たからくんが大人になるまで生きていたい日記

たからくんが大人になるまで生きていたい日記

タイトル「商売人」


「商売人」



 東京ディズニーランドへ何度行ったことがありますか。
 私は多分二十回程だろうか。
日本経済がバブルの絶頂にあった頃、営業マンとして社会に出た。商品知識を一ヶ月の研修で詰め込んだ後、二ヶ月間の新人レースが始まる。飛び込みで売る。三百万円のノルマだ。いただいたお名刺をコピーして壁に貼っていく。初受注をあげると社内全館放送がかかった。名刺コピーの棒グラフ、売上高の棒グラフ。
 その新人レースが明日から始まるという日、営業部の新人が一部屋に集められた。前日までの研修では新人だけしか居なかった部屋に、今日は時間に余裕のある先輩方も座っている。何かのビデオを観るらしかった。
 尋常小学校を卒業する時期、当然進学させて貰えると思っていた大店の息子に、天秤棒に鍋ぶたを担いで売り歩くよう、父が命じる。だが頭が高くていつまでも売れない。姑息なことやみっともない姿であがき続け、ようやく奢りを捨てられたとき、やっと初めて買って貰えたという内容だ。まるで道徳の教育番組。周りの新人たちもカッタルそうだ。勘弁してよ、今どき流行らない。
 しらけていた私は心底驚いた。こんなビデオを観ていい歳をしたおじさんが涙を流している。いつもはクールな、憧れの先輩までも、微かだが目を潤ませていた。どうして。鈍くさいおじさんだけなら分かるけど、こんな有能な先輩まで。カッコワルーイ。
 その翌日、とうとう新人レースが始まり、二ヶ月間。胃潰瘍で入院した人もいた。二十二センチのパンプスで入社したはずの私もマメや靴擦れを作って、二十四センチのローファーでレースを終えた。
 それから四年後。少ないながら後輩を持つ身となった私に彼らの研修に同席するタイミングが訪れた。もちろん同じビデオを観たのではないが。
 東京ディズニーランドを立ち上げた方の講演をカセットテープで聴いた。研修最終日の午前中。広い会場に動くものはほとんどなく、ただテープから流れてくる声に耳を傾ける。二時間近く。私は話に引き込まれ、いっしょに考え迷い、そして涙した。私が引率した、まるで大学生のままの後輩は聞き漏らさずに受け取ってくれているだろうか。会場の前方に目をやる。見事に。二人とも居眠りをしていた。ああ、もったいない。がっかり。
 そして、かつての自分を振り返った。今思えば、あのビデオは即効薬ではなかった。営業の現場で毎日を重ねて、初めてあの内容の意味がしみじみと理解できた。同様にこのカセットテープもいつか、彼ら個々の道程で深い意味を持って思い起こされることもあるかもしれない。私が商いとは何かを教えてもらった「あの日」のように、今日という日も彼らにとっての大きなプレゼントにきっとなるだろう。そう思った。
 テープで話を聴いて以来、機会がある度に東京ディズニーランドを訪ねた。働く人の動きや服装、設備の一つ一つから計り知れない情熱の跡を探す。夢の世界という設定であるから、自動販売機を置かず、しかし不便さを感じさせないように、その分飲み物販売カートを配していること。日常感覚に引き戻される一瞬を作らないために、ホテルやオフィスビル、マンションといった外の建築物は、たった一つでも施設内からは視野に入いらない低さに押さえて設計して貰いたいと、周囲の他業種と一つ一つ交渉を重ねていること。ジェットコースターは屋外にただ据え付けられて居るのではなく、それぞれに物語設定を伝える景観が設計されていること。そして、アトラクションを待つ行列のために、期待感を損なわない努力を配した構造物があること。行列するためだけの建築物だ。
 何の配慮もなくただ屋外に行列させられることに慣れていた私の目に、お客様の期待を越えようとする商売人の、満足こそ商品というストイックなまでの自戒が、構造物の形をとって眩しく飛び込んでくる。
 ディズニーランドが全てに成功しているとは思わない。だが、社会人の視点で行列していると、いつも何かしら新しい配慮を発見できる。そして、商売人にとっては、満足して貰おうと努力し続けることこそが商品なのだと、私を海抜ゼロ地点へ立ち返らせてくれる。




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