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一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.29
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「神様王権即位式」一周年記念礼拝の御言「祖国と父母と長孫」(その2/4)二〇〇二年一月十三日、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 今年一月十三日、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿において、「神様王権即位式」一周年の記念行事が行われました。 この日、会場には、全世界から集まった教会責任者のほか、「『平和大使』修鍊会」に参加中の「平和大使」、第四次「世界入籍祝福家庭夫特別修錬会」の修練生、第四百九十九次「清平特別祈祷修錬会」の修練生たちが参席しました。また、この日が聖日であったことから、韓国全土からも大勢の教会員たちが集まりました。 このみ言は、当日、午前十時から行われた記念礼拝において、真のお父様が語られたものを翻訳し、整理したもので 文責・編集部)<その1/4よりの続き> その後ろの方に座って、居眠りしている人たち。目を開けなさい、というのです。わたしの話が、聞こえますか?(「はい。」)この者たち! 皆さん(「平和大使」)ではありません。統一教会の人たちです。(笑い) 「ああ、これは、(平和)大使たちを集めておいて、「この者たち」とは、何だ?」と言うでしょう? それは、わたしの年齢から見れば、皆、子供に当たる年齢ではないですか? 違いますか? (「そのようにおっしゃるので、もっと面白いです。」) ですから、統一教会に入ったために、たたかれて家から追い出され、父母、おじいさん、三代が反対し、「荷物をまとめて出て行け。」と言われて追い出されたとしても、それでも行くのです。 「私の行くべき道がある。お父さんよりも、もっと面白く、おじいさんよりも、もっと面白く、妻よりも、 夫よりも、もっと面白い所があるので、私は行く。世の中よ、さようなら。」と言って、反対されても行くのです。 そのようにして行こうとすれば、ガスを噴いて飛んで行くことができます。そうして、ぶーんと空に浮かんで、「別れを告げます。今からは、汽車の汽笛を鳴らして、故郷に錦を飾る日を待ってくださいますように。」と言うのです。 世の中で、わたしを好む人は、いません。米国は、三十年間、わたしに反対して、今では、わたしに完全に両手を上げました。文総裁に対してドイツが反対し、 フランスが反対しましたが、「こいつめ、文総裁夫妻に対して、なぜ、入国を許可してあげないのか?」と言って、国務省が降伏文書を出し、米国政府が降伏文書を出すことができるようになったのです。 そのようなことを信じますか? 老人たちは信じていないのですが・・・・・・。ここにいる若者たちは、尋ねる必要がありません。ここにいる年を取った人たち、お じいさんたち。そのようなことを信じますか? 小学 生よりも謙遜ですね。(「はい。」) ひげを見ると、少し申し訳なく思いますが、目を見ると、ぴかぴかと輝いて、元気があふれ出ていますね。そのように理解して、喜んでください。 どこに行っても、わたしは、「재미(チェミ)」を創造する男です。そのように生きてみると、文総裁は、世界的な尊敬の対象になりました。事実、そうです。ところが、 韓国人が、わたしのことを知らないのです。その歴史をひもとけば、すべてが、さっと引っ繰り返るというのです。わたしが何をしたのか、知っていますか? わたしが手を出さなかったところが、どこにありますか? 学校が、ないでしょうか? ごろつきが、いないでしょうか? 革命軍が、いないでしょうか? 四十日間、パンツだけをはいて、銃を持ち、食べる物はありません。捕まえて食べるのです。蛇も捕まえて食べ、あらゆるものを捕まえて食べるのです。 そのようにするので、自然の友達になります。自然の友達です。分かりますか? 水の友達です。暑い所 での良き友達は、水の友達です。暑い時に、「やあ、水よ。本当に面白い。」と言うのです。おなかがすいたとき、りすが、どれほど面白いでしょうか? 焼いて食べると、本当においしいのです。 また、草があって、陰になってくれるので、どれほど面白いでしょうか? 何でもあらゆるものが、「재미」 の材料です。 ですから、だれよりも自然を愛することができなけ ればなりません。自然を創られた神様を知っています か? それで、統一教会は、「自然に帰ろう!」と言うのです。ですから、文総裁は、釣りも好み・・・・・・。 今では、船を造ることにおいても、韓国のだれにも劣らない大きな船を造っていますが、戦艦や秘密艦艇を造る技術は、わたしにはかないません。なぜでしょうか? 統一教会の文総裁の弟子は、船を造る弟子が世界じゅうに満ちあふれているのです。分かりますか? 飛行士も満ちあふれています。 知らない人は滅びます。力のない人は滅びます。無知な人は滅びます。賢く、優れていなければなりません。素晴らしくなければなりません。力がなければ、 どこかに行って、一言、言えば・・・・・・。 どこかに行って、正しいことも話すことができないのが、素晴らしいのですか? 激しく受け答えするこ とができなければなりません。さっさっさっと、解決することができなければならないのです。そのような背景を持って、三十年間、反対してきた米国を、完全に支配してしまいました。それを尋ねてみなさいというのです。 ここに、情報員たちが来ていますね? FBI(米 国連邦捜査局)の情報員たちです。文総裁が、公人としてこのような話をするので・・・・。 文総裁が、今、話していることは、約八か所の情報庁が、その音波を捕らえ、周波数を合わせて、すべて入力するようになっています。十五分後には、英語で上部に報告するようになっているのです。 この者たち。報告して、何をするのですか? 正し いということを知りながらも、従って来なければ、国が滅びるのです、この者たち。正面から攻撃してしまいます。 その使っている国費のようなもの、それは皆、公金略取です。公金を、なぜ消耗するのですか? わたし は、米国を滅ぼそうとはしません。宗教を滅ぼそうとはしません。最近のテロ団の隊長が、だれですか? 何ラディンですか?(「ウサマ・ビンラディンです。」) ビンラディンです。的が外れましたね。ビンラディンというのですから。(笑い)そのような話をしようとすれば、切りがありません。 そのように理解して、"今から故郷に帰れば、面白い事件を起こすことができるチャンピオンになってみよう。” と思う人は、もう一度、手を挙げてください。その方法と論理は、簡単です。よりために生きる人が、主人になるのです。 ですから、国会議員を好むのは、やめなさい。この者たち。漢南洞に、ありとあらゆる名前をつけた人々が、「政治をします。」とあいさつをしに来るのです。 やめなさい! この者たち! 今回、政府の選挙基金が、どれくらい吹っ飛ぶか、知っていますか? 四兆ウォン以上です。わたしが、 秘密裏に調べました。そのお金を、かわいそうな人たちに上げなさい! そして、目を閉じて、皆さんの心 の中で、大統領として良いと思う人の名前を、だれでもよいので、書き出すのです。 そして、そこでいちばん票の多かった人を大統領にさせれば、選挙を百回するよりも良いということを知らなければなりません。「平和大使」の皆さんは、そのようなことをさせれば、しますか、しませんか? しますか、しませんか?(「します。」) わたしが、降りて行って、処理しなければなりませんね。しますか、しませんか?(「します。」)このおじいさんも?(「はい。」)するのですか、しないのですか?(「します。」)わたしは、目を合わせて、「しますか?」と言っているのに、なぜ、目を合わせずに 「します。」と言うのですか? 目を合わせて、初めてすべてのものが、相対になるのです。 さあ、それでは、「自分が偉い。」と言って誇る世の中で、なぜ、ために生きなければならないのでしょうか? ために生きる人は、親分になるのですが、何の親分になるのかというと、財政の親分になり、金庫を守ることができる親分になり、国の大統領の候補者になるのです。 ですから、いくら「やらない。」と言って逃げても、ホメイニ師を捜し出して、彼をイランの最高指導者にしたように、それ以上になります。それは、可能性のある話ですか? 一代、二代、三代まで、やってみなさい、というのです。そのようになるでしょうか、ならないでしょうか? なりますか、なりませんか? この者たち。(「なります。」) 「この者たち」という言葉を悪く考えないでください。すべての被造世界は、ペア・システムになっているのです。(「この者たち」という韓国語が、韓国語の「 ペア、組」を表す言葉と発音が似ていることから) (笑い、拍手) サタンは、"ペア”を最も嫌うのです。サタンは、「別れなさい、別れなさい。」と言うのです。ですから、「おい、統一教会のこの者たちめ!」と、(韓国語で) 言っても、それがいちばん良いという(意味になる) のですから、不思議な群れでしょう?(笑い) 本当にそうです。 サタンは、何ですか? 「下品な言葉だ。」と言うでしょう? このように、詐欺を働いたのです。いちば ん良いものなのに・・・・・・。動物世界も、そうではないですか? お互いに愛し合い、"初愛”をして、巣を作り始めたら・・・・・・。 貴族の面前で、トゥルマギ(韓服の外とう)をひとたび着て、それを脱いだりすれば、“家門の教育を受けていない人である。”と思われるかと心配して、暑くても汗を流しながら・・・・・・。(ジェスチャーされる)(笑い) ですから、よりために生きるのです。分かりますか? 反対ですが、それは、すべて未来について見れば、歴史は、そのような人を、必ず必要とするのです。 それを“嫌だ。”と思えば、すべて滅びますが、そのようにすれば、いつか必要とされるようになるのです。 そうして、世界が推載して、神様が訪ねて来られ、その人を立てて、勝利の覇権を立てると同時に、立て札、碑石、銅像を立ててくださるというのです。関心がありますか、ありませんか?(「あります。」)おばさんたち。おばさんたち!(「はい。」)おばさんたち! (「はい。」) ここにいる人たちは、答えているのに、なぜ、ここは答えないのですか? わたしが、あちらの方ばかり 見て話をするので、ここは、気分を悪くしたようですね。そうではありません。右側を育てるのは、左側を保護するためであるというのです。こちらを、このようにするのは、これを保護するためなのです。売り飛ばすためではありません。 水を少し飲みましょう。続けて話をするので、口が渇きました。水を飲みますよ?(「はい。」)「飲みなさい。」と言うのですか、「飲むな。」と言うのですか? (「召し上がってください。」)それでは、許可を得て水を飲みます。(拍手) (水を)持って歩いても、よいでしょう? 激しく語れば、三言に一口は、水を飲まなければなりません。 激しく結論を下しましょうか、さささっと、適当に、ぼんやりと、手ぬるく結論を下しましょうか? おじ さんたち!(「はい。」)どのようにすれば、よいですか? コップを持って、水を飲みながら失礼をしたと しても、許して喜んでくださいますか?(「はい。」) わたしの代わりに、口を開けてください。口を開け てみてください。蕩減しなければなりません。蕩減ドリンキングをするのです。わー!(拍手) このようにすれば、神様が福を下さいます。飲むのは、神様が飲まれるのです。蕩減して、何をするのでしょうか? 神様を解放しようというのです。他の話は、長くしません。分かりますか?うして………………。 ために生きる者が、親分になる、ということです。 何の親分でしょうか?『面白い親分です。一度、言ってみてください。(「“面白い親分”。」)一度、目を閉じてください。心に手を当てて、面白い親分になりたいと思わないのか、思うのか・・・・・・。 “なりたい。”と思う人は、右手を挙げて、“なりたい。”と思わない人は、左手を挙げてください。わあ! 正しく聞いていることは聞いているのですね。分かりました。 さあ、なぜですか? どうしてでしょうか? どうして統一教会のレバレンド・ムーンは、そのように生きなければならないのでしょうか? 重要な問題です。 それは、統一教会の定礎石が置かれた所をいうのです。よく聞いてください。どうしてですか? 神様は、どうして……。 見てください。「絶対信仰」、「絶対愛」・・・・・・。さっきのは、だれですか? 金興泰氏! (「はい。」)仁川から来たのですか?(「はい。」)国家メシヤの中で、仁川の人たち、手を挙げてください。文総裁に感謝して、 表彰状を一つ作るというのですが、「絶対信仰」、「絶対愛」、それから何ですか? (「「絶対服従」です。」)「絶対服従」を抜かして、「従順」にしました。わたしは、 それを見るとき・・・・・・。 ”従順”とは、順理的にこうすることもでき、ああすることもできるのです。「私は、あなたに従順にします。」 ということには、相対的概念があります。しかし、”服従”ということには、相対的概念がありません。 家庭に入って行って、”従順”ではなく、“服従”という概念を失ってしまって、暮らしている人たちがだ れかというと、親だったのです。アーメン。正しい話ですか、正しくない話ですか? 町内のお金持ちの息子、娘は、このように年の初めが来ると、どのようにしますか? 親は、自分の息子、娘をだれよりも愛しているので、“だれよりもりっぱな環境、りっぱな立場に立てたい。」と思うのです。 そのような心が親の心なので、買ってあげた礼物を持って、十年、二十年間、待ち、“だれよりもりっぱな贈り物、この町内のだれよりも誇ることができる贈り物を与えよう。”とする心で贈り物を買い、それを子供に与えるのです。 ところが、そのときに息子が、「これは何ですか? 自分の友達のだれだれは、このような何々をもらい、このような贈り物をもらったのに。お父さんとお母さん。これは、何ですか? べっ。」と言うとき、その両親は、どのように思うでしょうか? 贈り物一つを「嫌だ。」と言っても、親は、すっかり落胆するのに、贈り物だけではなく、結婚も自分勝手 にし、自分勝手に暮らし、家も、土地も、自分勝手に売り飛ばしてしまったとしたら、どうでしょうか? このような放蕩息子の姿を見るとき、その親の胸は、どれほど痛むかというのです。痛むでしょうか、痛まないでしょうか? “胸は痛まない。”という人は、死んだほうがましです。そのような人は、廃棄物のごみ箱にほうり込まなければなりません。たとえ千万人を超えても、そのようにすることができるのが、親なのです。 皆さん。そのような思いが、あるでしょう??全員、あるでしょう? このおじいさんも、あるでしょう? 六十八歳ですか?(「六十七です。」)七でも八でも、同じではないですか?(笑い) ですから、計算的で打算的なので、"一銭でも損したくない。”というのでしょう?人は、時には丸く生きなければなりません。角ばって暮らしたいですか、丸く暮らしたいですか? 丸くなければなりません。 丸く暮らせば、あっちに回りながら入ってきて小さくなり、出ていくときには、もっと大きくなるのです。天地の運動法が、そのようになっています。物理学を学んだ人たちは、分かるでしょう? さあ、今、ここに集まった統一教会の群れたち。先生の悪口を言わせた群れたち。「不孝者である。」と言われて、(父母たちが、)「ああ、文総裁は、私の息子、娘をどろぼうして行った、どろぼうの王だ。」と言って、全国的なデモをしたのです。 皆さん。そこに加担した人たちは、皆、ここに来たでしょう? 文総裁と統一教会の話を聞くたびに、文総裁はりっぱであると思い、きょうのように、“お父様である。”と考えた人が、どこにいますか? 一人もいないので、悪口を言っても、引っかかりません。分かりますか?(「はい。」) 日本の者も、米国の者も、ドイツの者も、ロシアの者も、中共の者も、同じです。韓国の者もです。韓国の人たちは、本当に驕慢です。「日本のやつ」と言えばよいですか、「日本人」と言えばよいですか? 「中国人」がよいですか、「中国のやつ」がよいですか? 「米国のやつ」がよいですか、「米国人」がよいですか? 見てください。堕落した世界の国というものは、日本の国があり、米国の国があり、中共の国があります。 「日本人」と言うことは、“日本”という国を認めることです。日本の国が、神様の国でしょうか? それを否定し、中共の国をすべて否定し、米国の国を否定し、それ以上に良い国を建ててあげることができる米国の "놈(やつ)” ……。 (韓国語の)「놈(ノム「野郎」、「やつ」の意)」を少し変えれば「님(ニム「様」の意)」です。そうすれば、「米国様」となります。(笑い)そうではないですか?「やつ」 がよいですか、「様」がよいですか?(「「様」がよいです。」)「様」がよいでしょう? 韓国の人は、「様」 を好むでしょう? しかし、両班 (高麗、李朝時代における特権的な身分階級のこと)様、 それは半分です。(韓国語の「両班 [양반]」を「量 [양]」 が「半[반]分」であると比喩して)それは、いつでも分けて食べる立場です。完成の“三”にもなれずに、 "一・五”で大きなことを言っています。 神様がごらんになるとき、米国の国を愛されるでしょうか? 何ですか?(「愛されません。」)なぜですか? なぜですか?(「道徳的に堕落したからです。」) 堕落した子孫であり、悪魔に支配された血統になっているので、米国の国も、このままでは滅びなければなりません。日本の国も滅びなければならず、韓国の国も滅びなければならず、ドイツの国も滅びなければならず、中共も滅びなければならず、ロシアも・・・・・・。 思想的に神様に属していないすべての国は、滅びざるをえません。これは鉄則です。文総裁は、はっきりと、そのことを知っているので、滅びる国は相手にしませんでした。分かりますか? 発展する国を相手にするというのは、どういうことでしょうか? わたしは、米国に行って、三十年間、迫害を受けました。米国は、わたしを監獄にまでほうり込んで祝宴をしたのです。しかし、わたしは、監獄から出てきて、 ブッシュ大統領を当選させてあげました。レーガン大統領は、わたしが大統領にしてあげたのです。行って、 尋ねてみてください。 それは、どのようにしてでしょうか? 何を、どのようにしてでしょうか? 神様の御名によって。カー ター大統領の首を、だれが切ったのか、知っています ? カーターというのは、切る機械です。レバレン ド・ムーンは、カッターです。「カーターの未来を切る。」と言って、首を切ってしまいました。(笑い) このカーター大統領。彼の(在任の)時に、十四か国が共産化されました。わたしが、壇上で、「この者め。 追放してしまいなさい。」と言ったのです。そのようなことを、全く知らないでしょう? 悪く言われるようなことをしましたか、称賛に値することをしましたか? CIA(米国中央情報局)であれ、米国政府であれ、わたしの言うことを聞きなさい、というのです。この者たち。このような話は、きょうの皆さんに対しては、 失礼ですね。気分を悪くしないでください。 この(平和)大使たち。「わたしの言うことを聞きなさい。」と言えば、聞きますか、聞きませんか? 聞きますか、聞きませんか?(「聞きます。」)開くというのならば・・・・・・。 ここは、「前を二列にして、この前に全員、座りなさ い。」と言ったのに・・・・・・。手を挙げてください。挙げていない人を見てみましょう。(笑い)なぜ、手を挙げないのですか? 全員、嫌だ」ということではないですか? この若い人が、先に手を挙げなければならないでしょう? さあ、これくらい言えば、手を挙げますか、挙げませんか?(「挙げます。」)挙げてみてください。(そうしなければ)制歳を受けます。(笑い)強制してでも、 そのようにすれば、国を救えます。(拍手)国が生きるのです。そのようにすることのできるチャンピオンが、 大韓民国にいますか? いないので、このように締めあげてでも、つくろうとしているのです。(笑い) 一度、やってみる価値がありますか? 今回の大使たちは、国会議員の先生にならなければなりません。だれよりも思想的なすべての・・・・・・。どこのだれであろうと、行って、理論的に屈伏させてしまい、「このようにしなさい。こいつめ!」と命令しなければなりません。 そのとき、僕に命令しても「はい。」と言い、使い走りに命じても「はい。」と言い、弟に命じても「はい。」 と言い、父親にまで命じても「はい。」と言ってこそ、 国を救う時が来るのです。 わたしは、世界的な戦略家を数千人、教育させました。その名前を出せば、引っ繰り返るでしょう。ここで今、霊界で、何がどのようで、このようでと・・・・・・。 今回、イエス様の十二弟子から来た霊界のメッセー ジを伝達しましたか? 聞きましたか?(「はい。」) 聞きましたか、聞いていませんか?(「聞きました。」) その内容は、うそではありません。真っ赤なうそではありません。(「違います。」)何ですか?(「本当のことです。」) この人は、あなたは統一教会の教会員だからでしょう?(笑い)見て、聞いて、すべて体験したので、そのように言うのではないですか? ここにいる素人たちに、何が分かりますか? 霊界を知っていますか? 哲学をしている人に、「本当に神様を知っていますか?」と言えば、逃げていくのです。「私が教えてあげ ます。」と言っても、逃げていくというのです。神様を知らなくて、天国に行けるでしょうか? 天国のことを知らないで、天国に行けますか? 故郷の地を知らないで、故郷に行けますか? 故郷とは、何ですか? 人は、故郷の山河を慕わしく思います。それこそが故郷であり、祖国の故郷と言 えるのですが、故郷を慕う心がないままに、そこに行けば、追い出されるのです。分かりますか、分かりませんか?(「分かります。」) (答えない人をごらんになって)なぜ、答えないのですか? (「分かりました。」) そこは、だれの夫人ですか? 自分の妻ですか? 後ろは、だれですか? どこですか? 既成教会に通っているようですね。目が、このようになっているのを見ると。(笑い)わたしを見詰める目が、このようになっ ているので、既成教会に通っているのでしょう? (笑い) なぜ、笑うのですか? そのように観相を見ることもできるので、たくさんの若い青年たち、数十万人を 一度に結婚も・・・・・・。一日に一万双、十万双の祝福をするのは問題ありません。 昔、李명학という、韓国で有名な人がいました。この人は、わたしよりも優秀であると、言っていましたが、わたしが行けば、「ああ、新公子様、来られましたか?」と言って、敬礼するのです。 わたしが、「あなたは、一双結婚させるのに、どのくらいかかりますか?」と言うと、「一週間かかります。」 と言っていました。その人が、「文総裁は?」と言うの で、「普通は百双、千双は問題ありません。」と言いました。 それで、その人の言うことが、「私は、(あなたを)新公子として崇拝します。み旨を成して万民解放され、 天の王国を成してくださいますように。」ということでした。そう言って、死んだというのです。(拍手) 拍手をしようとするのならば、大きくしなければならないでしょう? それなのに、これは何ですか? (拍手) 拍手するときに、”水を一杯飲もう。”と思っているのです。耳あたりが良いですか、悪いですか? この人は、お坊さんですか? お坊さんのようですね。お坊さんですか、違いますか?(「はい、少し僧侶をしました。」)目が、このようになっているのを見ると、修要を積んだ顔をしていますね。(「とてもうれしく思います。」)(「先生に近くでお会いすると、とてもお若いです。」) ですから、“これから結婚しよう。”と思っているのです。(笑い)(「いけません。真の父母でいらっしゃるのに。」)真の父母が子供をたくさん生めば、よいではないですか?(「お若いので、うれしく思います。」) 何ですか? あなたは、夫がいますか? だれが夫ですか? だれが夫ですか? この人ですか?(「夫は、いません。」) 寡婦だから、そのようなことを言うのでしょう?何ですか? 死んだのですか? 離婚したのですか?(「亡くなりました。」) 死んだのならば、かわいそうですね。おばさん。一人で暮らしているので、さみしいでしょう?(笑い) 尋ねているのです。(「あまりにもお若いので・・・・・・。」) いや、「一人で暮らしているから、さみしくないですか?」と、尋ねているではないですか? この人は。(笑い) 妹以上の立場に立ちますか?(「私は、つい三年前までは、先生に対して拒否感がありました。しかし、 今回の〔平和〕大使教育を受けて、インドの哲学者を思い出しました。”東方の光”が、正に先生……。」)そのような話は、しないでください。 わたしは、(自分のことを)最も愚かな人だと思っているのです。貧しい村を訪ねていくことを好み、酒場に行って、反対するのを好むのです。そうして、その場を掌握して、論争して言うのです。 「こいつめ。豊かに暮らしている者が、もっと酒を飲んで、狂って死ぬだろう。」 「それがどうして分かるのか?」 「酒を飲んで、三軒ほかの家に迷いこんでから、妻の所に帰るのではないか?」 「どうして、それが分かるのか?」 「見もしないで分かるから、今まで統一教会の“万年教主”をしてくることができたのが分からないの か? こいつめ。」と言うのです。 わたしは“万年教主”」です。わたしから教主を奪おうとした人は、一人もいなかったのです。一度、奪ってみてください。この人は、そのようなことに度胸がありそうですね? 何か役職につきたいでしょう? 尋ねているではないですか?(「しなければなりません。」)詐欺性が濃いですね。(笑い)さあ、そのような話をしていては、話の結論を下すことができません。 なぜ、ために生きなければならないのでしょうか? これが、重要なことです。神様が、なぜ、ために生きられるのかというのです。なぜ、ために生きなければならないのでしょうか? 親だからです。また、男性と女性の主人でいらっしゃるからです。分かりますか? それは、神様が親であり、男性と女性の主人でいらっしゃるからです。また、一生、千年万年の歴史を経て、真なる男性と真なる女性を教育するために、多くの精誠と努力を注いでこられたからです。考えてみれば、驚くべき話ではないでしょうか? これは、あぜんとするような話なのですが、神様が、それを継続される理由は何かというと、“愛の相対、愛の主人に、一度なってみたい。”ということです。分かりますか? 神様は、"真の愛の主人になってみたい。”と思われたのです。そのようになろうとすれば、創造理想を知らなければなりません。愛というものは・・・・・・。 皆さん。妻がいるでしょう?(「はい。」)妻です。かわいがっていますか?(「時々、離れて暮らしています。」)お酒をよく飲むでしょう? たたいたことがあるでしょう? 尋ねているではないですか?(「以前に、たたいたことがあります。」)なぜ、たたいたのですか、この人は。(笑い、拍手)これが教育です。 ですから、どれほど嫌でしょうか? 面白いですか、面白くないですか? 面白くないでしょうが、わたしは、本当に面白いのです。なぜかというと、何回か、三回だけでも、このようにすれば、もう、そのようにはしないからです。しないようになるのですから、続けて(教育)しなければなりませんか、してはいけませんか? もう、以前のようにはしない、ということを知って、続けて(教育)しなければなりませんか、してはいけませんか? この者たち。(「しなければなりません。」) 米国でも、そうです。わたしが大会をすれば、いつも、早朝に前に出てきて(前の席に座ろうと)争っています。ここに、ヨーロッパのメンバーがいますね?いつでも、そのような問題が起きます。 先生が話をしていると、つばが飛ぶのですが、それを、さっとハンカチに包んでいくのです。わたしは、 それを研究しても、なぜ、そのようにするのか分かりません。どうかしているでしょう?(笑い)どうかしているにしても、普通ではありません。そこに、父母の言葉が通じるでしょうか、国の法が通じるでしょうか? 効く薬といえば、文総裁が一言、言えば、患っていた人が、すっくと立ち上がるのです。一度、そのように生きていけば、どのようなことがあるか、分かりますか? 神様とともに語る、その言葉の響きが、共鳴圏を通して宇宙に広がっていくのです。放送されるというのです。「韓国の義なる息子がいる。娘がいる。」 と言うのです。 ですから、先生に関して啓示を受けた人がたくさんいます。皆さんに関して、啓示を受けた人がいます か? 啓示を受けて、訪ねて来た人に会ってみましたか? わたしは、道を歩いていても、何度も、祝宴の食膳にあずかって食べました。 ある人に、早朝、その人の先祖が現れて、「おい、女よ。寝ないで、明日、この前を憔悴した姿で、このような人が通るが、わが家庭が福を受けようとすれば、 先代の祝宴の食膳以上の食膳を準備して、そのかたを接待しなければならない。そのようにするのか、しな いのか?」と言ったというのです。 そのようにして、明くる日、道端で、そのお客様が来ることを待っていたのですが、なかなか来ません。 そうして、夜遅く十二時近くに、わたしがそこを通ると、しがみついて……。 しかし、忙しいのに、横にしがみつくおばさんの話を聞いていられるでしょうか? わたしが振り切って 行くと、えんえんと泣くのです。ありとあらゆるよこしまなことが、たくさん・・・・・・。 ただでご飯もたくさんもらい、旅行に行くときは、 そのまま行くのです。駅に行けば、切符を買ってくれる人がいます。そのようなことを信じますか? 信じるのか、というのです。それを信じられるだろうかというのです。 ですから、わたしは"おかしな人”です。”おかしい”というのは、”普通とは違う”ということでしょう? それは、良い意味で“おかしい”というのではないですか? 良い意味で言う「おかしい」というのは、上がっていくのであり、悪い意味で言う「おかしい」というのは、下がっていくのです。“おかしい”というのは同じですが、一人は、上がっていく“おかしな人”であり、もう一人は、下がっていく“おかしな人”です。 ですから、"おかしな人”にも二人いる、ということを知らなければなりません。文総裁は、下がっていくと思って、おかしなことをしましたが、上がっていくので……。 今まで、世界が、「滅びろ。」と言って、看板をつけて宣伝しました。その看板を、すべてはがしてしまい、米国の千七百以上の新聞社が、わたしを言論界の先祖として迎えようと、招待しています。このつまらない人たち、自分勝手に生きてきた人たち。ぼろぼろのふろしきをはたけば、ほこりが出るのではないですか? このようにして、平和の組織をつくろうと思っているのです。さあ、見てください。み言も、秘密の世界で捜し出したので、文総裁が語ることも、少しは信じてくれなければならないのではないでしょうか? そのように求めることは、常識的ですか、非常識的ですか?(「常識的です。」)何ですか?(「常識的です。」) しかたなく答えていますね。言論人ですか? 「言論人ですか?」と、尋ねているではないですか? 言論人になったことがあるのか、というのです。言論人とは何か、知っていますか?Family 20023 36<その3/4へ続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.28
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「神様王権即位式」一周年記念礼拝の御言「祖国と父母と長孫」(その1/4)二〇〇二年一月十三日、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 今年一月十三日、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿において、「神様王権即位式」一周年の記念行事が行われました。 この日、会場には、全世界から集まった教会責任者のほか、「『平和大使』修鍊会」に参加中の「平和大使」、第四次「世界入籍祝福家庭夫特別修錬会」の修練生、第四百九十九次「清平特別祈祷修錬会」の修練生たちが参席しました。また、この日が聖日であったことから、韓国全土からも大勢の教会員たちが集まりました。 このみ言は、当日、午前十時から行われた記念礼拝において、真のお父様が語られたものを翻訳し、整理したもので 文責・編集部) (「真のご父母様を壇上にお迎えいたします。」) さあ、ここには、新しいお客さんがたくさんいるのですが、そのお客さんの特別な名前が何というのか、 わたしもよく分からないのですが・・・・・・。何というのですか?(「「平和大使」です。」)平和は、良いものですか、悪いものですか?(「良いものです。」)どのくら い良いのですか?(「限りなく良いです。」) 地も引っ繰り返され、天も引っ繰り返され、悪なる世界が、すべてなくなって、天国に変わることのできる標語が、何でしょうか?「平和大使」です。「平和大使」は、悪なる世の中を引っ繰り返さなければなりません。「『平和大使」とは、何なのか?」というのです。 この地上に、神様の祖国はありません。神様の故郷がないのです。また、神様の国がないのです。「国」といえば、主権がなければなりません。それから、国土がなければなりません。そして、国民がいなければなりません。ところが、神様の主権が、どこにあるのかというのです。 今日のキリスト教が、神様の主権による宗教でしょうか? 長老派教会、聖潔派教会、何々派教会……。 ありとあらゆる乱雑な者たち。それは、福ではないというのです。それが、神様の主権を代身することはできません。また、彼らが暮らしている宗教圏で、神様の国を代身することができる所はありません。“地”がないのです。 そして、彼らは、天の国に直行することができる国民になることができずにいます。このような根本問題を掘り返してみるとき、神様は、”喜ばれる神様”になっていたでしょうか、“悲しまれる神様”になっていたでしょうか? どうですか? 国のない人、民のない人、国土のない人、そのような人は、かわいそうな人ですか、幸せな人ですか? (「かわいそうな人です。」)何ですか?(「かわいそうな人です。」)どれほど、かわいそうでしょうか? 例えば、家族三代が一緒に暮らしていて、その三代が爆弾でめちゃくちゃになって、いっぺんに即死したとします。その悲しみは、いかばかりでしょうか? しかし、その悲しみと、神様が、この大宇宙を創造 されて、人類始祖から始まって万民が神様の民となり、 この地球星が、天の祖国の地にならなければならないのに、それを、そっくりそのまま失ってしまわれた神様の悲しみとを比較することができるでしょうか? どうですか? このような話をして、きょうの「神様王権即位式」 に関する話をしながら、話が横道にそれていくようになれば・・・・・・。 わたしは、み言をたくさん話す記録を持っています。また、話も上手です。その時間の記録は、十六時間四十五分です。分かりますか? しかし、どのようにして十六時間、続けるのでしょうか? 文総裁は、トイレにも行かないのですか? 人は、何時間ごとにトイレに行きますか? 五時間ごとですか、六時間ごとですか? 普通は三時間ほどでしょう? 三時間ごとにトイレに行くとするならば、 三掛ける五は十五ですから、その間、五回はトイレに 行っていなければならないはずですが、それなのに行かないのです。 ですから、"このおじいさんは、何か袋のようなものを腰に巻いて出てきて、そこに用を足しているのではないか? そうであるとすれば、ズボンの股下から廊下に流れ出てくるのではないか?”と、このように考えるかもしれません。実際に、そのように思って、近寄ってきて、見た人がいたのです。(笑い)まあ、このような話をすれば、切りがありません。 しかし、み言を一所懸命に語っていると、小便は、すべて汗で出ていきます。二十時間、話すとしても、 用を足しに行かなくても・・・・・・。 そのかわり、聴衆として座っている人たちは、大変でした。話を聞いてみると、面白いのです。(韓国語の) 「재미(チェミ)」とは何か、分かりますか? 一度、言ってみてください。(「재미。」)おじいさんたちは、年老いているのに、何の「재미 (楽しみ)」があるでしょうか? 「재미」と、言ってみてください。(「재미。」) 「재미」という韓国語が、いちばん美しいのです。 英語で言えば、「インタレスティング」と言い、日本語は「面白い」です。「面白い」の反対に「面黒い」があるということを知りません。(笑い)そこで、日本人が 笑っていますね。韓国語は、面白いのです。その「재미」という言葉を、三度だけ……。재미, 재미, 재미, 재미……。探してみれば……。 皆さんにとって、家庭に行って面白いことは、何ですか? それを捜してみましたか?(そこの)おじいさんたち。この人は、おじいさんですね。年は、いくつですか?(「おじいさんではありません。」)いや、 ひげが白ければ、おじいさんでしょう? 常識から外れた話をしていますね。ひげを真っ黒にしてください。(笑い) おじいさんたち。一生において、「재미」のふろしきが、どれほど大きくなりましたか? これが問題です。 そのふろしきを、その国の王が見ても、「ああ、夜、寝ているときに、わたしが、この者のふろしきを持ってこなければならない。」と言う、そのようなふろしきを持った人は、その国で幸福な人ですか、面白い人ですか、不幸せな人ですか? 不재미、非재미、ノン (Non) 재미……。 「재미」の反対の言葉を探し出すのは、難しいのです。 また、皆さんの一生で、「ああ、大韓民国全体の博物館の中で、一等地を占領することができる「재미」を持った。」と言える、自分の「재미」のふろしきを持ちましたか?そして、それを神様がごらんになるとき、「やあ、わたしも、あれが必要だ。」とおっしゃることができる、そのような「재미」を持ってみましたか? 王たちも喜び、天地を創造された神様も喜ばれ、その「재미」が、どれほど面白いのか、口を開き、目を見開き、涙、鼻水、つばを流されながら・・・・・・。(ジェス チャーされる)(笑い)そのようになれば、"そのようにまですることができる「재미」がある。”と、結論を下すことができるのではないですか? 皆さんが、そのような「재미」を持っていないとすれば、そのような「재미」を持っている人の所に行って、一度、見物でもしてみたいと思いますか、思いませんか?(「見物したいです。」) それでは、(ここにいらっしゃる) お父様がた。どこに行って、見物しますか? それが、大韓民国にあり ますか? 大韓民国にあると思いますか? 今、おじいさんが「嫌だ。」と言いましたが、“文総裁が、自分 たちのことを「平和大使」として任命したのは、それでも水準以上だったから、そのようにしたのだろう。” と考えたでしょう? 考えましたか、考えませんでしたか?(「考えました。」) それでは、肩をいからせて、「えへん。おい、おまえたち!」と命令する、そのような面白さを感じたのですか? それは違うでしょう? 部落のすべてが好きですか? おじいさんが好きですか? 「好きなものは、夜に見ても良く、昼に見ても良く、夢の中で見ても、悪夢の中でも、おじいさんと出会えば、すべてのものが太平聖代(徳のある君主が治める太平な世の中の時代)になる。はははは……。」と言う、 そのような何かを感じましたか?(「はい。」何が「はい。」ですか? あなたの本当の年は、いくつですか? 本当の年齢 は、いくつですか? (「六十七です。」)わたしにとっ ては、いちばん上の弟ですね、この弟!(「はい。」) しっかりと聞きなさい。(笑い)(お父様も笑われる) さあ、初めて会うのに、そのようなあいさつをする人を見たことがありますか? 韓国の年でいえば、わたしは、今年でいくつですか? 水を少し下さい。これは、黄善酢氏が飲んでいた水なので、わたしは嫌で す。お母様が飲んでいた水が、良いです。(笑い、拍手) 少し寄りかかっても、失礼だと思わないでください。 さあ、文総裁はハンサムですか、醜男ですか? (「ハンサムです。」)わたしは、「醜男」という言葉が、いちばん好きです。世の中から見れば・・・・・・ 昔、若い時には、わたしがハンサムだといって、プロポーズしてきた女性たちが、本当にたくさんいました。わたしは、そのようには思わず、自分がハンサムだと思ったことはないのですが・・・・・・。 では、ハンサムな顔を持った人は、面白いでしょうか、面白くないでしょうか? まあ、このような話を していては、きょう、終日、昼食も食べさせず、夕食も食べさせないかもしれません。文総裁の話は、面白いのです。 それで、十六時間四十五分間、話をしたとき、その男性と女性たちは、面白いので、トイレに行きたいと思ったでしょうか、行きたくないと思ったでしょう か? (「行きたくても我慢しました。」)今、行きたければ、行ってきてください。 それで、十六時間四十五分、十七時間近く話してみると、女性たちが座っていた場所で、水おけをぶちまけたようになっている所が、本当にたくさんありました。男性たちの中にも、そのような男性が、若干いたのです。 世の中に、世界で一等になったものを集めて載せる有名な本があるではないですか? それを何ブックと いいますか?(「『ギネスブック」です。」)何ですか? (「「ギネスブック』です。」)「ギネスブック」というのか、わたしには分かりません。わたしよりも、よく知っていますね。 美男子で生まれれば、面白いでしょうか、面白くないでしょうか?(「面白いです!」) (笑い)それでは、 大衆の恥さらしです。何が面白いのですか?(「ハン サムだからです。」)ハンサムなことが、面白いのですか? 女性たちが皆、"あの男性と一度、暮らせればよいのに。”と考えるのに、それが面白いでしょうか? (「面白いです。」)(笑い) それが面白いというのならば、悪い暮らしをしてきた者たちです。それは、面白くありません。面白くないというのです。ですから、わたしが、大衆の前で 「文総裁は美男子ですか、醜男ですか?」と尋ねれば、「美男子です。」と言うときは・・・・・・。 そのような歴史を話せば、逸話がたくさんあります。 普通の人が持っていない逸話が、たくさんあるのです。 さあ、それでは、本当に文総裁は、ハンサムですか?(「はい。」)(「ハンサムです。」)(笑い、拍手) (「ハンサムです。」)いくら、そのようにおべっかを使っても、弟にしてあげません。(笑い)だからといって、 義理の弟や、婚だというのですか? 婚にすれば、よいのですが?(「してくださらなくてもよいですが、 ハンサムなものはハンサムです。」)(笑い、拍手)(「ハンサムです!」) わたしは醜男(ぶおとこ)なので、皆さんが、わたしよりもハンサムになることを願うのですが、そのように願う切実な心、それが「재미」です。「재미」が、どれほど凶悪でしょうか? ”人よりも劣る人たちが、より優れた人になるように。”と、切実に願う心を持ったことが、”面白い”の ですが、そのように思う人は、良い人ですか、良くない人ですか?(「良い人です。」)何ですか?(「りっぱな人です。」)それは、だれが「りっぱだ。」と言ったのですか? サタン側は、「おい、こいつ。わたしは、いちばん面白くない。」と言うのです。しかし、天上世界で、哀れに腰を曲げて、歴史において恨に恨を抱いて生きてこられた神様は、「おい、サタン世界は、皆、「面白くない。」と言うが、わたしも面白くない。」とおっしゃるでしょうか、「わたしだけは面白い。」とおっしゃるでしょうか?(「……。」) (答えられないのならば、)頭は、小学生の頭も持っていませんね。(笑い) “丸”か『パツ”で尋ねれば、 さっと答えられるはずです。(「お父様のためにと思う心があるので・・・・・・。」) そうではなく、サタン世界は、"いちばん面白くない。”と思い、サタンに唆されて、「あいつがハンサムなのは、自分だけのためだ。」と言うのですが、神様がそれをごらんになるとき、それを”面白い。”と思われるでしょうか? 反対です。 サタン世界が、「醜いやつだ。」と言って、指を指すのです。そうして、この町でも指を指され、あの町でも指を指され、彼らは、ただ。監獄にほうり込んで殺したい。」と思い、すべてを先導して、部落、国の三千里半島(韓半島のこと)、世界版図、すべてを挙げて、 「面白くない。」と言うのです。そのようなとき、 神様は、どのように思われるでしょうか?(だれかが、何か答える) ほかの話をしないでください。神様が、”面白い。” と思われるのか、面白くない。”と思われるのか……。 他の話をしないでください。そのようにすれば、試験の点数が減らされます。 (「平和大使」の)皆さんが、一週間、(修練を)一所懸命にやって、全員、卒業するというので、卒業証 を上げようかと思っていたのですが、それでは、わたしの耳には、聞こえが良くありませんね。(「面白くな い・・・・・・。」)サタン世界が、すべて「面白くない。」と言っ ているのですよ? (「すべてが面白くないので、神様も、面白くありません。」) その代表が、文総裁です。世の中で、"文総裁は優秀である、面白い。”と思った人が、いましたか? ”愚かだ。”と思いながら、「面白い。」と言ったでしょう? そうですか、そうではないですか? 皆さんも、ここに来て座っていますが、文総裁が統一教会を始めるときに、"面白い。”と思った者は、一人もいないというのです。世界がすべて「面白くないやつ」、「処断して、消してしまわなければならないやつ」と言うのです。 それは、なぜでしょうか? 自分たちは、父母に孝行しているのに、文総裁が、「孝行しなさい、この者たち。」と言うからです。おじいさんやおばあさんも、本当のおじいさんになって、孫たちに気合を入れなさい、というのです。 それにもかかわらず、きせるをくわえて、自分たちは酒を飲み、ありとあらゆることをしながら、育ち盛りで罪のない少年たちに向かって、きせるをたたきながら、「おまえは、わたしの言うことを聞きなさい。」 と 言っているのです。 さあ、そのような世の中で、そのようなことを一から百まで、すべて反対にしてみたとき、どうして世の中が喜ぶでしょうか? しかし、秀でていることは秀でている、というのです。 そうして、大きな泰山、峻嶺を越えて、新しい世界を切り開いてから振り返って、「来なさい、来なさい、 来なさい。」と呼んでいるのですが、そのようなヒマラヤの山頂、エベレスト山の山頂のような所で「来なさい。」と言っても、行く人がいるでしょうか?「あいつめ、狂ったか? 嫌だ、嫌だ、嫌だ。」と、皆、言うのです。 さあ、ここに初めて来た(「平和大使」は)、五百十四人ですか?(「はい。」)だれが、祝福してあげまし たか?(「文総裁が・・・・・・。」) 何ですか? わたしも知りませんでした。(笑い)(「はっきりと知って、来ました。」)ええ、何ですか?(「はっきりと知って、来ました。」)「はっきりと知っていた。」と言うのですが、その「はっきり」ということが、昔、皆さんが、そのようにはっきりと理解していれば、皆さんが先祖になって、 今ごろ、自分の子孫たちを祝福してあげ、天の国に直行することができるチケットを買ってあげることができていたはずです。そのようなおじいさんになっていたはずなのです。 それが、神様と、この世の中の万民が喜ぶことができる、正に”面白い”事件であるということを知りま せんでした。日がすっかり暮れて、真っ暗になったので、一般の宗教圏も真っ暗になり、国も真っ暗になったのですが、文総裁は、蛍の光のように、ぴかぴかと光って、異変を起こしているので、「あいつは、お化けだ。」と言っているのです。 わたしが、若い人たちの報告を聞いてみると、「今では、もう「文総裁」という言葉では足らず、「韓総裁」 という言葉では足らず、「真の父母」と言わなければならない。」と言いながら、「真の父母」という言葉を使っていた、という話を聞きました。 そのような話を聞いたのですが、ここにいる五百人以上の「平和大使」の中で、その言葉を使ってみたことがある人は、一度、手を挙げてみてください。こちらの人は、使わなかったのですか? (「これから使います。」)今、尋ねているではないですか?「使ってみたことがありますか?」と、尋ねているではないですか? これからは、「言うな。」と言われても、「悪口を言いなさい。」と言われても、千年、万年、だれが祈祷したとしても、文総裁ではなく、「お父様。」と言うのです。 世の中では、「その『お父様』という言葉が、いちばん悪い。」と言ったのですが、統一教会の人にとっては、「お父様」という言葉が、いちばん良い言葉であり、いちばん面白い言葉であるというのです。 それは、地獄でも天上でも、すべてにおいてです。それは、天上でも必要な言葉であり、地獄においても必要な言葉です。それでは、「真の父母」という言葉は、 面白い言葉ですか、面白くない言葉ですか?(「面白い言葉です。」) 神様がごらんになるとき、神様は、「真の父母、こいつめ。できの悪いやつ。」と、悪口を言われるでしょうか? 神様が、「早く入って来て、わたしの玉座の横に座りなさい。あなたは、難しい難局を収拾したので、わたしは年を取ったので、相続すべき処理方法の権限を打ち立てて、わたしの代行であるという立て札を立ててあげたい。」とおっしゃるとき、それに対して、「はい、 問題ありません。」と言えば、神様は”面白い。”と思 われるでしょうか、”気分が悪い”と思われるでしょう か? おばさん!(笑い) おばさんも「平和大使」ですか? なぜ、ここに来て座っているのですか? (「「平和大使」です。」)「おばさんを「平和大使」に任命しなさい。」とは言っていませんが?(笑い)女性たちが、「平和大使」をしようとすれば、国を治めてから、しなければなりません。 気がついてみると、苦労のひもを引きましたね? 一人で十二人の「平和大使」を食べさせていくことができる女性は、「平和大使」になることができる資格があります。おじいさんたち。おかしな目を開けてはいけません。 また、「平和大使」は、国の十二の団体を食べさせて生かしながら、王宮において忠臣となり、聖人となることができるように教えてあげることができる主人になることができなければなりません。それが「平和大使」です。どうですか?(「分かりました。」) 神様は、すべてのものを失ってしまわれたのです。ですから、自分が、本当に孝子になろうとすれば、神様が失われたすべてのものを取り戻し、自分が持っているふろしきまで加えて、ささげなければなりません。そのような孝子になりますか? それとも、ただそのまま、ささげる孝子になりますか?(「きちんとやります。」) さあ、尋ねているのに、答えずに、「きちんとやります。」とは、どういうことですか? 何も聞いていなかったのですね。ここの若い人? 神様が失われたものを、すべて取り戻したにもかかわらず、それを、そっくりそのまま神様の御前にささげるときに、自分が持っているものを、何でもよいからブラスしてささげなければ、そこに神様を慰労してさしあげることのできる道理はありません。 孝子というものは、父母が、すべてはできなかったとしても、その父母ができなかったことよりも、もっとりっぱに成せば、それが、本当の孝子なのです。 ですから、父母に従っていくのも孝子ですが、父母ができなかったこと以上に、父母のために生きることのできる人が、本当の孝子です。本当に分かりましたか? 本当の天の国の民になりたいですか?(「は い。」) この世界には、六十億以上の人類が暮らしていますが、本当の民というのは、六十億の人類が、普通の愛国者になろうとするのならば、そのような心に対して、それを超えて、さらに加えることができる贈り物を自分で準備することができなければなりません。 そうして、世界の人類を超えて、その代わりに神様にささげてさしあげることができるとき、それらの人類を代表した忠臣の立場に立てることができるのです。それは理論的です。 日記帳に、「どこからか来た『平和大使」は、先生が語る以上の孝子になり、忠臣になり、聖人、聖子の道理を行くことははっきりしているのに、"それ以上に行こう。”という心で、このようにした。」と書かれて、歴史的人物になるというのです。分かりますか、分かりませんか?(「分かりました。」) さあ、それでは、今から本論に入っていきましょう。「私は、面白い人である。」と、一度、言ってみてください。(「私は、面白い人である。」)気分が良いですか?「わたしは、面白くない人である! 文総裁は、 面白くない。」一般の人は、喜んで……。 酒場に行って、お酒の一杯も飲むことができない文総裁は、面白いですか、面白くないですか?「面白いですか?」と、尋ねているではないですか?(「そのようなところが、面白いです。」)「そのようなところが面白い。」と言うのですか? それは、どういうことですか? そのような話が、どこにありますか?(笑い) 「面白い」というのは、(いろいろなものが入り乱れて)まだらになっていれば、それで面白いのですか? また、わたしは、一生の間、たばこを吸ったことがなく、口にくわえたこともありません。たばこを吸ったことがある人たちの前で、「わたしの言うことを聞きなさい。」と言えば、聞きますか? その人たちは、“面白い。”と思うでしょうか、“面白くない。”と思うでしょうか? 「たばこを吸ってはいけない。」と言えば、面白いですか、面白くないですか? なぜ、おかしな顔をしているのですか? それは、間題が大きいのです。 それから、男性たちは、『浮気したい。」と思うでしょう?(「いいえ。」)黙っていてください。お酒をよく飲み、よく踊りを踊るようになっています。(「いいえ。」)何が「いいえ。」ですか? 顔つきが、そのようになっています。顔つきが、そのようになっているというのです。 キリスト教を信じているから、それができなかったのであって、宗教を信じていなければ、そのようにする素質が、充分にある老人です。わたしが、人を見ることができないと思うのですか? (「一月八日から修練会に参加して、その日からたばこを一切、吸っていません。」)それは、イエス様を信じているか、宗教を信じているからでしょう?(「はい。」) なぜ、ひげを、このように伸ばしてきたのですか? (「五十八年から伸ばしてきました。」)きょう、ひげをそれば、記念になるでしょう? 面白そうですね。名前は、何ですか? このような話をしていたら、切りがありません。 さあ、世の中が好み、「面白い。」と言われている人は、”亡国の種”であり、八〇パーセント以上の人が、 そのような”亡国の種”です。分かりますか? それ以外で、世の中が「面白くない。」と言う人は、二〇バー セントに満たないのですが、それは、未来の国と未来の国民が、「面白い。」と言う人です。 そのような人は、現在は、地獄のような環境で暮らしていても、未来において、天国で暮らすことができるのであり、そのような道が近いのです。 きょうの文総裁は、面白いですか? 面白い話を聞いていますか、耳障りな話を聞いていますか?(「面白い話を聞いています。」)この者たち。(笑い) たった今、話したのに、そのように言えば、学校で退学になってしまうし、それでは、学校の名誉を汚す人であり、 国を滅ぼす人ではないですか?(笑い) すみません。 初めて会ったのに、百年来の友達以上に扱って・・・・・・。 わたしは、そのようなことを、よくするのです。話を聞かなければ、気合を入れます。「こいつめ。おまえは、このようにしておいて、なぜ、大きなことを言うのか? こいつめ。腹に黒い炭の山を積んでおいて。」 と言うのです。先生には、そのような何かがあるというのです。 ですから、わたしは、神様までとりこにしてしまっ たではないですか? サタンまでも、とりこにしてし まいました。そのような話を聞きましたか? 先生には、そのようにすることのできる能力があると思いますか? 目は小さくて、鼻は大きいでしょう? 唇は、玉が転がるように、上手に話すことができるように なっています。 きょうから、“自分は、神様から見て面白い人になればよい。”と思う人は、手を挙げてみてください。それは、“これからは良い”という希望です。“きょうから、 自分は、面白い人である。」と決心する人、両手を挙げてください。 "自分は、面白い看板を掲げて、生涯、悪口を言われてもよい。”と、そのように決心して、“死の道でも行く。”という人、立ち上がって、一度、誓ってください。 わあ!(「誓います。」)何ですか?「立ち上がって誓ってください。」と、言ったのです。(「宣誓。」) ここは、皆、座って誓っているではないですか? この者たち。わたしが、目をつぶってあげます。その 後ろにいる人たち、座ってください。 監獄には、罪人がいるのですが、文総裁は、そこに入っていっても、強盗殺人犯でも、憲法に引っかかって何年かの刑を受けてきた人でも、一週間で皆、わたしを好きになるのです。それは、なぜ、好きになるのでしょうか? 現在の立場から、未来に関することを話してあげるのです。分かりますか? 「あなたは、そのような考え方をしているから、そのようになったのです。それではいけません。このようにしなさい。」と、言うのです。 ですから、二週間以内に、わたしが監房長になります。先生には、そのような何かがあるというのです。 手を出さずに消化することのできる能力があるのです。それが何かというと、真のみ言です。分かりますか? ですから、文総裁が監獄を出入りして、罪をたくさん犯したと言われて、監獄に六度も入れば、前科何犯になりますか? 六犯でしょう? さあ、そのような人を相手にしたいですか? わたしは、監獄に入っていって、「監獄の聖者」という名前を持っているのです。”監獄で暮らす聖者”です。(「はい!」)(笑い) 監獄に行っても、面白いのです。面白いことをし、面白い話をし、面白い生活をし、面白くしてあげるので、「面白い。」というのです。分かりますか?(「は い。」)それ以上に良いものが、どこにありますか? もちが食べたければ、もちをもらってくれるのです。 監房の中にかわいそうな人がいれば、面会で差し入れをもらった人に、「おい。差し入れでもらった物の三分 の一を持ってきなさい。」と言えば、持ってくるのです。 先生には、そのような弟子たちが、たくさんいます。 それは、すごいことですか、そうではないですか? (「・・・・・・。」)りっぱなことですか、そうではないですか?(「りっぱなことです。」) どれほど愚かであったならば、監獄に入っていって大将になったりなどするのでしょうか? どれほど愚 かであれば、そのようにしますか? そこ (監獄) に は、問題のある人がいるのですが、そこで大将になる というのですから、もっと問題があるということでしょう? それなのに、どうして“りっぱ”なのですか? しかし、それは面白いことです。分かりますか? ここに来た人たちは、きょうから、そのように考えてください。いくら世の中が大騒ぎしても、きょうから、“自分は、そのような環境で、いちばん底から頂上まで、面白いプログラムをするのに十年もかからない。三年後を見ていなさい。”と、考えるのです。 そのような決心をしないで、天の国の大使になれますか? 文総裁よりもできませんか、文総裁以上にやりますか?(「それ以上にやります。」)文総裁よりもりっぱになりますか、愚か者になりますか?(「りっばになります。」) 文総裁が、(不正を働く) どろぼうでないとして、自分の弟子たちに「真の息子、娘である。」と言って祝福してあげたのならば、「自分よりも、りっぱになりなさい。」と、勧告しなければなりません。「愚か者になれ。」と言う父は、りっぱな父ですか、愚かな父ですか? (「りっぱな父です。」)「りっぱな父」ですか? 「愚か な父」でしょう? 先生の話は、すべて理解できるようにしてください。 理解できれば、面白いのです。ですから、先生は、監獄に行けば、”監獄で面白い人”、建築現場に行けば、"建築現場で面白い人”です。 わたしには、友達がたくさんいます。ならず者たちの中に行けば、運動もすることができ、何か飛んできても、それを払いのけてしまうこともできる人です。防御術ができなくては、革命することはできません。 わたしは、昔、相撲の選手でした。運動も、できない運動がありません。分かりますか?(体も柔軟で) 今でも、この脚が、どこまでも上がっていくというのです。見てください。これ(脚)を、さっと、このよ うに上げれば、ぴたっと(頭に)くっつきます。ぴたっと、つくのです。(拍手) 運動をすれば、できない運動が・・・・・・。相撲をすれば、できないことがあるでしょうか? 相撲を取れば、強いのです。村中で、わたしを恐れない若者はいませんでした。過ちを犯せば、赦しがありません。 ですから、おじいさんから三代に対しても、気合を入れるのです。その気合は、家を火で燃やしてしまうほどです。大物です。一度、言ってみてください。大物。(「大物。」) 先生は、悪の世界に行っても、そこにいる人たちの心を入れ替えさせることができる男です。皆さん統一教会員は、悪の世界に行って、そこにいる人たちの心を入れ替えさせることができる男、女にならなければなりません。善の世界においては、機関車の役割をしなければなりません。機関車です。良いでしょう? (「はい。」) ある村に、おじいさんが暮らしていれば、訪ねて行って、「おじいさん。何で大きなことを言うのですか? 私に一度、教えてみてください。」と言えば、三日もたたずに、わたしに屈伏します。わたしのおじいさんと母親は、そのようになって暮らしました。 ですから、先生は、十二歳の時に、一族の親分になりました。それは、りっぱな子孫ですか、愚かな子孫ですか?(「りっぱな子孫です。」) ここの人たちは、昼なのか夜なのか、よく分からずに座っていますね。「平和大使」の名前までも、すべて忘れてしまいそうですね。(「……「ならず者」が、正しいです。」)「ならず者」ですか? 生まれたいように生まれたのですから、「ならず者」でしょう? 今からは、神様が好まれる「ならず者」になればよいのです。(「真の「ならず者」になります。」)そうです。真の「ならず者」です。 わたしは、世の中で「ならず者」という名前を持っています。(韓国の)八代の政府が、わたしに反対しました。(韓国の)政府が反対すれば、米国に行って、米国の大統領を、わたしが当選させるのです。米国でも、 わたしが三代を大統領にさせました。そのことを皆、知らないでしょう? ここ(韓国)の三代までも、大統領になるうえで、 わたしが、その後援者です。ところが、この人たちは、すべて秘密にして、それを隠しているのです。わたしには、文書があります。発表すれば、このどろぼうのような系列たちの殻を、はぎ取ってしまうのです。 文総裁は、お粗末な人ではありません。あまりにも他の人がひどいので、神様が、わたしのことを信じて、全権大使から・・・・・・。わたしは全権大使です。全権大使なので、その王権が始まって、「おいおい、わたしは、全権大使の王にもなれないので、あなたがしなさい。」と、任せることまで・・・・・・。 何ですか? わたしが話しているのに、だれが口を開いているのですか? そこは、だれですか? ヨーロッパのメンバーですか? 韓国語が分からないので、すべて・・・・・・。ですから、韓国語を学びなさいというのです。さあ、分かりますか? どこに行っても、”面白い親分”になってみましょう。そのようになろうとすれば、その秘訣は、何でしょうか? 拳が強いことですか? 相撲が強いことですか? 頭が良いことですか? 違います。ために生きなければなりません。 皆さん。ここに、(「平和大使」)五百余人を集めておいたのですが、その五百余人の人以上にために生きれば、皆、屈伏せざるをえないのです。皆さんは、どれほど人の世話になりましたか? 世話になった人は、 頭を下げなければなりません。よりために生きる人は、 中心存在にならなければなりません。 一度、言ってみてください。「ために生きる人は、間違いなく中心存在になる。」(「ために生きる人は、間違いなく中心存在になる。」)それを日記に記録しなさい、というのです。 さあ、それでは、盲目的ですか?「盲目的」の反対は、「有目的」です。盲目的ではいけません。なぜでしょうか? それは、なぜでしょうか? まったく、「ために生きる」といっても、ために生きれば、目玉を抜かれ、鼻をそがれ、耳をそがれ、死ぬしかありません。知識をもってそのようにすれば、死にます。滅びるのです。力をもってそのようにすれば、 へし折られてしまいます。分かりますか? お金がたくさんあるからといって、そのようにすれば、お金も飛んでいきます。そのように、ころころ転がる(돈다・トンダ)から「お金(돈・トン)」と言うのではないですか?(韓国語で「お金(돈)」と「転がる(돈다)」は、発音が似ていることから) 転がっていくのです。 しかし、真の愛をもって、よりために生きる人は、父の立場を経て、王の立場を経て、神様の立場まで継続するということを知らなければなりません。分かりますか?それは、なぜ、そうでなければならないのでしょうか? 皆さん。今から「平和大使」になろうとすれば、哲学的価値観を持って、根を植えなければなりません。 なぜ、ために生きなければならないのでしょうか? 悪の世の中で「自分に偉い」と言って誇る世の中で、なぜ、愚か者のように、ために生きなければならないのですか? いくら偉いといっても、人生行路には、波乱、曲折がたくさんあるのです。高い所や低い所にぶつかって、「自分は偉い。」と言っていながら破産すれば、どうしようもありません。うまくいっているときにも、人からために生きてもらい、うまくいっていないときにもために生きてもらい、三度、そのようにすれば、訪ねていく所がなくなります。 「だれそれよ。世の中を見渡しても、父母までもわたしを捨てた。」という話があるではないですか? 「兄弟までも皆、わたしを捨てた。国までも捨てた。ところが、おまえだけはわたしを捨てなかった。捨てることができないということを、わたしは知っている。」 と、そのようにならなければなりません。 そのようになれば、父よりも、兄弟よりも、国の国王よりも、国民よりも、もっと尊重視するようになるということを知らなければなりません。そのようなことは、可能性のある話ですか、ない話ですか?(「ある話です。」)<その2/4へ続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ その後ろの方に座って、居眠りしている人たち。目を開けなさい、というのです。わたしの話が、聞こえ ますか?(「はい。」)この者たち! 皆さん(「平和大 使」)ではありません。統一教会の人たちです。(笑い) 「ああ、これは、(平和)大使たちを集めておいて、 「この者たち」とは、何だ?」と言うでしょう? それ は、わたしの年齢から見れば、皆、子供に当たる年齢 ではないですか? 違いますか? (「そのようにおっしゃるので、もっと面白いです。」) ですから、統一教会に入ったために、たたかれて家 から追い出され、父母、おじいさん、三代が反対し、 「荷物をまとめて出て行け。」と言われて追い出された としても、それでも行くのです。 「私の行くべき道がある。お父さんよりも、もっと面白く、おじいさんよりも、もっと面白く、妻よりも、 夫よりも、もっと面白い所があるので、私は行く。世 の中よ、さようなら。」と言って、反対されても行くの21 Family 2002.3
2024.07.27
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第1091回 天心苑特別徹夜精誠 (07/26)レダはノアだった。日本は勝つ。第1091回(7/26) 天心院特別鉄夜政性、ソン・ヨンチョン世界宣教本部長レダ訪問記及びビジョン2025 勝利 勝利 勝利一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.26
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[摂理人物シリーズ - 思い通りに立って] 久保木修己2024/07/22▶第11編_久保木修己◀一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.26
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『真の父母様宣布文サイト』より新着です。詳しくは公式サイトにてご確認ください。お母様が「『原理講論』はもう教育する必要がない」と語ったとする〝虚偽情報〟 | (1) 非原理集団の〝み言改ざん〟に基づく批判 真のお母様や家庭連合を批判する人々、いわゆる「非原理集団」(UCI、サンクチュアリ教会等)は、2024年7月18日に真のお母様が語られた「今までの統一教会の歴史における『原理講論』は、荒野時代で終わったのです。天一国時代においては、『真の父母論』です。創造原理は、創造主、天の父母様です」というみ言を〝改ざん〟し、以下のような〝虚偽情報〟を流しています。 「これからは『真の父母論』を講義しなさい。『原理講論』はもう教育する必要がなく、その代わりに『真の父母論』で教育しなければならない」 非原理集団は、このようにみ言を〝改ざん〟して、お母様を批判しています。実に悪質です。お母様は「『原理講論』はもう教育する必要がなく」などとは語っておられません。これはお母様を批判する人々が悪意をもって〝み言改ざん〟をし、広めている〝デマ〟です。 最初のところで取り上げたお母様のみ言は、その意味を補足して述べると「今までの統一教会の歴史における『原理講論』(の内容)は、荒野時代(まで)で終わっ(ている)のです。天一国時代においては、『真の父母論』です」という意味で語っておられるみ言です。…… 「真の父母論」を講義するにあたっては、旧約や新約聖書、『原理講論』を踏まえた上で、天の父母様およびその実体である真の父母様を伝えていかなければなりません。 今回の「非原理集団」が流す〝み言改ざん〟に基づく虚偽情報に惑わされないよう気をつけなければなりません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.24
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み言葉ーアダムとエバが失った真の愛を悟りなさいーイ・ギソン苑長ー1069回天心苑特別徹夜精誠2024/07/23一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.24
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第十九回「愛勝日」での御言 第十九回「愛勝日」の記念行事が、二〇〇二年一月二日、文興進様十八周忌、惠進様三十八周忌、榮進様三周忌、喜進様三十三周忌、信禮様一周忌、さらに羅榮新様(惠進様のご相対)と李惠信様(喜進様のご相対)の追慕礼拝も兼ねて、天宙清平修錬苑の天城旺臨宮殿大聖殿で挙行されました。今年から「愛勝日」は、文興進様だけを追慕するのではなく、摂理史の中で犠牲になられた真のご家庭のすべての方を追慕することになりました。第四回「愛勝日」での御言を訓読した後、真のご父母様が集った約三千名の教会員に御言を語られました。 真のご父母様の保護と保障を受けなければならない この時間は、霊界の興進君、霊界の祝福を受けた群れたちがすべて、ここに集まっています。 神様もここを中心として……。それゆえ、私がこの場から下りて少し御言を語って、結論を下さなければなりません。 私たち統一教会の教会員たちは、服装も変わらなければなりません。今まで世の中の正装といえば、背広を着てネクタイを結ばなければなりませんでしたが、それを否定しなければなりません。新しい革命をしなければなりません。今後、先生は、このようなネクタイを結ばない服をつくろうと思います。分かりますか? 本部にそのような服をつくる人を置くので、今から皆さんは、それを三着ずつ準備しなければなりません。三着ずつ準備して、それを公式的な集会などで集まる時に着なければならないのです。サタン世界の招待を受けたり、記念の行事をする時には、条件を立てて、サタン世界を導くために、ネクタイを結ぶことは許諾するのです。分かりますか? (「はい」)。変わらなければなりません。制服も変わります。霊界の基準に従ってしなければなりません。突然行えば世の中が驚くので、一つずつするのです。何のことか分かりますか? (「はい」)。 今、世の中を見れば、豊かに暮らしている人々や女性で、数十種類、数百種類の服を持っている人がいます。そのようにすることはできません。女性たちは、一日に何度着替えたいと思うのかというと、朝に着替え、昼に着替えて、夜に着替えたいと思うのが、女性たちの習慣性なのです。 着た服を誇り、次には、着た服に合わせて化粧もしたいのです。化粧は、服に合うようにするのです。自分の顔が長い形態か、丸い形態か、四角い形態か、それによって服の色も自分が選択し、美術的な内容を備えることができる生活的中心夫婦にならなければならないと思うのです。分かりますか? (「はい」)。 女性と男性はすべて、顔が違います。男性は顔が大きく、女性は顔が小さいとすれば、顔の小さな婦人は、服を大きくしなければなりません。化粧も、夫の格に合わせてするのです。自分を中心として化粧して遊びに出かけるというのは駄目です。分かりますね、女性たち? (「はい」)。 お金を使うにしても、女性たちは隠れてたくさんのお金を使います。これで生活しなさいとお金を預けても、自分勝手に使います。女性は、一か月暮らす計画をすべて男性に「このように暮らします」と報告して、その範囲で活用し、バランスをとって預金をするとか、あるいは、だれかにあげたいと思えば、「だれだれにあげます」と言わなければなりません。一か月の計画した金額を超えれば問題になるのです。 地の基盤が水平にならずに傾くので、終末に至って生活破綻が起き、悲しみが広がるのです。そのことを知らなければなりません。それが地上だけではなく、霊界に直結するのです。きょう、そのことを理解しなければなりません。 今までの先生の一生において、迫害を受けてきた生活は、すべて霊界に直結した生活でした。霊界に地獄があるので、それを解いてあげるためには、はしごが必要です。そのはしごは、天上世界の頂上から地上地獄の底までかけて、それを忍耐して支え、そのはしごを踏み上がっていかなければならないのです。高ければ高いほど、はしごが長いのです。それを登っていくには、注意、注意……。一度言ってみてください。(「注意!」)。 今、登っていくのは四位基台なので、父ははしごの右側に立っていて、母ははしごの左側に立っていて、息子・娘ははしごの下に立っていて、父のするとおりに一歩登り、母のするとおりに一歩登り、ついて行かなければならないのです。そうすれば、怖くないというのです。分かりますか? 千尋、万尋の高い天国に登っていくのですが、ヤコブに夢の中で霊界のはしごを上っていくのを見せてくれたのは、未来の蕩減の道を行くことを見せてくれたものだということを知らないのですか? それと同じように、はしごを登っていくのに、父母と手をつなぎ、足も同じところを踏んで登っていけば、ついて行く息子・娘は怖くありません。父母の後について行くからです。別れてしまえば、ふらふらして落ちざるを得ない危険な道を行くのです。ですから、父母がはしごを登っていく道と同じように、皆さんが、息子・娘の前に一〇〇パーセント、手本になってはいけません! (「ならなければなりません!」)。 父母たちはすべて、手本にならなければならないのです。先生も同じです。息子・娘の前に何を見せてあげたのかというと、苦労して悪口を言われる姿を見せてあげました。 「私たちの父は、生涯、家にいないで、息子・娘をほっておいて出ていき、世の中では酒を飲んで放蕩息子になって国を滅ぼしているのに、酒も飲まずに何をしているのか分からない。いつも悪口を言われて監獄に引かれていき、町内から追い出されている。そのような父を私たちは好まない」。好まないものを好んでこそ、蕩減できるのです。分かりますか? ですから、統一教会は、世の中の人が好む自己中心の道とは、一八〇度、反対の好まない道を行かなければならないのです。 手本にならなければならないのです。おじいさんとおばあさんが父母の手本になることができない家庭は、おじいさんとおばあさんができなかったことを、父母が蕩減しなければなりません。父母ができなかったことは、息子・娘が自分の家で蕩減しなければなりません。この法が残っているというのです。その法に従わないその一族は、分散、分散して、最後には、すべて失ってしまった孤児の立場になるのです。 息子・娘がいる人、手を挙げなさい。では、息子・娘が好きですか、嫌いですか? (「好きです」)。では、好きだという父母が、良い父母ですか、悪い父母ですか? (「良い父母です」)。父母が息子・娘を好む、その相対的立場に立たなければならないので、息子も父母を好きになって、初めて平和が展開するのです。主体と対象が平和。ここで水平にならなければなりません。水平になって初めて、天が干渉して、地の中心の位置をつかもうとするのです。水平にならなければ、中心をつかむことはできないのです。分かりますか? (「はい」)。 はしごをかけるのですが、そのはしごが曲がっていてよいですか? (「いけません。まっすぐでなければいけません」)。真のご父母様がはしごの中心になったとすれば、今後皆さんは、はしごの横木になるのです。それが祝福家庭です。皆さんの家庭です。真のご父母様がはしごの支柱になり、穴をすべて開けて、合わせることができるようにしておきました。これに合わせるには、その長さなどを知らなければなりません。いくら優秀だとしても、そのはしごがどのくらいの幅で、どのくらいの穴の大きさか知らなくては……。 はしごをつくる時には、父に完全に「私のはしごはこうですが、どうでしょうか?」と尋ねて、「そうでなければならない」と言われなければなりません。真のご父母様が承認しないはしごの横木は、千万個あったとしても、必要ないのです。天国に行こうとすれば、真のご父母様の保護と保障を受けなければならないのです。 そのように父母の前に順応せず、絶対信仰、絶対愛、絶対服従した一体的権限を備えることができなければ、いくらはしごの支柱が丈夫でも、仕方がありますか、ないですか? (「ありません」)。真のご父母様から祝福を受けた息子・娘の家庭は、中心の支柱である真のご父母様の横木にならなければならないのに、そこに合わなければ、役に立ちますか、立ちませんか? (「立ちません」)。きょう、そのことをよく知らなければなりません。 はしごとは、成約時代の原理 それでは、興進君の前に先生は父母ですか、何ですか? (「父母です」)。どのような父母ですか? (「真の父母です」)。真の父母とは何ですか? どこに行っても、息子・娘を中心として、その家法なら家法、天の国の天一国があれば、天一国憲法、その法に合わなければなりません。横木のようにです。自分が登っていく支柱があれば、その横木になることができなければならないのです。父母がそのようなはしごの中心の長い材木になっていれば、そこに合うようにならなければならないというのです。 さあ、高いほど、はしごは狭くなければなりません! (「広くなければなりません!」)。高いほど、中心を支える横木の長さは狭くなければなりません! (「広くなければなりません!」)。広くなければなりません。どのくらい広くなければなりませんか? 自分勝手であってはいけません。自由というもの、個人主義というものは、滅亡を招来する罠であるということを知らなければなりません。 見てください。おじいさんとおばあさんがいるにもかかわらず、「私はおじいさんはいらない」と言えば、そのはしごが折れるのです。はしごが曲がってなくなるのです。三代を通して登っていくのですが、一代がありません。このように考えるとき、おじいさんが必要ですか、不必要ですか? (「必要です」)。そのことを知らなければなりません。 おじいさんがいない人は、どうするつもりですか? 借りてきて、偽者でも自分のお父さんに接ぎ木しなければなりません。嫌でも、接ぎ木してから死ななければなりません。そうしてこそ、天の国にはしごができるのです。おばあさんもいなければならないでしょう。おじいさんとおばあさん、お父さんとお母さん、自分たち夫婦、三代圏が茎を支えることができるように、力の中心台にならなければならないのです。 その横木が、この中心の支柱よりも太くなければなりませんか、細くなければなりませんか? (「細くなければなりません」)。太ければどうなりますか? 太ければ登っていくことができません。登っていくときに、この横木をつかんで登っていかなければならないでしょう。これをつかんで折れてしまったら、落ちてしまいます。ですから、横木は中心の支柱よりも太くなければなりません! (「細くなければなりません!」)。太くなければなりません! (「細くなければなりません!」)。はっきりと話を理解してください。大きくなければなりません! (「小さくなければなりません!」)。小さくなければなりません。それを握っていくのですが、大きければどうなりますか? 合いません。事故が起きます。 では、皆さん今、復帰路程において、家庭的メシヤが登っていくはしご、氏族的メシヤが登っていくはしご、国家的メシヤが登っていくはしご、天国に登っていくはしごが、同じでしょうか、違うでしょうか? (「同じです」)。はしごのこの柱が同じでなければなりません。皆さんの横木は、十個のところを二十個にしてもかまいません。分かりますか? 先生の御言を中心としてはしごをつくるのです。「ああ、私は背が高いので合わない」と言って、十個のところを八個にしてもかまいません。それは、他の人よりも早く登っていくのです。他の人よりも早く登っていくことは、良いことです! 悪いことです! どちらですか? (「良いことです!」)。 話を理解することができなければなりません。気を引き締めて聞かなければなりません。決定的な問答をする時に間違えば、地獄と天国に分かれる時が来ました。それはどういうことでしょうか? きょう、先生の話をいいかげんに思う人は、いいかげんにできた地獄に三六〇度、逆さまに落ちてしまうのです。しかし、分別をもってそれを聞いた人は、「天国に行くな」と言っても、登っていくのです。アーメンですか、ノーメンですか? (「アーメン!」)。 それでは、今から天国に行く時に、天の国に登っていく八段階のはしごをつくって登っていきますか? 一緒につくって登っていくのがやさしいでしょうか、どうでしょうか? はしごの見本を写して、自分の身の程に合わせてはしごをつくったとしても、神様は「おい、こいつ。私がつくった設計どおりにしなさい。なぜ、自分勝手にするのか?」とは言いません。息子・娘なので許すのです。真のご父母様を不便にさせてしまったので、復帰摂理も楽に行くことができるように、一度にすべてやってしまえば、どれほどよいでしょうか? 八段階に分けるのは悪いことのようですが、登っていきやすいので、否定する人はいません。神様は「自分に合うようにはしごをつくりなさい」と言われたのですが、サタン世界には原本がないというのです。設計することができる原本です。 あなたたちは、ここに来て座っているのですが、どのように座っていますか? 自分勝手に座っていますか、何、定着ですか? (「正午定着です」)。ここに来れば、正午定着しなければなりません。正午定着という言葉は、先生が入籍修練会で強力に話をしました。正午定着しなければなりません。過去のことが影にならず、現在においても影をつくらず、未来においても影がないようにするのです。神様が正座された、その垂直の真下の位置に立っているのが、正午定着です。良いですか、悪いですか? (「良いです」)。 それでは、オーケーと言って天国の門を開けば、だれが先に入っていくのですか? 女性が先に入っていくと思いますか、男性が先に入っていくと思いますか? それが問題です。天国に一緒に入っていくとすれば、女性が先頭で入っていくのですか、男性が先頭で入っていくのですか? 「二人が完全に通ることができる門である」というのが、公式にならざるを得ません。反対しますか? (「しません」)。 救世主とは何ですか? はしごを中心として登っていくことができないので、登っていくことができるようにするのが救世主だというのです。真の父母が来たというのです。はしごが自分勝手につくられてはいけないのです。規格をつくるのです。いくら困難でも、いくら春夏秋冬が変わり、革命が起きても、登っていくならば、間違いなく神様の玉座圏内にまで参席することができるのです。そのはしごの規格がなければならないのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました」)。 さあ、個人復帰するうえで、一人でするのは困難です。分かりますか? 家庭復帰するうえで、自分たちだけでできるでしょうか? はしごをつくって登っていくことはできません。つくっておいても、またつくらなければなりません。家庭のはしごの上には国家のはしご、国家のはしごの上には世界のはしご、世界のはしごの上には天宙のはしご、天宙のはしごの上には神様の愛のはしごがあるのです。そこまで行かなければならないのです。 はしごを自分勝手につくりますか? (「いいえ」)。ですから、絶対、(「従順!」)。信仰! 「ああ、絶対愛だ、絶対否定だ」。嫌でしょう。絶対的な基準において、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の立場で、絶対定着しなければなりません。定着した後に生活をするようになれば、「安着」という言葉になるのです。 ですから、神様の祖国定着大会をしましたか、できませんでしたか? (「されました」)。そして、どのようになるのですか? 安着です。その次には、天一国定着とともに安着を宣布し、安着とともに安息するのです。すべてを成し遂げれば、その次は、ぐっすり休もうというのです。 安着だけが目的ではありません。本来は、「安着、安息、万歳」と言うのですが、あまりにも長いので、「安着万歳」にしたのです。「万歳」というのは何ですか? それはいいかげんにするのではありません。国があって、保障され得る背景が必要なのです。「個人だれだれ万歳」と言うとき、自分を守ってくれるではないですか。そこには、氏族があり、民族があり、国家があって保障を受けることができるので、万歳なのです。保障を受けることができる環境もつくることができずに、万歳をすれば、それは狂った人です。分かりますか? (「はい」)。 先生を通して天地の保護圏、世界を越えた保護圏、聖人の保護圏、それから国家保護圏、民族保護圏、氏族保護圏、家庭保護圏、個人保護圏をつくる、はしごをつくっておいたというのです。そのはしごが、統一教会で言う成約時代の原理なのです。アーメン! (「アーメン!」)。原理とは何ですか? 理知にかなった原理、根本にかなった理知です。 興進君も霊界に行って、はしごがなければ登っていくことはできないのです。そこまで登っていったのは、先生が背負って登っていったのです。真のご父母様が背負って登っていきました。「もうすべて登ってきたので、おまえは下りていくことができる」。そうではないですか? あまりにも高いので、登っていくことができないと思っていたのですが、山頂に登ってみると、下りていくのは、本当に簡単だったというのです。 私は申年なので、木にも上手に登るのです。亨進君も運動の素質があるでしょう。体が柔軟です。今でも先生は、この指がここにつきます。相撲をすればチャンピオンになり、レスリングをすればチャンピオンになり、柔道でもチャンピオンになることができる素質があるのです。それをしても生きていくことができるのに、統一教会の文教主という道に、間違って来てしまいました。一番愚かなものをつかみました。茨の道です。上にも刺、下にも刺、四方に刺です。 はしごが必要ない人、手を挙げてみましょう。はしごが必要ならば、目を閉じて手を挙げなさい。手を挙げるのも、両手を挙げようとするのですか? 挙げたいように挙げてください。下ろしてください。 地獄を撤廃し、サタンを追放し、神様の王権を迎え入れる さあ、きょうは何の日ですか? (「愛勝日です」)。愛勝日です。愛勝日とは、どのような日ですか? 愛が勝利しました。何を勝利したのですか? 愛が何に勝利したのかというのです。(「死亡です」)。どんな死亡ですか? 死亡の親分、サタンに勝利し、サタン世界に直結した地獄を撤廃してしまいました。それを勝利したのです。分かりますか? では、そのような愛勝日を守る人たちが、サタンの罠に引っかかるのですか? 地獄に行った人たちが歩んだ足跡に従っていくのですか? 「死んでも従っていかない!」という自信がありますか? 批判しなければなりません。 勝共大会を何か所でしたのですか? (「八か所です」)。八か所に何か国の代表が集まったのですか? (「七十二か国です」)。七十二か国です。七十二数は、イスラエル民族がエジプトに下っていったその三族(父の家系、母の家系、妻の家系)の数です。七十二数の中には、十二支派が含まれるのです。それゆえ、八十四名と同じ数に該当するのです。 イエス様も、十二弟子と七十門徒、百二十門徒……。七十門徒だけでも、モーセはカナン復帰する必要がありませんでした。イエス様も、八十四名、七十二名が一つになって十二支派を編成することができていたならば、イエス様は死にませんでした。百二十門徒は、東西南北を通して四方を備え、この天地の運勢が十二数なので、百二十名を備えてその中央の位置に立つようになれば、イスラエル民族解放圏、イスラエル家庭解放圏、国家解放圏の中心になるのです。分かりますか? そこで十二支派が一つになり、そのようになれば、この世界の十二国家の中心となり、相対的十二数と一つになれば、世界が統一され、統一された世界の基準が中心となって天地の十二数を合わせれば、天下が統一されるのです。その中心の根は家庭です。家庭なのです。分かりますか? そして、氏族です。十二氏族です。 きょう愛勝日の日に、皆さんに勧告することは、愛勝日をもって何をするのかということです。何をするのですか? 地獄を撤廃し、サタンを追放し、神様の王権を迎え入れるのです。目的はこれです。 それでは、愛勝日のその原則に従っていく人は、どこに行っても勝利だけがあるのであって、破綻はあり得ないということを知らなければなりません。先生がそのようなはしごの原則に従って四十年間歩んでくる中で、艱難が起きた時には、サッと頂上の神様にピタッと九〇度で、その下に立ちました。 愛勝日の勝利は、神様を占領するためのものだというのです。神様を占領すれば、神様はどこに行かれるのでしょうか? 神様の家庭がなければならず、神様の氏族が必要であり、神様の民族が必要であり、神様の国が必要であり、神様の世界と地上天国が必要なのです。分かりますね? 神様を占領するのに、いきなり頂上に登っていく方法が、どこにあるのですか? チャンピオンシップを勝ち取ろうとすれば、地方の愚かな人が訓練されて地方の親分になり、その次に郡の親分になり、道の親分になり、国の親分になり、世界的親分になって、世界チャンピオンの神様の代身となり、神様が出てこられて「おい、おまえ、よくやった」と歓迎してくださるのです。 神様も、一度にガチャッと、全知全能な神様になられたのでしょうか? 神様も成長しながらそのようになられたでしょうか? (「成長してそのようになられました」)。それをどうして知っているのですか? (「原理がそうです」)。原理がそうだというのですか? 道理がそうです。原理というものは、原則を言い、事実と合うものが道理です。「道理にかなう」と言うでしょう。原理原則に合えば、「道理にかなう」と言うのです。言葉を分別して言うことができなければなりません。 神様も成長してこられたのです。では、神様がお生まれになった時があったのでしょうか、なかったのでしょうか? それが問題になるではないですか? 原理講義をするのに、それも考えてみなかったのですか? 生まれる時には、神様が一人でお生まれになったのでしょうか、神様の妻になる人も生まれたでしょうか? 「アダムとエバのように、神様も双子で性相と形状の一体ではないか」ということを考えてみましたか? 双子で育ってこられたでしょうか? 一人で孤独に生きてこられたでしょうか? 双子で生まれることは生まれましたが、風呂敷を脱ぐことができませんでした。その風呂敷を脱いだのが創造です。見えないように風呂敷で被せて分からないようにしていたのですが、風呂敷を脱いだのです。「ああ、男性という神様、女性という神様。風呂敷を脱いだ実体、神様が入っていって暮らす家ができた」と言えば、実感がわくではないですか? 神様がご飯を食べられる時、エバはご飯を食べたでしょうか、食べなかったでしょうか? へその緒で、神様が食べられる時に、むしゃむしゃと一緒に食べたでしょうか、別々に食べたでしょうか? (「一緒に食べました」)。本当ですか? 見ましたか? 道理がそうです。 李総長! 聞いてから会議に行けばよいのです。会議よりも、貴いものを探し求めるためにもっと苦労したならば、その中心となる人は、夜になれば賞をもらうのです。「昼は叱責したが、夜はあなたに賞を与える。よくやった」となるのです。先生は、そのような体験をたくさんしました。神様が私に教えることはできないのです。革命的です。先生に革命的な素質がありますか、ありませんか? (「あります」)。 さあ、はしごが必要でしょう。(「はい」)。それはどのようなはしごかというと、四本の足をいうのです。お父さんとお母さんの足、四本の足です。そこからはみ出せば、死のはしごになるのです。はしごが二つあります。父母のはしごにしがみついて暮らす人は生きますが、それを否定すれば死ぬのです。死のはしごです。自分勝手にすれば、サタンが所有するのです。自分勝手にしていては死んでしまいます。ですから、はしごが絶対に必要ですか、必要ありませんか? (「必要です」)。 父母が絶対に必要ですか? (「はい」)。息子たちが追い出される時、父母にしがみついて、服をかみちぎり、肉をかみちぎり、骨をかみ砕き、骨髄をかみ砕いて、すがれば、蹴飛ばすでしょうか、しかたなく「私が間違っていた」と言うでしょうか? しがみついて放さない時には、ご父母様は悔い改めるのです。悔い改めて赦さざるを得ないというのです。分かりますね? (「はい」)。 真のご父母様の前に、たくさんの罪を犯したでしょうか、犯していないでしょうか? (「たくさん犯しました」)。はしごの中に入っていって暮らそうとしましたか、逃げようとしましたか? 死のはしごです。自分勝手にしようとしましたか、真のご父母様のみ意のままにしようとしましたか? この 邪 な者たち! どのようなはしごですか? 死のはしごですか、ご父母様の四本の足ですか? (「ご父母様の四本の足です」)。どのような四本の足にしがみつきますか? しがみついてぶらさがり……。 皆さん、コディアクにいる熊のことですが、その熊に子供が四匹いました。やあ、私はそこから多くのことを学びました。一番大きい子供は母親の首の後ろに、次の小さい子供はおしりに、次の小さい子供は二本の前足にしがみつき、一番小さい子供は二本の後足にしがみつき、四匹が母親にしがみついていました。「やあ、統一教会の原理を彼らはすでに成し遂げているなあ」。(笑)それは正しい話です。そのようにしてでも、自分の生きる道を探しだすために、食べて生きていくために、父母は、夜も昼も寝ずに餌を求めて狩りをしているという事実を知らなければなりません。分かりますか? それが、父母が行く道です。私はそのように生きようとしたのですが、あなたたちの目が悪かったのか、頭が悪かったのか分かりませんが、そのような群れを見たことがありません。ああ、父母の首、臭いのするおしり、胸にしがみつき、足にしがみついてぶらさがり、そのまま川を越えていくのを見ると、ああ……。 父母は、そのような熊よりも優れていなければならないでしょう。親熊は、子熊よりも優れていなければならないでしょう。(「はい」)。ろくでなしです。それをどこかの市場に行って売れば、よくできているという一等の商標をつけることはできません。十等の商標にしかならないということを知らなければなりません。ところが、「私は一等の商標だ」と言うのです。ここに来て座っている古くなった人たち、年老いた人たち、三十六家庭、だれが前に来て座りなさいと言ったのですか? 順理どおりにすれば、波の波動が伝わる時、最初の波動の次に来る二番目の波動、三番目の波動、三代がピタッと同じ間隔を守りながら波動を伝えていくのです。そのことを知っていますか? そうだとすれば、三十六家庭ならその下は何ですか? 七十二家庭です。その下は何ですか? 百二十家庭です。その次には、自分の息子・娘を立てなければならないのです。そのような道理になっています。 はしごを置くのも、自分勝手に置いてはいけません。「ああ、早く登っていこう」と、近くに置けば大変なことになります。それを登っていけば、倒れて、おしりから逆さまにドカンと倒れるのです。余裕をもって、はしごが逆さまに引っ繰り返らないように置かなければなりません。分かりますか? はしごを垂直に置くのを見たことがありますか? (「見たことがありません」)。 垂直に登っていくことはできないので、垂直に置いてはいけません。あなたたちの環境に合わせて、父母、自分の信仰の息子・娘を率いて、喜んで、喜んで、一人も事故を起こさないように、角度を円満にしておかなければなりません。分かりますか? (「はい」)。はしごは、二本足がよいですか、四本足がよいですか? (「四本足がよいです」)。父の台と母の台があり、台を四つ立てたので、どれほど丈夫ですか。 はしごが好きだという人は手を挙げなさい。死のはしごではないのです。(「はい」)。父母の前に孝行して、夜も喜び、昼も喜び、孝行しようとして生まれ、孝行しようとして生き、死にながら孝行の立て札を立てて、「父母が神様の前に孝行したので、永遠無窮に私以上に愛してくださいますように」と言う時、神様が目を見開いて、「そうか、そんな父母がいたのだなあ」と言いながら、「おい! あなたたちも天国に来るが、あなたたちの息子・娘も天国に来てもよい」と言われ、二代、三代がそのまま従って入っていくのです。分かりますね? (「はい」)。 先生が生きているうちにすべて成し遂げる さあ、このように考え、先生がはしごの法則を利用するという時には、地上に父母がいなければならず、天上に父母がいなければならないのです。神様は無形だからです。それで、そのようにすることができないので、地上には父のはしご、天上には息子のはしごを分けて、橋を架けたのです。 ですから、興進君は、真のご父母様が何をするとしても、絶対信仰、絶対、何ですか? (「絶対愛です」)。その次は服従です。「地上に下りてきて働きなさい。きょうから薫淑の部屋に入っていって愛し合って暮らしなさい」と言えば、どのようになるでしょうか? (笑)ああ、笑うなというのです。答えなさい。 先生が興進君に拍子を合わせるのですか、興進君が先生に拍子を合わせるのですか? (「興進様が先生に合わせます」)。私が直系の息子・娘に拍子を合わせるのですか、直系の息子・娘が父母に拍子を合わせるのですか? (「お父様とお母様に……」)。あなたたちはどうですか? どこに拍子を合わせるのですか? 顯進! 亨進はどこに拍子を合わせますか? それでオーケーです。善進、分かるでしょう。 興進君は、先生がしたこと以上のことをしたいと思っています。それが孝子です。王が国のために忠誠を尽くす、それ以上しようというのが忠臣です。聖人も同様です。聖人たちは世界を愛して死んでいきましたが、死なずにそれ以上、生きてその御旨を成し遂げようとする人が、本当の聖人です。本物です。聖子も同様です。その御旨を成し遂げて、その場で神様の愛を直接受けることができる立場に立ってこそ本物です。そこから解放が展開するのです。 自分の息子・娘で他の大学に通っている者たちは、全員、鮮文大学、ブリッジポート大学に転校させなければなりません! ブリッジポート大学は、ソウル大学を卒業した人が入籍し、東大を卒業した人が入籍する学校です。そこに不満がありますか? (「ありません」)。あれば手を挙げなさい。すぐに行動しなさい。 それを早く実行すれば、天一国の理想が、地上・天上天国に短期間のうちに成し遂げられますが、それを曖昧にしていては、どうなるでしょうか? 先生がいなくなる時には、皆さんが天一国をつくり、うまくやっていく自信がありますか? ありますか、ありませんか? ないではないですか。それは、先生が生きているうちにすべて成し遂げるのです。それで九十二歳まで延長しながら、どのようにして九十二歳を越えるのかというのです。 神様からの手紙を、全員聞いたでしょう。無知蒙昧なサタン世界の真ん中に生まれ、このように死ぬほどの苦労をしながら、神様を解放すると……。「神様の王権を樹立し、神様を解放して孝行する」。そんなことを考えるのは、狂った人ではないですか? 正常ですか、狂っていますか? それは、狂った人ですか、正常な人ですか? (「正常です」)。お父様に会って、「私の国に大使館をつくってください」と言うのが忠臣ですか、逆賊ですか? (「お父様を愛しています」)。(笑)そのような答え方がどこにありますか? お父様を愛するよりも、大韓民国を愛するよりも、世界に天の国の大使館をつくって、天下に号令することができるようにすることを、もっと愛しなさい。 神様に「つくってください」と言わなければなりませんか、「私がつくります」と言わなければなりませんか? (「私がつくると言わなければなりません」)。大使館をつくってもらうことを恥だと思わなければなりません。自分たちがつくらなければなりません。自分の国を守ることができる防波堤です。台風と波が押し寄せてくるのを防ぐ防波堤なのです。自分がしなければなりません。分かりますね? さあ、それで興進君が逝くようになった動機は、八大都市で勝共大会を行ったためです。これが一番目であり、二番目は何かというと、七十二か国の国家代表を連れてきてその大会を行ったので、逝ったというのです。分かりますか? その国を保護し、御旨の基盤を築くためです。防御するためだというのです。今、そのような時が来ました。 ですから、先生が何かをする時、神様王権即位式をする時に、興進君を考えたでしょうか、考えなかったでしょうか? そこに通告して、行ったでしょうか、そのまま行ったでしょうか? 歴史的な非業の死を遂げたので、先生がその解放をするためにも……。 今回、先生は何か都市で復興会をしましたか? 尋ねているではないですか? 天一国の宣布をする時に、何か都市を巡回して発表したのかというのです。八か都市です。三か国です。日本でも八か都市、アメリカでも八か都市、三かける八は二十四、十二か月を中心として、節気でいえば二十四節気です。合うというのです。国を防衛し、世界を防衛しようとするので、天一国を発表する時に、反対者がいてはいけないのです。韓国でした時に反対がありませんでした。 八大都市で行って、九回目には「トップクラスの人たちはすべて集まりなさい」と言いました。世の中で我こそはという人たちがすべて集まっているのに、激しく蹴飛ばしてしまいました。国会議員をした人は、何度私にしかられても、顔がむかむかっとなりませんでしたね。笑っていました。大韓民国でそのような大会において、宗教の責任者が、国家の我こそはという人をめちゃくちゃにしても、みな笑って喜んでいたのです。なぜですか? 先生が成し遂げた実績を押しのけることはできません。居間にいるおじいさんから、社会に出て活動するお父さん、それから外国に出て大使をしている孫まで、反対できる主体性はないのです。 先生は興進の恨を解いてあげなければならない さあ、ですから、興進君も先生に拍子を合わせてはいけません! (「合わせなければなりません!」)。あなたたちは、合わせてはいけません! (「合わせなければなりません!」)。興進君に合わせますか、先生に合わせますか? (「お父様です」)。 それでは、霊界にいる興進君のことは考えないということではないですか? (「違います」)。合わせなくてもよいのですが、興進君に負けずに、何十倍、何百倍、何千倍、天の国、天一国を防御することができる親分になるのです。そうすれば、興進君も皆さんの一族の祝福、霊界の祝福を運んできてくれるのです。信じなさい! (「アーメン!」)。信じるのなら、手を挙げて拍手をしなさい。(拍手) 先生は、興進の恨を解いてあげなければならないのです。孝子です。その時、十一月を中心として科学者大会(科学の統一に関する国際会議)をする時に、シカゴで興進の誕生日のお祝いをしました。それが最後になったのです。 どれほど立派でしょうか。誇らしい息子です。私よりもハンサムです。そうでしょう。お母様! 興進は私よりもハンサムですか、ハンサムではないですか? (「ハンサムです」)。違います。(笑)お父さんに似たのです。お父さんに似たというのは、原型がお父さんでしょう。息子が原型になることはできません。(「素晴らしいお父様が上手につくられたのでハンサムです」お母様)。(笑)内外のすべてを備えていました。十九年になるので、三十六歳です。 興進君は命を懸けて先生を保護し、安保の大王になろうとしたのです。理想の天一国を迎えたこの時、皆さんは興進君に学びますか、興進様に教えてあげますか? (「学びます」)。興進は、皆さんをうらやむのです。 「もし、このような時に私がいたならば、孤独な孤児の立場で乞食のような歩みをしたとしても、真のご父母様を王権の玉座、王の姿以上に、また、幸福になることができるように侍るはずだが、そうすることのできる後継者がどこにいるのか! 心の奥深くであがめ奉りながら、尋ね求めざるを得ないというのが事実のようだ」 皆さんは、その理想の天一国においての孝子だけではありません。「孝子の王になり、国の忠臣だけではなく忠臣の王になり、聖人、聖子の王になり、神様まで訪ねてこられて祝賀してくださる私になろう」。このように考えてこそ、真のご父母様に侍ることができ、孝子の目的、忠臣の目的、聖賢賢哲の目的、神様王権樹立の目的、祖国定着天一国完成の目的が、完結されるのではないですか。そのようにすることができる息子になり、娘になるのです。 気高く、貴い価値をより輝かせ、その輝く価値を私に捧げ、さらに、自分がもっている天上世界まで合わせて捧げる興進君です。それ以上しようと努力する人は、滅びる道理がありますか、発展する道理しかありませんか? どちらですか? (「アーメン!」)。(「発展する道理しかありません!」)。発展する道理しかありません! さあ、そのように話を聞いてみると、そうだということがはっきりと分かったのですか、分からなかったのですか? (「はっきりと分かりました」)。はっきりと分かったのならば、分かった者は実践しますか、不実践しますか? (「実践します!」)。実践するという人は、両手を挙げて宣誓することによって、きょう、この祝賀の記念塔に名前を載せることができる人になることを祝福いたします! 真のご父母様の名によって。(「アーメン!」)。 東西南北、四方を備えて中央に立ち、個人で天をお迎えして、堕落のない解放の天一国文化世界を創造するのです。アーメン! (「アーメン!」)。そのような決意をするならば、興進君がこの時間から天上世界で踊りを踊り、歌を歌い、祝宴を開くのです。(「アーメン!」)。一度、踊りたいですか? (「はい」)。歌を歌いたいですか? (「はい」)。祝宴を開きたいですか? (「はい」)。 どのような祝宴を開きますか? 謝罪祝宴! りんごを知っていますか? りんご祝宴をすれば、悔い改めることができ、おいしく、甘く、立派なよい輝き! (「韓国語で「謝罪〔〕」と「りんご〔〕」の発音が同じ)。りんごを買って食べることができる祝宴を開けば、謝罪になるのです。果物のりんごです。多方面の謝罪です。謝罪の親分がりんごです。りんご祝宴で、解放の祝宴を盛大に開くのです。どうですか? (「よいです」)。 自分の財産、自分の国全体、自分の一族全体、一国全体を私たちが代身して、「解放的な祝賀の機会をもとう」という決心のもとで、万事一方通行が起きれば、天下に天国の領土が展開するのです。国に天国が連結されるので、天上天下の天国は自動的に完成されるのです! ノーメンですか? (「アーメン!」)。 さあ、このようにして興進君を迎えて、きょう記念日の祝宴をします。よいでしょう。 (「はい」)。拍手してください。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.21
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1046回天心苑特別徹夜精誠ーみ言葉ーイ・ギソン苑長ー2024/07/19韓国と日本が一つになり世界が一つになる奇跡ーみ言葉ーイ・ギソン苑長ー1046回天心苑特別徹夜精誠一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.20
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第三十五回「真の神の日」記念礼拝の御言(その4/4)<3/4からの続き> 二〇〇二年を出発するこの日、三〇〇〇年に向かう 二番目です。重要なこの年の冒頭にこのような通告を受けたのです。 その通告された内容を伝授され、真の父母が天の前に孝子となり、忠臣、聖人になったのと同じように、わたしたちは、真の父母を解放させるために、真の父母の伝統を受けて、数多くの家庭が一国の解放の王権を樹立することは何でもないというのです。そのようなことができないというのであれば、すべて流れていって落ち葉になり、堆肥の山になるのがよいのです。分かりますか?(「はい。」) 一生において堆肥の山を残さず、光明な太陽の光が照らされる天国の新しい朝を迎えて、解放の国の王権を立てて誇ることができる国民となり、忠臣、聖人になろうと決意し、誓うこの時間となることを願う勧告であり、通告であるということを知らなければなりません。(「アーメン。」)分かったのなら拍手してください。(拍手)(「興進様のメッセージを奉読します。」) 皆さんの入籍式も、真のご父母様と霊界に行った興進の父子が責任を持ち、皆さんのすべての過ちに責任を持って、皆さんが入籍手続きをすることができるようにしたということを知っていますか? 負債があるということを知らなければなりません。「総生畜献納」を今から二〇一二年までに、すべて終えなければなりません。 (「興進様から、真のご父母様におささげする霊界の報告書です。」) うそではありません。分かりますか?(「はい。」) 興進君が霊界に行って、行った事実を今まで全く報告することができなかったのですが、わたしがここに帰ってきたので報告を受けた内容です。 ですから、それは、霊界の何かの仮想的なものではなく、実相の中の実相であり、李相軒氏の話と合うか合わないか、聞いてみてください。 ですから、霊界の事実がどれほど間違いない事実なのかを知らなければならず、その世界を知らなければ、成約時代に皆さんの家庭が定着、安着することはできません。 安着して、安息することはできないという事実を知らなければなりません。絶対に知らなければならないのです。分かったでしょう?(「はい。」)何よりも、 お金をもうけて生きることが問題ではありません。息子、娘を育てることが問題ではありません。 その国は滅びず、世の中の国はすべて滅びるようになっています。見ていなさい。主人がいません。アメリカも自分の国ではなく、日本も自分の国ではありません。日本も困っているでしょう? これからは、経済問題においてアジアで最も困難な立場に落ちていかなければなりません。見ていてください。以前よりも 裕福に暮らすことができるなら、そのようにしてみなさい。 先生の話をうそだと思う女性たちは、全員、腹を裂き、それこそ割腹して土に埋めてしまわなければなりません。警覚(戒めて悟らせること)の声を上げなければなりません。分かるでしょう?(「はい。」)そこ の隅の方で居眠りしている人はいませんか?(「はい、いません。」)ええ何ですか? 大きな声で答えてくだ さい。いませんか?(「はい。」) 居眠りしている人は、集まってください。女性のへアビンがあるでしょう? 横に寝ている人がいたら、 それで無慈悲に目をつむって刺してください。腹でも何でも。(笑い)死んだらわたしが責任を持ちます。 (笑い) 死にません。四十分、二時間、何時間しても死なないというのです。 一人も居眠りせずにこの日を迎えてこそ、三〇〇二年に恥を免れることができ、イエス様の三千年歴史における成約時代に、輝く「天一国」の歴史に汚された痕跡を残さず、光明な光の中で記憶されるので、このような指示をすることをありがたく感謝して、目をしっかりと開け、気を引き締めて聞かなければなりません。分かりますね?(「はい。」) 「分かった」と言いました。続けてください。(「はい。」) (興進様のメッセージを訓読) 世の中にこのようなことはありません。歴史上、初めてです。これはうそではありません。興進君が神様の命令を受けて、お父様に報告する内容です。分かり ますね?(「はい。」) 不信すれば、不信していた天上世界のすべての現状が、あの国に行って皆さんの行く道を完全にふさいでしまうという事実を知らなければなりません。 その法には、赦しがありません。事情や人情、ある愛情的哀れみの内縁を通しては通じない世界なのです。法度と原則に一致する世界なので、その世界を望みながら、出発の途中にいることを憂慮しなければなりません。 ”自分がどの段階に留まるのか。”と自分を評価しながら、”自分が未来に確定することができるのは天国なのか、地獄なのか? さまざまな階層、系列のどこに 留まるのか。” と憂慮しながら、神様が願われ、真のご父母様が願う天国の中央にある皇宮の地に向かって体を修養していくことができ、そこを定着地とすることができるという決意が、より加重された決意にならなければならないということを肝に銘じなければなりません。分かりますか?(「はい。」) このような場に来て、居眠りしていてはいけないというのです。気を引き締めて、しっかりと理解してください。今からは、真のご父母様が皆さんと会って、このような集会を持つことができる時間は多くありません。参席しません。天の命令が、「今から休みなさい。」 というのです。「現れるな。」というのです。 理解することができるように教えてあげ、越えることができるように教えてあげたのです。繰り返せば、かえって不信するので、遠ざけるほど、輝く自分自身の発展の動機を捜し出していくことができるということが、天の憂慮する基準です。 ですから、その基準を下げ、隠してしまいうる先生の行動を注意することを望んでいるということを知らなければなりません。 あまりにも度を越して教えてあげ、あまりにも度を越して見せてあげ、度を越して行動して、(霊界に)行く日が遠くないので、疲れて、よだれを流したら困るのです。 休んで、心が平安な環境において、天上世界と地上世界の行くべき道を正し、正しながら、祝福することができる子女たちと、後代を準備していかなければならない先生の道が待っているということを理解しなければなりません。分かりますか?(「はい。」) 八十三歳なので、いつでも、明日にでも呼ばれれば、逝かなければなりません。しかし先生は、自分が逝く日を知っています。時を知っています。ですから、皆さんと親しく、親しく、もっと親しくすればよいのですが、そのようにすれば、そこにより悲しみと恨をもたらし、行くべき道に暗闇が入り込んでくるかもしれないという危険性があるのです。 ですから、できるなら遠ざけてくれることを願う心があることを、そして皆さんを愛して皆さんの行くべき道に支障がないようにと、天が心配されていることをありがたく思わなければなりません。分かりますね?(「はい。」)隅の方の人は分かりましたか?(「はい。」) 真の父母の顔をいつでも見ることができる時代が・・・・・・。 霊界を通して見ることができるかもしれませんが、霊界に行けばどうするのですか? 皆さんに、霊界で行われていることを直接的に教えてくれる人がどこにいますか? ここにいる郭錠換氏がするのでもなく、日本のだれもすることはできません。先生の特権の系譜を相続することができなければ・・・……… 今現在、興進君が相続を受けています。今回、わたしがハワイを出発して、今まで「神様王権即位式」、神様の故郷と「祖国定着」、そして「天一国」宣布とともに、国を成すためには国民と主権がなければなりません。王権樹立です。国がなければなりません。「祖国定着」です。そして、国民がいなければなりません。天の国の入籍カードを持つようになっています。 このようにすることによって、天の政権を中心とする主権と国民を備えた「天一国」の基盤がすべて準備されています。ここで、確定的な自己価値の決定は、皆さんの一族をどのくらい天の前に収拾したのかです。 それによって決定されるのです。逆さまに行かなければなりません。このように上がっていかなければなりません。 あなたの名前は何ですか?(「山口です。」)山口といったら、山口の姓をもった者は、今から自分の故郷に帰って、山口一切、全体を神の国に案内するのです。 家族代表のメシヤとして、氏族を代表したイエス様自体の過ちを正して、民族を啓蒙して、国家全体を神の国にしなければなりません。 それを献納し、総生畜献納国家基台として立つことによって、日本民族が世界的な国家基準を超えた場合には、サタン的な主管圏が国家なので、それを国境線を越えた場合は、その以降は、真の父母と神の指示によって、直行して、天国に入るようになっているのです。国が問題です。 国の殻を脱がない以上は、天上の国に向かって、飛躍することができないということを、はっきりさせて、決定しなければなりません。 先生の命令を聞くよりも、先生に従う心よりも、自分自身が成熟した立場で、安着する基地、安着地において、永遠に神様に侍りながら、生活過程を通して、生涯を超えて、氏族国家全体が神様に侍るような、地上天国完成圏に超えていくところが、堕落以降の人類全体が希望する、願いの終着点になっているということを、忘れてはなりません。分かりましたか?(「はい。」) 日本人は、サタン圏内になっています。アジアにおいて、侵略国家と烙印を押された、赦されないそういうような悪なる異民族を、先生はなぜ日本の国をエバ国家として選定したのでしょうか? 怨讐の怨讐を中心として、子供たちの結婚まで勧めなければならない先生は、まず怨讐国家として交差結婚をしました。韓国民族と日本民族は、永遠に交わる道がありません。日本民族の過ちは、歴史に、それは赦されない罪です。 そういうものを、地上天国の平和境、平和的基準を考える神様と真の父母が、自分の子供たちを、両怨讐自身の生活基台、国家基台以上に幸福になるように、相続させることによって、地獄を超えた神様の願う平和基地が出発する根底になっていることを、はっきりと日本人は知らなければなりません。分かりますか? (「分かります。」) ですから、自分の子供で、りっぱな子供がいれば、交差結婚です。それは国際結婚です。南極の基準に立った者たちが、その極を超えて、平和の中心基地に、神の心情を和らげるような感動的な基台を、定着させない以上は、神様の主義、思想圏の天国の王族、皇族になれる道はありません。 選定された、祝福された日本のエバ国家の使命を汚してはいけません。それを奪われないように、各自、 歴史を超えて覚醒をして、日本人の行く百八十パーセ ント、百八十度反対の方向に、忠誠を尽くす以上の、その実績が、日本人の忠誠を尽くしたより以上でなければ、天国につなぐ道はありません。 それは原理原則になっています。サタン境界線を、 凌駕しうるものが天国に関係を持つということは理論 的です。分かりますか?(「はい。」) 日本人よ!(「はい。」)日本の兄弟よ!(「はい。」) 兄弟です。日本人は、だれがつくりましたか? 韓国 人とは兄弟です。アメリカ人も、世界万国は、共産党でも、統一教会の人とは兄弟です。 祝福された家庭です。真の父母の純潔の血統を通じた、天下すべてが否定できない、決定的な核心の位置に、中核として、骨のように、骨髄に立ったのが、われわれです。ですから、そこにはサタン的な国の感覚は 一切、許されません。 先生は、そうでした。先生は韓国の八大政権に反対されてきました。今になっては、先生に頼る、すがる以外にはないという、憂いに憂えて、先生を思慕するような悲惨な国民、国家、政治圏になったのです。 今、言ったように、先生が動かす方向において、天下すべてが変わっていくような境界線に立っています。 深刻な境地に立っているのです。 新しい王権即位式と、王権復帰の、それは国家基台復帰、そのうえに、国民を天国の国民として立たせる天一国家まで成立しています。そこに加入した以上には、永遠に振り返ることはできません。 まさしく、ソドム・ゴモラのそのさばきのときに、ロトのその奥さんが、すべてを忘れて、「出た以上には振り返って見るな!」と言われたのにもかかわらず、 未練をもって自分の生活環境とか、氏族関係とか、その歴史の伝統の習慣性に浸っている立場で振り返って、 即時に、それは塩の柱となってしまいました。 そのように残って、歴史の恨みを表徴するそういうような失敗の姿を、神様は永遠に、日本民族のエバ国の国民に見たくないということが、神様の心情であるということです。分かりましたか?(「はい。」) 早く今、即時に、世界に移民政策をして、国を忘れてしまっても未練がないような、未練に勝った天国、今、教える李相軒先生の霊界の実相と、興進様の霊界の実相。実際に成し得た組織体系を、それは真の父母に報告する内容を信じられないならば、滅亡しなければなりません。 そういう者は、たたき込んで、地獄のどん底へ埋め込まなければなりません。そのように優秀な、だれ一人残さず、そのような決定的行動をなすに十分な中心性を持たなければならないのが、神様の見る統一信者、 成約聖徒の持つ中心性です。分かりましたか?(「は い。」) はっきり先生を見て、決意してください。聖人たちが、霊界を教育して報告するのは、真の父母の時代の宣言文、宣誓文です。 そのメッセージを信じないで疑う者は、それはもうべっちゃんこです。地獄のどん底において、悲惨な、うじよりも悪いような立場に陥るにふさわしい者です。分かりましたか?(「はい。」) そのように先生は、今この記念すべき今日、皆さんに忠告、宣言をなすことを忘れてはなりません。分かりましたか?(「はい。」)分かったならば、日本人だけ、拍手してください。(拍手)q 日本人が問題です。今、韓国では、南北統一は、文先生、レバレンド・ムーン以外に道がないと言っています。忠臣の愛国者、五千年の歴史に一人しかないと聖人として敬われるような環境です。全国がその歩行に歩調を合わせて、前進、驀進(ばくしん)するような状況になっていますが、日本が相対的位置になっていないのです。 ですから、このような忠告、厳告をせざるを得ないことを、永遠にはっきりと心に刻み込んで、国のどん底に陥っても、昔を思い出して貪り返る、それを願うような者に絶対ならないという決意をしなければなりません。「死んでも行くんだ。」と言えば、自動的に天国通過、天国に加入する道があるに間違いありません。 そのような決意を固めてもらいたいのが、長い間、日本を愛してきた先生の最後の厳告です。忠告です。分かりましたか?(「はい。」) さあ、読んでください。わたしが聞きます。皆さんが聞かなかったよりも、わたしがすべて知っていることよりも、よく聞いておくのです。さあ、始めてください。 (興進様のメッセージを訓読) だれを誇るのですか? (「真のご父母様です。」) 真のご父母様がどこにいますか? これはだれですか? 年老いたおじいさんです。年老いたおじいさんが真の父母になることができる可能性があるのかないのか、わたしにも分かりません。(拍手) それは、皆さんが誇らなくても、世界の国家の最高人物たちが誇ることができる時代になったのです。国の首相や代表たちが、先生を迎えていこうと競争しています。知っていますか? 日本の国がぴりになりますね。 文総裁が来れば、日本をごくりとのみ込んでしまうのです。日本の国をのみ込んで何をするのですか? 下痢もしません。肝臓に貯蔵できる栄養も残りません。小さな日本の国を口に入れても、いっぱいにならないのに、先生がこの小さな日本の国を食べようとは夢にも考えません。 また、日本人の福をすべて奪っていこうとは思いません。福を与えようとしているのです。わたしは、皆さんの世話には一度もなっていません。日本の国は、骨と肉と骨髄まで売って、すべて子女のために投入することによって、真なる歴史的な母になるということを知らなければなりません。 世界の青少年を教育するにおいてそれでも不足ならば、自分が国の国籍を売ってでもするということです。 自分の体を売ってでも世界の子女を養育しようという歴史を残すことによって、日本の国が永遠に母の国の名誉を維持することができる伝統が残る、ということを知らなければなりません。分かりますか、日本の男性と女性たち?(「はい。」) (「お父様、慶祝公演を三時にしなければならないそ です。」=お母様の言葉) (拍手) 三時にしてください。するなというのです。今、教育しているのに、教育時間を妨害するそのような「慶祝公演」は、片付け てしまいなさい。(笑い) (松波孝幸先生の歌) さあ、早く終わりましょう、あまり残っていません。(「三十分残っています。」)。三十分残っているのですか。(「はい。」)三十分、 残っているのですか?(「三十分くらい読みました。」)さあ、三十分、残っています。昼食を食べて、今から何をするのですか? 五時を越えるので、故郷に帰ることはできないではないですか? 三日までは、ここに泊まらなければならないというのです。ですから、時間がたくさんあるので、昼食を食べて歌を歌い続けて、踊りを踊って喜ぶ日になるこ とを願います。アーメン。(拍手、歌拝) アーメン。(「アーメン。」) <完>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 人生の果てに行く道第三章 霊界の真の御子女様のメッセージ一 興進様が真の御父母様に捧げるメッセージ真の御父母様にお捧げします。お父様、私、文興進です。これまで、大変困難な苦難を耐え忍んでこられ、どんなに心労なさったことでしょうか。お父様とお母様にとってそんな忍耐が、どんなに困難で惨憺たるものであるかよく知っていながらも、このような親不孝の姿となってしまい、返す言葉もありません。霊界が存在するということが明らかな事実であるにもかかわらず、そしてあんなにもその事実を詳しく地上人に説明してあげたのにもかかわらず、彼らは目に見えない世界とは全く関係がないかのように生活していますから、なおさらのことです。私は、李相軒先生がとても苦労する姿を常に見ています。李相軒先生はいつも、お父様の摂理の方向を正しく知るために神様の傍らで祈祷し、あちこちとあまねく調べては、お父様の栄光をあらわすためにいろいろな次元で説明し、さらにまたグループの組織の強化に総力を注いでいらっしゃいます。その姿は真の孝子であり、常に真の忠臣の生活そのものです。お父様、お母様!本当にこの国は草創期の聖徒たちと同じ姿で生活をしています。ひざまずいて祈祷する姿は、涙の連続であり、痛哭の連続です。そしてグループごとに賛美と祈りをもって、新しき千年の栄光を一貫して準備しています。しかし、最も困難なことは地上人の協助です。こちらの組織はしっかりと準備されています。そしてこちらのグループは、地上の摂理に協助することのできる対象(地上人)との実質的な関係を必要としています。しかし、その関係が容易には連結されません。そのことに関して李相軒先生は、お父様の指示に従って進めていこうとおっしゃるので、私は今待っているところです。そして、お父様!ここ霊界の組織と生活は、とてもよく整理されています。しかし、それはまだお父様の期待するものとは掛け離れています。でもお父様、お体により一層お気をつけて、私たちがお父様に完全にお仕えする準備が完了するまで、末永く地上で暮らしてください。そして、お母様をより一層思いやってください。お母様はまだお若いです。お父様!私も薫淑さんのことを恋しく思うことがよくあります。ここが愛の園であるがゆえに、なおさらなのです。神様の愛の中で薫淑さんのことを思うと、興進もさっと地上に降りていって薫淑さんと楽しく踊りたいような衝動に駆られるときが少なくありません。しかし、薫淑さんが私の代わりに永らく御父母様に孝行することを願いながら、私はここで総司令官の使命を履行するために総力を注ごうと思います。またこちらでは、二人のおばあさんも常に祈祷と精誠を捧げていらっしゃいます。大兄様は真に善なるお方としての位置と立場を守っていらっしゃいます。文龍基さんは今、霊界の新人として二人のおばあさんが和動できる場をつくることに没頭しています。そのときいつも、おじいさん、大兄様の姿を見て、真の御父母様が切なく懐かしむその姿を思い浮かべては、家族の話をしながら過ごしています。忠母様は話をされるときはいつも、「私は罪人だ!」とおっしゃるのですが、その姿は本当に切ないものです。お父様! お母様! 御父母様!万寿無彊をお祈りいたします。幼い姿の私をここに送ってから、いつも心配してくださった御父母様! 私は心配いりません。今やこの場でどんどん成熟しています。孝進兄さん、譽進姉さん!私たちはお父様とお母様に侍り、真に天地にまたとないメシヤに仕えて生きていく家族ではないですか。私たちは今苦難の立場にありますが、永遠なる世界の永遠なる皇族です。孝進兄さん、譽進姉さん、すべてのことを耐え忍んで、私に代わってお父様とお母様によく仕えて敬い、地上にいらっしゃる間に栄光のみ座に上れるように総力を尽くしてください。興進もそのために最善を尽くすつもりです。そして、孤独な立場にいる薫淑さんをよく見守ってあげてください。私たちの家族すべてが安寧であることを願います。「天地父母天宙統一解放式」と同時に、霊界と肉界がより一層近くなったということを、特に私たち家族はみな実感しながら生活してください。家族がみな、お父様とお母様によくお仕えするようにお願いします。私はお仕えしたくても体がないではありませんか。孝進兄さん、譽進姉さん、おめでとうございます。万歳! 御父母様がとても恋しいです。文興進が家族恋しさにお捧げします。(一九九九年十月二十九日)
2024.07.20
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第1086回 天心苑特別徹夜精誠 (07/19)今回の天心苑徹夜精誠からは、大聖殿は椅子も取っ払わられてギッシリです。映像は小聖殿ほかまではありませんでしたのでほかは分かりませんが、天寳修練苑での40日修練生だけで全世界から900名くらいが参加中、これまでとは考えられない数字です。8.23日、第1111回天心苑徹夜精誠はワールドセンターで行うことが決定しています。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.19
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韓国で旧統一教会が教義・異端論争でキリスト教に勝つ😀李載錫先生の自叙伝から抜粋 2023/03/25#家庭連合#旧統一教会#異端一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.18
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[生中継案内] 天地人真の父母様天正宮入宮・戴冠式18周年記念式 および 実体聖霊 独り娘 真のお母様 勝利帰国歓迎集会一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 真のお母様言葉-天地人真の父母様天正宮入宮・戴冠式18周年記念式および実体聖霊独り娘真のお母様 勝利帰国歓迎集会-天一国12年 天暦6月13日(2024.7.18)2024/07/18天地人真の父母様天正宮入宮・戴冠式18周年記念式および実体聖霊独り娘真のお母様 勝利帰国歓迎集会インターネット生中継日時:天一国12年 天暦6月13日(2024.7.18) 午前9時30分場所:天正宮博物館2階チャペル室で下さった言葉です
2024.07.17
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鮮やかな情報「すばらしい旅行」加平ベゴニア新庭園2024/07/167/16(火) kbs2 tv放送18:35鮮やかな情報「すごい旅行」_加平ベゴニア新庭園撮影分19:10頃送出予定たくさん見てください!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.16
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第三十五回「真の神の日」記念礼拝の御言(その3/4)<2/4からの続き> 第一の先決条件は、心と体が一つにならなければならないということです。目(視力)も一・二、鼻も詰 まらず、口も言葉を話すにしても、答えを言うにしても、余計なことを言ってはいけません。耳も、十里、百里、千里でも間違いなく聞くことができなければならず、手も、つかめば放しません。 わたしが必要とすれば、つかんで放しません。行くべきところに行って、(そのままでは)帰ってきません。 目的を成し遂げなければ、収穫することができる結実を持たなければ、帰ってくることを知らない人です。 それが、文総裁の鉄石の思想であったのです。それを”受け入れない。”という人は、手を挙げてください。”受け入れる。”という人が、手を挙げてくれなければならないでしょう?(笑い) 「手を挙げるな。」 と言っても、手を挙げる時が来るのを待っているのです。注意して鑑別しなければなりません。 本当に手を挙げたら、霊界に行って引っかかります。 手を挙げれば、落第課に入っていかなければなりません。手を挙げるか挙げないか、どちらを選択するかは、 皆さんが勝手に決めるのですか? 二つのうち、一番目ですか、二番目ですか?(「一番目です。」「二番目です。」)二番目だという人は左手を挙げ、一番目だという人は右手を挙げてください。(笑い) 話を理解しているのですか? このでたらめな者たち。話を聞いている人が、どうして両手を挙げるので すか? どろぼうの親戚になろうとする行動です。どろぼうの孫、どろぼうの親戚がよいという行動ではないですか? しっかりと聞きなさいというのです。しっかりしなければ、落第してしまいます。さあ、このくらいで、もう分かったでしょう? いくら考えてみても、神様の心と体は闘わないので、神様を「お父様」と言う以上、自分の骨髄が溶け出すことがあったとしても一つにならざるをえません。それを鉄則として受け入れる人は、両手を挙げて歓迎しましょう。アーメン。(「アーメン。」)(拍手) そうすれば、「天一国」の王や王子になることは問題ないという事実です。その次に、その男性と女性のふたりが一つになるのです。「天」という字は、二人が一 つになるということです。分かりますか? そして、 天一の「一」という字も一つになることです。何によってですか? 絶対不変の真の愛で一つになるのです。 その真の愛によって一つになるためには、相対的存在がいなければなりません。愛の主人になっていない男性や女性を愛の主人にしてくれるのは、相対的存在です。 相対的存在だけが、自分を愛の主人にしてくれるので、いつでも、夜でも昼でも(相対的存在が)来るこ とを歓迎し、尊敬して、「お越しください。」と言うことができてこそ、愛の真なる主人が永遠で完全な場に安息所を定めることができる可能性がある、ということを知らなければなりません。 ですから、いくら全知全能であられる創造主の神様でも、愛の位置を定めるために、愛の相対がいなければ、永遠に孤独単身であり、いなくなってしまうので す。 いても無用の長物です。愛と何の関係もないということです。愛の道に従い、愛の生命を経て、愛の血統を連結させることによって、家庭で暮らすことができるのです。 息子、娘がいますか、おばさん? このような思想基盤の上で息子、娘を生みましたか、自分勝手に生みましたか? 夫が訪ねてくるということは、神様が訪ねてこられるのであり、神様の初孫が訪ねてくることです。二人が縦的な父と、横的な父の伝統を自分たちの家庭に取り戻すために、神様は待っておられるのです。 アダムとエバが、成長してそのようにすることができる張本人となり、天と長子が一つになる愛の天国の定着地を要求したのが家庭理想でしたが、それが破壊されたという事実であり、だれも三代を成し遂げることができずに生きてきたのです。 この文総裁は、三代圏を真の父母の名によって・・・・・。 第一代が神様であり、第二代が真の父母です。アダムとエバは偽りの父母であり、その血統を受けた子孫たちは、神様の前に立つことができないどろぼうの子孫です。それをすべて切ってしまわなければなりません。そして、神様が一代の王、真の父母が二代の王、”私” が三代の王にならなければなりません。 天のおじいさんの愛を受け、天の父母の愛を受け、 天上世界と地上世界の二つの国の王権を相続、伝授されるのが三代なので、その驚くべき三代であることを自覚して出発していかなければならないのが、その国の民となるべき「天一国」の民なのです。「天一国」の民です。分かりますか?(「はい。」)分かりますね? (「はい。」)「天一国」です。 「天一国」は、天宙平和統一国です。「天宙」というのは天の家です。天は、二人の家を表します。そして、「平和」というのは、天の国も平らであり、地上も平らです。平和になりました。ここに角度が少しでもあれば、いつかはぶつかります。 十年、百年たっても永遠に平行でなければならず、 平行でなければぶつかるので、いつの時か、万世に太平聖代(徳のある君主が治める太平な世の中の時代) を導くことができる伝統思想は、断ち切られてしまうのです。途切れてはいけません。平行です。 そのような二人です。これが心と体で二人です。夫婦も二人であり、父母も二人であり、子女も二人です。 二人と二人の四人が平行数を成してそれを保ち、天の家庭を中心として、真のご父母様の家庭を中心として、 天下にある万国の家庭が真のご父母様と平行になるのです。ぶつかりません。その世界には闘いがありません。二つが一つにならなければなりません。 宇宙のすべての存在は、ペア・システムで成り立っています。鉱物世界の分子を見れば、ブラス分子とマイナス分子がペアで一組になっています。動物世界を 見れば、昆虫世界もペアで、雄と雌になっていますか、いませんか?(「なっています。」)動物世界も雄と雌、人間も男性と女性、神様も、地上の天地父母も男と女であり、同じことです。ペア・システムになっています。 サタンが最も嫌うのはペア(쌍)になっているものなので、"쌍소리(下品な言葉)”と言ったのです。奪われた永遠の福地の祭壇を神様の代わりに取り戻し、どろぼうの親分であったサタンの胸ぐらをつかんで蹴飛ばし、地獄に追放してしまうのです。 出て行くところは、国であれ、世界であれ、どこでも敵地です。火で燃やしてしまって何もないのですが、そこに種を植えて新しい天下をつくることができる出発を予告するのが、「天一国」です。分かりますか? (「はい。」)二人です。 二人が一つになれば、国を成すようになるのです。 三人、あるいは三人が祈祷するところには神様が「ともにいる。」と言ったでしょう?(「はい。」) 二人は東洋と西洋になり、東側が西洋に行こうとすれば、北側と南側を合わせて、三つが一つにならなければなりません。天地の理知が統一法になったということを知ってから動かなければならないのであって、そのようにして初めて「何々をする。」と言えるのです。 私は何十年間、統一教会の教主をしましたか? 何十年しましたか? 生涯してきたでしょう?では、 統一教会の教主だけですか? 神様が願われる出発的教主であり、中間的教主もやり終え、終末的教主まで、万代の統一教会、統一世界の教主までしなければなりません。 神様いわく、統一教会の文先生は、「真の父母である。」 永遠にです。真の父母は二組ではありません。真の師というものは、二人いることはできません。真の主人というものは、二人いることはできません。 三大主体思想を備えた覇権的条件を付与するのに副作用がない、文総裁であったのです。神様がアーメン。 「来なさい。」と言って、権利書を束ねてわたしに下さるのです。(「アーメン。」)(拍手) 統一教会は、大学院以上を卒業し、頭がさえていて賢い人でなければ、入ってきて耐えることができません。わたしが行かせようとする目的地が何か分からず、昔の腐った習慣で「おいしい。」と言って食べたその口を持ったままでは、現れた環境が何なのか分かりません。賢くなければなりません。 世の中を横につかみ、縦につかむ時であり、それをパレットに置いてこねることができ、(世の中をつかむ) 網から選別でき、主体的主人の行使を代身することができる名声と人望がある人が統一教会で残るのであって、かすのように流れていく群れたちは統一教会で残ることはできません。 第一条件が、心と体が一つにならなければならず、夫婦が一つにならなければならず、夫婦から生まれた息子、娘がいれば、生んだ息子、娘が一つにならなければならず、兄弟まで一つにすることができなければ、家庭定着して入籍することができる「天一国」の国民になることはできない、ということです。 はっきりと理解してください。「先生が教えてくれなかった。」という話をしてはいけません。分かりますか、分かりませんか?(「分かりました。」)分かりましたか、分かりませんでしたか? (「分かりました。」)分かったという人は、右足を挙げてください。(笑い)なぜ笑うのですか、この者たち。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。”この口がうそをつくので、正しいことを学びます。”と、キスしてください。キスしないのですね。(笑い) キスした人を私は信じます。 わたしがしなさいと言うとおりに、絶対信仰、絶対愛、絶対服従したので信じざるをえず、最後に信じざるをえないものを見たので、そのようにすることがで きる覇権者、勝勢者になることを願いながら、きょう先生が語った全体をみ言に代えます。分かりますか? もう話さなくてもよいのです。 これから、そのパターンでいくのです。今から郭錠煥氏が出てきて、四大、五大教団の長たちが決議文を書いて宣言したすべての内容を全員が聞いて、天の国では神様の王権樹立と同時に、天下の名高い人物、霊界に行った名のある人たちをすべて一方向の目的に、文総裁の復活の役事に同参することを神様に宣布するので、そこに加担しないという人は一匹(一人)もいないということです。 いやあ! 一度み言を聞いてそのようになるのなら、わたしが地上で苦労することはなかったのです。霊界に行って伝道していたら、どれほどよかったでしょうか? この地上のどろぼうの血筋を受け継いだ、その愛と生命をはがして再び改造するのは、どれほど気を遣うでしょうか? 今から世の中のすべての人たちが、万国を超えて文総裁の思想を学ばなければならず、一度、聞けばすべて洗脳されるのです。 文総裁に、頭を洗って洗脳する能力があるということは、世の中が証しするのです。洗脳の王が、地上に現れたレバレンド・ムーンである! 拍手してくださ い。(拍手) これを見てください。洗脳されているので拍手をするではないですか? このように洗脳するのは、霊界 では十倍、百倍、千倍、早いのです。千年たった人は、 千倍、早く、一万年たった人は一万倍、早いのです。この立場をどれほど期待して待ったでしょうか? 白頭山よりも高く積みあげた恨の実を抱き、地上の希望を中心として解放の一日を懇切に、懇切に願ってきたのですが、祝福を受けることができなければ天国に行くことができません。 「四位基台が何だ。三対象目的が何だ。なぜ神様は差別して、隠しておいたふろしき包みを文総裁に任せるのか。」そのようなことを言うなというのです。その人たちは、神様の怨讐の愛、怨讐の生命、怨讐の血筋が連結されているのです。 夢にも、言葉でも、その姿を見たくない皆さんの前に、完成した真の父母が天下を治めることができる真の愛の道理の一片でも、一分野でも、皆さんには教えることはできないのです。 いくらもがいても、その時まで待たなければならず、 それが数千万年、信じて待ってきた彼らを、そのまま放っておくでしょうか、文総裁がすべて解決してくれるでしょうか? 答えてみてください。その人たちを、すべて「天一国」に入籍させますか、させませんか? (「させます。」) 皆さんのその立場を奪って、代わりに上げてもよいですか、よくないですか?(「よいです。」)「原理」を見れば、「カインを救ってからアベルを救う」とあるのですが、わたしたちを追い出してでもその人々を「天一国」の王として立て、弟であるわたしたちを兄として侍る天地開闢が地上では成し遂げられなかったので、霊界の人を通して天地開闢が成し遂げられることを願われた大王がお一人いらっしゃるのですが、そのかたが天の父母であり、地上の真の父母だったのです。 (「アーメン。」)(拍手) よく聞いておきなさい。きょう訓読する内容を、骨髄にしみわたるほどの追憶として認識し、自分自体を導いていくことができる何かを立てなければ、「天一国」から脱落するということを知らなければなりません。 警告します。先生が公人の立場で宣言するのです。いいかげんに行くことはできません。いいかげんに結論を下すことはできません。 「間違いない。」という結論を下し、その結論に一致することができるように生涯、歩み、自分の生涯をかけて投機して、もうけにもうけても、「自分の財産ではない」と言うことができれば、あのカジノや賭博場に行っても教材になれるのです。 滅びれば地獄に行き、発展すれば天国に行くという、 生死の決断を下す時になったことを肝に銘じて正しく分別し、留まる位置を復帰する家庭を成就しますように、アーメン。(「アーメン。」歓迎する人は、大きく手を挙げて拍手してみましょう。(拍手) 下ろしてください。 さあ、(神様から)父母への手紙を一度読んでください。(「はい。」) 今からわたしたちの伝統を立てなければならず、そのための資料はすべて明らかにされているので、骨髄にしみわたるように大切にしなければなりません。 骨髄だけでなく、骨にしみるように、肉に、皮に、一身に、環境にしみわたるように記憶しなければならないということを、肝に銘じなければなりません。 (「アーメン。」)皆さんが「アーメン。」と言ったのです。 私は言いませんでした。み言どおりに成されますように。さあ。(「はい。」) (神様から)真の父母にあてたものです。皆さんにではありません。真の父母の報告を中心として、自分たちの教団と自分の国に伝達してくれることを願い、真のご父母様の命令に従順にすることができる統一教会、協会があることを知って真の父母に伝達してきたのです。 ですから伝達を受けた真の父母は、その内容を国とその教団長たちに伝達することができるように、知らせてあげることができるようにするためにこれをすべて訓読する、ということを知らなければなりません。 (「アーメン。」)分かったのなら拍手してください。(拍手) それをすべて訓読しようとすれば時間がないので、手紙だけ訓読してください。(「手紙だけ先に訓読します。」)全体を紹介しなくても、本が出て読むことができるでしょう。時間がないので、手紙の内容とその前後に関するものを紹介してください。(郭錠換先生が訓読をされる)〈訓読〉 金英順女史のメッセージ 「わたしの息子よ・・・・・・」と呼ばれて、み言をお続けになることができず、悩まれ、また言葉に詰まられ、それを毎日、繰り返されても、み言をお続けになることができませんでした。「神様、わたしが何か間違ったのでしたら、ご指摘してくだされば直します。」と申し上げても、「わたしの娘よ、そうではない。」とだけおっしゃいました。 ところがある日、ふと悟りました。静かに座って、「神様、真のご父母様に手紙をお送りになりたいのではないですか? そうではないですか?」とお伺いすると、本当に驚かれ、とても興奮されて、「どうして、おまえがその心情を推し量ることができるのか? 本当におまえにできるのか? 本当にそのようにしてくれるのか?」とおっしゃり、何日間かとても興奮され、感激され、この日を待ってこられました。 この日をお待ちになる神様が、貴い名節を待つよりももっと大きく喜ばれるのを発見しました。お父様、お母様。英順が恐れなくおそばに近づくことはできな い真のご父母様にこの文を差し上げることは、とても恐れ多いことですが、神様の切なるご心情をくみ取っ て、この文をおささげいたします。お許しくださいま すように。二〇〇一年十二月二十八日〈訓読〉 神様のメッセージ「愛する真の父母に」 わたしは万軍の主である。わたしは万軍の主である。 わたしは万軍の主である。わたしの愛する息子よ。わ たしの愛する息子よ。わたしの愛する息子よ。 わたし、万軍の主は、真の父母を愛している。この上なく愛している。この上なく大切である。何をもって感謝と慰労の言葉を息子に伝えることができようか。 愛しているという言葉よりも、もっと良い言葉があれば、その言葉を借りたいが思い浮かばない。真の父母は、わたしの心の中の深いところに根付いているが、その愛は表現できない。 真の父母は、今すべてのことに勝利し、すべてのこどを軌道に乗せたがゆえに、その立場は、まさしく人類の救世主であり、メシヤであり、王の立場ではないだろうか。 十二月二十五日、キリスト教とその他の教団が決意文を採択し、真の父母に待っていくことを満場一致で決議して宣布したので、真の父母は、人類の真の父母の位置につくのがふさわしく、そのみ旨を成すことを万軍の主は願う、願う。 もちろん、多くの世人たちは理解できないかもしれないが、内的立場は立てなければならないがゆえに、万軍の主は、真の父母を王の位置に推戴する。 そのあらゆる獄苦の立場、受難の立場を、万軍の主に代わってすべて払ってくれたので、万軍の主の心情は、感謝と、感激と、興奮とありがたさに満ち、これからは、真の父母にすべてのものを譲り渡してあげたい、すべてのものを相続してあげたい。 わたしの愛する真の父母。神様は、多くの哀訴の日々を送ったが、長い間この機会を迎えることができ なかった。今、万軍の主の心情をくみ取ってくれた。 それゆえ、この大切で貴重な時間にわたしが愛する真の父母に、感謝の心を伝えようと思う次第である。 真の父母、わたしの愛する真の父母。わたしの懐の中に抱いて、抱き締めて、離したくない真の父母。二本の足で歩くことがもったいない。夜通し抱き締めて、心のすべてを打ち明けたい。 万軍の主は信じる、真の父母を信じる。その間の胸痛む事情、経験した苦難と辛さを主は知っている、記憶している、すべて見てきたのである。 神様の罪を真の父母が耐え忍び、勝利の基準を立てたのだから、どうして万軍の主が真の父母を忘れることができようか。ありがとう。感謝している。本当に ご苦労だった。わたしの愛する真の父母万歳、人類の救世主万歳、万王の王、真の父母万歳。 万軍の主が、わたしの愛する真の父母に切実に伝える。 二〇〇一年十二月二十八日 願われるとおりに成されますように。(拍手) じっ としていてください。神様が願われるとおりに成されますように。言ってみてください。(「神様が願われるとおりに成されますように。」) 神様が願われるとおりに成就されますように。アーメン。(「アーメン。」)(拍手) 天上世界の王権が一つであると同時に、地上世界の王権が一つであり、天上世界の王が一人である以上、地上世界でも王は一人であるということを知らなければなりません。 それを成しておいて、その上で天上王権を伝授しなければならないのですが、逆さまになっているのです。 ですから、神様の面目が立たないので、このことを何が何でも統一教会の教会員たちが、真の父母が天地父母を王権の上に立てたように、自分の国を超えて、世界の国家圏を代表して、真の父母の王権を樹立して一つの世界形態を備え、主体である天の国の一つの王権の前に相対として一体になってこそ、完全な地上天国と解放天国となるのです。 神様ご自身が、自ら決めて神様の位置に座られても平安ではないので、平安な世界を治めることができる王となることができるように、地上で引っかかっているものを解決してくれることを願う、このような内容の手紙であるということを知らなければなりません。 (「アーメン。」) 皆さんの家庭において、千秋の恨みのわなに自分が引っかかっており、一族が、一国が、この世界が、天宙が、神様までもが引っかかっているのです。その解けていないわなを解いてさしあげなければならず、統一天下としてその地上の王権を備えて、天の国に奉献しなければならないのです。 その責任は、真の父母の責任ではなく、真の父母に待っている第三代の、地上で祝福を受けた家庭たちの責任であったのです。それを通告するということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい。」) このことを知らなければ分かりませんが、知った以上、夜も昼も、所願成就の一念しかないということを理解して、山を越え、海を越え、空中を越えて天上天下を一つにし、神様をしっかりとつかみ、地の王をしっかりとつかんで、孝子の栄光を賛美し、忠臣の栄光を賛美し、聖人、聖子の栄光をすべて成し遂げたと賛美して、その栄光をお返ししてさしあげてこそ、それを受けた神様は、初めて栄華としての地上世界を受けられるのです。 そのようにすることによって、天は栄光であり、地は栄華の天国となるのです。解放的神様の心の世界の統一圏となるのです。アーメン。(「アーメン。」)<4/4に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 一和 メッコール(250ml×30本×2ケース)【送料無料】 二〇〇二年を出発するこの日、三〇〇〇年に向かう 二番目です。重要なこの年の冒頭にこのような通告を受けたのです。 その通告された内容を伝授され、真の父母が天の前に孝子となり、忠臣、聖人になったのと同じように、わたしたちは、真の父母を解放させるために、真の父母の伝統を受けて、数多くの家庭が一国の解放の王権を樹立することは何でもないというのです。そのようなことができないというのであれば、すべて流れていっFamily 2002.2 62
2024.07.16
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朴泰善長老と牧師たち🍇有名牧師も良い位置にいるのを発見できない🍓霊界で会った人たち🍎李相軒先生❤️2024/07/09 #統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#李相軒#霊界十 朴泰善長老と牧師たち 朴泰善長老は地上にいる時に、その権威は神のようであった人です。この方の霊界の姿と生活を簡略に話そうと思います。 朴長老は一般のキリスト教徒たちの群れと共に暮らしていました。ところが、そのキリスト教徒たちの水準は、主に侍って暮らしていた誠実な信徒たちの水準ではなく、初歩的な信仰をもった群れのようでした。彼らは賛美や祈祷においても、その内容をよく知らない初歩の信徒たちでした。朴長老はそのような群れと共に暮らしていました。 私はまだこの方と対話してみたことはありません。なぜなら、雰囲気から見て、この方は位相に合わない所に身を隠して暮らしているからであり、私が判断するのに、驕慢な心で信仰した方であり、自分の領域を維持するために、自分の使命に陶酔して生きた方だからです。 この国では、彼は神様と遠い所に暮らしているので、まだ自分の立場を知らずにいました。彼は初歩的信仰者たちが集まった所で、まだ過ぎし日の領域に固執していました。もう少し時間がたったあとに会ってみようかと思います。 次に、一般の牧師たちの霊界の生活を紹介しましょう。私が見たキリスト教圏の中で、特別に牧師たちの際立った点を発見したことはありませんでした。有名な牧師だといっても、特別に良い位置にいるのを発見できませんでした。けれども、私が感じたのは、地上で牧師だったとしても、ここでは牧師の位置を維持していないということです。それから私はまだ、統一教会に反対していた牧師たちを隅々まで調べたことはありません。その理由は地獄でも天国でも、牧師の立て札がくっついていないからです。このことは今後の計画の中にあります。(一九九八年五月二十一日) 李相軒院長が最後に下さったみ言 霊界の法は地上のように値引きは全くありません。この法度に引っ掛からない基準は、天上の生活ではなく、地上の生活です。いつも霊界の生活を準備する心で、私が行くべき霊界はどこだろうかという心で生きなければなりません。もし、この法度から逸脱すれば、自分の霊魂が行くべき所は、天道に従って、そのまま落とし穴に引っ掛かるしかありません。ですから、地上の生活を正しく生きなければなりません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.16
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昨日の朝から調子が悪く、今日病院で「コロナ陽性」の判定を受けました。家族に移らない様に配慮しながらの療養生活1週間です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.15
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【家庭連合・Web説教】「変わる事のない信仰を持つために ~マンネリ化しないために~」2024/07/11 #礼拝 #世界平和統一家庭連合家庭連合Web教会 礼拝説教題目:「変わる事のない信仰を持つために ~マンネリ化しないために~」説教者:柴沼邦彦真の父母様は常に前進、前進の生心で後ろを振り返ることもできない毎日を過ごしておられます。私たちも真の父母様のような歩みしていこうと思った時に、重要なのが変わることのない信仰です。今回は、み言と合わせて説教者自身が60年間変わらずに信仰生活を送ることができた原点となる証しと共に、不変の信仰について学んでまいりましょう。#世界平和統一家庭連合 #Web教会 #礼拝文鮮明先生御言選集 20031014 - 以北出監五十三周年、霊界統一解放三周年」記念晩餐会二〇〇三年十月十四日の夕方 韓国、漢南国際研修院の庭園において、「以北出監五十三周年、霊界統一解放三周年」記念晩餐会が開かれました。真のご父母様が、その場で御言を語られました。 夜で寒いのにすみませんが、一言、話をします。 今まで先生が歩んできた道は、一言で言えば、後ろを振り返ることができない日々であり、生涯でした。そのことを覚えておかなければなりません。後ろを振り返ることができず、毎日のように、前進、前進を誓わなければならない、一日の生活であり、一年の生活であり、一生の生活でした。 皆さんは、正午定着ということを知っているでしょう。先生の名前のように、鮮明な朝日が昇れば、創造されたすべての万物も、そこに生命線を合わせてあいさつすると同時に、新しい日が始まる喜びの歌を歌って、喜ぶのです。そのように、朝日を見つめながら喜ぶのと同じように、昼食、あるいは、夕食の時、昼も、夜も、そのような心情で天に向かい、正午定着の影のない生活をしなければなりませんでした。 二つだけ覚えておいてください。後ろを振り返らない、前進だけが必要であったのです。正午定着! 影がなく、サタンがそこに条件を引っかけることができず、影を見いだすことができない生活をしなければならないので、いつも光明な朝のような聖火を持ち、朝起きる時、朝に食事をする時、昼に食事をする時、夜に食事をする時、眠る時、目覚める時、あらゆることをする時に、そのような心情で過ごしてきました。そのことによって、天が、私の行く道を開拓してくださり、導いてくださり、今日のこの位置にまで来ることができたと思うのです。 皆さん、ロトの妻が後ろを振り返って、塩の柱になりました。そのことが、人類の信仰者たちの教訓になっていることを知っているでしょう。後ろを振り返らずに、毎日前進して、正午定着。いつも天に侍って暮らしているので、祈祷が必要ない生活をしたという事実を、皆さんは記憶しなければなりません。生活自体が祈祷であり、生活自体が前進であったということだけは、皆さんが知っておくことを願います。 若い人たちは、そのような決意をもって訓練を受けるのです。どのような困難にぶつかっても倒れずに前進しようという、そのような心だけが必要です。そのことを再度決意して、帰ってくれることを願います。 このような集会を準備したことを感謝します。健康で、今晩、楽しく過ごすことを願います。(料理を)うまく作りましたか? (笑)むしゃむしゃと音がするほど、おいしそうに食べるように切にお願いします。さあ、それでは始めましょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.13
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第三十五回「真の神の日」記念礼拝の御言(その2/4)<1/4からの続き> それから、心と体が一つになって神様に似るとき・・・・・・。 神様も一人で暮らすことを嫌われるのです。愛というものは、一人で捜し出す道理がありません。 男性が大統領になり、天下の王になったとしても、この男性を愛することができる女性がいなければ、愛を捜し出す道がありません。 その大統領よりも、この男性よりも貴いものが何でしょうか? この男性をつくる前にだれを考えながら つくったのかというと、女性を前提条件としてつくっ たという事実です。このことを思うとき、女性たちは本当に驚くべきものです。 自分(男性)が女性と似ていたらどうなりますか? 女性は凹なので、何が必要ですか? 姜賢實さん、何 が必要なのですか? ええ?(「凸です。」)凸です。 凸が好きですか? 今まで一人で暮らしてきながら孤独単身だったのに、凸のことを知っているのですか? (「よく分かりません。」)分からないのに、何が好きなのですか? 皆さんは分かりませんが、神様は完全にご存じなのです。女性が絶対に必要なのは絶対愛であり、その愛の主人になろうとすれば、愛の主人に侍ることができる相対者が愛の主人にしてくれるということを知らな ければなりません。分かりますか? 男性がいなければ、女性は愛が全く分かりません。男性と出会い、初愛を中心として生命をかけてふたりが一つになるまでは、愛の主人がだれで、愛の相対がだれなのか分からないというのです。それが結婚です。 結婚とは何でしょうか? 女性が凹で、男性を完成させると同時に、女性を完成させることができる道を訪ねていくのが、祝福の道です。ふたりが愛を通じてこそ、主人にしてあげることができるのです。 男性は、女性を妻を、男性の世界を愛することができる主人の立場に立て、女性は、女性の世界を愛することができる主人の立場に男性を立ててくれるので、 お互いが愛の相対であり、それが貴いのです。 その貴い立場を訪ねていき、愛の主人の資格を認められるためには、自分から“ために生きる”道しかないのです。ために生きる道しかありません。自己主張するときには、億千万世、一人でいて、(最後は)いな くなるのです。分かりますか? 文総裁がいくら優秀でも、お母様がいなければ、いなくなるのです。一代で終わります。一代で終わり、 自分の子女もなく、一つの家庭もなく、息子、娘もいなくなるのです。 それゆえに、女性の前に一番の宝物の中の宝物は何かというと、男性というものであり、男性の前に一番の宝物の中の宝物は、女性というものなのです。そのものがなぜ貴いのかといえば、愛の主人にしてくれる対象的な存在がなければ、愛の主人の立場を捜し出すことができないからです。 ですから、神様も、いくら万宇宙を創造された神様であられるとしても、愛の世界、愛の家庭を持つためには、愛の相対が絶対に必要なのです。 愛の相対が神様を主人にしてくれるのであって、愛の相対なく神様を愛の主人にしてさしあげることができる法は、天理がすべてなくなってもないという事実 ないという事実をご存じなので、神様は、相対である女性を中心とし て、つくらざるをえないということです。 最後につくられたのは女性ですか、男性ですか? 何ですか? (「女性です。」)女性をつくられたのですが、女性とは何ですか? 凹でしょう? 凹は器です。男性がこの白頭山よりももっと大きくて、女性の凹が白頭山より大きいものを受け入れようとすれば、白頭山よりももっと大きくなければなりませんか、小さくなければなりませんか? (「大きくなければなりません。」) 凸が白頭山くらいならば、それを包む器である女性の凹は白頭山よりも大きいでしょうか、小さいでしょ うか?(「大きいです。」)どれほど大きいですか? (「天くらいに大きいです。」)十倍大きいからといって恨めしく思うでしょうか? 器が泣きます。「「ああ、 あふれ出て破れてしまう。」と言うくらいの凸が必要なのにこれは何だ。」と言うのです。 去勢された男性を訪ねていこうとする女性がいるで しょうか、いないでしょうか?(「いません。」)いるでしょうか、いないでしょうか?(「いません。」)い ます。(「いません。」) 去勢された男性と正常な自分を比較すれば、どうでしょうか? 大きな器の前に小さな凸凹は運がないと 言うこともできますが、だからといってそれを蹴飛ばしてしまえば、愛の主人の偽りの看板すらも永遠に捜し出すことができないので、偽りの名前だとしても、 必要ならば小さな器でも大きな器の端にくっつけて種をもらわなければなりません。このように考えるのです。 先生がこのように露骨に話しましたが、露骨ですか? 露骨の反対は何ですか? 陰骨です。輝く光彩 の「光」に、暗闇の「陰」、このようにすべてプラスとマイナスになっているのです。分かりますか? 女性の器が、凹が大きくなければなりませんか、小さくなければなりませんか?(「大きくなければなり ません。」)どのくらい大きければよいのですか? 神様がそこに落ちて息をすることができず、「ああ、 エバよ。エバよ、助けてくれ」と言うほどがよいでしょしょう? 「ああ、ひかれて死にそうだ。わたし(神様)は 死ぬ。」と言えば良いでしょうか。答えてみてください。 男性は国を治めるのですが、家庭を持った女性は男性を治め、息子、娘が女性を治めると言うでしょう。 本当に不思議な位置です。息子、娘にはかなわないでしょう? さあ、結論を下しましょう。分かりますか? 心と体が一つにならずにここに来れば、どろぼうです。ど ろぼうに違いありません。夫婦が一つにならずにここに来るのは、どろぼうに違いないのです。 男性がきれいな女性を横目で見るのはどろぼうであり、"ああ、わたしの妻よりもりっぱな妻がいれば、その女性をここからどろぼうするために来た。”という、そのような事実が多いのです。 これは、どろぼうの親戚の素質を持っています。男性も女性も皆、持っているのです。おばさん、それは正しい話ですか? 自分の夫よりももっとりっぱな夫がいれば、ああ、わたしの夫よりもあの夫と暮らせればよい。”という、そのような心を持ちますか、持ちませんか? “持たない。”というのは偽物なのです。神様でもそうです。 神様も良い人を訪ねていかれるのです。文総裁よりも、もっと良い人がいればすでに訪ねているはずですが、万国統一するのに私よりも良い人がいないので、 今まで神様は待ってこられたのです。 何千年、何万年と待ってこられた神様は、天地の創遠主、大王陛下になることができないのです。大王陛下になることができなければ、死ぬしかありません。 愛を捜し出すことができる道がありません。対象がいないのです。 しかし、文総歳さえも逃してしまえば大変なことになるので、おじいさんになり、気力も衰えた立場の先生にしがみつき、先生の腕を切り、首を切って神様を接ぎ木し、自分の代身として立てれば、自分が生きることができる。」と考えられる神様です。そのような知恵はあるのです。分かりますか? 分かりますか?(「はい。」) 悪事を働いた父母も、忠臣の息子、娘が、父親のために「わたしの父と母は、孝子になることができなかったので、わたしが孝子になる。」と言えば、その父母は、 孝子を育てて死ぬことができる道もあるのです。分かりますか?(「はい。」)ノーメンですか、アーメンですか?(「アーメン。」) 永遠のアーメンですか、途中で切断されるアーメンですか?「アーメン。」と言えば、永遠のアーメンです。万国、万天下が滅んだとしても、滅びるのを見ても、千年万年、百回、千回、滅びる国を見ても、「わたしは行く。」と言うことができる決心を持たなければなりません。 男性の凸器官と、女性の凹器官が入れ替わりますか、 替わりませんか? 男性が凸から凹になり、女性が凹回から凸になりますか? 凸なら凸、凹なら凹が替わりますか、替わりませんか?(「替わりません。」) 替わりません。千年万年、替わりません。その姿は、上に見ても、下に見ても、いつ見ても、一年中いつ見ても同じ顔ですが、愛に向かう行動が同じ顔でなくなるときは、ずれるのです。角度がずれるので、破損物になるのです。 女性も、すべてここに合わせて直線です。男性もそうです。男性がこのように横向きになりましたか、直線ですか? 直線は、直線同士で一つになって天地が回っていくことによって、宇宙のすべての理想的形態を備えることができるのです。 このような話をして申し訳ないですが、新千年歷史においては、この伝統を明確に正しておかなければ、破壊的で、再び歴史時代の祭物となり、亡国となるかもしれないと憂慮しているので、統一教会の総責任者である文総裁は、朝から勧告の訓示をするのだということを忘れますか、忘れませんか?(「忘れません。」) 忘れますか、忘れませんか?(「忘れません。」)それは、終わった。安心してもよい。”ということです。 神様の心と体は闘わないのですが、皆さんの心と体は闘いますか、闘いませんか、おばさん。統一してみましたか? 優れていると言いながら傲慢になり、浮足立って飛んでいって落ちるのです。最後になって、 最後の頂上に行って合格ですか、不合格ですか? 不合格で落ちていくというのです。 問題は、歴史的神様が、最後にすべて選別して天国に入籍入国させるようになるときには、心と体が一つ になった男性でなければなりませんか、女性でなければなりませんか? 心と体が一つになりましたか、この者たち。(「なっていません。」) さあ、「神様のように、わたしの心と体は永遠に一つである。」と言ってみてください。(「神様のように、わ たしの心と体は永遠に一つである。」) 夜でも一つであり、昼でも一つであり、一年じゅう一つであり、地上世界でも一つであり、天の世界でも一つなので、「わたしと比較する者、出てきなさい。」 と言うとき、神様も注意しながら出てこられる孝子、忠臣、聖人、聖子が君臨したのです。 「神様が出てこられて、わたしに学びますか? わたしに教えてくれますか?」と言うとき、神様も文総裁の世話にならなければならなくなり、学ぶことができる立場であられるのです。このようなばかげた世界に、このような怪物がどこにいますか? 神様を解放してさしあげたのです。 ですから、「統一思想」がどれほど偉大ですか? 神様を解放し、わたしの手で天地を主管する王の基地をつくろうという、そのような思想を持った男性を凌駕する者が世の中のどこにいますか? 「心と体は統一。」、言ってみてください。(「心と体は統一。」)皆さんは、韓国語で聞いていますか、イヤホ ーンを通して聞いていますか?(「イヤホーンです。」) イヤホーンを通して聞く人が本物ですか、イヤホーンなく聞く人が本物ですか?(「そのまま聞く人が本物です。」) 本物以外は、すべて偽物でしょう? 本物は一人な のですから、二人いれば一人は偽物ではないですか?二人のうち一人は偽物でしょう?ですから、本物の言葉を学びますか、学びませんか? 本物の国民になりますか、なりませんか? 本物の人として、神様の 一番の王子、王女になることができる本物の人になるのです。偽物では、なることができません。 韓国語が分からない人は、今後、王権の主流圏内に参席できる資格がないということを知らなければなりません。その国の文化を知らず、伝統的思想を知らないで、どこに行くのですか? 行くたびに、国を引っ張っていって滅ぼしてしまうのです。それは理にかなった話です。わたしは賢い人です。文総裁は、賢い人ですか、頭の悪い、まぬけな人ですか? どれほど賢いのか、神様の秘密のかぎまでも見つけて、ばたんばたんと、すべて開いてしまいました。そのくらい賢いというのです。 天上世界の秘密と、地上世界の歴史において結ばれたものをすべて解き、「わたしの後に従ってこない人たちは皆、地獄行きだ。一辺倒だ。」と、このような結論を下して「わたしに従ってきなさい。」という看板をつけたので、サタンまでも「サタン世界は嫌です。」、サ タンの手下も「嫌です。」、個人も「嫌です。」と言うのです。統一教会員は、父母から拉致までされたでしょう? 日本人は、統一教会に行くと言って、父母が子女たちを拉致した、歴史にない、そのような実績を残す日本の国が、神の前に誇られるべきですか、責められるべきですか? (「責められるべきです。」)日本人!(「はい。」)夢にも、そのようなことを考えてはいないでしょう。いくら何と言っても、日本人は韓国人より上であって、優秀な群れである、と考えているでしょう。 あなたは日本人ですか?(「日本人です。」)日本人 がなぜそのようになったのですか? わたしは、日本に 行って勉強もし、日本人や先生とも討論してみましたが、そのような人は一人も発見できませんでした。あなたは不思議な日本人ですね。(笑い)何が不思議なのかといえば、統一教会の文先生から洗脳された日本人であるということです。 韓国の文先生に洗脳された日本人なので、日本に近づくよりももっと韓国に近寄った場合には、台風がこのように吹いた場合には、強いほうに残るようになる と考えるのです。 両方、清算はできません。いくら台風が憎しみの高い親玉と言ってもです。ふたりを滅亡させたら、地上の人類が滅亡してしまうので、そこに優秀な者を残して、残った場合には、別れを告げて、「ごめんなさい。ようこそ。おやすみなさい。」と言って、ふーうーと消えていくのです。 日本の歴史も、日本の国も、日本人の形も、日本人の話も消えてしまった者にならなければ、本物になれません。 本物になるには、九九パーセントまで偽のものに、 真の一パーセントを付けたとしても、それは真の金になりません。分かりましたか? 九九パーセントの悪いものを半分以上、六〇バーセ ント、金に属したものに変えて、そこに一パーセント の金を付けた立場であれば、一〇〇パーセントにはならないけれども、九八パーセント完全なものとして認定してあげる、ということです。 認定するときの方法が、接ぎ木です。接ぎ木を知っていますか? 一割の柿の木を真の柿の木に接ぎ木し なくては、真の柿の根と柿の実は永遠に見いだすことができません。これは、理論的な結論です。分かりましたか、分かりませんでしたか?(「分かりました。」) 「分かりませんでした。」と言う人は、国に流れて行きなさい。「分かりました。」と言うのは、国に残ることは永遠に不可能であるから、心身一体になれる見込みのない者は、今日から裸になって玄界灘を跳んで、走って、泳いで渡らなければなりません。 水に流されたとしても、『韓国の地に死体でも残そう。”として、日本人が葬ることはできないので、韓国人に葬られた場合には、条件的サタン世界の国境線を越えて立つ道があるかもしれないという話になるのです。分かりましたか? 「韓国人と日本人と交差結婚をしなさい。」と言ったとき、歓迎する者は何パーセントですか? 君は?(「一〇〇パーセントです。」) (「妻が韓国人です。」)だれがですか?(「妻です。」)ですから、父母は韓国人ではないではないですか。(「はい。」)祖父母が韓国人ではないではないですか? (「はい、違います。」) 韓国人の伝統を三代で受け継いで韓国人になって、初めて純粋な韓国の種でしょう? 日本の女性をもらって、これが韓国人ですか? (「新韓国人になります。」)そのようになろうとすれば、 父母までも七代を中心として、すべて韓国人になって日本人意識を否定し、日本のものを韓国に植えなければ、生きて立つ位置がありません。 「総生畜献納」して教会本部に持っていって、積みなさいというのです。日本の本部ですか? 文総裁が いる本部です。 ですから、政府がいくら文総裁のことを嫌っていても、教会にあるものを奪っていくことはできません。 「安全処置として教会の名前で登録しなさい。自分の万物と息子、娘と夫婦を登録しなさい。」と言いましたか、 言いませんか? この者たち。カップルというのは一人ではありませ ん。サタンが最も嫌うのがカップルです。二人が一つになれば、サタンが滅亡します。 日本の女性ですか、韓国の女性ですか?(「日本人です。」)「日本人。」と言えば、本当にサタンの身内です。日本の兄弟です。分かりますか?「日本の食口」 です。だれを中心としてですか? 神様を中心として言う言葉です。 「日本の国の兄弟」です。「日本の祝福家庭」です。「日本人」ではありません。どこに行っても、自分の口で「日本人」と言ってはいけません。日本、これほど不自然なものがどこにありますか? “わたしたちの国がなぜないのか!”と考えてみましたか? この者たち。自分がよく食べて暮らせればそれで良いと考え、神様が泣かれ、真のご父母様が悲惨なことを理解できない者は、愚か者の身内ですか、善 なる身内ですか? 滅びる身内ですか、発展する身内ですか?? 滅びる者です。 そのような群れを集めて、「わたしに似なさい。」と千年、言っても、わたしに似ることができず、結局は、 荷物をまとめて太平洋の中に流れていっていなくなっ てしまう民族にならざるをえないということです。 日本は、震度8か、8・5か、9の地震が起きてこのように動き、太平洋の六千メートルのがけに落ちて 流れていってしまう民族なのです。警告しますが、危険千万です。<3/4に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 一和 メッコール(250ml×30本×2ケース)【送料無料】 第一の先決条件は、心と体が一つにならなければならないということです。目(視力)も一・二、鼻も詰 まらず、口も言葉を話すにしても、答えを言うにしても、余計なことを言ってはいけません。耳も、十里、百里、千里でも間違いなく聞くことができなければならず、手も、つかめば放しません。 わたしが必要とすれば、つかんで放しません。行くべきところに行って、(そのままでは)帰ってきません。 目的を成し遂げなければ、収穫することができる結実Family 2002.2 50
2024.07.13
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2024年7月11日(木)、第1080回天心苑特別徹夜精誠における訓読のみ言(7月7日、南米でのお母様のみ言)2024/07/132024年7月11日(木)、第1080回天心苑特別徹夜精誠における訓読のみ言7月7日、南米で語られたお母様のみ言です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 一和 メッコール(250ml×30本×2ケース)【送料無料】
2024.07.13
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第1081回 天心苑特別徹夜精誠一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.12
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愛します 真の母 真の父母2024/07/10一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.11
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伝統的なユダヤ教を批判したイエスは悪霊憑きだと非難されました。しかし伝統を批判することは悪霊と関係ありません。悪霊憑きだと非難するのは議論をはぐらかすためでしょう。もっと正々堂々と議論すべきです。2024/07/10二〇二四年 七月 七日 西野バプテスト教会礼拝説教「悪霊つきだと非難される喜び」 説教者 岩本義博聖書 マルコ福音書 三章二十節〜三十節 ぼくのことをまるで悪霊憑き(あくれいつき)だと非難なさるかたがおられますけれども、そんなことでぼくは挫(くじ)けません。それどころか、悪霊憑きだと非難されることを喜んでいます。なぜならば、福音書に明記されております通り、イエスが自分の悟りを宣教し始めた頃は、当時の宗教指導者たちから悪霊憑きだと非難されていたからです。イエスがそう非難されたのですからぼくが悪霊憑きと非難されることは、恥ずべきことではなくて名誉なことだと思っております。 ……一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.10
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第三十五回「真の神の日」記念礼拝の御言成約十(二〇〇二)年一月一日、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 もう聞こえますか? これが悪いのか良いのか、私も学ばなければなりません。人の能力は、とても驚くべきものです。この小さなもの(マイク)を通して全体に声が届き、わたしたちの耳に穴が開いていて、それを理解できるようになっていることを、ありがたく思わなければなりません。 分かりますか?(「はい。」) そのような意味で、今日の文明の発達と結実を愛さなければなりません。ですから、統一教会員たちは、伝道をするときに、口一つだけではいけません。体の五官だけではいけないのです。 文明の利器を最高度に適用して、ここで話すことが地の果てと天上、無限の世界にまで広がっていくことができるようにするのです。文明の利器を活用する時が来たということです。 それはどういうことかというと、わたしたちが伝道するときに、人の口を通して伝道する時代は過ぎたというのです。分かりますか?(「はい。」)最高度の文明の発展を誇ることができ、第四権力の権威を誇ることができるこの言論界の力を通して、六年、十年かかってすることを一瞬のうちに、六日で、六週間で、六か月ですべて終えて余りある時が来たのです。 それで、先生のしてきたことが主に何であるかというと、統一教会の思想的勝利の覇権の位置を築いてきたのです。世界的な、天宙的な覇権の位置を築いてきたので、今ではもう思想的基準においては統一教会を凌駕することはできません。 共産主義もそうであり、哲学もそうであり、民主主義世界の、どこかの大学の天才的な教授が、ノーベル賞を十個、百個、持っていたとしても、統一思想を凌駕することができる人はいないということを知らなければなりませんか、悟らなければなりませんか?(「悟らなければなりません。」) 知るということと、悟るということはどういうことですか? 知らなかった立場から努力して知るように なることを、悟るというのです。悟る時が来ました。 それゆえに、霊界においても、イエス様をはじめとする四大聖人や、文化創造に協助した歴史上に輝く聖賢、賢哲たちにまでも、真の父母が伝授する真なる真理の内容を、セミナーを通して教育しているのです。 その教育を受けている責任者たちは、キリスト教などの宗教圏の重鎮、教派の長、文化世界の功臣であり、神様の命令によって一人も欠けることがないようになっています。それがキリスト教から出発したのです。 キリスト教の中で、歴史を通じた重鎮の人物たちは、「わたしの命令によって一か所に集まりなさい。」と神様がおっしゃれば、集まりますか、集まりませんか? (「集まります。」)集まりますか、集まりませんか? (「集まります。」)集まりますか、集まりませんか?(「集まります。」) それと同じように、真の父母が、「清平に集まってはならない。」と言えば、集まらなければなりませんか、 集まってはいけませんか?(「集まらなければなりません。」)「集まるな。」と言っているのに、集まらなければならないのですか、この者たち。ぼうっとして聞 いています。「集まるな。」と言っているのに、集まらなければならないのですか?(「はい。」) 聴衆を指導する文総数は頭が良いのですから、「「集まるな。」と言っているのに集まらなければなりませんか、集まってはいけませんか?」という問いに対する答えは、何でなければなりませんか? この者たち。 話を聞いていないという事実です。分かりますね? (「はい。」) 話を聞いていないのですから、悪口を言われて、前髪が抜けてはげ頭になり、怨讐の頭になったとしても、精神を正してしっかりと悟らなければならないということを知らなければなりません。 聞いて知り、悟って理解しなければなりません。どのような内容なのか分析し、鑑定し、「正しい」と言うことができる立場で理解してこそ、使用価値があるのです。 悟ることができずに皆さんの頭にそのまま放り込めば、器の下の方にあらゆる悪いものが敷かれているので、その上にいくら良いものを置いても、使用価値がありません。それを売ったとしても、悪いものとしての評価しか受けることができないということです。 ですから、悟って自分のものにしようと思うならば、しっかりと熱心に聞かなければなりませんか、しっかりと熱心に聞いてはいけませんか? どちらですか? (「しっかりと熱心に聞かなければなりません。」)知っていることは知っているのですね。 文明の利器を活用して一瞬のうちに世界、天宙にま で宣伝、放送することができる時代が来たのです。そのことをよく知っている文総裁は神様に侍り、神様が文総裁がそれをしてくれることを願われるので、それをするというのです。分かりますか? 自画自賛する者は滅びると言われたのですが、滅びませんでした。 文総裁いわく、文明の利器の王となって一瞬のうちに天下を懐に抱き、世界の大平和をかけて戦う戦場の第一線の将兵として総出動するにおいて、赤ん坊までも裸で従ってくることができるようにすれば、天下は、瞬時に統一天国にならざるをえません。ノーメンですか、アーメンですか?(「アーメン。」)(拍手) 知っていることは知っているのですね。(拍手) きょう歌ったこの聖歌(韓国語聖歌一番「勝利者の 新歌」)は、わたしが作ったものです。皆、他の人が作ったと言いますが、これをきょう歌ってみると、四番に 「善なるみ旨」(日本語聖歌では「創りし主の御旨」)と出てきます。 このみ旨を出発しながら成した昔の役事が、きょう花咲くこの場、新しい天国の名を代表した「天一国」の 広場の前で、いちばん初めの年の最初の朝におけるこ のような集いの場においてそれを聞いたので、本当に 感慨深かったのです。 夢は成し遂げられるものですね。その夢は、偽りの夢ではなく、神様を代身した夢であったので、間違いなく成し遂げられるのです。 それでは、「天一国」と言えば、世の中が笑うでしょう。「何が、天一国だ。」と。しかし、この内容はどれほど素晴らしいでしょうか。二人を統一することができる力を持った国の伝統を確保しました。 歴史を通じて、闘ってきた心と体の紛争を、一度も統一したことがありません。心と体が闘いますか、闘いませんか?(「闘います。」)闘いますか、闘いませんか?(「闘います。」) 今からは、心と体の闘いを主管できない人は”亡国の種”です。先生が贈り物として、ためらわずに地獄 に放り込んでしまうというのです。そのようにする時が来ました。二人が一つにならなければなりません。 右目と左目、その主体と対象が一つになってこそ完全な一・二の目になるのです。鼻も、右の鼻と左の鼻が通じてこそ一つになるのです。一つにならなければ、"亡国の鼻”です。 耳もそうであり、口も、これが二、三ミリだけでもこのようになれば、発音するのが難しいのです。一度やってみてください。テープを張って一度やってみてください。どれほど発音しづらいでしょうか。舌を、どこにも合わせることができません。 よく訓練されているので、この中央に舌をぴたっと合わせて発音できるのです。習慣となっている自分の国の言葉を、最初から間違いなく言い放つその銃弾は、天下に響き、立てられた標的にダーン、ダーン、ダーンと的中するようになっています。分かりますね? (「はい。」) 手も、左手一本だけがあれば良いと思う人は手を挙げてみてください。それは狂った人です。女性なら狂った"あま”、男性なら狂った”やつ”、王がそうなら "死ぬべきやつです。分かりますか? 手は、左手があれば右手がなければならず、右手があれば左手がなければなりません。同じことです。 「男性」という言葉は、男性を中心として言う言葉であると思っているでしょう? 統一教会に入ってき て、そのことは常識的に知っていることではないです か。「男性」という言葉は、女性を先に認めて言う言葉です。分かりますか? 女性ゆえに男性が生まれたということです。 気分が良いでしょう、女性たち。泣いて暮らしていた顔や、しかめ面が、今朝、先生の話を聞いて、「ああ、美しくて、見事な香りを醸し出す、つぼみのような笑顔をして、天地が踊りを踊ることができるようなことが起きるか、起きないか分からない。」と言って、神様が、「おい、どうして分からないのか。わたしは分かった。」とおっしゃるとき、「そうですか、わたしも踊りを踊ります。」と言って歌を歌わなければなりません。 分かりますか、分かりませんか?(「分かります。」) ここにいる日本人は手を挙げてみてください。日本人です。日本のやつ、手を挙げてください。なぜここに来たのですか? 韓国人は、日本人を「日本人」と言うようにはなっていません。日本のやつ、何々のやつ、どろぼうのやつ、悪いやつ、そのように言うということを知らなければなりません。 アメリカ人を「アメリカ人」と言うことはできません。「アメリカのやつ」、それから「ソ連のやつ」、「中国のやつ」です。 文総裁は、「韓国のやつ」と言っているのです。わたしのほうが一つ多く知っています。ですから、総裁になることができるというのです。一票でも多ければ大統領になることができるのです。背が少しだけ大きくても王になることができます。 ですから、一つ多く知っているということは、文総裁は「韓国のやつ」と言います。大統領でも、だれでも皆、そうです。 では、文総裁は何ですか? 文総裁は何ですか? やつですか、何ですか、王ですか?(「様です。」)様とはどういうことですか? (笑い) 別れて追い出された恋人を呼んでいるのですか。このような話をしようとすれば、他の話よりも喜んで聞き、きょう一日、話さなければならない運命を生きる人になります。 そのような立場には立ちたくないので、話をしないようにしようと思いながらも話すようになってしまったので、癖を直さなければなりません。 たくさんの人が来るのなら、来て、かまわず、もちを一つずつ食べさせて送り出せばよいのであって、大切に倉庫に隠しておいた秘密の箱まで持ってきて見物させ、秘密の米を出してもちをつくり、たくさん食べさせようと思う王は悪いやつですか、良いやつですか?(「良いやつです。」) 悪いやつは「やつ」と言うとしても、「良いやつ」と言うのですか?(「良い人です。」)だれを中心としてですか? 神様です。神様がごらんになる、良い人です。神様がごらんになって良い人とは、どのような人ですか? 人の中で、神様がごらんになる人はたくさんいるのですが、良い人の中の最も良い人は、一人ずつしかいない神様の息子、娘です。「アーメン。」と言わなければならないでしょう。(「アーメン。」) そのような息子、娘が、二人だけで一つのカップルになるようにして、天の国に直行することができる群れをつくっておいたのが、統一教会であったのです。 きょう、「三代」という言葉を聞いたでしょう?(「はい。」)三代中心血統を相続した王の家庭です。ですから最近、統一教会で祈祷するときには、そうではないですか? 真の父母の祝福によって、祝福何ですか? (「祝福中心家庭です。」) いいえ、真の父母の祝福によって受け継いだ、(「勝利圏を祝福によって受け継いだ。」)受け継いだ祝福家庭だれだれの名です。 最近の祈祷は何ですか?(「祝福中心家庭です。」) 「真の父母」という言葉を追い出したのです。真の父母は必要ないというのです。今は何と言うのですか?(「祝福中心家庭です。」)祝福中心家庭です。 祝福中心家庭とは、だれですか? 真の父母です。 真の父母ですが、真の父母を追い出してしまったので、 三代(目)の人がするしかないではないですか。そうではないですか? 真の父母を追い出したので、真の父母が祝福してあげた神様の三代目の孫がするしかないではないかということです。分かりますか?(「はい。」) ですから、孫たちがしなければならないことは、何でしょうか? 今までのサタン世界の三代は、悪なる 環境と世界において、神様を囹圄(れいご)の身に追い込んでいましたが、解放的三代となり、サタンを監獄に放り込み、その世界の汚されたものを瞬時に火で燃やしてしまい、この世界の何者よりももっと価値のある三代権威を代表した王国の王になろうと思う人たちが、統一教会の祝福中心家庭でなければなりません。(「アーメ ン。」)知っていることは知っているのですね。それが重要です。 今からはもう、先生は必要ありません。すべて相続したので、サタンが反対できません。ただひとえに皆さんが持てるすべての精誠を尽くすのです。「家庭盟誓」 があるでしょう? その第一の表題は何ですか? 第一が、「わたしたちの家庭は」、何ですか? 「真の愛を中心として」、何ですか? すべて真の愛が課題です。 真の愛がなくては、万事が栄え、成就し、勝利する完成圏が出てこないというのです。真の愛が、一節から八節までのすべての盟誓の骨になっています。真の愛が何になっているというのですか?(「骨です。」) さあ、ですから、きょう歌った聖歌の由来に関して、 感慨深かったのです。五十年前に、小さな部屋でそれを標的として立て、万民がこの骨子を理解して、主流思想に従って目的の天国に向かうのです。今、天国の 目的地が何ですか? 「天一国」に向かうのです。 この大講堂(大聖殿)は、世界のどこにも引けを取らないのです。りっぱに建てましたか、建てられませ んでしたか?(「りっぱに建てました。」)これはだれがたてましたか? 霊界が建てましたか、先生を中心として肉界で建てましたか? (「先生を中心として肉界で建てました。」) 何ですか、この者たち。先生は、れんが一つにも触ったことがありません。見物はしましたが、一つの石も置いていません。霊界のだれがしたのですか? (「神様です。」)どうして神様なのですか? 興進君です。神様の息子が、王権を立てて神様を王座に座らせてさしあげたいと思ったのと同じように、 真のご父母様の息子が、天上の神様を王座に座らせてさしあげると同時に、先に天上世界に行った息子の興進君は、天上を収拾して地上にまで連結したのです。 王権樹立をするための準備をする訓練所が何ですか? 天城何ですか? (「天城旺臨宮殿です。」)旺臨、 (「宮殿。」)天城です。この城は、天城旺臨です。天の国の宮殿が本殿ではありません。この城は訓練所です。訓練所であるというのです。分かりますね?(「はい。」) だれが建てたというので すか?(「興進様です。」)だれのためにですか?(「お父様のためにです。」)神様のためではありません。お父様のためです。 それでは、興進君の百分の一、千分の一、万分の一をするのですか、千倍、万倍、億万倍するのですか? 地上が目的完成の基準であるにもかかわらず、死んでここを離れ、実体を捜したてることができない霊界に行ってこのような基盤を築いたのが、興進君です。 霊界の司令官ですが、神様もできず、イエス様もできず、五大宗主たちもできず、聖人たちもできなかったことを、霊界に行って何年目かに一人でこのようなことをしたということは驚くべき事実です。 だれの力によってですか?(「神様の力によってです。」)真の父母の力によってです。神様王権樹立をしたのは、神様ではありません。真の父母です。分かりますか?「天一国」をつくったのは、神様ではありません。真の父母です。 「天一国」という言葉は、天宙平和統一国です。天一の「天」という字は、「二人」であり、「二つの世界」 です。これは水平です。天の国と地上に、「人」です。天の人と地の人が二重構造になるのです。 皆さんの心と体は、二重構造になっているでしょう? 心と体が一つになりましたか、なっていません か? 闘っていますか、統一されましたか?(「闘います。」)闘う群れは、「天一国」の国民になることはで きません。こうりづくりの子女(時期に合わせて行うべきことを、時期を過ぎても続けている人の意)たちです。無礼な息子、娘であるというのです。 先生が「何々をする。」と言えば、するのです。今まで先生はそうでした。うそはつきません。先生の性格がそうなのです。分かりますね? 今からは、心と体が闘う人は、ここに入ってくることができません。 神様の五官が完全ならば影も完全なのですが、この実体というものは影を持っているので、実体が神様の影を破壊してしまうのです。その影がすべて踏みつぶされてしまう、このような恥辱と不忠がどこにあるのかということを知らなければなりません。分かりますか、分かりませんか? (「分かります。」)このことだけ知ればよいのです。 ですから、ここで私が、入籍修練が終わったときに「正午定着である。」と訓示して、歴史にもない、辞書 にもない新しい言葉を創造して発表したことを、皆さんは知っているでしょう?「正午定着」すれば、影がありません。影がないのです。太陽は、頂上です。 正午、正午、正午です。正午は、昼でもなく、夕方でもなく、朝でもなく、夜でもなく、朝でもありません。そうでしょう?永遠に一年中、朝、夕が昼であって、夜はありません。影がないというのです。 では、「正午定着」した人たちは、心と体が闘えば心と体が闘う影が生じるでしょうか、生じないでしょうか? 闘って体が強ければ左側に影ができ、心が強ければ右側に影ができるというのです。完全に一つになって、初めて影が「正午定着」になると言ったのです。 「正午定着」できない人は、この門を通過する道理がありません。 今から帰って、刃物を自らに突き立てて誓い、ずれた姿勢を正さなければならないという決意をし、自分を屈伏させなければならないと千回、万回、命令しな ければなりません。 裁判長の神様を代身して自分に命令しながら、絶対服従、絶対一体圏を成すと思って、「安心してくださいますように。」と言うことができる自分を捜し出してこそ、天の国を建国することができる勇士として参席することができるのです。アーメン。(「アーメン。」)<その2/4に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ それから、心と体が一つになって神様に似るとき・・・・・・。 神様も一人で暮らすことを嫌われるのです。愛という39 Family 2002.2h
2024.07.09
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「真の父母論」第2日目も参加させていただきました。帰って来てからは、ブログのアクセスレポートの記事ランキングをチェックしながら、ある記事に目が留まりました。それが以下です。◆「「独生女」考(6)-- コーヒーブレイク」(2016.12.23)「コーヒーブレイク」だからといって、休憩をはさむつもりは毛頭ない。個人的見解をもう一度確認しておく。歴代の会長、櫻井夫人らが三男派、七男派へ行かれた話は聞く。大先輩としてのご苦労してこられたことは認めるが、果たして、エバ国・日本がお母様とより一つとなっていくことを願われたのは真のお父様(文鮮明総裁)であったはずだ。そこにみ旨の中心があり、決して子女様方ではなかったことを今一度振り返っていただきたい。大先輩の方々がそうであっても、私の「良心」はそこには向かない。また、ほかの方々も判断基準は自分の「良心」を尊重されることを願う。聖和された神山氏の最後のメッセージが「許せ、愛せ、団結せよ!」だ。果たして、これは誰に呼び掛けたものか? 「ゴッディズム」「父母主義」「頭翼思想」、言葉は違うがその根本は同じだ。「父母主義」だ。イエス様の再臨の目的は何か。家庭を持つことだ。三男派、七男派ともに真のお父様お一人を担いでみたところで、2000年前のイエス様と同じことの繰り返しに過ぎない。ブログ村記事を見れは、三男派、七男派がお互いにしのぎを削っり合っている。キリスト教が教派分裂をしていった歴史の過ちを犯そうとしている。兄弟喧嘩、それを収拾できるのは兄弟共通の父母以外にはないということだ。また、以下は2016-12-20付でサンクチュアリ(FanClub HyungJin)のYouTubeにUPされた動画。(※ アカウント停止で動画は見れません)動画の流れからは八大教材教本のみを肯定し、天一国経典は認められない。また、お母様の「独生女」は間違っているとでも言いたいのだろう。これらは三男派、七男派が共通して家庭連合を批判してきたことで、黒・天聖経を容認している。ところがだ。八大教材教本の黒・天聖経にも「独生女」の記述がある。これをどのように理解するのか?文亨進牧師はこれをご存じなのか、これを問うてみたい。「「独生女・考」過去記事整理 -- 分派は「独生女」を置いて黒・天聖経を改ざん?! 」(2016.11.13)を参照のこと。さらに記事のリンクを遡っていくと、韓国週刊誌で米国でヤンキースタジアム大会40周年を祝う式典で韓総裁が語られた「クリスチャン2000年の歴史は、独生女を探していく摂理歴史」だと言いうみ言もそのままに紹介されていました。◆「「独生女」考(1)--クリスチャン2000年の歴史は、独生女を探していく摂理歴史」週刊傾向1181号(2016.06.21)https://weekly.khan.co.kr/khnm.html?mode=view&code=116&artid=201606141117241独り子・独生女の結合強調家庭連合「の教義」家庭連合の教義や集会行事を見ると、既存の教会と共通のもあるが、独自に発展した内容も多い。この日の行事の開始に先立って演奏された賛美歌(worship music)を見ると、カトリックでも呼ばれる「主なる神偉大で戸田(How great thou art)」のような歌もありますが、私たちにはジョン・デンバーの歌でおなじみの「テイクミホームカントリーロード」のような歌でも呼ばれた。 「アーメン」という言葉の代わりに「アジュ」という言葉を書いたり、集会が終わって参加者が「億万歳」を呼ぶなどの独自フォーマットも発展してきた。この日の行事のハイライトは、韓鶴子総裁の基調講演であった。韓総裁の基調講演には、これまで家庭連合が主張してきた教義の核心が入っていた。 「イエス様が独り子としていらして、その時独生女が誕生された場合イエス様は神の夢を実現することができる位置に進むことができただろう。しかし、そのようにされていなかった。クリスチャン2000年の歴史は、独生女を探していく摂理歴史である。」「独り子イエス」は、家庭を成し遂げられなかったため「神の夢」を実現していないし、家庭連合が強調する家の価値、つまり独り子と独生女のの結合を介して「神の摂理」が実現されるというものである。この世に存在するすべての宗教は、いくつかのドクトリンではなく、家庭や兄弟姉妹愛のような価値を実現するための手段という説明である。米国の役割の摂理的説明も同じだ。神はアメリカを全世界に存在する200以上の国の長子国、兄の位置に置いた、その役割を放棄して、自分だけよく生きるとはならないというのが韓総裁の主張である。家庭連合の関係者は、「独り子と独生女のの結合は、すでに文鮮明総裁がおられたときから主張してき原理的話」とし「文総裁は聖和する前に『世界基督教統一神霊協会』という看板を下ろし、『世界平和統一家庭連合』に行かなければならないという御言葉をされましたが、それは宗教が自らの存在理由になることがなく、1つの家庭や平和のような大きな価値を実現する手段でなければならないということを意味するのだろう」と付け加えた。偶然の一致なのか、韓総裁の基調講演直後嵐が固め打ちした。出席者が「ユー・アー・マイサンシャイン」を呼んだが雨はより強まるだけだった。この日の午後には、一心純度の誓いイベントやテコンドーなどの行事が行われる予定だった。記者が生前文牧師の執務室でのイベントに参加したパッシブ樫野などをインタビューの中で、いつ雨がきたのかというように日差しが戻ってギラギラとなった。後日、この日のことも信者たちは、摂理が作用したものと解釈してされるか。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.07
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『原理講論』, 前編, 第一章 創造原理, 第三節 創造目的, (二) 神の喜びのための善の対象 既に説明したすべての事実を総合してみると、天国は神の本性相と本形状のとおりに、個性を完成した人間一人の容貌に似た世界であるということを、我々は知ることができる。人間において、その心の命令が中枢神経を通じて、その四肢五体に伝達されることにより、その人体が一つの目的を指向して動じ静ずるように、天国においては、神の命令が人類の真の父母を通して、すべての子女たちに伝達されることにより、みな一つの目的に向かって動じ静ずるようになるのである。『原理講論』, 前編, 第二章 堕落論, 第四節 人間堕落の結果, (五) 罪 第四に、自犯罪というものがあるが、これは、自身が直接犯した罪である。ここにおいて、我々が前に述べたところの原罪を、罪の根というならば、遺伝的罪は罪の幹、連帯罪は罪の枝、自犯罪は罪の葉に該当するのである。しかし、すべての罪は、その根に該当する原罪から生ずる。それゆえに、原罪を清算しない限りは、他の罪を根本的に清算することはできない。しかしながら、隠されているこの罪の根はいかなる人間も知ることができないもので、ただ人間の根として、また、真の父母として降臨されるイエスのみがこれを知り、清算することができるのである。『原理講論』, 前編, 第三章 人類歴史の終末論, 第三節 終末, (二) 終末の徴候に関する聖句 , (5) 日と月が光を失い星が空から落ちる(マタイ二四・29) 創世記三七章9節以下を見れば、ヤコブの十二人の子供たちのうち、十一番目の息子であるヨセフが夢を見たとあり、その内容について「ヨセフはまた一つの夢を見て、それを兄弟たちに語って言った、『わたしはまた夢を見ました。日と月と十一の星とがわたしを拝みました』。彼はこれを父と兄弟たちに語ったので、父は彼をとがめて言った、『あなたが見たその夢はどういうのか。ほんとうにわたしとあなたの母と、兄弟たちとが行って地に伏し、あなたを拝むのか』」と記録されている。ところがヨセフが成長して、エジプトの総理大臣になったとき、まさしくこの夢のとおり、その父母と兄弟たちが彼を拝んだのである。 この聖書のみ言を見れば、日と月は父母を象徴したのであり、星は子女たちを象徴したものだということを知ることができる。キリスト論で述べるように、イエスと聖霊はアダムとエバの代わりに、人類を重生させてくださる真の父母として来られたのである。それゆえに、日と月はイエスと聖霊を象徴しているのであり、星は子女に該当するキリスト教徒たちを象徴しているのである。『原理講論』, 前編, 第三章 人類歴史の終末論, 第四節 終末と現世, (二) 第二祝福復帰の現象 神の第二祝福は、アダムとエバが真の父母として完成し、善の子女を繁殖することにより、善主権の家庭と、社会と、世界を成就するようになるということを意味する。しかし、アダムとエバは堕落して悪の父母となったので、全人類は悪の子女となり、悪主権に拘束された世界をつくってしまったのである。しかし神は一方に宗教を立てて摂理することにより、内的なサタン分立による心霊復帰の摂理をされ、また、他方においては、闘争と戦争による外的なサタン分立をすることにより、内外両面における主権復帰の摂理をしてこられたのである。このように人類歴史は、内外両面のサタン分立による復帰摂理を通じて、将来の真の親であられるイエスに仕えることのできる子女を探し求めて、神の第二祝福を復帰してきたから、それは宗教を中心とする文化圏の発展史と国家興亡史とに現れた内外両面における神の主権復帰の現象を見ることによって、現世がすなわち終末であるということを知ることができるのである。…(略)… キリスト教が他の宗教と異なるところは、全人類の真の父母を立てて、その父母によってすべての人間が重生し、善の子女となることによって、神の創造本然の大家族の世界を復帰するところに、その目的があるという点である。これはとりもなおさず、キリスト教が、復帰摂理の目的を完成する中心的な宗教であるということを意味するのである。このように、現世に至っては、世界がキリスト教を中心として一つの文化圏を形成し、人類の真の父母であられるイエスと聖霊(前編第七章参照)を中心として、すべての人間が善の子女の立場に立つことにより、神の第二祝福復帰の現象を見せている。このような事実を見ても我々は現代が終末であるということを否定することができないのである。『原理講論』, 前編, 第七章 キリスト論, 第二節 創造目的を完成した人間とイエス, (二) 創造目的の完成から見た人間とイエス原理は、これまで多くの信徒たちが信じてきたように、イエスを神であると信じる信仰に対しては異議がない。なぜなら、完成した人間が神と一体であるということは事実だからである。また原理が、イエスに対して、彼は創造目的を完成した一人の人間であると主張したとしても、彼の価値を決して少しも下げるものではない。ただ、創造原理は、完成された創造本然の人間の価値を、イエスの価値と同等の立場に引きあげるだけである。我々は、既に、イエスはどこまでも、創造目的を完成した一人の人間であることを論じた。そこで、これを立証できる聖書的根拠を探してみることにしよう。テモテⅠ二章5節に、「神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである」と記録されてあり、また、ロマ書五章19節には、「ひとりの人(アダム)の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとり(イエス)の従順によって、多くの人が義人とされるのである」と記録されている。また、コリントⅠ一五章21節には、「死がひとりの人(アダム)によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人(イエス)によってこなければならない」と表明されている。使徒行伝一七章31節には、「神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている」と言い、ルカ福音書一七章26節には、「ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう」と言われた。このように聖書は、どこまでも、イエスが人間であることを明らかに示している。特にイエスは人類を新たに生み直してくださる真の父母として来られる方であるから、その点から見ても、人間として降臨なさらなければならないのである。『原理講論』, 前編, 第七章 キリスト論, 第三節 堕落人間とイエス したがって、人間は堕落した状態にとどまっている限り、何らの価値もない存在であるが、真の父母としてのイエスによって重生され、原罪を脱いで善の子女になれば、イエスのように創造目的を完成した人間に復帰されるのである。それはちょうど、我々人間社会の父子の間において、父と子としての順位があるだけで、その本然の価値には少しの差異もないのと同じである。ゆえに、キリストは教会のかしらとなり(エペソ一・22)、我々は彼の体となり、また肢体となる(コリントⅠ一二・27)。したがって、イエスは本神殿であり、我々は彼の分神殿となるのである。そして、イエスはぶどうの木であり、我々は彼の枝である(ヨハネ一五・5)。また、野のオリーブである我々は、もとのオリーブなるイエスに接がれることによって、オリーブとなることができるのである(ロマ一一・17)。ゆえに、イエスは私たちを友達と呼ばれ(ヨハネ一五・14)、また、彼(イエス)が現れるとき、私たちも彼に似るものとなることを知っている(ヨハネⅠ三・2)という聖句もある。そして、聖書は、復活するのは「最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち」であることをも明らかにしている(コリントⅠ一五・23)のである。『原理講論』, 前編, 第七章 キリスト論, 第四節 重生論と三位一体論, (一) 重生論 , (1) 重生の使命から見たイエスと聖霊 イエスは、自分を訪ねてきたユダヤ人の官吏ニコデモに、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできないと言われた(ヨハネ三・3)。重生とは二度生まれるという意味である。では、人間はなぜ新たに生まれなければならないのであろうか。我々はここで、堕落人間が重生しなければならない理由について調べてみることにしよう。 アダムとエバが創造理想を完成して、人類の真の父母となったならば、彼らから生まれた子女たちは原罪がない善の子女となり、地上天国をつくったであろう。しかし、彼らは堕落して人類の悪の父母となったので、悪の子女を生み殖やして、地上地獄をつくることになったのである。したがって、イエスが、ニコデモに言われたみ言どおり、堕落した人間は原罪がない子女として新たに生まれ直さなければ、神の国を見ることができないのである。『原理講論』, 前編, 第七章 キリスト論, 第四節 重生論と三位一体論, (一) 重生論 , (2) ロゴスの二性性相から見たイエスと聖霊 アダムが創造理想を完成した男性、すなわち生命の木となり、エバが創造理想を完成した女性、すなわち善悪を知る木となって、人類の真の父母となったならば、そのときに、神の三大祝福が完成され、地上天国は成就されたはずであった。しかし、彼らが堕落したので、反対に、地上地獄になってしまった。それゆえ、堕落人間を再び生み直してくださるために、イエスは、後のアダム(コリントⅠ一五・45)として、生命の木の使命をもって(黙二二・14)人類の真の父として来られたのである。このように考えてくると、ここに後のエバとして、善悪を知る木の使命をもった人類の真の母が(黙二二・17 )、当然いなければならないということになる。これがすなわち、堕落した人間を、再び生んでくださる真の母として来られる聖霊なのである。『原理講論』, 前編, 第七章 キリスト論, 第四節 重生論と三位一体論, (一) 重生論 , (3) イエスと聖霊による霊的重生 父母の愛がなくては、新たな命が生まれることはできない。それゆえ、我々がコリントⅠ一二章3節に記録されているみ言のように、聖霊の感動によって、イエスを救い主として信じるようになれば、霊的な真の父であるイエスと、霊的な真の母である聖霊との授受作用によって生ずる霊的な真の父母の愛を受けるようになる。そうすればここで、彼を信じる信徒たちは、その愛によって新たな命が注入され、新しい霊的自我に重生されるのである。これを霊的重生という。ところが、人間は霊肉共に堕落したので、なお、肉的重生を受けることによって、原罪を清算しなければならないのである。イエスは、人間の肉的重生による肉的救いのため、必然的に、再臨されるようになるのである。『原理講論』, 前編, 第七章 キリスト論, 第四節 重生論と三位一体論, (二) 三位一体論 創造原理によれば、正分合作用により、三対象目的を達成した四位基台の基盤なくしては、神の創造目的は完成されないことになっている。したがって、その目的を達成するためには、イエスと聖霊も、神の二性性相から実体的に分立された対象として立って、お互いに授受作用をして合性一体化することにより、神を中心とする四位基台をつくらなければならない。このとき、イエスと聖霊は、神を中心として一体となるのであるが、これがすなわち三位一体なのである。 元来、神がアダムとエバを創造された目的は、彼らを人類の真の父母に立て、合性一体化させて、神を中心とした四位基台をつくり、三位一体をなさしめるところにあった。もし、彼らが堕落しないで完成し、神を中心として、真の父母としての三位一体をつくり、善の子女を生み殖やしたならば、彼らの子孫も、やはり、神を中心とする善の夫婦となって、各々三位一体をなしたはずである。したがって、神の三大祝福完成による地上天国は、そのとき、既に完成されたはずであった。しかし、アダムとエバが堕落して、サタンを中心として四位基台を造成したので、サタンを中心とする三位一体となってしまった。ゆえに彼らの子孫もやはり、サタンを中心として三位一体を形成して、堕落した人間社会をつくってしまったのである。 それゆえ、神はイエスと聖霊を、後のアダムと後のエバとして立て、人類の真の父母として立たしめることにより、堕落人間を重生させて、彼らもまた、神を中心とする三位一体をなすようにしなければならないのである。しかし、イエスと聖霊とは、神を中心とする霊的な三位一体をつくることによって、霊的真の父母の使命を果たしただけで終わった。したがって、イエスと聖霊は霊的重生の使命だけをなさっているので、信徒たちも、やはり、霊的な三位一体としてのみ復帰され、いまだ、霊的子女の立場にとどまっているのである。ゆえに、イエスは自ら神を中心とする実体的な三位一体をつくり、霊肉共に真の父母となることによって、堕落人間を霊肉共に重生させ、彼らをして原罪を清算させて、神を中心とする実体的な三位一体をつくらせるために再臨されるのである。このようにして、堕落人間が神を中心として創造本然の四位基台を造成すれば、そのとき初めて、神の三大祝福を完成した地上天国が復帰されるのである。『原理講論』, 後編, 緒論 復帰摂理とは、堕落した人間に創造目的を完成せしめるために、彼らを創造本然の人間に復帰していく神の摂理をいうのである。前編で既に論証したように、人間は長成期の完成級において堕落し、サタンの主管下におかれるようになってしまった。したがって、このような人間を復帰するためには、まず、サタンを分立する摂理をなさらなくてはならないのである。しかし、既にキリスト論において詳しく論じたように、堕落人間がサタンを分立して、堕落以前の本然の人間として復帰するには、原罪を取り除かなければならない。ところで、この原罪は、人間が、その真の父母として来られるメシヤによって重生されるのでなければ、取り除くことはできないのである。それゆえに、堕落した人間はサタン分立の路程を通して、アダムとエバが成長した基準、すなわち、長成期の完成級まで復帰した型を備えた基台の上でメシヤを迎え、重生することによって、アダムとエバの堕落以前の立場を復帰したのち、メシヤに従って更に成長し、そこで初めて創造目的を完成することができるのである。このように復帰摂理は、創造目的を再び成就するための再創造の摂理であるから、どこまでも原理によって摂理されなければならない。それゆえに、これを復帰原理というのである。我々はここにおいて、復帰摂理がどのようにして成就されるかということについて調べてみることにしよう。『原理講論』, 後編, 緒論, (一) 蕩減復帰原理 , (2) メシヤのための基台 メシヤは人類の真の父母として来られなければならない。彼が人類の真の父母として来られなければならない理由は、堕落した父母から生まれた人類を重生させ、その原罪を贖ってくださらなければならないからである(前編第七章第四節(一)(1))。したがって、堕落人間が創造本然の人間に復帰するためには、「メシヤのための基台」を完成した基台の上でメシヤを迎え、原罪を取り除かなければならない。『原理講論』, 後編, 第二章 モーセとイエスを中心とする復帰摂理, 第二節 モーセを中心とする復帰摂理, (二) モーセを中心とする民族的カナン復帰路程 , (2) 第二次民族的カナン復帰路程 , 2 実体基台 第三の奇跡は、川の水を陸地に注いで血となるようにしたことである(出エ四・9)。これは、無機物(水)に等しい命のない存在が、有機物(血)に等しい命のある存在として復帰されるということを、象徴的に見せてくださったのであった。水は堕落して命を失った世間一般の人間を意味するのであるから(黙一七・15)、この奇跡は将来イエスと聖霊とが来られて、命を失った堕落人間を、命のある子女として復帰させるということを、見せてくださったのである。以上のような三つの権能を表されたのは、イスラエル民族の前に、将来イエスと聖霊とが、人類の真の父母として来られ、全人類を子女として復帰し、サタンに奪われた創造本然の四位基台を復帰することができる、象徴的な蕩減条件を立て得るようにされるためであった。『原理講論』, 後編, 第二章 モーセとイエスを中心とする復帰摂理, 第三節 イエスを中心とする復帰摂理, (三) 第三次世界的カナン復帰路程 , (1) イエスを中心とする霊的カナン復帰路程 , 2 霊的な実体基台 イエスは、霊的な洗礼ヨハネ使命者の立場から、霊的な復活「四十日サタン分立基台」を造成なさることにより、霊的な真の父母の立場でもって霊的な「信仰基台」を復帰すると同時に、また、霊的な子女の立場でもって「堕落性を脱ぐための世界的な蕩減条件」を立てるための、霊的なアベルの位置をも確立されたのである。そのようにして、イエスは、モーセがイスラエル民族を導いて荒野流浪の四十年蕩減期間を送ることにより、第三次民族的カナン復帰のための「信仰基台」を造成したように、第三次世界的カナン復帰のための、霊的な「信仰基台」を造成することができたのである。『原理講論』, 後編, 第二章 モーセとイエスを中心とする復帰摂理, 第三節 イエスを中心とする復帰摂理, (三) 第三次世界的カナン復帰路程 , (1) イエスを中心とする霊的カナン復帰路程 , 3 メシヤのための霊的な基台 イエスが十字架で亡くなられたのち、取り残された十一人の弟子たちはみな力を失って、四方に散らばってしまっていた。ところが、イエスは復活されるとまた、彼らを再びひとところに集められ、霊的カナン復帰の新しい摂理を始められたのである。弟子たちは、イスカリオテのユダの代わりにマッテヤを選んで、十二弟子の数を整え、復活されたイエスを命を懸けて信奉することにより、「霊的な実体基台」を造成し、それによって「メシヤのための霊的な基台」を復帰した。そこでイエスは、この基台の上で、霊的な洗礼ヨハネ使命者の立場から、霊的なメシヤの立場を確立し、聖霊を復帰することによって、霊的な真の父母となり、重生の摂理をされるようになったのである。すなわち、使徒行伝二章1節から4節にかけて記録されているように、五旬節に聖霊が降臨されてのち、復活されたイエスは霊的な真の父として、霊的な真の母聖霊と一つになって摂理されることにより、信徒たちを霊的に接がしめて、霊的に重生せしめる摂理をされて、霊的救いの摂理だけを成就するようになられたのである(前編第四章第一節(四))。したがって、イエスが復活した圏内では、サタンの霊的讒訴条件が清算されているので、それは霊的面におけるサタンの不可侵圏となっているのである。『原理講論』, 後編, 第二章 モーセとイエスを中心とする復帰摂理, 第三節 イエスを中心とする復帰摂理, (三) 第三次世界的カナン復帰路程 , (2) 再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程 しかし、再臨主はいくら険しい苦難の道を歩まれるといっても、初臨のときのように、復帰摂理の目的を完遂できないで、亡くなられるということはない。その理由は、神が人類の真の父母を立てることによって(前編第七章第四節(一)(1))、創造目的を完遂なさろうとする摂理は、アダムからイエスを経て再臨主に至るまで三度を数え、この三度目である再臨のときには、必ず、その摂理が成就されるようになっているからであり、その上、後編第四章第七節に論述されているように、イエス以後二〇〇〇年間の霊的な復帰摂理によって、彼が働き得る社会を造成するために、民主主義時代をつくっておかれたからである。イエスは、初臨のときには、ユダヤ教の反逆者であるとみなされて亡くなられたのであったが、彼が再臨なさる民主主義社会においては、たとえ、彼が異端者として追われることがあるとしても、それによって死の立場にまで追いこまれるようなことはないのである。…(略)… イエスは、原罪のない、神の血統を受けた直系のひとり子として来られ、堕落したすべての人類を彼に接がせて一体となることにより、彼らが原罪を脱いで神の直系の血統的子女として復帰することができるように摂理しようとしてこられたのである。イエスと聖霊とが、人類の真の父母として、このように堕落人間を接がせ、原罪を脱がしめることにより、神との創造本然の血統的因縁を結ばしめる摂理を、重生というのである(前編第七章第四節参照)。それゆえに、イエスは、野生のオリーブである堕落人間を接がせるために、善いオリーブとして来られた方であるということを、我々は知らなければならない。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.07
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� 7月6日〜7日のスケジュール1日目7/6(土)10:00 開場10:20 讃美 聖歌讃美10:30 �開講式(40分)11:30 �ポイント解説(25分)12:00 昼食(50分)12:50 讃美(徹夜精誠「涙の歴史」)13:00 �第1講座「序論」(50分)13:50 休憩15分14:05 �第2講座「天の父母様」(40分)14:45 休憩15分15:00 讃美(聖歌讃美)15:10 �第3講座「キリスト教の2000年歴史の本質」(45分)15:55 休憩15分16:10 �第4講座「6000年を経て降臨された初臨の一人娘・真のお母様」(45分)16:55 天心苑祈祷 聖歌讃美 合心共鳴祈祷17:10 解散・感想文2日目7/7(日)10:00 開場10:30 礼拝(田中会長の映像)12:00 昼食50分12:45 讃美 映像視聴「孝心」13:00 �第5講座「イエス様の使命を引き継いだ再臨のメシヤ・真のお父様」(60分)14:00 休憩15分14:15 �第6講座「天一国安着の主要摂理」(55分)15:10 休憩15分15:25 �閉講式(30分)15:50 天心苑祈祷 聖歌讃美 合心共鳴祈祷16:10 解散・感想文 【映像】「真の父母論」の概要のポイント(太田朝久講師、18分)【映像】「真の父母論」を学ぶときの基本姿勢(心構え)(太田朝久講師、14分)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.06
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第1076回 天心苑特別徹夜精誠 (07/05)
2024.07.05
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衝撃❗️🌼朴マリア一家🌻相軒よ❗️胸が痛むか泣くべきことではない❗️🍇恐ろしい霊界の光景😱霊界で会った人たち🍎李相軒先生🌰2024/07/05 #統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#李相軒#霊界九 朴マリア一家 生死禍福を主管なさる神様が「相軒よ! 人間は自分の思いどおりに生きているようだが、そうではない。個々の人間の意志と父なる神様のみ旨の方向が一致する時、その道が真の道になるのである」とおっしゃいました。 私は、なぜ神様がそのようなみ言を語られるのかと気掛かりでしたが、神様がある日「きょうはお前が行かねばならない所がある」と言って、小さな女性を私に送られ、「一緒に同行せよ!」とおっしゃいました。その女性は、神様の使者でした。私は神様の命令を受け、ついて出掛けましたが、とても気掛かりでした。 この女性は、「神様が行ってみなさいという所は良い所ではない」と言いました。いくらか行くと、この女性は、「少しお待ちください」と言うと、他の所にいたある男性を呼んで「一緒に行こう」と言いました。おかしなことだと思いながら彼らについていきました。 ここはどこでしょうか。大きな門が見えましたが、まるでそれは地上の刑務所の門と似ていました。その大きな門は固く閉ざされていました。ところがどうしたことでしょうか。しばらく待っていて、一緒に行った男性が何か言うと、その門が中からぱーっと開きました。そして私たちは一緒にその中に入っていきました。いったい、これは何でしょうか。そこにいる人たちは、みな人のようには見えるのですが、まともな人の姿ではありませんでした。 泣く姿、けんかする姿、刀で斬られた姿、目が回った姿、口に棒が挟まった姿、手が後ろに回った人、空中に向かって足を上げている人、おなかから血が流れ出ている人、耳から血が流れている人、手が曲がり、足が曲がり、耳がねじれた人、とても表現するのが難しい者たちの姿がいっぱいあふれていました。それは障害者の集団そのままの姿でした。 本当に変です。私は、神様がなぜ私にここに行けとおっしゃったのか気になりました。私がそのような姿を見て胸が締めつけられるのを感じている時、一緒に来た女性が私を呼びながら、向こうの方を指さしました。彼女は「あそこにいます。神様が訪ねてみなさいと言った人があそこにいます」と言いました。そこには一人の女性が自分の口を手でつかんでいました。その手は口にくっついて離れませんでした。何かを食べようとしますが、手が自分の口をふさいでいるので、口が開かずに、入っていく物よりも出てくる物のほうが多かったのです。 私はその女性の前に立って、「あなたの名前は朴マリアですね」と言いました。彼女は「そうだ」と言って首を縦に振りました。私は彼女に尋ねたいことがたくさんありました。けれども、彼女の手が口がくっついているので尋ねることができませんでした。「お父様! どうしましょうか」という心の叫びをどうすることもできませんでした。 ああ! その女性はまた私を連れてほかの所に行きました。その女性は「あちらに立っている男性は、李起鵬だ」と言いました。これは何という有様でしょうか。李起鵬の胸からは血が流れていました。朴マリアとはお互いに見つめることのできる距離でした。その次に私の目に入ったのは彼の息子の李康石でした。息子は彼の後ろに、手に刃物をつかんだまま立っていましたが、その姿は不動の姿勢でした。どうして一家がこのようになり得るのか。 その女性は私を見て、「もう神様のところに帰りましょう」と言いました。私はここで彼らのために神様に祈祷を捧げました。「神様! 彼らをお救いください。真の御父母様がここに来られて彼らの惨状を御覧になる前に、彼らを解放してください」と祈祷を捧げました。 しかし、誰も私の祈祷に答えてくれませんでした。どうしようか。この凄惨な光景! 真の御父母様にどのようにこの光景をお見せするかと考えながら、私は固く閉ざされた大きな門を通過して、神様のところに帰ってきました。 「神様!」と大声で叫ぶと、「相軒よ! 胸が痛むか」とおっしゃいました。私はただただ神様の前で泣き始めました。神様は「相軒よ! 泣くべきことではない! お前が責任をもつべきことなので、見せてやったのだ。お前の子供たちはしっかりと生きなければならないと教えてあげなさい。救済する道は簡単ではない。地上でしっかりと生きて来いと伝えなさい。どういうことか分かったか。相軒よ、お願いする」とおっしゃられたあと、神様は静かに離れられました。(一九九八年五月二十日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.05
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金活蘭(梨花女子大学退学処分事件)総長🌻真の父母を紹介すると顔が真っ赤になった霊界で会った人たち🍓李相軒先生🍇2024/07/03 #統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#李相軒#霊界八 金活蘭 金活蘭という人は、地上で韓国の梨花女子大学の総長まで務めた、最高の学界出身の一人として名声の高い女性でした。そして、彼女は神様に対する固い信仰生活を行って、多くの人たちから嘱望されてきた韓国最高のエリートでした。ところが、地上で最高のエリートが、霊界でもそのような位置をそのまま維持しているだろうかという疑いをもちました。 私が霊界に来てから間もない時、キリスト教徒たちのグループを訪ねていきました。するとそこには、雲に乗ってこられる主をどれほど切実に待っているのか、ふわふわと雲の上に主の模型を掲げて慕いながら、祈祷する姿が見られました。 そして、そこには、イエス様の絵の模型もありました。ところが、そのグループの中には、イエス様はいらっしゃいませんでした。キリスト教徒たちは自分たち同士、たくさんのグループを形成して暮らしているので、その組織は膨大でした。 私が探そうとする金活蘭女史はそのようなグループとは別の所にいました。彼女が私たち統一教会に対して行った迫害とそれによる痛みは別にしても、神様に対する間違った判断の結果が、どうなったのか調べてみたいと思っていました。ところである日、私は彼女を見つけました。キリスト教徒たちのうち、少し特色のあるグループであるハイクラスの人たちが集まった集団の中で、一生懸命に講義するある女性を見つけました。そこで私は、彼女の熱心な講義を聴講しました。 彼女の講義の要点は、「来たるべきメシヤである再臨主がまだ来られていないので、その日まで私たちはろうそくをともして礼拝を捧げながら、祈祷しなければなりません。私たち女性の使命は、新郎を迎える新婦の精誠を惜しまず、みな一緒にその日まで熱心に祈祷しましょう」という内容でした。 私はその群衆の後ろに立って、大きな拍手をしました。そのようにすることによって私に関心をもたせ、彼女に会う機会を得るためです。案の定、彼らが私を一斉に見つめました。金活蘭女史も、「どこから来られましたか」と私に丁重にあいさつしました。「私は神様から送られた使者です」と紹介すると、彼女は「上品な方が冗談をおっしゃるのですか。神様の使者ですって?」と聞き返しました。その場のすべての人たちが私を見つめていたので、そこで彼らにメシヤ論を宣布しようと思いました。 「女史。再臨主であられるメシヤは、来られてからもうかなりたちました。この新婦たちに対する教育は間違っています。女史も御存じのはずです。主は来られました。ずっと前に来られて、今は天国建設と世界平和、そして万民をお救いになるために懸命に苦労していらっしゃいます」と言うと、彼女は「それは異端たちがする話だ」と言いました。「では私が話す異端の話を少しばかり傾聴されますか。私の講義を聞いて、それが間違っていたなら、私も女史の教育に加わります」と心から話しました。参加していた大部分の女性たちは、「一緒に聞いてみましょう」と言いました。 それで私は、「この時だ!」と考え、メシヤが来るべき同時性摂理の年代表を比較的詳細に説明しながら、彼らが自ら悟るように導きました。そして私は、イエス様の十字架の問題を説明し、来られるべき再臨主がイエス様の使命を引き継がなければならないという内容を、詳細に説明しました。 それから、私は彼らに質問を投げ掛けました。「私が神様の送った使者ではないと思いますか。私の理論が間違っていますか。『原理』が正しくありませんか。これ以外にも根本的な内容がたくさんあります。その内容を聞くことを望まれるなら、今度また講義いたします」と言いました。 金活蘭女史が「あなたはなぜここに来たのか。誰に会うために来たのか」と質問をするので、「私は金活蘭女史に会うために来ました」と言いながら、真の御父母様を彼女に紹介しようとしました。「金活蘭女史はひょっとして文鮮明先生の名前を御記憶ですか」と私が尋ねると、彼女は知らないと言いました。もう一度彼女に尋ねましたが、知らないと言うのです。 「では、統一教会という名前を聞いたことがありますか」と言うと、しばらく考えてから、「その名前には覚えがある」と言いました。「その教会の教主が誰だか御存じないですか」と言うと、彼女は、「今になって思い出す」と言いました。「そのお方が正に再臨主であり、真の父母であられる文鮮明先生であられます。人類を救うために、血と汗を流しながら苦労していらっしゃるお方です」と紹介すると、金活蘭女史の顔はにんじんのように真っ赤になり、彼女はとてもうろたえました。 その時になって初めて彼女は「それならば私は大変な罪人ですね」と言いました。そして「では、私を罪人として捕らえるために訪ねてきたのですか」と言うので、私は「罪人というのは人間が判断するのではなく、ただ神様と歴史が審判します」と答えました。 ここに集った聴衆たちは私の話に関心を表しました。主は来られたといっても、自分たちにはよく分からないことだったからです。金活蘭女史は私に、個別に会おうと言いました。それで、私は「きょうはこれくらいにして、望むならば、今度来て原理講義をいたします」と言うと、金活蘭女史が大変具合悪そうにしながら、「それに関しては自分たちが相談したあとで時間を決めます」と言いました。ところが、突然、一人の女性が手を挙げながら「先生の話を聞きたいです。聞いてみましょう」と叫ぶので、他の女性たちも異口同音に「聞いてみましよう」と言いました。私はそこで三日間、原理講義を熱心にしました。大部分の女性たちは涙を流しながら祈祷し、賛美歌百六十二番の「備え、備えよう」を賛美しながら大騒ぎになりました。 問題の金活蘭女史がどのようになったのか気になる地上の食口たちには、梨花女子大学から退学処分を受けた食口の皆さんが多いだろうと思われます。しかし、ここにいる女性たちは胸をたたきながら、「主よ、この罪人を何といたしましょうか。主よ、主よ、この罪人をお救いください」と言いながら悔い改めているという点をお知らせしようと思います。 それ以後、金活蘭女史は真摯に、「謝罪申し上げる」と言いました。そして「私によって苦しみを受けた方たちのために、私はどうしたらいいのか」と尋ねました。それに対して私は「すべての女性キリスト教徒たちに、地上に来られた主は、文鮮明先生であられ、そのお方が真の父母であり、救世主であり、万民の父母であられることを証する総長の役割を果たしてください」と言うと、彼女は笑いながら、「一生懸命、罪を償う心情でそうします」と約束しました。 彼らを屈服させた私の気持ちはうれしかったのですが、過ぎし日の摂理歴史に汚点を残し、傷を与えた痛みが、私をほろ苦くさせました。(一九九八年五月二十一日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 一和 メッコール(250ml×30本×2ケース)【送料無料】
2024.07.03
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ミリンゴ大司教と祝福結婚したソン・マリアサモニムの天心苑の奇跡ー証 ー988回天心苑特別徹夜精誠2024/07/01一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 一和 メッコール(250ml×30本×2ケース)【送料無料】
2024.07.01
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李承晩🌹「大統領・人間」として責任を果たせなかった人の霊界での生🌼霊界からのメッセージ❤️李相軒先生2024/07/01#統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#李相軒#霊界七 李承晩 私は地上生活で一国の大統領を務めた方々の暮らしはどうだろうかと、本当に気掛かりでした。ここでは大統領だといっても、特に定められた邸宅があるわけではないので、彼に対する格別の関心をもたなければ彼を探すことはできませんでした。李承晩大統領を探すために、私は特別な方法を使ってみました。「大統領がいらっしゃる所がどこなのか、神様が私の心をお導きください」と、静かに黙想しながら祈りました。しばらくすると、ある所から美しい歌声が聞こえ始めました。 私はとても不思議に思い、歌が聞こえる所に足を向けました。私がその歌声を聞きながらある程度行った時、歌がぷっつりと終わってしまいました。「これからどうして探そうか」と考えた末、自分の考えるままに探してみようと思って、周囲を調べてみました。ところが、四方すべてが山なので、どこに何があるのか、探すのがとても困難でした。 けれども、私はここまで導いてくださったお方を信じ、その周囲を探し始めました。その周囲には鬱蒼とした森がありましたが、その森の中から時々人が出たり、入ったりしていました。「誰に聞こうか」と、あちらこちら調べながら、探してみました。 私は向こうの片隅に座って考えにふけっているある男性を見つけました。近くに行って調べてみましたが、李承晩を探すことができませんでした。彼に、「ひょっとしてこの付近に李承晩大統領という方がいませんか」と尋ねてみました。すると不思議なことに、その男性は「大統領か誰かはよく知らないけれど、あの向かいの裏の家にも人が住んでいる」と言うのです。私は「ひょっとしたら」と思い、そこを訪ねていきました。 そこは普通の家庭の家よりは少しましな家のようでしたが、不思議に静かで、人の痕跡も見えませんでした。その家に入ってみましたが、何らの気配もありません。しかし、ずっと調べていると、ようやく人の声がしました。 そこから李承晩大統領が出てきました。私は、彼の服装がとてもぼろぼろでみすぼらしいのに驚きました。その上、その周囲には彼以外には誰もいませんでした。 私が彼に「李承晩大統領でいらっしゃるでしょう。私は李相軒と申します」とあいさつをすると、彼は「私がここにいるのをどのようにして探し出したのか」と言います。私が「神様が送ってくださった」と言うと、「先生は神様に会ったのですか」と尋ねました。 私は「はい、お会いしました」と言うと、彼は「そのように大変な方がなぜここに来たのか」と尋ねました。私が「大統領はどうしてここで寂しくしていらっしゃるのですか」と尋ねると、彼は「邸宅は別にありますが、そこよりここがもっと気楽だからです」と言いました。「人が人として扱われないで暮らすより、誰にも会わない所のほうが、もっと気楽です」というのが彼の解答でした。 私は「けれども、ここは神様もイエス様もいらっしゃらない所なのに、このような所に暮らさなければなりませんか」と言いました。すると彼は「神様もイエス様も私を捨てました。けれども、私はやはり神様とイエス様に会いたいです」と言いました。 国の責任者が責任を果たせず、国民たちから「下野しろ」という声を聞き、追われる身の上になったので、霊界での彼の人生は、大統領としても、人間としても責任を果たせない人生となってしまいました。私はこれから、この方に私の村を見せてあげながら、真の御父母様を紹介する予定です。(一九九八年五月二十一日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.01
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