たからくんが大人になるまで生きていたい日記

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タイトル「ピンポンダッシュ」


「ピンポンダッシュ」



 ピンポンダッシュという言葉を覚えているだろうか。ピンポーンと知らないお宅のチャイムを押し、家人が返事をする前に走って逃げる。子供の悪ふざけだ。
 実は、神社の鈴や仏壇のお鈴を鳴らすと、ピンポンダッシュをしているような申し訳なさを感じてしまう。
 昨年初めて沖縄を訪ね、現地の友人に多くのものを見せてもらった。沖縄には魔除けの唐獅子シーサーが、屋根瓦や塀の上、門など、至る所にいる。
「うーとーとーしてる子が居るよ。かわいい」と友人が声を上げた。土産物屋に並べられた、胸の前で手のひらを合わせているシーサーだった。
「うーとーとーって何」
「お祈りするときに沖縄では『うーとーとー』って唱えるさぁ」
 私は祈りたい気持ちになることが多いのに、どう祈っていいのか分からなくていつも困っていた。
 それぞれの場所に祈りの流派があって、各派閥が互いを否定する。
 南無という言葉が帰依するという大事な約束の言霊だと知ったのは中学時代だった。当時プロテスタントの日曜学校に通ってみた。アーメンも簡単に発することのできない言葉だと知った。そこに一番大切なものを託す人が居るのを見たからだ。
 私はとても不自由になった。神社へ行っても柏手を打てない。神様に出てきていただいても、何と言っていいのか分からないからだ。お仏壇に、手は合わせられるのだが、お経を唱和するのは辛かった。心を寄せれば寄せるほど言葉は不自由になった。
 沖縄旅行から戻りしばらくして、友人が本を送ってくれた。その本には、沖縄独特の言葉や文化について、脚注がつけられている。
「うーとーとーとは『あな尊し』の意味」
 大きな息が漏れた。「あな、尊し」。足を縛られたかのような私に贈られた翼。全てに許される嘘のない祈りの言葉。
 新しい翼が体になじんだころ、ドライブに出かけた。
 街からほんの一時間走っただけで。そう驚くほどの美しい神社だった。華美ではないが、多くの人の気持ちが積み重なって今の姿があることを、手水所のタオルの白さなどから感じられる、そんな美しさだった。
 カランカラン。私は遠慮がちに鈴を振った。今日こそはピンポンダッシュじゃない。逃げ出さずに手を合わせた。ちょっと放蕩娘の帰宅みたいだ。ご無沙汰の無礼を詫びて改めてご挨拶をした。明るい日差しが降り注いでくれた一日だった。




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