メキシカン・アメリカンな暮らし

メキシカン・アメリカンな暮らし

100%いい嫁を目指すが為に




一時期、私のなりたいものが“100%いい嫁”であった。
何だか小さい希望のようだが、私には手を伸ばしても届かない高嶺の花のような願望である。
そうだと知りつつも、特に嫁になりたての頃は、お姑ごんに気に入られるように何もかも一生懸命努力したものだ。
家事にしろ、作法にしろ、日常生活の当たり前のことまで、まるで完璧主義者でもあるかのように神経を使った。

部屋の隅に落ちた髪の毛一本も許さないほどに掃除は徹底したし、台所ではメキシコの料理を習得しようとがむしゃらに練習した。
それから、英語もままならないのに、お姑ごんの母国語であるスペイン語までも必死に勉強し、弱音を吐かない強い嫁を目指し、歯を食いしばったことも何度があった。
そうしていくうちにやがて、ほんのちょっとしたミスも許せないくらいになり、自分のミスや自分の中の弱点を見つける度に極端に愕然としたものだった。


そしてある日、そんな自分にとうとう疲れてしまったのである。
アメリカに来て間もない頃だったからか、お姑ごんだけでなく、誰にも受け入れられない様な気がしてならなかった。
ちょっと外に出れば、「ガイジン扱い」に疎外感さえ感じ、「言葉の壁」に誰にも真の意を理解されない葛藤にもがいた。
だからせめて、私はお姑ごんには自分を受け入れて欲しかったのである。
それは、誰かに自分を受け入れさせることによって、家の中でも「ガイジン扱い」や「言葉の壁」の問題に正面きって対面しなくて済むように、、、。
そう気付いた瞬間に涙がポロポロと次から次へとこぼれ出てきた。
悔しい、寂しい。
そんな思いが涙に混じってやっと開放された様な気がする。
おそらくこれがアメリカに来て一番最初の悔し涙だったのではないだろうか
と思う。


いつのまにか側に居た夫が言う。
「Nobody is perfect.」
そうだ、この世に完璧な人なんて居ないのだ。
100%を目指す余り、そういう当たり前のことにも気付く余裕さえ無かったことがとても悲しかった。


きっとこれからも、拒絶・疎外感を感じる瞬間、そして言葉の壁が目の前に立ちはだかり続けるだろう。
けれども、誰も一気に越えることなんて出来っこないのだ。
例え、もがくことから逃れたくとも、一つ一つ岩を登るように努力していかなければならない。
その途中、例え障害に打ちのめされそうになっても、私は私らしくマイペースで頑張ればいいのだ。


お姑ごんは相変わらず批判・否定を繰り返す。
でも一つ変わったことは、前よりも褒めることが多くなったことだ。
そして、私にもそんな批判・否定を笑い飛ばし、賞賛を貪欲に受け入れる余裕が出てきた。

今では、「スペイン語を余り喋れないが、いい嫁」で、お姑ごんの言う、「メキシコ人ではないが、実の娘のような嫁」であることに少し誇りさえ感じるようになった。
例えそれがお姑ごんの表向きの言葉であったとしてもだ。

勿論、批判・否定が無い評価に越したことはないし、
お姑ごんが本気でそう思ってくれるならそれに越したことはない。
けれどそんな人の評価よりも、実は、「私は私らしく」という姿勢や信念が
どんな時も一番大切なのではないかと思うのだ。



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