おとなカレッジ

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初めての妊娠 5ヶ月まで

人生最初の波乱の幕開け!えーん *二人目マタニティーライフの日記は コチラ

2003年春、それは突然やってきた。
1月のポルトガル旅行を終え、春には久々にアメリカの友人に会う計画だった。 「今年は海外旅行三昧をする」と年頭に誓い 、バイトでせっせとお小遣いを稼ぐノリノリの時期であった。毎日、マウンテンバイクでバイトに通い、重いものも持ち、大好きなお酒も毎晩飲んでいた。

3月の中旬くらいから、 とても眠くてたまらなくなった。 「春眠暁を覚えず」というものの、2回もバイトに朝寝坊して遅刻してしまった。さすがにバツが悪くなり、「最近やたらと眠いんですよぉ~」なんて茶化してみたら、 「それって妊娠じゃないの?」 と独身のバイト仲間からの助言。「言われてみれば、生理も遅れてるかも」そう思って、帰りに早速薬局で検査薬を購入した。結果はバッチリ陽性!かすかどころか、クッキリとブルーのラインが浮かび出た。

一瞬、複雑な気持ちになった。嬉しいよりも、 「妊娠してしまったー!好きな事が出来ない、痛い出産、育児大変、ノイローゼ」 などなど、マイナスなイメージが怒涛のごとく脳裏を駆け巡った。気を取り直して、近くの産婦人科で内診をしてもらう事にした。今ではすっかり馴染みの産婦人科も、うら若き女性には敷居が高いのである。

検査は簡単な内診とエコー撮影で数分くらいで終わり、ドキドキしながら結果を待つと、ムツゴロウさんのような雰囲気の院長先生が、開口一番 「妊娠5週目です。産みますか?」とおっしゃった。 私は、ドラマでよくある「おめでとうございます」を期待していたので、非常に面食らった。「私って、はずみで出来ちゃった独身女性に見られたの?それとも、経済的に余裕のない夫婦?」と思ったものの、 「はい、産みます」ときっぱり応えた。 そうすると、にっこり笑って「おめでとうございます」と言ってくださった。

その後は、予定日とこれからの健診の予定などの説明があり、ドキドキの産婦人科デビューは幕を閉じた。最終月経の初日から予定日を算出するのだが、私の場合、どうもずれていたらしい。赤ちゃんの大きさから考えて、予定日が決められた。
エコーに写った、生まれたての命の写真を見て涙が出てきた。先生の一言は私に 「この命を大切に育てなさいよ」というメッセージだった と思う。早速、主人にメールで妊娠の事実を伝えた。 返信は、「おめでとうママ!がんばろうね」と書いてあった。 嬉しくて、また泣けてきてしまった。

2週間後、今度は血液検査などで少々痛い思いをする。エコーでは順調に育ったベビーの姿を確認できた。この頃、ツワリというか、空腹時にムカムカするようになった。おまけに、 今まで大好きだった、コーヒー、パン類、卵、牛乳が全くダメになってしまった。 コーヒーは臭いもダメで、しばらくバイトを休む事にした。

4月は最悪だった。ドラマのような「オエェ」と言うのはさすがになかったものの、毎日何となく身体がだるいし、食欲はないし、でゴロゴロする日々が続く。ちょうどプレステ2が発売になったので、暇つぶしに始めたFFXにはまる。実母からは、「病気じゃないんだから身体を動かせ」コールが始まった。でも、 やる気、体力、すべて下降ぎみなので、さすがの楽天的な私もウツウツとした日々を過ごす。 この頃、イラク戦争が始まり、SARSだの通り魔だの物騒な事件が相次ぎ、ますます外出したくないモードになる。

よく、ツワリの時期に酸っぱいものを食べたくなると言うが、私の場合はコロッケだった。 突然「ポテトコロッケが食べたーい」 と思うと、いてもたってもいられず、お惣菜コーナーに走った。なぜ、コロッケなのか・・・。アメリカの友人は、ツワリなどかからず、アイスを食べまくったと言っていた。アメリカらしいやね。

さて、このツワリも5ヶ月に入った頃にピタリとおさまり、突然気分爽快になる。無理しない範囲で、何でも出来る時期なので、近くのプールに通うことにした。妊娠中は体温が高くなるので、プールでの運動は非常に気持ちが良かった。汗も気にならず、呼吸法の練習もできるので、 妊婦にはオススメの運動 である。このまま、順調に6ヶ月を迎えるのであった。
babu4


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