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一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.18
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第四十三回「真の父母の日」記念礼拝の御言(No.2/3)二〇〇二年四月十三日(陰曆三月一日):韓国・京畿道九里市水澤洞 中央修練院 今年の第四十三回「真の父母の日」の「敬礼式」と「記念礼拝」は、韓国・京畿道九里市の中央修練院で行われました。 「記念礼拝」では、み言に先立って訓読会が行われ、郭錠換会長が、一九六六年三月二十二日、第七回「(真の)父母の日」のみ言「望みの父母の日」を訓読しました。 続いて真のお父様が壇上に立たれ、二時間余りにわたってみ言を語られました。 これは、そのみ言を翻訳し、整理したものです。なお、編集上の都合により、一部割愛しました。 (文責・編集部) Family 2002.6月号「第四十三回「真の父母の日」記念礼拝の御言(No.1/3)」からの続き ここで、ご父母様がつくってくださった貴いプレゼントが何かというと、「天一国」です。言ってみてください。(「「天一国』。」)「天一国」とは何かというと、「二」という字と、「人」という字を合わせれば、「天」になります。「二人」ではありません、「天」です。 ですから、ふたり(二人)が一つになっている国を「天一国」と言うのです。皆さんの心と体、それが”ふたり(二人)”です。”心の人”と“体の人”、この“ふたり(二人)が、一つになっていないというときには、「地一国」です。(笑い)それは、天国ではなく、地獄に行くのです。「天一国」は、天上の最も優れた国です。ところが、その反対になっているのです。 「天一国」という言葉は、そのような意味になるので、すべての宇宙は、必ず主体と対象関係で結ばれるようになっているのであって、独りで存在するものは ありません。いくら何億万ボルトの強いプラスが生じたとしても、マイナスが生じなければ、なくなるマイナスとなり、プラスになるということです。 したがって、いくら人間が優秀であっても、なくなっ てしまうのです。先生がいくら優秀でも、お母様という存在がいなくなれば、先生一代で終わるのです。お母様がいくら優秀でも、先生がいなければ、一代ですべてなくなるのです。そうではないですか? それでは、男やもめや寡婦を好む人がいますか? いますか、いませんか?(「いません。」)今まで、神様は、男やもめとして生きてこられたのですが、喜んでおられたでしょうか、悲しんでおられたでしょうか? (「悲しんでおられました。」) ですから、男やもめになり、妻を失ってしまい、息子、娘を失ってしまい、数千万年の間、息をしながら生きる神様のその息遣いは、喜びの息遣いとして連結できる根がないので、「悲惨な恨の神様である。」という言葉が成り立つのです。分かりますか? 女性が、いくら優秀で、ハーバード大学の博士であるとしても、粉々になるのです。四十歳になるまで勉強して、ハーバード大学の女性博士になり、処女のまま年老いても、真っ赤なまま年老いたとしても、真っ赤なまま年老いて、何を食べるのかというと、唐辛子です。 真っ赤なものを乾かして、ぱさぱさした真っ赤な粉になり、その粉を舌につけて、「ぺっ!」とつばを吐くとき、それをすすって、「ちゅう、ちゅう、ちゅう」と、このようにすることができる者はいません。四十歳近くになるまで勉強したという女性たち。それは、すべて"峠を越えた”というのです。 町も必要なく、国も必要としないものを、だれが願いますか? 嫁いでいけば、その運勢が取り除かれますか? 完全に門を閉め、家庭でぐるぐる回りながら、苦労して倒れ死ぬしかないそのような女性は、哀れな女性ですか、幸福な女性ですか? わたしたち統一教 会にも、東大を出た女性博士がいるでしょう? 顯進、どこに行きましたか? 全淑、(祝福を受けたのは)何歳ですか? 十八歳ですか? 何歳で結婚し たのですか? 郭錠煥氏!(「はい。」)娘は、何歳のときに結婚したのですか? 何歳ですか? (笑い)何 ですか?(「十八歳です。」)十八歳ですか? ところが、ある女性が三十二歳になっても、いまだに母親のために結婚できないそうです。母親が、どれほど苦労して……。 娘を勉強させるために、すべての精誠を尽くして、町内じゅうの有名な会社の理事の肩書きをつけて、「うちの娘は、素晴らしい。」と、おなかを突き出して自慢していたのですが、今では、突き出したおなかが恥ずかしくて、おしりを突き出して自慢するので、においばかりがするというのです。そうやって、訪ねて来る男性に向かって、「ぷぷ、ぷぷ。」としているのです。 本当にそのようにしているのならば、独りで暮らして、年を取ってから統一教会に入って来たかわいそうな独身男性たちがいるので、「統一教会に納めなさい。」というのです。 納めるときには、納めることができるための条件物があるのですが、おなかよりも何が大きいというのですか? へそが大きいのですが、それでもよければ、 自分の良い新郎候補を……。 今回の十四万四千双の(祝福を受ける)牧師たちの中で、男やもめの牧師、独りで年老いて、それまで貞節を守った牧師たちが、たくさんいます。 牧師という言葉は何かというと、"目が死んだ”ということを牧師というのです(「牧師 [목사]」と「目死 [목사]」とを掛けて)。(笑い)「牧師」ではなく、「目死」です。 その牧師たちが、今、目が開けたというのです。目が死なずに生きたので、「ああ、私は男性なので、絶対に女性が必要なのだなあ。あのような女性でもよく、このような女性でもよく、黒人の女性でもよく、白人の女性でもよく、黄色人の女性でもよく、女性の中でどこかが不足で、片足が不自由で、片手が不自由で、目が片方なくても何でもよい。息子、娘さえ生んでくれることができれば、それでオーケーだ。」と言うのです。 三十五歳になり、四十歳を超えて、息子、娘を生むことができますか? 息子、娘を生むことができるように、先生が結婚させてあげて、その国に行って接待を受けるとき、子供を生んで、えんえんと泣く子供にお乳を上げる姿を見れば、喜んで笑顔で出てくることができます。 しかし、四十歳代過ぎにもなって、夫婦がふたりで、座したまま老いたにおいを漂わせ、明日にでも死ぬような姿を見ながら座っていて、気分が良いでしょうか、悪いでしょうか?(「悪いです。」) “息子、娘は絶対に必要ない。”という人は、手を挙げてみてください。この者たち。そのように考えてはいけません。 このような話をしても、わたしが間違った話をしているという人は、いないのです。わたしは公人なのに、間違った話をするでしょうか? 公式の席上で、八十年の生涯を話し続けてきた人が、人に負けるような話をするでしょうか? 恥をかくような話は、しません。わたしの話は、正しいのです。 このおばさんは、独りで暮らしているのですか? (「はい。」)生まれつき星回りが悪いですね。ほおが、そのようになっているので、星回りが悪いのでしょう? (笑い)(「結婚して、夫は亡くなったのですが。」) 亡くなるにしても、しかたなく亡くなったのでしょう? 妻の星回りが悪いので、しかたなく亡くなったのです。 何歳ですか? (「七十二です。」)もう少し年を取れば、わたしよりも上になりますね。いち早く、わたしが知って、兄の立場で、このように叱責をしても失礼にはならないでしょう?「この女性は!」と言っても、ありがたく受け止めなければなりません。(笑い) 「この女性は。」と言ったその人は、兄よりも父の名前を持っているので、真の父の前で、そのような話を聞けば、真の父が悪口を言ったのですから、何か一つ利得があるでしょうか、ないでしょうか? さあ、先ほど尋ねたのですが、三つの中で、最も貴いものが何かというと、真の愛です。真の愛なのです。それから何ですか?(「真の生命です。」)真の何だというのですか?(「真の生命です。」)真の愛を持っている人は、手を挙げてみてください。ああ! (笑い) なぜ、笑うのですか? 何が、おかしいのですか? 真の愛を持つことができず、真の愛を学び、真の愛とは、どのようなものでしょうか? 甘い味でしょうか、苦い味でしょうか? 最初から甘いですか、最初から苦いですか? 熊の胆(胆嚢)は、薬の中の薬ですが、最初は甘いですか? それは苦いのですが、ごしごしと口を掃除してみると、どんどん甘いにおいがして、歯ブラシで歯を磨いて、それを飲むと、もっと甘いのです。一度、やってみてください。歯磨きをした後に、それを一度もぐもぐと・・.... この歯が喜んで、踊りを踊るのです。一度、息をすれば、この間に入ってくる空気の味が、どれほど甘酸っぱく、五味子(朝鮮五味子の種子で、漢方では鎮咳、強壮などに用いる。酸味、塩から味、甘味、苦味、辛味の五味を持つという)の味がするか、手放すことができないのです。アーメン。(「アーメン。」)手放して生きられるというのですか、生きられないというのですか? 愛が苦いか甘いか、わたしには分かりません。苦いともいい、甘くて甘いともいうのです。それは、どちらだといえば、正しいのですか? 苦いというのも正しく、甘いというのも正しいのです。 それでは、その一番の中心は、何ですか? 苦くて甘いので、苦い人が見ても「ほほほほ。」、甘い人が見ても、お互いに喜んで「はははは。」と飛び跳ねるので、その味は、本当に良いというのです。 そのような夫婦の愛以上の味を、統一させて喜ばせてくれるものは、世の中、天地にありません。「ノーメン」ですか、「アーメン」ですか? (「アーメン。」)大きく、言ってみてください。アー……。(「メン!」)第四十三回「(真の)父母の日」が飛んでいくように、アー メン! (「アーメン!」) "二八青春(十六歳くらいの若者、青年男女)”というのは、なぜ”二八青春”なのか、分かりますか? ”二八青春”は、良い時ですか、悪い時ですか? (「良い時です。」)それは、愛しても最高の場に行くのであり、息子、娘を生んでも、息子、娘を抱いて最高に愛することができる時であるというのです。 人は、二十三歳を超えれば、下っていきます。その前に息子、娘を生めば、二十三歳を超えて、息子、娘を育てる愛を中心として、その精気が上がっていくのです。 ですから、二十八歳になれば精気が下がり、下って いった精気を、ふたりで合わせて上がっていくので、“二 八青春”は、男性だけをいうのではなく、男性と女性、 愛する夫婦の青春を「二八青春」と言うのです。 男やもめや寡婦が、"二八青春”の歌を歌う資格がありそうですか、なさそうですか? どちらですか? おばあさん! しっかりしなさい、というのです。だれを指摘するか分かりません。ありそうですか、なさそうですか? なぜ、”二八青春”なのですか? 手を挙げてください。 このように(親指を中にして、手を握ってみてください。これ(親指以外の指の節)が何かというと、十二の月です。三掛ける四で、十二です。神様(親指で表象)は、十二の月の中の中央に入っていらっしゃるのです。ここに十四(指の節の数)、入っているというのです。 そうして、この十四の右手の前に、十四の左手が合わさって完全に一つになり、(拍手)こちらに行ってもよく、あちらに行ってもよく、こちらに行ってもよく、上がっていってもよく、「おお、よしよし。私の愛。」 と言って、こうしてもよく、転がって倒れてもよく、平らでもよいのです。それが、”二八青春”です。 青春は、男女を代身した”二八青春”。その時に一つになって、赤ん坊までここに抱いたのですが、ここに何ですか? 重いものがありますね? (「はい。」) ここに時計がありますが、良い時計だと言えば、すぐに”自分にくれる。”と思ってはいけません。(笑い) これは、金だから重いのです。 (ふたつが)ぴたっと一か所に、このようにぴったり合わされば、ふたつが一緒に移動します。上がって いけば上がっていき、下がっていけば下がっていくのです。 すべての宇宙を抱いても、ふたつがぴたっと合えば、零点の位置で、愛を中心として、天の果てにも行き、地獄の果てにも行き、東西南北、どこに行っても、存在することを意識できません。 愛があることを感じますか? 心と体が一つになれば、愛があることが分かりません。生命があることを感じますか? このように一つになっているので、分かりません。そして、男性の血統に精子と卵子があることが分かりますか? 一つになっているので、感じることができません。 しかし、感じることはできませんが、男性の前に、プラスの前に完全なマイナスさえ現れれば、すべてのものが、わあっと引っ張られていくのです。このようにしながら引っ張られていくのです。 このようになれば、これが調和をもたらすのです。 ”二八青春”が一つになっているので、男性も女性も、愛の香りさえかげば、ぐいっとくっつくのです。 愛の香りを知っていますか? 愛の香りが訪ねてくるときには、心がどきどき、どきどきとしなければなりません。そして、四肢五体、春夏秋冬において発展しうる相応的なすべての肢体が、踊りを踊るのです。 そうして、「やあ、春が来た。やあ、来た、来た、来た。調和ができる。わあっ。」と、胸がくるくると回って、どんどこどんどこと…。どんどこやって、気が遠くなれば、前なのか後ろなのか分からなくなるので、抱きつかなければなりません。 女性が喜んで気が遠くなるときには、抱きつくのが失礼ですか、それとも“有礼”ですか? (「"有礼”で す 。」)答えてください、女性たち。 その人が、どこかに行って座る場所、立つ場所を選んで、その環境の与件に合わせることができなければならないのです。男性と女性が、そのようなことができなければ、零点、落第生です。 朴正敏さんが、上手でしょう? 歌を一曲歌ってください。(拍手)一曲、歌ってみましょう。先生のみ言の代わりに、喜んで聞けばよいのです。このおばさん。おばさんですか、おばあさんですか? (「おばあさんです。」) この人の年が何歳かというと、わたしよりも、四つか五つ年上です。それでは、何歳ですか? 今年、もう一歳年を取ったので、八十八歳ですか? 何歳ですか? (「八十九歳(数え年〕です。」)(笑い、拍手)八十九歳ならば、七十二家庭に該当するので、そのように考えれば……。(「お父様が、「おまえは、百歳は生きる。」と、おっしゃいました。」) 百二十歳まで生きるでしょう、この女性は! なぜ、百歳ですか? (拍手)そのように考えたからといって、「百歳以上生きる。」と言って、だれも悪口を言う人はいません。その代わりに、その時になっても、間違いなく、きょうよりも歌が上手でなければなりません。そうすれば、わたしが百歳を超えて、朴正敏さんを訪ねて霊界まで行って、呼んでくるかもしれません。 ですから、希望を持って、一所懸命に歌を一曲を歌い、第四十三回を祝賀する「(真の)父母の日」として、 記念の賛美をしなければなりません。アーメン。(拍手) (「真のご父母様が、『神様の最も良いものを三つ知りなさい。」とおっしゃって、『それは真の愛である。」とおっしゃったではないですか? それで、真のご父母様は見えて、神様は見えず、真のご父母様が、見える真の愛を私たちに下さったので……・。」) 行っただけでも、くっついて離れません。(「真の愛の歌を歌います。」)歌ってください。(「幼稚園の歌です。私が、幼稚園で教えながら歌詞を作りました。」) ああ、幼稚園の先生をしたのですね?(朴正敏ハルモニ二が、歌を歌う) 美しい話があるなあ 真のご父母様の愛の話真の愛が私を生かしてくださったなあ 感謝いたします、真の父母の愛真の父母の愛、真の父母の愛、真の父母の愛 真の父母の愛、真の父母の愛、真の父母の愛 真の愛に感謝することができなければ 真の父母になることはできないそうだ 真のご父母様のようになってこそ私は幸福になることができるそうだ真の父母の愛、真の父母の愛、真の父母の愛 真の父母の愛、真の父母の愛、真の父母の愛(拍手) 見てください。わたしたち統一教会は、このようなことが、他の教会と違うというのです。 さあ、神様が、きょうのような日に、最も好まれるものが何でしょうか? 真の愛です。それから何ですか?(「真の生命です。」)真の生命です。それから何ですか? (「真の血統です。」)その三つの中で、最も貴いものが、何ですか? (「真の血統です。」)わたし も分かりません。 さあ、日本人と韓国人が、ふたりで一度、何が正しいか、けんかしてみてください。真の愛も良く、真の生命も良いのですが、より良いものは、真の血統です。 言ってみてください。血統。(「血統。」)日本語では「血統」、英語では「‘lineage' (リニージ)」です。 さあ、それで何をするのでしょうか? 真の愛で、何をするのですか? 男性が、独りで必要なものが、 真の愛であり、女性が、独りで必要なものが、真の愛でしょう? (「違います。」)男女が、共同で一緒に好むのが、真の愛です。 真の愛で、 愛してみましたか? 神様の属性の中で、 最も重要なものが、絶対属性、唯一属性、不変属性、永遠属性ですが、四大属性の……。 神様の属性には、数十、数百の属性がありますが、その中で一番の属性が、絶対、唯一、不変、永遠なものです。それに何をつければ、その属性にふさわしくなるのかというと、「真」という単語を中心としてくっつけてこそ、「そうだ、そうだ。」と言うのです。 それでは、真の愛を持っていますか? 持っているのですか? 全員が、真の愛を持っていますが、どこに持っているのでしょうか? 真の愛の根拠地が、どこですか? 自分の良心の底です。 良心の底の底、底、底に下りて行って捜し出し、そして上がってくれば、神様が、独り暮らしをされている孤独な部屋に入って行って、どこにいるのかというと……。 それでも、寝るときには、何が必要ですか? まくらが必要ですか、木まくらが必要ですか? 独りで暮らしているというのに、床上げのときに、まくらまで取り払って洗濯しますか? どうしますか? 洗濯をしないで、万年まくらにすることができるものは、何ですか? (「木まくらです。」)しっかりと木まくらを抱き抱えて、「わたしの愛する相対である。」と言って、愛することができる、この地上に……。 神様が、木まくらを愛される以上に愛することができれば、木まくら以上の相対として愛を受けることができる道もあります。このように考えるのです。 そして、木まくらだけが必要なのではありません。 それから何ですか? 寒いときは、毛布も必要でしょ う? 毛布がなければ、布の袋も必要です。布の袋がなければ、かます(わらむしろで作った袋)も必要であり、かますがなくなれば、新聞紙も必要であるということを知っていますか? 監獄で暮らしてみてください。どれほど寒いでしょうか? 同じことです。 それで、「木まくらよりも神様をもっと愛し、布袋よりももっと神様を愛し、そして、愛が好きで、これ以上好きになることはできない。」と言うことのできる立場に立つようになれば、その場が天国になることができるのです。いくら布袋をかぶり、それを着て暮らすとしても、それ以上の幸福はありません。 それは、なぜでしょうか? 神様が、いつも共にいらっしゃるからです。神様とともに暮らすことができ、一つの部屋で毎日、因縁を結んで暮らすので、それ以上に幸福になれることが、どこにあるでしょうか? ありません。ですから、それは、幸福な人に間違いないのです。 統一教会の教会員たちは、そのように暮らしてみましたか? 木まくらを抱いて、「神様、愛しています。」とキスしてみて、胸に抱いて、「ああ、女性の胸が爆発し、男性の胸がつぶれる。」と言いながら、力を入れて抱き抱え、このように身もだえしながら暮らしてみましたか? 女性たち。おじいさんのまくらを見ても、「嫌だ。」と言って逃げていく女性ではないですか? そのような女性は、町内に行っても、追い出されるのです。 おじいさんの居る奥の間に入って行き、顔じゅうに汗をかき、汗と涙を流しながら、おじいさんの下(しも)の世話もし、”必要ならば孫になり、最も善良な孫嫁になり、 嫁になり、留守を預かる人になろう。”と思うことのできる女性がいれば、おじいさんの深い愛の根に触れることができる人になるのです。分かりますか? 日本人、韓国人、米国人がいますか? 今日、統一教会の祝福を受けた家庭について、世界的に、このようなうわさが立ちました。 嫁ぎ先で、男が痴呆症になり、生活に支障を来して、ごみ捨て場を行ったり来たりしたり、話を聞いても正常ではなくなったとしても、そのようなおじいさんとおばあさんを、だれよりもいちばん愛し、守り、世話をするのは、統一教会で祝福を受けた嫁と婿であるというのです。 そのような話が、西洋国家、南米、アフリカの果てまでうわさになりました。それは、良い現象でしょうか、悪い現象でしょうか? (「良い現象です。」)その人たちが天国に行けば、全員……。 お金持ちの長男の嫁になり、お金持ちの婿になっても、自分といちばん気の合う人以外には削ることができず、ために生きることができない、という人がいたとすれば、そのように良い所で暮らす人が、天国の王座に入って行くのですか? それとも、地獄の王座に下りて行くのですか? そのような群れは、地獄の王座に押されて下って行き、愚かな統一教会の人であっても、先ほどの話のような孝行な娘と嫁と婿は、天上世界の神様の宝座を見張る番人になるのです。アーメン。永遠にです。朝から永遠に「アーメン」です。否定する道理がありません。 それゆえに、最近は、どのようなうわさが立ったのかというと、「文総裁が、二十年、三十年前に、国際結婚で私たちの家を滅ぼした。血族、血筋をすべて滅ぼ した。」と言っていた群れたちが、「嫁は、統一教会の嫁、婿も統一教会の婿、黒人でも良く、白人でも良く、五色人種のまだら模様の嫁と婿を願う。」と言っているというのです。そのような喚声が、世界に満ちあふれているということを知らなければなりません。(「アーメン。」) 「アーメン。」と言いました。あなたたちも、「してみることができなかったので、私たちの息子、娘は、 そのような場に送り出すことにおいて、チャンピオンになりたい。」という人は、手を挙げてください。 これは、また何ですか? 早く! 手を下ろしてください。手を挙げてください。どうして、このように 遅いのですか? ここには、五万種類の言葉を使う人たちが集まっているようですね。それでは、単一民族ではありません。 言語を中心として、すべての心情帯を通して感じるその言葉、通じる意識構造というものが、瞬間的に、一秒以内にすべて統一される、そのように行動することができなければなりません。それなのに、通訳を通して理解するので、負けましたか、勝ちましたか? 日本の人、負けましたか、勝ちましたか? さあ、分かりますか? (「はい。」)最も貴いものが何かというと、真の愛というものです。分かったでしょう? それから何ですか? (「真の生命です。」)真の生命を見ましたか? 女性たち! 真の生命を見たのですか? 女性自体は、真の生命が分かりません。しかし、男性の生命と接触するとき、あれほど強い男性の生命に自分が接し、迎えることができ、真の男性の生命体もコントロールすることができるので、女性が貴くないことはありません。貴いということです。 韓国語も、日本語に通訳しているでしょう? なぜ、韓国人は、イヤホンがないのですか? (笑い)必要がなくても、日本語を学ぶためにも、はめていればよいのではないですか? どうですか? そうではないですか? "わあ、先生が楽しそうに話している。『はは。』 と笑っているのは、どういう話か?” と思って、そのときに学べば、勉強になるではないですか? このような集いに三年間、出ていれば、三分の一と考えても、一年間は勉強したことになるはずなのに、なぜ、準備していないのですか? 韓国の者たち。イ ヤホンを準備しますか、しませんか? (「します。」) しなければ、一言も韓国語で話しません。(笑い) さあ、そのように言ったのに、するかどうか見てみましょう。また、このようにして、日本の者たちがイヤホンを持ってこなくなれば、両国の人とも死ななければなりません。(笑い) それでは、英語だけですれば、日本人と韓国人は困るでしょう? 勉強しなければなりません。勉強です。分かりますか? (「はい。」)一度聞くよりも、十度聞いて面白ければ、間違いなく言葉を学びます。 先生が十六歳の時、日本語を学ぶために、一年半の間で完全に覚えてしまいました。国語読本というものが、一年に二巻ずつで十二巻あり、それをすべて半年の間で覚えてしまったのです。 これは、「孔子曰く、孟子曰く……。」と、漢文を学すびながらです。研究して、十六歳で勉強を始めました。日本語ができなければ、話にならないと……。一九七一年十二月に米国に行くとき、英語で本を読む能力はありますが、発音は理解することができませんでした。 日本人は、「マクドナルド」が何か、知っているでしょう? 「マクドナルド」です。しかし、日本人が千年の間、毎日のようにいくら「マクドナルド、おいしいです。」と言ったとしても、西洋の人たちには何のことか分かりません。千年たっても分かりません。 それは、‘McDonald、と言わなければならないのです。'McDonald'です。「マクドナルド」ではなく、 'McDonald'です。そうして、‘That's Good. This is good. Very very good. 'と言わなければなりません。‘Very very good.’と言わなければなりません。発音を合わせなければなりません。理解できなくてはいけないのです。 ですから、韓国人、日本人、米国人が海外に行っても、韓国人は、一年半ですべて通じます。スペインに行っても通じ、ドイツに行っても通じ、すべて通じますがが、日本人は三倍、大変です。カタカナ、ひらがなで、いくら一所懸命に現地の言葉の発音を書いて、翌朝、「おはようございます。」と言っても、何のことか分かりません。 あなたも日本の女性ですか? あなたは、日本の女性ですか、男性ですか? (「男性です。」)女性のようですね。本当に女性のような顔ですね。あなたは、ホモではないですか? (笑い) 知っていることは知っているのですね。男性ならば、男性らしくしなければならないでしょう? 女性のように……。 わたしは、女性だと思いました。"男性が、なぜ女性のような……。女性のような男性が、どこにいるか?”と思ったのですが、男性のようでもあり、女性のようでもあるので、わたしには分かりませんね。尋ねてみると、「男性だ。」と言うので、信じてあげましょう。(笑い) 分かりますね? 韓国の人は、先生の話が分かりましたか、分かりませんか? (「分かりました。」)<3/3に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ きょう、「(真の)父母の日」に、最も貴いものは何かというと、それは血統です。言ってみてください。 血統。(「血統。」)血統が貴いというのです。父母を中心として、父と母を中心とした真の愛があり、真の生命が一つになったとしても、息子、娘がいなければ、すべて無効です。それは、一代で終わります。 息子、娘がいなければ、いくら美男美女の血筋と愛と生命が、りっぱに結着しているとしても、根のない木と浮き草のように、台風に吹き飛ばされてしまうのです。それは、乾けば、だれでも火で燃やすことができ、材木なら、切って穴蔵をつくることができるのです。だれでも移動させることができるのです。それではいけません。 伝統的な血統を中心として……。その血統は、神様の愛と、神様の生命と、神様の血統が連結され、おじいさんの血統がお父さんの血統であり、おじいさんとお父さんの血統が私の血統となり、“私”という存 在自体が、その証拠になっているのです。ですから、 おじいさんも“私”を愛さなければならず、お父さんも”私”を愛さなければなりません。29 Family 2002,6
2024.10.13
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第42回 神日本聖和祝祭聖和祝祭主礼メッセージ説教タイトル「聖和者と共に天地統一作戦の時」 み言訓読先生は霊界を最もよく知るチャンピオンです。死後の世界である霊界は、地上生活の延長として、すべての人間が自然に行く世界として実在する世界です。したがって、祝福を受けて原罪を清算したのち、霊人体を完成して肉身を脱ぐ人たちには、死ではなく聖和という神聖な儀式を通して、永生する天の国に行く道を歓送し、祝賀するのです。歴史時代に生まれては逝った数多くの聖賢、烈士たちが、今霊界に実在しており、真の父母様から祝福を受けて絶対善霊となり、神様の地上摂理を手伝っているという事実を知らなければなりません。地上生活の一瞬一瞬は、そのまま天上に記録され、後日、霊界に行く日に、地上生活の審判材料になるのです。したがって、すべての人間は、より大きなもののために犠牲になることを喜ぶ、真の愛の人生を実践しなければなりません。(天一国経典『天聖経』 P1419) 私たちは最後、どこに行かなければならないのかといえば、霊界です。それは何を意味するのでしょうか。一般的に死後の世界だと言いますが、死後の世界ではありません。なぜ、死後の世界にならないのでしょうか。真の愛と関係している世界だからです。真の愛と関係している世界なので、死後の世界ではないのです。真の愛を中心として出発したものなので、自分が真の愛の立場に立つようになるときは、既に今ここが霊界です。ですから、真の愛が偉大なのです。」(1998年1月23日 ソウル、四千万双祝福勝利歓迎および文鮮明先生み言訓読大会)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.13
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Joy Anthem ~天苑宮・天一聖殿~ 喜びを捧げよう 2024/09/28にプレミア公開天苑宮・天一聖殿は人類歴史上後にも先にもない史実として未来に残ります。人類は天の父母様を中心にひとつになります!真の父母様は切実に神様は天の父母様であることを全人類に伝わることを願っていらっしゃいます。==歌詞==Joy Anthem 天苑宮「Anthem of Cheonwon Palace」天の光が降り注ぐ新たな宮がここに立つ世界中からの賛美の声天の父母様、ここに降り立つ 喜びの歌を歌おう真の愛がここにある特別なこの日を迎え天苑宮から祝福を希望の光が輝く未来へ道が開かれる全ての心が一つに天の愛が現れる喜びの歌を歌おう真の愛がここにある特別なこの日を迎え天苑宮から祝福が始まる天と地が一つになる永遠の愛がここにある全ての人々が手を取りトキメキの新たな時代を迎えよう喜びの歌を歌おう全ての悲しみは消え去る真の愛がここにある天苑宮から祝福が始まるHeavenly Parent descend to earthTrue Parents’ wishes come to birthWe fulfill the dream they holdBlessings unfold, a new world toldCheon Il Guk begins todayEternal joy in every wayWinds of joy forever blowTrue love’s world will always growA dream fulfilled, a blessing sharedHeaven’s love beyond compareA thousand years, a hundred moreTrue love’s world forever soars Cheon Il Guk begins todayEternal joy in every wayWinds of joy forever blowTrue love’s world will always grow喜びの歌を歌おう全ての悲しみは消え去る真の愛がここにある天苑宮から祝福が始まる喜びの歌を歌おう天の父母様が降り立つ歴史上、特別な日天苑宮に祝福を捧げます喜びの歌を歌おう全ての悲しみは消え去る真の愛がここにある特別なこの日を迎えて喜びの歌を歌おう真のお母様と共に特別なこの日を迎え天苑宮から祝福が始まる天苑宮から祝福が始まる Cheon Il Guk begins todayEternal joy in every wayWinds of joy forever blowTrue love’s world will always grow#家庭連合 #宗教二世 #ai #aiソング #ffwpu #天苑宮 #天一聖殿 #清平 #チョンピョン#世界平和統一家庭連合 #信教の自由 #信教の自由を求めます#讃美歌 #讃美 #賛美歌 #アンセム #anthem #true love一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.09.28
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第1132回 天心苑特別徹夜精誠(9/20)韓国ブログ記事より第1132回徹夜精誠の様子です。https://blog.naver.com/peacemaker2027/223590616408一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.09.20
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2024.09.07
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[生中継案内] 天苑宮天一聖殿入宮勝利決意週間https://www.ipeacetv.com/jp/一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.08.18
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2024.08.14
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第1096回 天心苑特別徹夜精誠 (08/02)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.08.02
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一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.17
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世界での日本食口の活動🌻世界に影響を与える🍇アメリカ・テネシー州、Sさん(女)の証し(1)🍒心情基台の伝統をつくる🎁母となる❤️一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.02
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劉孝元・韓国元協会長の歩み(1)🌻原理講論ができるまで🍊少年時代🔥史吉子夫人の講義から原理講論 三色刷一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.12
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合唱曲「孝心 ~ご父母様を慰労する孝子とならせて下さい~」 混声三部 【世界平和統一家庭連合】 2023/07/11 #世界平和統一家庭連合 #合唱曲オリジナル合唱曲 ~合唱コンクールで生まれた課題曲~ 二世圏の合唱コンクールで制作された課題曲「孝心 ~ご父母様を慰労する孝子とならせて下さい~」です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.11
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第十五回「愛勝日」での御言1998年1月2日第十五回「愛勝日」の記念式典がウルグアイのプンタ・デル・エステで行われました。『御旨と世界』の「愛勝日の必要性」を拝読の後、お父様が御言を語られました。 家庭を第一とする時代が来る 皆さんは「愛勝日」という言葉を今までよく分かりませんでした。今、十五年になりましたが、この「愛勝日」が何を意味するか知らなければなりません。皆さんが霊的生活をするうえで、霊界と地上世界の関係で、橋をつくらなければなりませんが、橋をつくることのできる核が「愛勝日」であったということを分からなかったのです。 世の中は遊び、食べ、踊りを踊っていても、私たちは愛の種を植えなければならないのです。その愛の種とは何ですか?。終わりの日の「祝福」をいうのです。分かりましたか? 愛の種ですが、一つ(個人)の種ではありません。家庭的種を植えるというのです。堕落は個人で堕落したのではありません。個人的な立場で堕落して、家庭が堕落したのです。家庭が堕落したので、家庭の種がなくなったのです。ですから、私たちは家庭の種を植えなければならないということを知らなければなりません。 家庭の種を植えることによって、そのような家庭の上に国が生まれるようになります。個人の上には国が生まれることができません。分かりますか?。個人の上には国を立てることができないというのです。それゆえ、人はだれもが家庭をもたなければならないし、結婚をしなければならないのです。 今、アメリカのような国は個人主義になって、結婚というものがありません。法的結婚だとか言っています。そのような因縁の中で生まれた息子・娘たちに責任をもつ、お父さんも、お母さんもいないというのです。このような悲惨な立場です。 このように、すべての家庭が破壊される時代なのです。これはサタンが種を植え、天の家庭を破壊したのです。天の家庭を全滅させる業をしたので、私たちはこれを知っている限り、反対に、神様を中心とした愛の種である家庭を植えることによって、このすべての世界を全部引っ繰り返すのです。 それゆえ、今からは個人的な出世時代が過ぎ去ります。今後、三億六千万双を完成した後に、私たち統一教会を考えるなと言っても、世界は自動的に方向が横に曲がるようになっています。すべてが家庭理想、氏族理想に向かうようになります。 今後、家庭を第一とする時代が来ます。三億六千万双をして、私たち統一教会の祝福家庭が、すべての世界の複雑な問題を解決するようになるでしょう。個人的な難問題、家庭的な難問題、あるいは社会、国家的な難問題、世界的な難問題を根こそぎ引っ繰り返す、根こそぎ解決する方法が、愛の種を植えること、祝福家庭を定着させることなのです。 そのような社会は今後、家庭を主として責任を負う時代に移行するというのです。いくら男性が優れているとしても、その家庭が不足であるときは、足らないその基準が優れた男性の点数を削って、中心の立場の責任を果たすことのできない時が来ます。家庭任命時代が来るというのです。 例を挙げれば、一企業の社長になるというときには、一人で社長になるのではなく、家庭的社長だというのです。それゆえ、夫が社長になれば、夫人は副社長にならなければならないのです。社長となり、副社長となり、重要な息子たちが専務となり、そして息子・娘が多ければ、各部の部長になり得る時代になるというのです。分かりましたか?。 家庭が一つの出世の中心モデルになる時が来ます。それゆえ、その社会では、家庭を重要視せざるを得ない環境時代となってくるのです。赤ん坊から、あるいは少年時代から、青年時代、壮年時代、老年時代、死ぬときまで、家庭を重要視するのです。家庭がどれほど重要かを知らなければなりません。 今、この世で出世するためには「勉強しろ、学校に行け」と言うのです。「勉強しろ、勉強しろ」と言うのです。しかし、いくら勉強をよくしても、その家庭に欠陥があるときには、中心の立場に立つことはできません。分かりますか? 今後、統一教会でもそうです。皆さん、祝福を受けた後に、「家庭の伝統がどうであったか」ということが問題になるのです。今後、三億六千万双を越え、家庭認定時代に入っていくときには、皆さんが今まで歩んできた家庭の記録において、何点の家庭の歴史をもったか、という統計を出すのです。そのような世界に移行することを知らなければなりません。家庭が問題です。 家庭生活報告を書かなければならない 今日、祝福を受け、祝福基金を捧げずに暮らしている人がいるというのです。そこには、祝福のために払われてきた犠牲に対する蕩減的内容も含まれていることを知らなければなりません。それは今、問題になるのではなく、その時になって問題になります。その息子・娘、後孫にまで問題になります。これ以上、恐ろしいことはありません。 天が創世以後に、家庭として定着した天の家庭、アダム家庭完成を、万民を中心として普遍化させるために、メシヤ家庭を中心として、その同じ基準に立ててあげようというのです。 メシヤがどれほど苦労しましたか。再臨時代において、どれほど苦労しましたか。その苦労の歴史を中心として結実した家庭を相続するためには、種となるべき家庭も同じでなければならないというのです。先生は一つの家庭ですが、祝福された家庭は、種を植えたのと同じなので、価値で見ればイコールなのです。分かりますか? 祝福基金を出さず、天が制定したすべての公的基金を支払わずに、メシヤとなり、中心者となることはできないというのです。これをはっきり知らなければなりません。 韓国は先生一人です。今まで韓国全部が反対しました。先生、一人なのです。日本もお母様の代身です。お母様も一人です。お母様の代身となることのできる自分の信仰的な家庭をもたなければ、母の国の家庭になれないのです。全日本民族は、お母様を代身した立場に立たなければなりません。 母から連結されたので、母を中心として息子・娘を生み始めるのです。愛の種はお父さんにもらいましたが、これを育てる畑はお母さんです。それゆえ、お母さんという畑を通して、種が実を結ぶのです。分かりますか?。お父さんを通して種が実を結ぶのではありません。お母さんという畑を通して種が実を結ぶのです。お父さんの種をもらい、生命それ自体がお母さんという畑を通して、息子・娘として完成するのです。ご父母様のような家庭を、皆さんがつくらなければならないのです。そのために、世界に広がっていき、そのようなことをしているのです。 ですから、世界に出ていって伝道し責任を負う人たちは、公的な任命の義務を果たせなければ、行って、何もできないというのです。 このようなすべてを皆さんが世界的大転換時代において、整備しなければならない時が来ます。それゆえ、皆さん各自が自叙伝を書かなければなりません。言い換えれば、自分の生涯の報告です。 また次に、祝福を受け、家庭生活の報告を書かなければなりません。自叙伝と同様に、家庭を中心として記録して、天の前に飛翔する時、霊界が見て、数多くの天軍天使が見て、数多くの善なる選民たちが見て、正しいものだと公認を受けなければなりません。 もし、誤って書いて霊界に行ってしまえば、大変なことになります。霊界に行ってしまえば調整する道がありません。この峠を越えた後には、帰ってくることができないのです。 ですから、率直にそれをすべて整備して、自分の良心だけでも陰のないよう、「隠し立てなく記録したものだ」と主張したものを、地が公認しなければならないのです。地で生きた皆さんの先祖たちがみな、行っているのです。それを見なければならないし、次には、天使世界、天の世界で、すべて「そうだ」という公認を受けなければならないのです。 そうでなくては、霊界に行けば問題になるのです。そのまま霊界に行ったならば、行けば行くほど、その後孫たちが福を受けるのではなく、行く道がだんだん狭くなり、地に下りていかなければならないのです。 また、発覚すれば、瞬時に除去されます。霊界に行って、そのような結果をもたらすというのです。何の話か分かりましたか? (「はい」)。 祭物を捧げる よく理解しなさい。皆さんの体を捧げ、家庭を捧げ、その家庭にぶらさがった国までも捧げて、祭物を捧げようと言わなければなりません。それを分けてはなりません。全部、一度に捧げなければならないのです。 一昨日(元旦)話しましたが、旧約時代は万物祭物時代、万物を犠牲にして血を流して、神様の息子・娘たちが行くことのできる道を築いたのであり、キリスト教とユダヤ教が信じなかったことによって、基盤がないために、神様の息子、イエスを半分に割いたのです。割くとは、右側の強盗と左側の強盗でもって、イエスの体を分けたということです。これを統一しなければならないのです。それゆえ、再臨の時代において、十字架に行ったイエスを復活させるためには、共産世界と民主世界を一つにしなければなりません。分かりましたか?。 子供が全部、犠牲になったのは、イエス様が犠牲になったのは、ご父母様が行くことのできる道を築くためなのです。その道を築くのに、必ず、キリスト教がカトリックと新教に分かれるようになっています。カイン・アベルです。分かれた教会が一つにならなければならないのです。血を流してはいけません。統一されなければならないのです。いつかは統一されなければなりません。その統一基盤の上に、真の父母が立つのです。英・米・仏がその統一基盤なのです。 英国はエバ国家であり、米がアベル国家、仏はカイン国家なのです。これは原理的です。先生が合わせたのではありません。ちょうどそのようになっているのです。 英・米・仏を中心として、サタン圏内に失ったものを取り戻してくるので、メシヤは英・米・仏を占有しなければならないのです。ところが、これらが反対したので、完全に壊れていくのです。 一九四五年以後、第二次世界大戦以後、キリスト教が受け入れていたなら、エバ、カイン、アベルと一つになるのですが、これが一つになれずに失ってしまったのです。それゆえ、主は韓国に来ましたが、基盤をすべて失ってしまったのです。その基盤を求める目的とは何でしょうか?。エバ国家を復帰しなければならないのです。エバ国家とアベル国家とカイン国家です。これを復帰しなければならないのです。それを失ってしまったので、先生が復帰しなければなりません。復帰しておかなくては、越えていくことができません。分かりましたか?。これをはっきり知らなければなりません。 先生がなぜこのようなことをしなければならないのかといえば、失ったものを復帰しなければならないからです。第二次世界大戦以後には、連合軍と枢軸国が一つになったのです。イエス様の体が分かれて、ローマに行ったのが反対に回るのです。反対に回っていくのです。 本来はユダヤ教の延長がキリスト教であり、キリスト教自体はアジアから起こらなければならないのです。仏教だとか、儒教だとか、ゾロアスター教だとかいう宗教版図圏にイスラエルの国が連結されなければならないのです。その時のイスラエルは、宗教圏を中心として、今日の韓国と同じ立場です。 今、世界圏を中心として、イエス様時代の宗教圏と同じようになっているというのです。周辺の国家は三大天使長です。中国はアジアの天使長、ソ連はサタン世界の天使長、それから、アメリカは天の国の天使長。この三つの争いが起こりました。 イエスの前の天使長の国がローマでした。ローマは刃物をもってイエスを殺そうとしましたが、アメリカはキリスト教文化圏なので、来られる再臨主さえ分かれば、くるっと回るのです。それらのことを代わりに蕩減復帰しなければならないので、先生がアメリカに来て、これを連結しました。 アメリカに来て、やったことが何かと言えば、荒野に追われて韓国上陸作戦をしたのです。イスラエルの国が失敗したのを、二十年間を中心として、韓国をその立場に引っ張り上げるのです。 アメリカはキリスト教文化圏です。アメリカは世界版図になっているので、国と世界のキリスト教を連結するために、韓国を離れ、七二年からアメリカに来て、連結させるのです。霊肉を中心としたユダヤ教圏、キリスト教の基盤を連結させることによって、キリスト教とユダヤ教が一つになるのです。 ところが、アメリカが先導して、統一教会に反対したのです。先生としては怨讐です。怨讐を愛さなければならないのです。怨讐の立場に立ったものを消化しなければならないというのです。 先生にとって一番の怨讐はキリスト教であり、キリスト教の先頭に立って反対したのがアメリカだというのです。先生の行くべき道を完全に駄目にしてしまったのです。四十年間、受難の道に追い込んだ怨讐だというのです。この怨讐の国を占有していくのです。 先生と日本も怨讐なのです。ドイツとも怨讐です。全部、怨讐国家です。アダムとエバも怨讐であり、カインとアベルも怨讐なのです。全部が怨讐です。 この怨讐の国を、天が愛することのできる本然の立場に引っ張り上げなくては、復帰ができません。ですから、ユダヤ教圏内からイエスを追い出したその基盤を取り戻し、イエス様が追われたものを再び復帰するためには、キリスト教文化圏を連結させなければならないのです。分かりましたか?。 キリスト教文化圏の中心はだれでしょうか?。第二次世界大戦後に、世界覇権をつかんだキリスト教の勝利の全体主管国家がアメリカです。アメリカさえ反対しなかったなら、統一教会に無条件に反対せず、梨花女子大だとか紹介していたなら、問題にならないというのです。アメリカと一つになっていたなら、アメリカが怨讐になりません。その時、アメリカが原理さえ受け入れれば、祝福を受けるようになっています。祝福を受け入れれば、世界が一つになるのです。ところが、反対したので、全部が怨讐になりました。 日本の人とも、韓国の人とも怨讐です。アダムとエバが堕落してから怨讐になったのと同様に、日本と韓国は怨讐です。また、日本自体を見るとき、アメリカとも怨讐であり、韓国とも怨讐です。そうでないのはドイツです。ドイツはカインのやからです。ですから、日本を愛して、ドイツまで愛で包括しなければなりません。 日本を通して世界に通じる道 では、摂理から見るとき、英・米・仏の国が反対し、失ったので、これに代わって立てたのが何でしょうか?。サタンが一番好きだったものを、天が一番好むという条件を立てるのです。そうでなくては復帰ができません。サタンは英・米・仏をつかんだのです。エバ国家、アベル国家、カイン国家を中心として戦って、第二次世界大戦でサタンが負けました。 ところが、英・米・仏が反対することによって、打ち勝ったという英・米・仏をサタンがしっかりとつかむのです。すり替えるというのです。ですから、英・米・仏を中心として連結させようとしたものを、反対することによって、サタン圏に移ったので、先生は反対の立場に行くのです。何もないというのです。復帰の基盤がありません。勝利の基盤を失ったと同じ立場にあるので、これを取り戻さなければならないのです。 天はどこで探さなければならないでしょうか?。サタンはアメリカを中心として英国と一つになっています。上をサタンがつかんでいるので、サタンのしっぽを天がつかむのです。廃虚となった日本、廃虚となったドイツをつかむのです。何もありません。第二次世界大戦にサタンが使った最高の基準です。サタンが誇っていたものです。サタンは天のものをもったので、二つはもてません。それゆえ、あちらがカインの立場に立つと、残りのこちらはアベルの立場に選んで立てることができるのです。 ですから、先生は国がありません。追われたのです。世界をすべて失ってしまいました。数千年間の神様の摂理を通して、英・米・仏を中心とした勝利圏というものを立てたのに、すべてを失ってしまったというのです。アダムとエバの家庭が堕落したのとは比較にならないのです。何の話か分かりますか?。 神様がそのような膨大な被害を受けた、その価値を取り戻すために代わりに立てたのが日本です。先生も追われました。荒野に出て、求めるべき道は何かと言えば、英国の代わりに立てた日本です。ちょうど内容が同じです。 日本文化というのは、英国の文化をもってきたものです。ちょうど同じです。イタリアのもの、ドイツのものをもってきたのです。法はイタリアのもの、軍隊はドイツのものと、西欧社会のキリスト教文化をすっかりもってきて、日本に立てたのです。こうして、アジアにおいて神様が摂理するものに反対できるようにして、アジアに対峙して、怨讐の国として立つのです。そうして、韓国を占領して、アジアを中心として、日本、サタン側のエバ国家を通して、一番近い韓半島を通して、中国と中東まで入っていくのです。神様の御旨がアジアに訪れることを知っているのです。 ローマからキリスト教文明が始まって、血を流しながら反対の歴史路程を経てきて、峠を越えて、今、アジアに帰ってくるのです。もう、出会うべき時が来るのです。 それゆえ、アメリカを中心としてアジアを求め、再び連合させることが起こるので、太平洋文明圏というものが現れるのです。アジア文明圏時代というものが現れるのです。ローマを中心として、教皇庁ができたのと同様に、ちょうどローマのような地形の半島がなければなりません。太平洋文化圏時代においてローマと同様の半島が韓国です。 太平洋を中心として、防御線をつくっておいたものが日本だというのです。日本を見れば、北海道と本州と九州と四国、四つです。これは海に四つの島があるので、海峡は三つと同じなのです。そのように分かれています。 それが何かというと、日本が韓国を包囲していますが、日本を通して世界に通じることのできる道が開かれているというのです。地中海はローマを中心として包囲されています。これは男性と女性が愛し合う関係とちょうど同じです。ですから、ここからポルトガルを中心として、英国との関係を中心として、海洋開拓時代が来るのです。海洋と連結されるので、海洋文化圏を中心として世界を制覇するのです。海の権限をもたなければ、世界を制覇できません。後には空中まで握らなければならないのです。アメリカはそのような神様の祝福を受けたのです。 日本にあるこれらの島は島ではありますが、これは道です。復帰摂理で見れば、四系列を通じた三段階の御旨を立ててくるという意味もあるというのです。一人で母にはなれません。 エバがアダムを何度殺したかといえば、エバはアダムを殺したし、それからイエスが来たとき、新婦になれずにイエスを殺してしまったし、再臨時代に来て、再臨主を受け入れられなかったことによって、殺してしまったのです。これは何を意味しているかというと、母になっても、世界的なすべての人類を消化し得る責任を果たさなければならないというのです。そのような分かれた愛を受け継いでおかなければならないというのです。何の話か分かりますか?。そのようにして、日本が韓国を保護するのです。 それゆえ、摂理がそうです。韓国はみな、無力になりました。日本とアメリカはエバ国家と天使長国家です。彼らが韓国を保護しなければなりません。 エバ国家とアメリカが怨讐です。ドイツも怨讐だというのです。また、先生とエバ国家が怨讐です。この四つの国が全部怨讐です。アメリカも怨讐です。このキリスト教の中心国家であるアメリカを失ってしまったので、サタンから再び取り戻そうとするには、イスラエルの国の権限をもたなければなりません。 イスラエル国の韓国で二十年間蕩減復帰し、二十年間キリスト教文化圏世界にやって来て、苦難を受けながら連結させたものが四十年歴史だということを知らなければなりません。 ですから、追い出された立場からアメリカで勝利の足場を築き、韓国で勝利の基盤を築いて、イスラエルの基盤の上にイエスを受け入れることのできる基盤をつくらなければならないというのです。再臨的実体がアメリカに来て、分かれたものを実体圏として一つにしなければならないというのです。 アメリカに来て怨讐の国の王になることのできるその方が先生と一つになっていれば、アメリカ自体が一気に連結されるのです。そのようになったなら、先生の受難の道はありません。 一九四五年から七年、一九五二年までキリスト教と一つになって、地上天国を築こうとしたというのです。祝福を完成しようとしたものが失われてしまったので、先生が再び取り戻してくるために、エバ国家が必要であり、アベル国家が必要であり、カイン国家が必要であり、アダム国家がなければなりません。韓国が先生と一つになればすべて終わるのです。 世界の福が韓国に着地できる時代 このような複雑な内容を話す時間がありません。簡単に話せば、先生が英・米・仏を中心として統一世界をなそうとしたのです。統一世界は家庭を中心として大転換するのです。家庭の種を完全に守って、その種の上に天の国を建国しようとしたのを失ってしまったので、先生が荒野へと追い出されました。 そうして、再び上陸作戦をするためには、韓国の神霊的な人たち、霊界に通じる婦人たちを中心として連結されるのです。エバ国家を失ってしまったので、エバから直接収拾するのです。このようにして、上がるには学生たちを中心として幼子から教育するのです。幼稚園教育、小学校教育、このようにしていくのです。 中高等学校の学生たちが統一教会を開拓したのです。統一教会の指導者たちは、弁当を食べて統一教会を開拓しました。大人たちは反対するのです。完全に怨讐です。おじいさんも母親も父親もお兄さんまで、三代が反対するのです。 ですから、全部追い出されて、ご飯を食べさせてくれたのはアベル的なカインの息子・娘でした。彼らは飢えながら神様に侍ったのです。それがすべて復帰歴史です。若い青年たちがそのようにしたのです。十六歳前まではサタンが干渉できないのです。ですから、全国的にどこに行くにせよ、中高等学生たちが御言さえ聞けば、全部、火がつくようになっています。このようにして、貧しく暮らす教会の者たちに、中高等学生が弁当を持っていってあげて、それを食べて統一教会を発展させたというのです。 摂理的な歴史は、そのような内容を通して連結されてきたのです。それゆえ、失ってしまったものを再び取り戻さなければならないので、先生が英・米・仏の代わりに選んで立てたのです。サタンが戦争で使って残った故障した武器と同じです。全部、病身になったのです。全部、灰の山になったその国を中心として摂理したのです。日本をエバ国家として選びました。悲惨なものです。その次にアメリカをアベル国家に立てました。 なぜ、怨讐の国なのに、アメリカをアベル国家に立てたのでしょうか?。これを立てなければ、ユダヤ教とキリスト教が折れていきます。ユダヤ教は旧約時代であり、キリスト教のアメリカは新約時代なのです。完成の成約時代というのは、ユダヤ教とキリスト教、旧約、新約を土台としなければなりません。そうしてこそ、初めて完成するのです。それを外すことはできません。泣きながら、からしを食べたのと同じです。アメリカを再び生かさなければならないのです。ですから、アメリカに来て二十年間、そのみ業をしたのです。 日本も怨讐です。ドイツも怨讐です。怨讐同士、やって来て、アメリカの解放圏を築いたのです。これは歴史にないことです。これを皆さんがよく知らなければなりません。 人類歴史の中で、怨讐になった国同士、怨讐の中心国であるアメリカを救ってあげるために、新しい伝統文化の基盤を築くものが、アメリカに対する先生の二十余年の活動です。 日本を英国の代わりに先生が選んだのです。英国自体は霊的なキリスト教の結実で、第二次世界大戦で枢軸国である日・独・伊に勝利したのです。イエスの体を失ってから二千年たって実ったのです。イエスの体を東洋を中心としてくっつけるのです。一つになったものを失ってしまったので、エバ国家は共産党だとか、民主世界を生み直さなければならないのです。 日本はどのような犠牲を払ったとしても、自由世界においてはアメリカを失ってはなりません。ソ連を消化しなければならず、アメリカを消化しなければなりません。何をもって?。母親の愛です。 日本はアメリカの恩恵をありがたく思わなければなりません。共産党はカインです。そうだと言って、日本自体が共産党を憎んではなりません。二つとも愛さなければなりません。アメリカを擁護して共産党を自然屈服させなければならないのが、エバ国家日本だということを知らなければなりません。その基盤を世界的に築こうとするので、再び生むみ業をするのです。祝福してすべて生むのです。 南米はカトリック国家です。アメリカはアベルであり、南米はカイン国家です。これを一つにするために、ここに来てそのみ業をしたのです。今後、南北米の文化圏を一つにしなければならないのです。 北米のプロテスタントが先生と一つになって、怨讐視してきた南米に入ってきて一つになる運動をするのです。これは一つになるようになっているというのです。反対するようになっていないのです。 それゆえ、先生を中心としてユダヤ教を一つに、アメリカを中心としてプロテスタントを一つに、それから、南米を中心としてカトリックを合わせて、キリスト教文化圏が統一されるのです。これを一つにして世界の宗教圏と連結しようとするのです。 今回の祝福はそれです。南北米のキリスト教文化圏が一つになって、その次には仏教圏と一つになって、三六〇万双から三六〇〇万双まで越えたというのです。それゆえ、宗教圏を連合したというのです。 カイン・アベルが一つになりましたから、父母と一つになるのです。そうすれば、すべて終わるのです。ですから、摂理的に見るとき、家庭を中心として世界の峠を越えていくのです。 今後、宗教世界が一つにさえなれば、世界が一つになるのです。目の前にすべて来ているというのです。ダイナマイト装置を仕掛けておいたので、ひもだけ連結しておいて、火がつきさえすれば、爆発するようになっているのです。以後の爆発作戦が三億六千万双のサタン血統断切すればすべて終わるのです。摂理史的複雑な内容がすべて終わることができるようになるのです。 ですから、先生が一人になって、失ってしまったエバ国家を取り戻さなければならず、その次にはアベル国家を取り戻さなければならず、その次にはカイン国家を取り戻さなければならないのです。 このような時に、韓国があのようになったというのです。反対していたことに対して蕩減を受けなければなりません。国が飛んでいかなければならないというのです。今からどのようにしなければならないのかと言えば、日本とアメリカとドイツが合わさって韓国を救ってあげなければ、この民主世界は、全部、飛んでいくのです。 韓国を助ける運動をすれば、あらゆる世界の福が韓国に着地できる時代になります。日本だとか、アメリカだとか、ドイツも経済的に問題になるというのです。これを協助することによって、世界全体は、韓国を中心として先生と一つになることのできる時代、祖国光復とともに世界は統一世界になり、地上・天上天国である解放圏が訪れるのです。アーメン (「アーメン」)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.19
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世界平和青年学生連合世界総会(2023.5.8)日本語の通訳はありません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.12
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天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会の講演文真の父母経 - 第13篇 - 第1章 - 第5節 天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会が、二〇一〇年七月八日に天正宮博物館、七 月二十四日にアメリカ、ニューヨークのマンハッタンセンターなど韓国とアメリカにおいて数回にわたり開催されたのに続き、二〇一一年四月二十四日には、仁 川の松島(ソンド)コンベンシアにおいて、韓国の公職者と食口、平和大使など、一万二千人以上が参加する中で挙行された。真の父母様は、この大会を通し て、神様の祖国と故郷が韓国であることを闡明(せんめい)された。真の父母様は、この日の早朝にアメリカを出発し、長旅の末、韓国の仁川空港に到着して、 休む間もなく数時間後に大会を主管されたのである。そして、その翌日には、ヨーロッパ巡回大会のために長時間、飛行機に乗ってヨーロッパに向かわれた。真 の父母様は、肉身の限界を越えて、すべての摂理を終結させ、人類を生み変える心情で、ヨーロッパ八ヵ国アメリカのラスベガス大会に至るまで、悲壮な覚悟と 決断の中、十ヵ国の世界巡回を断行された。真の父母様は、天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会を通し、最終一体を成し遂げ て復帰摂理を完成、完結、完了し、この地に来たすべての責任と使命の完成を宣布された。そして、すべてのことを成し遂げたその基盤の上で、万王の王天地人 真の父母様の立場と権威をもって、定着完了されたのである。この大会を通して、本然のエデンを復帰した時代、堕落がなかった時代、サタンがいなかった時代 が到来したことを宣布されたのである。5 み言が先でしょうか、実体が先でしょうか。今日の宗教では、実体に関することには確信をもつことができず、教えを重要視するので、実体と教えが一体になる というのは、本当に難しいことです。統一教会では、み言が先ではありません。実体があって、その実体が行った事実をみ言で証するので、内外が一致し得る内 容を知ることができるというのです。今まで、宗教界や学問世界において真理を探究するに当たって、問題となっていた焦点を解決するために、実体み言宣布大 会が始まったのです。6 「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」は、み言を宣布する大会ですが、み言の前に実体をもってきました。個人から天地を連結させ、最終的な内容が完 結するものとして、天地人真の父母定着と実体み言宣布と天宙大会があってこそ終わるのです。天地を連結させるというのは、和合統一を意味します。和合が先 でしょうか、統一が先でしょうか。和合が先です。和合しなければ統一されず、自分勝手に進みます。和合統一しなければなりません。体と心を統一できない人 が、統一の主体になる道理はありません。二人が一つになってこそ、息子、娘を一つにすることができます。二つが一つにならなければ、三と四の存在もありま せん。7 天地人真の父母が定着しました。そのため、実体み言を宣布しなければなりません。真理の実体、定着した実体が語る言葉が、宇宙を解放できるのです。それが 実体み言宣布です。天地人真の父母が定着したというのは、実体が定着したということです。ですから、実体み言宣布なのです。8 真の父母様が祈り、願うことは、地に落ちません。天の父母が解放された立場で守っており、それを再び、くじく者がいないので、いずれにせよ成し遂げられる のです。そのように考え、皆さんはみ旨の路程で躊躇する哀れな群れにならないようにしなければなりません。氏族的な世界メシヤの責任を代表する立場で語ったこのみ言は、解放の勝利覇権的自由天地の、自主張(自分の主張どおりにすること)と堕落がなかった それ以前の世界の勝利の栄光を宣布するものです。最初と最後まで一つにしてその結末をつけるための内容を、真の父母様の生涯全体の結実として宣布するみ言 です。それが、「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」のみ言です。9 天宙父母は無形の神様であられ、天地父母は実体の父母のことを言うのですが、二つの父母が一つになってこそ、人格的な父母になり、天宙・天地・天地人父母 になります。人格的な神様にならなければ、真の父母になれないというのです。神様も、体をまとい、息子、娘を生むことができる人格的な神様にならなければ なりません。10 天宙父母、天地父母、天地人父母という言葉は、言い換えれば、天宙天地人父母です。人にならなければならず、人の父母にならなければなりません。すなわち、人間が神様の代わりに体をまとい、見える神様、見える実体になるのです。神様も体をまとわなければなりません。そのため、無形の天宙父母と天地父母をそのまま受け継ぐのです。霊的な闘いで勝利し、神様と一致するための復帰的な過程を経て、天宙天地人父母になるのです。11 天地人父母は、天宙父母と天地父母が愛を中心として喜びながら、一緒に生活できる無形実体と有形実体が合徳(和合)したものです。霊的神様と実体の神様に 侍る夫婦が先祖になります。先祖は二つではありません。父母は二つにはなり得ないのです。絶対に一つです。父も一つであり、母も一つであり、先祖も一つ、 孫たちも一つです。神様に似て、神様の体と心を展開させて、実体の形状をまとったのです。体をもってこそ、繁殖できます。体をもった天地人父母の家庭は、 天の国の民を相続し、この地から直接天国に入れるように定着して、堕落や復帰という傷跡のない息子、娘、天国に直行できる息子、娘を生んで育てるべき召命 的責任を担っています。12 祝福家庭は、蕩減革命、良心革命、心情一体圏を中心として、八段階を経なければなりません。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙的王の位置で、神様 を中心として相対になり、縦横に与え合う実体にならなければなりません。地上世界で種を蒔き、天上世界で実を収めるのです。この地上では種であり、霊界で は実です。その愛の実を倉庫に納入させる所が天上天国です。その倉庫に入るために準備する所が地上世界なので、地上世界が完成してこそ、天の国が完成する のです。ですから、天一国主人だというのです。天宙父母と天地父母が完成したものを、皆さんが相続できるので、孝子の王にならなければならず、忠臣の王にならなければなりません。そのようになることができる位置に天は立たせるので、これを固着させて、万世の太平聖代、祖国光復を成し遂げてこそ、解放時代になるのです。13 すべての存在は神様に似ました。神様の愛の実体圏である真の父母の完成のためのものです。ですから、霊的神様と実体の神様が一つにならなければなりませ ん。この実体圏を求めるために父母様は苦労したのです。個人、家庭、氏族、民族、国家など、八段階のすべてが反駁しましたが、砕けませんでした。自分たち が砕けていったのです。彼らは自分を中心とした自我自覚圏を中心として現れましたが、父母様は他我自覚面を中心として、ために生きて投入し、自分のことを 考えなかったので、堕落世界のすべての因縁を抜け出してしまい、神様の体を定着させることができたというのです。そうして、個人的な体定着、家庭的な体定着、氏族、民族、国家、世界、天宙的な体定着、八段階の体定着を通して、聖子の家庭を中心として神様に似な ければなりません。また、真の父母の家庭的形態を受け継ぎ、腹中時代から結婚時代まで再び体験して、神様の心情圏を受け継いで体を完成させて天の国に入る のです。14 実体時代には、体を知っているだけではいけません。実体の体と神様まで知らなければならないのです。実体時代は、本然のエデンを復帰した時代、堕落がなかった時代、サタンがいなかった時代だというのです。天使たちの世界もアダムの命令どおりに動く時代です。神様のみ意のままに動く時代です。その意向に反対することはできません。そこに相対になろうという息子、娘たちになってこそ、永遠の父子関係が結ばれるのです。15 二〇一二年までに家庭的エデン復帰時代を蕩減し、天国に入籍しなければなりません。第四次イスラエル国を中心として、国家圏と宗教圏の一致圏を連合し、真 の父母を中心として天地人父母の安着をもって、無形の世界と有形の実体世界が一つになり、人間を中心としたすべてを完成、結実する天地人定着、天宙天地解 放世界を中心として、地から天に直行できる天国理想の実現を終結することのできる時を迎えました。この時を迎え、宣布したすべてのものが父のみ旨と一致し、私たちが宣言したものが天のみ旨と天宙・天地・天地人父母様の一体理念と一致して、安着できる一和統一の世界に前進するようになりました。16 神様を中心とした家庭には、誰もが安着します。すべてが平安、幸福で、理想のユートピアだという言葉が必要ないので、気掛かりや心配なことはないというのです。生きさえすればよく、すべて成就するのです。ですから、今からは祈るとき、「解放・釈放時代を完了しました。私は安着太平時代を生きなければなりません」と、自信をもって報告しなさいというのです。17 安着という言葉は、すべてのものがぶつからず、永遠に平和で幸福だということです。太平聖代です。その世界がユートピアです。私自身の体と心が争っている とすれば、太平時代があるでしょうか。ありません。根本に入って、無条件に父母様の言葉が正しいと信じ、その場に立って、「私はそうである。天地が変わっ ても、太陽が落ちても、私は変わらない」と言わなければなりません。「天変地異が起きても、私は変わらない」と言わなければならないのです。星が落ち、太陽が落ちても、つかの間です。その上に立っていなさいというのです。安着してこそ、そこに太平時代が訪れます。その時代は、個人生活圏 ではなく、歴史を超越したものです。すべての人が神様の代わりに安着太平圏時代を迎えてこそ、幸福な理想世界になります。ユートピア世界になるのです。そ れ以上はありません。
2023.02.15
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2023/01/17家庭連合Web教会 礼拝説教題目:「摂理を担う者の苦悩と勝利 ~ヤコブ路程の正しい理解~」説教者:柴沼邦彦統一原理の重要な内容の一つが、「人間には責任分担がある」ことです。アダムとエバには、神様の「取って食べてはならない」というみ言を守ることによって、成長期間を完成して本然の人間になる道がありました。統一原理にはこのような責任分担思想があるのです。今日は、ヤコブの歩みを見ながら共に学んでいきたいと思います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.17
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真の父母様がいつも持参した宝物⭐️その宝物は一体何なのか❓
2023.01.11
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https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=17179&ldtag_cl=c2GkNBMLS6uqdm3ixmnm1wAA_oa一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.10.27
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[22.09.18] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ2022/09/18 09:30に公開予定です。PeacelinkTVホームページ
2022.09.17
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昨年12月から1時間残業、今月9月から2時間となり(残暑もあってか)朝のスタートからお疲れ気味の毎日です。仕事量が増える中、数名の方が休業・退職等もあったりで、とにかく人員不足が一つの原因となっています。私の所属する部署は3人一組で6時間で3枚(あとは他部署の応援)をこなしていたのでしたが、今年3月に一人辞め、増員もなく2人8時間かけて3枚が1日の仕事でした。さらには、ここにきて他部署も悲鳴をあげ始めてきて2時間残業となった次第です。よって、申し訳ありませんが、ブログ記事更新も少し手抜き加減になっています。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.09.15
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Web説教「影のない生活 ~正午定着~」家庭連合WEB教会 礼拝説教チャンネル登録者数 7,550人題目:「影のない生活~正午定着~」説教者:柴沼邦彦真の父母様は「影のない生活をしなさい」と言われています。「正午定着」とは、正午、太陽が完全に自分の真上にあるとき影ができなくなる、つまり、神様を私の真上に置いて一つになった時、影のない生活になることを表した言葉です。しかし、完全に影のない人生を送ることは簡単ではありません。人間的な努力だけでなく、影のない人生を送った方と一つになる生き方をしなければならないのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.07.08
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「真の父母という名前は、神の創造理想の標準である」(修練会、第二日目の午後)1995年1月18日 皆さんが午前中に参加した運動(韓日・日韓兄弟結縁式)は、歴史的にも初めてのことです。そして、その中心は霊界なのです。霊界と人間界は比較対照になりません。霊界は神様を中心として、数千億の群れが背後に連なっているのです。そのような霊界を、皆さんは知らないのです。 今からの世界は、人間同士では動きができなくなっていくのです。真の父母という方が生まれて、地上天上を合併しているからです。今までは霊界から特殊な人を中心として、地上の特殊な宗教圏の霊的に高まった者たちだけが通じるようになっていたのです。それで、横的一体ということはなかったのです。 しかし、真の父母という名前を考えてみた時、それは創造の理想以前からの標題になっているのです。真の父母という名前は、創造以前から神様が目標としておられたものです。真の父母の基準を中心として万物を創造し、それをすべての起点として、そこから地上天国、天上天国、地上の国、無限の世界の霊界の国が成立するのです。それが、創造の最高の理想の標準になっていたのです。そのことを創世以来、今日まで誰も、夢にも思わなかったのです。人間世界では、誰も思いつかないことです。それは、標準が狂ってしまったからです。大変なことです。 ですから神様の救援の目的も、その焦点の定着のためだったのです。それをなさなければ、真の愛を中心として人間世界を永遠につなぐことができないのです。それは、理論的にも否定できないことです。偽りの父母によって始まり、偽りの愛を中心としてつながった人間は、真の愛の世界に行く道がないのです。梯子がないのです。個人的梯子、家庭的梯子、氏族、民族、国家、世界へと拡大した梯子がないのです。出発点が過ったのだから、過った基準を再びもとがえしして、その門を通過しないと、元の世界に帰ることができないのです。偽りの父母によって出発した悪の世界に、真の父母が生まれて善の世界の門を開いてあげなければならないのです。そして、その門を入るために、元の姿に整えてあげなければならないのです。 それには、ただでは生まれ変わることができないのです。接ぎ木という、渋柿の根っこから生まれた渋柿をいかに甘柿にするかという、接ぎ木の作用をしなければならないのです。接ぎ木をするには、芽接ぎと枝接ぎがあるのです。これを全世界の万民からみた場合に、サタン世界からみた場合に、渋柿の芽と渋柿の枝、甘柿の芽と甘柿の枝は何も変わったところがないのです。 それで甘柿の芽一個を中心として、渋柿の芽何万人を切ってしまって取り替えようとした場合、周辺で芽だけを見た人は「馬鹿野郎! こんな馬鹿な者がどこにいるか」と、誰も聞こうとはしないのです。天から直接来た甘柿の内容を知っている者が、「生命をかけてでも、全体を何としても切らなければ元に帰る道がない」と言っても、それをみんな嫌がるのです。この統一教会もそうです。 日本は今、二七〇〇何年目ですか? 二七〇〇何年くらいになりますか? そういう歴史があるのですね。それで、大きな渋柿になっているのですが、その日本で、統一教会の内容も分からないまま反対されているのです。「これが甘柿の芽だ」と言っても、信じる者はいないのです。それで、切ろうとでもすればどうなるかというと、「この馬鹿野郎」と言って、殺そうとしてくるのです。それで死なない場合には、「この野郎!」と、拉致するのです。親が子供を拉致するということは歴史上にもなかったことです。そんなことは、どんな辞典にも本にもない話です。 神の戦略戦術とサタンの戦略戦術 共産党は、本をたくさん作っているのですが、すべてが嘘の話の本なのです。彼らは、「真理はない。どんな嘘でも百回続けて言えば真理になる」ということを言っているのです。ですから、たくさんの意地悪なことを言って相手を叩くのです。一度打たれた場合に、それを取り除くには、何十年、何十倍の力が消耗することをよく知っているのです。彼らの世界的戦略の標準がそうなっているから、めちゃくちゃに叩くのです。 それで、ソビエトはもちろん世界中で、共産党が先頭に立って統一教会を潰そうとしてきたのです。それは、あなたたちも知っていることです。日本の共産党は、右翼を使ってぶっかけてくるのです。赤旗を見てみなさい。私のことを先生と思う者は一人もいないのです。何とか世界的にも叩いてしまおうとして、一日の計画、一年の計画を立ててぶっかけてくるのです。しかし統一教会は、そんなことはしないのです。神様の戦略戦術を知っているからです。サタンの戦略戦術は何かというと、サタンは先にぶっかけてきて、先に打ってきて滅んでいくのです。しかし神の戦略戦術は、打たれて損害弁償までもらって、栄えていくのです。発展していくのです。それが神の戦略戦術です。 サタンの戦略戦術は先に打って取られてしまうものですが、神の戦略戦術は打たれて復帰していくのです。それで先生は四十年間打たれても、一回も反抗したことはないのです。誰か「文先生は恐ろしい。日本列島が打たれる」という話を聞いたことがありますか? 聞いたことはないのですね。どんなに先生を叩き潰そうとしても、びくともしないのです。統一教会は今まで目をつぶって、死んだように黙っているので、「どうだ、どうだ、どうだ」と抗議してすべてが収まると思ったのですが、そうはいきません。逆転してしまうのです。これをこういった場合には、(先生が両手を水平にして前に出す)ターミナル、終着点となった場合には、地獄に落ちると思ったのに逆に飛躍してしまうのです。これが神の戦略戦術です。 第一次世界大戦も、神のほうが先に打たれて勝利するのです。打ったほうがみんな負けるのです。罪なき者を打った者は、損害を弁償させられるばかりではなく、地上から消えていかなければならないのです。もし消えていかなければ、その事実を知った者が、歴史を通して消してしまうのです。すべてを知っている神様は、霊界を総動員して、そういう者をぺちゃんこにするのです。 神様の戦略戦術が分かりましたか? (はい)。ですから、神様のほうで受ける迫害は、悪いことではないのです。神様は喜んで笑っているのです。迫害した場合には、迫害した者の所有権を迫害された者に相続させる神の第二の戦略戦術なのです。これは恐ろしいことです。ですから今や、歴史において文先生は謎の男なのです。「四十年間、叩かれ続けてきたにもかかわらず、びくともしないで、いやー、世界が止めることのできない発展をしてきたのはなぜだろう」と言っているのです。これが神様の戦略戦術です。 ですから、先生に反対した場合、主体・客体の観念によって、神を主体として客体になった場合には、これを壊すことができないのです。そのことはあす、詳細に話しますが、相対になった者は宇宙力と天運が保護するようになっているので、「打て! この野郎」と迫害すれば、みんな飛んでしまうのです。迫害した者のすべては、善なる立場に立って迫害される者に相続してやらなければならないのです。これが、天の歴史的問題を整備する悪と善、悪魔と神様の公式の契約条件になっているのです。 こんなことは、誰も知らないことです。文先生は霊界のことをよく知っているので、詳細にサタンの臭い根底をすべて明らかにするのです。ですから文先生の前では、悪魔は大変恐ろしがるのです。君たちは恐ろしくないのですね。 それで、文先生は悪魔の戦略戦術と神の戦略戦術の専門家なのです。分かりましたか? (はい)。いやー、打たれても倒れないのです。考えてみてください。文先生の悪宣伝をした新聞の量はトラックで何百台分です。五十年間も反対したからです。日本でもそうでしょう、何百台分にもなるでしょう? アメリカもそうです。世界がみんな、四十年間反対して、共産党も金を使いながら、計画的に文先生撲滅運動をやってきたのです。 それを一人で受けて立って、堂々と戦って共産党を倒してしまったのです。もし「ワシントン・タイムズ」がなかったら大変でした。衛星国家を強化したのも「ワシントン・タイムズ」です。日夜休まずに、発行を続けて、共産圏のソビエトに逆の影響を与えたのも、「ワシントン・タイムズ」です。先生が、専門的な観点でコーチしたからです。本当でしょうか? 三十六か国の二十億以上の人民をリードする共産党を、文先生が一人で倒してしまったのです。そんな嘘みたいなことはあり得ないと思うのであれば、頭のさえた日本人として、そんなふうに考えるのであれば、一〇〇パーセント嘘だと決定するのも可能なことですが、今の先生の話を聞いて本当だと思いますか、そうではないと思いますか? (本当です)。 本当だと言われる者になるのは、大変なことです。一八〇度転換するということは、なかなかのことです。習慣性は修繕や修理ができないのです。酒に酔っぱらうことの好きな男は、酒屋の前を素通りすることができますか? できないのです。酒を飲む金がなければ、ワーと泣きずりながら帰っていくのであり、習慣というものは恐ろしいものです。日本人は日本人としての習慣性を持っているのです。たくあんと味噌汁、御飯と梅干しです。それらの習慣となったものは切り離すことができないのです。死んでも、そこをたどっていくのです。習慣を変えるということはいかに難しいことか、大変なことです。 そうなると、サタン世界の罪の習慣性をいかに転換させるかということは、何十倍も難しいのです。何千年の歴史において、肉身が良心を叩き潰してきたことをいかに転覆するかということだからです。ですから、日本人が味噌汁とか、たくあんとか、梅干しを思っただけでも気持ち悪いというふうになることは絶対にできません。それを消すには、大変なことなのです。それを簡単に思っていたら、大変なことです。習慣性と戦わなければなりません。よい習慣性をつくっていかなければならないのです。 それが分かったので、青少年に「悪いことをしてはならない。酒を飲んではならない。たばこを吸ってはならない」と言うのです。また「女の好きな男になってはならない」と。男は女が好きですか、男が好きですか? 誰も男は好きではないのです。エイズ病がずらりと並んでいるのです。そういう人は、間違いなくエイズ病の共同墓地に埋もれてしまう者です。共同墓地を知っていますか? 日本には共同墓地もないのですか、共同墓地が分かりますか? (はい)。墓場です。死んだら、みんな共に行く墓場を共同墓地と言うのです。韓国でも、共同墓地といったら大変です。山を占領して大変です。日本はそうでもないでしょう。みんな火葬して、骨壷に入れて、お寺に任せて、十万も、何百万も納めることができるのです。そういうふうに、みんな墓場に積んでしまうのです。 自分自身の決意がすべてを決める そのように考えた時、生死の問題、死ぬとか生きるとかいう問題も、何が正しいか何が悪いかという問題も、何を中心として決めるかというと、神様でもサタンでもないのです。すべてが自分を中心として決めるのです。分かりますか? 自分なのです。地獄の基地も自分であり、天国の基地も自分なのです。神様が「悪い」と言って、「君は、地獄に行くのだ」と案内するのではないのです。自分から行くのです。呼吸が合わないのです。分かりますか? 酒飲みの人は、酒の臭いがしただけでも酒が飲みたくなることと同じです。相対的基準の合う所を訪ねていくのです。神様が審判長として「君は、悪いから地獄へ行け」と言うのではなく、自分からその場に行くようになっているのです。 気球を浮かせても、ちゃんと平均値に留まるのです。分かりますか? (はい)。同じ水素を入れてあげても、その容量の差異によってみんな違う所に留まるのです。それと、そっくりなのです。問題は、自分が決めるようになっているのです。地獄も自分によって、天国も自分によって決めるのです。ですから、結果そのものを管理する所が、天国とか地獄とか言ってもいいのです。神様が「来い、来い」と言って、引っ張りだこにしたり、悪魔が引っ張りだこにすることはできません。自分自身の決意、人間の決意いかんによって、神様のほうか、サタンのほうかになるのです。 ですから、神様よりもサタンよりも恐ろしいものが人間なのです。なぜかというと、人間は神様も滅ぼすことができるからです。神様のほうにいた者が、あすには神様に反対して悪魔のほうに行った場合に、神様に被害を被らせることができるのです。分かりましたか? (はい)。また、サタン的立場にいた者が、一夜にして神様のほうに帰ってくれば、サタン的に自分とつないでいたすべてを全面的に破壊してしまうことになるのです。すべて自分が決めるのです。誰も決められないのです。 先生の話を聞いて、決めるか決めないかは君たちの責任です。先生は強制しないのです。しかし、理論的にはっきり分かった場合には、こっちへ行っても逃げることはできないし、あっちへ行ってもそうだし、東西南北どこへ行ってもそうだし、下へ行ってもそうなるのです。そのようなことを知った以上は、正しいことは尊重するようになっているのですから、良心が引かれてその方向に向かうようになるのも、自分の行動によってなされるのです。ですから、「良い友達を持ちなさい」と言うのです。 良い友達は、「あなたは、そこに行くのではない」と言ってくれるのです。そう言われると、行かないのです。ですから、良い友達、良い先生、良い学校、良い宗教が必要なのです。それを杖として使っても、そのことで反対する者はいないのです。それは、最も高いものに低いものをつなぐのが原理原則になっているからです。分かりましたか? (はい)。 垂直のほうへ垂直のほうへと行くのが原則なのです。反対することはできないのです。それが標準になるのです。ですから、自分が標準の基台につながるような立場に立った場合には、悪魔もそれを妨害することができないのです。神様も「やれ、やれ、やれ」と刺激し激励することができないのです。神様のほうか、悪魔のほうかは自分が決めるのです。自分の行動が、天宙分け目の戦いの終戦条約をなすかなさないかを決定するのです。ですから、自分が貴重なのです。自分の決定によって神様の王子にもなるし、自分の決定によって悪魔の王子にもなるのです。宇宙が自分自身に授けている特別権限を、むやみに使っては駄目です。 先生にしてもそうなのです。きのうきょうに、文先生になったのではないのです。昔の少年時代、十六歳の時に、天来の召命をはっきりと知ったので、その一日の決定を中心として今まで継続してきた結果、きょうの先生がいるのです。分かりましたか? (はい)。今でも、嫌だと言って周りを見ていれば、ぺちゃんこになってしまうのです。文先生がなし得たとしても、それは文先生の功労ではなく、それをつくりあげて重視した者の功労になるのです。また、それ以上に積み上げる者がいて、それを継続していって、その国に利益になるようにした場合には、国も天も許してくれるのです。しかし、もし文先生が失敗したとすれば、ここまで成し遂げてくれる人がいないのです。それを知っているので、先生は歴史に損害を残し、再び歴史の担当者をつくることをしたくないのです。この道を出発して苦労であっても生涯を終えることを決意したので、この道を離れることは絶対にないのです。 今から、統一教会の文先生の後をついて来る者は、そのような苦労の道を共に行かなければならないのです。それもいいと思いますか、悪いと思いますか? (いいです)。自分とは、そんな貴いものなのです。分かりましたか? (はい)。 神様の命令に回れ右をしてサタンのほうに回っていったとしても、神様は殺してしまうことはできないのですが、その人は神様に被害を被らせる悪辣な者になるのです。反対にサタンのほうから神様のほうに帰ってきた場合には、サタンの世界に被害を被らせるので、サタン世界では殺してしまうのです。しかし神様はそんなことはしないのです。神様は何回も機会を与えるのです。サタンは機会を与えないのです。ですから、そこに引っかかった場合には、もうおしまいです。しかし神様のほうは、何回も自由を与えてくれるのです。自分が悪かったことを悟って、それを悔い改めて戻ってくれば、いつでも歓迎するのです。少年時代、青年時代、老年時代の三時代。蘇生、長成、完成の三時代までは許容して迎えてくれるのです。 ですから、悪に頼るよりは善に頼ったほうが安全なので、親は子供に「いい子になれ、いい子になれ」と言うのです。「いい子になるには喧嘩をしなさい」とは言わないのです。「みんなのために生きる者になり、奉仕しなさい」と言うのです。「みんなのためになる、保護するようなことをしなさい」と言うのです。神様がなされていることを相対的にやれば、神様のなされた後につながるようになるので、「いい者」と言うのです。だから忍耐して、この世の中でも忍んでいく者が勝利するのです。打たれても許してあげる者が勝利するのです。忍耐が必要なのです。自分が決定するようになるからです。 神様の創造理想が地上に定着する時代 地震が問題ではありません。生きている者は行動しないといけないのです。その決定は自分にあるのです。地震が来ても、その道を行くか行かないかは自分が決めるのです。死んでいない者は地震と何の関係もないのです。 そのように、悪いことが起きた場合、その環境を収拾する者が主人になるのです。環境において、中心者になるのです。自分が決定するのです。 勉強を熱心にするのも、自分が決めるのです。怠けて大変な男になるのも、自分が決定するのです。いくら親が何と言っても、自分に頼る以外にはないのです。分かりましたか? (はい)。どんなにいい話を聞いても、自分が決定しないといけないのです。しかし、それが本当の真理だったら、東西南北、上下左右、どこへ行ってもぶつかることはないので、良心でそのように判断した場合には、それをなしていけば良心が喜ぶのです。 統一教会に来ると、良心が喜ぶことを知っているのです。自分の家にいたら、何か気持ちがよくないし、重く感じるのですが、統一教会に来ていれば身体も軽くなるのです。麦御飯を食べても、パンの耳を食べても、自分の家で御飯とともに食べる牛肉よりも消化がいいし、とてもおいしいのです。自分の家では茶碗一杯も食べなかった者も、教会に来れば三杯もお代わりをするのです。 また寝るにしても、毛布一枚に三人が寝ても、身体が軽くなるのです。短い時間寝て仕事をするにしても、身体が軽くなるのです。心が喜ぶからです。それで先生も、生涯かけて辛いことを続けてやってきても、びくともしなかったのです。過去を振り返った場合、それは大変です。一歩でも回れ右をするようになった場合、目が眠気に襲われてしまうようになり、体がだらだらして重くなり、足が動かなくなってしまうのです。しかし、神様のほうに立つと、さっさっと軽々しい身ぶりになるのです。自分自体がそれを知っているので、目が「行かない。よくない」と言っても、行かざるを得ないのです。そのような習慣をつけた場合には、天国に直行するようになるのです。ですから、その習慣性をつくるために宗教が必要になったのです。こんなことを話し始めると、また時間が長くなるのです。 兄弟関係においても、自分たちでやる時代ではないのです。文先生を中心としてやるので、「真の父母と成約時代」なのです。それで、昨年の標題が「真の父母と成約時代の安着」なのです。真の父母が安着した所は、個人的安着、家庭的安着、氏族、民族、国家、世界、天宙的安着となり、神様が地上のどこへ行っても、往来できる自由圏につなぐことができるという時代なのです。分かりますか? 君たちは、そのような霊界のことは分からないのですね。しかし、霊界を知っている人はみんな、「霊界では、文先生の後に続け!」と命令をするのです。 霊界には放送局があるのです。そのアンテナを持った者には、ちゃんと与えられるのです。「ピー、ピー、ピー」という雑音ではなく、「ピー!」と周波数が合った場合には、「今晩は文先生の深刻なる演説を聞かなければならない」と言って、すぐに飛び出してくるのです。そうして話を聞いた場合には、日本の未来が、どんどん、どんどん分かるのです。ですから、そういう面でもって、先生はたくさんの日本の女性たちに言ったのです。「日本が天的召命圏を失ってしまった場合は、日本はぺちゃんこになります。見ていなさい。地震で焼かれてしまうでしょう。太平洋にのめり込んで、姿形もなくなっていくかもしれません。何回も夢を見たし、だんだんだんだん、そういう時期が迫ってくるのです」。 それで、日本の地震の放送を聞いていて、「これで止まったらいいのに。これは余震であって、本震ではない」ということを新聞で言っているのです。そうなったら、日本はどうしますか? 神様にすがる以外にないのです。いくら頑張っても、一生涯精誠を尽くして、自分なりにつくり上げた実績の家とか、功績とか、美術品なども一晩で焼けてしまうこともあるのです。そんなことはあり得ないといくら言っても、そのあり得ないことがあり得るというのです。神様がいるのだったら、サタンの知らないことでも、何でもできないことはないのです。興廃の歴史は、そのように転覆して変わっていくのです。 そういうことを先生はよく知っているので、先生がもしその方向へ行かなかったら、すぐに先生がやられるのです。それを知っているのです。先生がやられる前に、蘇生、長成と、先生の家族がやられてしまうのです。物がやられて、それから子供たちがやられていくのです。それは蕩減原則の公式になっているのです。 それで、キリスト教の歴史で見れば、旧約聖書、新約聖書、成約聖書があるのです。それは蘇生、長成、完成であり、今は成約時代です。創造理想の完成時代なので、理想的家庭から氏族、国家を平面的に調整していかなければならないのです。このように、神様の創造理想が地上に定着する時代になってくるのです。地上に定着すると、神様の創造理想が成就するので、「地上に定着して、地上に住みたい」と言うのです。なぜかというと、相対者を生み出したからです。あなたたちもお嫁さんをもらった場合には、お嫁さんの所に行って住みたいですか、自分の会社や自分の酒場に住みたいですか? どちらですか? (お嫁さんの所です)。本当ですか? 間違いなく男ですね。男であれば、そういうふうにせざるを得ないというのです。 そうした場合に、神様が自分の何千倍以上も素晴らしい相対を願うとすれば、相対者のいる所に来て住みたいと言うのです。定住、同居、同参、共に生活したいというような地上基盤が生まれるはずになっていたのです。そうなれば、地上が理想の中心国家になるのです。それを失ったので、人間は理想世界、平和世界、統一の世界を求めてきたのですが、求めるにしても、神様を抜いては不可能なのです。統一教会もそうです。先生を抜いては、統一教会のメンバーがいくら成功しても、気持ちがよくないのです。苦労しても、先生と共にすれば価値があるし、喜びも先生と共にすれば、そこに価値があるというのです。 中心者を中心として、永遠の理想のすべての中心の本体の神様と共にいたいのは、それにつながろうとする愛の相対関係を被造物が内部に持っているからです。内部の本性に自分がつながっているので、自動的に一つになって住みたいと要望するのは、間違いのない存在の意欲であるということを否定できません。自分というものは、そんなにも貴重なものなのです。 中心者の使命とは さあ、きのうの続きを話しましょう。もう朝ですか、昼ですか? 朝でも昼でも同じことです。朝でもいいし、昼でもいいのです。十二時を過ぎて、この話を始めたのですから、朝にも通じるし、昼にも通じるのです。 さて、何を話していましたか? 注入と投入のことを話していましたね。(はい)。これは偉大なる発見です。宇宙の根底がいかなるものであったのか、誰も話したことがないのです。神様とは何なるものか? それは愛の主体であり、理想の本体であり、その内部の属性はどうなっているのか? それは誰も考えたこともないので、誰も分かりっこないのです。 総括して、宇宙の出発は何もないところからスタートしたのですから、それをなし得る存在がいたとするならば、その者は、自分への注入を考えるようでは駄目なのです。何もない所にいくら注入しても、努力しても、努力するほどに自分自体がなくなってしまうのです。そうでしょう? 運動すれば、エネルギーが消耗するのだから、だんだん小さくなってなくなってしまうのです。相対がなければ駄目です。今は、サタン的な悪い結果の相対圏があるから、そんなことも続けてやれるような基盤があるのですが、それがなかった場合には、自滅するのです。 そういう論調になるということを考えてみた場合に、神様が全能なる動機の存在としていたとするならば、その方が投入しなければ、相対圏は絶対に現れないのです。これは理論的なことです。それを否定できますか? 否定する者は、ぼんくらです。ぼんくらとは駄目な者であり、駄目な者は悪い者です。それで馬鹿は何ですか? (死ななきゃ直らない)。日本人は利口な定義をしたのです。人生の定義、宇宙的な定義の結論です。馬鹿は何ですか?(死ななきゃ直らない)。みんなは、馬鹿ではないのですね。馬鹿ではないと言う男は、女を治めることができるのです。女を包容できるのです。女の主体として、女に対して責任を持ち、女を保護し、女を発展させることができるのです。 中心者については、きのうも話しましたね。奉仕と犠牲になる者が必ず中心者になるのであり、中心者は責任を持たなければならないのです。統一教会の中心者が文先生だったら、日本滅亡の責任を日本人が持てない場合には、先生が持つのです。ですから、このような歴史にもない新しい方法で日本防備のために、中心者として責任を持つのです。保護するのです。負債で流されるような悲惨な立場の日本を、先生は保護するのです。先生との約束をなさなければ、一族が引っかかるのです。代表として立った場合には、日本の国を救うための出発基準を立てて、日本が救われるまで、それを保持していかなければならないのです。その出発点にきているのです。 ですから、あなたたちの中にも、いろんな人がたくさん来ているのです。諜報関係の者、やくざの親分、それに右翼など、いろいろな団体の長が参加しているのです。本当に危険千万なことですが、先生は防弾服も着ていないのです。それでもこのように、大衆の前に立って堂々と語っているのです。これは、大変な覚悟が必要なのです。先生はそのような覚悟のないぼんくらではありません。 先生の場合、そういう行動するには、自分の良心というものが先にぶつかるのです。それを超えて行動するのは、なかなかのことです。だから、大変な自信を持ってここに立っているのです。皆さんがたくさん集まってきたから誰が誰か分からないのですが、中心者としては、そのように責任を持って保護するために、銃弾の飛び交う先頭に立つのです。それは親の誇りでもあるのです。それから、教育するのです。先生と関係なかった以前よりも、必ず成長して帰る立場に立たせるのです。それが中心者の使命です。第一は責任を持つこと、第二は保護し、防衛すること、第三は養育することです。ですから、みんなが中心と共に連れ立っていくのです。そうでなければ、横に流れていくのです。 文先生は、そのことを日本人に教えてあげている最中なのです。ですからどんなに献金をしても、先生は一銭も手を付けないのです。全部日本のために生かすのです。誰が調べてみても、先生は言ったとおりにやっているので文句は言えないのです。それを世界的にやってきたので、もし反対すれば世界から、「日本の国は悪辣な国だ」と言われるのです。すべてが、日本のためなのです。 それが分かれば、文句は言えないのですね。日本がそのようになって、今から何年か後に「文先生はよくやった」となれば、みんな先生の前にひざまずくのです。そのことを知っているので、先生は恥じることなく堂々と、あなたたちがどんなに渋い顔をしても、いい気持ちはしなくても、未来の希望の一日を共々に喜ぶことを待ちながら耐え忍んでいるのです。そういうことが、指導者の辛いところです。だからといって、逃げては駄目です。両方共に駄目になるのです。中心者の席もなくなって、中心者の相対圏もみんな消えていった場合に、霊界で神様の前に呼ばれていった時、自分の生涯を「こういうところが失敗でありました」と、率直に報告しなければならないので、そのような辛いことがないようにと、その一日を待ちつつ、生涯をコントロールしていくのです。それは、はかりの重りをコントロールすることと同じです。 先生が霊界に行って神様の前に立って報告するとすれば、召命の使命感を抱いてからのことを、「一人ひとりにこういう影響を与えて、家庭、氏族、民族、国家、世界にも、こういう影響を与えてきました。しかし日本エバ国の先輩たちが、この基準を果たし得ないので、その者たちは中間でけ飛ばしてしまいました」と報告したいのですが、そうはいかないのです。やるべき使命を神の前に、神自体に公認されて、そうせざるを得なかったと同情されるような話を先生が報告する前に、「私はよく知っている。そのことは言わなくてもいい」と言われる、その時間を求めてこういうことをやっているのです。 その動機は、夢だに思えない遠い原因からつながっているのです。遠い原因から来ているので回る円周も大きいのです。その円周に日本はみんな包容されているのだから、原理的に自動的に、神のほうに日本の環境は消化されていくのです。いい話ですね。 宗教は民族と国家を超えていく 投入と注入が何か分かりましたね? (はい)。一生涯、君たちは何に対して投入し、注入していきますか? 親になったら子供にだけ投入しているのです。男は、旦那さんになったら奥さんだけに投入するのです。奥さんにだけ投入し、子供にだけ投入する人間が八〇パーセント、九〇パーセント以上です。ですから、そのような家庭環境だけの天国にしかならないのです。いくら拡大しようとしても、自分がなしてきた基盤の上に永遠に住まなければならないのです。それが本当だったとしたらどうしますか? 大変なことです。ですから、「国のために忠臣になれ」とか、「愛国者になれ」とか言うのです。日本人だったら、みなそう言うのですね。そうなったら、日本人の先祖と共々に、これから来る日本人と共々に、日本の国というグループの中で住むことになるのです。 日本の国というグループがあるのです。しかし膨大な天国では、日本の国なんか一粒の豆みたいなもので、問題ではないのです。そこには、無限大に近い理想の世界があるのです。分かりますか? (はい)。ですから、「宗教を信じなさい」と言うのです。宗教は国境を超えているのです。宗教は民族、国を超えているのです。そこには、世界中の人々が共に住むことができるのです。 ですから、そういうことを知っている文先生としては、どうすればいいかというと、人は個人の壁、家庭の壁と、たくさんの自分なりの天幕を張って住んでいるのですが、その周辺はどこにもつながらないのです。それで、一生涯をぐるぐる回りながら終えていくのです。無知な者は、日本の山奥で生まれて、そこでぐるぐる回りながら「日本もどうでもいい。北海道も鹿児島も関係ない」と、北海道だけで、一点のみに生きて、ぐるぐる回って死んでいくのです。それで霊界に行っても、北海道の一角で住んだ人とだけ交わっているのです。 ですから、子供を産んだとすれば、「聖人になれ。聖人を超えて神の聖子になれ」と、育てなければなりません。分かりましたか? (はい)。聖子は、「ホーリー・サン」と言うのです。そのような、神様の愛を受ける子供になった場合には、神の国の兄弟として、何一つ引っかかることはないのです。だから、そこまで行くと、天下天宙すべての天国が、その人に引っかからない解放圏となり、自由千万な世界になるのです。そういう世界を目標として、今、マラソンをしているのです。 文先生から見ると、あなたたちは、ずーっと前を高く走っているのです。君も私も同じであり、目玉もみんな同じように、男であれば、みんな裸になると同じなのに、人によってはなし得た功績によって誰も追いつけないような高い人もいるというのです。どうですか、気持ちが悪いでしょう。「そんなことを聞けば気持ちが悪い」と言う者は、嫉妬心の多い人間です。堕落の憎悪心に燃える、破壊されるような欲望の人間です。いくら嫉妬しても、それ自体ではどうすることもできないのです。霊界に行った場合、嫉妬した者は逆さになっているのです。高い基準に反対すれば、その反対で逆さになっているのです。それが地獄なのです。 では、偉大な投資の投入の王者になりたいですか、注入の王者になりたいですか? (投入です)。なぜかというと、神様の子供になりたいからです。一家の伝統は、子供が受け継ぐのです。父親のなした以上のことをなせば、その父親は喜んでその子供に相談するのです。そして、「未来を頼みます。自分のなし得なかったことを、どうか成し遂げてください」と頼むのです。そこに、希望があるのです。死ぬ前に、遺言するお父さんも、遺言を受ける子供も、あすに向かって希望の出発ができるのです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。そうですよ。ですから、責任を持った相続者は、父母より以上に投入しないといけないという結論になるのです。投入すれば、その相対として、実績が父母以上に間違いなく上がるのです。このことは、理論的に合っていますか、合っていませんか? (合っています)。 注入した後はどうしますか? もし八人の兄弟に平等に分配したとすれば、「ワー、ワー、ワー! 私が父親のすべてを相続する。私の所に持って来い、持って来い」と言って、大変な紛争の場になってしまうのです。悪魔の破壊の場になるのです。だから、投入の王者になるのですか、注入の王者になるのですか? (投入の王者です)。それをお願いしますよ。宇宙の根本がそうなっているのです。その宇宙の主人が、そういう哲学、そういう哲理を中心として出発したので、それに歩調が合わないと方向もめちゃくちゃになってしまうのです。神様がそのように行くのに、人間が違った場合には、怒ってしまうのです。ですから生涯、全部を投入して、「生命までも投入して、またよみがえった場合には、生まれてなし得なかったことを再び投入して完成していけばよい」という遺言をしていった場合には、霊界に行っても発展する道が残るのです。 もし、そういうような生涯を終えても、未来までは投入したくないという場合には、霊界ではストップです。回れ右をさせられるのです。そして、そこから後退して、下のほうに下がっていくのです。こういうことを先生は知っているので、どんな難しいことがあっても、自分の将来の道は暗闇にしたくないのです。今年は今年であり、来年とは違うのです。それで来年の元旦を迎えて、跳躍が飛躍になるのです。跳躍というのは四十五度以下であり、飛躍というのは九十度に向かって飛ぶことです。ですから先生の鉄則は、「停止、ストップすることは生きた者として恐ろしいことである」と言うのです。停止したその日から、死の境地に近づいているのです。分かりましたか? (はい)。 生きた者は伸びるように、発展するようになるのです。死んだ者は後退するのです。ですから、大きな木なんかを見た場合に、穂先から死んでいくのです。そうでしょう? 停止から後退が始まるのです。生きた者は実績を残すべきであり、後退するようなことは絶対に嫌なのです。 ですから生きた者は、毎日一つずつをプラスさせるのです。きのうよりは何か一つでもプラスさせるのです。嫌でもそれをしなければならないのです。たとえ疲れて倒れてしまっても、遺言するにしても、自分に一つを加えるために、もみ合いながらでも、それにプラスさせていくことによって、自分自身が止まったとしても、家族が発展していく時、自分も発展する家族に引きずられて、その発展の基台で死んでいけるのです。「ここまで勝利できたのは、死んでいった人のためである」と言われて、自分と関係を持って共に解放圏に立つのです。これは理論的なことです。 孝子、忠臣、聖人、聖子の道 先生は、生涯辛いことをやってきました。労働でも何でもしてきました。それを拒んだことも、嫌がったこともないのです。みんなやらなければ、人間のなし得るすべてのことを体恤しないといけないのです。体験しない者は、体恤することができません。話だけではできません。 痛哭する者には、その人の親と同じように、兄弟と同じように、痛哭する心情を持たなければならないのです。痛哭する者に見物人なんかは要りません。神様が寂しかったならば、神様と共に、その心情的体恤圏に立つのです。体恤するのです。体験ではないのです。体験して同位圏に立つのです。周波数の合うような立場に立つのです。悲しい場合には悲しい周波数に、喜ばしい場合には喜ばしい周波数に合うのです。主体でなければ相対になって、相対基準をなくした場合には主体の基準において泣くのです。その人以上に痛哭しないと、慰めることはできないのです。そのような人になれば、自分の歴史を話してくるのです。「私はこういうこと、こういうことがあったけれど、それを越えていったのです。そして一年、二年とたったら、こういう結果になりました」と。そういう人を慰めることができるのです。体験した者は体験しない者を率いて、それを発展させることができるのです。自分がやってきたことを、体験したことを話してあげるのです。 停止は恐ろしいのです。ですから統一教会の文先生は、食口たちに対して絶対に負債を負いません。いつでも一つ欠けたことをするのです。アメリカでも、ハイウエイを走る車の中では横になって眠りながら行くのですが、それは夜通し話をしたからです。それで、眠りながら走るのです。もし、夜通し話をしなかった場合に、眠りながら走ったら恥ずかしいことです。リンカーンとかリムジンに乗っても、「あー、気持ちいい」とは言わないのです。「すみません。帰る道が忙しいから、仕方がないのです。勘弁してください」という思いで、挨拶をするような考えをしているのです。 食堂なんかも、ファーストフードに行って、マクドナルドを食べるのです。マクドナルドを知っていますか? 日本語の発音で「マクドナルド」と言っても、アメリカ人は十年間聞いても分からないのです。「メックナル」と発音しなければいけないのです。日本人は「マクドナルド」ですね。(笑い)英語を話せるからといって、そのように言っても何のことか分からないのです。 それで、リンカーンとかリムジンに乗ってファーストフードに行った場合に、泥棒などが逃げる時の習慣として、よくマクドナルドで食べて行くので、みんなが先生の車をチェックするのです。たくさん、そういうチェックをされました。「誰の車ですか?」、「私の車です」。「あなたは誰ですか?」と。「世界の宗教指導者で、一番名高い人は誰か知っていますか?」「レバレンド・ムーンという人がいるけれどー」。「君の横に立っている人が、その人ですよ」と言ったら、びっくりして、「あ、あ、かしこまりました!」となるのです。(笑い) 傲慢なる者が腰をかがめて頭を下げてお詫びするような姿を見ながら、ここまで来たのです。一度も誇ったことはないのです。そういうことは、神様が一番嫌がることだからです。神様は誇ることができない方です。今まで、創造主は誇ったことがないのです。男も、女も、神様には一人もいないのです。万物の創造主なのに、自分のものがないのです。神様は人間のためにつくったのです。人間は万物の霊長であり、主人なのです。 自分の子供が貴いことを知っている親は、子供の部屋を中心として、何一つ不足なものがないようにと、貴いものばかりを買って飾ってあげたのに、その子供が死んでしまったとするならば、その部屋のものを中心として、「あー、子供のものが自分のものになって気持ちがいい」と言う親がいるでしょうか? (いません)。子供たちが愛するようにと準備していたすべてのものを、子供の代わりに毎日愛して、子供の名を呼びながら涙を流すのです。それが親の心情です。そういうことを霊界に行った子供たちが知ったとすれば、大変なことです。そのようなことを知った場合には、今まで愛してこなかったすべてのものに対して、その責任を持とうとするし、親に対しても申し訳ないと思うのです。ですから、死んだ子供の部屋も、みんななくしてしまうわけにはいかないのです。 それを破壊してしまうということは、大宇宙を破壊することになるのです。大変なことです。ですから、その主人が人間だった場合には、主人の行く所に共に従っていって、永遠に任せてしまわなければならないのです。そう考えた場合に、堕落の愛の関係で一体になったとすれば、そこに所有権が決定されるのです。それで間違いなく、人間がサタンと一緒になったので、神様はすべてをなくしてしまったのです。創造主が心身を込めて精誠を尽くしてつくったすべてのものが、涙の元になっているのです。それはもう、恨み憎むべき者なのに、神様はその者を再び求めていって、愛さなければ元に帰す道がないのです。そのように、相反する心情圏の道を逆に行かなければならない神様の心情を、誰も世の中で知る者がいないのです。もし文先生がいなかったら、大変なことです。 宗教は自分たちの利益のために、みんな信じあって働きかけているのです。宗教に世界があるかというと、今は世界がないのです。国を救済するというのは方便であって、その国の大使を動かして、自分の一宗派のために、宗派の責任者や教祖のために割いて使うのです。天の基準に従って使うべきものを割いて使った場合には、その比例に対して一家族が破滅するのです。天的圧力が加わるので、滅亡の道に追い込まれる公式になっているのです。 ですから一生涯かけても、注入者では駄目なのです。愛国者は自分一身を犠牲にするとともに、自分の親を犠牲にしても、親不孝ではないのです。親たる者は自分の子供に対して、忠臣の道を教えて率先して見せるべきです。それを見せなかった親がいくら反対しても、その反対の道に行くことによって自分自身もなくなるのです。自分の親に対して思いもよらない大逆の者となったとしても、霊界に行けば親不孝とは言わないのです。 悪い親であり伝統を示さないので、子供が親不孝な立場に立ったとしても、忠臣の道を真っすぐに守って行った場合、親や自分の妻子までも犠牲にして忠誠を尽くしたとすれば、その人を中心として一家族が褒めたたえられるのです。その時には、お母さんも、奥さんも「ありがとうございます」と言うのです。分かりますか? そうなるのです。 また、国に反逆する罪人になっても、破壊する行動をしたとしても、聖人の道に従って聖人の立場を守った場合には、一族全体を犠牲にしてきたとしても、世界を救って聖人の列に参席した場合には、世界的にたたえられる基準にその家族が立つようになり、その時は国の王様も、全国の国民も「ありがとうございます」と言うのです。たとえ売国者の立場だったとしても、聖人の道に立って使命をなし得た場合には、聖人として世界の中心に立つので、反対していた人も、国も、その人に侍らなければならないのです。父母であっても、侍らなければならないのです。 それから、聖人の次に聖子になった場合には、霊界の国にも宮中があるのです。宮中が主体であり、その客体としての国民がいるのです。二つの主体・客体の調和があるのです。ですから地上にも宮中があって、国民がいるのです。地上世界においても宮中の法、国家の法を守るように、霊界でも天国の法律、天国の宮中の法律を守るのです。四大規則を守るのです。なぜかというと、神様が 司 る地上天国、天上天国、地上宮中、天上宮中だからです。それを相続するためには、四つの方面に引っかかっては駄目です。そこに引っかかった場合には、神様の偉業を相続する道がふさがってしまうのです。ですから聖子は、四大圏のすべてを成し遂げなければならないので、いかに辛いことか苦しいことかしれません。 それをでたらめに扱った場合には、神様の偉業を相続することができないのです。(聖子は)宮中に行くにも、国に行くにも、地上に行くにも、霊界に行くにも、神様の子供、宇宙中心の神様の相対の子供として立つことができるのです。 そうなれば聖人の道を行かなくても、すべてが収まるのです。聖子になった場合には、そこには親孝行者があり、そこには忠臣があり、そこには聖人があり、そこには主人が加わっているのです。多くの国の王様がやってきて、最後にはすべてを相続するようになるので、永遠につながる歴史が成り立つのです。 それでは、どういう者になりたいですか? 親孝行者ですか、聖人ですか、聖子ですか? (聖子です)。みんな欲が深いね。みんな眠っていると思っていたのですが、このことはみんな聞いていたのですね。(笑い)それが分かりましたね。ですから国家において、国賊としての行動を取った者であっても、特別に免罪をして、あることを成せば愛国者の勲章をあげるというような約束があるのです。「国を救い、世界に通じる聖人に続く者になれば、国家の国賊であってもいい」というのです。そのように、文先生は天宙のために戦ってきたのです。世界ではないのです。 歴史上には、聖人たちがたくさんいたのです。四大聖人という人々ですが、彼らも宇宙の根本がはっきりしていなかったので、出発がはっきりしないのです。神様に対しても、はっきり分からないのです。文先生は神様がどんな方か、内的に外的にすべてのことを語っているのです。 引っ張り合う良心の力と肉身の力 神様は人間の友達になりたいのです。堕落した人間なので神様を友達にしたいと思うのですが、本当の人間であれば神様のほうから友達になってくれるのです。分かりましたか? (はい)。神様は、小便することも大便することも知らなかったのだけれど、人間に習ってするようになるのです。(笑い)そのように、人間の住む家というものは素晴らしいと言うのです。投入精神は素晴らしくないのです! (素晴らしいです)。私とは関係をつなぎたくないのです! (つなぎたいです)。絶対にそうではありません! (絶対にそうです)。本当ですか? (笑い) 親が死んだら、みんな忘れてしまいます! (忘れません)。一家が滅亡すれば、みんな売り飛ばしてしまいます! (しません)。それが一国になった場合には、寝てしまいます! (笑い)もう答えは、はっきりしているのです。一国がふっ飛んでも、世界がふっ飛んでも、最後の一つだけが残っていた場合には、天下すべての勝利の頂点に立って治めることができるのです。「完成、すべて、オーケー」と言うのです。そうなれば、聖子になりたいと思わない者はいないのですね。分かりましたか? (はい)。これはもう聞く必要もないことです。既に結論が出ているのです。 さあー、生命の分割、生命の根拠が親の愛の因縁で結ばれているのだから、そうならざるを得ないということが分かりました。そうして、良心を肉身が引っ張りだこにして、生涯をめちゃくちゃに潰してきたということも分かりました。それを治すには、原因のすべてをはっきりと知らなければなりません。なぜ肉身が良心よりも強くなったのかということです。それを知りたいですか? (はい)。 それが問題です。重要な問題です。分割の根拠が何か分かりましたか? 良心が肉身より強い立場に立つ根拠は何か分かりましたか? 愛という力が宇宙を支配するからです。男と女は、それに向けて生命をかけているのです。それがめちゃくちゃになった場合には、共に生命が消えてしまったような思いのする所に連れていかれるのです。堕落世界がそうです。本当に恋煩いという病気もあるのです。それを知っていますか? 恋煩いの病気になった場合には、その薬がないのです。それは、女の子のほうが男よりも多いのです。 男は女のことを、女は男のことを考えるのです。女には、自分のものは一つもないのです。かわいそうな女です。男たち、旦那さんたち、分かりましたか? (はい)。女はかわいそうなものです。まず、いかに女がかわいそうなものか、言ってみましょうか? 女の胸と尻は誰のものですか? (男のものです)。子供も男です。今あなたたちが言う「男」とは、旦那さんを象徴して言うのですね? (はい)。女の胸と尻は子供のためのものです。そのことを、この前、日本の女たちに聞いたのです。それを知らなかったら大変です。ですから女は、自分の体についているものは男のためのものなのです。間違いないのです。 それから、顔は誰のものですか? 自分のものと言う女はいません。男のための顔なのです。それを触ってみると、柔らかいですか、ざらざらですか? それは見なくても、男にははっきり分かるのです。男が好きになるように、仕方なくそういう顔になったのです。ですから、女は男のために生まれたことに間違いないのです。 女の顔は男のためにあるのです。そして女は、自分の顔とはまるっきり反対の髭の生えた顔が好きなのです。髭はなぜ生えたのか知っていますか? 汗が流れてきた場合に、口に入る危険性があるからです。髭が生えていれば、汗はちゃんと一直線になって落ちていくのです。みんなを保護するためです。 女は、汗を流して一日中働くことはないのです。一日中家にいて、汗をかく仕事など一生涯しなくてもいいので、髭も生えなくなったのです。髭自身からなくなったのですか、神様がそういうふうにしたからなくなったのですか? (神様です)。そうです。神様は専門家です。女の顔は男のためであり、女の垂直に下がったところのものは女のものですか、男のものですか? (男のものです)。女は何も持っていないのです。かわいそうな者です。かわいそうな思いに焦がれて、同情のあまりに保護しなければならないのが女です。そういう考えを持たなければ、現状からさかのぼる正しい道がないということを戒めておきます。女をかわいそうに思わなければならないのです。女は何も持っていません。みんな盗まれてしまうのです。 それでは、男はどうですか? 男は、女の反対に尻が小さく、肩が大きいので、力を入れて働かなければならないのです。電車などに乗っても、男は逆三角形ですが、女はその反対なのです。その反対のものを合わせれば、ちゃんと四角になるのです。これを、絶対に合わせなければならないのです。神様も計画的に、よくも設計なされました。ですから女は、何も持っていません。 奉仕のために生まれたのです。では、男性の生殖器は誰のものですか? (女のものです)。それで、男が髭を生やせば刺激的であり、一日くらい剃らなかった場合、このように女に押しつけたら、「あー、痛い」と言うのです。(笑い)本当ですか? みんな本当ですか? その刺激を女は一生忘れられないのです。それらの刺激をしのびながら、キスの力が強いので忘れていくその妙味が、愛の妙味というのです。そこに、惚れてしまうし、酔ってしまうし、のびてしまうのです。本当かどうか試してみなさい。(笑い)しかし今は、日本に逃げて帰ることはできないのです。(笑い) あすでもいいから、間違いなくそういう実験をしてみて、何かを感じた場合には、「先生の教えは面白いことに、一つでも自分たちの愛の中に残ることがある」と思えるので、こういうことを言っているのです。その時には、「文先生は駄目だ」と言いますか、「文先生ありがとう」と言いますか、どっちですか? (「ありがとう」と言います)。本当ですか? その時が来る前に、今はまだ「ありがとう」とは言いたくないのですね。どうですか? 食べてみて、おいしかった時に「ありがとう」と言うのであり、約束しただけでも「ありがとう」と言ったら、二重の「ありがとう」なのです。 皆さんは、先生の話だけ聞いても、「ありがとう」と言う自由満々な余裕のある男ですか、不余裕の男ですか? 余裕のある男になったとすれば、先生に「ありがとう」と言ってください。(ありがとうございます)。教えてあげることほど寂しいことはありません。教えて礼を言われても、何もいいことはないのです。それは仕方のないことです。それは人のためです。周辺の人々を教育するためにも、そうしなければならないという話です。ここには反対する者もいるので、「ありがとう」と言うことによって、反対する者も教育しようと、先生は面子も考えずに、そういうことを言わせたのです。悪く思わないようにしてください。(はい)。分かりましたか? (はい)。 神様の願われる宗教の使命 「投入の王者になるのですー(はい)。いやー!」、素晴らしい! そうなると、日本は韓国より偉くなります。しかし神様は、韓国とか日本とかいう名前は記憶したくないのです。神様は色を見分けられないのです。それを何と言いますか? (色盲です)。神様は色盲です。神様は黒人も、黄色人も、色の分別が分からないというのです。分かるのは愛の色だけです。神様は愛の色しか分からないのです。ですから、すべてを頼もしく、すべてを主体として思うのです。宗教の看板は覚えられなくても、宗教の目的に徹したものだけを記憶するのです。 それで、今の問題は、なぜ肉身が良心を引っ張る力のほうが強いのかということです。それは堕落する時の愛の関係によるからです。愛は強いものです。天宙を率いてまとめる力を持っているのです。真の愛の列に属しているので、愛の関係を結んだ場合、それが偽りの愛の力でも同じ作用をもたらすようになっているというのは理論的なのです。堕落した時のアダム・エバは、過ちによって呵責を受ける立場に立ったのですが、愛自体からくる心身を引きつける力は、そのままあったというのです。 ですから、それが堕落の愛であっても、堕落する時の愛の結合の力は良心の力よりも強かったというのです。それが問題です。今の堕落した人間の世界でも、恋い焦がれて結婚を決意した時に、もし両親が反対した場合には二人して鉄橋から飛び降りて死んでしまうような、死亡圏にまでも引っ張り込む力があるというのです。それを知った場合、そんな力のあることを否定することができません。 堕落する時には、父母と共に一体になる力よりも、良心基準が未熟なのです。長成期完成級の基準であり、完成に向かって発展しなければならないために、良心の力が愛の力よりも弱かったから問題なのです。もしも、その良心の力が強かったとすれば、肉身を引っ張っていって、自動的に神の方向に帰るようになっていたのです。 あなたたちの良心も、あすはもっと素晴らしいことをと願っているのですね。何か悪いことをしようとしても、夜中に誰にも知られない所で何かしようとした場合にも、良心が「この野郎、そんなことをするな!」と言うのです。しかし、「何を言っているのだ、黙れ!」と肉身が言った場合には、良心は仕方がなく泣きづりながら、引っ張られてきたということを覚えておかなければなりません。ですから、君たちの肉身が良心をずーっと泣かせてきたという事実を知ろうと考えた者は一人もいなかったのです。先生の話を聞くことによって、そのような実情をはっきりと知ることができたのです。肉身が先に強い愛の因縁を結んだので、堕落の時から弱い良心圏を引っ張りだこにしてきたということを、はっきりと分かるようになったのです。それがはっきりと分かったことによって、これからの手術も無難に堂々とやれるのです。 堕落の相反する親の愛によって、分割されたのが今の良心の基準であり、その良心ゆえに今まで永遠に歴史とともに泣きずってきたのです。愛する時の良心の基準が弱かったために、そのような運命に追われてきたということがはっきりと分かりました。 それで、いかにして良心の基準を堕落する時の愛の結束の力よりも強くさせるかというのです。それは一つの方法のみが自分を解放させ、自分を元の所に帰すことのできるのです。これが、理論的な結論です。漠然としたものではありません。良心の権限の素晴らしさと、出発から終末まで良心の権限の強さをはっきりと知れば、肉身の愛の基準は未完成の愛なので、良心完成基準の立場に立てば、その愛は良心側に立つというのです。これは理論的なことです。そういうことが、はっきりと分かりましたね。神様は、そういうことを知らないはずがないのです。 もし神様がいたとするならば、万民共々に、このような罠に引かれてみんな悲惨な地獄に行くようになっているので、それを何とか止めて天国に回そうとするのです。真の親がいたとするならば、そうせざるを得ないのです。そういう結論を出した場合に、歴史上において、神様のなされてきたすべての組織体制が、そういう基盤上になければならないという結論になりました。それが一体何かというと、それが宗教というものです。ですから、堕落しなかったならば宗教は要らないのです。 宗教は何のために生まれてきたのかというと、良心を引っ張りだこにする肉身を崩壊させ、滅亡させるために生まれてきたのです。それ以外に何の目的もありません。それをなした場合、本源の愛の世界へ自動的に帰っていくことができるのです。ですから、本源の世界が宗教によって救援されるということは、みんな嘘です! このように、宗教に反対して宗教無効を宣言するレバレンド・ムーンがいるというので、宗教界がみんな反対しているのです。 「宗教の看板をみんな下ろしてしまえ!」と言って、真の愛につないで、すべてを統合する立場に立った場合には、天国へ自動的に行くようになっているのです。肉身の力が強いので、良心圏を防備するために肉身の力を弱くしてしまえば、すべてが収まるし、すべてが天国へ行くのです。そのような目的で、神様が働きかけてきたのが宗教というものです。シャーマニズムであっても、良心に近いのが宗教なのです。それがだんだん、だんだん高等宗教を中心として、地域的にも東洋とか六大州を中心として、大衆を治めるために伝統的な内容をたどりながら、良心のほうの教育を拡大して肉身を制御しようというのが、宗教の教えであり修養の目的なのです。分かりましたか? (はい)。 ですから宗教というものは、肉身の嫌がることをさせるのです。良心の嫌がることではないのです。宗教の教えは、第一に「断食をやれ! 断食をやれ!」。肉身は「オー、絶対に嫌だ!」。「死に物狂いで、四十日やれ!」。「ウワー!」となるのです。統一教会では、六十三日間も断食した者がいます。四十日は、もう平気です。イエス様の記録を破った者もたくさんいるのです。 それで、肉身をめちゃくちゃにしているのです。死の境地をさまよっても、肉身の滅亡圏を中心として、そこに良心が乗っかって降伏させなければならない戦いをしているのです。 還故郷とお母様の勝利圏 宗教の目的と救援の目的とは何のかかわりもありません。真の愛を失ったので、偽りの愛によって偽りの生命、偽りの血統を受け継いだ本質が残っているので、いくら宗教をやっても血統転換はなされません。千年、万年、いくら誓ってやったとしても、血統が清くなって、真の血統につながる道はありません。偽りの愛によって汚されたのだから、真の愛によらなければ、これは消せません。宗教では消せないのです。 そうなると、今までの宗教はとんでもないことをやった者が教祖として、宗教指導者にもなっているのです。文先生もその一人かもしれないですね。(笑い)そうでしょうか? (違います)。今や宗教の教祖になっているし、宗教の中でも一番欲張りの宗教が統一教会なのです。すべて統一する教えをしているのです。個人統一、家族統一、民族、国家、世界、天宙、神様解放まで教えている統一教会です。それが悪いと言えば一番ですから、断食するとすれば、何万年も断食しなければならないのですね。(笑い) 神様を救済して、サタンを困らせることは断食や奉仕をすることです。サタンは傲慢という自覚をたたえて堕落しているのですから、自分を絶対に否定せず、神様の代わりに、アダム・エバの権限の愛の上に立とうというのです。そのような傲慢性を発見したのです。それがサタンの本質です。それがサタンの活動の基台であり、とどまる所の停止場です。それをいかに崩壊させるかということです。 それで、傲慢ではなく、「奉仕しなさい」と言うのです。奉仕どころではなく、「犠牲になりなさい」と言うのです。サタンに「犠牲」と言えば、逃げていかなければなりません。奉仕はできません。傲慢の親父になったのですから、まるっきり反対なのです。そればかりではないのです。最後には、「殉教しなさい、血を流しなさい」と言うのです。血を流すということは、みんな殺されてしまうことです。それを忍耐していくことによって、サタンを切ってしまうのです。血を流すことによって、血の結合による血統因縁を切り、断絶することによって、サタンは、永遠に自分の生命体に関係をもつことができなくなるのです。すべて理論的なのです。 宗教を必要としますか、必要としませんか? (必要です)。なぜですか? この肉身がでたらめにやってきたのだから、肉身を弱化させて良心圏を拡大することによって、希望の日がつながれることを神様は知っているのです。その方便の対策として、宗教を立てざるを得なかったのです。その実体として残ったものが世界的宗教なのです。宗教家自体も、それを知っていないのです。 宗教指導者が愛の涙を流しながら、「私の後に続け」と模範を示すような実体となった場合には、教祖様として最高に敬われるようになるのです。先生は、その実体を今までつくってきました。分かりましたか? (はい)。それは、宗教だけではありません。先生は科学技術でも、世界先端のものを持っているのです。だから八〇年代に、先生は世界に宣布したのです。「科学技術は万民のものであり、特殊な先進国家の管理下に置くべきではない。開放しなさい」と。それで開放しなかったら、実績をつくり、国までつくっていくのです。アメリカも、そんなことはできないのです。ヨーロッパもできないし、日本もできないのです。それができるような技術の王座を先生は占めてしまったのです。 そして、それをアジアの国々に直結しようとしたのです。韓国の政府も、今になって後悔しています。中国のように、レバレンド・ムーンを国が歓迎して、それで全国的に教育した場合には、大変です。日本もそうです。 最高の機械技術を持たなければ、科学世界の発展の母体にはなれません。それを先生はよく知っているのです。今まで迫害を受けながら、建設のために努力してきたので、世界的に文先生を知らない人はいません。文先生に任せれば、国の産業もすべて発展することができるのです。韓国は、それをめちゃくちゃにしたのです。先生が北韓から来たので、野党も与党も、「文先生に北の避難民一千万人がついた場合には、その政治的力にかなわなくなってしまう。文先生は天才的な頭をもって、理論的にも哲学、宗教を凌駕しているので、どの宗教者も、どの科学者も収拾できる力を持っている」と言うのです。 世界の学者たちが先生の後についてきているのを知っていますか? 世界の宗教家たちが集まって、宗教を一つにしようとしているのは、この先生のゆえなのです。「世界平和宗教連合」は、名ばかりではありません。今や大会などをすると、各宗派の教主たちがみんな集まってくるのですが、そこで文先生は、はじめは使いの者のようにしか思われていなかったのです。何の質問もしないし、黙っているので、私が誰か知らなかったのです。それが一年、二年とたつうちに、先生のすることが国際的であり、大会の催しの内容も世界最高の基準だし、自分たちよりも優れたことを先生が語るので、目が覚めたのです。それで、先生が隅っこにいると、若い者たちが「文先生、そんなに隅っこに行かないで、真ん中に来て中心に座ってください」と言うようになったのです。 そのようにして、九年間も続けていくことによって、五年目以降からは、その中から良心的な宗教者や最高のメンバーたちが、先生が隅っこに行っても先生の横に並ぶようになったのです。「文先生、なぜここにいますか? そんな所にいては駄目です。主人として、すべてのことをなされた、先生の成果を何年もたたずに、名もなく功労もない自分たちが受け継ぐのを恥じる良心があります」と、言ってくるのです。九年目になると、先生が中央に立たなければ、写真も撮ろうとしなくなったのです。「世界平和宗教連合」は、恐ろしい宗教紛争をして悲惨な歴史をつづってきた、その垣根をなくしてしまうのです。 投入の哲学ですべてが治まる 今や、ローマ法王庁も私たちの団体の活動を無視できないようになりました。世界各国の宗教の教主が先生に従ってくるので、プロテスタントのアメリカも、かぶとを脱いで先生に従うようになったのです。 為に生きることによって自動的に中心者になるということを、先生が奉仕して、犠牲になる者が中心になるという実験をして、成功した話をあなたたちに教えてあげているのです。このように宗教世界を治めるとすれば、一家族を治めることに問題がありますか、ありませんか? (ありません)。どんなに難しい環境であっても、このように投入の哲学一本きりですべてが治まるのです。その実績の勝利を今話してあげているのです。分かりましたか? (はい)。 そのような先生の話を聞いて、日本に帰って自分の一族を先生の言ったとおりに投入するようにした場合には、日本全体も、その相対になってしまうというのが結論です。でなければ、真理ではないのです。これは、王家を超えて世界の神様の王権までも治めるような内容だから、万宇宙も統一することができるのです。これは理論的な話です。関心がありますか、無関心ですか? (関心があります)。 そのようにして、神様のほうにプラスになるように、きょうも一日、プラスを残して成長していくのです。停止することを恐れている先生は、あなたたちのために、一つプラスしてあげたので、解放されたのです。ありがたいことです。(拍手) そこには、面子も何もないのです。神様だに、今まで面子をなくして、子供を求めて何千万年も堕落したサタン的な人間の後をついて来たのです。そのような神様を知った場合には、何が面子ですか! 真の親が何ですか! 再臨の主が何ですか! すべてに面子がないのです。ですから、正々堂々とやらなければなりません。決意しなければなりません。 おじさん、決意できましたか? (はい)。先生の弟みたいな年齢ですから、兄さんの話をよく聞いて、先生に歩調を合わせて日本に影響を及ぼすようにお願いいたします。それで、日本語で「はい、かしこまりました。長子の命令に従います」と、それをやりますね? (はい)。投入の王者について、それから、肉身が良心を引っ張りだこにしているという話が分かりましたね? (はい)。 それを克服するには、宗教に頼らざるを得ないのです。ですから、すべてを知っている先生は仕方なしに、それを整備するために統一教会をつくらざるを得なかったのです。それで統一教会がなすことは、体の撲滅運動です。気持ちがいいですか、気持ちが悪いですか? (気持ちがいいです)。それで、宗教者は出家を命令していたのに、それがなされなかったのです。独身生活を命令していたのに、それがなされなかったのです。それがなされていた場合には、それをなして完成していた場合には、すべてが反対の方向に行かなければならないのです。それが帰還郷なのです。韓国でも、「統一教会は国に帰れ、故郷に帰れ、還故郷しなさい」と言うのです。還故郷と帰還郷は同じです。 第二次大戦の後に、英米仏連合国が先生を歓迎して、王様として侍らなければならないのが神のみ旨だったのです。もし、そのようになっていたならば、先生の能力でもって世界を統合していたことでしょう。十億のクリスチャンを前に、法律、憲法を制定した場合には、今の氏族メシヤは、一部落に何十ダースもできていたのです。何年も何か月もかからないのです。七年間で世界を統一して、先生が四十歳で万国の王としての資格を持って堂々と君臨していたならば、こんなにめちゃくちゃな、かわいそうな世界にはならなかったのです。くたびれてしまったような人々を集めて、日本のメンバーを教育しなければならない、かわいそうな姿です。 英米仏がみな神のみ旨に背いたので、サタンがみんな上を取ってしまったのです。アダム家庭どころではありません。神がなし得た世界統合の基盤をみんなキリスト教文化圏に任せてきたのですが、キリスト教が文先生に反対したのだから、サタンが乗り出してきたのです。サタン圏に追い出されて、共産党と一体になって、文先生打倒の運動をするというのですから、これはおかしな話です。無神論者と有神論のキリスト教が一つになって文先生を打倒しようとしたのです。サタンの誘いで、そうなったのです。 それで、日本でもキリスト教の立場を利用しながら、牧師が統一教会員を拉致するようになったのです。共産党の名前を持った牧師が、文先生の弟子たちを乗っ取る拉致の王者になっているのです。日本は責任を果たさなければなりません。負債が残った場合には、それを決済しないと日本全体が巻き込まれていくのです。日本の負債を解放しなければなりません。そうしなければ、世界のエバ圏がサタンの罠にはまってしまうのです。 エバ国家なのに、アダムの旦那さんを拒むなど、神様の目から見た場合に、日本はかわいがられる何ものも持っていないのです。ですから、あなたたちをこのように教育して、結束して主体を早く立てて、日本全国に影響を及ぼして、再創造するために投入できる中心性が立った場合には、日本も滅びないということが分かっているので、こういうことをやっているのです。女性十六万人、男性三十二万人、五十万人を教育して、五年以内に二千万人以上の信仰者を立てるのです。それで、日本を正しく引っ張っていってあげるのです。統一教会の人々は、一〇〇〇人を引っ張っていく力があるのです。先生の話を聞けば、恐ろしい話ですか、希望があふれる話ですか? (希望があふれる話です)。 先生は命懸けでやっているのです。この首を何回も絞首台にかけるような覚悟をしてやってきました。しかし完全に奉仕した者は神様のものだから、それを取っていくことはできないのです。その境地になった場合には、神様は何段階も飛躍させて、次元の高い立場に立たせるのです。ですから、迫害されて先生が刑務所に入っても、出てきた場合には大きく飛躍するのです。 先生は、アメリカのダンベリーの刑務所に入ってから七年目に、全世界に向けて「真の父母勝利」を宣布し、「真の父母と成約時代」を発布しました。十二の重要都市を中心として勝利したのです。どこに行っても「万歳」と、みんなが立って敬礼する立場に立ったのです。それをお母様が見て、「自分もやれるような気がします」と乗り気になったので、先生は、「お母さん、あなたもやればできます。やればやれそうです」と、十二か都市を中心として、お母様にバトンタッチしたのです。それで、お母様の基台として、先生が七十五歳まで立てた実績を一年半以内で完全に伝授してあげました。 記録をつくるメンバーは素晴らしい それで、次は「世界平和青年連合」です。ブリッジポート大学の有名な神学者の総長が青年連合の共同会長として、お母様と共に立ったのですが、ブリッジポートの総長よりも、お母様のほうが有名なのです。なぜかというと、先生がすべて創設してきたので、お母様をたたえることは先生をたたえることだから、みんなお母様が中心の責任者だと思うのです。 今度も、韓国に帰って一か月の間に、地方の代議士や代表的議員たちを一七〇〇の面まで、日本でいう村までの組織をつくったのです。今では一〇〇〇名ずつが集まって、その下の組織をつくっているのです。これを整理して、四十一万の班にした場合には、そこに四千万人がみんな包容されるようになるのです。それができれば、いかなる政党もかなわないのです。 それで、今は大変です。女性連合のしっぽに、青年連合のしっぽに、政治家たちがくっついてきて、気違いみたいになっているのです。競争で、夜昼訪問して「助けてください」と言って来ているのです。それは、今までたくさん助けてやってあげたのに、選挙に当選すると逃げていった者たちです。今は、そんな者たちを助ける時代ではないのです。また国も、そういう反逆的なことばかりをしてきたのです。よい国家をつくるどころか、その反対の国家をつくる者たちに援助するようなことはできません。統一教会の修練を受けて、統一教会を名乗ってやれば崩壊する国家を防備する道はあるのですが、それ以外には何もないというのです。ですから、みんな統一教会の修練を受けなければなりません。 アメリカもそうです。「ワシントン・タイムズ」を中心として、大統領になろうとする者たちがみんな「ワシントン・タイムズ」を握れば間違いなく大統領になれるという、国家的な基盤をつくっているのです。ですから、「真の父母の日」を慶祝する国家的祝日もつくりました。七十四日間で完全に上院、下院満場一致で決議し、十日のうちに大統領のサインを得て、万国に発表して歴史的な記録をつくりました。 文先生は、記録を破らないと気が済まないのです。本当です。このことは記録ですか、不記録ですか? (記録です)。記録をつくるメンバーは素晴らしいですか、素晴らしくないですか? (素晴らしいです)。素晴らしい者の顔を見た場合に、眠気を持つような顔では駄目です。(笑い)絶対に死んでも、そういうことをやらないようになるのが、素晴らしい者たちの姿勢です。 先生は、明後日に韓国をたってアメリカへ行き、二十三日は四〇〇〇名の日本の最高の女性とアメリカの最高の女性たちの姉妹協定に出なければならないのです。そのような文先生だということを知っていますか? (はい)。その会場に参席するのは、アメリカの一番大きい教団である南部の聖霊教会とバプテストのリーダーです。これは南北戦争を起こした魁首です。白人絶対主義の「KKK」を組織して、それに反対する者は殺してしまうようなこともするのです。宗教家でそんなことをするので、先生とはまるっきり反対なのです。そういうリーダーなのですが、その下には十三万人もの牧師たちがいるのです。一回に五〇〇名だったら、四〇〇〇名まで、八回するのです。「八回とも責任もって激励の演説をするように」と、呼びかけたのです。分かりましたか? (はい)。それで、世界がいくら大きいといっても、先生の活動舞台内に引っかかっているということに間違いないのです。 もし素晴らしい日本の心を持った者がいたとするならば、「世界最上級の舞台で花を咲かせる道がいくらでもなきにしもあらず」という、結論を出しても恥ずかしくない男がここに立っているのです。それを信じますか、信じませんか? (信じます!)。 ゴルバチョフ元大統領も漢南洞の公館に訪ねてきて、先生と二時間四十分会談をして兄弟結縁を結びました。先生のほうが年寄りで、彼は六十三歳です。先生のほうが十三歳も年上ですから、「先生が兄さんで、あなたは弟になりますが、どんなことを言っても聞きますか?」「はい、かしこまりました」と、彼は文先生の弟になりました。 また、金日成主席は先生より七歳半年上だから、兄さんとして約束しました。彼はいつも傲慢な男で、写真を撮るにしても「私が先頭だ」と胸を張って、どんな各国の首脳であっても、手を握って撮ったものはないのです。それで先生は、金日成主席の手を握って写真を撮ったのです。先生のほうが力も強いし、背も高いのです。 日本でも、お母様が国会で講演をするなどとは、日本人の誰一人も考えたことがないのです。それで、お母様は講演をやりましたか、やりませんでしたか? (なされました)。それが事実です。事実なのですね? (はい)。 あなたたちは、「ワシントン・タイムズ」の記録映画を見ましたか? 有名な人々が、「ワシントン・タイムズ」がナンバーワンだと唱えているのです。それは、先生が金を上げて言わせたと思いますか、彼らが願って、そういうことを言ったと思いますか? どう思いますか。みんなが、文先生は金持ちだから、金をやって言わせたと言っているのですが、そうではありません。 ニカラグアなども、もし先生がいなかったなら、めちゃくちゃになっているのです。アメリカの政府は、国会でもって援助を放棄したのです。それは、共産党の宣伝工作やデモ行進によってです。ニカラグアの自由戦士を支援する力がないなど、そんな馬鹿なことはありません。アメリカは自由の世界的な先頭国家であり、その独立のための戦争において、フランスの兵隊が援助したから勝ったのではありません。自由の旗手として、神がアメリカを独立国家として立てたのに、そういう自由が制圧されて、ニカラグアが共産党にやられていくのをそのまま見ているようでは、アメリカの根幹が揺らいでしまうのです。「アメリカの国会が実施しなければ、我々がする!」と、宣言したのが、この文先生です。そして、先頭を切って、一番に援助したのです。 もしもメキシコが赤化された場合、数千マイルの砂漠の境界線を防備するためには、ベトナムと韓国の兵を撤収して、第七艦隊、太平洋艦隊を回さなければならなくなるのです。そういうことを知っているので、先生は断固としてやってきたのです。また、ニカラグアに先生の銅像を立てるという噂もありますが、そんなことを先生は願いません。先生は、そのようなことをやってきたのです。君たちが夢にも思わないことばかりです。そのような先生に対して、反対し続けてきたというのは無礼千万です。先生に反対してきた者たちに、あすは日本に帰るのだから警告しておきます。「また、帰って反対しますか、反対しないですか?」。反対する者は率直に、先生の前で手を挙げてください。それを決めて帰らないと、話にもなりません。 文先生は一人で、数千人の日本の男たちを前にして堂々と肚のあることを言って、男らしいですか、女らしいですか? (男らしいです)。男らしい気持ちを持ったその者を、自分の子供に伝統として相続してあげたいと思うならば、文先生の「そんなことはしないですか?」という質問に対して「はい」と言うべきが、男として当然です。それで「さようなら」と言って、どこへでも行っていいことになるのです。しかし「さようなら」と言っても、万歳をしていかなければならないのです。 さあ、反対する者がいますか、いないですか? (いません)。みんな反対しないのですね? (はい)。反対する者は「反対する」と言ってください。黙っていて、日本に帰って口を横にしたならば、裂いてしまってもいいですか? みんな同窓生として、そんな者がいた場合には放っておかないで、正してやるのが正義を持った男の行くべき道です。後ろのほうの人も分かりましたか? (はい)。 あなたたちは神様の実体の延長体である さあ、いよいよ結論にしましょう。今、何時ですか? 十一時五分だから、十二時までは話を終えないといけないのです。男は、なぜ生まれたのかということが分かりましたね、神様がいるということも分かりましたね? (はい)。一つになれば分からないということを知ったことによって、神様が一番近い所にいたことを知らずにいた自分であったことが分かりましたね? (はい)。だから釈迦牟尼は、「天上天下唯我独尊」と言ったのです。自分の中にすべてがあるというのです。神様が自分の中にいるというのです。先生が「神様! 神様!」と言うと、「なぜそんなに騒ぐのか? あなた自身がよく知っているように、あなたの一番近い所に私はいるではないか」と応えられるのです。 良心を見ることはできないのです。生命も、愛も、みんな見えないので、「愛もない、生命もない、血統もない、良心もない」と言えば、みんな埃だかりになって、ぶっかけてくることでしょう。しかし見たこともないし、触ったこともないのですが、間違いなくあるということを知っているのです。神様も同じです。自分の一番近い所にいるので、近くて見えないのです。 あなたたちが子供のころ、鼻をこすって、(先生がしぐさされる)こういうふうにして舐めたことがあるでしょう。しょっぱかったですか、甘かったですか? (笑い)みんながしょっぱいと言うのですから、舐めたのですね。(笑い)しかし、なぜ汚くないかというと、一つになっているからです。自分の唾が、自分の痰が汚いですか? 唾も自分のものは飲み込むのです。もし他人に飲み込ませるとすれば、大変です。(笑い)痰なんかを飲み込ませるのは、死んでもできないことなのです。なぜ自分のものが汚くないかというと、一つになっているからです。心臓の鼓動が聞こえないのも、感じないのも一つになっているからです。 それはなぜかというと、愛を愛ならしめるため、生命を生命ならしめるため、良心を良心ならしめるため、血統を血統ならしめるためです。もしも、自分が愛を五〇パーセント持っていたとして、相対者の愛が一〇〇パーセントだとすれば、それを差し引いた五〇パーセントの愛の刺激を受けるとき、主体なる人も客体なる人も、みんなめちゃくちゃになるのです。落胆して、「何だ、愛の刺激とはこんなものか」となるからです。 ですから愛を愛たらしめるために、分からないように零以下の立場に立って、一二〇パーセント以上の愛の刺激を受けることにより細胞が爆発するようになるのです。目が動くようになり、真剣な目になるのです。そういう喜びを欲する作用を愛というのです。五感を一挙に激動させる力を持っているのです。男と女、女と男、神様の世界まで分かりましたね? (はい)。 このように見た場合に、人間の価値はみんな平等であるということが分かるのです。みんな欲望は平等なのです。もし、アダムの家庭と君たちの家庭が堕落しなかった場合には、その価値からして、同じ価値を持つべきですか、異なる価値を持つべきですか? (同じ価値です)。なぜですか? アダムの家庭は人類の祖先として、たった一つの家庭の種なのです。その種を植えることによって、たくさんの家庭が生まれてくるのです。分かりますか? 何十年、何百年たっても、その木が生きていれば、その木によってたくさんの実が生まれてくるのです。一個から、数千万個になっていくのです。数千万個のうちの一個と元のアダム家庭の一個は、価値がイコールです。それを植えれば、間違いなく一つの芽が生えてきて、同じような木になるし、同じような実を結ぶし、同じ価値を持つのです。 そうなれば、同じ価値だから、アダム・エバが神様の実体であれば、あなたたちは神様の実体の延長体になるのです。同じ価値なのです。アダムの結婚式が神様の結婚式だとすれば、同じ価値を持ったあなたたちの結婚式も、まさしく神様の結婚式にならざるを得ないという結論になるのです。そうでしょう? 気持ちが悪いですか、気持ちがいいですか? (いいです)。悪いと言う者は、口が裂けてしまうのです。一生懸命に、未来の希望の価値観を公認して伝授してあげようというのに、気持ちが悪いと言う者は、口が裂けてしまっても可なりです。悪いこともあるかもしれないのです。いいことばかりではないのです。分かりましたか? (はい)。 文先生を夜でも、昼でも許容しますか? (はい)。四季を超えて、年を超えて、生涯を超えて許容しますか? (はい)。これが真理であれば、許容しないといけないのです。 そのように見た場合に、アダム家庭は二人きりだったのです。あなたたちも結婚式は二人きりですか、三人ですか? (二人です)。では永遠に二人きりで、その価値は異なりますか、同じですか? (同じです)。中身が腐って、その皮が崩れている場合には大変なことになります。「この野郎! この馬鹿野郎!」となるのです。価値は、永遠に同じでなければならないのです。 神様は知恵の王者です。神様は一人の男と一人の女、一夫一婦をつくったのです。ですから、もしつくられたものが、その公式から外れた場合には不合格品になるのです。間違いなく、地獄の納入品になるのです。それを弁明する道はありません。「そうではない」と言う者がいた場合には、今から正してもいいのです。分かりましたか? 何も弁護はないのです。神様を凌駕するような論法はないのです。 絶対なる知識の王様の神様は、一人の男と一人の女をつくったのであり、絶対なるその愛によって、女と男は一つになるのです。凹凸二つが別々ではなく、絶対に一つ、ぴったりと一体になることによって、ぴったりと合わさることによって、一体という感覚が生まれてくるのです。 いくら偉そうな顔していても、渋い顔していても、それには異論がないのです。「もし私が、ああいう内容を発見していたら、文先生より以上にやれるのに、文先生は韓国人として生まれたのだから、日本人として生まれた私より悪いではないか」と、同情しなくてもいいのです。日本を頼りにはしていないのです。先生は、もう引っ張りだこです。 それで仕方なしに、一人の男に絶対二人の女が必要だという結論を出すことができますか、できませんか? できないのです。なぜかというと、神様がいられるので、もしそれをやった場合には地獄のどん底に落とされてしまうのです。いくら威張っても、逆さまになってしまうのです。逆さまに植えられて、生き残る木はないのです。人間がそうなった場合には、ぺちゃんこになり、どうにも仕方のない者になって消えていってしまうのです。 あなたたちは結婚する時、六千万の一人として結婚しましたね。女も日本人の六千万分の一人として結婚したのですね。それは正しいですか、間違っていますか? (間違っています)。間違っているのです。間違っていると言っているのに、何が正しいですか? 間違っているのです。駄目ですよ。駄目です。人間の欲望は、自分が一番になりたいと言うのです。ですから、結婚するにしても二番になりたいでしょうか、一番になりたいでしょうか? (一番です)。 それから神様みたいに、一番の思いをしたいですか、ぺちゃんこの思いをしたいですか? (一番の思いです)。神様は結婚する時、最高の頂上で結ぶことを考えるのです。すべて最高なのです。富士山も問題ないし、エベレスト山も問題ないのです。いかなるものであっても最高の立場で、最高の愛を結びたいのです。そう思いますか? (はい)。しかし、それを結んだとしても、そこで住むのではなく、地上に垂直に下ろして、そこに世界を代表した、歴史を代表した中心までもがとどまって住みたいと思うのです。何の話か分かりますか? (はい)。 真の父母を迎えて血統転換がなされる 人間の欲望は、誰もがそのように願うのです。最高になりたいのです。結婚も最高に、神様みたいな立場で結婚したいのです。神様みたいに五十億の過去、現在、未来の歴史を代表した中心の家庭として出発したいのです。それをしたくないと言う者は、死んでしまわなければなりません。そのような人は、価値も何もあったものではないのです。 同じように、結婚は歴史始まって以来、万民すべてを総合した男の代表と女の代表が一つになるという式を挙げなければならないのです。価値からいって同じものであるとすれば、アダム家庭が天下最高の歴史の中心の立場で愛を結んで定着する原則になっていたならば、その子女たる者の結婚は、それ以上の立場を願う人類五十億の代表なのです。霊界と未来全体を代表した人類の祖先と、後孫すべてを合わせた最高の位置に立った男として、最高の女と結婚するという観念を持たなければならないのです。そういうことを考えたことがありますか? 考えたことのない人は、ぺちゃんこです。くだらない一人の女のために生命をかけて死ぬという、そういうようなくだらない者は駄目です。 今からどんなに遅くなっても、過去の歴史をみんな乗り越えて、本来の徹底した人格としての権威ある男と女の立場をもとがえさなければならないのです。それを失ってしまったのだから、探してこなければならないのです。それが、きょうの話の題目です。 ですから、そういう権威ある男として決めた一言は、万の金銀よりも重いのです。天下が崩れても、約束をなしていくことによって、男も女も神様の愛する子女になり得るというのです。それを認めますか、認めないですか? (認めます)。これは大変なことだから認めると言う者は、手を挙げてください。(はい)。そのごとくに、今からでも、そういうような思いを持って過去の自分の一身を分析し、批判して悔い改めなければなりません。 そのような基準に到達しない者は、半品者です。そういう半品者は日本列島を踏みにじってしまうようになるのです。どちらが讒訴するのですか、どちらが訴えるのですか? そういう思いを持つような男になったとすれば、そのような男は滅びると思いますか、神様のほうに近づいていくと思いますか? (神様のほうです)。間違いないですね。分かりましたか? (はい)。 あさっては、日本に帰るのですか? (はい)。あさってになって帰った時に、日本の男として、一家の主人として、先生の教えとその標準圏に一致するように努力しますか、しませんか? (します)。 大変な覚悟が必要です。この先生の話は本当でしょうか、でたらめでしょうか? どうですか? (本当です)。そうなれば、心の欲望も大変なことです。「自分の権限は、永遠の愛を保持する男として、堂々たる者として、堂々たる一家、一国、世界を超えて、神様の前に堂々と、神様の願ったとおりの子女の愛の相対圏に立つのであり、天宙解放圏は自分よりなされる」と言っても、恥ずかしくないようになりました。人間として、それ以上の権限を得ることができるとなった場合には、間違いなく行動も問題ありません。分かりましたか? (はい)。 宗教は何のために生まれたのかと言うとき、「神様はいない」ということは言えないのです。しかし、宗教の教えだけを信じて救援されると思ってはなりません。血統転換をして接ぎ木されないといけないのです。宗教では、それができないのです。真の父母を迎えることによって、血統転換がなされるのです。真の父母と絶対信仰、絶対心情、一体圏を結ぶのです。それは、アダム・エバが堕落で失ってしまったものです。アダムとエバは子供として、絶対父母として神様に侍らなかったから堕落したのです。真の父母の願い、神様の命令に絶対信仰、絶対心情で一体となっていけば、自動的に神の国に入るようになっていたのです。 そうなれば、血統を添えて神の家族に愛される子女として恥ずかしくないのです。堂々と神によって、天国は自分の家族の延長だから、無難に何の妨害もなく入れるようになるというのが理論的な結論です。分かりましたか? (はい)。みんなが「はい」と言う顔を見れば、かわいそうな子供みたいな思いがするのです。真の父母が絶対必要ですか? (必要です)。 それで、真の父母の前では結婚せずに、サタンの前で結婚して、神様の結婚式をみんな放棄してしまって一家族で反対に回って堕落したのですから、一家族そろって結婚式をして、新たに方向転換して、真の父母、真の縦的お父さんの所に帰る方向に、再び行動しなければ国に帰ることができません。ですから、統一教会では独身生活をしたあとで祝福を受けるというのです。宗教圏の献身した者をすべて解放してあげて、元の原型の家庭理想圏に帰るために、このような転換の作業として結婚をしなければならないという結論になりました。 重生するための産苦の基準 今までほかで結婚していた者は手を挙げてください。統一教会で祝福を受けた者は手を挙げてください。大半ですね。みんな統一教会のメンバーですね。でたらめな者はいないのですね。あなたは夫婦喧嘩をするのですか、しないのですか? 「しません」と言う者は、何にもならないのです。大変です。この原則にみんな落第して、梯子から滑り落ちるようになっているのです。大変なことです。警告します。 今までに、喧嘩をしたとしても、先生は認めません。真の父母が解放してあげますから、今後は絶対に、そんなことがないと決意して、なし得た場合には許されるのです。しかし許されたとしても、再びそういうことになった場合には、それは二倍に倍加して罪が重なり、重罪になって地獄に逆に落ちてしまうのです。恐ろしいことです。 喧嘩をしますか、しませんか? (しません)。喧嘩をすれば、神様が直ちに風呂敷につつんで離別するのです。平和の王様は神様であり、喧嘩の王様はサタンです。サタンの彷徨する門前に、神様は恥ずかしい姿を見せることはできないので、先に福を下げて後退してしまうのです。自分の一家に永住したい神様の天宙の理想の福を、すべて追い出すような馬鹿者になってはならないということを警告します。分かりましたか? (はい)。喧嘩を絶対しないと決意した者は手を挙げてください。(はい)。 いろんなことが分かりました。宗教も分かりました。ですから、救援は真の父母と一つになって、血統転換をして、絶対夫婦一体になった家族とならなければ、天国には入れません。天国は一人では入れないのです。今までの人々は、霊界でみんなばらばらに分かれてしまうのです。 霊界に行って、自分の名前のボタンを押すと、何十年、何百年前の先祖が、みんないっぺんに現れるのです。霊界は、時空を超越するので、何千年前の人でも、一つの圏内に入るのです。すべてが明らかになるのです。それは、恐ろしいことです。 そのようなコンピュータが、地上に降臨するようになったのです。相対的にコンピュータとして現れるのです。分かりますか? (はい)。スペースシャトルの時代になっていくのです。人工衛星で宇宙旅行をするようになったのは、生きた体で死んだ世界を操作する時代になったということです。分かりますか? (はい)。霊界すべてが分かるようになるのです。そういう時代が相対的に現れなければ、神様の理想世界を相対の人間世界に生みつけることができないから、一方は滅ぶのです。 世俗の世界はフリーセックスで、みんな神様の理想とはめちゃくちゃに反対なのです。それが、男同士で結婚するホモセクシアルであり、女同士のレスビアンです。それに麻薬や酒です。酒を飲みますか? 酒の好きな男は手を挙げてみなさい。手を挙げたくても、文先生が恐ろしいので挙げられないのでしょうから、それは勘弁してあげます。酒を好きでない者として認めてあげるのです。しかし、そのように認められた者がまた酒を飲んだら、それは嘘つきだから、倍の罪悪が加わるのです。神様の計算は間違いがないのです。人間の計算には間違いもあるのですが、神様の計算はコンピュータつきなので間違いがないのです。一点一画、容赦がないということです。 それで、みんな中心性がないのです。この世的に、個人の中心性は何かと言った時、全部が真の自分を失っているからめちゃくちゃです。どこに行くのか分からないのです。家族も分からないし、妻も分からないし、子供も分からないのです。親族も分からないし、日本の国も分からないし、世界も分からないし、天宙自体も分からないのです。神様だけが分かっているのです。神様と文先生しか分からないのです。 ですから文先生を中心として見た時に、個人の中心性がはっきりしてくるのです。神様を知った基準に相対的な立場だから、家族はこうなるべきだと、はっきりしているのです。氏族はこうならなければならないし、自分のものは家族のものであり、家族のものは氏族のもの、氏族のものは民族のもの、民族のものは国家のもの、国家のものは世界のもの、世界のものは天宙のもの、天宙のものは神様のもの、神様のものは私のものとなるのです。 しかし共産党のやり方は、「私のものは私のもの。君のものも私のもの」。それでおしまいです。離別以外に何もないのです。これらをみんな包容包括して、一つの理想圏につないで、出発点と終わりを縄で結びつけるチェーンになるのです。神様は、真の父母と一体となった者が、たとえいかなることになったとしても、真の愛で一つになった以上は切ることができません。 そうなれば、自分に貴重なものが何か、みんな分かりましたね。失ったすべてが分かったのです。では、個人の中心は何によってなされるかというと、家庭の中心は何によってなされるのかというと、国家、世界の中心は何によってなされるかというと、真の父母の真の愛によって、絶対なる神の真の愛、絶対権限の愛と一つになった真の父の愛を中心として心身統一、夫婦統一、子女統一でなされるのです。そういう家族でもって新しく転換していった場合に、その数が増えれば、氏族動員、氏族復帰は当然であり、民族数を増やせば、民族復帰はすぐになります。国家復帰の数を増やして、世界復帰の数を増やせば、天宙になるのです。この数を神様が願っていたのですから、神様に帰るのです。 神様は愛の根っこなので、愛の穂先と一つになれば、天宙のすべてがその圏内に包容されて、神の所有圏に立つようになるのです。それは神様のものだから愛によって一つになれば、愛の環境の理想郷になるのです。 そのように展開して、霊界に行けば愛の呼吸をしなければならないのです。霊界は、愛の呼吸で生命を維持する所です。お母さんの胎中にいた時には、水の中なので、口とか、鼻とか、五官は一つも使えないのです。それらは、胎中では必要ないのです。胎中で水が鼻に入った場合には、「うーん」となって、死んでしまうのです。目玉も必要ないし、耳も必要ないし、口も必要ないし、手も必要ないし、五官のすべてが停止して、胎中で呼吸して生きているのです。そのような水の中で必要のないものも、すべて準備されているのですが、それは、第二の世界に対する準備であるということを誰も知らなかったのです。 それらは、水の中で使うものではないのです。第二世界として生まれた地上において使うものなのです。お母さんの胎中のパイプを切ってしまって、子供が泣き始める時から、転換するのです。ですから、お母さんの産苦は大変なものです。産苦というのは、産まれる時の痛みです。参考書の参考ではないのです。お母さんの産苦は大変なのです。分かりますか? (はい)。 お母さんの産苦も大変だけれども、その骨盤を開く力はいかに大変なことでしょうか? ですから、真ん丸な頭が夏のかぼちゃみたいに長くなって出てくるのです。それは大変です、もう圧縮されて、骨の根っこまでもが縮まるようにならないと産まれてこれないのです。 産苦のお母さんも大変だけれど、お母さんの産苦よりも子供が何倍もの苦しみを経ながら生まれてくるということを考えていた女性は一人もいないのです。もしも、それを知っていたとすれば、お母さんの愛情でもって子供を心配する思いで、自分の痛さも忘れて子供を産むような道もなきにしもあるという結論になるのです。それを自分の奥さんに教えてあげなさい。「文先生がこういうことをおっしゃいました」と。みんな、圧縮、圧縮です。縮小、縮小です。最高に縮小して、地上に産まれてくるのです。それ以上に縮小できないほどの極限で産まれてくるのです。理解できますか? それで産まれた場合には、今まで圧縮されていたので、「ああ!」と空気を呼吸することによって、新しい世の中が始まるのです。苦痛の絶頂を越えることで解放の生命圏に入るのです。堕落して再び生まれる重生のことを言っているのです。再び生まれるのには、逆のほうに入って生まれなければならないのです。新しい生命をつなぐには、お母さんの産苦を通過する子供より以上に忍んでいかなければならないという基準が分かるようになりました。 以前の世界では目も鼻も、空気も吸わないで待っていた子供が、目も開くし、鼻も開くし、手が動くようになって、新しい世界の新しい人間として、神様の相対物として生まれてくるのです。しかし、見えない神様の相対には絶対になれないので、どんなことをしても神様の国に帰っていかなければならないのです。神様から出発したのだから、元の種の根源に帰っていかなければならない道が、死して帰る道なのです。それを韓国語では、「帰る」という言葉で語っているのです。お父さんが亡くなったということを、「帰っていきました」と言うのです。 動物、植物、すべてを見ても、実のないものはないのです。昆虫も飛ばないものはいないのです。三段階生活の幼虫時代、さなぎ時代、成虫時代があるのです。人間も万物の霊長として、三段階の生涯を終えるのですが、それは動物も昆虫もやっていることです。万物の霊長の人間が、三段階理想の生活圏を持てないということは理論的にも通じません。ですから、後世があると言うのです。見えない貴い世界を見える世界につながなければならないということです。 ですから、霊界に行くということは、霊界は愛の呼吸の世界なので、胎中で地上の空気を吸う準備をするのと同じように、この世界にいても、愛の空気を吸うにふさわしい器官を霊人体において備えなければならないのです。そうするには、天地創造のお父様と同じように投入しては忘れ、投入しては忘れることによって、愛の細胞として愛の世界に同化し、神様の相対物としての細胞に変わっていくようになるのです。 そのように、愛の要素を重ねて、第二世界の準備をしなければなりません。霊人体の五感を愛の世界にふさわしく、呼吸して活動できるような準備を、この期間に、水中時代に地上生活の準備をしたことと同じように、この地上で天上生活の準備を、自分の内的な完全完成をなして準備しておかなければ、次の世界においては駄目になってしまうのです。目玉が怪我したり、塞がったりして大変です。窒息して大変なことになるのです。 そのことをよく知っている神様は、そのように環境をもとがえしてあげるために、宗教を通してメシヤを送られるのです。メシヤの最高の理想は、真の父と母を中心として、人類を再び生み直して、本然の世界の霊的基準まで完成させてあげ、絶対解放の王子、王女として、神様と共に生きるようにしたいということです。これが神様の願いなのです。その過程で、その処置の方法として、蕩減の法則という苦しい道をたどってきたのですが、皮を脱がなければ蛇も大きくなれないのと同様に、人類の罪の皮を脱いできたのが宗教の道だったのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.07.05
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「真の自分を探しましょう」1995年1月17日 韓国・水沢里中央研修院 三十二万人修練会の開始にあたって 「こんばんは!」(こんばんは!)。これで三回目ですね。この修練会は三回で終わりです。三十二万人修練会開始の三回目が終わるということです。これから日本で三十二万人の教育をするということは大変なことです。三十二万人を教育するということは、三十二万世帯に十六万を足して四十八万です。日本の統一教会は五十万以上の世帯でしょう。それで一世帯が四人とすれば、いくらですか? 四掛ける五は二十で、二〇〇万です。その二〇〇万を二〇〇〇万にするのです。二年でやるのです。問題ありません。そうなれば、日本は世界の関心の国になるでしょう。悪い意味においてではなく良い意味において、関心の的になるのです。 今の日本は、経済的な復興において世界の関心事になっているけれど、そのような経済にのみ関心を持つ日本に対して、経済動物というあだ名がついているのです。それは何の意味かというと、動物は親子関係を知らないのです。親が食べているものを引っ張り合って、子供が取って食べるというのが動物的なやり方なのです。世界は、日本をそう見ているのです。初めて会ったのにこんなことを言って、すみませんね。男たちはみんな気持ちのいい顔をしていないのですが、それは先生が気持ちが悪くなるような話をしているからですね。なぜこういう話をするかというと、これは文先生との戦争なのです。誰が勝つかということです。みんながそうなのです。 前回は、三八〇〇名の人々が集まりましたが、この中にもいろんな人がいるでしょう。自分だけが偉そうにして日本中を、いろんな問題で駆け回ってきた人もいるでしょうし、いろんな名門の家の出身もいるでしょう。それから、国家の重要な職にいて、自分なりに国家の重鎮だと思う人もいるでしょう。あるいは学者など、いろんなタイプの人々が一億二千万の日本人全体を代表して集まったのですね。 では、集まった者がみんな文先生を歓迎するのでしょうか? 歓迎するために来たのではないのですね。統一教会は良くないという噂があり、また「一九九三年の八月までには、日本列島の統一教会を撲滅する」という宣言も受けてきました。そのことは知っていますね。そのような言論界のまっただ中において、文先生はそれをきれいに収めてしまいました。 先生の奥さんを中心として、日本全国に新しい風を吹き入れたのです。それは、経済的問題でもなく、政治的問題、あるいは外交的問題でもなく、思想的問題においてです。思想でも最高の思想です。神様を中心としての思想によってです。人間を中心としての思想ではなく、神様を中心とした思想を発表することによって、全日本の若者たち、特に女性たちが興奮のあまりに、お母様をたたえて、「世界的な希望です」と、みんなが集まって歓迎したのです。 それは、日本の地において良いことでしょうか、悪いことでしょうか? どう思いますか? ある統一教会のメンバーは、「良いことです」と言いますが、また「悪いことです」と言う者もいるのです。二流があるのです。日本に二流があってはいけないのです。一流だけです。どんな団体も、二流があったら争いが絶えないのです。そういう意味で、この聴衆すべてが二流の立場に立っているのです。一流は反対する者であり、一流は歓迎する者たちです。 もともと歓迎する者も、みんな文先生に対して歓迎する者は一匹もいないのです。公的な大衆の前で、一匹という言葉を使うのは失礼であることはよく分かっていますが、そんな者はいないから、一匹もいないから怒ることもないのです。また悪い相対もいないから、何を言われても失礼ではないのです。 みんな、そういう者たちでも、先生の話を聞くことによって、だんだんだん色を染められていくのです。そして統一流の色になってしまうのです。それも日本人ばかりではなく、統一流の色は全世界、人種を超えて、一八二か国以上の人々がみんな文先生に影響されて、色を染められたのです。白というか、黒というか、赤というか。しかし反対する者は、「黒は黒で、赤は赤で、白は白でいいだろう」と言っているのです。 そういう意味において、文先生という男は世界的にも有名なのです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。そんなに渋い顔をしないでください。(笑い)みんな、悪いほうにおいて有名ですか、良いほうにおいて有名ですか? (良いほうです)。いやー、そうではないのです。率直に言わないといけないのです。(笑い)率直は正義に通じるのです。 それで、世界中において、レバレンド・ムーンという名前を知らない者はいないのです。おなかの中であすの誕生を願う者までも、「いやー、外で騒がれているレバレンド・ムーンという人に、早く生まれて会いたい。その話を聞きたい」と、飛び出してくるようなことも起きるのです。まあ、そんなことはなかなかないだろうけれどもね。(笑い)分かりましたか? (はい)。 迫害されるこの道 まあ、どうであれ、嫌でも何でも、歓迎する者は今からでも、文先生のやることに対して関心を持たざるを得ないのです。反対する者もそうです。あまりにも反対してきたので、「あの人が亡くなれば無事通過できるのに、成功したら大変だ」と関心を持たざるを得ないのです。そうなっているのです。良い者も関心を持つし、悪い者も関心を持つのです。みんな、そういう現状なのです。ここに集まっている聴衆も例外ではないと思いますが、どうですか? (そうです)。 修練は厳しいほど素晴らしいのです。修練させる者が強く強固なほど結果がいいのです。それを否定する者はいないのです。ですから、この修練の中心者として立っている者は、顔がどうであれ、過去がどうであれ、先生として立った場合には、問われたら答えられなければなりません。どうですか? (はい)。気持ちが悪いでしょう? 気持ちが悪いように言っているのです。 最初から、多くの人々の前で、こんな無礼なことを言う人は世の中にいないはずなのに、なぜ、こんなことを言うのでしょうか? ここには、感化されるために来た者はいないのです。最初からそんな人はいないのです。「反対して、何とか文先生をやっつけて帰るのだ」と思って、その肚をもって来ているのです。それで、そういう決意を固めて来ているのですから、その決心が「ムー」と落ちて固まるように刺激するのが、今の先生の言葉なのです。(笑い)本当なのです。それで文先生に会って目を合わせた場合には、「ワー、ブレーン・ウォッシュされる」と思うのです。だから目を合わせないように注意しなさい。(笑い)本当です。世界でも、日本でも、そんな話をあなたたちも聞いたのでしょう? 先生が知っている以上に、日本では聞いていると思います。なぜかというと、日本の言論界がたくさん嘘を言っているので、先生の知らないことまで聞いているはずです。その中で、どちらが正しいか悪いか、それを見分ける力がなく、ただ丸のみにしているので、おなかの中で下痢しやすいのだということを忘れてはなりません。分かりましたか? (はい)。気をつけて、洗脳されないようにお願いいたします。(笑い) まあ、そういうことで、戦えと言ったのですから、一騎打ちの戦いをするのです。共に背後を名乗って、「自分は、何々の地に住む、何々県の何々である」と名乗ってやるべきです。それと同じように、今あなたたちに名乗っているのが文先生なのです。どうぞ、負けないようにお願いいたします。分かりましたか? (はい)。分かれば、気持ちがいいでしょう。(はい)。 あの光(注・ビデオ撮影用の照明)があるので、向こう(修練会場の前方)はいつも暗いし、後ろは明るいので、先生はこっちに来るのです。本当に、聴衆の中で一番後ろに座る者で良い人はいないのです。(笑い)本当のことです。どうもすみません。みんなは、そうでもないのですね。全体の中で自分は最高の位置にある者だと思ってプライドを持っている者にも、先生が無礼なことを言うので迫害されるのです。黙っていれば、迫害されないのです。 アメリカに行っても、「このアメリカの白人は、泥棒たちだ! レバレンド・ムーンは、そういう者を放っておかない。この者たち!」と、け飛ばすのです。アメリカ式の言葉を借りれば、「インディアンは病気で死んだ」ですって、そんな馬鹿なことがありますか! 何千、何万年の歴史を経て生き残ってきた原住民なのに、四〇〇年以内にみんな亡くなったのが病気のせいだと言うのですか! そんな馬鹿なことはありません。自分たちが殺しておいて、そういう弁解は通じません。そのようにぶっかけるのです。 そうなると、アメリカ人たちは気持ちが良いですか、悪いですか、どうですか? 「日本は侵略国家である。歴史が証明しているので間違いない」と言ったら、気持ちが良いですか、悪いですか? (悪いです)。侵略国家でなかったとしても、そんなことを言われると気持ちが悪いですね。隠しておきたいことを明らかに公開されると気持ちが悪いのです。 (先生が)そんなことを言うので騒がれるのです。分かりましたか? 騒がれる理由が分かりましたね。知られないようにすればいいのに、こんなことを言って、自分個人に何の利益になるのでしょうか? 迫害ばかりを受けて、どこに行っても「ワー、ワー」追い出されて問題になったのです。日本でも相当、文先生のことを、「ワー、ワー」言ったのでしょう。電車の広告も、「文鮮明のやつ」という言葉から始まるのです。「ワー、文鮮明みたいなやつは、やくざよりも悪い!!」と。(笑い)「極端な一匹狼が包丁で人を刺し殺すけれど、そういう者よりも悪いやつだ!」と豪語しているのです。そういう実物に、みんなは会っているのです。 日本がどんな悪いことをしたのかというと、たくさんの秘密を重ねているので、「そうではない」ということは言えないのです。本当だからです。それが少したつと「文鮮明のやつ」がなくなってしまったのです。「文鮮明は悪い!」と言う日本人が変わっていくのでしょうか、文先生が変わっていくのでしょうか? 文先生は初めから少しも、何一つ変わっていません。なぜ変わったりするのですか? それでは、どちらが悪いですか? 変わる者が悪いですか、自分で下がったり上がったりして変わる者が悪いですか? どちらが悪いですか? 聞かなくてもみんな分かることですね。日本人はみな利口者ばかりです。 それで、アメリカ人は何を言っているのかというのです。「この者め! コロンブスがアメリカを発見してから、もう五〇〇年たったと言うのですか。この者め! 原住民は人ではないと言うのですか。この者め!」。破船して生命を助けてもらった者が、救ってくれた者を迫害するなどと馬鹿なことです。気持ちの悪いことばかりをしているから腹が立つのです。分かりましたか? (はい)。日本でも、そうですよ。 統一教会の理論は完全に正しい 先生にはそういう経歴があるので、威張らないで正直に分別して、正義をわきまえて、変わるか変わらないかを、自分なりに決めなければならないのです。普通は宣伝するものです。宣伝する時、困った場合は嘘も言うのです。分かりましたか? (はい)。先生は率直です。 「コロンブスがアメリカ大陸を発見した」と。そんな馬鹿なことはありません。「キリスト教を中心として、アメリカは世界指導者、第一番だ!」と。何を言っているのですか! 世界キリスト教の最高指導者のチャンピオンは文先生です。(拍手)ですから、神学者や有名な牧師は、みんな嫌がらせをするのです。みんなそうです。有名人も、先生に一回も会ってもみないで、そんなことをするのです。君たちは田舎っぽいので何にも知らないのですが、一九七九年に七十三か国の世界的大神学者を中心として、「統一教会の理論は完全に正しい!」と決定を下したのです。そんなことも知らないのですね。 先生はあまり率直なことを言うので、そのために悪く思われるのです。あなたたちもそうでしょう? みんな知っているのです。一回で、それをやめればいいのに、二回も三回も、その部落に行って、また他の部落にも行って、どこに行ってもやるので、気持ちが悪くなるのです。どんどん、どんどん、気持ちが悪くなるのです。そして国を動かして、「文鮮明を追い出せ!」「レバレンド・ムーン、ゴーホーム!」ということになるのです。それは、我々の生活途上に見られることです。黙っていれば迫害されないのです。 もし、初めて会う皆さんに対して失礼だということも分からないで語っているとすれば、それは馬鹿か阿呆です。馬鹿は何にならなければならないのですか? 日本語で何ですか? (死ななきゃ直らない!)。ああ、そうですか。そう習いましたか? ありがとうございます。(笑い) 正義を正義として認めない者は、馬鹿か不馬鹿か、無馬鹿か非馬鹿です。単語を見いだすのは大変です。今から先生の話は、「不」だったら「反」と覚えてください。無馬鹿、非馬鹿、有馬鹿です。有馬鹿はそのままで、馬鹿は死ななきゃ直らないと言うのです。そう気持ちを悪くしないでください。相撲を取って勝敗を決めてから、気持ちが悪いか、気持ちが良いかとなるのです。 それなのに、その途上で「私がチャンピオンだ! 天下の何人も私に勝つ者はいない」と、ワー、ワー騒いでいても、小さい者にやられて恥ずかしそうに壇を下りるということは、面子どころではありません。死ぬよりも辛いことなのです。それに驚かないでください。帰る日になって、気持ちを悪くして帰るか、気持ち良くなって帰るかです。帰る時に、「永遠に再び振り返って見たくもない」と思うようになるかです。振り返りつつ、「再び来たい」と思うことがなきにしもあるということになるのです。分かりましたか? (はい)。 おじいさん、そんなにみっともない顔をしないでください。年を取ったお父さん! (笑い)もう随分親しくなりましたね? (はい)。たくさんの壁がめちゃくちゃに、みんな倒れたので、「いやー、何かありそうだ。今まで悪く思っていたのだが、何かありそうだ。いやー、(先生の)言うこと聞けば、無関心では駄目だ。有関心にならなければならない」と、思いつつあるのが間違いない事実です。そうですか? (はい)。「ハイ、ノー、ハイ、ノー、ハイ?」。「ノー」と言うのは英語で何か分かりますね? 「ハイ」の反対は「ノー」です。「ハイ、ノー、ハイ?」。どちらですか? (ハイ)。ありがとうございます。 真剣でもって真剣に生きる これで、随分と近くなりましたね。言葉というものは、有能です。泣いている者も慰めて笑わせることができるし、笑っている者も泣かせることができるし、死のうとする者も生かすことができるのです。また、生きようとする者を殺すこともできるのです。立派な内容を語れば、立派な人を生きかえらせることができるのです。何で笑うのですか? (笑い)若い者がそんなに笑っていたら、相対者がいなくなります。笑うのにも正式に、さーっと、ウィンクとともに調子を合わせて笑うのです。(笑い)運命が良いか悪いか分からなくても、もう会ったのですから、挨拶はしなくても今ここに立った人が文鮮明という男です。 ここに集まった者は、日本では有名な青年ですか、壮年ですか、老年ですか? それが分からなければ、大衆を指導するにも中心を定めて話しかけなければならないので、失礼であっても皆さんが何歳か調べてみたいのです。いいですか? (はい)。 二十五歳以下は手を挙げてください。(はい)。まあ、きっぱりしてるね。三十五歳から二十五歳まで?(はい)。うーん、統一教会は未来があるね。こんなに青年が多いからです。本当ですか? 青年はその国の未来を表徴するものです。日本は統一教会の滅亡を願っているのに、日本の中の若者たちが統一教会に集まってくるので、「日本の将来は大変です、文鮮明先生の将来は素晴らしく大変です」と言うのです。では、下ろしてください。四十五歳から三十五歳? (はい)。これは、半分もいないね。五十五歳から四十五歳? (はい)。まあ、これはさらに半分もいないね。六十五歳から五十五歳? (はい)。これは、もう姿も形も見えないね。大変なことです。もう六十五歳以上は、先生も要らなくなるのです。(笑い)七十五歳から六十五歳? (はい)。もう、何人もいないじゃないですか。(笑い)それでは七十五歳以上? (はい)。一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ。(八人です)。九人(先生を加えて)です。(笑い) これは、かわいそうじゃないですか。四〇〇〇名近い者のうちで、一番年長メンバーの八人に加えられることは寂しいことです。寂しいことを超えて失望的です。あなたたちもそうでしょう。八十歳代の男に頼るような人がいますか、いませんか? 率直に、自分の知っているとおりに答えてください。八十歳代のおじいさんに希望があり、未来があり、何か模範的なことがあると思いますか、思いませんか? はっきりと言わなければ分からないのです。「せん」か、「す」か? はっきりしてください。せん? す? (せん!)。 はい、ありがとうございます。 もう、先生は要らなくなったのだから、帰ります。(笑い)いらないと言ったでしょう。(先生は青年です)。気持ちは青年だけどね。(拍手)今まで青年になろうとして、一生懸命に運動をやってきたから、さーっとやれば、みんなこのようにくっつくのです。(先生が足を上げて額にくっつける)運動をしているので、相撲を取っても三分の二は転がしてしまうのです。(笑い)本当です。革命家は健康でなければなりません。牢屋にとじ込められても、一週間や四十日の断食をしても生き残れるような準備をしなければ、世界的革命はなせません。 先生は牢屋に引っ張りだこにされたのです。ですから、何回入獄したことになりますか? (六回です)。そのような者が世界をなぜこのように、かき回してしまったんだろうかと、世界で有名にならざるを得ないのです。悪いほうか、良いほうか分からないけれどね。しかし、先生を牢屋に入れた国も、人も、みなぺちゃんこになるのです。みんなそうです。先生を打って勝った者は見たことがありません。その証拠がたくさんあるのです。 先生の生涯の歴史を知れば大変ですが、そんなことを紹介する時間はないのです。これから膨大な内容を二日間で、十三時間か、十二時間圏内で教えなければならないのです。ですから、「真剣」という日本の素晴らしい言葉のように、真剣でもって真剣に生きることです。真剣なる将来を真剣にもらうのです。日本ではみな、真剣を喜ぶのですね。分かりましたか? (はい)。 気を引き締めて、約束してくれますか?(はい)。この二日間は、君たちの耳と目は自分たちのものではなく、文先生のものとするようにしてください。(はい)。先生に貸してください。必ず返しますから。それで、もし悪い耳であっても、悪い目であっても、返す時にはぴかぴかにしてあげます。「いやー、こんな耳、こんな目であったとは知らなかった」と、感謝するようになるかもしれないので、先生に貸してください。それを約束しますか? (はい)。では、先生は、見ていないから手を挙げてください。(はい)。下ろしてください。みんな自分で約束したのですね。先生は見なかったのですが、ちゃんと神様が知っているから、その約束を破らないようにお願いいたします。(はい)。もう気持ちよくなりましたか? (はい)。 忠臣の伝統精神とは では今から、そろそろ本題に入りましょう。本題では難しい言葉を聞かなければならないのです。初めて聞く言葉をよく吟味しながら、自分と何のかかわりがあるかどうか、それを肯定するか、否認するかを決定するのは、皆さんなのです。自分たちでするのです。強制はしません。文先生が決めたことよりも、自分たちが決めたほうが良かったとすれば、それを自分の生命とともに誓って、生涯の梯子として渡れるようになることを先生は望むだけです。 それでは、題目を決めましょうか? (はい)。東洋で一番喧嘩の好きなのが日本人です。チャンバラをやるのは日本人でしょう? (笑い)何が悪いのですか? それは別に悪いことではありません。そうでしょう? だから、喧嘩の好きな日本人に対して、何を話したらいいかということです。(笑い) では、題目を書きます。大きく書かないと見えないから、仕方がないのです。(先生が板書される。最後に「!」を三つ付ける)これ(!!!)は蘇生、長成、完成です。この題目は何ですか? (「真の自分を探しましょう」)。「真の目分を探しましょう」ではありませんよ。(笑い)そんなことでは駄目です。「目分」ではありません。真の何ですか? (自分を探しましょう!)。こんなことを言うので、初めから「文先生はろくな者ではない、真ではない」と公認して、駄目な者として扱ったので、ああいう表題を掲げてしまったと不満に思ってもいいのです。 この話は、真の自分をどこかで失ってしまったということです。今の自分は真ではないのです。それは、もうはっきりしているのです。それを知りたいですか、知りたくないですか? (知りたいです)。知って何をするのですか? (真の自分を探します)。世界を占領するのですか? (笑い)それは馬鹿です。そんな者がいれば、教えると大変なことになるのです。だから大変問題なのです。勝つのがいいですか、負けるのがいいですか? (勝つのがいいです)。悪い立場に立っても勝つのがいいですか? (良い立場です)。良い立場にいても、自分が良いと承認された立場に立っていることも知らないのですから問題です。真剣なことです。 向こう(前方)へ行ったり来たりするのも大変です。(笑い)七十五メートルはあるのです。何時間も行ったり来たりすることは大変です。君たちも座っていて大変だと思うのに、先生は立ったままで何の利益になるのですか。先生に授業料を出しているのですか? 献金するのは、日本救済のためです。先生は見たこともなければ、タッチすることもできないのです。なぜ献金するのかということが分かった場合には、「あー、ちょっと安くしてもらったらよかった」と、そんなことは言えません。忠臣の伝統精神は、すべてを献げて、一身を献げて残った骨も献げていくのが、本当の忠臣精神です。駆け回って、駆け回って、かき集めて献げるのが本当の忠臣です。先生はそう思います。その理論が最も高くて、最も貴いと思います。 さあ今から、あなたたちの中で立派な人になりたくない者は手を挙げてみなさい。(笑い)本当に立派な人になれる道があった場合には、死に物狂いで熱心になりますか、不熱心になりますか? (熱心になります)。みんな同じです。同じです。過去、現在、未来、人間たるものは同じ答えをするのです。だから、いい方法があった場合には、それで統一することができるのです。 それで最も、天上の神様もいいと言うものがあった場合には、地上の過去、現在、未来を超えて、最もいいということが分かった場合には、その両方の天地を代表した最もいいものを中心として、天と地を統一することができるのです。違いますか、合っていると思いますか? (合っていると思います)。合うと思いますか、合ったと思いますか? (合ったと思います)。合うと思うのは永遠につながるのであり、合ったと思うのは結末です。今、すべてを片付けてしまったことになるのです。 それで、一つになる群れを教える所が統一教会です。赤も白もです。赤にしたければ赤にするし、白にしたければ白にするのです。赤白にしたければ赤白にするのです。そんな話はないことです。赤が男で白が女だとすれば、女を赤にして男を白に変えることができれば、赤も白も一つにすることができるのです。それは悪いことですか、良いですか? (良いことです)。それは、良いことになるのです。赤でも白でも一つになれば、それは赤よりも優るし、白よりも優るからです。そうでしょう? 二つが一つになった場合には、自分の主張した以上に、白の最高も赤の最高も、それらが一つになって、もっと喜ぶのですから、すべてが昇華して統一されてしまうのです。そういう理論になるのです。 ですから統一教会には黒人も、黄色人も、白人もいるのです。みんな黒は無視するのですが、黄色人も黒人になってみなさい。白人も黒人になって統一するのです。それで、どこかで統一するのですが、一番下で統一するのがいいですか、上に登って統一するのがいいですか? (上です)。どっちが易しいですか、どっちが難しいですか? (上です)。上に上がるのは難しいのです。だから、下がるのが大切です。文先生のそういう理論の結果、下に下がって統一するのが一番いいので、黒人、黄色人、白人と言うのです。これは失礼ですか? 百礼ですか? (笑い) では、みんな立派な人になりたいのですね? (はい)。立派な人になるには、みんなを多くに分割して、ばらばらにさせるのがいいですか、ばらばらのものを一つにさせるのがいいですか? (一つにさせるほうです)。分かっているのですね。(笑い)今晩、これをばらばらにしましょうか、このばらばらな者を嫌でも、け飛ばしてでも一つにしましょうか? (一つにするほうです)。け飛ばしてでもですか? (一つにするほうです)。け飛ばしたとしても、永遠に一つになって、死んでも離れないように一つになるとすれば、それは、け飛ばして一つにしてもいいことになるのです。け飛ばさないで、そのまま置いて一つになれば、もっといいことなのです。 さあ、「一つになりましょう」という表題に決まりました。それに反対する者は手を挙げてください、手を挙げてください? 誰もいないですね。一つになる、そういう意味において統一教会を歓迎しますか、不歓迎しますか? (歓迎します)。よく話も聞かないのにですか? (笑い) 聖子の行く道 それで、この問題に入る時「この者め! 文先生のやつは自分の息子をみんな誘って、だまして大変なことやらせて、親不孝者にさせた」「私の娘もそうだ! 娘盗みの泥棒だ。私の奥さん盗みの泥棒だ!」と、あなたたちの奥さんも統一教会に入ったので、泣きずった男もたくさん来ていると思います。殺すこともできないし、てんぷらにして食べることもできないのです。(笑い)すき焼きにして食べることもできないし、煮ても焼いても困ってしまうという話なのです。大変なことです。 昔は、絶対に旦那さんの話を聞いたのに、統一教会に入って水一杯でも飲んでしまえば、みんな聞かなくなるというのです。父母もそうです。統一教会に入ってしまうと、今までは自分の子供たちを愛していたのに、そのお父さんお母さんが変わってしまうというのです。「子供よりも国を愛するのだ!」となるのです。気違いになったとしても程度があるのです。それも、国はさておいて「国どころではなく、世界を愛するのだ! アメリカを救うのだ!」となるし、「五十年前の怨讐の日本の国を救おう」と言うのだから、反対せざるを得ないのです。そうなると、子供の主張することも悪いと言えないのです。「自分の一家のために親孝行する以上に、世界のために生きるのが忠臣の行くべき道である」というのです。 聖人の行く道は世界のためです。世界のために生き死んでいった者が聖人になるのです。天地のために、地上天国、天上天国の建設の勇士として神の命令に従って、それをなし得て成功した者を、神様の何と言うのですか? (聖子です)。聖子と言うのです。聖子、ホーリー・サンと言うのです。聖子とは、天と地と神と永遠の歴史のために生きようとする人です。そのような人が聖子の列に就くのです。 あなたたちは、自分の子供をどういう子供に育てたいですか? 親孝行者ですか、忠臣の愛国者ですか?、どっちですか? (愛国者です)。親孝行者です! 君たちは間違っています。忠臣になるとすれば、親を捨て、妻を捨て、子供を捨て、一家族を捨てるばかりではなく、滅亡させていくのです。どのようなことがあっても、その道を行った場合には、本当の忠臣になるのです。忠臣の王様になるのです。どうですか? そこの眼鏡のおじさん、本当ですか? 文先生の言うことは本当ですか? (そのとおりです)。そうですか、ありがとうございます。 それでは、忠臣を願いますか、聖人を願いますか、どうですか? (聖人です)。聖人になるには、自分の国まで犠牲にして、世界を救おうとする道を行かなければ聖人の列に同参することができないのです。文先生の話は間違っていますか、間違っていないですか? (間違っていません)。いつも間違ったことを言うといって、文先生は迫害されているのですが、この世の中は良い世の中ですか、悪い世の中ですか? (悪い世の中です)。本当ですか? そうだとすれば文先生一人が良くて、世界が悪いという結論になるので、問題になるのです。 悪なる世界は、良い者が反対の立場に立って悪なる世界を砕いて消化しようとするので、悪なる者としては真正面から反対するのです。一八〇度違うのです。ですから悪なる世界においては、聖子になると言う者の、一国を尊重する者の過去、現在、未来、永遠の世界まで救おうとして生死をかけたその心には、反対するというのです。どうですか? そうではないと言う人はいないでしょう? (はい)。 そんな者のことを馬鹿と言うのです。馬鹿は何ですか? (死ななきゃ直らない)。(笑い)もし死ななかったならば、どのようにしなければならないのですか。それは無用の者です。寄生虫です。負債して損害を天地に残す者は、どこに行っても歓迎されないのです。たとえ死んでも、歓迎する村もなければ、個人もないし、国もなければ世界もないです。無効なる者として、真ん丸になって消えていくのです。 それで、文先生が「日本列島を超えて、地上天国、天上天国をつくって神様の聖子になれ」と教えたとすれば、その者は悪い者になるのですね? (いいえ)。本当ですか? 先生は、みんな世界中が「悪い、悪い」と言うので、先生も悪い人間だと思ってきたのですが、あなたたちが「本当はそうではない」と言うので、今晩から改めて覚醒して、ありがたくあなたたちの言葉を信じて、今から堂々と逆に攻めなければならないと思いました。(拍手) 悪い世界の中の日本の国 では、皆さんの結論を聞きましょう。先生は、この世界は良い世界、善なる世界だと思っていたのですが、君たちはどういう世界だと思いますか? (悪い世界です)。反対ですね。文先生は「良い世界だ」と言うのに、あなたたちは「悪い世界だ」と言うのです。だから、文先生がナンバーワンの悪者になったというのです。そうでしょう。それは間違っていますか、そうですか? (そうです)。そうなのです。ですから、反対に立つ者は、先生を悪く思うのです。 文先生が、神様のほうの善なる代表の立場に立ったとするならば、悪の世界は全部歓迎しますか、反対しますか? (反対します)。間違いなく反対するのです。そう考えれば、問題は大変です。先生は一生涯かけて迫害を受けながらも、一回も後退するような考えを持ったことがないのです。牢屋に引っ張られていっても、そこで正義の牢屋の記録を刻み込むことを考えるのです。それは悪い男ですか、良い男ですか? (良い男です)。 先生は今晩、悪い男として結論するのです。そうすると君たちは、「そうなったら困ります」と言いますか? (はい)。おじさんたちは、「そうしたら困ります。先生、そうしないでください」。「そのままでいてください」。どちらを取りますか? すました顔をした偉そうな方たち、どうですか? (笑い)笑わないでください。同じ年代で先生の弟みたいな年齢だから、「この者」と言っても失礼ではないのですね。(笑い)男として何が失礼ですか? 風呂に入って体を触ったとしても、笑いながらそれを許すのが男同士のきまりではないでしょうか。(笑い) 面白い先生ですか? (はい)。面白いですか? (はい)。君たちが面白かったら、文先生は面黒(おもくろ)いということを考えなければならないのです。(笑い)みんな反対する者たちを面白くさせるのは大変なことです。(笑い)これまで、いかに辛いことがあっただろうかと同情してあげなければなりません。流してしまってはいけないということを忠告しておきます。心に止めておきますか、流してしまいますか? (心に止めておきます)。本当ですか? (はい)。 この世の中は誰に聞いても、「悪い世の中だ」と言うのです。先生が世界中を回ってみて、どこへ行っても、小学生に聞いても、「みんな悪い世界だ」と言うのです。老若男女を問わず、みんなが言っているのです。悪い世界なのです。その悪い世界の中にある日本の国は良い国ですか、悪い国ですか? (悪い国です)。何ですか! その目玉はなぜ下がるのですか? 純日本人であれば、「悪い」と言ったならば「ブー!」と、ぶっかけてくるのです。日本刀を引き抜いて、一騎打ちをやるような気概を持って、「そんなこと言ったら駄目ではないか!」と言っても、仕方がないのです。世界がそうなっているから、みんなもそうなっているのです。世界が悪いから、世界の中の日本の国も、「悪くない」と言ったら、それは、ぼんくらです。馬鹿です。馬鹿は死ななきゃ直らないのですね。いくら気持ち悪くても、我慢しないといけないのです。分かりましたか? (はい)。良いことがあるかもしれないので、我慢して待っていてください。(はい)。 日本が悪いとすれば、日本が悪かった場合には、日本人はどうですか? (悪いです)。悪いのです。それで、日本人が悪かったら自分はどうですか? (悪いです)。(笑い)みんなの考えは、自分をさておいて、他が悪いと言うから、駄目なのです。これが問題です。「自分は良いのに、日本が悪い、周辺が悪い、父親が悪い、兄弟が悪い、先生が悪い」と言うのですが、共に悪いことを忘れているのです。それを忘れているのです。自分と毎日関係圏でもってつながっているのに、その関係圏を無視するような立場に立っているということを自覚したことがありますか、ないですか? (ないです)。それがないので、本当の自分を失ったということになるのです。 世界は悪いけれども、自分がもっと悪いとすれば、悪い世界から同情されますか、排斥されますか? (同情されます)。はっきり答えてください! 夜だからといって、ぼやけていたら駄目です。大きな世界の全部が悪い。その中で誰よりも一番悪い王様が自分だと考えてみた場合に、周辺の悪い者が、国の悪い者が、世界の悪い者が同情するでしょうか?「この世の馬鹿」と言うべきでしょうか? (同情します)。そのように同情させるのです。いやー、えらいことが起きましたね。間違いなく、良心があった場合には同情せざるを得ないのです。 そうだとしても、それはさておいて、世界はなぜ悪いのですか? 君、答えてください。(自分です)。自分が悪いのですか? 今、自分と世界を聞いているのです。世界が悪いために、引き続いて自分も悪いようになったのだから、世界という頭から自分というしっぽが生まれてきたので、頭を解決することによってしっぽも収拾できるのです。世界がなぜ悪いのですか? はっきり言ってください? (金儲けに走っているからです)。金儲けが悪いと先生は言っていません。(笑い)神様の子供が一番困っている時に、金儲けをして助けてあげることは悪くないのです。(堕落の血統だからです)。堕落といっても、見たこともないのです。そんなことを誰に聞くのですか? それが信じられるのですか? そうはいかないのです。理論的に通じないといけないのです。なぜ悪いのですか? (……さまざまに答える)まあ、個人主義も、何々主義もいいけれど、個人主義も、全体主義もみんな争い戦うのです。 世界を見ると、世界史は戦いの歴史の記録です。そうですか、そうではないですか? (そうです)。すべての国が、韓国も日本も例外ではないのです。歴史はみんな戦いと争いの記録です。日本の新聞なんかも、大事件はみんな記載するのですが、それは、すべてがぶつかり合いの記録、戦争の記録なのです。あなたたちも毎日、それを見て驚いて、逃げたりしているのです。だから恐怖圏に包囲されているのです。これをいかに脱出するかというのです。分かりましたか? (はい)。 そうだとすれば、世界も自分もなぜ悪いのかというのです。これが問題です。あなたも禿頭になるほどたくさんの子供や妻を愛し、金を儲けることに苦労してきたのでしょう。そんなこともなければ、なぜ禿げるようになりますか? (笑い)みんな自分自身を中心として考えるようになるからです。 心身紛争する自分 さあ、世界が戦い、歴史が戦い、今も日本も戦っているのです。紛争しているのです。あなたはどうですか? あなた自身も心身紛争していることは、否認できません。これが問題です。ここに、心と体の戦わない者がいますか、いないですか? (いないです)。このような歴史的、公的、批判でもって、自分を悪い間違いの実証物として、指摘して教えてくれるのが文先生なのです。心身紛争する自分だから、悪いというのです。 心身紛争! このことが問題です。戦争歴史をたどっていけば、世界戦争から国家戦争へと流れてきたのではありません。分かりますか? 反対の方向へ、個人の戦争から家庭戦争へ、氏族戦争、民族、国家、世界、天宙の戦争へと拡大してきたということは、理論的にも否定できません。その元たるものは、一体何かというと、人間の第一先祖から戦争は始まったのです。その戦争は何千万年の人類歴史を連綿としてつないで、今の自分に定着しているのです。 今や、自分を起点として永遠の後孫にまで、この戦争をつなげざるを得ないような事実を我々は発見しなければならないのです。第一次世界大戦、第二次世界大戦においては、休戦も停戦もできたのですが、また、たくさんの戦争の歴史は、休戦や停戦をしてきたのですが、我々の心身紛争は一度も停戦をしたこともなければ、休戦をしたこともないのです。この大戦争を、一体誰が責任を持って解決できるのでしょうか? 悲劇といっても、これ以上の悲劇はないし、悲惨といっても、これ以上の悲惨なことはないのです。 我々は歴史の代表者となりたいのです。世界一の絶頂の立場に立ちたいという欲望をみんな持っているのです。しかし、その欲望を果たせないでいるのです。なぜかというと、自分が戦争しているからです。これを正した場合には、無限に良心を中心として上がる道があるというのです。今まで、そういうことを知りませんでしたね。知っていましたか、知りませんでしたか? (知りませんでした)。過去においては、思いもしなかったことですね。 そうすると世界万民、五十億の人類がみんな一つになって願うべきことは、「我々の中の心身紛争を停戦、休戦させてください」ということです。これ以上の願いはないのです。国家が統一され、世界が統一されても、根本的根源である人間の心身紛争を正さなければ、歴史的にも駄目になっていくのです。 永遠に先祖と一体になって、無限の後孫まで変わることのない戦場を抱えていながらも、その恐ろしさを知らないで生きてきたということは悲惨なものです。だから、世界も悪いし、私も悪いのですが、誰がもっと悪いかというと、戦争歴史の伝統をすべて、出発点から過程を経て、その結実体である自分の心身が何よりも恐ろしい戦場であったということを知らなかったのです。 歴史は、そのように見るべきです。神様がいたとするならば、神様もそう見ています。もし神様の反対の悪魔がいたとすれば、その悪魔もそう見ているのです。そのような心身紛争をやめない以上、世界は平和とか統一とか理想とか自由とか幸福とか言っても、みな嘘になるのです。 あなたたちが夫婦喧嘩をしたその一日は、平和な一日ですか、喜びの一日ですか、自由の一日ですか、幸福の一日ですか? (いいえ)。家庭があっても、めちゃくちゃなのです。めちゃくちゃです。それで、会社から家に帰る時には、お母さんがどう思うか妻がどう思うかと、みんな心が縮まって大変です。帰ろうかどうしようかと、酒屋で酔っぱらって、半分知らないふりをして帰ろうとしているのです。それは、かわいそうですか、不かわいそうですか? (かわいそうです)。 あなたたちの家庭で、奥さんのためにも平和でないとすると、子供のためにも平和でないとすると、親のためにも平和でないとすると、親戚のためにも平和でないとすると、会社の社長のためにも、課長のためにも、局長のためにもみんな平和でないと、その環境は地獄です。地獄なのです。「そのような環境こそが地獄だ」と感じたことがないというのは馬鹿です。こういうことを先生がはっきりと話すことによって、それがそのとおりに公認されるようになったことは、偉大な発見です。そういうことで、世界的に悪の世界と相撲を取って勝敗を決めることよりも、まず自分と戦って勝敗を決することが、世界の根本の戦いの勝敗を決めることであるという結論を下すことができるのです。分かりましたか? (はい)。 ですから、「天下一品になる前に、自分一品になれ!」と言うのです。先生の話を聞いて、そう思いますか、そう思わないですか? (思います)。思うのだったら、今から正していきたいですか、そうじゃないですか? (正していきたいです)。「いやー、聞くところによると、一番悪い文先生の話だと思っていたのに、来てしまったのだから気持ちが悪くても仕方がない」と言いながらも、従っていかないとぺちゃんこになるのです。一億がぺちゃんこ、一国がぺちゃんこになるのです。みんな相対的世界がなくなってしまうのです。 争う者の相対に立とうとする者は一人もいないのです。悪魔しかいないのです。悪魔です。善なる良心的な人は、争う境地から逃げていくのです。あなたたちもそうでしょう? (はい)。一人ひとりが戦い、自分の心身も戦う中で、それを知らなければ、「自分は良い者であり、戦う者が悪い」と言って、逃げていこうとするのですが、最も悪い者が自分だということを知らないのです。 歴史の動機と結実体である人間 歴史の動機は人間です。先祖です。君たちは先祖の結実体です。男という一個の実を植えました。それがアダムです。そして女という一個の実を植えて、こんなにたくさんの男女になりました。一つ植えた実が大きく育って、たくさんの枝と葉をつけて、そして花が咲いてたくさんの実がなったのと同じです。男の実の本来の価値と、収穫したたくさんの実の価値とはイコールなのです。 ですから、たくさんの種をまた植えても、たくさんの種が繁殖していくのです。アダム一つを植えて、二十五億のたくさんの男が生まれたように、エバを一つ植えて二十五億のたくさんの女が生まれたように、君たちから収穫した実を東西南北に何百個植えても、一つのアダムとエバと同じような傑作が世界に拡大していくのです。同じ味だし、同じ価値なのです。価値が同じなので植えれば同じ木になるし、同じ実を結ぶのです。そうですね? (はい)。 そういう意味において、同じ実だから人間は平等なのです。そして、その実には数千万年の先祖の要素が、みんなつながっているのです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。それを否定する者は頭が悪いのです。それは、計算外れの者であり、無用に近い者です。ですから、そういう意味で、神様がアダムとエバをつくった時、二組ずつをつくったのですか、一組ずつをつくったのですか? (一組ずつです)。男一人、女二人でもいいのではないでしょうか? 男はみんな、そういう放蕩なことを考えてきたのでしょう。自分の奥さん以外の女とつき合ってきた者が、九九パーセントはいるのです。統一教会の祝福家庭は例外ですが、自分の奥さんをさておいて、他の女の尻をつけ回るのが男のくせではないですか? あなたもそういう傾向のある男です。(笑い)悪いことをたくさんやってきたでしょう、正直に言ってください? (笑い)恥ずかしいのですか。ちゃんと顔に書いてあるのです。嘘はつけないのです。いくら弁明しても、そうはいきません。良心が知っているのです。良心を見れば分かるのです。 文先生は、それが分かる高いアンテナを持っているので、世界的に問題を起こす男なのです。問題を起こすといっても、悪い問題ではないのです。その国が良くなるような問題を起こすのです。アメリカでもそうです。十五年前に先生がワシントン大会で宣言した時は、気違い男の言葉だと思われたことも十五年後の今になってみると、天の宣布の言葉であったことが分かるのです。福音の福音だったのです。そのような先生の言葉がたくさんあるのです。 それでは、孔子様はその戦争を止めることができたのですか、できなかったのですか? (できなかったのです)。仏教の仏様はどうですか? (できなかったのです)。マホメットは? (できなかったのです)。イエス様は? (できなかったのです)。では誰がやるのですか! (文先生です)。この者! 一番文先生の嫌っていることを言うのではありません。(笑い) なぜ、こういうことになったのかということを知らなければなりません。何かが間違っているし、誤っているのです。このことが根本的に分からないと、その病原をはっきり知らないと、それを取り除くことはできません。その病気の原因と過程と結果をはっきりさせることによって、解決の方法も生まれてくるのです。世界では、今や理論的に可能なものは何でもつくることのできる時代になってきたのです。何のことか分かりますか? 理論的に解明できれば、何でもつくれるような時代になってきたのです。宗教も理論的にその公式内容がはっきりと明示できた場合には、何でも成就できるようになるのです。そういうことを知りたいですか、知りたくないですか? (知りたいです)。時間が遅くなっても、聞きたいですか、聞きたくないですか? (聞きたいです)。何時までですか? (何時まででもいいです)。 飛行機に乗って来る途中は何とか言ってごたごたしながらも四方八方から、日本の津々浦々からみんな集まってきたのですが、これから帰っていくようになれば、日本は大変です。大地震とか何とか、その噂を聞いていますか? それで、先生も心配しているのです。それは、日本が六〇〇〇メートルの崖の上に立っている列島だからです。みんな(地震が)縦的であればいいのですが、もし横的になれば、みんな六〇〇〇メートルの暗くて深い底に引っ込まれてしまう日本列島なのです。本当です。神様が守ってくれないと、日本人には守ることができないのです。日本の責任者も、日本の金も、日本の知識も守ることはできないのです。もし守ってくれる方があるとするならば、神様以外にはあり得ません。それを知っていますか? (はい)。 そこのおじさん、立派な顔をしているけれど、役所の長でもやっているのですか? あなたは何をしていたのですか? 会社をやっていたのですか? 今、何歳ですか? (六十九歳です)。六十九歳で、マスコミなどの批判する中で、文先生のことを相当悪く見ていたでしょう? 統一なんて当てにしたくないという肚でもって一方通行ですましていこうと思っていたのに、何かの条件に引っかかって、ここまでやって来たのですね。文先生に会って気持ち悪いですか、気持ちがいいですか? 男としては美男子のタイプですか、ぶ男のタイプですか? 率直に言って、美男子のタイプなのです。四柱推命をする人も先生の顔を見て、みんな立って敬礼するのです。そして、「天下を治めて余りあるような王様になれる相です」と言うのです。それで、先生もびっくりして「そんな嘘のようなことを言わないように」と言ったのですが、しかし今になってみると、「あの何だか泥棒みたいな詐欺師みたいな男の言ったことが、いやー、嘘のように思っていたことが本当のことでした」と、なるのです。 そうなると、王様は、先生よりも頭を低くするのです。天下に影響を及ぼす王様も、歴史の方向を転換することはできないからです。文先生はそれをなし得たのです。共産主義を滅亡させたのは誰だと思いますか? 計算的に公式的にやって倒してしまったのです。それを信じますか? 「ワシントン・タイムズ」を見たでしょう。「あれは真っ赤な嘘ですよ。嘘です。嘘です。ニクソンとか、レーガンとか、ブッシュとか有名な人々が、みんな気違いになってあんなことをしたのです」。(違います)。何が違うのですか? 何も、見たこともないじゃないですか。この者! (笑い)(先生が)嘘だと言えば、「嘘だ」と信じればいいではないですか。それが最後になって、嘘ではないかもしれないと思えば、「嘘ではない」と信じればいいのです。今は分からなくても仕方がないのです。おじさん、そうではないですか? (そうです)。 一人ひとりが一億二千万人を代表した日本人 統一教会の男は、みんないい顔しているのです。先祖がいいから、運がいいから、みんなここに入ってきているのです。運のいい者、因縁のある者は、どんなことがあっても入ってくるのです。みんな因縁があって、このように集まったのだから、それぞれに注意して終わりを飾るようにしないと、先祖に打たれるのです。自分は、独りぼっちではないのです。歴史をつないだ代表なのです。 自分一人が、ぽーんとヘリコプターから降ろされて、生まれてきたのではないのです。ずーっと数千代の血統をつないだ遺伝的観点から見た場合に、あなたたちの六十兆の細胞の中には、先祖の細胞がみんな入っているのです。それは否定できないのです。先祖が自分の中に生きているのです。私が喜び、私が幸福になり、私が天的祝福の恩恵につがれることによって、先祖たちもそれにつながれていくのです。そのように、歴史的な連体形として存続していることを忘れてはなりません。独りぼっちでは、存在圏が世界圏まで続かないのです。分かりましたか? (はい)。 家庭は、日本を代表した家庭であり、日本とつなぐ家庭なのです。日本人とつなぐ家庭になるのです。独りぼっちではないのです。そうなれば君たちもみんな、日本を代表した男になりたいのですね? (はい)。万民が共々に、みんな代表的な者になるように神様は願っているのです。分かりましたか? (はい)。みんな日本人として、一人ひとりが一億二千万人を代表した日本人になるのです。そうなれば、その国は最高の国になるのです。素晴らしいことです。 あなたたちの欲望は、ぺちゃんこになりたくないのです。みんな王様になりたいし、それから女王様を奥さんとして愛したいのです。そうではないですか? (そうです)。そうです。そして、その場所を知らなければならないのです。それが、いかに幸福なる場所かを知らないので、みんな大変なのです。もともとそういう根源を持っているし、その動機と原因につながっている自分だから、そうならざるを得ないのに、そうならなかったので、苦悶し合い、ぶつかり合い、争いの世界になってしまったのです。それを平定すれば、ずーっとそのまま自動的に帰ることができるようになるのです。 その道を、どんなに難しいことがあっても、たどって行きたいですか、無関心で放棄したいですか? (たどって行きたいです)。たどって行って、自分が探し出していくのです。そういうふうにたどって行って教える先生があった場合には、先生の後に絶対くっついて行くべきですか、行かないべきですか? (行くべきです)。文先生が、もしそうなったらどうしますか? おじさん、くっついて行きますか、行かないですか? 行かなかったら大変です。自分の子供が大変です。奥さんが大変です。先祖が大変です。後孫が大変です。日本の国が大変です。世界が大変だというのです。 あなたは初めて来たのですか? (はい)。そうらしいね。先生は心が広いタイプです。男としても、きちんとした男です。本当ですよ。中流以上の生活をする権限をもって、社会に影響を及ぼす男です。聞いてみなさい。そうか、そうじゃないか自分がよく知っているのです。 世界が悪いのは当然のことですが、世界よりも誰が悪いかというと、私がもっと悪いのです。私が先祖の原因につながれており、結果につながれていることを忘れてはなりません。この私自体を解決することが、すべての悪の世界を解決する近道であると結論づけても、無理なことではないのです。分かりましたか? (はい)。 この世の中にはたくさんの事件があります。たくさんのことがあります。日本にもたくさんの問題が山積して、富士山よりも高く、エベレスト山より高くなっているのです。そういう問題点を分析すれば大変なことですが、大変な問題も簡単な内容によって解決されるのです。それが何かというと、人間というものによってです。 すべての問題の解決は男と女 それでは、猿によって悪い動機が生じたのでしょうか、人間によって悪い動機が生じたのでしょうか? (人間です)。それは間違いありません。人間といえば、男と女がいるのです。その男と女の絡みが順調にいかずにぶつかり合った結果が、こういうような問題を引き起こしているのですから、この男と女をきれいに解決する公式を発見した場合には、天下すべての問題が解決されるのです。一〇〇パーセントでなくても、八〇パーセント以上は解決されるのです。 そうなれば平和の世界、理想の世界へ、目前からジャンピングして乗り越えることができるのです。私自身が問題なのです。私というのは、男と女です。日本にはたくさんの問題があるけれども、みんな男と女につながる問題なのです。家庭の問題も、社会の問題も、みんな動機は男と女です。それをまた分析してみれば、なぜ私の心と体が戦うのかということです。それを知りたいですか? (はい)。 これは、先生が生命をかけて発見してきたものです。あなたたちは生命をかけて、そんなことを考えたことがありますか? ないのではないですか。何もしないで、先生が苦労しているのに酒を飲んだり、踊ったり、チャンバラをしながら、好きなことをやってきた者ばかりです。公的に宗教を立てて、万民を救うために、どんなに迫害を受けても、それを超えて万民救済の道を開拓して、山を越え谷を越えて、世界を抱えて駆け回ったことはないではないですか! こんなにたくさんの者が、このように一部屋に入って、こんなに詰められて、どうにもできない辛い立場に立ったのは、生涯で初めてかもしれませんが、それは喜ばしいことなのです。 お嫁さんが旦那さんの部屋をのぞくということは、一大事件なのです。天下に思いもしなかったことが起きたのです。女が男の布団の中に入るということは、どう考えても大変な事件です。それは、そのまま通行できないことです。一身に大変な被害を被っても、犠牲にしても、その道を行かなければ大変なことになるのです。もし、その場を逃げ出したらどうしますか? 「あー!」と声を張りあげて、逃げていったら大変です。希望も何もありません。女の本来の目的がみんなぺちゃんこになってしまうのです。それと同じことです。 こんなに大変なことが、自分の生涯すべてを砕いてしまうようなことが、なきにしにもあるということが分かった場合には真剣なのです。語る者も真剣であり、聞く者も真剣です。どちらも、もっと真剣になるべきです。聞く者が語る者よりも、もっと真剣にならなければ、君たちは復活の道がないのです。理論的にもそうなのです。どうですか、真剣になりましたか? (はい)。なりつつあるのですか、なったのですか? (なりました)。なりましたか、なりつつありますか、どちらですか? (なりました)。 男だったら、「た」と決めるのです。女だったら、「つつ」かもしれません。女は、お父さんに聞いてみて、旦那さんに聞いてみて、家族に相談してみるのですが、男は相談も何もないのです。国会で法案が無事通過するのと同じように、君たちも、ぱんぱんと決めればいいのです。そういう権限もないのですか? 男のくせに何ですか。死んでしまいなさい! (笑い)家に帰っても、そんな権限が一つもなかった場合には、何の勢いもないし、面子もないし、意志も何もないのです。 さあ、そういう意味において、「決めた」と言うのです。「いい夜だった」と言うのです。分かりましたか? (はい)。しーんとしますか、ふーとしますか? 縦的にしーんとしないで、ふーとすれば倒れてしまうのです。しーんとしますか、ふーとしますか? (しーんとします)。しーんとする者は手を挙げてみなさい! 「ワー、ワー、ワー、万歳!」。先生は何と言いましたか? 先生は漫才と言いましたね。(笑い)これでは漫才をしているみたいです。君たちは万歳で、先生は漫才でも何でもいいのです。恥ずかしくても、万歳をやったに違いないのですね。そうですね? (はい)。ありがとう。 「ありがとう」と言うのは、蟻が十匹だと言うことであり、日本人に対して言う言葉なのです。日本人は「ありがとう」と毎日、何百も、何千も、何万もの蟻を持っていて「ありがとう」と言うのだから、十匹どころではありません。ありがとう。蟻の王様は、日本の男、女たちです。ですから、日本人は頭が大きくて首が細く、腰が細くて足が強いのです。働かなければ死んでしまうのです。そういうふうにして金を稼いでも、その使い方を知らない蟻みたいな日本人なのです。蟻はみんな巣の中に隠して蓄えるのです。外に出すことを知らないのです。先祖を尊敬し伝統を尊敬する民族は、そうならざるを得ないということを説明することによって、「あー、日本民族は金を使わない蟻の従兄弟みたいだ」と解釈して安心しているのです。 本当に日本人は、金の使い方が分からないのです。文先生はポケットに金が一銭もなくても、いくらでも金を使えます。(笑い)そういう公式があるから、不思議な男なのです。文先生を見た時に、いつもこういう服なのです。これは安っぽいものです。ナイロンです。しわの寄るのが大嫌いだからです。汗がついたら、さーっと洗濯するのです。このように大衆を指導するには、このやり方が一番便利だからです。ネクタイすると大変です。すましてネクタイなどをして王様みたいにしていたら、泥棒を見つけても調査できないのです。先生はそんなことはしないのです。ネクタイはしないのです。 できれば、どこに行っても、何か一つ欠けたことをするのです。市場などにも、時には裸足で行くのです。ですから、文先生だと思う人は誰もいないのです。それで、今まで統一教会の教祖の文先生を本当に見た人がいないのです。あなたたちは今、会っているのですけどね。 すべては世界のため、天宙のため、神様解放のため 先生は、二十年間船に乗りました。船頭をしました。二十年間、私の横で働きながらも、あるおじいさんは私が文先生だということを知りませんでした。なぜでしょうか? 着ているものを見ても、自分のものよりも悪いからです。働く姿を見ても、乞食みたいに働いているのです。魚を捕る時にも、一番暑い所で一生懸命に捕るのです。 ですから、「統一教会の文先生は頭がいい。ああいうような働き好きな船頭さんを立てて、青年たちを指導するんだから、いやー、実に天才的頭を持ってる」と、そういうことを言っているのです。そして、先生に対して、こう聞くのです。「レバレンド・ムーンはいつ来られますか?」と。「こんな飛行場もない所に、どうして来られますか? 飛行機に乗って往来すべきお方なのに、ここには飛行場もないではないですか。立派な飛行場で偉くなって働けば会うことができるのですが、船頭さんや船乗りなどに誰が会うというのでしょうか」と。私が文先生だとは夢にも思わないのです。そのような境遇ですから、本当に文先生だと思う人は一人もいないのです。 ヨーロッパなどに行っても同じです。先生はどこへでも行くし、国境も無事通行です。どんな工作もできるのです。日本においても、いろんなことを計画したのです。しかし何でも悪いことと分かれば、教訓にしなければいいのです。それが、統一教会の文先生でありました。神様が本当に分かったので、そんなことはやめたのですが、先生はやると思えば何でもやるのです。今でもそうです。 大学を卒業した日本の女性たちが一六〇か国に十名ずつ、一六〇〇名が行きました。歴史上に、こんなことをなし得た団体はないのです。日本の国も、それはできないのです。日本の国が外国に大使館員として出している数よりも、外国に出ている日本の統一教会員の数のほうが多いのです。ですから日本は将来、統一教会によって助けられるようになるのです。 これからの日本の国策を考えた場合には、五千万人以上が移民しないといけないのです。日本人が世界の首都に定着しても、その国に影響を及ぼすようなものは何も持っていません。分かりますか? しかし、文先生と統一教会はそうではありません。迫害されながらも、世界の首都の中心部に行って、その国の指導者層に影響を与えて、ちゃんと定着しているのです。そういう姿を見た時、日本人が集まった場合には、「日本の将来は文先生と共に歩調を合わせることにより、世界的な最高クラスの人々を指導して余りある道がある」と言うのです。 あなたたちはみんな、日本ではそれなりに相当なものだと自分のことを思ってきたのでしょう? みんなの顔を見れば、みんな素晴らしい顔立ちをしています。いい顔をしています。そういう人は、先生の話を聞いていけないなどとは思わないようになっているのですよ。 東大を卒業した人は手を挙げてください? 灯台は夜に必要なものであって、昼間は必要ないのです。(笑い)東大を卒業して、何をするのですか? 統一教会の責任者になるために東大を卒業したのですか? 東大卒の博士も、今からファンダレイジングをするのです。路傍でもやりますか? 「はい。かしこまりました」と、平気にやるのです。何のためかというと、自分の家のため、日本のためではありません。世界のため、天宙のため、神様の解放のためにやるのです。 そういう徹底した思想を神様解放までつなぐのです。分かりましたか? (はい)。それが話しだけではなく、機動して走る者に全世界が注目して「ワー、これは大変だ! (文先生が、その)国を通れば、国がみんなぺちゃんこになるし、世界に行けば、世界がぺちゃんこになってしまう」と、全世界が共同作戦を組んで「文先生打倒!」と言っているのですが、先生は打倒されましたか? (いいえ)。ですから、五十年間迫害の最中にあっても、発展して、歴史を変える成功の道を築いてきたのは、文先生以外にいないのです。 経済界のトップは、文先生が金を持っていることを知っているでしょうか? それを知らないでしょう。経済的においても、誰にも負債のある生涯を残してはならないのです。もし、そういうことがあれば、「ワー、ワー、ワー、みんなをだまして、略奪して。ワー、独裁者だ!」と言うのです。 先生は誰よりも世界に投入してきたし、誰よりも世界の先頭を切って犠牲になってきたし、その影響力も、国を超えて大陸を超えているのです。日々、今でも続けているのです。善なることにおいて苦しい道、十字架の道、迫害の道を歩み始めた以上は、方向もその道であり、終結もその道で先生は一生を終わらせていくのです。平安で安楽な場でもって病死するようなことはしません。監獄に入ってもそうです。戦いながら倒れていくことを宣言しているのです。 今や八十歳代のおじいさんですが、みんなは座っているのに堂々と立ったまま何時間も話していても倒れないし、びくともしないのです。先生は日本の帝政時代に、日本人に牢獄で責められたことがあるのです。その拷問の場において、四つのテーブルの脚がみんな折れてしまっても、「打て! 君たちが敗れるか、レバレンド・ムーンが敗れるか!」と決意して口を閉じていたのです。友達を守るために、国を守るために、そういうことをやってきた男なのです。血を吐くような立場でも、血をかき分けて「神様、安心してください。まだ生きています。私には同情しなくてもいいです。一人であっても日本に対決して、屈伏させていきます」と。それが今、そういう状態になりました。みんな、そうでしょう? (はい)。 先生に屈伏する心情なのですね。そうですか、そうではないですか? 気持ち悪くてもそうなのですね。話を聞いているうちに、その方向に回っていくのだからそうなのです。ですから気持ちが悪くても、気持ち悪くないようにしてください。分かりましたか? (はい)。 神様が宇宙の唯一の根である 最も悪い本拠地はどこですか? 文先生ではないのです。君たちです。君たち自身です。ですから、自身を確認、承認、自覚した場合には、滅亡ということがないのです。今よりは良くなるし、希望の発展圏に立つということは理論的なのです。 「こんなに悪い者を、天下は助けてくれるな! 天下は攻撃せよ!」。そう言うと、天下すべてが自分を攻撃してきても、「私を悪者と決めてくるのであれば、それもよろしゅうございます」と、そういう肚を持ってやるのです。文先生は、そこから出発しているのです。牢屋に引き込まれて、長い間牢屋の生活をしても、神様に向かって「こういう苦しみから救ってください」と一言も祈ったことはないのです。「神様、心配しないでください。私が神様について知ったすべてのことを、完全に解放してあげます」と、四十年間ぶっかけられ(注:迫害される)ても倒れなかったのです。 今からは、日本も捨てられるのです。日本は本当に、滅亡するかもしれないのです。神様において、世の中で最も憎い者は文先生ではないのです。分かりますか? 世の中で最も愛すべき男が文先生かもしれないのです。そうなった場合には、それを憎んだ者が最も悪くなるのです。最も早く滅亡するのです。そういう理論も、当然のこととして受け入れなければならないのです。人間であれば、誰でもがそう考えるのです。 先生は日本の政権を預言しました。三か月続くのも大変です。そういう日本なのです。伝統精神も滅亡です。日本は島国の王国なのです。イギリスも西洋の島国の王国です。これでは、両方とも落第です。これではサタン的なエバ国家です。女の王様の国がなくなった場合には、女を率いて王権を踏みにじってきたサタンの世界は終わるのです。それは原理を聞けば分かることです。いやー、歴史は素晴らしい、生きた歴史なのです。文先生の解説によって、今まで死んでいたような歴史も、みんな理論的になっているのです。そういうことが分かった場合には、東大も何もあったものではないのです。灯台は夜の海に必要なのです。孤独で何も光らない海に必要なのです。分かりましたか? (はい)。 一番恐ろしいものは、文先生でもなければ、日本史の中の敵討ちの怨讐の代表者でもありません。それよりも、もっと恐ろしいのが自分なのです。これをいかに倒すか、いかに生かすか? どうですか、倒したいですか、生かしたいですか? はっきりと答えてください。(生かしたいです)。生かしたいのですね。生かしたいとすれば、どういうふうにして生かしますか? それを、文先生によって教えてもらわなければならないのです。教えてもらいたいですか? (はい)。こんなに憎んできたのに、敵討ちもせずに、「今から弟子になります。お願いします」と言うのですか? それと同じです。先生の話が本当であり、天下を治めて、一族を解放する秘訣があるとすれば、そうする者は偉い男です。 最も恐ろしいものは自分なのです。その恐ろしいものを自分の意のままに、どういうことをしてきたのですか? いいことですか、悪いことですか? あなたたちは男として、美人の女をみんな誘おうと思ってきたのでしょう? あなたもそうですか、みんなそうですか? そうでない者は手を挙げてみなさい。 みんな、そんな悪いことをやってきたのです。その女性が君たちの姉さんであり、妹だということを知らなかったのです。神様を父母として、みな兄弟姉妹だと考えてみれば、自分の妹や姉さんを犯してしまったのです。でなければ、自分の叔母さんを犯してしまったのです。そのような、でたらめなことをやってきたということになるのです。分かりましたか、何の話か? (はい)。 神様が宇宙の唯一の根なのです。中心の根からどんなにたくさん生まれても、幹も一つ、枝も一つ、穂先も一つなのです。それが何千万年の歴史を経て、大きな人類という木になっているのです。それは否定できないのです。みんな兄弟姉妹です。一家族なのです。 それでは、ここで問題です。空気は、高気圧が低気圧を訪問するのですか、低気圧が高気圧を訪問するのですか? (高気圧が低気圧を訪問します)。本当ですか? それでは、水は高い所から低い所へ流れるのですか、低い所から高い所へ流れるのですか? (高い所から低い所へです)。低い所へ流れてどうするかというと、水平にするのです。水の流れは、くぼんだ所をみんな水平にしなければ通行できないのです。だから、流れて、流れて、海に入って、水平線の大洋をつくっているのです。 愛も同じ性質を持っているのです。愛というものはどういうものですか? 固定したものだと思いますか、流れるものだと思いますか? (流れるものです)。へこんだ所を高いものが埋めるようになっているので、愛を持った者は低い者に注入するのが愛の本性なのです。ですから父母は、子供のために一生を死ぬまで投入していきたいと思うのです。分かりますか? (はい)。「兄弟同士で喧嘩するように」と言う父母はいないのです。お母さん、お父さんが褒めてあげて、平等に平行になるようにコントロールしたいのが親心なのです。愛の運動も同じです。 それから、愛というものも、空気というものも、水というものも、毛細管現象なのです。毛細管は、隙があった場合には開くのです。愛も、水も、空気も、隙があった場合には流れていくのです。だから、人間の生命の要素になっているのです。この肉体はみんな呼吸するのです。水も、空気も共につながるようになっているのです。そして、へこんだ所を埋めていくのです。分かりますか? (はい)。そのような同じ運動を無限に行っているのです。 太陽の光もそうです。隙があったらどこへでも通じるのです。そういう素質を持っているので、生命体の要素になるのです。太陽がなければ大変です。水がなければ大変です。空気がなければ大変です。それから何がなければ大変ですか? 愛がなければ大変です。これ以上話した場合には、もうほかの所を回る時間がないから、これだけで話をやめておきます。 問題は何が一番いいか、何が一番悪いかということです。そういうことを考えてみた場合には、誰でもみんな一番いい者になりたいという思いを持っているのですね? (はい)。それで、一番いい者になろうとして、一番悪い者であったという自分をみんなが制圧すれば、一番いい者になるのです。そうでしょう? 自分が一番悪い者であるから制圧してもらって、「あー、よかった」となるならば、一番いい立場になったということになるのです。あなたたちは、無限大の欲望を持っているのですね? (はい)。 十二時までには、もう三十分しかありませんね。お母様と約束したのです。「十二時の十分前までには帰ります」と。もう今から帰っても約束破りです。(笑い)もう約束を破っているので、お詫びしなければならないのです。仕方がないですね。 心身紛争の出発点は何か そうなると、なぜこういう者になったのかということです。あなたたちの生命、心身紛争の出発点はどこかというと、それはお母さん、お父さん、その先祖の先祖の先祖であり、一代目の先祖のアダムとエバまで上がるのです。それからアダムとエバをつくった神様まで上がるのですが、神様は心身紛争すると思いますか? (しません)。なぜしないのですか、なぜですか? 絶対なる神様だからですか? 絶対という概念は、二つとないということです。たった一つであり、唯一の神様なのです。絶対なるということは、完全に一つになっているということです。二つの概念はないのです。神様は心身一体になっているのです。 では、神様は何を中心として心身一体になっているのでしょうか? (愛です)。金でもなければ、知識でもなければ、権力でもないし、全能なる力でもないのです。愛を求めて、性相と形状があるのです。相対関係は愛を求めていくのです。あなたたちも知っているように、「この宇宙の構成は、力によってなっている」と学者たち、科学者たちは言っているのです。 これから、前のほうに行きます。みんなが寝ぼけないようにです。みんな寝ているのですね。(笑い)前のほうの人は、先生の顔も見えないので、むくれてしまっているのです。みんな後ろのほうで先生が話をするので、前のほうの人は「困った」と言って寝ぼけてしまうのです。寝ぼけていませんか? (はい)。そうであれば、先生よりも偉い人たちですね。平等ではなく、後ろのほうばかりで話をしているなんて、そんな失礼なことはないのです。すみませんね。「すみません」を分析すれば、住まないか、よく住むかということです。それは、よく生きるかということだから、「すみません」と言うのは、死んでしまうという話にもなるのです。いろんな新しい日本語を習っているのですね。 日本人は、一日に「すみません」を何回言いますか? 「すみません」は、死んでしまうということですから、火山が爆発しておしまいです。それで地震があるのです。ですから日本人が「すみません」と言う言葉は、「生きません」と言うことであり、「生きません」は死ぬことです。ではどうすればいいのかというと、それを変えないといけないのです。 (あなたは)寝ていなかったですか? (はい)。寝たような顔をしているのに、寝なかったのですか? 本当ですか? それは、先生よりも偉いです。いやー、傑作な男ばかりです。先生の顔を見たかったですか、見たくなかったですか? (見たかったです)。では、よく見てください。もう見ましたか? アンコールですか? ここ(壇上)に座って話せばいいのですね。(はい)。座るとおなかの力が抜けて、言葉に迫力がなくなってしまうのです。 さあ、根本に戻っていかなければいけません。君たちの出発と違って、神様は心身分割していないのです。神様の相対として、神様によってつくられた人間は、一体、神様の前にいかなる立場であるかというのです。あなたたちは結婚前に、自分の愛の相対が自分よりも優れる人を願ったのですか、劣る人を願ったのですか? (優れる人です)。十倍ですか、百倍ですか? (百倍です)。百倍ですか、千倍ですか? (千倍です)。千倍ですか、万倍ですか? (万倍です)。万倍ですか、億倍ですか? (億倍です)。億倍ですか、無限億倍ですか? (無限億倍です)。泥棒のような者たちですね。(笑い)考えてみると、みんな誰でもそういう欲望があるのです。そのような愛の相対者は、自分の奥さん以外にはいないのです。子供ではないのです。 それでは、その質問を神様にしてみた場合、「神様、あなたは人格を持った私のお父様だから、あなたの子供がこういう欲望を持っているのと同じように、神様におかれても相対になる者は、神様よりも無限億倍優れることを願いましたか?」と聞くと、笑うのです。「そんな馬鹿なことを聞くな」と。それはなぜかというと、人間と同じだというのです。ありがたいですね。いやー、それはそうならざるを得ないのです。原因があって、結果が生まれてくるのです。動機があって、そういう状況の自分が現れるようになるのであり、動機がなかった場合には、そんなことは絶対ないのです。分かりましたか? (はい)。神様がそうだから、人間もそうならざるを得ないのです。 それでは、「神様の前に相対となる者で、何億万倍価値ある者は誰か?」と聞いた場合、それは誰ですか? お猿さんですか? (人間です)。人間といっても、あなたたちみたいな人間ですか? 人間にも種類があるのです。それは、あなたみたいな人間ではなく、神様みたいな人間をいうのです。答えは神様みたいな人間です。あなたたちは今、どんな人間ですか? 悪の王者は「悪魔」と言うのです。悪魔の人間なのです。 それで、紛争というものは、二つのものが戦う以前には一つになっていたのです。何のかかわりもなかったのです。しかし、戦いを始めたその日から、上がっていくのですか、下がっていくのですか? (下がっていきます)。それで、戦いが激しく続いた場合にはだんだん下がるのだから、一番深い所に落ちる者にならざるを得ないのです。そのように落ちた所を地獄というのです。これは、理論的なのです。 愛によって所有権が決定される 平和というのは、栄えていくし、上がっていくのです。上がって、上がって、平和、平和、大きな平和になれば天国に入って、神様の上まで上がっていくことができるのです。無限に上がっていくことができるのです。そのような素性を人間は持っていなければならないのです。神様より優れる何億倍の無限大の神様みたいに、無限倍になるような本性を神様が人間に注入してやらなかったとすれば、神様は大変な神様です。人間を破壊するための神様であるという結論になるのです。 神様は、自分の何千倍も優れるようになる良心の欲望を注入してあげないといけないのです。ですから、良心の欲望は無限大なのです。もし、それがなかったとすれば、神様に向かって上がっていく梯子がなくなってしまうのです。アンテナがなくなってしまうのです。 良心の欲望は無限小ですか、無限大ですか? (無限大です)。「無無無無、限限限限、大大大大!」です。無限大でも、どんなに大きいか分かりますか? あなたたちの良心は、もし神様がおられるとしたら、神様に会ってみたいのですね。会ってみて神様が素晴らしかった場合には、会っても別れますか、奪ってしまいたいですか? (奪ってしまいたいです)。奪ってしまって食べたいですか、遊びたいですか、どういうふうにしたいですか? (笑い)一つになりたいのですね。 では、何で一つになるのかというと、愛でもってです。一つになるには、愛以外にはあり得ないのです。父子一体、それは父子関係が愛を中心としているということです。夫婦一体という言葉もあるのです。すべて、一体化なしにはあり得ないのです。愛を中心として一つになるということです。また兄弟一体というのは、(兄弟が)愛を中心として一つになることをいうのです。愛というもので一つになった場合には、そこに所有権が決定されるのです。これは天的な定義なのです。 愛の関係を結んだ場合には、何が決定されるのですか? (所有権です)。神様と共に愛した場合には、神様の愛が自分のものになるのです。分かりますか? 男と女が愛の関係を持った場合には、愛を中心として一体になるのだから、すべてが自分のものになってしまうのです。 日本に、ある貴族のひとり娘がいたとします。部落みんなの話題になって、「あの娘と結ばれる旦那さんになりたい」と思う者がたくさんいる中で、一人の腕白でいたずら好きの男がいて、それが、やくざの親分の子供であり、そのやくざの子供に引っ張られて、ひとり娘が肉体関係を持ったとすれば、やくざの親分のその子供が貴族の父母に向かって、「この娘は自分のものだ」と言った場合に、親は「そうではない」と言えますか、どうですか? 日本の習慣では、どうですか? 仕方なしに「そうですか」と言うのです。愛というものが所有権を決定するのだから、娘を渡してやらなければならないのです。 万物の霊長たる人間のために、すべての万物はアダムとエバのために生まれてきたのです。その娘のために準備した家具やすべての設置物など、どんなに貴いものであっても、娘がお嫁に行く時には持っていくのですね。そうですか、そうではないですか? (そうです)。ですから、その娘と一つになった場合には、その娘の所有権はすべて男のものになるのです。分かりますか? (はい)。「ワー!ワー! お嫁に行く時に持っていった物には、旦那さんはタッチしたら駄目です! 使ったら駄目です! 一つ一つ娘の許可をもらってからにしなさい!」と、その娘のお父さんやお母さんは言うでしょうか? そのように言ったら、駄目と言いますか? (駄目と言います)。本当ですか。いやー、先生より素晴らしいです。みな先生が言う前に、駄目と答えるからです。そういうことがあるから、希望があるのです。 座って話すのは、気持ち悪くないのですが大変です。みんな前のほうは喜んでいるのに、後ろのほうはちょっと違うのです。こういう具合に、少し立ちましょうか、座りましょうか? 座るほうがよく見えますか、立つほうがよく見えますか? 先生は立つほうがよく見えると考えますが、君たちはどうですか? (そう思います)。仕方がありません。立ってあげましょう。(拍手) (先生がコップの水を飲まれる)おいしいですね。飲みたいですか? 飲みたい人は手を挙げてください。みんな手を挙げなければなりません。統一教会には蕩減ということがあるのです。覚えておきなさい。代表として(先生が)水をおいしく飲めば、みんなもおいしくなるのです。蕩減の水を上げますので、手を挙げてください。子供みたいにならないと、天国には入れないのです。八十歳代のおじいさんの先生が子供みたいにしているのに、君たちは先生よりもみんな年下だから子供になるのは当然のことです。「いやー、おいしいこと。あまりにもおいしくて、今晩は眠れません」。このことは、「十二時過ぎても寝かせません」という話です。(笑いと拍手) このように座っていても、よく見えるでしょう。これでいいですか? (はい)。みんながいいと言うのに、おじいさんたちが横目で見ていたら困ります。(笑い) 神様に反発する愛の動機 自分とは、こんなにも真剣なものであるということが分かりました。そうなると、心身紛争の戦場になった自分の出発の基地を求めていかなければなりません。それは一体誰かというと、第一先祖であるアダム・エバであることは間違いありません。分かりますか? (はい)。あなたたちの子供が生まれてくる本場はどこですか? キスをする本場から生まれてくるのですか? 男、女の凹凸を交じり合わせるところから生まれてくるのですか? (凹凸を交じり合わせるところです)。凹凸を交じり合わせることを何と言うのですか? (愛すると言います)。 本当ですか? 凹凸を合わせることを愛すると言うのですか? (はい)。先生は初めて聞く話ですが、向こうの年寄りのおじいさんはどうですか? 先生も、おじいさんたちも分からないから、専門家のおじいさんがいるのです、眼鏡をかけたおじいさん、どうですか? (そのとおりです)。そのとおりですか。いやー、かしこまりました。そのとおりですよ。そうなるというと、凹凸を交じり合わせるところに戦う要素があったということは否定できないのです。 お母さんとお父さんの愛によって、血が交わるのです。激動させて、その渦巻きの真ん中に生命がつながって、血統を受け継いで生まれてくるのです。分かりますか? その動機となった父母の愛の中に争いの内容があったので、結果として生まれた自分は親の心と血統を受け継いだのだから、心身が争わざるを得ないのです。それは否定できません。分かりましたか? (はい)。 あなたたち夫婦も、結婚して愛する時に喧嘩しながら愛するのですか、喜びながら愛するのですか? (喜びながらです)。本当にそうだとしたら、抱き合う時、交じり合うように力いっぱいに抱き合うのですか? それとも、「もう近づくな、近づくな」と言って抱き合うのですか? 一つになるのです。絶対に一つになろうと思うのです。しかし、君たちがいくら絶対に一つになろうとしても、心身紛争をする夫婦の争いの場は、その愛の中で避けていくのではなく、そのまま止まっているのだから、その血統を受け継いだ者は自動的に、心身紛争の結果物として生まれざるを得ないのです。 堕落して過った、間違った心身紛争している夫婦がいくら一つになったとしても、一つになって凹凸を通して愛し合ったとしても、その子供たちは、心身紛争をする者にならざるを得ないのです。それが歴史を通して、今まで連綿として続いているのです。それを終わらせることのできる希望は、永遠にないというのです。先祖たちがそれを願わなかったのだから、自分を通して続けてきたのだから、後孫もそれにつながっていることを否定することができないのです。大変なことになりました。 では、この病原はいったいどこからきたのかというと、第一先祖の愛の方法の過ちでそうなったのです。そういうことを知って聖書を読んでみれば、「いやー、まさしくそうである」と言うのです。ですから堕落は、天使長がエバを誘引し、エバがアダムを強引に「善悪を知る木の果を取って食べよ、取って食べよ」と強制したことによるのです。そこで、堕落した後にエバは、自分が神様から離れたことを知ったのです。そして、こういう夫婦関係、男女関係は本来のアダムと行うべきことだと分かっていたのに、間違ってサタン圏に引かれていったのだから、元の所に帰ろうとして強引にアダムを誘ったのです。それで結局、アダムも拒否する立場において、嫌がる環境において、エバに強制されていったのだから、それは反発する愛の動機からであったというのです。分かりましたか? (はい)。 先生が追求する理論と、聖書に書かれた堕落の理論を考えてみれば、大元の先祖の愛は、順調なる愛ではなく、神様を中心とする永遠の愛によって一体となるというような立場からではなく、神の愛の反対の悪魔からです。ですから、神の愛の怨讐が悪魔なのです。その悪魔の強制的、反対の愛に迫られて愛し合った動機によるので、愛された者も反発せざるを得ないし、その後孫の血統をつないだ者たちも反発せざるを得ないので、心身紛争は当然なことなのです。分かりましたか? (はい)。こうなった結果は、人類先祖が悪かったからであり、神様とは関係ありません。争う所に神様はいません。 そのような結果を総括的に結論づけた場合に、偽りの泥棒のサタンによって、偽りの愛と、偽りの生命と、偽りの血統と、偽りの良心圏を相続するようになったのです。分かりましたか? (はい)。もともとは神様の実体として、神様を中心として、神様の愛を中心とした真の愛、真の血統、真の良心を受け継いで、神様と同参し、同居し、永遠に分割できないような理想的存在となるべき者が、神様との関係を切って、反対の怨讐圏のめちゃくちゃな血統を表すような後孫になってしまったのです。その結果は、当然なことで、生き延びることはできません。分かりましたか? (はい)。 そうなると、この一身を蠢動する血液というものは、悪魔の血統を相続したものであるということを知らなかったのですから、大変なことです。自分は人間だと思っていたのに、国賊どころではないのです。この宇宙を破壊した天宙賊の後孫として、親子関係でもってつながってきているのです。親子関係は切り離すことができないのです。宿命的な立場です。変えることはできません。誰も変えることができないのです。宿命は、死んでもなさなければならないのです。 親子関係とは、お父さんが負債を残したならば、その負債は子供が弁済しなければならないのです。一体だからです。また、旦那さんが死んだ場合には、奥さんがその負債を弁済するのです。一体だからです。兄弟関係も本当に一体圏に立っているとすれば、兄さんが負債した場合には、弟が弁済するのです。一体だからそうなるのです。大変なことが分かりました。 それでは、これらをいかにして、革命を起こしてでも切断してしまうかというのです。いかに分割して永遠に葬ってしまうかというのです。大変なことです。それをなすべきですか、なさないべきですか? (なすべきです)。 このような心身紛争の永続する戦場を除去するには、それを絶滅させるには、革命的な、どちらか一つを犠牲にする運動をしなければなりません。良心を犠牲にする者か、肉身を犠牲にする者か、二人のうちで勝ち残った者が神の立場に近いほうです。勝った者を残して、その反対の者は切って撲滅させてしまわなければなりません。これは絶体絶命の宿命です。それは避けることができません。 宇宙は相対理想の組み合わせから ここで心身紛争をしていない者は手を挙げてみなさい。一人もいないということは、誰も避けることはできません。それを認めますか? (はい)。先生は方便がうまいから、何かをくっつけて語るとでも思っていたら、間違いです。自分自身で実証するのです。観念ではなく、実体で証明するのです。それは、誰も否定できません! そういう理論でもって、愛の元が、愛の根拠が、生命体が、紛争の内容を持って出発したのだから、結果はそうならざるを得ないのです。これは理論的です。 ここにおいて我々は、銘記しなければならない重大な問題があります。人間が堕落したということを決断した上で、堕落した者であるという自覚を明確にすることによって、その解決の方法をはっきり知ることです。絶対に自覚することで、それは絶対、除去することが可能なのです。中間で、どうでもいいのではありません。行ってもいいし、行かなくてもいいし、飲んでもいいし、飲まなくてもいいのではありません。飲まなければならないのです。一方向だけです。行ったり来たりはできないのです。 このように、自分は堕落の後孫であり、すべての先祖は、そのような堕落の血統を相続して犠牲的な恨みをもって地上で生きて死んでいったのです。そのような恐ろしい戦場となっていることを知らずに生きてきた自分を責めながら、これが分かった以上は自ら処罰をしないといけないのです。除去運動をして、根っこを取ってしまわなければならないのです。そうしなければ大変です。永遠の地獄に落ちていくのです。地獄とは何かというと、それは破壊物である半品を捨てる所です。完成品ではありません。 ここで君たちは、はっきりと銘記しなければなりません。堕落した人間は、先祖からの堕落の鎖の手錠を切り離すことができないのです。虜になっているのです。そのことが身にしみて、生命よりも強く感じないと争いの病原から上がっていくことはできないのです。これは重大な話です。分かりますか? (はい)。 真の神、創造主、絶対、唯一の神の絶対なる愛と一つになるべき相対たる人間が、めちゃくちゃになって、神を離れてサタンの世界に転んでしまったのです。サタンとは何かというと、神様の敵です。姦夫です。女を三つ書く「姦夫」です。姦夫を知っていますか? おじさんは姦夫を知っているのですね? 姦夫です。姦夫とは、日本の幹部ではないのです。一番悪い男なのです。明日には結婚しようとする娘を奪っていって、何千年もの間に子供を殖やしていったのです。そして、本来の約束されていた元の旦那さんを怨讐視して、子供も、女も、みんなぶっかけるようにさせたのです。これが悪魔の世界です。堕落は、自分を尊重する自覚の発見から出発するのです。 宇宙の初めの神様とは、どういう方なのでしょうか? それは誰も知らないのですね。神様がどういう方なのか知りたいでしょう? 科学者は、宇宙は力で構成されていると言うのですが、宇宙は力によって構成される前に、父母の愛が結び合っているのです。 人は、まず目が合わなければなりません。目は、ウインクなどの作用を通して合うのです。それから話が合うのです。「あの男の子の話を聞いても気持ちが悪くない。素晴らしい」となり、近寄ってみると鼻が好きになり、五感がみんな作用した後に一つになるのです。そうですか、そうではないですか? 大宇宙は力によって、いっぺんに始まったのではありません。力がある前に、作用を論じなければならないのです。 作用というものは、ひとりでに始まるものではないのです。必ず相対関係が必要なのです。宇宙は相対理想の組み合わせになっているからです。相対の組み合わせになっているのです。ペアシステムになっているのです。これはあす、詳細に話すことです。相対がいなければ、宇宙力という天運の保護を受けられないのです。分かりますか? (はい)。 いやー、不思議なことです。相対がいなければ、宇宙力が、天運が追い出してしまうのです。「病気になったら、なぜ痛いのですか」と、お医者さんに聞いてみると「病気になったから痛いのです」と言うのです。そんな答えはありません。簡単なことです。この体全部は、相対的にバランスがとれて、平均的になっているのです。つり合っているのです。 つり合っていた場合には、何も感じなくなるのです。一つになっている場合には、感じなくなるのです。そんなことはないと言っても、相対と一つになったら感じないようになっているのです。痛さも感じないし、何の不満も感じないのです。しかし、相対が崩れた場合には大変です。全体は平均がとれているので、宇宙力と相対関係によって天運が保護するのですが、一方が切れて片寄ってしまった場合には、天運が早く掃除するようになるので、その追い出す力によって痛さを感じるのです。分かりましたか? (はい)。こういうことは、誰もみんな知らない話です。 なぜ、目がみんな二つになっているのか、それが分からなかったのです。二つになりたいから、そうなったのでしょうか? 宇宙の法則に一致する共同の公式なのです。二つになったものを保護するのです。鼻も一つなのに、大きい穴が二つあるのです。どうせこの穴から入って一つになるのですから、そんなめちゃくちゃで面倒なことはする必要がないのに、なぜでしょうか? 天運に保護されるためには、公式に合わなければならないのです。耳も一つでいいのに、なぜ二つになったのでしょうか? 宇宙はみんな双々(ペア)の組み合わせです。ペアシステムになっているのです。鉱物世界も、プラス電気とマイナス電気です。分子を見れば、プラスイオンとマイナスイオンが運動するのです。そのケースから外れた場合には、除外されるのです。分かりますか? 植物世界もオシベとメシベで、動物は雄と雌なのです。では、人間は何ですか? (男と女です)。同じです。それはなぜでしょうか? 公式によって保護されるためなのです。ですから、あなたたちも共に生きてきた奥さんが死んでしまったら、もうみっともない男になるのです。強い将軍みたいだった男がみっともない顔をして、「ワー、ワー」と裸になって転び回っても、誰も叱る者はいないのです。なぜ転がるのですか、なぜ胸が裂けるほど痛いのですか? それは理想世界の主体と客体、絶対の愛の相対圏では宇宙すべてが保護していたのに、その相対が欠けたのだから、宇宙のすべてが除外して押し出すからです。その押し出す力によって、胸が裂けるほどに痛いのです。そういうことなのです。 悲しいのも、そうなのです。なぜ悲しいのかというと、心身一体になれなくて、宇宙の除外する力によって悲しいのです。心身一体は、絶対なる創造理想の要件になっているのです。それは否認できないのです。男たる者は、絶対に女が必要ですね? (はい)。絶対にです。絶対といっても、何人も何千人も必要ではないのです。たった一人です。先祖と同じようにです。 永遠に変わらない神の愛 神様は専門家だから人類の先祖に、男一人と女一人をつくったのです。それは絶対に一つになるようにです。愛は絶対に一つずつです。そのように、愛という概念が先にあるのです。愛という観念があるのです。これは、今日の哲学、思想、歴史の二大潮流として、世界の頂点における大変な問題なのです。ですから、歴史を見た場合には、事由(思惟)と実際(現実)ということが哲学的問題なのです。どっちが先かと言うのですが、どっちが先という問題ではないのです。プラス・マイナスが一つになるという観念が分からなかったのです。宇宙存在の基本的公式を知った場合には、先とか後の問題ではないのです。考え(思惟)と実際(現実)は相対的になっているというのが宇宙公式なのです。それで戦ってきたのです。 共産党は観念か実体かと言う時、「見えないものが後で、見えるものが先だ」と言うのですが、見えないものも見えるものも同じなのです。一つです。 あなたたちは愛を見たことがありますか、触ったことがありますか? 触ったこともないのですね。生命はどうですか? 生命体は見ることも触ることもできるのですが、生命自体は見ることも触ることもできないのです。では、血統はどうですか? 卵子と精子は目で見えますか? 砂みたいに、ざらざらしていますか? それは、見えないのです。凹凸を合わせて愛し合う時に、それは見ることができないのです。触ることもできないのです。触ることができれば、もうめちゃくちゃになってしまうのです。 良心も見たことはないし、触ったこともないでしょう? それに、神様も見たことはないし、触ったこともないのに、なぜ「神がいない」と言うのですか? 見たこともないし、触ったこともないのに、みんな「神様はいる」と言うのですか? 神様を見たこともないし、触ったこともないのに、「神様はいない。しかし愛はある。生命はある。血統、良心はある」と言うのですか? そんな話はありません。神様は一体どこにいるかというと、愛の根っこにいるということは間違いないのです。愛の先祖は神様なのです。分かりましたか? (はい)。 生命の先祖、根っこは神様です。血統の根っこは神様です。良心の根っこは神様です!! そうではないと言う者は手を挙げてみなさい。それは、馬鹿、野郎です。馬鹿は死ななければ直らないのです。馬鹿野郎ということは、悪いことではないのです。八番目の旦那さんのことで、統一教会では理想的な再臨主のことをいうのです。 日本はエバ国家だから、一郎、二郎、三郎、四郎、五郎と、十一郎もあるのです。百郎、千郎、万郎、億万郎もあるのです。また、女の子はみんな「子」がつくのです。日本の女は何を願うかというと、子供を産みたいのです。それで女はみんな、「何子、何子、何子」と言うのです。この前の修練会の時、手を挙げさせてみると、三分の二の人はみんな「子」がついていたのです。「子、子、子」です。子供がいても、夫がいても、女の長、「長、長」と言うのではなく、「子、子」です。これは女の本性です。言葉というものも、名前というものも、みんな表徴であり、名前も言葉もみんな心身の本源に通じるように語りたいのですから、自動的に、結果的に、重要なものを掴んで語るようになるのです。 ここには共産党にいた者もいるのですね。共産党は先生の大怨讐だったのです。彼らはよく言うのです。それで、先生がいつもぶっかけるのです。「思惟とか実在とか、観念とか実在とか、そんなことを言うものではない。そんなことはあり得ない。君たちの言うことは馬鹿な話だ」と。それで、彼らに聞くのです。「あなたたちは目玉を持っていますか、目玉はどこにあるのですか? そこにあるではないですか」と。みんなは目玉を知っていますね? (はい)。 では、歴史上において、目玉の先祖は一体、誰だったのでしょうか? それが問題です。目玉の先祖は一体、誰ですか? けだものでも何でもいいのです。このごろでは、夫婦が子供を産む時、こういうことを言っているのです。何百万もの相対が出会うことなのに、「いやー、生殖器で愛し合って子供を産む」と。 では、そこに目玉があると思いますか、ないと思いますか? 口があると思いますか? 口が合わさって、キスすると思いますか、しないと思いますか? 何が恥ずかしいのですか! 君たちは女がいたらキスしたいのでしょう? (笑い)みんな同じです。このことは、レベルが違っても、みんな同じです。だから、永遠に風化しないで存続するのです。愛があって永続するのです。愛は永遠なのです。 それでは、永遠なる愛を願いますか、永遠の反対の不永遠の愛を願いますか? (永遠の愛です)。それは、なくならないということです。なくならないものは、変わらないものであり、変わらないし、なくならないものが宝なのです。ダイヤモンドは、宝石です。宝石は、なくなっては駄目なのです。それで硬くて崩壊しないし、永続するのだから、宝になるのです。金は、場合によって型が変わります。二十四金などがそうです。しかし、色においては誰も占領することができないのです。過去、現在、未来においても変わらない本性を持っているのです。真珠にしてもそうです。日本の真珠は有名です。和合のハーモナイズです。それを見た場合には、心が柔和になるというのです。しかし、真珠自体はもろいのです。このように、変わらないものを中心として宝物になるのです。 宝物のような人間になるには、変わる者になることですか、変わらない者になることですか? おじさん? (変わらない者です)。知っているのですね。そう真剣になって、ムッとした顔をしないでください。変わらない者です。そうした場合に、目玉からずーっと見た場合、すべてが相対的になっているのです。目玉も二つになっているのです。また三層になっているのです。目玉は何を象徴するかというと、神を象徴するのです。鼻は人間のアダムとエバを象徴するように、天地をつなぐのです。上は神様を象徴するのです。天地をつなぐのです。だから、二つが一つに、夫婦が一つにならなければならないのです。 口は万物を象徴します。歯は四つの八倍で、四掛ける八イコール三十二本になっているのです。すべての万物を象徴するのです。それで、万物が横的になっているのです。分かりますか? (はい)。耳は東西南北を象徴するのです。これは情報機関です。回る時には、目玉のために全部が回るのです。神様のために天宙が回るのです。だから神様は三層で、蘇生、長成、完成の三段階になっているのです。一つ、二つ、三つ。みんな三段階になっているのです。 神様の愛と人間の愛の決着する一点 人間はすべての層を構成し、形を総合した「小宇宙」と言ってもいいのです。人間には、すべてが入っているのです。心臓には動物が入っているのです。肺には万物が入っているのです。人間の中には、すべて入っていないものがないのです。ですから、人間を中心として分解して展開したものが被造物なのです。三段階の鉱物、植物、動物です。みんな鉱物要素、元素要素、気の要素を持っているのです。また人間は愛において全世界、全被造物を代表して包容できる愛を持っているので、動物も植物もみんなその愛を求めて、高く発展していこうとするのです。 人間の体に入ることによって、愛の本家に帰ることができるのです。万物の霊長の愛の接触点、天宙を創造した神の愛の接触点にみんな帰りたいのです。愛のために生まれてきたのですから、最高を願うのです。万物は人間の愛の器官のほうに、良心は神様の愛のほうに、心身が一体になって良心の愛の起点も肉身の愛の起点も一つにならなければならないのです。神様の愛と人間の愛が一点に決着しない以上は、神の愛の理想にも人間の理想にも、統一と平和の時代は来ないのです。この一点に決着させる道をつくらなければ、神様も人間も喜ぶ道はあり得ません。 このように被造物を一つにさせる、その結論から言った場合に、アダムとエバは一体何かというと、「見える神様である」と言うのです。分かりますか? (はい)。アダムとエバは何ですか? (見える神様です)。こんなに心身紛争する悪者にならなかった場合には、アダムとエバが完成したとすれば、神様の体になるのです。そして神様はアダムとエバの心になるのです。心の根っこに入るのです。神様が入るのですから、心は知らないことがないのです。みんな分かっているのです。教わることも、聞くこともないのです。聖書にも、アダムの名づけるとおりにすべてがなったとあるのは、そのことを言っているのです。 そうなると、アダムとエバの結婚式、肉身の結婚式は良心の結婚式なのです。結婚する時には、旦那さんも奥さんも、心を尽くして愛してもらいたいと願うのです。神様の代わりに愛してもらいたいのです。良心的か不良心的かというと、神様のようにです。今までは、神様を別にしてきたのです。自分と共に神様がいるということを知らなかったのです。良心も知らないし、愛も知らなかったのですが、その根っこはみんな自分の近い所にあるのです。すべて一つになったら感じないようにです。なぜ一つになったら感じないかということが問題です。 もし、愛が三〇パーセントあることを自分が感じたとすれば、一〇〇パーセントの愛の相対が生まれた場合に、三〇パーセント差し引いた、七〇パーセントの愛の刺激だけを受けることはできないのです。神様は、そんな不理想な立場の存在はつくりません。ですから、一つになった場合には、完全に零以下の立場、自分でも夢にも感じない立場に立つことによって一〇〇の愛の相対者があった場合には、一〇〇の愛がぶつかって、「ワー!!」と爆発的な刺激がくるのです。本当に正しい話でしょうか? それが信じられないならば、手を挙げてください。 みんな手を挙げてください。右の手をずーっと左のほうにつけてください。ぎゅーっとつけてください。何を感じますか? (鼓動です)。心臓ですか、鼓動ですか? 鼓動が聞こえるのであり、心臓が聞こえるのではないのです。(笑い)大変です。そんなでたらめなことをやって、通じるのではありません。初めて鼓動の音は分かりましたが、鼓動を一日に何回聞いたことがありますか? 急いでばかりいて、一年間も知らないのですね。 鼓動を聴診器で聞いてみると大変です。爆弾の破裂するように「コン!コン!コン!」と大変です。あなたたちも、こうやった場合には(先生が胸に手を当てる)すぐに分かるのです。こうやると、すぐに分かるのに、なぜ感じないのですか? (一つになっているからです)。目をぱちぱちと、一日に何千回まばたきをしますか? 一日に一回でも数えたことがありますか? それを三時間数えたら気違いになるのです。(笑い)その回数が分かったとすれば、大変なことです。分からないから感謝なのです。分かりましたか? (はい)。一つになっているから、感じないのです。 そこで問題は、愛も生命も血統も良心も分からなくなったということです。神様も分からなくなったのです。その相対なる男の前に、女たるものはみんな出動です。「愛、生命、良心、血統、ワー!」と。そして、神様がその真ん中に入るのです。すべて宇宙構成と同じように、真ん丸になるのです。作用も同じです。宇宙構成がみんなそうなっているのです。 それで、神様はどこにいるのですか? 自分と一番深い、最も秘密のところと一つになっているから分からないのです。いないのではないのです。良心に反対する者には、みんな「この野郎!」と、神様は命令を送っているのです。自分がやるのではないのです。分かりますか? (はい)。 このように見た時、神様が遠くなったのですか、近くなったのですか? (近くなりました)。アダムの結婚式は、神様の結婚式です。父であり、親であるということは、自分と一体圏でつながっているのです。それを知らないから、でたらめにやっているのです。そういうことが分かった場合には、良心を避けていくことはできないのです。真の愛を避けていくことはできないのです。真の生命、真の血統を避けていくことはできないのです。正々堂々と天の掟に従って完璧な男、完璧なる女、完璧な理想体として、神様の前に堂々と立ち得るようにならなければなりません。 愛という概念があっても、愛を得るには凹凸が一つにならなければ、愛を占領することはできません。では、概念が始めでしょうか、実体が始めでしょうか? 概念が始めなのです。凹凸というものは実体であり、実際です。それが始めではないのです。凹凸になっているのは、愛のためです。愛の観念が一つになることによって、その愛が自分のものになるのです。分かりますか? (はい)。 愛の概念が良心の中に入って、それが男、女の凹凸の肉身になって、一つになるのです。愛の一体圏の相対になるのです。そうなることによって、神様の前に一つになって、神様の愛の肉体みたいに、神様の愛となって一つになるのです。だから、神の愛は自分の愛、自分の愛は神の愛となり、愛で一体になって、神は私のもの、私は神のものになるのです。しかし共産党は、自分のものは自分のもの、君のものも自分のものと考えるのです。 家庭は天国の基地である ここで、問題提言です。宇宙の初めにおいて、真なるもの、貴いものは、見えるものか見えないものかというのです。愛は貴いですか、貴くないですか? (貴いです)。生命は貴いですか、貴くないですか? (貴いです)。それでは、血統とか良心は貴いですか、貴くないですか? (貴いです)。神様は尊いですか、尊くないですか? (尊いです)。これらは、みんな見えないのです。このように見た場合、神様が環境をつくられる時、太陽と水と空気をつくりました。愛というものも、空気も見えないのです。しかし、空気がなかったならば大変です。貴重なものは、目に見えないのです。分かりますか? (はい)。 もし、神様が見えるようだったならばどうしますか? アメリカの神様にまかせるのですか、日本の神様にまかせるのですか? (日本の神様です)。(笑い)そうなると、世界各国共々に、神様を中心として戦争するのですか、しないのですか? (します)。大変なことです。神様は利口な王様だから、そのようなことはしません。もし身体を解剖して、そこに神様を隠すとすれば、その足を切って持っていく者がいますか、いませんか? (います)。大変です。隠すところがないのです。 貴いものを隠すところは見えないのです。分かりますか? 今、何と言いましたか? 貴いものを隠すところは、見えるところですか、見えないところですか? (見えないところです)。尊い神様を人間として納めるべきところは一体どこですか? 見えるところですか、見えないところですか? (見えないところです)。当然、見えないところに神様はいなければならないのです。 では、貴いものは古いボロ布に包みますか、錦の布に包みますか? きれいな甲板の上に置きますか、汚い所に置きますか? 汚ければ汚いほど安全だというのです。ですから、先生もこんな着物を着ているのです。でなければ、文先生がどこに行っても、みんなが一つ所に集まって大変なことになるのです。先生の行く先々で大変です。みんながぞろぞろ、ぞろぞろとついてきて、それはもう大変なことです。だから、知られないようにボロを着て、このようにして、「ワー、ワー、ワー」と叱り飛ばすのです。 それでは、目の先祖は見えるものですか、見えないものですか? それらは、別個のものではないのです。みんな相対的になっているのです。良心は縦的で、肉身は横的につながっているのです。縦横が交差しなければ、存在物が生まれてこないのです。前後左右が立体圏になるには、上下関係が父子関係、東西関係が夫婦関係、前後関係が兄弟関係で、これらが一つになって球体を成すのです。そして球体の中心は愛なのです。親の愛、夫婦の愛、それから神様の愛、神様の子供の愛、兄弟の愛です。 それらの愛が、全部ばらばらの決着点にあったのですが本来一つであり、一つだから球体を成して、その面を足せば十二面です。それは、どこに合わせても合うのです。九十度で合うのです。ですから、そこにくっつければ、お母さんの愛、お父さんの愛、おじいさんの愛、おばあさんの愛、孫の愛、孫娘の愛、嫁さんの愛、みんなが一点にとどまるのです。ここに神様は住みたいのです。この中心を握って、神様のおられる上座に行けば、全体が引っ張られてくるのです。これが家庭というものです。家庭は宇宙の国の元です。家庭は天国の基地です。出発点です。地上天国、天上天国の出発点です。その愛の一体圏は、自由の出発点です。分かりましたか? (はい)。 自由は、どこかほかにあるのではないのです。愛なくして、自由はあり得ません。男と女が裸になったとすれば、大変なことです。あなたたちは女の前で裸になる自信がありますか? みんな、女が見ていると大変なのです。色気のある女はどうなるか知りません。先生は関係したことがないのです。皆さんはどうか知りません。 統一教会の素晴らしいところは、大学生が食口になっても、たくさんの男女が共に住んでいても、男女関係が悪いという噂のないことです。そのように書かれた新聞を見たことがありますか、ないですか? (ないです)。そうだとすれば、日本は統一教会に賞を授けるべきです。国民全体がです。今や「めちゃくちゃになって、十二歳から性教育をしなければならない。未来は性の世界が来る」と言うのですが、そんなことはありません! 文先生がいるのです。それを撲滅させる王者が文先生です。 愛の神秘境の内容をすべて知っている神様 それで、目に見えるものと見えないものが一つであるように、神様と人間は一つにならなければなりません。それは、真の愛によってです。分かりましたか? (はい)。目玉を見れば、目玉というのは物です。その目玉が生まれる時に、目玉自体は何も知らないのです。概念というものはないのです。考えがないのです。そう見た場合に、目玉が生まれる時、目玉は太陽があったことを知っていたでしょうか、知らなかったでしょうか? 目玉自体は太陽があることを分かっていたのですか、分からなかったのですか? (分かっていました)。 そうだとすれば、太陽が生まれてくるのを見ていたというのですか? それが問題です。分かっていたと言う者は、馬鹿者です。物がどうして分かるというのですか、私の語るのが分かるというのですか? 分からないのです。しかし、目が生じた時、太陽が見えるようになっていたのです。分かりますか? 目玉が太陽を見たいという思いを持っていたということになるのです。目玉が生まれるに先立って、そういう思いがあったということは否認できません。それは、神でも何でもないのです。目玉が、太陽を見たいという思いを持っていたのです。太陽を見る前に思っていたというのです。そういう思いを持っていたので、そういうふうに見るようになったというのが理論的です。目玉自体は、そんな要求をすることができないのです。知らないのです。それが見えるようになっていたということは、太陽があるということを、先に知っていた者がいたということを否定できません。分かりましたか? (はい)。 それから、目玉は、空気には塵が飛び交うということを分かっていたでしょうか、分からなかったでしょうか? 空気があって、風が吹いて、ゴミがぶつかり合うということを分かっていたでしょうか、分からなかったでしょうか? (分かっていました)。 この睫は、なぜあるのでしょうか? 空気の中のゴミが飛んで、目の中に入るのが分かっていたのでしょうか、分からなかったのでしょうか? (分かっていました)。分かっていたのです。睫をここに配置したのは何をするためかというと、目を守るためです。目自体はそれを知らなかったのですが、そのようなことを知ってくっつけられたのが睫です。それは否定できません。既にそれを分かっていた者がいて、目を保護するために、そこに睫をつけたのです。これを、目玉の中につけたらどうでしょうか? (笑い)「自由にそうなったのだ。自動的にそうなったのだ」など、そんな馬鹿な理論はないのです。分かりましたか? (はい)。 誰も知らないのに、宇宙的な博学的な知識、膨大な知識を持っている者がいて、すべてが配置されているのです。世界に愛の医者が何百万人いると思いますか? どんなにたくさんいても、愛の神秘境を研究しても、また研究しているのです。すべてが物だけではないのです。分かりますか? (はい)。このように神秘境の内容を、分かっている者がいたのだから、その名前は「神様」以外にはないというのです。 そればかりではなく、また目玉自体が空気にふれた場合には、輻射熱によって水分が蒸発するようになっているのです。大変なことです。目玉に水がなかった場合には、目をぱちぱちしているうちに火がついて、大変なことになるのです。ですから涙腺という水道装置があるのです。それは、目玉が分かって付けたのでしょうか、分からないところで自動的に付いていたのでしょうか? (分からないところです)。分からないうちに、そういう装置がなされていたのです。それは、そのことを分かっていた者が、絶対に必要なことを分かっていた者が、そういう配置をしなければ目玉自体ではそんなことができないのです。このことを文先生が指摘したことによって、共産党は完全に屈伏したのです。彼らが唱えてきた「精神は物の副産物である」ということは、間違っています。訂正論理を認めざるを得ないというのです。 では、眉毛はなぜこうなったのでしょうか? こうなって、こうなっていたら(先生が両手の人差し指で時計の二時五十分の形をつくられる)もっといいのですね。(笑い)汗が目の中に入るのを防ぐために、長い睫でこうやってはじけばいいのに、大変です。この睫がパッパッと動けば、その先を通って、汗は移行して流れるようになっているのです。 眉毛は、自分で目玉を保護するためにここにくっついたのでしょうか? そんな馬鹿な理論はないのです。ここの溝(ほほと上唇の間)は誰が彫ったのですか? 汗がみんな流れて、こっち(口)に入るのを知っていたからです。みんな流れていって、こうなった場合には、(汗がほほを伝って口に流れ入るようなしぐさをされる)前もって知っているのです。そう考えると、首にしても、手にしても、みんな神秘的です。人間は、こんなにも貴い神秘中の神秘の王宮を中心として生まれたのであり、神がいないとか、自然的に生まれたとか、そんな馬鹿な論理は二十世紀以降、二十一世紀のコンピュータの時代には通じません。 そうなると、「神様はいない」と言う者が馬鹿ですか、「神様はいる」と言う者が馬鹿ですか? (いないと言う者です)。いないと言う者が馬鹿です。馬鹿は死ななきゃ直らないのですね。(笑い)利口な文先生は、共産党打倒を天宙に宣言したのです。夜も昼も、春夏秋冬を超えて、永遠を超えて宣言して共産党をやっつけてしまいました。(拍手) 民主主義の右翼と共産主義の左翼の動機を、みんなは知らないのです。それをみんなが知った場合には、安心して神に頼って、永遠の軌道に乗って、神の国を中心として、神の保護の前に立って、朝の挨拶、昼の挨拶、夜の挨拶をして、自由に世界を回ることができるのです。そういう無限解放の主体の人間になるか、無限閉鎖の無相対的な者になるか? どちらになりたいですか? 無限主体的な人間になりたくない者は手を挙げてください? 誰もいないですね。人間は尊いものです。みんな分かったようですね。分かりましたか? (はい)。大変なことが分かりましたね。 神様はいるのです。先生の話を聞いても、まだ神様はいないと言う者は手を挙げてみなさい。この野郎! 日本刀で切ってしまいます。神様にすれば、「いやー素晴らしい男だ、よくもやった」と言うのであって、悪いことをやったとは言わないのです。ですから、自信を持ってこの道をたどってきたのが文先生です。誰かに習ったものではないのです。戦って勝利した基台を紹介しているのです。勝利の実物を相続してあげるのです。教えるのではなく相続してあげるのです。一〇〇パーセント、そのようになってもらいたいから、枝を加え、実を加えるように、こぶを付けるようにして相続するのです。 相続させる先生は、自分が主管してきたものよりも、小さくなることは願わないのです。優る者であれば、間違いなく相続するのです。ここに集まった者は、優る者に違いないと思って、先生は熱心に教えてあげるのです。「ありがとう」と言わなければなりませんね。(拍手) それでは、あす、また続きを話すことを約束して、今晩はこれでおしまいにしましょう。(拍手)ありがとう。ありがとう。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.07.03
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「二十一世紀と女性の使命」日付:一九九四年十月十二日場所:韓国、ソウル、リトルエンジェルス芸術会館行事:女性指導者セミナー(真のお母様) 中国からお越しいただいた女性指導者の皆様と国内各界の女性指導者の皆様、そして「世界平和女性連合」の幹部の皆様。きょう、韓国と中国の二国の女性指導者が一堂に会し、平和世界を模索し、また世界女性時代の到来を確認するこの場において、私が激励の言葉をお伝えできますことを光栄に思います。 二十一世紀を数年後に控えた私たちは、激動の二十世紀とともに、また別の新世紀を自らの生涯の中で経験できる特別な立場にある人たちです。これは単に二つの世紀にわたって生きるという意味だけではありません。人類歴史を貫く摂理は二千年を単位として進行するので、二十世紀を締めくくり、二十一世紀を準備することの意義は、実に大きなものなのです。 歴史とは移り変わるものではありますが、今世紀はその変化の幅があまりにも大きく、予測ができないがゆえに、現代の人々は恐れさえも抱くようになるのです。科学技術が高度に発達した未来社会は、果たして人類に幸福ばかりをもたらしてくれるのでしょうか。何年かのちに近づく二十一世紀の人類は、高次元の情報化社会において、いかなる生活様式で暮らすようになるのでしょうか。未来を暗くする人類が直面している数々の問題は、いかに解決されるのでしょうか。倫理と道徳と新しい価値観の確立の問題、犯罪と麻薬、エイズ問題、青少年問題、戦争と飢餓、宗教紛争などは、どのように解決するのでしょうか。このような問題に対する根本的な解決がない限り、二十一世紀にかける人類の夢は決してかなうことはないでしょう。今や、各国の個別的な問題としてではなく、人類の全体的な問題として解かなければなりません。天から啓示された新しい真理によって、問題が解決され、将来が明確に予見されなければならない時なのです。 二十一世紀を目前に控えた女性たちは、これまで女性の真の価値を知らない男性たちから、きちんとした待遇を受けられませんでした。十九世紀の西欧における女性の参政権獲得運動から始まった近世以降の女性運動は、女性解放の旗印のもとに発展してきました。フェミニズム、男女平等、女性労働運動など、主に男性を相手とした女権回復の運動でした。このように女性運動の主流は、女性だけのために男性と対決する形態が大半でした。しかし、私が「世界平和女性連合」を通して展開する運動は、これとは異なるものです。神様の創造理想を中心とした新しい理念基盤の上で推進される、女性だけのためではなく、全体のための女性運動なのです。 男性優越論者は、男性と女性がその生まれながらにしてもつ気質と役割ゆえに、自然と男性が優越した位置に定まったと主張します。言い換えれば、男性と女性は、その気質が生まれたときから異なり、それに従って男性と女性の役割が異なるようになり、それによって男性と女性の身分と位置が上下の地位、すなわち男性優位に定まったという理論です。これまでフェミニストたちは、この理論に過敏な反応で立ち向かってきたと思います。女性は、あらゆる面で男性のまねをし、また男性のような役割を受け持つことによって、男性と対等な地位を確保しようと努力してきました。 それにもかかわらず、完全な男女平等は成し遂げられませんでした。これは問題の本質を知らなかったからです。女性の役割が男性と異なり、その生まれながらにしてもつ気質が男性と区別されたからといって、女性の価値が男性よりも劣り、その地位が低いわけではありません。女性の不幸は、女性が神様からもらい受けた本性と役割がいかに貴いものかを知らないところに由来しているのです。多くの女性たちが、自分のもっているものを忘れたまま、別な一方の男性の気質と役割を女性の標本であるかのように、まねしようというところから問題が引き起こされてきたというのです。 敬愛する女性指導者の皆様。女性は、無形の神様の性相と形状、そして陽と陰の二性のうちの一性を代表する個性真理体です。ですから、女性は、もう片方の神様の一性を代表する男性と競争関係にあるのではありません。また男性の単なる補助者ではなく、男性を全きものにしてあげるべき独立したパートナーなのです。神様は、男性と女性の人間を造られるとき、それぞれを互いの理想的対象体として立て、真の愛によって一つになるようにしました。 真の愛の理想を中心として見ると、女性は男性の完全な愛の対象であり、価値から見て、男性と女性は絶対平等の存在なのです。ここにおいて、男性と女性の気質が異なることは問題になり得ず、かえってそれが愛の刺激を誘発する要因となるのです。本来、真の愛によって一つになった男性と女性は、互いに同じ地位となる同位権をもつようになります。また真の愛によって一つになった男性と女性は、いつどこでも共にする同参権をもちます。さらには、真の愛によって一つになった男性と女性は、互いのものを第二の自分のものとして共有する相続権を得るのです。このように、神様の真の愛の理想のもとに一つになった男性と女性は、同位権と同参権だけではなく、互いのものをもつことによって価値的に完全に平等な存在となるように創造されたのです。 したがって男性と女性は、相手の気質と役割をまねたり、それを羨んで取得したりする必要のある対立関係ではありません。真の愛によって、自分のものを相手に与えることによって、相手側をさらに完成させてあげながら一つになることによって、互いを共有する関係なのです。 女性指導者の皆様。女性は、神様が女性だけにお許しになった貴い本性と愛情をもち、子女を身ごもり養育しながら家庭を指導するという、重要な役割をもっています。女性は、愛の結実を抱き、育てる自己犠牲を通して、一族と人類の代を継いでいきます。外的な母親の労苦も重要ですが、胎教から子女の心性を正しく育て、人格を涵養する母性の役割というものは崇高なものです。 今後人類は、だんだんと世界化と多元化が進む社会の中で暮らさざるを得ません。未来の世界において、女性の崇高な役割は、家庭単位ではもちろんのこと、社会全体が切実に求めるようになるでしょう。つまり、人類の未来全体を宿し、生んで養育することが、歴史的な次元の母親の役割であると言えます。母性の役割がないとするならば、人類の希望と明るい将来はどこに宿るというのでしょうか。未来の主役である善男善女たちはどこから生まれ、誰から基礎教育を受けるのでしょうか。 敬愛する女性代表の皆様。歴史は長い間、男性主導のもとに続いてきました。ほとんどの男性たちは力によって人類を誤った方向に導いたのであり、葛藤と分裂、そして不条理な社会をつくってきました。そのように、歴史の遺産として山積し、清算すべき問題として直面している課題もまた多いのです。人類が二十一世紀を希望の中で迎えるためには、今や女性の役割が絶対的に必要とされるようになったのです。真の父母を中心として天運と共に到来した女性時代を迎え、世界の女性たちは、施しを実践する真の愛運動を生活化し、新しい家庭と新しい社会をつくっていかなければなりません。一つの世界家族として共に暮らすべき二十一世紀に向かう、そのような国際化と世界化の趨勢の前に大きな障害要因となるのは、極端な個人主義と利己主義です。しかし、その道へと突き進む人の心は、真の愛によってのみ克服することができるのです。 真の母と一つになった女性が、愛の感化力によって天道にかなった子女を養育し、母子協助によって夫を全きものにしてあげ、理想家庭を築かなければなりません。これは正に真の父母の真の愛、真の生命、真の血統を受け継ぐ運動なのです。このように立てられた理想家庭を通して理想的な社会、理想的な国家、理想的な世界を創建していかなければなりません。女性指導者の皆様は、この運動の主役となってくださることを願います。 この目標を達成するために、自覚した各国の女性たちの協力と国際的な活動が求められています。各国の指導者たちは世界の共同利益を国益よりも優先しなければならない地球環境の条件と国際関係を切実に感じて実践する時が来るでしょう。 今回の韓中女性指導者たちの集まりと交流が、理想世界を成し遂げるための国際的な女性活動の模範となることを期待します。国境と人種と宗教理念の壁を跳び越え、一つの世界を指向する歴史の進行の前に、両国の女性指導者たちの協力が、アジアの平和はもちろん、世界の平和を成就する転機となることを祈りながら、激励の言葉を終わりにします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.21
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第1回活動紹介「ミライオーが行く!YSP南愛知!」(8) MIRAIOH TV - YouTube2022/05/25 皆さん!こんにちは!今日はミライメーカープロジェクトの活動紹介第1回目ということで、「YSP南愛知」の活動をミライオーくんがお届けします!YSP中日本では、未来を創るミライメーカー達が、地域を、そして日本を元気にしようと活動を展開しています。各地で活躍するミライメーカー達を、毎月1回紹介していきますので、皆さんのチャンネル登録とグッドボタンをお願いします!6月は「YSP北愛知」の特集になります!お楽しみに!!!TikTok:https://www.tiktok.com/@miraioh_tv?la...一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.28
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「現地の整備」(その2/2)1993年12月21日韓国・済州研修院 繁栄と天国に通じる道 先生は結婚生活の美術化、芸術化のことを言っているのです。「芸術的な結婚生活、美術的な結婚生活をしなさい」と言うのです。女が結婚するのは、愛を受けるためだというのですが、そうではありません。女は、家庭においては、愛の女王様です。この前は、女は空き箱だと言ったね。女は何も持っていないと聞いたでしょう? しかし、この正面のものは誰のものですか? その話もしたでしょう? 顔と、それから女のそのものは誰のものですか? 忘れたのですか? 真剣な話です。これは旦那さんのもの、これは子供のものです。旦那さんと子供のためのものです。自分のためのものは一つもないのです。だから愛の相対者は、自分よりも立派な人を願うのです。それは、神様から来たものです。神様がそうだったのです。自分よりも立派な者になるように、一〇〇パーセントの神様が一〇〇パーセント投入しても、同じものしか生まれてきませんが、何億以上も立派なものを願うのだったら、何億回も忘れて投入しないと、そういう相対は生まれてきません。だから真の愛の道は、投入して忘れるような立場をとらないというと、そういう真の愛は生まれてきません。自分の生命を投入して忘れるところから、真の愛が出発するのです。分かりましたか? (はい)。 真の旦那さんとは、奥さんのために命を捧げて、再び生まれ変わっても奥さんのために生きるという男でなければ、真の男ではありません。真の旦那さんではありません。女も同じことです。父母も、子供に対して自分の命を犠牲にしても、再び 蘇 っても、また子供を愛したいと思うところに、真の愛が出発するのです。これをはっきりとしないといけないのです。分かりましたか? (はい)。 真の愛とは、平常ではないのです。自分の地上の父母より以上でなければなりません。父母として命を犠牲にし、蘇った場合にも、再び命を投入し得るような立場にならないと、真の父母として神様に似た父母の後につくことはできません。分かりますか? (はい)。真の愛という出発点は、そこです。だから聖書は、はっきりと教えているのです。「死なんとする者は生きるのです」。死の峠を越えることによって、真の愛を迎えることができるので生きるというのです。分かりましたか? (はい)。 「死なんとする者は生きる」。生きるということは、真の愛によって生きるようになっているのだから、死を越えないというと真の愛は迎えられないのです。こういうことを原則的に、理論的に、整理しておかなければならないのです。だから末の時代には、後の者が先になり、先の者が後になるのです。それは何かというと、統一教会に、初期に入った者と今入った者とは、心霊基準が違っているということです。 あなたたちも考えてみてください。最初に統一教会に入る時、原理を聞いて「いやー、これだったら自分も天下を統一できる」という自信を持つのです。それがだんだんだんだん消えていって、小さくなってしまうというと、出発より悪くなってしまうのです。いくら感動的な話を聞いても、感動しなくなるのです。いくら自分の昔の基準に帰ろうとしても帰れないのです。それは病人になったのと同じことです。それは死亡と地獄に通じます。しかしそれに比べて後から来た者は、よく興奮するのです。興奮する者は、時が違っているのです。 昔は迫害が多かったのだけれど、今は迫害がないので、後の者が先になりやすい時代になりました。古くなった統一教会のメンバーは覚醒しなければなりません。だから先生がいつも考えることは、きのうよりもきょうと、一歩でも新しいことをプラスさせる発想です。それは成長することです。分かりましたか? (はい)。 きのうやったことよりも、きょうは一つでもいいからプラスさせるのです。そうすれば、少しでも成長したことになるので、繁栄と天国に通じるのです。一歩落ちた場合には、後退と地獄に通じるのです。神様はいつも新しいものを願います。古いものが三日たまった場合には、神様は要らないのです。分かりましたか? (はい)。だから何かしないといけないのです。何か新しいものを開拓していくのです。先生もそういうふうにして、世界的な基盤をつくりました。秘訣はそこにあるのです。 きのうよりもきょう、新しいものに向かって前進するのです。辛く難しいことでも、死亡圏に結ぶことはできないのです。命懸けです。真剣です。未来のために準備するのが、一番の後退しない秘訣です。分かりましたか? (はい)。未来のために準備することです。こういう修練会も、五年前はみんな気違いのように思ったかもしれないのです。しかし、きょう院長さんが言ったように、未来のために準備していたのでできたのです。だから参加した者は、五年、十年先に、自分が発展する条件になるのです。分かりましたか? (はい)。それが生き残る秘訣なのです。 それでアメリカにおいて、先生は十年以上、二十年以上先のことを、みんな準備しているのです。だからお母様は、今まで国を動かしてきた全国家的最高の者たちの歓迎する中で、講演ができたのです。国を超えた全世界の人々のために、四十年前から準備してきたからです。 そのように、一日の中で発展させたプラスの状況を残すことです。そうすることによって、繁栄の基盤をどこまでも残したことになるので、神様も関心を持たざるを得ないのです。理論的なことです。 それで先生は、山に登っても必ず、「一、二、三」以上の数を足踏みしてから座るのです。そういう精神で、新しくプラスさせるのです。寝ることにしてもそうです。勉強をするにしても必ずそうするのです。何事においてもそういう伝統、そういう精神を生涯続けることによって、大きな実績が、普通の人にはできない実績が残るのです。ですから休む暇がないというのです。 この周辺に神様が憂うる人がいた場合には、「誰か教えてください」と祈ると、さーっと教えてくださるのです。そうなれば「伝道するな」と言われても、伝道せざるを得ないのです。ただ生きていて、人生がそれでおしまいではないのです。生まれた価値以上の基準に立てるかどうか、それが自分の生涯を懸けた価値になるのです。その価値が、永遠の神の国を相続する基準になるのです。 ですから、未来に向かってたくさんのことを準備した場合には、神様の思いが何十年も長く続くのです。そのために、自分が保護されるのです。未来を考えず準備しない者は、個人も国も滅んでいきます。流れていきます。先生は、この歴史とともに流れていく現状を考えて、世界を止めて引っ張り出そうとするのです。それは、未来の基準を持っているからです。アメリカもそうです。先生がアメリカの大統領まで指導するようになったので、問題なのです。一人で世界を指導し、国の運命を左右する見本をつくるのは簡単なことではないのです。四十年以上の歴史が必要だったのです。そこには、悲惨なことがたくさんあったのです。そういうことも過ぎ去った場合には、歴史になるのです。分かりますか? (はい)。真剣なのです。 女さんたちも旦那さんを迎えて、十年、二十年が過ぎた場合には、旦那さんに対して二十年間プラスさせながらやってきた自分があるかというのです。もし、なかった場合には、この公式において落第です。どう思いますか? 真の父母と完全に一つとなって良心の本然の基準を回復する もう帰る時間の十二時が一時になりました。現地の整備の話として、旦那さんをどういうふうに処理するのですか? ただ座っていて殴られたり、叱りとばされたりするようになってはなりません。先生は大嫌いです。主張すれば必ず勝つようになるのです。「先生の言うとおりにやれば、大変です。今は週刊誌でやられます。周辺が大変です」と。周辺には何もありません。分からないことを吹っかけてくるのです。証言しなさい。証を立てなさい。裁判所でも、証言がなかった場合には判決が出ないのです。 「君は、何でそんなことをやるのか 一方的に悪いと誰が決めたのか。裁判所でもない」。裁判所には検事がいて、弁護士がいて、互いに弁論し合って、そこで証人と証拠物を比べて判断するのです。新聞の噂は、人間がいくらでもつくることができるのです。野党は与党をいくらでも攻撃することができるのです。サタンは神様のほうをいくらでも犠牲にさせることができるのです。何を言っているのですか 証を立てなさい。分かりましたか? (はい)。それに、今は時が違うのです。向こうは天使長であり、こちらはエバの立場です。今から引っ張り合いになった場合には、価値が逆転するのです。 この前も話したように、神様を信じる女たちを助けるために結婚を自由化したのです。この話は、もう聞いたでしょう。真剣に考えないといけません。それが神様の法則なのです。結婚していても、そんな男は相手にしなくていいのです。先生がもっと立派な旦那さんを紹介してあげます。本当です。霊界には、たくさんの旦那さんが待っています。 それはそうとして、男は天使長です。間違いないのです。だから男たちが今まで世界を支配してきたのです。天使長が支配しているのです。それは失敗者であり、失敗せざるを得ないのです。天使長は、神様の前に復帰されていく世界をめちゃくちゃにしてしまったのです。しかし神様は、めちゃくちゃにされても、その破壊されたものを再建設します。先生がきれいに建設していきます。 君たちも、過去にやってきたことが、サタン世界のことであるとはっきり分かった場合には、先生の話を聞かざるを得ません。高次元な人間の価値が明らかに分かるようになるのですから、これを聞かなければなりません。「良心は両親に優る、良心は先生に優る、良心は神様に優る」と訴えたでしょう。それが大切なのです。それを体恤して一つにならないというと、四大心情圏につなぐ道がありません。心身を一体にさせなければ、四大心情圏に通じる道がありません。分かりましたか? (はい)。 四大心情圏を知らないと、堕落したということが分からないのです。堕落したことによって、良心を失ってしまったし、良心が無力になってしまったのです。それで再臨主が、長成期完成級基準まで下がってきて、現状まで解決して梯子をつくったのです。ですから真の父母と絶対に一つになった場合には、真の父母の代わりに、どこにでも上がったり下がったりできるというのです。アダムは、分からなくて堕落したのですが、先生は分かっているのです。分かっているのだから「君、何だ、これは」と、堕落した基準に下がって讒訴することができるのです。 ですから、真の父母と完全に一つになると、良心はもっと神様と一体となるような道が近寄ってくるので、だんだんと力が強くなって、肉身の主管は問題ないのです。そうして、肉身と一つになることによって四大心情圏の因縁を結び始めるのです。四大心情圏は、良心の本然の基準を回復しないとできないのです。分かりましたか? (はい)。 旦那さんを、そういうふうに正していきなさい。一方的に反対する父母がいた場合には、談判しなさい。「お父さんお母さん、なぜ統一教会に反対しますか 自分の娘が、自分の息子夫婦が信仰するのに、新聞社の新聞紙より娘をなぜ信じないのですか?」と。「いっぺんも調べないで、こんなむちゃな暴力的なことがありますか? それがお父さんの使命ですか そんなことはできません。さあ、お父さんお母さん行きましょう。その噂が本当だとすれば証明してください。でなければ娘の話を聞いて、修練所で統一教会の原理を聞いてみてください」と。(両親は)娘の話を聞くべきですか、新聞社の話を聞くべきですか? 新聞社が今やっているように、野党は与党をいくらでも攻撃することができます。事件はいくらでもつくることができます。今や、みんな何十回、何百回とお金をやって噂を流して、それで三人以上が証言をすれば、裁判所で勝つというような世界になっているのです。文先生は黙っているのですが、悪い人ではないのです。偉大だからです。偉大だから、黙っているのです。分かりましたか? (はい)。 そういうふうに正していきなさい。「お母様とか、統一教会の話を聞いてみなさい。それも聞かないで何ですか」と。弁護士の話は裁判所でも聞くのです。「娘が弁護士みたいになっているのに、なぜ話を聞かないのですか? 文先生は悪くないと言っていることを聞いてみてください」と、談判するのです。 先生は十二歳の時に、おじいさんから父母まで、みんな教育してきたのです。朝も挨拶に行くのです。ちょっと遅くなったら、「なぜ遅くなったのですか?」「ちょっと用がありました」。「おじいさんは早く来るのがいいですか?」「はい」。そう言って、入っていくのです。 それで、夜十二時過ぎに門を叩いて、「ああ、おじいさん」「何だ?」。「私です」「なぜ来た?」。「入ります」と、門ごしに入るのです。たいがい田舎は門を閉めないのです。入ると、もうびっくりして起きるのです。そこで、先生が「おじいさんとおばあさんは、寝たまま挨拶するのですか?」と言うので、びっくりするのです。そうして「上がりなさい」と言うのです。「何時に来たらいいですか?」「昼の十二時過ぎに来なさい」ということで、とうとう、おじいさんも、先生を迎えるようになりました。 それからお母さんも、みんな十二歳で集めてしまったのです。そういう作戦をしなさい。先生も子供の時に、そういう作戦をしたのです。そのようなたくさんのことがあるのです。先生には謎が多いのです。十五、六歳の時は、みんな家まで引っ越しさせたのです。先生が裁判所へ行きながら、みんな取っていったのです。悪い者は放ってはおかないのです。分かりましたか? (はい)。 今からは、自分が一家を治める整理をしないといけないのです。今からは国を整理しないといけないのです。そういうためにも、こういう運動が必要なのです。誰もできないことを、どんどんやるのです。先生が何回もやってみて言うのだから、信じてやりなさい。分かりましたか? (はい)。 ちゃーんと周辺をまとめて、堂々たる生活をする奥さんになりなさいというのです。そのようになりたいですか? (はい)。なりたいのですか、なりたくないのですか? (なります)。やりなさい。(やります)。はい、ありがとう。(拍手) 立派な旦那さんをつくる道 そうなったら、旦那さんが問題ですね。旦那さんは、簡単です。今まであなたたちは、旦那さんを知らなかったのです。男を知らなかったのです。男を知らないからそうなるのです。女と男は違うのです。まるで正反対なのです。女の 懐 に男を巻き込んでいくようなことを考えてはいけません。男の懐に女がジャンピングして飛び込まないといけないのです。方向が間違ったからそうなるのです。分かりましたか? (はい)。 女は自分の旦那さんを、立派な旦那さんにしなければなりません。立派なお母さんは何も持っていませんが、愛の心でもって立派な子供を養育することができるのです。分かりますか?(はい)。それ以上は必要ありません。愛の心でもって子供を養育していくのです。子供は一〇〇パーセントお母さんを真似るのです。それで夫婦生活も、自分の兄弟と同じにするのです。夫婦生活をする時に、兄弟の中に自分たち夫婦と同じような者がいたら、みんな比べ合うのです。 お母さんは、娘の旦那さんとお父さんと比べてみるのです。娘は自分の旦那さんを兄さんと比べてみるのです。それでお母さんが毎日、何かと言いつけた場合には、娘が自分の兄さんに何かと言いつけるのです。本当です。子供は親を真似るのです。子供は真似して習うのです。誰も横で教育する者がいないのです。お母さんを八〇パーセント習うのです。これは大変なことです。ですから親不孝なお母さんは、不孝者をつくるというのです。 それで、自分の旦那さんに対して、相対的な立場に立ってはだめです。天は高いし、地は低いのです。愛を絞り出すようにしなければなりません。女が高い所に立てば、愛は下に流れるものであって、上に上がるものではありません。女が垂直に立てば、完全に愛のパッケージがそのままになるのです。角度があればあるほど、流れが多くなるのです。だから女は、男のために完全に奉仕しなさいと言うのです。 お母さんが本当に、自分の子供を養育する秘訣は、子供に奉仕することです。そのことによって立派な子供に成長していくのです。奉仕しなければ、めちゃくちゃになるのです。奉仕しかないのです。旦那さんもそうです。 結婚生活は、すべてが初めてです。自分の主張を奥さんと共に分けあったり、自分の主張を譲るような立場になってはいけません。ぶつかる立場なのですから、自分も共に高くなると思うとだめです。誰かが低くならなければなりません。そうなった場合には、殴ろうとしても、低いから殴るのが大変です。殴る時には、こういうふうに殴りたいのです。高いから殴られるのです。下を向いている女を殴る者はいないのです。 君たちはたくさん殴られたでしょう? 殴るのは口数が多いからです。口のためにそうなったのです。だから、口を閉めよと言うのです。だから堕落した女たちは口を恥ずかしがるのです。堕落は口からきたのです。口を慎めと言うのです。それを「ちょっこく」というのです。(直告=事実をありのままに告げるという意味)良心が「ちょっこく」しないというと、寿命を延長させられないのです。一瞬でも延長してもらうことによって、復帰の時間を得ることができるのです。 ですから良心は、自分の知らないうちに悪いことをした場合には、夢の中でも発表します。それを「ちょっこく」というのです。そのように発表するようになっているのです。女は口に注意しなければなりません。聖人とは、口と耳の王様です。人間は口と耳を守れば聖人に近くなるのです。「成長して、正常になるには、口と耳を守れ」と言うのです。王様は、なかなか発表しない人です。みんな聞いて発表した場合には、それが法律の代わりになるからです。一言で、国が行ったり来たりするのです。だから、慎重になるのです。 旦那さんは天です。愛する時には旦那さんが上にいくのですか、女が上にいくのですか? 男でしょう。愛という尊いものを中心として関係する時には、男は上、女は下です。だから愛を中心としてみれば、夫婦生活は、女が下になったほうが安全なのです。上になると転覆するのです。基本的に、男から愛を貰おうとする時、愛は一番下へ流れていくのです。空気と同じです。だから旦那さんも、愛を貰うには奥さんに頭を下げないといけないのです。その愛がぐにゃぐにゃ曲がれば、死んでも大変です。死んでも求めなければならないのが愛です。死んででも愛を曲げてはだめです。愛を失うようにしては駄目です。夫婦がぶつかって、「あなたみたいな男は駄目だ」とか、「結婚すべきじゃなかった」とか、「運が悪い」などと言うのは、めちゃくちゃにならざるを得ないのです。そういう天下はないのです。分かりましたか? (はい)。 旦那さんは男の子が大きくなったものである 女は愛の空箱だから、いくら愛を貰っても足りないのです。女を満足させる宝物はないのです。それ知っていますか? 小さな一カラットのダイヤモンドを貰った場合には三カラットが欲しくなり、三カラットを貰った場合には五カラットが欲しくなります。限界がないのです。分かりましたか? (はい)。だから、エデンの園で堕落が始まったのです。基準を越えていく行動を取ったので脱線したのです。 女を満足させる宝物はないということが分かりましたか? (はい)。そういうことを考えて行動しないといけないのです。いくらよい物をやっても、さらによい物を持ちたがるのです。いくら愛しても、もっと愛されたいのだから限りがないのです。だから、それをコントロールするには、いつも旦那さんの下にいることを考えれば、それで治まるのです。簡単なことです。 ですから愛する時も、上に上がらないで下に降りるのです。それが原則です。水は凹んだ所で貰うのと同じです。水がいっぱいになったら、コップを越えてしまうのです。それは、天下に合わない行動です。分かりましたか? (はい)。女さんたち、分かりましたか? (はい)。女はコップみたいです。水がいっぱい入ったのに、まだ貰いたいと思うので、最後にはコップが割れてしまうのです。コップを投げ出して割れてしまうのです。本当です。女は器になっているから、貰う立場なのです。ですから、下にいる場合が安全です。これで、離婚したいという女たちも、半分ぐらいは収まるでしょう。(笑い) それから旦那さんを育てて、立派な旦那さんをつくるのは簡単です。あなたたちも男の子を生んで育てていることでしょうが、男の子は腕白ですね。でたらめで、朝きれいな着物を着せたのに、一時間もたたないうちに泥水ですべっているのです。そんなにしていても、「お母さん」と言って走ってきたらどうしますか? け飛ばすのですか。 それを、「この子は大変だったね」と、独り言をいいながら抱擁してやるのです。何も恥ずかしがらずに、お母さんを信頼して、そのように飛び込んで抱かれる姿にみんな感動するのです。そいうふうにして、旦那さんもいろいろと教育していくのです。強制では効かないのです。優しい姿勢でもって、甘い愛の言葉をかけて、子供をなだめることと同じようにするのです。男というのは、別の生き物ではないのです。子供がちょっと大きくなったものです。 そのような男の世界を、君たちは知らないのです。先生が今でも忘れることができないのは、お母さんのことです。幼い時、乳を飲んで、お母さんの胸に抱擁されて愛されたことは、一生涯忘れられないのです。男はそういうような気持ちだから、奥さんに対して、お母さんの代わりになってくれればいいと思っているのです。ですから皆さんが、お母さんの代わりになって、よい奥さんになれるようだったら、それ以上効果的なことはないのです。分かりましたか? (はい)。 酒を飲んできたからといって、「もう酔っぱらってきた この野郎 いつからこんなになったのか」と言うのではなく、めちゃくちゃになって帰ってきた場合にも、自分の旦那さんだと思う心ではなく、お母さんの心で、自分の子供が一家を支えるために悩みながら、いろいろの複雑な外交の舞台において、酒も飲まざるを得ないような思いであることを知って、帰ってきた子供を抱くようにして、ずーっと寝かしてキスをしてあげるのです。お母さんはそうするのです。そっくり、そのようにやりなさいというのです。 そういうことを二回、三回とやってあげると、旦那さんはみんな分かるのです。寝たふりをしながら、「いやー、ありがたい奥さんだ。昔のお母さんよりもいいな」と思うようになれば、もう永遠に別れることができないのです。それが男性の弱点なのです。先生は男性のことをよく知っているのです。旦那さんに妻として対すれば、喧嘩ばかりするのです。旦那さんに対しては、親の心でもって、お母さんの代わりに対した場合には満点なのです。 しかし、お母さんの 懐 はよいのですが、お母さんとは愛の関係ができません。ですから、お母さんみたいな妻と夫婦生活をする以上のものはないのです。男として、それ以上に望むことはないのです。先生もそうです。ずーっと学校に行っていて、帰ってきたのは二十代も過ぎていたのです。それでも、必ずお母さんの横に寝るのです。寝ながら、昔みたいにお母さんの乳房に触るのです。その思い出が非常に幸福なのです。その感動は一生涯、忘れられないのです。 それから、いろいろ自分のために犠牲になったことがたくさんあるのです。そのお母さんに、こんなにも親不孝して、悪い立場に立たせるとは夢にも思いませんでした。分かりますか? それと同じです。お母さんみたいに、立派な母の心情で抱擁してあげて、その基台の上で、奥さんとして夫婦生活をすれば、それ以上の幸福はないのです。だから、夫も子供を持ったお母さんに対して「お母さん」と言うのです。自分が昔呼んだお母さんのことを連想したいのだから、自分でも知らずに「お母さん」と言うのです。分かりましたか? (はい)。 でたらめな男の子を、立派な愛でもって育てるように、お母さんの代わりになって旦那さんを抱擁しつつ、父母の心情で看病しながら大きな子供みたいに、大きな子供の兄さんみたいに、大きな子供の王様みたいに扱いなさい。そうすれば、女として一〇〇点満点以上になります。これを今から実践するのです。練習ではなく実践するのです。 そして旦那さんが帰ってきた場合には、会社から帰ってきた場合には、奥の間にいないで、玄関の近くにいて「あなたさま」と、言ってみなさい。そういう言葉を誰でも三回は聞いてみたいのです。 旦那さんが疲れ切って、しおれきった格好でもって、子供と奥さんに会って何とか慰めてほしいという思いで帰ってきたのに、奥さんが奥の間から「誰ですか」と、旦那さんが苦しいのも知らないで、三回言ってみなさい。今までの感情がみんななくなってしまうのです。だから、そういうことをよく考えて、ちゃーんと時間になった場合には、旦那さんを待ちながら、「あなたさまー」と言った場合には、もうそれ以上にうれしいことはないのです。元気が出るのです。そして、「やっぱり、家は天国の続きだ」と思うのです。 お母さんと妻を合わせたような奥さんになる 日本の女は、きれいに掃除することにおいてチャンピオンです。日本の女は、旦那さんが帰ってきた場合、すぐに「あなた、風呂に入りなさい」と、それは大変です。(笑い)女は一日中、昼寝をしていて、旦那さんが帰ってくると、御飯もつくらないで、「お風呂に入りなさい」と言うのです。 旦那さんがストレスいっぱいで、倒れるような心情も知らないで、そう言うのです。「風呂に入りなさい」と。それは、先生も嫌がることです。ですから、「ああ、風呂は後でもいいです」と言って、疲れている場合には食事のおぜんを準備して「食べてください」、「休んでください」と、自分の膝の上に子供のように寝かせてあげるのです。寝かせてあげて、耳のアカを取ってあげるのです。(笑い) 先生の言うとおりにするのです。その時間が、五時前だったら、夏ならまだ明るいので爪を見て、伸びていたら、きれいに摘んであげるのです。それだけの奉仕をしないと、男から愛を受ける資格がないのです。分かりましたか? (はい)。それを一か月に二回ぐらい必ずやってあげるのです。先生の言うとおりにやりなさい。それから靴下を脱がせてあげるのです。汚い汗のにおいがするからといって、それを投げ捨てるのではなく、ちゃーんと丁寧に横に置いて汗もみんなきれいに拭いてあげるのです。そういうふうにした場合には、旦那さんが「風呂に入ってもいいよ」と言うのです。その順序が逆さまになったら、転覆して駄目になるのです。分かりましたか? (はい)。 お母様は、先生の髪もみんな切ってくれるのです。先生のお母様は、利口な奥さんです。(拍手)なぜかというと、先生は普通の人間ではないのです。先生を狙っている者がたくさんいるのです。だから床屋ほど危ない所はないのです。それで「私がやってあげます」と言って、お母様が先生の髪を切ってくれるのです。そうすると、どういうことが起こるかというと、子供たちが「お母様は、お父様ばっかり髪を切ってあげて」と言って泣くのです。それで、お父様の次に、ちゃーんと待っているのです。待っているのですから、切ってあげざるを得ないのです。それでみんな髪が長くなってくると、「お母様が髪を切ってくれる日は何日か?」と言って、待っているのです。それは、非常に平和な郷です。お母様を中心として、みんな周りの男たちがそうなった場合には、美しい環境です。分かりましたか? (はい)。 そういうような雰囲気を女がつくるのです。男にはそういう暇がないのです。一日中大変です。社会に出れば、上から、下から、横から、みんなが狙っているのです。自分の足元を掘り下げてしまうような、たくさんの謀略を重ねる世界なのです。それは、女の世界では分からないことです。女は、旦那さんだけを収めれば、万事無事通過なのです。男はそうはいきません。会社全体を収めないというと、自分の立つ所がないのです。そのように神経を使っている、旦那さんはかわいそうです。だから、お母さんみたいに、子供を養育するように面倒見てあげるのです。そうすれば、立派な旦那さんになることは間違いありません。分かりましたか? (はい)。 そういうふうにやったにもかかわらず悪くする人には、相手が離婚してくれと言えば、すぐにハンコを押してやるのです。そんな男はいらないのです。 お母さんと妻とを併せたような奥さんになることです。それが理想の旦那さんの願うところです。それが秘密です。それで旦那さんの問題は解決するのです。 それから愛の生活においての芸術化というのは、みんな日記に書いておくのです。「何年何月にはどういうことがあって……」と。みんな昔の思い出を大切にするのです。ですから、できるならば、昔の思い出のコースを繰り返して、印象を回復してやるのです。そういう生活をするのです。それで信頼の度が高まるのです。だから、故郷というものは大切です。故郷の月夜を旦那さんと共に散歩するのです。そして、どこかに座って、二人が会った昔を思い出しながら語り合うのです。そういうようにしながら、奥さんとしては、いかに旦那さんによく見られるか、いかにして尊ばれるようになるかを注意深く考えていくのです。その姿勢を忘れないようにするのです。二人が会った三か月間の生活を基準として、三年間生活すれば問題はないのです。 三年間が問題です。子供を一人、二人と生めば、ちゃーんと定着していくのです。だから、いつも結婚初夜の思い出を旦那さんは思うのです。変わっていくか、もっと高まっていくか、深くなっていくか、年を取れば取るほど、自分を中心としてもっと考えようか、旦那さんを中心としてもっと考えようか、子供を中心としてもっと考えようか、というようになるのです。 そういうことを予備知識として、あらかじめ準備しないといけないのです。だから家に帰るにしても、万年同じ着物ではいけません。女として考えてみなさい。女の持っている財産は、目と鼻と口しかないのです。その顔を一生涯見て、かわいがってくれればいいと思うのですが、君たちは自分の顔を見て、自分の目と鼻と口を見て喜ぶような男がいったい何人ぐらいいると考えますか? すぐに、飽きるのです。本当です。だから顔のスタイルも大切なのです。「今月の私のスタイルは、春のタイプだ」と、いろいろのスタイルが必要です。冬の気持ちの時に、朝、旦那さんが出かけた場合には、春の陽気の色とりどりの香りの花が咲くような姿で部屋を明るくして待つのです。 夫婦生活の芸術化、美術化 また、白いテーブルを黄色にすることもできるのです。いくらでも変えるのです。昼食を一食、二食食べなくても、それは変えることができるのです。それができないという人は、女としての資格がありません。妻になる資格がありません。ですから環境を変えていくことです。万年タンスを死ぬまで置いておくのではなく、一年くらいで色とりどりのタンスに変えて芸術化するのです。また、旦那さんが好きな写真はどういうものか、一緒に店に連れていくのです。壺を売る商店などで、「あなたはどれが好きですか?」と聞けば、すぐに好みが分かるのです。それを買ってきて飾っておくのです。それで、自分の好きなものも買ってきて飾っておいた場合「あー、そうか」と、旦那さんはそれを見て、自分の奥さんの好みを知るのです。 そういうふうに美術化させていくのです。その中で、夫婦が主体となって周囲をハーモナイズさせていく関係をつくっていくのです。ですから、女が色盲だったら大変です。(笑い)。本当です。それで、奥さんは着物なんかを買ってもらうのに、春夏秋冬の四回だけ連れていってもらえば、その時に買ってもらえなくても旦那さんの好みのカラーが分かるのです。「あー、彼は、春はあんなカラー、夏はあんなカラー、秋はあんなカラー、冬はあんなカラーが好きなんだ」と。そうしたら、そのカラーの高くない着物を自分で選んで買って、それを着て現れるのです。そうすると旦那さんが喜ぶのです。 そのように、みんな周辺の芸術品を美術化して、旦那さんの喜びの心情をいかに引き出すかということです。そうなると話も、話題が笑いとなって、旦那さんも喜ぶのです。そして一回、二回とキスし合って、二人の芸術的キスになるのです。それが必要です。万年同じように、木でもって作ったような木石みたいな女では駄目です。だから下着なんかもいつも研究するのです。万年同じ下着には、しらみがついているかもしれないのです。(笑い)本当です。 そういうふうにして、芸術的な環境にするのです、花も色とりどりの花を飾って、旦那さんが好きだったら、その花を八〇パーセント、自分の好きな花を二〇パーセントにすれば、「いやー、こんなにたくさんの花を」と。それで、「奥さんは家庭の女王様だ」と尊敬するようになるのです。夫婦生活の芸術化が何か分かりましたか?(はい)。 そして、内的な夫婦関係の生活においては、女と男は時間が違うのです。男より女が五倍も遅いのです。遅い人は二倍から五倍以上にもなるのです。だから、夫婦関係においても、夫婦関係の味を知らないで一生涯を終えて死んでいく女がいるのです。それは男の罪です。夫婦関係が満足しなかった場合には、一日中、一か月、その余波が続くのです。絶対に女の健康のため、生理的にも絶対に必要なことです。分かりましたか、奥さんたち? (はい)。 それをみんな教育をしないといけないのです。お父さんは自分の息子に、お母さんは自分の娘に教育しないといけないのです。みんな知らないで嫁に行くのだから大変です。分かりますか? それで、みんなを立派に教育するのです。「あなたは、それをどういうふうにするの?」と相談するのです。自分はそういう感じがまだだから、旦那さんに時間を延長してもらいたいとすれば予備運動をたくさんするのです。 この話は堕落以降の環境ではなく、堕落前の世界でのことをいっているのです。分かりましたか? 重大な話です。 フィーリングが最も重要である きのうも話したことですが、稲妻と共に雷が鳴るのは、自然のキスと結婚式だというのです。それと同じことです。そういうふうに一つになる夫婦関係の愛の美しさは、一身の細胞がすべて目覚めて拍子を合わせていくようなものです。みんな、そういうふうになっているのです。五感が一つになるのです。それは尊いものです。もし、それが合わなかった場合には離婚問題とか、一生不満が残るのです。それがぴったり合うようになれば、奥さんと離れることはできません。顔がきれいということは後の問題です。 フィーリングがいいということは、良心を見ることができないように愛も見ることができないのですが、すべてがフィーリングで分かるのです。フィーリングが最も重要です。一〇〇パーセントのフィーリングが爆発して一〇〇〇パーセントになった場合には、女として生まれたことの栄光と価値を抱くようになります。だから、そういうことを体験することによって、男の尊さが分かるのです。反対に、男がそれを体験すると女の尊さが分かるのです。分かりましたか? (はい)。立派な旦那さんをつくり、立派な夫婦になる方法が分かりましたね? 生活を美術化するのです。 旦那さんの靴も、万年一足きりではだめです。芸術化させるということは、白い靴を買ってあげたり、黄色い靴を買ってあげたり、赤い靴を買ってあげたりするのです。それは、いくらもしないことです。君たちは、結婚生活が長くなるほど旦那さんのお小遣いをだんだん減らしていくのですか、増やしていくのですか? (増やしていきます)。本当ですか? 初めて聞く話です。今回のグループはどうにかなっているんじゃないですか? 今までは、みんな「減らしていく」と言うのが続いたのに、「増やしていく」と言うのですか? (笑い)。 それは、減らすようになるのです。子供も大きくなると学費などが嵩んでくるのです。また女というものは、時々映画を見たり、中国料理店などに行ったり、何かを買ってきたりして、旦那さんや子供よりも、自分の小遣いをつくるのです。大半の女がそうです。そうですか、そうではないですか? それはいい女ですか、悪い女ですか? (悪い女です)。 もし係長から部長になった場合には、多くのお金が入るのです。しかし、外交をしないと出世できません。上司や部下を顧みないと出世しないのです。それをしないで、ただ仕事だけをしていたのでは万年係長です。「金を稼ぐように」と、いくらラッパを吹いて太鼓を叩いても、それは通じません。女は、家庭生活がそう豊かでなくても、旦那さんが外交できるような資金を補給してやらなければなりません。分かりましたか? (はい)。そうすると、旦那さんが「いやー、済州島には二人で行け、その時はいくらでも出していいよ」と言うのです。立派な旦那さんをつくることは、もう問題ありませんね。殴られるようなことは絶対ありませんね。こういうことをやって、殴られた場合には、もうその家にいる必要はありません。風呂敷を包んで先生の所へ来なさい。もっといい旦那さんを紹介してあげます。これで、旦那さんはもう勝利できますね? (はい)。 家庭の伝統を立てる それから、次は子供です。子供を立派に教育することです。それは、八〇パーセントが母親によるのです。分かりますか? だから、お母さんが外へ行って帰ってくると、子供たちがみんな「お母さん」と言って、走って迎えに出るのです。そうした場合、男の子が右、女の子が左で、礼の仕方を教えるのです。「お父さんに礼をしなさい。共にしましょう」と、教えてあげるのです。 「お父様に挨拶しましたか」と言って、もししていなかったならば、共に旦那さんの前に行って、服装を正して、丁寧に教えてあげるのです。そんなことをしたことのある女は手を挙げてみなさい? (「おはようございます」と言います)。「おはよう」と言うのは、隣の組の人に言うことです。「おはようございます」ではないのです。それは、家庭の伝統を正すために、仕方がないことです。家には中心が必要なのです。 もし、山に虎がいなかったら大変です。虎の食事の時間は、一時から三時、真っ暗な夜中です。朝なんかに食べ物を取って食べていた場合には、小さい動物がみんなぺちゃんこになるのです。神様はそのように、系列をちゃーんと安全地帯につくっているのです。だから、虎なんかは一晩中獲物を求めて四十里も走り回らなければならないのです。四十里は大変です。そういう活動をするのだから、昼間は寝るのです。寝るにしても山の高い所に寝るのだから、小さい獣たちは乱暴できません。勝手なことをすることはできないのです。だから注意しながら、静かにしてやっているのです。それと同じように、家庭には虎みたいな男が必要なのです。奥さんが虎みたいに構えて、ポーズをとっても似合わないのです。それは男以外にはないのです。分かりましたか? (はい)。 家庭の伝統をつくるには、祖先伝来の伝統を中心として、「あなたのお父さんも偉いのだけれど、おじいさんはもっと偉いのです。そのまたおじいさんは、もっともっと偉いのですよ」と教育しながら、新しく家系をつくっていくための伝統的な内容をお母さんがつくってやらなければ、将来、子供の立つ所がないのです。分かりましたか? (はい)。 もし旦那さんが、学力や出身からして、自分より下であっても、家というものは、家系というものは、個人よりも尊いものだから、一家を正していくには、そのようにちゃーんと敬礼をして、旦那さんを中心に虎みたいな主体をつくっておかなければなりません。そんなことを考えたことがありますか? 「あの男は死ねばいい」と思ういろんな女がいるのです。今の世界はそうです。旦那さんが死んでも、「かえって便利だ。お金儲けもしないで、女に頼って」と、めちゃくちゃにあつかう女がたくさんいるのです。そういうことをしては駄目です。(男は)女の主体なのです。分かりましたか? (はい)。 なぜ、男が主体ですか? 女が主体ではないのです。女は空箱です。男は子供の種を持っているのです。その種を空箱に移して育てるのです。だから、男を無視する女は、将来がだんだん狭くなっていくのです。通りすぎる気違いの男に対しても悪いことは言えないのです。尊敬語を使わなくてはいけないのです。その人が将来、どのような後孫を残すか分からないからです。先生も乞食みたいな生活をたくさんしてきた男です。だから、出家した坊さんたちは六か月、乞食の生活をするようになっているのです。 女にとっては、子供の種は天宙よりも尊い神様の代わりなのです。それを無視するという女は、後孫が縮まっていくのです。分かりますか? (はい)。だから、男に対して尊敬する姿勢は、自分が祝福されることです。その籠の中に、いっぱい尊い物を入れるのが女の本性なのだから、そういう女は天運が保護するのです。籠いっぱいに立派な旦那さんを迎えるようにしなければなりません。立派な旦那さんになれば、立派な子供を中心として、その一家を褒めて余るような関係であることが判明するのです。女はそういうような重大な立場に立っているのです。分かりましたか? (はい)。 子供たちには、父母として一生涯、喧嘩する姿を見せてはなりません。子供はそれを見習うからです。何の罪もない愛すべき子供たちなのです。夫婦が喧嘩して、子供たちが横に立って「お母さん、お父さん、やめなさい」「エーン、エーン」。そういう家庭がたくさんあります。それは普通ではありません。破壊的な父母です。そうなった場合には、その子供たちが、それを見習うのです。絶対にそういうことを見せてはなりません。一生涯見せてはいけないのです。子供は父母を慕い、父母のやることを全部相続するのです。分かりましたか? (はい)。 それから、男と女を見れば、涙もろいのは女です。夫婦共々に口喧嘩をすることは、なきにしもあらずですが、もし、そうなっても子供の前では絶対に涙を流したら駄目です。分かりましたか? (はい)。 いつも朝になると子供が挨拶しようとして、走ってきます。トントントンと走って来て「お母さん」と、もう抱かれたくて飛んでくるのです。そこでキスするのです。ですから夫婦喧嘩をした場合、すぐにフィーリングで分かるのです。フィーリングで分からないように、その訓練をしないといけないのです。 夫婦共に約束して、絶対に涙を見せることのないように、常にゼロに帰る訓練をしないといけないのです。涙を流しても、即時に笑えるように、急激な変化に合わせられるような準備をしないといけないのです。子供たちは天才的な分析力を持っているので、すぐに分かるのです。それを分からせないような母の態度が重要です。 それで、ちゃーんとキスをして、旦那さんが横に座っていても、今まで口喧嘩していても気持ちが悪いと思ってはだめです。お母さんとお父さんが笑いながら、キスをするようなポーズを取らないといけません。そして、子供が無事通過していった場合に、もう二人は喧嘩しようとしてもできないのです。それで笑いながら、「やー、立派な子供たちが、先生になりました」と言うのです。そういうことがいくらでもあるというのです。分かりましたか? 涙を見せないように注意しなければなりません。 そうなると、子供たちはどうなるかというと、お母さんとお父さんが一緒にいなければ全部、家庭の雰囲気が合わないと思うのです。二人が共にいる姿を見習うのです。それで、学校から帰ってきて、家にお母さんしかいないと、すぐに「お父さんはどこへ行ったの?」「外で何か仕事しています」と言うと、その子供たちが、「お母さんが一人でいます。お父さん」と呼びに来るのです。そのことは、ありがたいことです。未来の一家は繁栄のうちにあるというのです。夫婦共々に二人でいるのを喜ぶ子供たち、それを正義として考える子供たちは、自分たちも結婚してそういうような夫婦になるのです。分かりましたか? (はい)。 先生の子供たちは、父母に対して十以上のことを考えているのです。お母さんお父さんのキスも、先を競って「自分がやる。自分がやる」と言うのです。そのような姿を見れば、そういう家は素晴らしいのです。今回ニューヨークに行った時、先生とお母様が講演するのがいかに難しいことかを体験するために、子供たちが四十か所くらいみんなで分けてやったのです。きのうでみんな終わりましたが、もう大変な噂です。 アメリカの家庭には、そういう子女はいないのです。一人、二人がやっても、全部が反対するのです。しかし先生の家庭は、すべての子供が、十四歳の子供までもが、一〇〇〇名以上の大衆の前で、先生とお母様の講演をそのまま真似て行うのです。ですから感動するのです。また父母に反対する地では、痛哭しながら訴えるのです。「私の父母は悪い人ではない」と。それで聴衆はみんな感動するのです。そういうような立派な子供たちです。だから、お母様と共に六人の立派な美男子の子供たちがずらりと並んだ場合、いやー、それはもう大変です。お母様もそれを見た場合、「自分が生んだ子供たちとは思えない」と言うほどです。立派で、それ以上の宝はないのです。ですから、女は空箱ではないのです。 それで、女は優秀なのです。みんな優秀なのです。天才的な頭なのです。そのように、お母さんの籠いっぱいに詰めるのです。お母さんの体の九九パーセント以上は、お父さんから分かれてきたのです。それは、第二の尊い存在です。お母さん一人とお父さん一人を代えることはできないのです。それを持ったお母さんは金持ちです。宝物です。籠だけ残してもらっても不幸ではありません。最後の仕上げをよくやって、そこに天下一品の尊いものを入れることによって平等な価値を持つのです。神様に感謝しなければなりません。分かりましたか? (はい)。 それを成せば、立派な父母になります。ここで、どうこう言う必要はありません。先生も、子供には申し訳ないと思うのです。いつも公的な活動をしているので、見守ってあげられない父母なのです。しかし、父母と共に築いてきた心情が子供たちの安息の基台になっているので、父母を愛さざるを得ないのです。たくさんの言葉よりも、心情の基本的な態度が最も貴重だということを忘れてはなりません。分かりましたか? (はい)。 これから帰った場合には、「喧嘩をよくしたお母さんが、済州島で修練を受けて、喧嘩の好きなお母さんではなく、喧嘩の嫌いなお母さんになりました」と言って、旗を揚げて万歳する証の聞けるようなお母さんになってもらいたいのです。約束しますか? (はい)。 実の親子以上に近くなれる 姑 との関係 それから、問題は 姑 さんです。旦那さんの問題、子供の問題は解決したので、後は姑さんの問題です。お嫁に行った場合は、自分の実家のお母さんと同じような考えを持つことです。だから、何か難しいことがあった場合には、直ちに相談することです。 結婚してお嫁に行った場合、若い嫁さんを迎える姑さんは、自分のお母さんと同じです。旦那さんが出かけた後は、お嫁さんは誰にも相談できる人がいないのです。それで何でも聞くのです。姑さんに会って「お母さん」「何ですか?」。最初は、みんな関心もって立派なお嫁さんになるように、姑さんは心から歓迎するのです。ですから優しく言い出した場合は、喜んで「何ですか?」と答えます。そこで、率直に言うのです。「私は結婚して、初めて男性を迎えました。夫婦関係はどういうふうにやればいいのでしょうか? ただ一方的に、やっていいのでしょうか?」と言うと、姑さんは笑うのです。(笑い)「キスもこんなにやったらいいのでしょうか?」と、みんな率直に言うのです。姑さんは笑いながらも、「そうか、こんなにやってみなさい」と言ったら、すぐに、三日以内に実験して必ず報告するのです。「お母さん、ありがとうございます。昨晩、その実験しまして、女としてこれ以上の幸福感を感じたことはありません」。そう言うのです。そうすると、姑さんは何でも教えてくれるのです。自分の知っていることをみんな教えてくれるのです。 そういうようにして、自分の夫婦関係の内容を語り合うのです。それで、みんな学校を出ているので、雑誌なんかをたくさん読んだ場合には、「お母さん、こんなことも、こんなこともあるのですね。お母さんは知っていましたか? こういうことも書いてありましたよ」と、説明してあげるのです。「こうやったら、もう傑作だというようなことが書いてありましたけど、お母さんは、どう思いますか?」。「あー、そうか」と言って、姑さんは、二、三日たった後、自分たちで試してみて、「あなたはいいことを教えてくれたね」と、自分たちの夫婦関係まで話すようになったら、完全に姑問題は万事「オーケー」です。分かりましたか? (はい)。 そういうふうに語り合い、教育し合い、指導し合うようになった場合には、実の親子以上に近い関係になります。分かりましたか? だから、今から帰った場合には、年を取った女は、そんなことを姑さんに言えなかったのでしょうが、率直に言うのです。「今まで、こうこうやってきたのですが、どうでしょうか?」と、姑さんに言うのです。そのように夫婦生活を共に相談し合えるような関係になれば、立派です。 若い嫁が帰っていった場合には、そういうことで励まし合い、教えてもらえるように、悩みを相談し合った場合には、それ以上の近道はありません。それは友達同士でも話さないことなのです。今まで、自分の夫のことで、子供を奪われた狐みたいに思ったこともあったでしょうが、「そんなことはありません。何でも不便なことがあればいくらでも言ってください。夫と相談してお母さんの満足するように何でもしてあげます」と、一か月に一回ぐらいは食堂に連れて行って中国料理をごちそうしたり、一年に二度くらい着物を買ってあげれば、それですべてが「オーケー」です。 そのようになった場合には、その 姑 さんは部落中を回って、「いやー、うちの嫁さんは変わりました」と、みんな口づてに宣伝するのです。そうなれば、それを聞いたおばあさんたちを連れてきた時、立派に昼食を作ってごちそうするのです。すると、その人たちが、また部落中を回って、宣伝して歩くのです。それがまた話題となって、どんどんどんどん広がって、町中で有名になるのです。そういうふうになったならば、「あの嫁さんの話を聞きたい」ということになり、そこで済州島の修練で習ったことを先生の話としてではなく、自分が生活した内容として紹介するのです。すると、みんなが感動します。 それで、どんどんどんどん日本中、津々浦々、山を越えて、谷を越えて、川を越えて、北海道から鹿児島まで、鹿児島から北海道まで行ったり来たりすれば、みんなが関心を持つのです。そして、そのとおりやってみて、効果が良かったならば、一生涯死ぬまでやってもいいのです。こういうような現地の整備を完成して、統一教会の偉大さを部落ごとに、町ごとに、国中を風靡させるように努力するのが修練を終えて帰った者の任務であり、使命であると思いますが、どうですか? (はい、そうです)。 そのように思う者は手を挙げてください。それを成すと決意しましょう 両手を挙げて立ってください。記念として、忘れないようにみんな先生のするとおりにしてください。(拍手)回って、回って、回って、三回回って、一、二、三、四、五、六、七、八。反対に回って。(拍手)次は、横の人の手を取ってください。 それから、横の人と手を組んでください。手を合わせて、手を挙げて、前の人の肩に手を乗せて、こういうふうに握って、それを離さないで、こういうふうに曲げてください。反対に曲げてください。では「万歳 万歳 万歳」。 きょうの話を忘れないようにしてください。これで、みんなお別れいたしましょう、さようなら。「左様なら」は、左の人のように並んで行きなさいということが「左様なら」です。そういうふうにきれいに並んで日本に帰るのです。涙を流さないで、さようならです。分かりましたか? (はい)。 第二十五回の修練会を終えて、代表者による感謝の祈祷 愛するお父様。きょうは、一九九三年十二月二十二日です。八月よりアラスカのコディアックにおいて始まり、さらに十月六日から済州島において始まりましたこの修練会によって、五万一千八百名の姉妹たちが重生、復活し、真の父母様の限りない愛によって無事に終えることができましたことを感謝申し上げます。 歴史上にかつてなく、また今後もないような、たった一回きりの、たった一人しか宇宙におられない真の父母様を通して得られたこの内容こそ、我々の生涯にとって忘れないばかりか、我が民族にとっても、この人類の歴史上においても、このような修練を受けた例がないことを知るものでございます。 お父様。このようにして、真のお父様と結んだ因縁、双子の子女としての因縁、真の兄と妹としての因縁、真の夫と妻としての因縁、真の父と母としての因縁という、神様が人間を創造するその最初の出発から考えておられた四大心情圏を、このようにして時間を惜しみ、昼夜を分かたず与えてくださったということを我々は生涯忘れないばかりか、子々孫々に至るまで永久にこれを伝えていきたいと思う次第でございます。 二十五回、五万一千八百名にわたる姉妹たちが、このようにして愛を受けまして、きょうは特別に、その最終日に特別の愛と恵みを受けた、この瞬間を心から感謝申し上げます。 そして霊界が真の父母様を通して、このように日本の六千万の女性を代表し、二十五億の女性を代表して、受けた恩であることを知るものでございます。 ですから、これを我々一人にとどめてはならないし、必ず日本の地から世界の果てまで、お母様の分身となっていくことを誓い、真のお父様が神と人類のために流してきた血と汗と涙を、我々はこのような喜びの収穫をもって、あなたの前に栄光として返していきたいと思う次第でございます。 きょう、このように別れて、我々は日本の地に帰っても、世界の果てにまで行くために再び、この地にやってまいりますから、どうぞその間、ご父様のご苦労、そしてお母様のご苦労、子女様たちのご苦労に報いることができるような我々になっていきたいと思いますので、どうぞ我々の今後の行く道を守り導きください。 そして、ご父母様の健康と永遠なる恩恵の上に、あなたの恵みがあらんことを切に切に乞い願いつつ、今までの五万一千八百名の姉妹たちの祈りとともに、感謝とともに、尊き真の父母様の御名によって、御前にお祈り捧げ申し上げます。アーメン。(アーメン)。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.21
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[21.01.23] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ2022/01/23 09:30に公開予定です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.01.23
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:[22.01.02] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ2022/01/02 09:45に公開予定です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.31
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[21.11.27] (JP) 第2回中国世界会議 2021年中国平和賞授賞式2021/11/27 10:00に公開予定です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.25
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[21.11.21] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ2021/11/21 09:40から公開予定予定です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.20
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「美しい天寶の花として 永遠に輝きなさい」文鮮明天地人真の父母天宙聖和 9周年記念 天寶大祝祭 真のお母様のみ言天一国 9年天暦 9月 5日 (陽 2021.10.10) 皆さん、嬉しい日ですか? 感謝の日ですか? 創造主・神様は天地万物をペアとして創造され、最後に人間始祖になり得る男性と女性を創造されて「はなはだ良かった」(創世記1章31節)とありますが、そのような祝福のみ言が人間始祖の堕落により、善なる世界になり得ずに悪なる世界となってしまいました。6000年という長きにわたる歳月を創造主・神様、私たちの天の父母様は恨多き苦痛の日々を過ごされながら、ご自身の創造理想を成すことができる、勝利した人間始祖である真の父母の顕現を、待ちわびてこられました。その路程がどれほど大変であられたかということは、4000年という時間を経て独り子イエス・キリストを送られたことを見れば、理解できます。私たちは旧約聖書を通して一言一言に、もどかしい登場人物たちの責任が果たされるかどうかによって、天がどれほど大変だったのかを理解することができます。その時イスラエル民族(ユダヤ民族)が独り子イエス・キリストを真の父母の位置に進み出られるように環境を造成していたならば、どれほどよかったでしょうか。しかしそのようにできずに、イエス様は十字架で亡くなられる状況の中で「また来る」と言われて、また来て「小羊の婚宴」をするというのです。その後にキリスト教の歴史が始まります。しかし今日のキリスト教徒もイエス様の本質が分かりませんでした。さらには創造主・神様、天の父母様のことも説明できませんでした。創造主は失敗がありえません。始められたので必ず成し遂げなければなりません。ついに韓民族を通して1943年に独り娘を誕生させることによって、1960年に真の父母が誕生しました。しかしキリスト教はその環境圏になることができませんでした。真の父母はどん底から、個人から環境圏をつくり出さなければなりませんでした。真の父母は堕落した人類を重生復活させ、天の子女として再び誕生させてあげなければならない責任があります。それで1960年から祝福行事が始まりました。60年という歳月を経て全世界的に多くの祝福家庭が誕生しました。しかし天の父母様の夢を成し遂げて差し上げられるその環境圏をつくるためには、真の父母は見せなければなりません。2013年に基元節、天一国元年を宣布しました。その後に独り娘・真のお母様は死生決断の心情で世界を駆け回り7ヶ国の復帰、7個の宗教団体の復帰、大陸の復帰を実体的になした基盤の上で、天一国安着を宣布しました。天一国が安着したので、天一国の民があふれ出てこなければなりません。それで祝福家庭として責任を果たした天寶家庭の登載が必要なのです。そうして私は始めました。その後5000組以上が天寶に登載されたので 、1年で 2 倍化を皆さんが成就してくれたのです。皆さんの責任はここで終わるのではありません。この天寶家庭は永遠に枯れずに変わらない天寶の花です。 特に韓国の天寶家庭には責任があります。天の父母様の祖国になり得るこの国が、責任を果たしたという位置に立てられなければなりません。そうするためには皆さんの努力と精誠が天を感動させ、この民の目を開かせて、天の声を聞き、天の祝福を受け入れることのできる民族になれるように導いていかなければならないでしょう。私は言いましたね。今の時は特に韓半島が中心となってアジア-太平洋文明圏時代を開いたと。アジアが一つになって、天寶に登載された祝福家庭の皆さんの天寶の花が世界に広がり、7つの大陸すべての国に美しく燦爛たる天寶の花が満開になる時が待ち遠しいです。2027年に60回目の天の父母様の日を迎え、天の父母様に侍り地上のこの国で独り娘・真の母とともに、全世界の天寶に登載された祝福家庭たちが集まり、天の父母様に感謝と恭敬の歌と宴のできるその日を必ず成就して差し上げなければなりません。そうして誇らしい天一国時代の最も高くて貴い天寶家庭の皆さん全員となり、天の父母様の大きな愛を受ける天寶家庭として、美しい天寶の花として永遠に燦爛と輝く皆さん全員になるように、真の父母は願い、祝願いたします。【関連記事】天寳入籍勝利家庭、驚くべき(数理性の)真実 | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)天国(天一国)入籍を準備してこられた真の父母様-->天寳入籍家庭 | peaceのブログ (ameblo.jp)前回記事で2000年9月に行われた「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」を前後して語られていた郭錠煥氏の講話を掲載しました。その中で当時の祝福式の意義と価値についても語られていました。黙々と、入籍を準備してこられたご父母様 一九六〇年に三十六家庭を祝福してくださる時、将来、国家基準で受ける入籍について語られました。その前年、五九年にも、今から四十一年前ですが、入籍について言及されました。「将来、祝福家庭は入籍を受ける日が来る」と。 しかし、私たちはそのようなみ言を全く忘れて過ごし、一人として真のご父母様が願われる通りに生きることができませんでした。 それでも、お父様はそんな私たちをそのままにほってはおかれず、私たち祝福家庭を天国の戸籍に登録して、天国に名前を記録してあげようと、長い間、粘り強く努力してこられたのです。 もし、キリスト教が、国の主権者が責任を果たし、真のご父母様に待って国家基盤が造成されれば、それで神の国が復帰されたでしょう。その基台のうえで入籍の役事があれば、どれほどいいでしょうか。本来、国家が復帰されてこそ、原理的に完全な入籍がなされるのです。 お父様は国家を復帰するために精誠を尽くされながら、……(略)…… ……(略)…… お父様は私たちの知らないところで、だれにも相談せず、だれの協助を受けることもなく、入籍の準備をしてこられました。 お父様は「ジヤルジンに行って四十日修練を受けなさい」「総生畜献納祭をしなさい」と、さまざまなことを私たちに願われました。私たちが一つでも実を結ぶことができるように、一つの条件でも立てることができるように、配慮してくだったのです。私たちを入籍させるために準偏し、教育をしてこられたのです。 そして、「これからは直接主管することができなくなる。私が直接主管しなくても、私が語った御言を訓読しながら、自らを教育し、自らを叱責しなさい」と、訓読会の伝統を、私たちに強調してこられたお父様なのです。 このような内容はすべて、私たちを入籍させ、私たちを永遠に生かしてくださるための準備です。お父様はそれを、お一人でしてこられたのです。それは純然たる父母の心情です。 子女達が御旨を悟ることができず、時を悟ることができず、重ねて強調してもそれを悟ることができず…、それでもお父様は、黙々と、このような準備をしてこられました。 ……(略)…… その完成段階は、私たちが至誠を尽くして責任を全うし、御言に一〇〇パーセント従順に原理的的な生活をすれば、祝福後七年目に越えることができるのですが、ここに集まった私たちは七年どころか、多くの年月が過ぎても、完成基準に立ち得ていないのです。……一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.10.21
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あなたは誰のものか一九五八年三月十六日(日)前本部教会 この時間は「あなたは誰のものか」という題目で皆さんにお話します。 この地上に生きているすべての人間は、各自ある目的のために生き、振るまっているのです。 考えてみれば我々の人生は、私を中心にして始まり、私を中心にして終わりを結ぶようです。しかしもう一度考えてみれば、私を中心にしているような人生が曲折の多い人生であり、嘆息と悲しみの多い人生であることを、皆さんは今までの自身の実際の生活において、多く体験していると見るのです。 また、自身を中心とする生活をして、自分だけのための生活をすれば、罪と悲しみが満ちるようになるのですが、自分を忘れて自分を否定する生活をするなら、どんな困難も無難に越えることができるという事実を、皆さんは実際の生活で感じるのです。 すべての存在の存在要件 我々が本質的な面で人間をより深く考えてみるなら、自分の体も自分のものではなく、自分の心も自分のものではないということを、否定することができません。また、創られた全体の被造世界、全宇宙もその主人が被造万物それ自体のようですが、より深く考えてみれば、創造主のものであることを、誰もが否定できないのです。 例をあげると、この地球は主人が地球自体であると考えやすいのですが、この地球も宇宙に属している存在であることを否定できません。また、地球の上に存在しているすべての万物も、自らが主人であり、自ら存在し始めているように考えやすいのですが、万物もやはり地球の因縁から外れて存在できないことを、また否定できません。 このようにすべての存在を探って見れば、大きなものから小さなものに至るまで、すべてが切っても切れない因縁を結んでいます。地球を探って見るときも、我々はこの地球が自ら存在できないことを知っています。即ち、全体と切っても切れない因縁を結んでいって、自然法度によって運行されるときにのみ、地球としての存在要件を完備するのです。このように地球を中心にして見るときにも、地球の原因者である創造主がいることを是認するなら、この宇宙は創造主である神によって生じ、地球は宇宙によって生じ、この地上に存在している万物は、地球によって生じているということを、皆さんは否定することができません。 それでは今日この地上に存在している万物の根源者、即ち人間の父母のような存在は何であるか? 宇宙ということを否定できません。ところで天宙の父母(根源者)が何であるかに対しては、未だに解明されていないのが事実です。 すべての万物はこのように、必ず父母の因縁と同じ原因的な過程を経た結果物として存在しているにもかかわらず、結果世界自体としてのみに満足しているのは歴史的な矛盾であり、現実的な矛盾であることを皆さんが今、悟らなければなりません。 それではこのような立場に処している宇宙万象と皆さんに、最後にどのような解決策がなければならないでしょうか? このすべてのものを解明することができる人間、即ちすべての因縁に通じることができ、宇宙全体の価値と全体的な理念、福音的な理念を代身することができる一つの実体を立て、宇宙に対して出て行くことができる人格者が、この終末の時代に現れなければならないのです。もしもこのような存在が現れないとしたなら、神様が人間を中心として摂理されたと断定できないということを、皆さんははっきりと知らねばなりません。 今日この見える万物世界を主管している人間、いわゆる万物の霊長であると自任している人間が、自身のものであると思っているなら、それは誤解です。皆さんの体は皆さんのものではありません。皆さんの心もまた皆さんのものではありません。皆さんのものであると認定する根拠が何かと反問してみれば、皆さんは答えることができない立場に至るのです。 もしもこの問題が解決されれば、これが歴史的な一つの起点になって、同時にすべての問題を解くことができる解決点になるのです。しかし今日この地上に生きている人間は、この問題を忘れたままで、生きているのです。 神様は宇宙を失って悲しむよりも、このような人間になってしまった事実を、より悲しまれるのです。ですからこのような神の心情を感じて、体恤する人間がいたとしたなら、彼から根本的な宗教の摂理が出発するようになるのです。ここから神を再び捜し求める道が開拓されることを、知らねばなりません。 この地上に存在しているすべてのものが、地を父母として、全体を父母としているのであり、さらには創造主を父母としているように、皆さんの一身も皆さん一身として終わるものではないのです。 皆さんは、地が自分の父母であると感じたことがありますか。我々の体は地のすべての元素で結合されています。地が我々の根源であることを否定できない人間であるのです。ところが人間は自分を、地が抱いているという事実を忘れて生きている時が多いのです。今皆さんは物質の父母が地であることを知っているのですが、さらに自身を一つの人格体として生んだ、父母があるという事実までも知らねばなりません。 人間の構造と価値、そして生の標準 それでは人間はどのような存在として創られたのか? 物質的なすべての要素を持っている存在、天の理念を代身することができる実体形状として立てるということが、神様が人間を土と水と空気で創られた理由であったのです。このような創造主の理念を通して創造された人間ですから、人間自体に神の神性に和することができる、ある要素がなかったとしたならば、この人間自体にはどんな理想も希望も所願もあり得ないことが、創造の原則となっているのです。 神様は人間を創られるとき、すべての物質と通じることができる物質的な要素の結実体として肉身をこしらえ、この肉身を主管する霊を吹き込んで人間を創ったのです。 物質が一つの存在性を現すためには、地球や満宇宙と通じる因縁を持っているように、人間も地を父母としていて、さらには理念的な主体である天を父母としていることを信じる人間にならねばならないことを、皆さんははっきりと知らねばなりません。 それでは人間は、何であるか? 物質的なすべての因縁を代身した実体(肉身)と、神霊的なすべての因縁を代身した実体(霊)が結合した、一つの実体として創られた自体が正に人間であるのです。このような価値を持つ人間ですから、創造主のまえに愉むことができ、敬礼することができ、創造主を讃えることができるのです。このように人間自体は極めて小さな一個人ですが、全宇宙を代身して天の栄光を現すことができる宇宙的な価値を持つ存在なのです。また天はこのような価値を持つ完成された人間に対することを、願っておられるのです。 それゆえ今皆さんは、自身を立てて何を主張しようという、心を持ってはならないのです。体が自分のものではなく、心が自分のものではない立場で、自分のものを主張していったなら、歴史が許さないのです。過去の歴史においてこんな個人、こんな民族、こんな国家が滅んだ事実を、皆さんはよく知っているのです。 人間が必然的にこんな道を行かねばならないので、天は人間に善の道理を捜し立てさせ善の方向を提示して、歴史を今日まで率いてきたのです。氏族社会時代にはこの氏族の習慣、民族国家時代には民族主義や国家主義、今日では国家の次元を越えて世界的な主義を中心として生きています。 今ここに終わりの日になるのではなく、最後には天道を中心とした摂理のみ旨の為に生きなければなりません。そうではなくて自分の主義や、自分の国家理念を指向する人間は必ず壊されるのです。 これを考えてみるとき、皆さんはどこに安定圏を求めるのか? 皆さん自らが幸福を感じ、皆さん自らが満足して、全被造世界のまえに自信を持って神を代身して現れることができる安息圏は、たやすく得ることはできません。しかしこれが人間が捜し求める、共通的な目標であるのです。 今心は天上に向かい、体は万物に対する立場に立っている皆さんは、このすべての万象は私のものであると、自信を持って言うことのできる境地を感じてみましたか? 血統的な因縁による氏族・国家、そして世界の人類に向かって、そのものたちは私のものという感じを持ってみましたか? さらには地上の人間のみならず、霊界にあるすべての霊人たちに向かって、そのものたちは私のものとすることのできる皆さんになっていますか? このようなことを考えてみるとき、そうではなしに自慢して、自身の何かを立てて誇る人間、自身のある主義主張を押し立てる人間、その人間は必ず倒れます。 このような事実を皆さんは否定することができないなら、皆さんはどんな標準を持って生きるべきかということが、重要な問題になるのです。 父子関係の回復のための宗教の教え 元来、人間が堕落しなかったなら、善の価値を持つ天の相対的な立場に立っていたのです。ところが堕落することによって、善の父母との因縁が切れてしまったのです。それ以後、人間は悲しみの道を歩んでいったのです。人間は死の峠を越えてでも、この善の父母との切れた因縁を回復しなければなりません。 それではこの因縁をどのように結ぶのか? この因縁はある世界的な主義主張や、ある国家理念、社会的なある体制で結ばれるものではありません。ですから皆さんの心の底から、この一つの事実が決定されなかったなら、どんなにこの世界が幸福らしい世界、善の世界になったとしても、皆さんとは何らの関係がなくなってしまうことを、皆さんは知らねばなりません。 ところが今日の皆さんの欲望は、皆さん一個体を越えて国家、あるいは世界に向かって動いているのです。このような所有の欲望を持つそれ自体も尊いのですが、それよりもさらに尊いものが何でしょうか? まず自身を永遠不変の主体に属する自体であることを認定して、その次に宇宙的な欲望を充足させることです。正にこのような人間がいたなら、この地上には彼を打ち滅ぼすどんな権勢や、勢力もないのです。 ところが今日人間は、これを考えないでいるのです。自身の本当の価値を主張しない人間が、万物を取り、宇宙を主管して何の役に立つでしょうか。 ですから今日人間世界において、天宙的な理念を現す主義主張があるなら、それは宗教です。宗教理想の主義主張がないというのです。見えざる創造主に対し、このお方が我々の父であり、我々は彼の息子・娘であると言うことができる関係、そして切っても切れない父子の因縁と、その価値を土台として出発するものが宗教です。従って真の宗教は、その時のある民族を支配する次元に留まっているものではありません。未来の国家、未来の世界、さらには天宙を望み見るものです。そして創造主の理想を通して創られた地と人間が、三位一体的な関係として一つになろうとする、目的に向かって動いて行くのです。 正にこれを求め求めて回復するためのものが宗教ですから、宗教は今まで主従の関係を重視してきたのです。また何が先で何が後かという前後の関係などの、秩序的な因縁を結んできたのです。天倫がこのようになっているのです。 それでは悪というものは、どこから出発したのでしょうか? 天倫を中心とする秩序的な因縁を外れたところから、悪は出発したのです。それで天は皆さんが満宇宙のものであり、創造主のものであり、皆さん自身のものであるという、この一基準を立てさせるために今日まで、苦労されてこられたのです。 皆さんは、未来の中心になろうと願いますか? 神との因縁がなしに立てられた人間世界の中心は、永遠ではありません。あるいは民族の中心になりたいですか? 皆さんが思いどうりに民族の中心になったとしても、皆さんは堕落した人間ですから、いつか一度は折られる時があるのです。世界のまえに堂々と出たとしても、一度は折られる時が近づいて来るのです。それで宗教の道、即ち修道の道を行くという人間には、すべてのものを捨てよと教えるのです。しかしこの御言は、いつも捨てなさいということではありません。 堕落した人間が善の路程を経てゆくときにおいては、言うこともできない紆余曲折の路程を経て、革命と闘争の過程を経なければなりません。神様はこのような過程を経る人間ですから、どんな民族でもある主義にかたよって固着してしまったら壊れることを知られて、そのすべてのものを捨てなさいとされるのです。 それでキリスト教がこの地上に、天を云々して現れるとき、言うこともできない迫害を受けたのです。またどの時代においても、天を現す個人や民族は、歓迎されなかったのです。二千年前にもイエス様の新約の福音を聞いたのですが、彼を国家的にみな追い出したのです。さらにはイエス様以後、今までどの時代においてもキリスト教を迫害しなかった民族は、一つもありません。 しかし神様は、この地上にキリスト教の理念を立てるために、どんな国家の政策的な理念であっても、イエス様が主張される内容と一致しないときは容赦されなかったのです。 神が所有すべき個人、家庭、国家、世界 イエス様は持つべき民族を持たず、持つべき国家を持たず、持つべき世界を持たなかったので、神様はこれを取り戻すために、今まで苦労されておられるのです。それではこのみ旨を、誰が成就させるのですか? このみ旨を成就しなければならない人間は、天でもなく、地でもなく、正に皆さん自身なのです。 神様はこの宇宙を取り戻すための摂理をされ、一度に全宇宙を求めることはできないので、まず一人の人間を捜し求めるための苦労の歴史を経るのですが、これが正にアダムの堕落の後、ノアを求める一六〇〇年の期間であったのです。アダムが失敗することによって、神様はノアを立てたのですが、ノアもこのみ旨に対する責任を果たすことができず、これが四百年延長され、アブラハム・イサク・ヤコブのときに至って、初めて一人の個人を求め、一つの家庭を捜し求めたのです。 神様はこのヤコブ家庭を中心に、エジプト路程を経ていって、モ-セを立ててイスラエル民族を率いさせたのです。ところが民族を中心としてイスラエルの国を求めるために来られたイエス様が、この国を自身のものとして求められず、天のものとして立てられない立場で逝かれることによって、選ばれたイスラエル民族はどうなったでしょうか? 世界を流浪する民族になったのです。 こうしてイエス様が来て行って後、今日まで天はこの地上の人間のまえに新約の摂理路程を立てて何をされたかといえば、イエス様が捜し求めた神を中心とする民族と国家を建設し、さらには天宙的な天の理念を運行できる世界を建設されようとしているのです。 このような足場を持っていないので、今日イエス様を信じている信者たちには未だに自分たちが捜し立てるべき国家の理念が残っているのです。しかしこのような事実を、彼らは知らないのです。 それではイエス様が今日、この時代に要求することが何でしょうか? 天が四千年の間苦労して立てたイスラエル民族を失ってしまったので、このイスラエル民族を代身することができる第二のイスラエルの使命を、今日キリスト教が担うことを願っておられるのです。ところがこれをキリスト教徒が忘れていることを、皆さんは知らねばなりません。 このような際に天性に向かってゆく皆さん自身を考えてみれば、皆さんは哀れな人々です。人間が天性の道理を正し、善なる姿になっていないので、天性の道理に通じることができる家庭がなく、社会がなく、民族がなく、国家がなく、世界がないのです。正にこのような立場に処している自分たちであることを、皆さんが考えてみなければなりません。 皆さんがこのすべてのことを捜し立てることが最後の目的ですから、天は今まで皆さんがこれを捜し立てる前には、あるものに属してそれに頼む存在にならないことを望んでおられるのです。即ち、ある民族、ある主義にも属さないことを望んでこられたのです。ですから今日皆さんは、このようなことを心の底に刻んで歩んで行くべき運命におかれているのです。 そして今日皆さんに、皆さんの体がこの地を代身する体になり、民族を代身する体になり、永遠の生命を代身する体になっているかと問うとき、皆さんはそのようになっていると答えることができないのです。それゆえ皆さんは、皆さんの一身を自身のものと主張しては駄目です。皆さんは、ヤコブに十二子息を中心とする七十食口があったように、神が臨在することができる家庭を成さねばなりません。そして皆さんの家庭は、神が統治される国のものであり、その国は神が支配する世界のものにならねばならないのです。さらには天上のすべての霊人たちまでも、神が主管される理念圏内に属するようにしなければなりません。 これを考えてみるとき、今日皆さんはどんな立場、どんな位置で召命を受けたのかを知らねばなりません。また、皆さんがどんな立場で自身の理念を、自身の欲望を、また自身の行動をどのように展開させてきたかを、反省してみなければなりません。こうして今日皆さんの立場がこのように天倫の全体的なみ旨、創造的、全体的な摂理のみ旨において、どのような位置にあるかということを、皆さんは明白に知らねばなりません。 神のキリスト教に対する摂理のみ旨は、神様が喜ぶことができる個人を捜し求め、神が支配することができる家庭を求めるためであり、この家庭を合わせて天の民族を成そうとすることなのです。正にこのみ旨を成す責任を、選民イスラエルが完遂しなければならなかったのですが、彼らがこれをぶち壊すことによって、神様は世界キリスト教徒を動員して、第二イスラエルを建設されてきたのです。ですから今日、全世界キリスト教徒が一つに団結して、この地上の悪に対して進撃することができる一日、キリスト教で言う最後の審判の日を、迎えなければならないのです。 神のものとして所有されるためには 天倫のみ旨のまえに完全に和して、天上の認定を受けた人間、神秘的な体験をした人間は知るのです。神が私に対してお前はわたしのもの、と認定するのを感じると同時に、万物が私に対して頭を下げるのを見るのです。全被造万物がお前は神の息子であると、神のものであると認定する日には、霊界の数多くの霊人たちは勿論、地上の万物までも彼に頭を下げ、讃えるようになるという事実を、今日人間は知らないのです。神が認定し、万物が認定する立場に入るならば、真の良心を持つ人々もやはり、彼のまえに自然に和して入ってくるのです。 そして皆さんは自身の存在位置と存在意識をもっても、自分のものという所有観念を捨て、自分が万物のみ旨を代身し、人類のみ旨を代身し、天倫のみ旨を代身するという考えを持たねばなりません。自身がこんな理念を持ってゆくことを自覚する人間が、いわゆる道人です。皆さんがこのような修道の道を歩むには、この地上で持つものをみな持ち、やることをみなやって、享受することはみな受ける生活をしては駄目です。 皆さんが本当に天倫による存在の価値を捜し立てようと願うなら、まず皆さん自身を無慈悲に否定して、自分の家庭や社会、罪悪なるこの世の中に対して無慈悲に闘ってゆくという、敵愾心を持ってゆく覚悟がなければなりません。だからといって腕力でやるのではなく、奉仕と犠牲によって罪悪に相対し、攻撃していかなければなりません。こんな過程を経ていって、天は六千年の長い歳月を、無言で闘っておられるのです。 それではこのような創造主たる神が、人間を再び捜し求めるために苦労していることを知るとき、皆さんは今どうすべきか? 皆さん自身が正にこの宇宙のもの、すべての人間のもの、さらにはすべての万物のものとして、和する存在にならねばなりません。また神のものとして所有されねばなりません。 それでは皆さんが神のものとして所有されるためには、どのようにしなければならないか。まずこのすべての被造万物を創られた創造主神が、正に我々のアボジであることを感じなければなりません。それで創造主神は、永遠不変の絶対者として、創世から今まで、切っても切れない父子の関係を回復するために苦労してこられた、我々のアボジであることを知らねばなりません。 肉親の父母が我々に血肉を与える父母なら、創造主はいかなる父母か。我々の永遠不変の霊的な真の父母なのです。私の心の父母であると同時に、永世を与える霊の父母なのです。今日まで人倫的には血肉の父母を尊び、また孝行せよと教えてきたのですが、天倫の創造主に対してはどんな法度もないので、人倫と天倫がそれぞれ違う道を歩んできたのです。こうして人類を代表して、天倫を代身する創造主神に対し、天倫的な真の父母の道理を叫んで行くものがなければならないのですが、このお方がいわゆるイエス様であったのです。 イエス様は地上に来られ、創造主はわたしの父であると語られました。神はわたしの父であり、わたしと一体であるとされたのです。夫婦一体、父子一体の内容を持って、イエスはこのように主張されたのです。ですから他のどんな主張よりも、天倫のために孝子・孝女の道理を立てたことが偉大であったのです。 イエス様がメシアとなり得た理由 今日イエス様を信じる皆さん、皆さんは歴史の終末期に処しているのです。ところでここまで来るには、数多くの革命の過程を経てきました。個人を中心に、あるいは宗族を中心に主張した習慣や風習は、より大きな民族が現れるとき、みな壊されたのです。一つの個別的な国家は、やはり全体的な統一の理念を追求する摂理によって、より大きく強い国に吸収される歴史過程を経てきたのです。 地球も一つであり、人間も一つであり、神も唯一ですから、最後にはこの三者が同席して喜ぶことができる一日を成すために、神は苦労されているのです。そしてある指導的な権限を持って命令する神ではなく、自身の欲望で主管するための神ではないのです。 神様は六千年の間、個人は家庭のためにという心、父母が子に対する以上の心をもって人間に対してこられたのです。人間が神に対して、孝子以上の孝誠の心でアボジと呼ぶ一日を捜し求めることが、人類に対する神の苦労の歴史なのです。ところが今日人間は、このような事実をよく知らないでいるのです。 今皆さんがこのような考えを心に抱いて祈祷したなら、多くの祈祷が必要ないのです。「天のお父様!」というこの一言と共に、数千年間役事されたアボジの心情を感じるようになるのです。六千年の歴史の中で、神様が闘争の過程を経てこられたのも、今日の私を捜し求めるためであったことを、感じるようになるのです。 ですからこの神様が自分に対して「愛する息子よ」と呼ぶことを願うなら、皆さんは創世時に持たれたアボジの心情、人間の堕落によって感じた悲しい心情、再び全世界万民を救援するためのその心情を感じて、神を父とする人間にならねばなりません。 そして皆さんは、神様が今日皆さんに対して摂理されるこの事実を見て、満足して喜ぶのではなく、未だにこの地上に残っている悪と対決して、千辛万苦の苦労の路程を経て、カナンの目的地まで行かなければならない人類を案じるアボジの心情を感じ、愛するアボジを呼ぶならば、このアボジという一言は歴史的な全体のみ旨に通じる言葉になるということを、知らねばなりません。 ところが今日皆さんがいつも祈祷するとき「ご在天のお父様」と呼んでいますが、世の中ではこのアボジの名を汚す人間が多いのです。アボジと呼ぶ言葉には、六千年の歴史の血の祭壇を通して往来した、先知先烈たちの叫びが込められていることを、知らねばなりません。ここには十字架の要所が宿っているのです。我々の先知先烈たちの無限の苦しみと、残酷な歴史的因縁が現れているという事実を、知らねばなりません。 ですからこの創造主が、自分と切っても切れない因縁を結んでいるアボジであることを皆さんが認識したなら、そんな人間はサタンがどんなに強くても、奪ってゆくことができないのです。どんなに地獄の火が恐ろしくても、そんな人間は溶かすことができないのです。 それではイエス様がメシアとなる原因が、どこにあったのでしょうか? 父母のまえに孝道を尽くすという信念が、人類の歴史を代身することができるように、イエス様は自分一身で人倫を捨てても天倫を代身するという覚悟を持って、万物を創造された神をアボジと受けとめ、即ち自分が滅んでも興っても自身の威信と体面を省みず、神を父して侍っていったからなのです。 イエス様は自身の家庭において歓迎されず、自身の宗族から冷遇されたのです。また、洗礼ヨハネの一団から歓迎されず、さらにはユダヤ教から排斥され、イスラエル民族から逆賊として追われたのです。しかし歴史的に結ばれたアボジの怨恨の心情を解いてあげるべき使命を悟っていたので、人類のすべてが自分を見忘れ、またそれらから排斥されたとしても、ここに落胆しなかったのです。ここにイエス様が、メシアとなる資格があったのです。人類歴史上、誰もが持つことのなかった心情、即ち神の為に自身の骨肉親戚よりもより骨と肉に染みる心情を、イエス様は感じたのです。 こうして神様は、四千年の歴史を終結させるべき立場ですべての人間が反対するとき、ご自分の威信を忘れてイエスを抱きかかえ、涙されたのです。四千年の歴史の中で、数多くの先知先烈たちが来ては行ったのですが、神の心情を真に知る人間は、イエス様ただ一人だったのです。 即ち、イエス様は自身の人生路程において、人間のまえに天倫の法度を教えたのです。神はわたしの父という心情に、体が通じ、血が通じるそんな場で、五感を通して万象を見やるとき、即ち神を捜し求めてさまよう人間と天上の因縁を結ぼうとする万物を見やるとき、イエス様の哀しい心情はこれを語ることができなかったのです。 神の真の子女-心情の相続者 ですから今日の人類は、イエス様と神が四千年の歴史を総決算するために出会った、その一瞬の出会いの心情を感じなければならないのですが、これを今日の人類は考えてもみないのです。イエス様がゲッセマネの園で血の汗を流して祈祷された時、背反する民族、不信する祭壇を思って、世界の摂理を代身していったイエス様の哀しい心情は、これを語ることができないのです。 このようにイエス様は教団と民族、国と世界が反対しても、神を愛する心がより大きかったので、人間として感じる心情、神様のすべての心情を感じることができたので、ゴルゴダの道を自信をもって行かれたのです。 ですから今日皆さんも「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい(マタイ二六:三九)」と祈祷されたイエス様の心情と共に祈祷するなら、地獄に行く人間はいないのです。ところがイエス様がこのように神の愛の心情を持って現れたように、イエス様の愛の心情を知る人間が、当時一人もいなかったのです。それでイエス様はこの地上に、新郎・新婦という名詞を残していったのです。 それではどうしてキリスト教の中に、マクダラのマリアの名が残ったのか? 千秋万代に彼女の名が伝えられてきたのは、何ゆえでしょうか? それはイエス様が彼女の名を、紹介されたからです。その当時、一人の卑しい女の身で三百デナリもする香油を、独身のイエスの足に注ぎ、頭を拭うという事を、誰が許したでしょうか? 弟子たちまで嘲り、ユダが抗議し、皆なが反対したのですが、イエス様はどうして福音の報せにマグダラのマリアの名が記念されるようにしたのか? イエス様は愛する弟子、また多くの人々よりも、この一時のマグダラのマリアの誠精が、神様にご自分の誠精をすべて捧げると同じ条件になったので、このように語られてのです。イエス様が十字架につかれるや、従ってきた弟子たちはみな逃げてしまったのです。しかしマグダラのマリアとイエス様の母は、イエス様の墓を捜したのです。彼女らにも家庭と夫があって、固有の旧約思想を中心にしたユダヤ教の風習がありました。ところがこのような事をすべて度外視して、即ち自分の社会的な威信や体面を考えないで、死んだ独り身のイエスの墓を捜してさまよったのです。それでマグダラのマリアは、イエス様に出会ったのです。 それでは天上の審判は、どこで決定されるのか? 皆さんが天の為の功労と苦労が多いからといって、誇るのではありません。それによって決定されるのではありません。ただ神の心情とイエス様の心情が、皆さん自身の体に体恤されて結実して、それが神様やイエス様と切っても切れない因縁となっているものだけが、永世不死の条件になるのです。 これを考えてみるとき、今日全人類はどのようにしなければならないか? 神に通じる真理の御言を追究し、霊的な体験を追究することも良いのですが、神の心中深くに留まっている愛の因縁に結びつけ、イエス様の心情と愛の因縁に結びつけなければなりません。そんなときに皆さんが、イエス様の新婦、神の息子・娘として立つことができるのです。 ところが今日我々は、悲しい人間たちです。大韓民国三千万民族が、イスラエル民族にならねばならないのですが、そうはなっていないのです。この社会に教会がどんなに多くても、神の教会がなく、信じる人間がどんなに多くても、神の息子・娘がいないことを知るのです。それゆえ今、この地上に何が出てこなければならないのか? この民族を生かす神の息子・娘が出てこなればなりません。神の教会がなければなりません。神の民族がなければなりません。従ってこのような涙の道、捨てられる道で神の息子になることができる道が開かれたなら、我々はここに感謝しなればなりません。 イスラエル民族が一つの民族を建設するために、エジプト苦役の四百年期間に天を中心とした一つの標準と理念を立てて、民族が団結して変わらぬ信仰の期間を経た後にこそ、初めて所望の一日を迎えることができたように、今日皆さんもこのような立場に処しているのです。 また今日皆さんはエジプトの地のような、そんな地で生きているということを骨身に染みて感じてみなければなりません。 それゆえ今皆さんは、選ばれたイスラエル民族を蔑視したパロ宮中に対して、敵愾心を持って闘ったモ-セの心情を抱く人間にならねばなりません。一日に決心した心を、ミデアンの荒野四〇年の路程をさまよっても、変わらなかったモ-セの心情を、我々は持たねばなりません。 三代父母に対する責任 それでは今皆さんが、このような長い期間を耐えてゆくならどうすべきでしょうか? 皆さんの何かの真理、何かの運動、何かの主義をもってしては駄目なのです。皆さんは天の心情を代身して、民族を望み見なければならず、イエス様が民族と教会の為に、ユダヤの国が滅んだ事実を精算する為に、祈祷されたその心情を持たねばなりません。こうしてユダヤの国の初代教会と同じく、手に手を取って自身の立場と威信を忘れて、天を代身してゆかねばなりません。こんな時に、この民族は生きるのです。 イエス様は反対するイスラエル民族に対し、その時は呪咀したい心があったのですが、四千年間というもの耐えてこられ、摂理された神の心情を感じるがゆえに、むしろ彼らの為に福を乞うたのでした。即ちゲッセマネの園で、あるいはカルバリの山頂で、または十字架上で、怨讐たちのために涙を流して祈祷されたのでした。 当時ロ-マの市民権を持っていて、その国のすべての慣習や法度を固く守っていたパウロが、どうして自身の名誉と信ずるユダヤ教を捨て、自身の知識もみな捨て、ユダヤ教から追われる立場に立ったのでしょうか? それはパウロがイエス様の偉大なる愛の心情を知ったからです。こうしてどこにも頼る所がなく、身を横たえる所もなく、世の荒波にさらされながら一身の安楽を忘れ、イエス様の御言を伝播していったのでした。 パウロが使徒の職分を果たすことができたのは、彼の人格のゆえではありません。彼が他の人が持っていない、即ち神の愛を代身して現れたイエス・キリストの心情に通じる一つの基準を持っていたので、使徒パウロになることができたことを、皆さんは知らねばなりません。どんなに博識で、お金が沢山あっても、それをもってしては駄目なのです。それゆえ今、皆さんもこんな天的な法度で歩んで生き、心と体がそこに向かって動かなければなりません。 我々は天と地と人間の、三代の父母の因縁から外れることができません。それではこの三代の父母の恩に何をもって報いるのか。今までの人類・民族・民はみな滅びました。こんな理念を捜し立てるべき摂理が残っているので、今日世界的な物質の運勢が人間に訪れてくるのです。物質が人間を打つときが近づいて来ました。なぜならば、人間が自分の位置を失って万物のまえに犯した罪があり、これを終わりの日に世界と人間のまえに蕩減復帰しなければならないみ旨があるからです。それで今日人間が、世界的に物質的な苦痛を受ける立場に処しているのです。それゆえこの物質的な苦痛を踏み越える人間が、出てこなればならないのです。そして初代教会的な神の愛に通じる使徒たちが、出てこなければならないのです。 今日先進国家であるアメリカも、民主主義的な内容を持って動いているのですが、物質万能主義だけを叫ぶ立場になれば、物質にやられてしまうのです。この物質を全人類の為に使用する方法を考えないと駄目な時にきているので、アメリカのような国では他の国のために援助するのです。ところが援助しても、裏面で自分たちの利益を得るために援助するなら、これは天倫が許さないのです。 このような理念を成すために、人類は民主主義の経済社会を経て、本然の物質文化、経済社会を指向していっているのです。従って人間が物質の価値を主張して、本性の理念を代身することができる実体の基準の者となって、物質と人間と天の三者が同席する型を持たなければならないのです。 天国の民の伝統 今日のすべての信仰生活を推し量って見るとき、我々は物質に隷属する信仰観念を持っていては駄目です。もしもこのような宗教団体があったなら、天が良心的な人々を動員して、そんな信仰観念を修正するのです。そんな時が近づいて来ています。また天倫を忘れて自分の正当性を主張する人々の意識も、是正すべき時に来ているのです。 地球も一つの存在ですから、意識があり、存在の目的があるのです。そして地球も被造物ですから、一人の主人がいるのです。その主人が、正に神様なのです。それで神がおられる限り、一つの理念の下に動くことができる世界は、必ず成就するのです。 また人類のすべての思想を支配することができる、統一的な宇宙観が出なければなりません。神の実存性を中心とした理念が、人間世界を支配できるようになり、人間と父子の関係を結んでおかなければ、神は地球と人類の父母としての責任を果たさないことになってしまうのです。それゆえ万物も一つの中心のために動いているのであり、地も宇宙の理念を中心にして動いていて、人間もやはり一つの主義を中心にして動いてゆく、その日が来てこそなのです。 今日数多くの人々は「私はこんな人間だ」「私はこんな国の民だ」と自慢しています。今日アメリカ人は、大きな国の民であると威張っています。しかしこれをもってしては、永遠ではありません。アメリカは自分の国の為に生きていますが、他の国の為に生きなければならないことを知らないのです。その昔、ギリシャ文明がロ-マの為にあったことを知らなかったようなものです。ロ-マも自分の国の文明が、イギリスを経て現代文明の為にあったことを知らなかったのです。ですから今日アメリカ国民は、自分の国の為に働くことは勿論ですが、他の国の為にも働くべきことを知らねばなりません。ところが大部分のアメリカ人はこれを知らないでいるのです。そんな中でも一部の人々が、自分たちの為だけに生きるのではなく、天倫の為に働かねばならないという理念が立っていることは、不幸中の幸いです。 それゆえ今皆さんは天性を代身して、世界的な摂理のまえに新たに武装して行かなければなりません。今までは物質文明が人間を支配し、人間の理性に通じる主義が世界を支配してきたのですが、それで終わってしまうのではなく、天性に通じ、イエス様に通じ、天的な理念に通じ、神の心情に通じることができる一つの主義が、この地のどこかに現れる時が必ず来るのです。 ところで今日、我々はどんな主義も持たず、我々の国は世界的な先進国家でもありません。しかしこの民族が、最後に残る天宙的な神の心情を代身し、神のものとして捧げることができ、全人類が頼み希望するもの、神主義として現れる理念を感じることができる所に立ったとしたら、皆さんは気を落とさないでください。 今日統一教会に集まる皆さん、皆さんはたとえこの小さな教会に座っていても、これを広げれば世界を代身し、さらには天上を代身することができるという心情を感じるなら、問題は解決されるのです。何であっても解決できるのです。皆さんは神のみ旨を代身する子女ですから、神をこの世界の主人として侍る天国の民になるというのです。そして皆さんはいつ、どこでもアボジのみ旨に外れないことを、肝に銘じなければなりません。 さっき読んだ聖書の御言の中に、こんな御言がありました。「人がその友のために命を捨てること、これよりも大きな愛はない」そして「怨讐のために祈れ」とされました。 イエス様が主張されたことは、我々が立てるべき法度と、永遠であるアボジの民族が誇るべき伝統的な風習です。そしてイエス様が主張された道理は、その当時にのみ限られたことではなく、人類を復帰させるにおいて必要な天倫の法度であったのです。従って今、皆さんが神の息子になり、神の娘になるには神の愛を感じ、神の愛を所有しなければなりません。そうするためには、神様が六千年を耐えて愛の息子・娘を捜し求め、今まで闘ってきたのですから、皆さんも闘ってゆかなければならないのです。 聖霊の九つの性禀 皆さん自身が天のものとなりたいなら、まず涙を流される神の立場に立ってみなさい。神様が切ない歴史過程を経てこられたことを感じて、皆さんも涙を流すのです。聞いているこの耳もやはり同じです。食べている一杯のめしも通らないのです。このように切ない天の心情に通じることができる皆さんになったなら、この民族は生きるのです。神様は正にこのような人間を捜し求めておられることを、皆さんは知らねばなりません。 聖書には、聖霊の九つの実に対する記録があります。「愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制(ガラテヤ五:二二)」を言います。この聖霊の九つの性禀、これが神が主張し、神が建設し、神が立てようとされる御国の標準であり、その社会の制度であり、生活の理念であって、これを皆さんは心身に染みて感じたことがありますか。もしも皆さんにこのように染みる心があったなら、イエス様がエルサレムに向かって、石を抱えて言いたかったことを泰山のように口を閉ざして耐えた、その心情を感じるのです。 今日皆さんは統一教会に入っていますが、皆さんのための統一教会を願わないでください。今日我々があるのはこの民族の為であり、今日この民族があるのは世界の為であり、世界があるのは天の為であることを皆さんは知らねばなりません。また皆さんがこのみ旨の為に苦労し、祭壇の前に何かを捧げるものがあっても、神はそれよりもこのみ旨を案じてくれることを、より喜ばしく思われるということを知らねばなりません。 イエス様に平安な休み所を用意し、あるいは山海の珍味を並べた宴を催すよりも、イエス様の心に代って案じ、世界を抱えて涙を流すことを、神もイエス様もより喜ばれるという事実を、皆さんはまた知らねばなりません。 イエス様は十二弟子が自身を敬うことよりも、自身のことをすべて忘れても、ユダヤの民をより愛することを求めたのです。イエス様の三〇余年の生涯の路程がそうであり、モ-セもやはりそうであり、神もやはりそうであったのです。 それゆえ孝子・忠臣・烈女たちにならねばならない皆さんは、天のまえに弁明しようにも弁明できない心苦しさを感じなければなりません。また自分が何かをやったと主張できない自身の不足なることを感じ、天性のまえに恐れ多いことを感じなければならず、自分が自分のものではなく、アボジのものになるために闘ってゆかねばなりません。もしもこのような皆さんになっていったなら、歴史は民族を経て、国家・世界を経て、天宙主義時代に越えてゆくのです。 今日人間が主導的な役割をしようとしているように、天が主導的な行為をするときが来ないと、誰が言い切れるのか! 天がある限り、天が主導的な行為をするときが必ず来るのです。今日まで人倫的な一つの基準が立っていないので、天倫が干渉できないのですが人倫のまえに天倫の威信が立つ日には、その命令と法度に人間はとうてけれることはできません。 時はこのように過ぎているのに、人間は知らないのですから、いま一度反省して見なければなりません。こうして神の愛の関門に自分が通過して「神を絶対に信じます」とする自信ある実力者になって、永遠なるアボジに侍る真の息子・娘にならねばなりません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.03.06
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韓国ニュースからです。http://m.knnews.co.kr/mView.php?idxno=1330970&gubun=一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.08.04
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韓国・世界日報https://news.v.daum.net/v/20200627030945496韓日関係正常化のための韓日平和連帯発足入力2020.06.27。03:09日本軍慰安婦問題で触発された韓日関係が悪化の一途の状況で民間レベルの関係改善のための活発な動きが目を引く。韓日平和連帯は28日、世界平和統一家庭連合釜山本部で韓日平和連帯の発足式を持つと26日、明らかにした。韓日平和連帯は「遠く近い隣人」日本との平和連帯を通じて韓日海底トンネルの建設などの経済交流はもちろん、北東アジアを越えて世界の覇権を狙う中国を牽制するために発足する。バクギルナム日韓平和連帯釜山共同準備委員長は「ますます韓日関係が悪化しており、一部の政治家はこのような状況を国家利益を前面に出して利用している」とし「巨大な中国を北東アジアピョンファグォンに軟着陸させるために、日韓間の連携が非常に重要だ」と強調した。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.06.27
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韓鶴子総裁御言選集 - 目次韓鶴子総裁御言選集 1巻 真の父母様を中心とした一つの世界 第1部 真の父母としての韓鶴子総裁の生涯 第2部 国家の復帰のための世界宣教戦略 第3部 伝統の伝承と相続 第4部 世界平和実現の課題 第5部 二世教育と未来の人材の養成 第6部 孝情天苑を中心とした理想天国のモデル 第7部 天一国安着のための祝福家庭の責任韓鶴子総裁御言選集 2巻 理想家庭と平和世界のモデル 第1部 真の愛運動と女性の役割 第2部 理想家庭と平和世界のモデル韓鶴子総裁御言選集 3巻 天一国と私たちの使命 第1部 平和世界に向かう道 第2部 神様と人類の希望 真の父母 第3部 天一国安着のための私たちの使命韓鶴子総裁御言選集 4巻 愛しき君よ 花咲かせたまえ 第1部 真の父母としての韓鶴子総裁の生涯 第2部 国家の復帰のための世界宣教戦略 第3部 伝統の伝承と相続 第4部 世界平和実現の課題 第5部 二世教育と未来の人材の養成 第6部 孝情天苑を中心とした理想天国のモデル 第7部 天一国安着のための祝福家庭の責任韓鶴子総裁御言選集2 - 理想家庭と平和世界のモデル第1部 真の愛運動と女性の役割5. 理想世界の主役となる女性*このみ言は、1992年5月11日から6月2日まで開催された「世界平和女性連合」韓国)21ヵ所市道大会で宣布されたものである。尊敬する内外の貴貧の皆様、ならびに「世界平和女性連合」会員の皆様。きょう、このように各界の女性指導者の皆様が満場の盛況を呈してくださる中で、世界平和のための私の所信の一端をお話しできますことを、この上ない光栄と存じます。きょう、私がお話し申し上げる題目は、「理想世界の主役となる女性」です。今日の時代は、正にイデオロギーの障壁や言語、文化の違い、また人種の葛藤を越え、一つの世界へと突入する重要な転換期を迎えています。私たちは、今やこの地上からあらゆる戦争と抑圧と搾取がなくなり、ただ真の自由と平和と繁栄の未来だけが約束されることを念願しているのです。これまで、私の夫である文鮮明総裁が主唱してきた「神主義」の理念は、過去の力だけに基づいた男性たちの激しい反対と迫害を克服し、脱冷戦時代の門を開く決定的な役割を果たしました。今後は、和解と協力を指向するこの歴史的な転換の時代に、私は「神主義」を基本とした永遠の平和世界を建設するための大原則を提示するに際し、未来の世界を開拓していくべき女性たちの目標とするために、文総裁が発表した「頭翼思想」を、いま一度皆様にお伝えしたいと思います。本来神様は、喜びを得るために、愛する相対を造られました。彫刻家は一つの作品を作るために、昼夜の別なく若さを燃やしながら全力を投入しますが、そのような心はいったいどこに由来するのでしようか。それは、喜びを味わうために愛の対象を創造された神様の心に似たのではないでしようか。存在世界を見ると鉱物界、植物界、動物界、そして人間世界までも、すべてペアになっていることが分かります。なぜ、すべてがペアで存在しているのか御存じですか。それは互いに作用するためなのです。鉱物界ではプラスイオンとマイナスイオンが作用します。元素同士でも、互いに近づけたからといってすべてが結合するわけではありません。相対的要因が合わなければ、神様であっても結合させることはできません。それとは逆に、互いに相対的要件が合うときは、神様も結合をやめさせることはできません。次元は低いのですが、このように鉱物界の作用も、愛の創造理想型のモデルになるように造られたのです。ですから、真の愛の本質を中心とするときには、神様の心情と人間の心情と万物、動物界までも互いに通じるようになっているのです。その境地に入れば、岩とも通じるのです。皆様がそのような境地に入ってみたことがないのが問題です。深い神秘の境地に入ると森羅万象のすべてが友になるのです。喜悦にあふれた愛の境地に入って自分が笑えば、すべての万物と神様までもが和動するのです。皆様。愛する夫、愛する妻がいらっしゃるでしよう。どれくらい愛していらっしゃいますか。愛する妻を、1000億ウオンのお金をあげるからと言われて、そのお金と取り替えますか。心から愛する夫を、天地のすべてをあげるからと言われて取り替える妻がいるでしようか。実は、男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれたのです。すべてがために生きようとする真の愛のためなのです。男性と女性が陰陽の調和によって愛の理想を成就するために、神様がそのように創造したのです。真の男性と女性を通してこそ、統一された真の愛を見いだすことができるのであり、神様と人間も真の愛を中心として統一が成立するのです。結婚というものは、男性と女性の絶対価値である真の愛を横的に連結したのちに、神様の縦的絶対価値である真の愛によって占領されるのです。このように絶対者であられる神様は、真の愛を絶対価値の中心として最高の貴い位置に立てたのです。真の男性と真の女性と神様が真の愛を中心として完全に統一されるところに、私たちの人生観、宇宙観、神観など、あらゆる問題に対する解決の糸口を見いだすことができるのです。神様の真の愛は、投入してはまた投入し、与えてはまた与えて忘れる愛なのです。与えたという記憶が残っている限り、愛は無限に回ることはできません。愛は無限に運動するものなので、与えたことが記憶にとどまってはいけないのです。続けて与え、また与えても、記憶に残っていないがゆえに流れるのです。それでは、天地と引き換えることのできない価値のある愛を、誰が皆様に与えてくれたのでしようか。皆様の父母が与えてくれたのです。言い換えれば、根本に入ると神様が与えてくれたということです。神様はこの無限の価値をもつ愛を、父の立場で与えてくださりながらも、それをお忘れになります。その愛を受けた息子、娘たちが天を裏切るようなことがあったとしても、さらに与えようとされるがゆえに、そのような果てしない神様の愛のお陰で、きょう皆様もこの場に参加できるようになったのです。ですから、真の愛が行く道とは、施しを受けるための道ではなく、ために生き、犠牲となる道なのです。ですから、神様御自身も愛の相対を創造されるときは、神様御自身がために生きる立場に立たれて、御自身が所有しているすべてを100パーセント投入しては、さらに投入したいと思うのです。このような心をもち得る本然の中心存在が、天地を創造された神様なのです。ですから、真の愛は、ために生きることにおいても、100パーセント、1000パーセント、すべてを与えて真空状態になるのです。空気でいえば、絶対低気圧が生じると自動的に高気圧の循環運動が起こるのと同じことです。ですから、絶対的にために生きようとするところには無限の力が発動するのです。親愛なる「世界平和女性連合」の会員の皆様。「女は弱し、されど母は強し」という言葉があります。女性自体はこの上なくか弱い存在でも、女性が母として愛の主体的立場に立ったり、または妻や娘として愛の中心的役割を果たしたりするときには、女性はこの上なく強くなるのです。なぜならば、女性は母、あるいは妻や娘として愛の主体的立場に立って、100パーセント相手のために与えたならば、その空白を神様の愛が満たしてくれるからなのです。神様の愛の能力が発動し始めるのです。だからこそ女性だったとしても、神様に似て燃えるような愛の主体的立場に立つようになれば、その愛の能力は家庭を生かし、国を生かし、世界を生かす驚くべき力として現れるのです。柳寛順のような16歳(数ぇ)の少女が、国全体に独立運動の波を起こさせたことは、正に国を生かそうとする熱き愛国の衷情が起こした奇跡だったのです。神様も、このように人間に対し、ために生きて与える愛の主体的な立場に立たれ、与えてはまた与えようとなさる本性がその作用を続けることによって永存できるのです。ですから、真の愛の道には永生の論理が成立するのです。神様にとって真の愛の同伴者として造られた人間が、神様の願いどおりに成熟し、絶対不変である真の愛を神様から相続していたなら、人間世界には、根本的な統一の歴史が展開されるのであって、戦争や血を流すような悲惨な歴史はなかったはずです。真の愛を中心として心と体が一つになれば、皆様は神様御自身の愛の同伴者となり、永遠の対象になるのです。そればかりでなく、神様の永遠の愛を相続する人になるのです。愛の属性には、相続権があり、同居権があり、また同参(一緒に参加すること)権があります。たとえ愛する夫が大統領で、たとえ妻が小学校すら出ていなかったとしても、愛する夫婦の関係になれば、夫のものは妻のものとなり、昼夜の別なくいつでも同居できることはもちろん、同参する権限もあるのです。愛にはこのように相続権、同居権、同参権という偉大な3大属性があるので、神様の絶対的な愛、不変的な真の愛と一致した立場に立つようになれば、神様のいらっしゃる所に私たちも加担することができ、いつでも同居、同参できる権限をもつようになるのです。そうなれば、目を閉じなくても神様を見ることができるようになり、涙を流すようになるのです。神様の悲痛な心情を体恤した人は、道を歩いていても立ち止まって痛哭するような体恤の世界があるのです。堕落したこの世の中ですら、母の愛は、もし我が子がよその地で不慮の事故に遭えば、直感で分かるような場合がたくさんあります。寝ていても名前を呼び、大声を上げて目覚めるのです。もし、神様の本質的な真の愛、千年、万年をために生きては、さらにまたために生きようという、そのような真の愛を自分自身の心と体に100パーセン卜吸収できる内容をもつようになるとき、心には神様の真の愛の根が生え、神様の感じるすべてのことに通じるようになり、体は自動的にそこに共鳴するようになるのです。心の世界の真の愛を中心として共鳴体になるように創造されたのが体なので、心と体の統一世界を成し遂げるためには、神様の本質的な真の愛を回復しなければならないという課題が残っていることを知らなければなりません。このような真の愛に共鳴する論理を中心として見ると、私たち人間がそこに一体化して共同一体圏に入れば、「神様の生命が私の生命であり、神様の血統が私の血統であり、神様の所有である被造世界が私の被造世界である」と言うことができるのです。したがって、天下を抱く父母の心をもって、天国に入籍するようになるのです。それでは、愛が先でしょうか、生命が先でしょうか。それは愛が先なのです。人間の生命は愛によって、愛の理想を中心として宿るものなので、人間の生命の本質は正に愛なのです。ですから、愛を本質として生まれた生命は、ために生きるのが天理であり、また人間は、生まれた時から他のために生まれたと言えるのです。「私は自分だけのために生まれた」、「すべてが私だけのために存在しなければならない」ということであれば、決して愛の概念は成立しません。相手のために与え、他のために犠牲になろうとするところから、愛は誘発され始めるのです。家庭のために犠牲になれる人は、家庭の愛を誘発させることができるのです。他のために犠牲になれば、すべてを失うかのように思えますが、それは全く反対です。むしろ愛の主体となり、すべての主人となるだけではなく、さらに高い次元に飛躍するようになるのです。級友たちのために犠牲になり、奉仕する人は、そのクラスの委員長になるのであり、村のために犠牲になる人は、その村の指導者になるのです。ひいては国のために犠牲になり、奉仕する人は、その国の主人になるのです。愛というのは、より大きなもののために犠牲になればなるほど、その愛の等級が高まっていくのが原理です。より大きなもののために犠牲になれば、それに吸収されていくのではなく、その大きなものの中心の場に立って新しい次元を迎えるようになるのです。キリスト教がイエス様の復活によって出発できたのも、他のために犠牲になりなさいと教えているからなのです。イエス様はゲツセマネの園で、「わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタィ26:39)と祈祷され、罪なく死んでいく十字架上においてさえも、自分を槍で刺すローマ兵に対しても、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ23:34)と神様に切願したのです。これが正に神様のようにために生き、犠牲となって生きる生涯の標本であり、復活の歴史をつくり出す起源となり、キリスト教の核心的伝統思想にならなければならなかったのです。他のために命までも捧げ、犠牲になるとき、さらに高い次元の命を得るようになるのです。親愛なる女性連合の会員の皆様。私は1991年11月30日、夫と共に北朝鮮を訪問し、金日成主席や他の多くの指導者たちと会ったことも、考えてみれば命懸けの冒険でした。皆様もよく御存じのように、文鮮明総裁は、彼ら北朝鮮の指導者たちが最も怨讐視してきた宗教指導者であり、「国際勝共連合」の指導者だったがゆえに、彼らは私の夫を葬り去ろうと国内外においてあらゆる工作をしていました。そのようなところに、ただ神様だけを頼りに北朝鮮に入っていき、「『主体思想』では統一できない。『神主義』でのみ統一は可能である」と主張できたのは、ただただ心から彼らを生かしたい、ために生きたいと思う真の愛の心があったからです。それにまた、祖国統一の門を開くためならば、いかなる犠牲も甘受しようという、殉教者の精神をもっていたからなのです。「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」という言葉を実践されたのです。真の愛こそ、地獄までも占領できる土台となるのです。皆様が真の愛を所有するようになれば、すべての悲しみや苦痛も、真の愛の中では喜びに昇華されます。言い換えれば、この個人的な権力、知識、財力などをもって主張するそれ以上の絶対的権限として残したいと思うものが、人間の本性の欲求である真の愛なのです。このような観点から見ると歴史を通じて、人間を救おうとされる神様の戦略戦術と、これに反対しようとする悪魔の戦略戦術は正反対に行われてきました。神様の戦略戦術は打たれて取り戻してくる作戦であるのに対して、サタンは先に打って奪われていくのです。第一次、第二次、第三次世界大戦を考えてみてください。先に打ったほうが減んでいきました。しかし、神様は、裏切られ、奪われたからといって、その人の命を奪って取り戻してくるわけではありません。神様は宇宙の主人として堂々と現れ、打って取り戻してくる能力をもちながらも、打たれてあげるのです。父母は犠牲になることによって、不孝者を悔い改めさせる道を行くのです。神様は、天理の公道を立てるために自らサタンを訪ねていき、主人が来たらああしなさい、こうしなさいと教えてくださるのです。しかし、歴史的に見ると、教えて導こうとして行った主人が、むしろ打たれたのです。しかし、打たれたのちはどうなるか御存じですか。孔子も多くの迫害を受けました。イエス様は、ローマ帝国に、罪人として命を奪われました。みな歴史が過ぎたのちに、聖人の名がつけられたのです。在世中に聖人になった人はどこにいるでしようか。このように、彼らは、その当時においては悲惨に死んでいきましたが、歴史の時代を経ながら、少しずつ上がっていくのです。打たれたことへの損害賠償を請求するのに、10年、20年で終わらせてほしいとは言いません。期間が延びれば延びるほど、世界を完全に占領するようになるのです。数千年の間、耐えに耐えて、損害賠償額をすべて計算してみると、銀行に預金したお金に利子がどんどんと付いて、のちにはその銀行まで買い取っても余りあるお金になるのです。神様は待ちながら訪ねてこられる方です。打たれて取り戻してくる戦略戦術を取られる方なのです。悪なる世の中が全面的に迫害して破壊するなら、天運が助けてくれて、すべてを越えさせ、跳躍させてくれるということなのです。神様は私と夫にも、そのような多くの体験をさせてくださいました。迫害を受けるというのは、怨讐の所有権を相続する、また一つの秘法なのです。このようにして神様から愛される人は、常に天運の保護を受けるのです。殺してしまいたいような怨讐がいても、神様はなぜ罰を与えないのかというと、それでもその人を愛する父母や妻、息子、娘がいることを御存じだからです。神様も涙の谷間を越えてこられたお方であるがゆえに、その怨讐を誰よりも愛する父母や妻、そして子女たちの心情を体恤されるとき、むち打つことができないのです。そのような神様の心情を本当に感じるようになれば、怨讐を打つことができるでしょうか。それを思うと、逆に怨讐を助けてあげなければならないのです。そうしてこそ、天理の大道である愛を中心として、一つに抱こうとするその大道の前に私たちは近づくようになり、そこに天地が振動しながら、神様も涙を流すようになるのです。神様も御自身に似たと喜ばれるのです。このような立場で見つめられる神様であるがゆえに、「怨讐を愛しなさい」という言葉が理解できるのです。そのような力が生まれるところは、知識でもなく、お金でもありません。権力でもありません。真の愛のみにあるのです。ですから、皆様は愛する息子、娘、父母のために、南北が敵視するその峠を越え、ために生き、犠牲となる真の愛をもって統一を願わなければなりません。私たちが願う南北統一は、あくまでも怨讐さえも愛する、ために生き、犠牲となる真の愛の精神によってのみ可能です。父母が子女の面倒を見るように、兄弟同士がいたわり合うように、北朝鮮の同胞の痛みを自分の痛みとして分かち合い、神様の変わることのない真の愛の中で共に会えるようにしなければなりません。真の愛を中心として、神様とアダムとエバが互いに会い定着できる交差点は、90度を形成するのです。なぜならば、神様と人間を縦的に連結する真の愛の道は、最短距離である垂直以外になく、完成したアダムとエバを夫婦として連結する真の愛の道は、横的で水平なので、正にこの垂直と水平が出会う点は、自動的に90度の角度になるのです。そして、この点は絶対的な価値をもった位置として、ただ一つしかない真の愛を結ぶ中心点であり、モデルとなる点なのです。しかし、アダムとエバが成熟する前に、天使長のゆえにこの角度がねじれてしまったのですが、これが正に堕落なのです。大工が家を建てるとき、水平を先に見るでしょうか、垂直を先に見るでしょうか。水平を先に見るとすれば、それは既に垂直を認めているのです。同じように、「女性」という言葉も、男性が先にあってこそ出てくる言葉なのです。また「男性」という言葉も、女性を先有(前提)条件として出てくる言葉です。「上」という言葉は「下」を考え、「右」という言葉は「左」を先に認めて語る言葉なのです。したがって、「横的」という言葉は、「縦的」という言葉を前提としなければなりません。このように先有存在圏を認めるということは、ために存在する相対圏を認めることであり、ここにおいて真の愛は、相対のために生きようとする目的をもって成立するものなのです。それならば、神様と本然のアダム、エバはどこで出会うのでしょうか。神様の愛と真の父母の愛、神様の生命と真の父母の生命、神様の血統と真の父母の血統が結合する所は、垂直と水平を連結した90度の角度以外にありません。この点が真の愛を成立させる公式点なのです。神様は縦的な真の愛の父母であられ、アダムとエバは横的な真の愛を中心とした父母なので、このような二つの父母の愛と生命と血統を受け継いで生まれた自分の心は縦的な「私」となり、体は横的な「私」となるのであり、この縦的な「私」と横的な「私」が統一体になるとき、人間は永遠な神様の「真の愛の同伴者」となるのです。神様は真の愛と真の生命と真の血統をもっていらっしゃり、私たちもそこから出てきたので、私たちの中にも真の愛があり、真の生命があり、真の血統がなければならないのです。人間は、神様の真の愛を中心として父子一体の関係をもって生まれたので、神様の心と体が真の愛によって自然に統一されているように、私たち人間の心と体も真の愛によって自然に統一されなければならなかったのです。(※1992年のお母様の講演文からも「天の父母様」のことが既に語られていたものでした。「夜の神様、昼の神様」の結婚式です。)ところが、サタンの愛と生命と血統を受け継いだ堕落人間は、サタン側の体と神側の心を分ける一線に立って、絶えず闘っているのです。このように今日、「私」を中心とした愛は、心ではなく体と関係があります。この体が悪魔の舞踏場になってしまったというのです。悪魔の錨綱が掛けられた杭のようになってしまいました。心は天に代わるプラスの位置にあるのですが、体がまた別のプラスになり、心をもてあそんでいるのです。これを是正しなければならない道が、私たちの生涯にわたる義務なのです。これを御存じであられる神様が、修理工場としてつくったのが宗教です。ですから、宗教は断食や犠牲、奉仕をすることによって、体を心に屈服させる教育をするのです。言い換えれば、体の欲望を弱化させ、心がすることに従えるように、3年から5年以上かけて、習慣性を伝授するためのものが信仰生活なのです。また、絶えず祈祷することを強調します。神様は縦的な立場にのみいらっしゃるので、心が通じなければ活動ができないお方です。サタンはあらゆる所で活動しています。360度いつでも活動できるので、サタンの活動に負けるようになっているのです。心は垂直の位置にあるので、一つです。垂直は横的基盤ではないので、横的基盤に出ていくことはできません。そのため、心は環境に引っ張られやすいので、垂直の立場において精誠を尽くして祈祷し、3倍、4倍の強い力を心に受け、体を自由に制御し、3年から5年かけてそのような習慣を身につけなければならないのです。この二つの方法以外に修理できる道はありません。そのような修養を行う宗教の門を通過しなければ、本郷の人間の道を見いだすことはできないのです。哲学の道、知識の道、良心の道だけではできないのです。縦的な心と横的な体が一つにならなければなりません。ところで、人間の心と体が神様の理想と一つにならないようにした、その堕落の起源は何でしょうか。聖書には、善悪の実を取って食べたからだとあります。それでは、その善悪の実を取って食べたあと、どこを隠しましたか。口を隠しましたか、手を隠しましたか。違います!下半身を隠したのです。ですから、サタンを中心として結婚をしたのです。これが悪の血統を繁殖する起源になったのです。しかし、考えてみると、人間にとって真の愛と真の生命と真の血統の根源値は、正に愛の器官です。堕落によって、この神聖であるべき愛の器官が、天理を破壊した凶悪な宮殿になってしまいました。悪の本拠地になってしまったのです。ここに偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統が植えられてしまったというのです。10代の未成熟な時に、人間始祖アダムとエバが堕落しました。そのようにして悪を植えつけたので、歴史的に人間の世界に悪の血統が広がっていったのです。したがって終末の収穫期になれば、全世界的に青少年たちが、アダムとエバのように愛の倫理を破壊し、退廃的な風潮へと流れていくのです。このような現象を見ながら、サタンの全権時代がこの地上に到来したことを知らなければなりません。そしてこの時こそ、神様が鉄槌を下す審判の日になるのです。歴史的に見ると、神様のみ前に淫乱の都市や淫乱の国は滅びました。ソドムとゴモラが硫黄の火によって焼かれたのも、ローマが減んだのも、他の理由で滅んだのではありません。法度を守れずに淫乱に陥り、減んでいったのです。アメリカ、ヨーロッパ、日本など、今日の世界の先進諸国を見てください。東西、四方に広がるフリーセックスと淫乱の波を誰が防ぐことができるでしようか。乱れた愛だけでは物足らず、末梢神経を刺激する享楽主義、麻薬や覚醒剤を求める無頼漢の世界になりつつあるのです。それはすべて、肉体が死へと引っ張っていく道なのです。決して心の願う道ではありません。心は手を上げて痛哭しているのです。天理大道において人間を本然の始発地である神様の懐へと導いていくべき良心の使命と召命は、すべて失敗してしまったのです。誰かが現れて、世界人類をこのような堕落の環境から救いの道に導かなければなりません。堕落してサタン側に立った人類は、野生のオリーブの木に例えることができます。その中でも、神様が分立させて探し出した人類は宗教圏ですが、それは神様の所有権の中にある野生のオリーブです。ですから、神様が自由に主管できるのです。再臨主が来られれば、一遍に切って接ぎ木しやすいように準備してきたのです。そうして、野生のオリーブが真のオリーブとなり、本然の状態に返っていくのです。ですから、宗教を信じる人も、本来の真の父を探さなければなりません。なぜなら、彼らは本来の真の父の生命の種を受けずに生まれたからです。言い換えれば、本来の真の愛を中心として、神様の血統に連結した真の息子、娘としての一体理想を果たせなかったのです。ですからメシヤが来なければならないのです。皆様。メシヤとは何か御存じですか。メシヤは、真の父母として来られ、偽りの父母から生まれることによって植えつけられた偽りの根を取り除き、本然の形態を復帰し、サタンを追放し、皆が歓迎する自由解放の天国世界を創建しなければならない、そのような重大な責任をもって来られるお方なのです。皆様。皆様が神様の愛、神様の生命、神様の血統を、そして真の父母の愛と真の父母の生命と真の父母の血統を受け継いだ息子、娘になれば、神様のように、皆様にも心と体が闘うことのない真の統一の起源が生まれるでしょう。そして、「私」の心と体が統一されたところから、永遠の平和の世界は出発するのです。尊敬する「世界平和女性連合」の会員の皆様。私たちは、父母の心情を抱き、僕の体の道理を果たしましょう。私たちの汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流しながら、天地創造の大いなる主人でいらっしゃる私たちの父母の恨を解放し、一つの平和世界を建設する十字架を負い、救世の道へと前進しましょう。私たちの目的地は世界の果てですが、私たちの出発点は、正に自分の心と体が真の愛を中心として一つになるところから始まらなければならないという事実を忘れないでください。そして、自らの家庭が永遠の幸福と真の愛の定着地になるときに初めて、私たちが願う理想の国、理想の世界が結実することを肝に銘じなければなりません。私たちの「世界平和女性連合」の運動は、遠からず世界万民が参加する「世界平和家庭連合」の運動に昇華、発展し、五色人種(すべての人種)が永生を謳歌しながら、子々孫々がために生きてはさらにために生き、与えんとする真の愛の世界を建設するでしょう。この歴史的な聖業に私たちは決起し、先頭に立つことを誓いましょう。皆様と皆様の御家庭に神様の祝福が共にあることを祈りながら、私のお話を終わります。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ 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2020.04.27
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韓国ニュース検索からです。韓鶴子統一教総裁自叙伝「平和の母」ベストセラー上がる韓鶴子統一教総裁の自伝「平和の母」が永豊文庫ベストセラーになった。 統一教会側は、国内のいくつかの集団の非協力的な態度でコロナ19が深刻化したこの時期に韓鶴子総裁の自伝がベストセラーに上がったと述べた。また、自伝には、その中に、宗教と国家を越えて全世界を歩き回って平和運動を広げてきた平和運動家であり、女性の指導者韓鶴子総裁の人生の詳細描写と説明した。イ・スンハン記者一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.04.08
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https://youtu.be/fcIQRqot5TY晩餐会のあとはリトルエンジェルスの公演です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.04
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ワールドサミット2020開幕https://news.v.daum.net/v/20200204113848036一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.04
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2020.01.04
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【X JAPAN】1億円のクリスタルピアノの音に驚愕www他のピアノと響きが違う!wwww【Forever Love】一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.12.28
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相も変わらずのシムソン(恣意存)氏のチンプンカンプンな記事更新の「夜昼の神様論」。2019/12/18 10:14公開記事は以下。アダムとエバが結ばれる時に聖霊の様相は完璧なものとなり天一国天宙を創り出す!前回私からの「シムソン氏曰く「神様のオモチャとして人間を創造された?!」」で取り上げた矛盾点は未だそのままだ。また、ほかの矛盾点も時間の都合で書くことが出来なかったが、上図から受け留められることは、夜の神様がアダムの体に臨在して「直接に」働いておられるということだ。次に、「聖霊」も実体を持たないエネルギー、「聖霊の働き=万有原力」のような捉え方だ。第一番目を考えてみたときに、統一原理の「間接主管圏」と「直接主管圏」に引っかかる矛盾点がここにも出てきている。成長過程における「人間の責任分担」もなく象徴的個性真理体同様に自動的に完成さるるということだ。ここでも「神様のオモチャとして人間を創造された?!」は、繰り返し強調された。もしもここに「人間の堕落」というものがあるとすれば、神様といえども絶対性・完全性を失った神様ということになる。神様が神様でなくなるという話だ。第二番目のシムソン氏のそれも、原理講論では聖霊は「女性神」「真の母」だとの記述に矛盾するものである。まるで新しい真理(非原理)を語られているようだ。これに先立って、「日本語聖書は「聖霊」と「御霊」を分けているが韓国語はごった煮状態!」コメント欄では私からは以下の質問を投げかけていたが、未だに満足な回答を得ていないが……シムソンさんへ>原理講論の主人は昼の神様という事です。「原理講論の主人はお母様」であるとのお父様が語られたみ言は私の過去記事で何度か紹介しています。あなたはそのお父様のみ言まで否定されますか?ところで、日本語では『聖霊』一本ですが、韓国語『原理講論』では「성령」(聖霊)と「성신」(聖神)とに分かれた記載があることをあなたが引き出してきました。当然のことながら、「昼の神様」は「성령」(聖霊)か「성신」(聖神)の両方とは言われないでしょう。では、どちらですか?現時点でシムソン氏の記事から受け取れることは、「昼の神様」は「성령」(聖霊)か「성신」(聖神)の両方ともに該当しないということだ。シムソン氏、それに相違はないか? 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.12.19
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一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.11.19
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http://m.ssinews.co.kr/view.asp?intNum=35390&ASection=001001一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.11.01
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https://youtu.be/tGlL1wwfKLQ一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.10.06
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世界平和統一家庭連合、「日本ヒョジョン文化祝福フェスティバル名古屋4万人大会」開催https://m.asiailbo.co.kr/etnews/?fn=view&no=331446&cid=21040100【インタビュー】世界平和統一家庭連合日本会長・徳野英治http://m.kr.ajunews.com/view/20191003231033592一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.10.04
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https://ihf.jp/news/topix/%e8%a5%bf%e6%97%a5%e6%9c%ac%e6%96%b0%e8%81%9e%e3%81%8c%e3%82%b8%e3%83%a0%e3%83%ad%e3%82%b8%e3%83%a3%e3%83%bc%e3%82%b9%e6%b0%8f%e3%82%92%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%93%e3%83%a5%e3%83%bc%e4%b8%96/記事詳細はこちら。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.10.01
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韓国・ブログ「ピース展望台」から。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.09.30
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PeaceTVホームページ>フォト真の家庭、天正宮博物館 リンゴとブドウ収穫 (2019.9.21)より多くのフォトはこちらから。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.09.26
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2019.09.14
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