一即多、多即一

一即多、多即一

人類補完計画


だまだ根強い人気があるのではないでしょうか?

 そこに出てくる「人類補完計画」、それは端的に言えば全ての人が形をなくし
完全に一体となるものでした。

 しかし主人公はそれを否定します。そしてまた人と人が形を持ち触れあう世界
が形成されました。

 エヴァのファンの人たちは、「人類補完計画」に対して、肯定的な意見を言う
人が少ないようです。「エヴァ」の世界を元にした小説がネットで色々出回った
ようですが、「人類補完計画」が発動し、人類が全て一体となって終わる、とい
うものはないようです。

 まあやはり人間は形を求めるものだなと、そして少しは形がなくなり、全てが
一体となった世界を肯定的にとらえる人がいないものかと私は感じました。

 仏教では三千大千世界といって、人間界だけでなく無数の世界があると言いま
す。そして、高い世界に行けば行くほど、形というものがなくなっていきます。

 形があるのは、それが必ず壊れ去ることも同時に意味します。そして形がある
と、自分と他人の区別が生じます。
 しかし形がなくなってしまえば、壊れ去ることもないし、全てが一体となりま
す。

 瞑想が深まっていくと自分と他人という識別が意味をなさなくなってきます。これは観念的にそう感じるし、また肉体の感覚が変わってしまい、意識が空間に溶け出していくような経験をしていきます。そういった経験を重ねていくと、自分と他人を分けていることの無意味さを痛感します。

 私は「THE・END・OF・EVANGERION」を見ていて、「人類補完計画」が発動し、
全てが一体となっていく場面を見て、大きな至福感を感じました。全てが一体と
なっていく過程で肉体は死を迎えますが、魂は本来の状態に至るのだと、そのと
き感じたのです。
 それに「人類補完計画」発動の場面は、否定的に描かれていたとは私には思え
ないのです。庵野秀明は表面的には意識していないかもしれませんが、全てが一
体となることを肯定的に表現しているとしか、私には思えないのです。

 だから結局主人公が形ある世界に戻ってしまった時は、がっかりしたものです。まあ「人類補完計画」は黒幕である「ゼーレ」の老人達のエゴであったとも言えますから、失敗に終わったのもある意味当然ですが、形ある状態に戻って終わったのは、少々がっかりしました。
 しかし、「人類補完計画」発動の場面では、美しい音楽と映像が使われて、私
を魅了しましたが、ラストシーンでは物議をかもしだした、「気持ち悪い」の台
詞で終わっていることからも、どうも庵野は「人類補完計画」は悪で、それが失
敗して良かった良かった、と言いたいとは私には思えないのです。

 わたしは自分は自分、他人は他人よりも、わたしもあなたも区別がないという
世界を望みます。それはすぐに実現しないでしょうが、いつの日かその日がくる
ことを願って、日々を過ごしていこうと思っています。

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