一即多、多即一

一即多、多即一

2001年宇宙の旅



 そもそもこの映画は言葉で表現する類のものではない。言語や論理的な左脳よりも、感覚や直感の右脳中心で見るものである。キューブリックも神や何らかの大いなる存在を感じることができれば、この映画は成功したのだ、というようなことを言っている。この作品はよく難解だと言われるが、それは見ながらごちゃごちゃと考えすぎてしまうからであろう。

 ストーリーはシンプルであり、テーマは明白である。地球外生命体の存在を確認し、探索にいくという簡単に言ってしまえば、そういった物語である。そしてその存在と遭遇し、次なる段階へ進化していく、もちろん人によって解釈は違うが、私はこのように理解した。

 地球外生命体に遭遇するというと、エイリアンにでも遭遇するのか、というようなイメージを抱いてしまうが、そういったものは一切出てこない。神の視点から人類を見つめているだけである。そしてこの作品の特徴として、人類が神や超越的な存在とただ遭遇するだけでなく、次の段階へ進化していく過程を表現しているところにあると思う。

 キリスト教では神に祈り、神の恩寵を受けるというものであるとも言えるが、仏教やヒンドゥー教や仙道などの東洋の宗教や哲学は、人間が神となり、神をも超えていくことができるとし、その実践方法もある。この作品ではボーマン船長が映画の最後で老い、病、死のプロセスをたどり、そこから新たなスターチャイルドとして生まれ変わるところで終わる。これはキリスト教よりも、東洋の宗教や思想と一致するように思えた。

 ラストで主人公が新たに生まれ変わるわけだが、その前のディスカバリー号が木星へ至る途中で、そのことを示唆する描写があると思った。これは監督が意図したものであるかはわからない。それは何かというと、光の中を進んでいき、その後白いものとと赤いものが空間に広がっていた。これはわたしは精子と経血の象徴ではないかと思った。密教では、人が死ぬゆく時に白と赤のエネルギーが混ざり合い、次の転生へと至るとされる。白いエネルギーは精子の象徴でもあり、赤いエネルギーは経血の象徴である。ひょっとしたらキューブリックは、意図せずして密教で説かれる内容をこの映画の中で表現したのではないかと感じた。これはあくまでも私の憶測であるが、大いなる存在がキューブリックを借りて、秘儀でもある内容を表現したのかもしれない。

 この映画は万人向けとはとても言えない。初めて日本で公開された時、家族向けの映画と宣伝されて、見に来た人たちが非常にとまどったという話である。家族やカップルで見るには不向きである。しかし、やはりこの作品はSF映画を超えて、映画史上に残る金字塔であると思う。映画好きの人なら、何がなんだかわからなくても良いから、一度は見ておくべきものであろう。

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