たからくんが大人になるまで生きていたい日記

たからくんが大人になるまで生きていたい日記

タイトル「空室あります」


「空室あります」



 六畳一間のアパート。住人は、一階に二人、二階に二人、総勢四人。こぢんまりとしている。ドアや郵便受けの前で顔を合わせれば、挨拶はするけれど、顔を覚えるほど頻回ではない。だから私は、誰の顔も名前も覚えていない。
 先日、一階の男の子が引っ越して行った。荷物を運び出す物音や人声がして、やがて静かになった。翌日、通路に四つ並んでいるガスメーターの一つに、住人がいないことを示す札が取り付けられていて、やっぱり引っ越しだったんだなと思った。
 私には、このさらりとした人間関係が心地よかった。住まいは静かな方がいい。住まいは平安な方がいい。でも、時計の針以外は何も動くもののない部屋。
 ある日、食器店で、ガラスの醤油さしを見つけた。私はその器に醤油の色が似合わないと思った。透明なガラスはシンプルな釣り鐘型。側面上部に蛸の口のような小さな注ぎ口がついている。真上には小さな穴があり、そこにゴルフのティーのようなガラス棒を差し入れて栓にする。ガラス棒の上に青いガラスの玉がついていて、それが唯一の色だった。内部が洗い難いし、醤油さしとしては実用的ではない。それに、醤油の色が青いガラス玉の色を殺してしまう。何なら似合う? そうだ、メダカだ。メダカならこの器にふさわしい。私はそう思った。
 醤油さしを持って、熱帯魚を売る店へメダカを買いに行った。メダカはいなかった。メダカくらいの大きさで、生き餌として売られている、一匹二十円のアカヒレという魚を買った。「こんな狭いところで飼うなんて、かわいそうですよ」と、体の向きも変えられないような水槽にアマゾンの巨大魚アロアナを飼っている店の人は言った。私は何だか可笑しかった。
私は買った魚を「うちのメダカ」と呼んだ。
それからは、出窓の真ん中で、小さな「うちのメダカ」が時計の針とは違う動き方で動いていた。小さな空間で、ゆっくり泳いでいた。
「ただいま」。そう言いながら、私は彼を流しへ連れて行く。彼にとっては一日に一度、天地がひっくり返る時間だ。
小魚を掬う網に醤油さしの口を傾ける。彼の全世界が流れ出る。彼も一緒に流され出る。彼の体は恐ろしく広い空気に曝される。人間なら、宇宙空間に放り出されたような恐怖だろうか。私は手早く試験管を洗うブラシで瓶を洗って、天辺の穴に漏斗を挿す。網を裏返して、彼を漏斗に乗せ、汲み置きしてカルキを抜いた水を彼の上から流す。スコールだ。いや洪水か。やっと出窓の定位置に穏やかな世界が再構築され、つまようじの先を耳かき状に削ったもので、天辺からエサを降らせる。
 彼はそんな自分の環境をどう受け止めていたのだろう。
 本を買って、彼が住める水温を調べた。小さなアパートの夏は、外出から戻ると大変暑い。彼の世界がお湯になってしまわないように、毎朝、ユニットバスの洗面台に水を張り、一滴ずつ水道の水を落とし続けた。その中に彼の全世界、醤油さしを浸す。彼は、ガラスの向こうの水へ、泳いでいきたかっただろうか。でも、そこにはカルキがいっぱい入っていたんだよ。
 冬の明け方は零下になることもある。私はもらい物の林檎を包んでいた白いネットを断熱材代わりに敷いて、その上に毎晩一つずつ使い捨てカイロを置いた。彼の世界はその上だ。きっと彼は、夏は涼しく、冬はほんのり暖かいものだと思ったに違いない。
 私が留守にするときは、困った。水が腐るから、多めにエサを入れておく訳にはいかない。体が小さいから、食いだめも出来ないだろう。落っことして醤油さしを割ってしまわないように、私はビニール紐でネットを作って、首からぶら下げた。なるべく揺れないように、波立たせないように、首からぶら下げた瓶を手で大事に持ちながら、私は何度も彼と飛行機に乗った。実家に帰省する行き帰りや九州の友人を訪ねたときも、彼とエサと水換えセットを持参した。
 彼との別れは、帰省していた実家での朝だった。透き通っていた彼の体がしらす干しのように白くなって浮いていた。
 決して恵まれた環境ではなかった中での、一年と少し。よく生きてくれたな、と思った。小さな私の部屋の、小さな彼の部屋。制約のある環境の中の、制約のある彼の世界。
 彼のいなくなった醤油さしは、今も出窓の林檎ネットの上、いつもの場所にある。水が抜かれて、主の居ない醤油さしは、本当に魂が抜けたように、ただあるだけだ。
 そのままにしておこう、私の心にも空室ができるまで。急がなくていい。次の入居者はまだ探していない。






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