一即多、多即一

一即多、多即一

己を見つめる


いています。ですから自分自身のことをわかっているようで、案外理解してい
ません。

 無意識の存在を否定する人は少ないと思いますが、私たちは無意識の働きで動
かされていると言えます。そこで、こうしたくなのだけどついしてしまうとか、
こうしたいけどできない、ということがおこります。例えば禁煙をしようとして
も、しばらくはいいのですが、気がゆるんでしまうとつい一服ということになっ
てしまいます。

 この無意識の中には、いろいろな要素がたくさん詰まっています。それを普段
認識していないわけですが、何かの拍子にひょいとでてくるのです。そこで自分
は何であんな事をしてしまったのかと考えたりしますが、それは無意識のなせる
技です。

 私の知り合いで瞑想をやりすぎて深い意識に入り込んでしまった人がいて、そ
の人はいきなり自分の周りの床を拭く仕草を始めました。掃除をよくする人だっ
たのですが、自分は掃除をしていると思ったのですね。そこで掃除をしているよ
うな動作をしてしまったのです。端から見ていると滑稽ですが、当人は真剣その
ものでした。

 瞑想を安易にやると危険とされる一つの理由がここにあります。潜在意識に入
り込んでしまい、どのようなものが出てくるかわかりません。それに翻弄されて
しまうと、なかなか大変なのです。ですから深い意識の状態を把握している人の
指導が欠かせないわけです。

 しかし、私たちの無意識の中には、悪いものばかりあるわけではありません。
本当に素晴らしい、私たちを利するものがあります。
これを真我といったり、仏性といったり、タオといったり、ハイアーセルフとい
ったりしています。これらは微妙な違いはあるかもしれませんが、私は本質的に
は同じものを指しているのではないかと感じています。

 瞑想は自分自身をしっかりと見つめ、深い意識の底にある私たちの本質に到達
していくことです。あまりにも急激に潜在意識に入り込むのは危険性を伴いますが、外側に向きがちな意識を内側に向けていく訓練をしていくことは、現代人に
とって大切なことです。それを行っていくことによって、私たちにとって大切な
ものは外側でなく、実は内側にあることに少しずつ気づいていくことでしょう。

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