パスターハリー(Pastor Harry) の書斎

パスターハリー(Pastor Harry) の書斎

詩編第11編



【はじめに】
今日は4人の兄弟姉妹が洗礼を受けます。三人は高校3年生。ひとりは小学1年生です。また、ひとりの姉妹が転入会をいたします。これは喜ばしいことです。一人の人が悔い改めて主イエスを信じ、救いを体験することは、人生の最高の喜びであり、天においても天使たちの大きな賛美がなされていることと思います。もしも、心の目が開かれるなら、天使の輝く笑顔が見え、賛美の声が聞こえることでしょう。ハレルヤ!
それと共に、今日は弾圧記念の日です。1942年、第二次世界大戦が始まって、約半年、東条英機内閣の下、われらの先輩たちは、厳しい霊の戦いを強いられました。今日はその弾圧記念聖会が午後2時半から当赤羽教会で開かれます。
信仰を全うすることは大変なことでもあるのです。それは命がけの出来事なのです。

【テキストの解説と概略】
今朝開かれました聖書箇所は詩編11編です。この詩編11編は「信頼の歌」に分類できます。内容は以下のようになります。
1節     導入 信頼の告白  「わたしは主に逃げ込む」
1節b-3節     友人の勧告  「鳥のごとく山に逃げよ」 
4節 -6節     詩人の洞察  主は聖なる宮にいます
7節     結論 信頼の告白 「正しい主に信頼する」 
 今日はこの詩編より、神に信頼してこの世の様々な悪に勝利する、信仰者の姿を学びたいと思います。

【メッセージのポイント】
1)1 【指揮者によって。ダビデの詩。】
主を、わたしは避けどころとしている。
どうしてあなたたちはわたしの魂に言うのか
「鳥のように山へ逃れよ。
2 見よ、主に逆らう者が弓を張り、弦に矢をつがえ
闇の中から心のまっすぐな人を射ようとしている。
3 世の秩序が覆っているのに
主に従う人に何ができようか」と。(1-3節)
  ⇒ 鳥のごとく山に逃げよ!
 この詩人は大変厳しい状況の中にいるようです。時代背景は明確には分かりませんが、詩人は敵に囲まれ、殺されそうになっています。詩人の友人たちは言います。
「鳥のように山に逃れたほうがいい。いまここにいては非常に危険だ」。これはきっと善意からの勧告だったのでしょう。命の危険にさらされるような状況を想像することができます。
「見よ、主に逆らう者が弓を張り、弦に矢をつがえ
闇の中から心のまっすぐな人を射ようとしている。」
友人の勧告はさらに続きます。敵である人々は、神を信じない人々、あるいは神に逆らい、悪を行うことを何とも思わない人々です。その人々が、あなたを殺そうとして、ひそかに計略を練っている。「闇の中から射ようとしている」というのは陰険な、敵の姿が良く表現されていると思います。なお3節には
「3 世の秩序が覆っているのに、主に従う人に何ができようか」と友人の言葉が記されます。これは、「法の秩序もみだれ、治安も不安定になっている。このような混乱した世界のただなかでは、主に従うといっても、危険なだけで何もできはしない。だから、もう、逃げたほうがいい。こんなに乱れた世界で、理想的なことを言っていても無駄だ。早く、一刻も早く、身を隠して、難を逃れなさい」という勧めなのです。
この詩人の友人たちは、親切に、忠告をしているのです。
鳥のごとく山に逃げよ、と彼らはいうのです。

2)4 主は聖なる宮にいます。
主は天に御座を置かれる。
御目は人の子らを見渡し
そのまぶたは人の子らを調べる。
5 主は、主に従う人と逆らう者を調べ
不法を愛する者を憎み
6 逆らう者に災いの火を降らせ、熱風を送り
燃える硫黄をその杯に注がれる。(4-6節)
⇒ 主は聖なる宮にいます!
この忠告に対して詩人はこのように返答し、告白しています。
「4 主は聖なる宮にいます。
主は天に御座を置かれる。」
この告白は非常に強い神への信仰を言い表しています。現代風に言えば、「神様は教会の中におられます。礼拝の場におられます。この世界を超えた、創造の秩序の原点である、天に神はおられて、そのご威光を保っておられます!」という告白です。
皆さん、わたしどもも、いつでも、このような告白をしたいと思います。人生に対する姿が如実に現れていると思います。わたしどもも告白したいです。「神様は教会にいらっしゃいますよ。ぜひいらしてください。そこであなたはわたしどもを愛し、命を投げ出して救ってくださった主イエス様に出会うでしょう。そこであなたは恵みの命の源なる聖霊なる神様に出会うでしょう。そこであなたは、天にみ座をおかれる創造主に出会うでしょう」と。
神様は、この世界の歴史の審判者です。神様の御目は人間の世界をくまなく調べられ、その心の中まで調べられるのです。そして主は、「不法を愛する者を憎み、 逆らう者に災いの火を降らせ、熱風を送り、燃える硫黄をその杯に注がれる」のです。歴史の主である方は、わたしどもの世界を正しく裁くお方であるとの明白な告白がなされています。
 今日は週報の「明日を開く命の言」にも書きましたように、わたしどもの教会にとっては忘れることのできない記念の日でもあります。そこにこのように記しました。
「1942年(昭和17)6月26日、早朝、旧ホーリネス教会系(日本基督教団第6部=聖教会と第9部=きよめ教会、東洋宣教会)の主だった教会に特高刑事が押し入り、治安維持法違反容疑による一斉検挙がおこなわれた。これらの検挙は3次におよび朝鮮半島や満州国も入れるとその数は教会134、牧師121。昭和18年4月8日の日本基督教団第6部への「宗教結社禁止令」が通告された際の理由は 1)神宮に対する不敬 2)天皇に対する不敬 3)国体変革を企図せる罪となっている。我らの先輩方はこれらの不当な検挙、拘束、投獄、拷問等によって辛酸を味わい、獄死した小山宗祐師、菅野鋭師、小出朋治師、斉藤保太郎師、辻啓蔵師はじめ多くの方々が、主イエスへの信仰の忠誠を全うし、厳しい霊の戦いを戦い抜いた。今日は午後2時半からホ群弾圧記念聖会がある。先輩の壮絶なる戦いを思い起こし、その信仰に学びたい。」

3)7 主は正しくいまし、恵みの業を愛し
御顔を心のまっすぐな人に向けてくださる。    (7節)
 ⇒ 主は正しくいまし、正しいことを愛される。
詩人は「鳥のごとく山に逃げよ!」という友人の勧めの言葉を退けて言います。「わたしは逃げない!神は天におられ、神は教会の中におられる!山に逃げるのではなく、わたしは主に逃げ込む。正しい者を愛し、正しいことを愛される神にわたしは全幅の信頼を置いて、この地上で戦いの歩みをなします!」と。
今年は第二次世界大戦が終わって、60周年の記念の年であります。
コリーテンブームさんの証しのごとく、われらの先達たちの証しのごとく、主の臨在と共に歩み、雄雄しく、信仰の戦いを進めてまいりましょう。

【結論】今日は1年の上半期が最後の聖日です。2005年標語は「神その中にいませば都はうごかじ」詩篇46:5(文語訳)です。これは総会の時にも話しましたが、「臨在不動」の四字熟語表現できるわたしどもの信仰です。逃げ出してしまいたくなるような現実が時には襲ってまいります。鳥のように山の逃れよと、言われるときもあります。しかし、わたしどもは、教会で主を見上げます。天に座せられる主を見上げます。歴史の裁き主、王の王なる主イエスを見上げます。そして主を隠れ家、主を砦として雄雄しく戦います。勝利は「主の臨在にある」のです!

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