一即多、多即一

一即多、多即一

人知を越えたもの


る人から注意されたんです。私がよかれと思って行ったことが、実際には周りに
迷惑をかけることになってしまった、そのことを事が大きくなる前に修正されて
本当に良かったと胸をなで下ろしました。

 人はこれがよいと思って行ったことも、全然意図しなかった結果になったり、
こうしたくないと思ってもそうならざるを得なかったりというようなことがあり
ます。

 人間関係でもこの人とずっと一緒にいたいと思っても、それがかなわなかった
り、逆にこいつは大嫌いだ!と思っていても、長いこと一緒にいなければならな
くなったりすることがあるものです。

 自分自身の考えや意図しても事がかなわず、より大きな力というか、そういっ
たものの存在を私は感じずにはいられません。

 それを人は様々な表現をしてきました。神であったり仏であったり、アートマ
ンやタオと表現したり。私はこういったものが本質は同じものではないかと思い
ます。

 バクティヨーガというヨガの実践があります。これは信仰や献身のヨガといわ
れます。神々の御心のままに、というとキリスト教的ですが、若干違うのはバク
ティーヨーガにおいては、自分自身も神々となっていくというものです。

 このバクティーヨーガで神々からの恩恵を受けるのが、重要なポイントです。
自分の力に過信している人がいます。しかし、人間は不完全なものです。バクテ
ィーヨーガの実践をしていると、自分の存在がまだ小さなものであり、より大き
な存在に身をゆだねようという意識になっていくのです。そういった存在からの
恩恵を一心に受けていることに感謝の念がおきてきます。

 恩恵が与えられることで、冒頭に書いたように、間違った方向に行ってしまう
ことから救われたりします。これは私にとって本当にありがたいことです。

 恩恵を与えられているというのも思いこみではないかと、考える人もいるでし
ょう。これは何度も同じようなことを経験していると、理屈抜きで心の深い部分
から感じ取るのです。これはそういうものであるとしか、表現しようがありませ
ん。

 また、神々などに自分をゆだねることは、人間としての尊厳を失ってしまうこ
とと考える人もいるかもしれません。そういった人は、人間の世界というちっぽ
けなものにとらわれてしまうと、その様に考えてしまうのだと思います。

 何事の分野でも超一流となった人は、宗教的というか、スピリチュアル状態に
なっていくようです。そういう人たちは、何らかの大きな存在を感じ取っている
のでしょう。

 例えばアルバート・アインシュタインは、

 未来の宗教は、コズミック・レリジョン(宇宙的宗教)となるだ ろう

 コズミックレリジョンは、(従来のそれのような)
 独善的な教義を拒否し、実体験に基づくものとなる。


 もし科学的なニーズに、うまく対応できる宗教があるとすれば、

   それは、仏教であろう・・・

 と言っています。宗教と正反対のものにあると一般的には見なされている科学
の世界で、超一流であるアインシュタインは、非常に宗教的、精神的な人物であ
ったのです。             
またこうも言っています。


物理的対象は、空間の内にあるのではなく、
これらの対象は、空間的に拡がっているのである

こうして「空虚な空間」という概念は

その意味を失う・・・

 これはいわば仏教で言う空を物理的に表現したものと思います。
彼も人知を越えたものを感じ取っていたのでしょう。

 そして他にもこういった例はたくさんあるのです。

 人間はあまりにも傲慢になりすぎたようです。それが今世界中で発生している
大きな問題の原因の一つでしょう。もう少し謙虚になって、大きな力に身をゆだ
ねてみることも必要ではないかと感じます。

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