サヨコの土壇場日記

想い幾重にも

想い幾重にも


 夏が終わろうとしている。まだ蝉がうるさいが、日暮れれば虫の鳴き声だ。

彼らは誰に教わらなくても、秋を知っているのが不思議だ。

それにしても『美月』のママである彩にとっては頭の痛い問題が起こった。

ゆき子が最近、つとに美緒とトラブルのだ。

 昨日もゆき子が切れた。

もっともゆき子の我が儘ではあった。

我が儘な娘ほど、不思議な魅力があるらしく

客までがゆき子の言いなりである。

「ママ、美緒がやめなきゃ私がやめる!」

女の子の「店をやめる」という言葉は、経営者に対する脅しだと彩は思う。

客を連れて他店へ移るよという宣言なのだ。

元々の『美月』の客は、そのうちには戻ってはくるけれど。

「ママ、ごめんな。ゆき子に振り回されちゃったよ」と。

そう言う客はましなほうだ。

「ママのせいでゆき子に振り回されて大変だったんだぞ」と

責任をこちら側に転嫁されることまであったりする。

今のところは、美緒に我慢させるしかない。

ゆき子の言いたい放題を一時的に許すということだ。

暮れの忘年会で忙しい時期の前までには、新しい娘を探しておこうかとも思う。

探せたら、トラブったらば、ゆき子をクビにしよう。

一番良いのはゆき子と美緒、二人を競わせ続けることなんだけどなあ。

店の中のどちらが女王でありつづけるために、

必死で客を呼ぶ合戦を続けてもらうのが得策というものだ。

しかし、美緒には欲がない。

欲のない美緒にも不思議に客が群がる。

そこがゆき子の神経を逆撫でるのであろう。

女の子を使う立場として頭の痛いところだが、

そこを上手く操縦してこそがママなのだと自分に言い聞かせる。

 そろそろ着物も秋物に変えなきゃね等と考えながら店へと歩く。

通りはスリットの極端に深い中国服の女が点在している。

急に中国系のパブが増えたのだ。

夜の街は、一時、流行った韓国クラブが蝕されて中国パブに代わって行った。

韓国クラブは料金が馬鹿高かったから

バブルがはじけたときは当然の成り行きだったのだろう。

しかし、「失われた十年」といわれた時を過ぎた今、

中国パブは日本人の店をも侵食しつつある。

日本人の店が潰れた後は、必然のように中国人のママになる。

通りの左右から、まるで怒鳴りあうような中国語が行きかう。

日本人には通じないだろうと信じての、道をへだてた大声会話なのだ。

奪い合うのはスケベな日本人の客である。

「どこの国かしらね、ここは」

ミニチャイナタウン化していく駅前繁華街を

彩はためいきをつきながら歩く。

そういえば、彩の店のビルも中国パブが増えた。

「彼女たちの良さはどこ?」

彩も顧客に聞いたことがある。

「僕らの若い時代の女の子に通じる気性があるんだよ。懐かしいような。

今の若い娘にない素朴さとかね。

中年女性が韓流男優に熱をあげるのと一緒だろう」

文革で世界に遅れた50年が、日本の夜の街ではそのように受け止められるのか。

ひたむきさと必死さは、日本の男たちに優越感を与え

彼女たちを守りたいという気持ちにさえさせるというのか。

侮れない敵である。

エレベーターを降りたフロアに4店舗が並んだ飲食店集合ビルに『美月』がある。

斜め前の店が半年前に『麗華』という名前になったとき

同じ中国系の店かと、飛び込んでくる客があったりすると

店の名前をつけ間違えただろうかと苦笑いをする。

『美月』は十七年前からの老舗店舗だ。



「おはよう」と重いオークス製のドアを開けるとカランとカウベルの音がする。

店には見慣れない女が彩を待っていた。

「おはようございます、ママ。

こちらは前にいた由紀さんのお友達だそうです」

美緒が言った。

ゆき子が入店したときに、店の客が「あれ、二代目由紀ちゃん?」と、戸惑った。

「私はひらがなのゆきです」とむくれていたゆきが

「由紀って子もこういう感じの人だったんだあ」と、ぼそりとつぶやく。

女は、はすっぱと言った方がはやい。

原色のTシャツにGパン、ヒカリモノをじゃらじゃらとさげた赤毛の女が

「みどりです」と名乗った。「はじめまして」の挨拶もない。

「由紀は目黒のお嬢様だわよ。お母様が迎えにいらしたわ」

ゆき子の耳元で彩はささやいたつもりだったが、

聞こえてしまったのか、みどりは言う。

「今日、その目黒のオジョーサマに会いにいったんだけど、

お金貸してくんなくてさ。お金持ちってケチだね」

酒とタバコで潰したがらがら声でそう言った。

「は?」

彩は戸惑った。

「だからぁ、ここで雇ってくんない?

20万くらいバンス(前貸し)があると御の字なんだけど」

はい?

驚いたが、由紀のどういう友達なんだろう、目黒の自宅までおしかけて……

あれから由紀は元気にしているのだろうか?

彩が目を瞠って即答しないでいると、みどりはべらべらとしゃべりだした。

「由紀んちって大邸宅だったよ。おっどろいたなあ~。

中に入れてもらえなくてさ、駅前のファミレスで待っててくれってさ」

グリーンのアイシャドウでべったりと縁取られた三白眼がみひらいた。

「どうして由紀の実家がわかったの?」

彩でさえ知らないのに、いや母親から電話番号だけは聞いたが

訪ねて行こうなんて思ってもみなかったことだった。

「あたし、以前に由紀が店の寮を出てアパート借りる時の保証人になってあげたんだ。

そんときに、念のために聞いたら実家の住所を教えてくれてたからさ。

ここをやめて実家に帰ったって聞いたから、お金借りに行ったんだ」

悪びれもせずにそう言いながら、タバコを灰皿に押し付けて消し、

続けざまにまた一本を取り出した。

「住所だけで、一度も行ったこともない場所がわかるとはすごいわね」

彩にはとても不思議な気がした。

「だっさー。携帯のナビ使えば上等よ。

100万貸してって言ったんだ。最初はさあ、20万くらい借りようと思ってたんだけど

あの家を見たら100万くらいは、あちらさんには小銭じゃんと思ったからさ」

「借りられたの?」

「それがあ、由紀ったらファミレスで自分の自由になるお金はこれだけだからって

3万しかくんないの。ひどいっしょ」

みどりはいろんな訛りをごちゃまぜに話す。

「あ、バンス、そいうわけだから17万でいいや」

呆れてしまったが、彩はていねいに断った。

「ごめんなさいね。今、うちの店にはごらんの売れっ子が二人いて

他にもバイトの子もいるから人手は足りてるの。小さい店だしね」

断られると思ってもみなかったのか、みどりはきょとんとした。

「えー、今日からでも働きたいんだけどぉ」

「みどりさんっておっしゃったわね。

貴女、面接に来るときはちゃんと接客のできる服装で来るもんよ。

スーツかドレス。そんな穴の開いたGパンじゃお断りです」

聞き耳をたてていたゆき子がくすっと笑った。

美緒は遠くを見る目である。

「会社の面接じゃあるまいし、そんな気取った店ならこっちが働けないや。 おっじゃましました~」

ヒールの高いミュールをつっかけて、みどりはひょこひょこと出て行った。

「ひゃー、びっくりした。初代ユキちゃんて、あんな子と一緒に働いてたことあるんだあ。

一体、どんな店だろ」

面白がるゆき子に美緒が眉をひそめる。

奥からチーフが出てきて

「文学にだってエロ小説から純文学まであるじゃないか。

水商売だって同じさ。さしずめ、うちはエンターテイメント系恋愛小説かな」 と笑う。

「純文学に近いです」

美緒がむきになった。

「さあさ、ふたりの売れっ子さん方、営業、営業」

チーフの号令にゆき子が携帯を開きながら言う。

「私はあま~い恋愛小説が好きなんだけどさあ。美緒は?」

「私はミステリーの方が好きです」

「えー、意外。こんど面白いのがあったら私に貸してね」

ゆうべ、「美緒がやめなきゃ私がやめる!」と言ってたくせに。

「ねね、作家は誰が好き?」と美緒にじゃれるゆき子に

彩は戸惑ってチーフの顔を見た。

ゆうべ、「やめる!」を一緒に聞いたチーフも肩をすくめる。

自分の存在感をママに示したいだけの愚痴であったか。

もう少し彼女たちを上手に手繰っていかなきゃならないと彩は思った。

「いらっしゃいませ~♪」

低音と高音で妙にハモったふたりに、客の訪れを知らされた。

さあ、今夜もはりきっておもてなしをいたしましょう。



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