パスターハリー(Pastor Harry) の書斎

パスターハリー(Pastor Harry) の書斎

旧約聖書の研究・詩編



1.名称と正典における位置
2.マソラ本文と古代訳
3.編集の段階
4.作者と年代     
5.詩編の類型について
6.詩編の神学的特色と教会の歴史に及ぼした役割

1.名称と正典における位置。
 ヘブル語聖書の詩編の名称は「ティヒリーム」である。この語はティヒラーの複数形。ティヒラーは「賛美の歌」の意味で145編の表題とされている。その外22:25、33:1などでは「さんび」あるいは「ほめたたえ」等に訳されている。
 古くは テフィラー という表題が好まれ、「祈り」と訳された。72:2に「エッサイの子ダビデの祈りは終わった」といわれている。ダビデの詩は本来祈りで17:1、86:1等にこの語が用いられている。個々詩編で多いのは楽器を弾ずるの意味で使用される。ミズモールで57回、声による歌を意味するシールは単独で14回使用されている。 英語のPsalmsという呼び名は七十人訳とラテン語からきたもの。七十人訳のバチカン写本の表題とルカ24:44ではψαλμοιとされている。ψαλτηριονは琴の意味。英語ドイツ語のPsalterはこれに由来する。
 詩編は新約聖書でもっとも多く引用されている旧約の書物である。ルカ24:44では「モーセの律法と預言書と詩編」と呼ばれており、正典第三部、いわゆる諸書の最初に印刷されるのが通例となっている。

2、マソラ本文と古代訳
 7~10世紀のころに完成したマソラ(=たぶん「伝承」の意味)本文を19世紀末の旧約学者は信憑性の薄いものと評価した。しかし、最近ではマソラ本文を重視する傾向が強い。古代訳の中で一番重要なのは70人訳。この70人訳とマソラ本文は少しずつずれている。
  マソラ    LXX(70人訳)

 1ー8    =1ー8
 9/10   =9
 11ー113 =10ー112
 114ー115=113
 116:1ー9=114 116:10ー19 =115
117ー146   =116ー145
147:1ー11  =146
147:12ー20 =147
148ー150   =148ー150
 古代訳ではBC250~150年頃に、エジプトのアレキサンドリアでギリシャ語に翻訳された70人訳(LXX)がもっとも重要。シナイ写本は詩篇の本文をすべて伝えている。バチカン写本やアレキサンドリア写本は欠けている部分がある。アキュラ、シュンマコス等のギリシャ語訳もある。ペシッタ(シリア語)、ブルガタ(ラテン語)が参考になる。

3、編集の段階
 150編の詩はもともといくつかに分れて存在していた詩集を集めたものである。そのような古い詩集の存在を示す証拠としていくつか挙げることができる。
 1)ダビデ集
   a,第1集(3ー41) 33を除く
   b,第2集(51ー72)66、67、71、72を除く
   c,その他(86、101、103、108ー110、122、124、133、138ー         145)
 2)アサフ集(50、73ー83)
 3)コラの子集(42ー49、84、85、87、88)
 4)都もうでの歌(120ー134)
 5)ハレルヤ集(104ー106、111ー113、115、117、146ー150)
 神の名による2次的編集
 これらの歌集は更に2次的な編集を受け、とくに神の名が手がかりとなる。
   3ー41編のほとんどの神名は「ヤハウエ」
   42ー83編のほとんどの神名は「エロヒーム」が多い。   
 1)ヤハウエ集(1ー41)
 2)エロヒーム歌集(42ー89)
 3)ヤハウエ集(90ー150)
 現在の5区分 モーセ5書にならって5区分されている。
 第1巻  1~41編
 第2巻  42~72編
 第3巻  73~89編
 第4巻  90~106編
 第5巻  107~150編

4、作者と年代
 詩の表題に出てくるダビデ、ソロモン、モーセ等の名前が必ずしも、作者を示しているだけではない。レ ダビデが「ダビデの」歌と訳されるが,lは英語のtoにあたり、「ダビデ(歌集に)に属する」「ダビデにちなんで」「ダビデの献げる」と解するのが妥当かと思われる。
 詩編の年代については、そのほとんどが捕囚時代のものと主張するものもいるが、あまり極端に走りすぎないほうがよい。神殿とその礼拝は捕囚時代前に300年間存在していた。そこで賛美が歌われていた可能性がある。詩編137篇において捕囚時代前に歌われた神殿賛歌に言及がある。 前述のような理由によって詩編のうちの相当数が捕囚時代前期に書かれ、また、あるものが捕囚時代、もちろん捕囚時代後期の作も多いことを拒むわけではない。

5、詩編の類型について 
 保守的な学者たちの多くは詩編の解釈を文法的、字義的な研究を主として救済史的に行なってきた。しかし、一方では早くからひとつの歴史的批評的研究の方法として「類型」が問題にされた。 この方法はヘルマン・グンケル(Hermann Gunkel)によって詩編研究に導入された。彼は一定の場でなされる表現は一定の形式をとるということを前提にして、詩編のいわゆる、「生活の座」を、原則としてイスラエルの礼拝や祭儀においた。彼の言う主要類型はつぎのようなもの。
 1、賛歌
 2、民族の嘆きの歌
 3、個人の嘆きの歌
 4、個人の感謝の歌
 5、霊的詩編
 のちにモービンケル(Mowickel,S)はグンケルの考えを更に押し進め、自らの方法論を「祭儀史的方法論」であるとして「ヤーウエの即位の祭」の存在を考え、詩篇の3分の1をこの祭と関係すると考える。
 またベンツェン(Bentzen,A)はスカンジナビア学派の「神王イデオロギー」の立場から詩編のほ とんどを「王の詩」と考え、死んでよみがえる神王と結びつく新年祭を祭儀の場として推察する。 ウァイザー(Weiser,A)は「ヤーウエの契約祭」を祭儀の場ととらえ、この祭りが王国以前の「契約更新祭」に起源を持ち、この祭儀の頂点を「神顕現」のドラマであると考えた。
 以上のような祭儀史的な方法論の一番の問題点は、このような祭儀がイスラエルにおいて実際に存在したかどうかである。一定の祭儀を想定してそこから多くの詩を解釈するのは危険を伴うと言わざるをえない。
 このような祭儀史的方法論に対して批判を下し、もう一度グンケルに帰り、グンケルの考えを批判発展させた学者がクラウス・ウエスターマン(Claus Westermann)がいる。彼は詩編そのものと類型を祭儀の場をさらにさかのぼって、人間の神の前における本質的な在り方を問題とする。彼は詩編が単なる祭儀的な歌集ではなくイスラエルの人生の深みからの「神にむかっての語り方」ととらえ、「神にむかっての語り方」の基本は「嘆き」と「ほめたたえ」であるとする。
 なお、詩編研究史の概略は左近淑「詩篇研究」新教出版社1971の序の部分をお薦めしたい。 また、細かい類型別の表としてはフランシスコ会「詩編」の末尾や浅見定雄「旧約聖書に強くなる本」等に記載されている。

6.詩編の神学的特色と教会の歴史に及ぼした役割
 詩編の個々の歌についてはその作者や年代を決定することは難しく、また、長い時代にわたって多くの異なった詩人によって書かれたものであるから、統一ある神学の体系を求めることは困難なことであろう。しかし「聖書全体の縮図」と言われる詩編の神学的特色の理解は大事である。
 松田明三郎は「詩篇」において詩編の宗教思想を次のように描いている。
1)神観: 神は宇宙の創造者(8:3ー4、89:11ー13、95:5ー6)であり、歴史の支配者(81:10ー、68:7ー、80:8ー)である。 また、諸国民の審判者(83:3ー、106:40ー) である。神の属性のうち正義と愛は世界統治の根本原則 (89:14、97:2) である。 
2)自然観:特に29、65、104編では神の力と知恵、恵みが歌われている。神の創造の業の 栄光は8編や、19編にもあらわれる。
3)人間観:世界のすべての民が創造者であり、支配者なるお方を礼拝し、賛美する事を求めてい る(2:11、22:27ー29、65:2、102:15)。また、神の永遠の存在に比べて人は草のようにはかない存在であること(90:1ー6、102:11、39:4ー6)が歌われている。また、神との交わりをすることのできる人間としてその霊交の喜びを歌った詩句(17:14ー15、16:8、11、23:6、63:1-4、73:23ー25、28)は随所に輝いている。
更に、罪観、苦難観、来世観、メシヤ観等について触れているが省略する。
 詩編はユダヤのシナゴグで歌われ、初代教会で、イグナチオス、ヒエロニムス、クリソストモス、アウグスチヌス、ルター、カルヴァンといつの時代においても愛唱されてきた。「もしも、詩篇の歴史が書かれるならば、それは教会の霊的生命の歴史であろう」(カークパトリック)。

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