父親はこの町の機織職人、母親は石工の娘。少年バリは父親をはじめ長兄や長姉の援助の下にダムフリー・アカデミーを経てエディンバラ大学を卒業するが、バリの教育に一番大きな影響を与えたのは、幼いころ家で母親と一緒に過ごした読書や語らいの時間だった。そのことはバリが母親の死の翌年に出版した「マーガレット・オギルビー息子の描ける」(註22)(Margaret Ogilvy, by Her Son 1896)という作品にも書かれている。この作品の題名は母親の結婚前の姓名だが、スコットランドの風習では結婚後も夫の姓に付けて使うのだそうだ。“8歳で母親を失い、一家の主婦として働いた。”という彼女の生い立ちは、ネバーランドで母親役を務めるウェンディーの原形となっている。 6歳のとき、当時13歳だった聡明な兄デイヴィットをスケート中の事故で亡くしたことは、バリにとって生涯消えない衝撃的な出来事だった。悲しみにうちひしがれた母親は、幾月もベッドに臥した。バリは、何度も母の寝室を覗き込み、階段に座って泣いたという。 「兄は母の胸を離れなかった。私が大人になっても、兄は13歳の少年のままだった。」(1 23)(註23)
母親を慰めるため、バリは兄の仕草や口笛を吹く癖の真似をしたり、兄の服まで着て、身代わりになろうと努力したのである。小柄なバリは、兄が亡くなった年齢になって、成長することをやめたという。実際、生涯を通じて、バリは子どもと大人の間を行き来しているように見える。バリは外見も華奢な少年のようで、ささやくような幼い声をしていたという。それでも、「ピーター・パン」を書くまでは、階級社会に対する痛烈な皮肉と鋭い見方で有名なバリは、この上なく「大人の」作家だと思われていた。ラドヤード・キップリング(Rudyard Kipling,1865-1936)、トマス・ハーディー(Thomas Hardy,1846-1957)、H.G.ウェルズ(H.G.Wells,1866-1946)、ロバート・ルイス・スティーブンソン(Robert Louis Stevenson,1850-1894)といった作家など、著名な作家達の仲間に属していたこの子どものような男性は、当時一流の有職者だったのである。小説6作、ノンフィクション7作などの作品を出版し、40を超える演劇の多くはロンドンの舞台での人気作で、大成功を収めた裕福な脚本家でもあった。バリは、1937年に77歳で亡くなっているが「ピーター・パン」は決して年を取らない。数え切れない多くの若者達の想像力を育てているだけでなく、さまざまな映画や、TV番組やブロードウェイ・ミュージカルの着想の源となっているこの物語は、21世紀の人々に愛され続けていくに違いない。