たからくんが大人になるまで生きていたい日記

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タイトル「ちゃんと臆病」


「ちゃんと臆病」



 英語が苦手なのに、一人でマレーシアの島へやってきた。もちろんマレー語は全く分からない。
 ティオマン島のニパという浜に小さな小屋を借りた。目の前は見渡す限り海と空。周囲を散歩してみると、浜辺から奥は、すぐに深いジャングルが始まっている。
 旅を始めてからずっとびくびく怖がってばかりだった。片言の英語で、タクシーはちゃんと連れて行ってくれるだろうか。この人は強盗に変身しないだろうか。眠っている間に、強盗が押し入ってこないだろうか。ひと晩明けてはほっとして、自分の臆病さを自分で嗤う。そして、気を取り直してバスターミナルへ、国境へ。島への船を探し、宿を探す。何をやっても片言英語では十分に理解できないまま、えいやっと決断する。そうやって、ニパの浜辺へやってきたのだ。
 到着した日は、波打ち際をひとりでずっと眺めていたが、海に入りたいとも、足だけでも波に濡らしてみたいとも思わなかった。シュノーケリング用品なども宿で借りられるらしいのだが、これ以上英語で、何時頃どの辺りを泳ぐと良いのかと質問を始める気になどなれなかったので、ただ小屋から海を眺めているだけの一日が暮れた。
 翌朝十時頃に起き出してみると、潮が引いていた。浜は想像以上に遠浅で、沖へ沖へと道のような洲が続いていた。踝や膝あたりまでの水嵩で他の人たちが遊んでいる。底の砂や死サンゴの破片がよく見えた。
 遅く起き出した私に、他の人たちがハーイと笑顔で手を振って目の前の浜を行き来する。ひとりの女性がおいでと手招きをするので付いて行くと、大きな切り株に十五センチほどもあるクワガタムシがいた。私は驚いた顔と笑顔で彼女に感謝を伝えた。
 言葉、説明、マニュアルによって、お手軽に短時間で何でも分かろうとすることに慣れっこの私はせっかちで、人を信用するのも、海と親しくなるのも、すぐに出来ないと臆病だと自分を否定した。でも、もしかしたら臆病で当然なのかもしれない。出会って軽口を交わしたら、それですぐに友達だなんて、その短絡さの方が不自然だったのかも、と、この島にいると思うのだ。
 私はその後数時間を、ただ手を振ったりにっこりしたりしながら、思い思いに浜辺で過ごす人たちや、海底の岩の形や洲のできる位置を眺めていた。
 潮が戻り、また海面しか見えなくなってしまったけれど、何だか昨日より心地良い。言葉は交わさないが、海は私に少しだけお腹を見せてくれたので、私は浮き輪に掴まって午後の数時間を波に揺られて過ごした。
 そうなんだ。海に会いに行くときくらいは、言葉を置き去りにしよう。こんな風に少しずつ互いを見せ合えばいい。そして思い出すのだ。人を信じるときだって、本当はこんな風に手探りなんだってことを。






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