多数決社会の美

私が大嫌いな【多数決社会】である日本。
ファッションにしろ何にしろ、日本人の多くが皆、横に習え精神で行動を起こす事が昔から嫌いだった。

学校で先生が「次の自習時間は何をしましょう?皆さんで話し合って決めましょう!」てな事を言う。
そして、お決まりの多数決が行われるのだ。
全員一致ならば好いが、そんな事ほぼ皆無。40人クラスなら、35対5とかで、この35人の意見に残りの5人も合わせて同じ行動をさせられるという訳だ。

このシステムは、社会に出てからも早々変わらずで、そんな社会が嫌いで団体に所属した形ではなく、一個人としての主張がまかり通る道を自ら選んできた。
私が思うに、このような 多数決社会に長く染まり過ぎると、少数派に陥る事に恐怖感さえ感じる 人が多くなる。
まさに今の日本!

小学校で、他の子供達と違うランドセルを持っていると、それだけの事で虐めにあったりもするらしい。そんな虐めが恐くて、少数派に陥らないよう他と肩を並べようと努力する。
ア~!なんと悲しい現実!
人と少々違う物を持ったり、人と少々違う行動をとったりすると、瞬く間に後ろ指を差される社会。
こんな社会は余りにおかし過ぎる。

日本がこの不景気時期に以前ブランド花盛りなのも、何か一つ流行り出すと猫も杓子も同じ格好をするのも、自分自身に自信がなく【ブランド】という隠れ蓑を纏い、時代に乗り遅れては! 少数派にはならないでおこう と、必死になる傾向が存在しているからだ。
この根本にあるのは、全て【多数決社会】である。

【美しさ】の観念にしても、まさしく【多数決観念】の象徴。
日本ほど【美しさ】が単一化されている国もないのではないだろうか?
単一化しようとする為に、我々の本来持つ素晴らしい個性が失われていく。

マスメディアが余りにも一辺倒な外見美ばかりを持ち出し、日本国民一斉ダイエットみたいに猫も杓子も痩せましょう!
≪1週間で15kg減量成功!≫な~んて謳い文句の山!山!山!
≪使用前≫と≪使用後≫のドエリャ~差のある写真を並べ、
「ホ~ラ!こんなに綺麗になりました!」とか
「男性に見向きもされなかった私が、町を歩けば皆振り返り、声をかけてくるようになりました」とか

冷静に見て、
≪使用前≫の方が可愛い!なんて思う場合もある。
≪使用前≫の自分は・・・
この世の終わりみたいだ。
町で多くの男性に声をかけられる事が、「綺麗」の判断基準になる事もおかしい。
それなら、此処イタリアは「綺麗」の大安売りか!?

確かに、緊張感無くダラダラ・ブクブクでは【美しさ】どうこう以前の問題だが、普通に飲み食いして保っている肉体は、決して無理なダイエットを必要とするものではないと私は思うのだが・・・

世の中には多種多様の美があって当然であり、各々認められるべきモノなのだ。
世の中100人しか居ないとして、100人に認められる なんて有り得ない。
認められる という事は、決して の問題ではない。少なくとも一人 自分自身 が認めてあげていれば、それで充分なのだ。
そして自分以外にももう一人、その美を認めてくれる人が居れば、 その美は十二分となる 訳である。


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