かにさん改めてそんちゃん。自適に生きる方法の模索

かにさん改めてそんちゃん。自適に生きる方法の模索

羅針盤


幸福な人間関係 創造的に生きる。

 人の幸福とは成功と人間関係にかかっていると言っても過言ではない。人との出会いほど大事なものはない。

 一生の間に父母に出会い、配偶者と子に出会い、師匠と弟子に出会い、先輩と同僚に出会う。

 出会いを通した人間関係が、人を幸福にも不幸にもさせ、成功や破滅をもたらすことがある。

 よい人たちとの出会いは美しい縁を結び、幸福な体験をする場合が多いが、悪縁に巻きこまれて破滅することも少なくない。

 美しく幸福な人間関係をつくるには、何を念頭に置くべきか。まず他人と自分は異なると言うことを認めることだ。何事も自分の方法で解決しようとするなら、必ず衝突が起きる。自分と他人の差は自分を豊かにしてくれる要素にはなるが、破滅の種ではない。何事も自分の考えで処理しようとする人との出会いは私たちの人生を荒廃させ、無味乾燥にさせる。

 生活の便利さだけを追い、自然の生態系を無視した無分別な開発で20世紀は結局、人間生活を破壊し、環境災害を引き起こしたではないか。自然生態系の法則は人間生活を便利にするための開発政策と利害が本質的に異なる。

 女性は男性と異なり、他人は自分と異なる。異なる性格を抹殺しない社会と世の中が、幸福で豊かな人生を約束する。自分と異なるのは悪と規定し、それを消そうとする根本主義的イデオロギーこそ、この世で精算すべき悪なのだ。私とあなたが美しい人間関係を形成できるのは、私とあなたが異なるからである。

 また、私たちは創造的に生きるのであって、競争しながら生きるのではないことを悟らねばならない。他人に引けを取ることを恐れあまり、人はしばしば破壊する。競争心が心を占領すると、自分自身に固有の霊感を失い、むなしい猜疑心(さいぎしん)にとらわれる。競争心は常に自分と他人を比較し、自分に対する愛を奪い、自らの貴重な才能や素質をも破壊してしまう。

 他人と競争するのではなく、自己の才能と素質を啓発して、創造的に生きることだ。他人にないものを自分が持っていることを認めよう。それによって豊かな人生が送れるのである。

             趙 金庸 基

2003/07/12(Saturday)
心配する人間、、、、不安がもたらす早期死亡

最近まで全世界は重症急性呼吸器症候群(SARS、サーズ)の急速な拡散に恐れおののき、まだその恐れは消えていない、しかし、人間の生命を奪っていくのは、サーズのように目に見える疾病や戦争だけではない。

 無用な心配や不安こそ、私たちの生命を脅かすもののひとつである。

 第二次世界大戦当時、戦争で死んだ米国青年の数は二十余万人なるという。しかし、米国本土では戦場に送った子供たちを心配し、戦争による精神的ストレスによって心臓麻痺で死んだ人の数は百万人を超えた。

 戦争で銃弾によって死んだ人の数よりも、心配と不安が殺した人の数がはるかに多いということである。今日の医師たちは、肉体の病のうち75-80%は心因によっておこると言っている。心配と不安が肉体の病と早期死亡をもたらすのだ。

 哲学者のハイデッガーは、人間の根本状態を「煩い(わずらい)」と規定した。すなわち、人間は具体的な理由があるときだけ心配し、不安がる存在ではなく、常に煩い、心配するようになっている存在なのだ。

 従って、心配や不安は、私たちが意識的に抜け出そうと努力したり、薬を飲んで治療したからといって、除去されるものではない。運命論的にあきらめるからといって、解決される性質のものでもない。

 しかし、幸いに人の心配はその容量に限界がある。新しい心配事がおこると、古い心配はいつの間にか消え去るのだ。すなわち、心配がなくなるのではなく、他の心配に入れ替わるのである。

また、人は本能的に心配する野獣と異なり、良心的で高尚な心配をするが故に、はじめて人であるのだ。
不用な心配や不安に染まった人生は、怪しい病気にかかって死んでいく人のように不幸なだけだ。
良心的で高尚な心配もなく、ただ平安なだけの人生も、動物の世界と異なることはないので、決して幸福な人生とはいえない。

 真に幸福な人生のために、今の心配を点検して、高尚で永遠のものに対する心配に代替すべきではないだろうか?自分自身のよりよい
明日のため、深い煩いと苦悩に向き合う姿は、確かに美しいものである。


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