんで紹介したい。総じると、年配者は地味さを大人っぽいと勘違いしないように、若者は単なる派手さを力強いと勘違いしない事が大事だと思う。。。。それって、音楽に限った事じゃないなあ、そういえば。。。
January 20, 2012
欧米に比べると、アイドルやJ-Popのようなドメスティックタイプの音楽に比べ、まだ過渡期、成長期にある欧米影響下型の日本の音楽分野も、彼女が15歳からスタートした時からのサッカーシーンの変遷と成長を見た時、この愛すべき日本型個性が鍵になるのだろうな。。これからは、北欧やブラジルなどのシーンがドメスティックタイプとは別にかなりのレベルに来ているように、日本の欧米影響下型のプレイヤーもドメスティックタイプの音楽に貢献していくだけではない、「自分が学んで歓喜した楽曲と同じように『一部の本格派がライブハウスなどで楽しむに留まっているだけではない』感覚で今まさに演奏できている!」と思える音楽が始まる時代に向かいたい。達郎さんやオフコースなどの80年代初頭までの挑戦を、またHIATUSなどの踏ん切りを、ドメスティック型ショービジネスに埋没させぬように。。。日本の演奏者が限りなく世界と同等なスキルに近づいている今、楽曲と歌の挑戦、思い切りのよさが重要になってくるのだろう。。http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/2011/text/201201100001-spnavi.html<必!注目!>湘南ビーチFM 78.9Mhz レギュラー番組放送中!!パソコン、そしてandroid, iPhone, iPod touch, iPadのアプリで全国、世界中で聴けます!毎週金曜日夜10時~11時生放送!! 「佐藤竹善 Friday Musical Voice」詳しくは↓http://plaza.rakuten.co.jp/okranogunkanmaki/diary/201109160000/ぼくのCDコレクションから完全選曲!!先々、オールリクエストデーでは今までのオンエアーされた曲限定で行いますので、気に入った曲はメモっといてね現在までのオンエア曲一覧。。http://plaza.rakuten.co.jp/okranogunkanmaki/diary/?ctgy=26
January 10, 2012
当時の芸能界の様々な障壁により日本グラミー賞創設構想を挫折して、約30星霜。。(著作・Time can't waitに詳細)アーティストがお互い切磋琢磨しながら成果の奪い合いではなく、音楽シーン全体で盛り上がっていこう、そして日本の音楽の素晴らしさをもっともっと高めていこう、そのためにも仲間が繋がっていこう、という時の変遷の中で一切ぶれずにある小田さんの想いが、この「クリスマスの約束」で、そして大メドレーでまたひとつ結実した。ぼくが一昨年、不覚にもステージで泣いてしまったのはメドレーの達成も去る事ながら、実のところそこであった。静かな理想への闘いが根底にある人間に、本来、歌、音楽が大好きでこの世界に入ったアーティストたちだから、ひとりまたひとり彼の下に集まってくるのだ。。。。<必!注目!>湘南ビーチFM 78.9Mhz レギュラー番組放送中!!パソコン、そしてandroid, iPhone, iPod touch, iPadのアプリで全国、世界中で聴けます!毎週金曜日夜10時~11時生放送!! 「佐藤竹善 Friday Musical Voice」詳しくは↓http://plaza.rakuten.co.jp/okranogunkanmaki/diary/201109160000/ぼくのCDコレクションから完全選曲!!先々、オールリクエストデーでは今までのオンエアーされた曲限定で行いますので、気に入った曲はメモっといてね
December 25, 2011
ADELE21を聴いて思うのは。。。今は、とても幅広いレンジで深みのある音が録れる時代になったので、デモの段階から、その曲は引き算のアレンジで一個一個の楽器を奥行き深く録るのか、それとも多楽器で一個一個の楽器をタイトにしてアンサンブルを組むのかが作品自体の分かれ目になる。小編成=地味or渋いの時代は終わっている。もし、小編成でインパクトあるものにしたいのに地味に終わり物足りなくなるようなら、それは録りとミックスの作業の段階でヴィジョン自体がエンジニアに伝わっていないか、または把握してもらっていないという事になる。そのためには、アナログテープ、レコードの音をしっかり知っておかないといけない。もちろん、レコードではあの時代の音は音圧も音量も奥行きも、一見全く表現仕切れていないが、方法論、手法を元に現在の進歩した機材とセンスある耳によって、完全にあの時代を凌駕できる。それをADELE21のサウンドは物語っている。さらにもちろん、あの時代のレコードの方がいい音だ、という単眼的な見方は論外である。<必!注目!>湘南ビーチFM 78.9Mhz レギュラー番組放送中!!ぼくのCDコレクションから完全選曲!!先々、オールリクエストデーでは今までのオンエアーされた曲限定で行いますので、気に入った曲はメモっといてね2011/10/7から毎週金曜日夜10時~11時生放送!! 「佐藤竹善 Friday Musical Voice」スマートホン、パソコンにて全国、世界中で聴けます!詳しくは↓http://plaza.rakuten.co.jp/okranogunkanmaki/diary/201109160000/
November 20, 2011
Best Hit USAが素晴らしいのは、今も昔もStar of the weekは今の人、Time Machineは往年のスターをその時のリアルタイムの時間軸で扱うところだ。往年の音楽番組にも関わらず、あまり新しいものを聴かなくなる往年のファンを相手に懐メロに堕さないところだ。懐メロ番組は好きだが、本来のスタンスを変えてまで残ろうとするものに音楽のスピリットはなく、懐かしさでの余暇モノでしかなくなる。こんな深夜でのこの番組だが、数少ないながら観ているだろう将来の才能溢れるミュージシャンを育てていたらいいな。。そして、なによりも素晴らしいのは、30年前にポリスを語った同じ熱い口調と知識でリンキンパークやコールドプレイを語る事ができる小林克也さんだ。Best Hit USAには、いまだに「懐かしいなあ」という言葉は失礼なのだ。<必!注目!>湘南ビーチFM 78.9Mhz レギュラー番組放送中!!2011/10/7から毎週金曜日夜10時~11時生放送!! 「佐藤竹善 Friday Musical Voice」全国、世界中で聴けます!詳しくは↓http://plaza.rakuten.co.jp/okranogunkanmaki/diary/201109160000/
November 3, 2011
1970年代後半にラジカセが一般化するまで、小さなトランジスタラジオが大概の庶民の傍らにあった。主流はすっかりテレビに移っていたが、気持ちの拠り所としての放送は相変わらずラジオにあった。音楽やトークも、カウンターカルチャー、サブカルチャー的なものが多く、そこから沢山の文化が生まれ、テレビの世界に昇華されていった。いわば、ラジオとテレビが健全にその役割を担い合っていた時代だ。。。。そして時は過ぎ、それぞれが成熟し、分離し、迷走し、また新しい立ち位置を模索している。その数十年の間にメディアに関するハードも、いまやインターネットを中心とした多岐な進化に至っている。音楽に関して言及すると、いつの間にか時代は、誰もが大ヒット曲を聴く時代から、ユーザーの娯楽に関する多様化からハードやソフトの多様化に至って「自分だけのモノ」を選ぶ時代に移った。そして、とうとうそこに連関する形でRadikoやサイマルを筆頭とするPCによるインターネットラジオ、スマートホンの登場となった。時代はコアターゲットの時代に入り前述の多様化のためとも言えるyoutubeやニコニコ動画に並び、「アプリ」と称するカウンターまたはサブカルチャーの成長舞台が登場する。そこには聴きたいものを聴きたい人が、それに沿ったアプリを選び、自由にゆったり楽しむ時代の土台ができたことになる。製作者や創作者は、意志さえあれば心置きなくしがらみを外れクオリティーを求める事も可能になった。もちろん「しがらみ」による圧迫、そこへの挑戦、試行錯誤がポップカルチャーの質を高めるエネルギーにもなるのであるが、「しがらみ」側が巨大化してしまった現在では、やはり現在の環境の変化は、まずは純粋な製作者や創作者が育成される場所として好意的にみるべきと考える。(形は異なるが、かつてはアングラ、マイナーの汚名を甘受していた音楽のインディーズレーベルなどの市民権の向上もこれにあたるのでしょう)「いいもの」を純粋に追い求め、大衆の素朴な移り気に諦めず、カルチャーとしての誇りを土台に提供していく事ができる時代。。。ぼくがサイマルラジオや世界のインターネットラジオ、湘南ビーチFMに向ける視線もそこにある。もちろん、まだまだ今の結果が社会の表層に現れるのは先の話である。何気にスマホのラジオをつけ、気に入った放送を流している自分がいる。機械の名称としての「ラジオ」も完全にソフトとしての名称に変化しつつある。かつてのトランジスタラジオと同じサイズの物体が、かつて誰の家でも傍らにあったように、携帯電話という機能上、否が応にも傍らだ。気が付いたら、環境は冒頭に述べたトランジスタラジオの時代に戻っている。前述した「「自分だけのモノ」を選ぶ時代に移った。」は、実は「回帰した」と言っていい時代なのである。原点の本質性への回帰現象は、いまやすべての分野に起こっているのは明白だ。製作者、創作者は胸を張って、時の到来を夢見てモノづくりに励みたい。******明日は湘南ビーチFM三週目だよん<必!注目!>湘南ビーチFM 78.9Mhz レギュラー番組放送中!!2011/10/7から毎週金曜日夜10時~11時生放送!! 「佐藤竹善 Friday Musical Voice」全国、世界中で聴けます!詳しくは↓http://plaza.rakuten.co.jp/okranogunkanmaki/diary/201109160000/
October 20, 2011
(Clive Jay Davis, 1932年4月4日~)「ポップスに身を置く者として。。。」レコードメーカーも、そろそろ高セールス分野への集中から脱却しなければ、たこの足食いになってしまうのではないだろうか。「多種多様なカタログを揃えてこそ健全な音楽環境への貢献」と言ってしまえば夢想的、過理想的と一蹴されそうだが、「ポートフォリオの観点から多様な音楽、アーティストの保全と育成による経営の長期的安定化」という現実的概念から「音楽を醸成していく」という大局性が実現されないものだろうか。各、高音楽性専門分野が充実してこそ、日々、耳が肥えていくリスナーが耐え得る、アイドルを始めとするポップスが成り立つのは世界中の歴史に例外はない。かつて、クライヴ・デイヴィスが、それぞれのマーケットで実と利を併立実現してきたように。。。****小田和正さん、山中さわおさん(The pillows)、松たか子さん、徳井義実さん(チュートリアル)からのニューアルバムへのコメントhttp://plaza.rakuten.co.jp/okranogunkanmaki/diary/201105200000/Sing Like Talking New album "EMPOWERMENT"インタビュー一覧歌詞ism: http://kashi-ism.jp/201105sltsearch.phpBARKS:http://www.barks.jp/feature/?id=1000069937&p=1#FeatureWrapexcite music:http://www.excite.co.jp/music/close_up/1105_singliketalking/ナタリー:http://natalie.mu/music/pp/singliketalking
June 15, 2011
かつて石原裕次郎も愛した(裕次郎灯台もあります)逗子、葉山マリーナの一角にひそやかにポツリとある小さなコミュニティーFM局。。。ここがどれだけのセンスの良さで選曲、放送を行っているか、おそらく観光でここを訪れてる人たちのほとんどは御存知ないのでしょう。。処かわって、東京は下町。。。そこには小さな小さな町工場が無数にひしめき合っています。わずか2~3人ほどで、ほとんどが運営されています。外から見ても、なんてこた~ないわずかな坪数の工場(こうばと読んで欲しい)ばかりです。しかし、それらの工場のいくつかがアメリカ航空宇宙局NASAやその他世界有数の先端企業からの委託で、唯一無二の技術で生産している事など、工場(こうばと読む。。。しつこい。。)の前で遊ぶ下町のハナタレ小僧には知る由もありません。さてさて葉山の湘南ビーチFM。。。テレビでもおなじみの木村太郎社長の尽力の下、サイマルラジオ局のネットワークのリーダー格として、いまやPCさえあれば日本中、世界中で聴けます。南アフリカに赴任中の彼も、ウズベキスタンの彼女も、メンフィスに行ってた僕らも普通に聴けます。それにより、おそらくコミュニティとはいえ、その潜在的リスナーの多さと音楽に対してのリスナー的価値濃度は大変なもの、またはまだ始まって1~2年でもあるので、大変な潜在的価値の大きさでしょう。そして、その放送内容たるや、その自由な選曲、そしてだからこそ大変重要なセンスの高さは、他の大手がぶちあたる「しがらみ」の分を差し引いても、素晴らしいものがあります。ぼくは23年間、全国のラジオ局を回り、音に人に触れてきましたので、ここまでいう自信はわかる方には掴んでいただけるでしょうか。。。それは、ぼく個人の趣味の音楽観をとっぱらってもなんですね~インターネット、PCがこんなに普及していってます。iPhone, iPod touch, iPad, Android....それらがまるでかつてのトランジスタ小型ラジオのようにサイマルラジオ局やインターネットラジオ局をアプリで聴楽可能にしています。ケイタイ電話はますますスマートホンに入れ替わっていく将来の流れは、いまや常識です。そんな環境変化の中、ラジオは、公共性よりも、より聴きたい人だけが聴く特質性が求められる方向に向かっていくでしょう。(災害時などのツールとして以外)そして音楽がより最大公約数的音楽と多種多様なニーズへの特化に向かう音楽に分離していく以上、FMは音楽との関係上、そこを見据えた理性的、現実的でありながら理想的特化性に向かえなければテレビの腰ぎんちゃく媒体に成り下がるしかなくなるでしょうから、この湘南のちびっこFM局(ビーチFMの竹下さんが言っててツボでした)の存在意義と価値の高さはしっかりと見据えておかねばなりません。下町の小さな工場(こうば)が技術立国日本の将来のキーとなるように、このちびっこ局の立ち位置とハイクオリティーさ、スタイリッシュさ、One&Onlyさは意識的か無意識かは別として、日本のFMシーンへの示唆となっているのは明らかであると思っています。「そんな大げさな!」と言ってる人が、気づいた頃にはもはや乗り遅れのロートルになるのが世の常なるかな。。。アプリを御存知なかったアナタ、iPhone系でもAndroid系でも「Tunein Radio」というアプリを無料でDLして「湘南」といれればビーチFMが聴けます。すぐbookmarkしよう!サイマルラジオ一覧(関東区分の中に湘南ビーチFMあります。200kは定点カメラでマリーナの風景も)http://www.simulradio.jp/左の屋根の下がスタジオがある建物。。。裏はすぐに山。。。ヨットハーバーの横は釣り船ハーバー。。。お奨めの地元パン屋さん、Ble Dole 美味かったな~~~*****小田和正さん、山中さわおさん(The pillows)、松たか子さん、徳井義実さん(チュートリアル)からのニューアルバムへのコメントhttp://plaza.rakuten.co.jp/okranogunkanmaki/diary/201105200000/Sing Like Talking New album "EMPOWERMENT"インタビュー一覧歌詞ism: http://kashi-ism.jp/201105sltsearch.phpBARKS:http://www.barks.jp/feature/?id=1000069937&p=1#FeatureWrapexcite music:http://www.excite.co.jp/music/close_up/1105_singliketalking/ナタリー:http://natalie.mu/music/pp/singliketalking
June 13, 2011
先日、FM802とスポンサーさんの御好意により、急遽、グラミー賞を生で味わうべく御招待いただいて行ってきました。恒例のぼくの主要4部門大予想はalbum of the yearとnew best artistが的中受賞者の顔ぶれ的に大満足な結果で、まだまだ自分の音楽の理想への感性を信じてもよさそ気だなとご機嫌になった次第です近年のハービーハンコックのalbum of the yearをすべての下馬評を裏切り、的中させたボクだもの(以上、自慢)テレビで放映される主要部門と放映されない他の98部門は、それぞれ別会場で行われたのだけど、片や華々しく、片や和気靄々としたもので、また生でその場にいると、アメリカ人他世界中の音楽家が、よりグラミーへの誇りを抱いている感をじっくり味わうことができるものでした。あらためて感じたのは、アメリカという国が音楽を、エンターテイメントであり文化である、としっかり認識し、それをいかに今の現実の中で顕彰し続けようとしているのか、という事でした。だれも知らないような賞でも、誰もが知っている賞でも、そこにたずさわり、また受賞できた人間が同じように最大の喜びを全身で表現していました。そこに見たものは、主要4部門のような賞も他の分野も、アメリカの音楽シーンの中では共に音楽の発展に歩を進め、共に作用し合う事で、それぞれの陥りがちな欠点を補っているのだなという事も強く感じられます。またそこには、メジャーかマイナーか、ポップかマニアックか、売れたか売れないかという単眼的な見方では永遠に掴めないであろうリンクがあります。それは詰まるところ、どんな片隅の音楽でも感動している人間には大切な宝物である、という聴き手への愛情とも言えます。そのためと言っても過言ではないであろう事として、グラミーは108部門のスターが存在し得る事で、ノミネート者や受賞者がその年の理想を牽引し、マイノリティーのパワーを認め、マジョリティーのパワーと責任を表面化させる事を実現させ、世界中の音楽家の創作への意欲を打算ではない世界へ一生懸命導こうとしています。もちろん、現実はアメリカでも日本の何百倍もダークな思惑が常に介入してくるショービジネスの世界です。だからこそ、長い歴史の中での自浄作用をコツコツと工夫を重ね組み立て、成熟に向かっているのです。権威の大切さと、権威の形骸化の恐ろしさへの挑戦。。。。70年代に入るまでは、グラミーからは相手にされなかったローリングストーンズのミックジャガーの堂々としたパフォーマンス。かつて「音楽である」という認識からも排除されていたRAP部門での、Dr.Dreを始めとする彼らの堂々とした威風。(いまや、スミソニアン博物館でもニグロ文化の歴史としてHIP-HOPは堂々と顕彰されています)数年前なら考えられない、Album of the yearを受賞したカナダの一インディーズ出身のArcade Fire。。。これはオルタナティブという分野を単なる反主流とだけ捉えるのではなく、すべての分野が陽を浴びていけるようにという止揚が、文化の中に定着している証しでしょう。New best artistで、ジャスティンや他を抑えて受賞したジャズ界からのエスペランザ。それは「このアーティスト売れてるの?」的視点でしか見なかったら、永遠に「Award」の意味と誇りをわからないであろう事に、エンターテイメントの雄であるアメリカが受賞させてしまう懐の大きさでもあります。でなければ、世界中で日本のゴールドディスク大賞のようなものだけやってれば、あとは必要ないものね。そして、もちろん単純に作品としてもそれぞれの完成度は言うまでもありませんアーティストが、もっとも誇りの中の誇りを感じる Album of the year...それ以上に実は更に最も誇り高い賞である Person of the year...もちろん108部門どれにも格付けの差はない彼らの認識。。。ビジネスとしての成功は、シーン全体にチャンスが与えられ、シーン全体が盛り上がる事でしか最終的な成功は有り得ないという理性が、欧米の音楽シーンでも大きなカギになっています。いまだ道半ばな日本の成熟を夢見て、しっかりと未来への橋渡しの一端を思った三日間でした。
February 22, 2011
かつてjazz sax playerに「俺の演奏にディレイとかかけんなよ!」と言われた。素晴らしい演奏だった。WingsのListen to what the man saidは4小節おきにディレイかかりまくりとドライが交互する。音楽の難しさを痛感した。でも「これだ!」って思ったら嫌われてもかけちゃうけど。。それがア-ティストだと思う。。何年もして、その人は目的をわかってくれた。。。レコ-ディング直後、プレイヤ-が「いえい!」ってなるのと「???」ってなる場合がある。。。どちらの結果にも失敗と成功が潜む。。ゴ-ルが見えてる人間が試される瞬間だ。SLTは1stから全作品それとの葛藤だった。音楽家として丸くならず円に近づきたい。究極的には演奏してくれる人間から、何割かの尊敬と何割かの侮蔑を目線の中にまずは見つけれたらそれは商品ではなく作品と呼べると信じているのだ。スタッフにはそれを100%商品として届けて欲しいと思っている。いいものならリスナ-の元で作品に還ってくれるはずだ。結局、すべての手柄は関わった人間すべてのもので、責任は創った人間だけに帰結するのだろう。。。それが音楽家の最高の緊張と幸せなのだ。。ジョンケイジのような前衛的な現代音楽からAKB48まで、本人にはまことに美しく素敵なポップスなのだ。その究極の振り幅の中にいるのはマニアックとか大衆的とかいうクラス分けではなく、心から愛しているか邪念による言い訳で自己弁護しているかだけなのだと思っている。最終的に帰結するのは社会的成功による充足ではなく、個人的内面の充足による成功でしか人は幸せにはならないという事なのだ。そうなると「成功」という概念への止揚力も高まる。それがなければ、いままで述べてきた事には疑問と反発あるいは冷笑しか生まれないのだろう。Stevie WonderのA Time To Loveは高尚すぎるから、やっぱKey of lifeが最高傑作!と語る音楽家にはなるまい。。。しかしながらStevie WonderのA Time To Loveにグラミ-を与える土壌がアメリカにはある。 自分に才能があるかどうかは未だ全くわからないが、それを逃げ道にはすまい。。 ただただ、そんな土壌が生み出されるように末端の末端を自分だけのたわいない鍬で耕すのだ。ただただ後輩たちと自分のためにだ。それが先輩に与えられた最高の幸福と義務なのだろう。。それは自分にStevieのような才能があるかどうかという話とは全く別問題なのである。
August 4, 2010
先週ロボットのW杯ロボカップがシンガポールで。W杯はその競技種類や周りの熱心な応援者の為だけにあるのではない。そこには、選手も応援者も、それまで他国という概念でしかない国や人に友情や親近性、ライバル感を止揚した同志感などにより、競技に無関心な各国民の心にまで訴えかける、世界の連帯化に少しずつ近づこうとする理性が内包される。それは、にわかファンだ熱心なファンだ云々による卑小なやりとりなど遥か眼下に見下ろす夢に支えられてもいるのだ。
July 4, 2010
かねてからぼくは, ラジオのDJについて訊かれた際, いつも決まって答えている文言がある。「ぼくはリスナーの大半は内容を聴いているようで、本当はそれほど集中していないように思う。もちろん必要な情報は抽出してピックアップするでしょうが、それよりも耳を傾けるのは語り手の声の表情、間合い、抑揚etc...そういったものの方に信頼性と, それによる安心や確信を瞬間瞬間で感じながら楽しんでいるように思う. 逆に言うと情報の信頼性を左右するのは, 極端な話、情報ソースよりも語り手のそれらだったりする事もままあったりします.」ぼくが20年以上のDJ経験で確信を持っている事です。米国の心理学者アルバート・メーラビアンは, 当事者が話す場面で相手に与えるインパクトに「言語情報」「視覚情報」「聴覚情報」の三要素があるとしています。それぞれの影響力は,,,「言語情報」~言語そのものの意味 7%「視覚情報」~見た目、表情、しぐさ、視線 55%「聴覚情報」~声の質、速さ、大きさ、口調 38%これを見ても内容うんぬん以上に, 声自体やまたその周辺に関しての極感情的, 本能的な部分で相手を判断しているのですね。もちろん、これは歌にも言える事でしょう。よく歌詞があっての曲, 歌だと順番をつけたがる人がいますが、本質はあくまで対等であることがこれからも判断できます。つまり、「内容」を, より深みあるもの, 意味あるものにするのは内容の更なる詰め以上に声質や技術も含んだ「表現」なのですね。Steely Danは「ぼくらは歌詞はなるべく限定性を排除する。つまり、何を歌ってるのかわからなくするって事さ。だからこそ、音楽やアンサンブルが各個人個人の聴き手にそれぞれの解釈で意味を語り始める。もちろん万人にわかる歌詞は楽しいし, それがポップスだけど、それだけで歌ってものを知った気にならない方がいい。歌わない人ほど、歌詞至上主義の信奉者が多いのが事実だ。」(ジョンレノンも同意な事をビートルズのリボルバーあたりから語り始める)逆に、歌詞がな~~んでもない事を歌ってるのに曲と歌い手で、とても意味あるものに聴こえるのも歌の楽しさ。にしきのあきらの「空に太陽がある限り」なんかはベタな典型ですつまり、いろいろ対等にあっていいって事ですね。そして、今回なにを言いたくて上記の事をつらつら書いてきたかといいますと、言語情報よりも視覚情報、聴覚情報を決定していくのはスキルのアップなんかよりも, 特に人生が積み重なっていけばいくほど100万倍大切な人間性の充足、充実にかかってくるわけです。それは文化性や芸術性のアップも大事だけど、その何倍も人としての温かさや思いやりや複眼性や利他主義でいれるかにかかってもくるのですね。おもしろいのが、そうすっと逆に演奏や歌も利己から利他になって, より届くものになるから不思議。若い頃は才能と勢いと運で日々こなせていけるのですが、実はそれは成熟期にどう生きるかのお試し期間なのだなあ、と頓に感じる昨今なのです。
June 27, 2010
1920年代、ラジオが登場した時、5年間レコードが売れませんでした。「ラジオで自由に聴けるのに誰がショップやナイトクラブに足を運ぶ?」が常識でした。ラジオもかつてはアーティストの生活を脅かすモノと危惧されたのである。しかし、結果は然り。新しい熱波の後には、めげなかった限られた人間の力で本質は常に守られ、生まれ変わってきたのである。時代は巡るのみ。
May 27, 2010
現代の曲は、ロックやジャズの要素が1曲の中で、80年代のAORと違い、「融合」ではなく明解に個性が立った「共存」でないとダサいので、minorは7thなど入れずにあくまでminorかと思ったら、ここぞってとこはminor 7th 11th 13thと大胆でなくては。更に大事なのは、そこにfunkpopなら通常、ガッドのようなタイトなDrがイメージされるところを、あえてジョン・ボーナムを持ってくる大胆さが必要だ。なぜなら、たとえば80年代の洗練されたスタイルのドラミングのヒントが、とてもハードな分野からのものが実は多い。ex) TOTOのRosannaはZeppelinのFool in the rainがヒントなのはあまりに有名。それがいまや、時代を経て、Zeppelinのハードさそのものがpopの中でも現れなければ、つまらない時代に進化しているからだ。その進化は、天国のジェフはとても喜んでいるだろう。そして、それは全楽器演奏、アンサンブル、アレンジに共通するセンスの乏しい人間には、懐古主義にしか映らない現代的進化だ。心しなければ。
April 29, 2010
Carnegie jazz concert / Benny Goodman これぞ!「歴史的名盤」な二枚組。ベイシー、ウィルソン、ハンプトン、ヤングのオールスター 初心者の人は、Tom&Jerryのジャズ系物が好きな人!<寸言>たとえばMaroon5のような音楽性を身に付けたいとしたらBill Withers と AC/DCを、たとえばN.E.R.DならばPrince、そのルーツのカウントベイシー、JB、ジミヘンを体がかゆくなるまで聴き込みまくる。自分の近づきたいアーティストだけ聞き込んでも永遠に見えないものが、心の奥で顔を出してくるのです。ミュージシャン志望か超音楽ファン志望だったらの話^ー^)聞き込んで大好きになるまで咀嚼しないと智慧になる前に知識でおわっちゃうのだけれども。Bill WithersとAC/DCの両方に同量にワクワクできなければ、やっぱ無理なのだけれど。たとえば、Bay City RollersとLou Reedを同量に楽しんだ男がニルヴァーナを作ったように。普通そうだわな^0^) RT @SadaKawanami: こんばんわ 。そりゃ難いす。@ChikuzenSato Bill WithersとAC/DCの両方に同量にワクワクまあ、言いすぎでも、嬉しいこと言うでねえのw これね? http://bit.ly/9wnRdr RT @starseat: ピロウズのトリビュートでオルタナど真ん中なアレンジをされて、初めて聞いた時ニヤっとしました。日本のオルタナは佐藤竹善だったのか!と。(写真は左からベニー・グッドマン、カート・コバーン、ショパン)
April 27, 2010
The real things / Brent Bourgeois #nowplaying 一部のAORがギタープログレ化してマニアックになっていく手前ギリギリ90年の名作。もはやサイケやエスニックやいろいろ混合化してアカデミックになっていく直前のポップでマニアックな名作から。この前JT&Carolで来てたダニーコーチマーは、実はこんな知的なプログレアカデミックプロデュースもしていたのだ。凄いアルバムなのに、このアルバム売れなかったせいで、次作はレコード会社にいじられてどうしようもないアルバム出して終わってしまった。後にブレントブルジョアって素晴らしいバンドで再デビューしてよかった。今ならデジタル、PCのおかげでコストも低く、インディーズや自主配信で自由に好きな音楽で食べていける分、とてもいい時代になったと言える。単純に昔のアナログやCDの時代はいい、という単眼的な見方は、実は逆にとてもビジネスサイドにコントロールされざるを得ないという裏事情も孕んでいるのだメジャーとインディーズの関係がメジャーとマイナーから、大企業と小規模センス重視セレクトショップのような関係になってきたのは、素晴らしいことです。そして、いまやインディーズがなければ大規模メーカーはアーティストの発掘すらできない時代になってしまった。でも、今の三十代以下のの大メーカーのわかってるスタッフは、その辺を体で知ってて、上のあいかわらず最大公約数的曲で大稼ぎを狙うおっさんたちが終わるのをじっくり待ってるから、またいい時代が来るのでしょう、来て欲しいな、そんな子たちが企業論理に埋没しなければ。日本の音楽シーンも他の分野の企業のように、ひとつを100売るんじゃなくて、10個を10ずつ売る方にいかないとなあ。欧米はとっくに10何年前からそうなのに。グラミーがなんで120いくつもカテゴリーがあるのか。これは単なる細部へのレスペクトだけではなく、そんなビジネス論理が働いているのです。欧米の芸能界の方がずっと実はマフィア的なのに、なぜそこに行き着いたか。寡占化は最後は自分たちの稼ぎも減らしてしまう事を知っているからなのだよなあ。でも、ミュージシャンができる限られた武器は最も弱くて、でも最も強い「その人でしかない音楽」をずっと作り続け音楽を謳歌しながら、笑って耐え忍ぶことだけ。それが心ある若い音楽関係者をじっくり育てるのだと思う。彼らが「この人のためなら」と既存システムに冷静に挑めるように。グラミーの最大の貢献は、各分野の細部に至るまでノミネートの段階で5アーティストずつ名誉を付与することで各分野のスターを生み出し、実績に弱い大衆を上手に啓蒙しているところにあります。これからのポップスの音楽家は(クラシックに始まり全ジャンルにポップスとオーセンティックなスタイルがある)ユニクロになりたいのか、代官山の小さなハイセンスショップになりたいのか、よくよく自分の心と好きな音楽性を見極めなければならない。どちらも素晴らしい選択なのだから。すべてが原点回帰に向かってますね。低コストでの配信やインディーズでの製作、リリースはレコードの生まれた1920年代の草創期にそっくりです。 RT @nakai_takeshi: 何と言ってもらいライブあっでの勝負の原点回帰でしょう!未来は明るいよ。誰もが不満を持った膠着状態が破裂しなかった歴史は、なんの分野でもないから。時間の差はあっても。なにしろ大概の作り手とリスナーは純粋だから。 @doraimon513
April 26, 2010
「どんな状況分析のうまさよりも、うまくいっていない事やいっている事への的確な指摘のうまさよりも、人を励ます事ができるかが最も優れた事で、最も大切な事なのよ」via ビンセント・ハーディング博士夫人
April 23, 2010
DTMのソフトシンセと、iPADアプリで作り始める、「まっとうなミュージシャンになりたい」若人。 必ず、できるだけ本物のそれぞれの楽器の音を聴く機会をいつか作ってね。これはおっさんの意見じゃないの。欧米の若人モノホンミュージシャンの現実だから。回転寿しと高級鮓。お互いを敬える職人は、お互いの利点と美学とリスクを、よ~く知っていて相手を慮れる。そこで初めて、どちらもコンプレックスや優越感を超越して、知的で穏やかなんだよね。。。音楽も、どんな分野もおんなじだものさ。ニセモノを本物の領域まで高められるのは、「ニセモノだからオモシロい!」という確信犯な意識があって初めて成し得る。リズムボックス、シンセ、ハモンド、エレピ、クラビ、ピアネット、エレキギター、、、ある意味、それによってビートルズは「歴史」に成り得たのだろうと思う。いつの世代の人も、どこの国の人も最初は大概本物には出会いません。しかし、その大元を知った上で、今目の前にあるものの本質を知ろうとする意識は欧米とは民度が違います。それは先輩がどう教育していくかにも大きくかかっていますが、浅はかな若者理解は逆に彼らを潰すでしょう。そゆことなんすv。ありがとう!QT @chibikurage:「本質」が自分の中にあれば、本物もニセモノも道具として創造の役に立つ。その本質を見つける努力をせねば、タイムリー! RT @anzaisaori: @meigenbot: 未来は偶然ではない、未来は或る程度まで現在を生きる時の勇気と、事に当っての正しい選択とによって決定される。(福永武彦『風土』)これもタイムリー。楽器の音も音楽も。 RT @meigenbot: 古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ。(松尾芭蕉)議論の混乱は、大概、参加者それぞれのアンテナに触れた枝葉末節の事柄にそれぞれが執着することで、大局の主題が見えなくなっているところから始まる。無意識の、単なる揚げ足取りにならない頭脳的努力は、情熱と同じぐらい大切だ。
April 5, 2010
楽しかったよ~~~!今回は↓にとんでちょうだいな。http://blog.dj-pocky.net/?day=20100320****自分的印象的tweet.....音楽産業も、もはやしっかりと音楽資産防衛と将来への啓蒙拡大のための事業ポートフォリオ戦略を行わないとヤバいんだけど恐らく意味すらわかってない人間が多い。最先端な業界に見えても、実は柔軟思考に向かう農業等の方が、ビジネス的成功を実現しながら、断然知性的で文化的な人材豊富のようだ。**龍馬を信奉する経営者の方が多い。とても素晴らしい。同時に、彼と親友だった小松帯刀も信奉できる目線と器量がある方が松下幸之助クラスになるのだろう。**http://d.hatena.ne.jp/ropebreak/20090323 こんな思想転換も始まっているのに、音楽産業はより集中と選択の愚挙へ。でも、いいものをじっくり頑張るのだぜ音楽家諸氏。(あっ、また「なんかあったんですか?」とかの余計な心配は御勘弁)
March 21, 2010
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