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2020.10.27
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カテゴリ: 天一国摂理史
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​家庭王圏時代宣布​
2000年10月27日 大韓民国九里市水澤洞 中央修練院




2000年10月27日
満40周年を迎える真の子女の日
真の父母様は 家庭王圏時代 宣布をされた

真の父母様はこの日を天地にある

神の子としての名分を与えて
神と新しい父子の因縁を結ぶ日 に制定された





……
神様と真の父母様が霊界と地上の
全ての家庭王 になる
​「 天地父母家庭王圏時代宣布 」を宣言した​

家庭の王が今後は国の王になり
天宙王の座を受け継がなければならず、
入籍祝福家庭は自分の家庭から
天地父母を王として仕える生活をしなければ
ならない と語られた


一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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2000年9月26日、「第1次 三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」が挙行されました。
「入籍祝福家庭」とは、この家庭を立てられた基台で「家庭王圏時代宣布」をされたものと思われます。
その時に語られたみ言は以下ですが、現在、家庭連合批判される方々が挙げているいくつかの批判内容に考察を要するようなみ言も語られていました。以下…


『ファミリー』2000.12月号
第四十一回「真の子女の日」記念礼拝のみ言 からです。

※ (文章はスキャンしたもので、まだ工事中です)


真の父母様の御言
第四十一回「真の子女の日」記念礼拝の御言



 このみ言は、第四十一回「真の子女の日」記念礼拝で真のお父様が語られたものを翻訳し、整理したものです。記念礼拝では、まずみ言に先だって、一九六六年の第七回「一真の一子女の日」のみ言の「訓読会」が行われ、続いて真のお父様が登壇され、約一時間半にわたってみ言を語られました。(文責・編集部)

(先ほど「訓読会」で)子女が行くべき道理に関するみ言、深刻な内容のみ言を聞きました。自分たちが本当に、神様の前に真なる子女になれるのかということは、恐ろしい内容です。

 神様が、どれほど大きいのかというと、この宇宙よりも大きく、無限に大きいのです。また、神様がどれほど高いのかというと、限りなく高く、どれほど広いのかといえば、計り知れないほど広く、どれほど深いのかといえば、考えることもできず、そこに及ぶこともできないほど深いのです。そして、そのおかたが、人格的な神様であるというのです。それは、人間のような神様であるということです。



 それは、どういうことかといえば、その神様の愛の中で、その愛を敬い尊ぶ、父と母の主体・対象関係によって生命が連結されているということであり、その愛を中心として連結された生命体によって、分かれていた上下、左右が一つに連結され、そこに血筋が連結されているということです。そうして、その血筋を受け継いで生まれたのが子女なのです。

 その子女という一つの分子、男なら男、女なら女の価値は、どれほど大きいでしょうか?  この想像もできない膨大な大宇宙を中心として、それも主体と対象が一つになった、神様の性相と形状の実体的人格を中心とした本性的男性と女性の価値は、どれほど貴いかということを、皆さんは知らなければなりません。

 その男性と女性が生まれた動機とは、何でしょうか? 自分のために生まれたのではありません。女性が生まれた動機、男性が生まれた動機は何でしょうか?  今、話した根本的因縁の代身存在として、原因的存在の前に結果的存在として現れたのです。その結果が男性であり、女性です。

 原因から分立されて男性と女性が生まれたのですが、これは、何のために分立されたのでしょうか? それは、愛のためです。その愛とは、どのような愛ですか? 過ぎ云っていく愛ではありません。永遠の愛を懸け橋とするために、男性と女性に分立されたのです。

 それは、先祖から千年万年、継続してきました。そして、いくら先祖がたくさんいたとしても、その先祖たちも、分立された男性と女性を中心として、さらに先祖から神様の愛が運搬されて受け継がれていき、そのようにして神様の愛を受けることのできる完成した男性と女性の先祖から連結されてきたのです。

 そうして、それが今日、生きている"私"が生まれる背後の血統となり、その背後の血統が統一教会となり、"私自身"を形成したのです。このような事実を思うとき、男性なら男性、女性なら女性という存在が、どれほど偉大であるかということを知らなければなりません。

 その偉大な"私"、驚くべき"私"! 皆さん、そのように思うでしょう?  男性も最も高い、最も偉大な最高の位置に立つことを願い、女性も最高の位置に立つことを願い、だれもが、男性も女性も、すべての人が最高の位置を願うのです。

 その最高の位置に到達することができるものとは何かというとき、それは、簡単に愛だけではありません。男性は、愛も持っていて、生命も持ち、血筋も持っています。女性も同様です。ですから、いくら「至高の代身たる性相と形状に分立された男性と女性である」と言っても、そのおのおのの分性的存在においても、絶対的に必要とし、また、断ち切ることのできない神様との愛の関係が、"私”に介在しているのです。愛を持っているでしょう?

天地父母を中心として、霊界にいる"私"の生命体、つまり父母の生命的実体が連結されています。そして、その生命体であられる父母の血筋は、父親の血と母親の血が一つになり、それが調和の過程を経て、"私"という存在が生まれてきたのです。

 そのような事実を考えてみるとき、また、その一つの実体が、どれほど偉大な歴史的過程を経て成された実体なのかということを考えてみたとき、それこそが歴史的な宝物であるということを、皆さんは知らなければなりません。

宝物なのですが、男性一人で完全な宝物ですか、女性一人で完全な宝物ですか?  このふたりが一つになってこそ、完全な宝物になることができるのです。ですから、男性も"半分"であり、女性も"半分"です。

 そのような完全なものになれば、神様の愛を中心として完全な愛を成すことができ、神様の生命を中心としても完全な愛を成すことができ、神様の血筋を中心としても「完全である」と言うことができるのです。



 このような、とてつもない事実を考えるとき、男性と女性が分聖殿となり、その半分の者同士が夫婦として一つになることができる価値的基準は、どれほど貴いものであるのかというのです。

 ふたりが一つになって"合徳"する位置、また夫婦として愛し合うその位置は、神様の愛が完成した一つの結実体であり、神様の人格の生命体が完成した結実体であり、今まで神様が歴史を創造してこられた内的動機の起源であった血筋の結実体なのです。

 そのような事実を考えるとき、神様ご自身も、そのよう
になった実体のふたりを取り替えることはできません。神様ご自身も彼らを絶対に必要とし、また、そのような立場で、男性と女性の半分同士が一つになることができるその位置は、神様とも取り替えることができない貴い存在なのです。

 また、神様にとって、わたしたち家庭の夫婦というものは、何をもらっても取り替えることはできません。神様までも加えて、被造万物をプラスして与えても、取り替えることができないほどの貴い存在であるということを、皆さんは知らなければなりません。



……(略)……

 世の中に女性ばかりがいて、男性が一人もいなければ、千万年間、歴史の夢を持った女性たちがいたとしても、男性が一人もいないというときには、女性は絶望してしまうのです。一代ですべていなくなるのです。

 神様の立場で考えれば、今、六十億の人類の中で三十億の男性と三十億の女性がいますが、三十億の女性を前にして、神様が「わたしの息子だ」と訪ねていくことができる男性が一人もいないというとき、その一人の男性を捜し出すためには、三十億の女性を犠牲にしたとしても余りある
ということを知らなければなりません。何のことか分かりますか? (「はい」)
 三十億の人類の中に一人の女性しかいないというとき、三十億の男性をすべて犠牲にしたとしても、その女性が相対することのできる人を、神様は必要とされるのです。もし、いなければ、堕落していないのであれば、つくることができるのです。分かりますか? (「はい」)

 三十億人類の中に女性がいないというときは、その三十億の人類全体を生かすことができないとしても、その一人をつくって残りの三十億を犠牲にする、そのようなことも断行することができるというのです。

 このように見るとき、「神様が願われる真なる男性、神様が願われる真なる女性とは、だれなのか」という問題は、深刻な問題です。いくら人がたくさんいても、人として扱うことができないというのです。それは、"完成品"ではないということです。

そのような者を「未完成品である」と言うとき、それを未完成品として烙印を押してこそ、その人は正当な人であり、神様の公認を受けることができる人です。

 ところが、「これは悪いものですが、良いことにします」と言えば、「良いことにする」と言った人も、悪い人の同参者になるということを知らなければなりません。

 このように見るとき、"私"一人解放し、"私"一人完成し、"私"一人喜ぶということは、"自分一人だけ喜びなさい"ということではありません。関係世界を中心として、包容することができる膨大な宇宙史と常に関係を結んできたということを思いながら、「私」と言うときには、宇宙の朝日を代表して、暗闇の世界に射し込む光のように現れる"私"である、と考えなければなりません。

 真っ暗な夜の時代において、暗闇の世界に蛍の光でもあれば、その蛍の光は、すべての暗闇の世界の注目の対象になるのです。堕落した暗闇の世界において、小さくても"神様の前に、蛍の光のように輝くことができる代表的な存在にならなければならない"という心を育てていってこそ、暗闇の世界の全体を照らす灯台のように現れることができるのです。それは理論的です。

 さあ、そのようにすることができる神様の息子を神様が見付けだし、愛して生命の実体に連結させ、血筋を同化させようと喜んで行動してみた、そのような愛の家庭があったでしょうか?  ありませんでした。なかったのです。

それで、そのような家庭を失ってしまわれた神様は、それを取り戻さなければなりません。それを成し遂げなければなりません。いかなる犠牲があったとしても、この世の中をすべて一度に引っ繰り返して打ち込み、人間をつくる前の本来の状態に戻すことができるのならば、一瞬のうちにそのようにしたいと思われたかもしれませんが……。

 本来、人間というものは、神様の息子、娘として、神様の愛を中心として、神様の生命体と神様の血筋と連結することができるという理想を中心として創造されました。神様は、この結果的存在をもって、地上に理想的家庭、理想的天国、理想的天上世界と解放圏を成し遂げようとされたのです。

 しかし、そのすべてのことが、家庭を失ってしまうことによって成し遂げることができなかったために、思いどおりにつくることができません。ですから、それを永遠の存在として、これを再創造しなければならない立場、時代が復帰時代だというのです。

 それでは、皆さんの中で、一人の男性なら男性が、再創造の価値的存在という命題を成し遂げて、すべての歴史時代を否定せざるをえないような立場に立っておられる神様のみ前に、希望的な実体として立ち、神様が、「あなただけが必要だ」と言われることができるような存在に、どれほどなったのかというのです。そのような存在を、どのようにして確定させるのかということは、どれほど途方もない問題でしょうか?

男性と女性を一緒につくればよいのですが、堕落したときには、女性が男性を堕落させました。ですから、今度はその反対に、そのような男性をつくることによって、迷宮にいる女性を再創造しようというのです。アダムから創造したので、復帰もアダムから先にしなければなりません。

……(略)……

それでは、わたしたち統一教会はどうですか?  真の父母とは何ですか?  真の父母とは、人類の代表です。神様の屈辱と悲しみの歴史を否定し、そのすべての主体と対象、内外、前後、左右、上下を否定し、「代身的勝利の標的として現れた」と言うことのできる代表的存在が、真の父母にならなければならないということです。(「アーメン」)。アーメン。「アーメン」と言ってください。(「アーメン!」)。(拍手)

 それでは、真の父母が必要とするものは何ですか?  真の父母が必要とするものは、何でしょうか?  真の父母も、真の父が必要なのです。分かりますか? その真の父とはだれですか? (「神様です」)。神様です。

 神様は、天地を創造される前から"真の父母"というものを考えられて天地万物をつくられたので、創造される前から共にいるべき存在であり、希望としてもいなければならない存在が"真の父母"であったのです。

 つまり、真の父母をつくっておかれて、それが実際の生活環境にもいなければならず、理想を描く希望の夢の中にもいなければならないという存在が、真の父母だったのであり、歴史過程を通しても、忘れないように、心の中で喜びの象徴として、いつも生きていなければならないのが真の父母だったのです。そうではないですか?  そうですか? (「はい」)

 それでは、真の父母が次に必要とするものは何でしょうか?  "真の子女"です。どのようなものが"真の子女"ですか?  目があり、鼻があり、ロがあり、耳があり、ただ五官がある、それが真の子女ですか?

 歴史において、悲しみと苦痛と苦役を被った、そのすべての事実を真の父母によって忘れてしまい、真の父母を見て、すべてのことを慰労される位置に立たなければなりません。そうすることによって、真の父母からわたしたちに、すべてのものが、そっくりそのまま相続されるのです。

 それでは、真の父母から相続したものよりも良いものを残すことを願わなければならないでしょうか、劣るものを残すことを願わなければならないでしょうか? (「良いものを願わなければなりません」)

 わたしも、おじいさんになってみると、子供のときには思いませんでしたが、孫を抱いてみると、"自分の息子、娘より優れた者になるように"と願うのが、おじいさんの心です。先生も人なので、そのように思うでしょう?  ここにいる年を取ったおじさん、おばさんたち。孫を抱いて、本当にそう思うか、そう思わないかを考えてみてください。

 そして、"何代後の後孫は、今の一代の後孫よりも劣っていればよい"と思うおじいさんがいると思いますか、いないと思いますか? (「いません」)。「います!」(「いません!」)。おじいさん (先生) もしかたなく、「あなたの話が正しい」と言って、頭を下げるのです。

 それを、どのようにして連結させるのかが、問題です。昔のおじいさんとおばあさん、あるいは、今の皆さんの年齢の父母、八十歳前の父母、若くて元気だった父母、そして八十歳になるまで好きだった父母を好むのであって、年老いて霊界に行こうというおじいさんを、どうして好むで
しょうか?

 孫も、「おじいさんのここにキスしなさい」と言っても、そこにキスせずに、別の所にキスするのです。これは、大きな問題です。ですから、この歴史的伝統を父から息子、三代、四代、千万代まで、どのように継続させるのかということが、大問題なのです。

 それゆえに、神様を知らなければなりません。神様を深く知らなければならず、天の国を知らなければなりません。そして、その価値ある天の国という存在は、どのように成されるのかといえば、血筋が神様よりももっと良くなることを願う位置であればあるほど、神様を中心とした、より高い天国を成し遂げていくというのです。

 天国に行っても、理想を描くのです。李相軒氏の報告を見れば、霊界に行っても原理講義をしているでしょう? 原理を学ばなければなりません。その心情的深みに、いまだに到達できていないので……。

 アウグスティヌスが霊界に行って、初めて神様と出会ったときに、神様が訓示されたことは、「アウグスティヌスはアウグスティヌスだ。あなたは、あなただ。あなたは、わたしではない。あなたはあなただが、わたしにならなければならない」ということです。

 それはどういうことですか?  ”神様のようになりなさい"ということですか、"神様よりも優れた者になりなさい"ということですか? (「"優れた者になりなさい"ということです」)。"神様よりも優れた者になりなさい"ということです。

 それでは、優れた者とは何ですか? 神様は、すべての被造世界を愛によってつくられました。そして、"愛を受けて生き、愛を受けて死んでいきなさい"という心情でつくられたのです。分かりますか? (「はい」)

 考えてみてください。神様が花をつくられるときに、花の種を一つつくって植えられたでしょうか、ホの中心である根から数多くの根、幹、枝が生え、芽が出て一つ、二つと、このようにつくられたでしょうか?

 一つの種をつくられたでしょうか、根を下ろして大きな木になって花が咲き、そして種を刈り取るまで待ち望んでから一つの種を刈り取られたでしょうか?

 種をつくられたでしょうか、種を植えてからすべての過程を経て、大きな花が咲く木をつくられたでしょうか、すぐに種ができる木をつくられたでしょうか? (「種をつくられました」)。本当ですか? (「はい」)。わたしを見て学ぶのですね。種が必要なのです。

 アダムとエバを中心として種をつくられたのです。男性と女性が成長し、凸凹を一つにして種が植えられ、そこから芽が出て、子供が生まれるのです。その子供は何ですか?  真の父母の子供です。「父母の日」を迎えた父母の世界において、最も必要なのが子女です。それは何ですか?  それが種です。

 家庭のコンピューターを見れば、それにはプログラムを入れなければなりません。上下間の父子関係、左右間の夫婦関係、前後間の兄弟関係、この三つの関係が一つになって立体的な球形を成すようになっています。その球形の中心は、すべてぽんと空いて、空気で満ちています。

 皆さん。サッカーボールを見てみれば、このようになって丸くなっています。丸いということは、中から表面を同じカで押しているということです。そして、この中は完全に空いているのです。たくさんのカが重なって押しているので、表面まで膨れ上がってくる、ということを考えなければなりません。

 続けて投入すれば、完全に力でぎっしりといっぱいになってしまうのです。このようにして、宇宙は形成されたと考えなければなりません。

 このように考えるとき、真の父母がいれば、真の父母の子女というものは、真の父母よりも優れていることを願うでしょうか、劣っていることを願うでしょうか? (「優れていることを願います」)。

 真の父母がまぬけならば、「こうでも良く、ああでも良い」と言うのです。それは、まぬけでしょう?「こうでも良い、ああでも良い、生まなくてもよい、いなくてもよい」と言うのではないですか?

 知恵深い父母ならば、良い所に良いものを加えなければならないでしょう?  良い所に悪いものを加えることを願うでしょうか?  悪い所に良いものを加えて、後で手術して良いものを抜き出してしまえばよいでしょう?

 しかし、そのようにしても傷ができるというのです。根本から良いものをプラスし、さらにプラスして、真の父母よりももっと良い実を願うというのは、神様が成される復帰摂理の決定的な希望の論理です。

 このように考えるとき、皆さん。真の父母を中心として真なる子女になろうとして、生涯、精魂を込めてつくられた自分自身は、真の父母と比較してみるときに何パーセント優れた存在になれそうですか、なれそうにありませんか?  (「なれると思います」)。後ろにいる人たちは、どうですか?  聞こえますか?  (「はい」)。大きく答えてください。(「はい」)

 それでは、"より良い価値的存在、より良い善なる人間は、どこから連結されるのか"ということを、皆さんは知らなければなりません。愛です。夫婦の愛です。どこからですか? (「愛からです」)。夫婦の愛からです。

 きのう、百度で愛したというとき、次は千度で愛すれば、千度の愛の価値的存在が生じるので、百度とは比較できません。きのうよりも、より良い愛、きのう暮らしていた環境での愛よりも、天宙を抱いてあまりある余裕しゃくしゃくな愛。神様までも、その愛のふろしきに入ってきて昼寝をすることができ、一年じゅう寝ていても安息所だと夢を見ながら……。

 生きて感じることができなければ、夢の中ででも、"理想的だ。千年万年幸福な安息所だ"と思うことができる、愛のふろしきになるということを知らなければなりません。分かりますか、分かりませんか? (「分かります」)
 さあ、それでは、「堕落」という言葉は、どれほどとてつもない事実であるかということを知らなければなりません。天宙を一瞬のうちに暗黒天地に引っ繰り返してしまったということを知らなければなりません。

 皆さんが、数千ボルトの電気を流すスイッチを瞬間的に切れば、「ぱちっ!」と大きな音がして「わぁ!」と瞬きするのですが、"自分が瞬きしたから明かりが消えた"と思いますか、それとも"明かりが消えて音がしたから、自分の目が瞬きした"と思いますか?  どちらが先ですか?

 瞬きするのが先ですか、明かりが消えるのが先ですか? 明かりが消えるのが先です。手を引っ繰り返せば、天国と地獄が引っ繰り返るということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)


 きょうは、何の日ですか? (『真の子女の日』です」)。「(真の)子女の」です。「(真の)子女の日」が、四十周年になる記念日です。絶対、絶対、絶対、四十年の所願成就が結実する時です。

 このように思うとき、そこで「絶対"性"」を守ってきた家庭は、どのような家庭なのでしょうか?  永遠な夢を抱かれた神様のみ前に、夢の世界が成し遂げられる焦点となる位置にいるのではないでしょうか?  分かりますか?(「はい」)

 その焦点位置は、"私"が祝福を受けて立つことができる位置だったのです。"私"の位置だったのです。考えてみましたか?  その位置が、真の父母よりも、もっとりっぱな真の父母になる位置ではないですか?   そうでしょう?

 一点を中心として……。皆さん、自分を中心としてすべての世界を自分のものにしたいと思うでしょう? 同じことです。神様もそうです。焦点位置に、千人なら千代になるのであり、万家庭ならば万代になるのです。
 それゆえに、そこに障害物はありえず、跨賭して心が流れることはありえません。どこに行っても、その喜びは全宇宙の喜びになるのです。

 天上天下のすべてに共鳴する喜楽を感じることができ、その位置は、そこを一つの主体として全体が"付体"となり、立体的な喜びを享愛する位置なのです。それが永遠を保証する喜びの位置です。それは、神様も「アーメン」と言われます。その位置が、皆さんが祝福を受けた位置です。

今朝、だれか話をしたでしょう?  今朝が、どのような日として天地に記録した日なのか知らないでしょう? 郭錠煥氏? (「はい」)。言ってみてください。先ほど、「訓読会」をした後に、一言でもそれについて話してから降りていかなければならないでしょう?

​ 四十年の間、先生が語ったみ言とともに、真の父母が祝福したのは、真の父母の家庭の種を中心として、もっとりっぱな、歴史的な種となる家庭を願ってきたので、その家庭が定着することができるのは、きょうを期して、今からは祝福を受けた家庭の皆さん、真の父母の家庭と一つになることができる皆さんの家庭になるのです。​
 それで、"真の父母"という存在は、どのような存在ですか?  成約時代とはどのような時代ですか?  結婚式を完成した時代です。理想的な結婚の内容を備えて定着する時代だというのです。

 その理想的な家庭定着を代表した家庭が、だれの家庭であるのかと言えば、"私"の家庭です。皆さんの家庭です。真の父母の家庭よりもりっぱで、素晴らしい希望の家庭ですが、その家庭とは何でしょうか?

 天地父母を直接にお迎えして暮らす家庭は、自分の家庭一つしかありません。 数万数千の家庭があったとしても、神様は"私の家庭"の父なのです。その父とは、どのような父でしょうか?  "家庭の王"であられる父なのです。 分かりますか?一(「はい」)

 数多くの家庭は、同じ兄弟です。ですから、神様の位置は、「兄弟の前における王たる父」ということです。それでは、その王という位置の価値も、父という価値も、それが千万家庭に分けられているとしても、その家庭の内容は、すべてイコールなのです。

 神様の息子、娘、王子、王女の王であられる神様の家庭を中心として、王子王女の家庭は、神様の家庭的希望の花が咲く家庭にならなければなりません。そのようにすることができるように、新しく出発した……。

 アダムが堕落せずに復帰完成し、理想的天地を舞台として、新しく出発することができる起源とは何かというと、神様を王として侍り、真のご父母様を王として侍り、完成したアダム家庭として育ち、花を咲かせるために出発するわたしたちの家庭なのです。分かりますか? (「はい」)

 ここに今、統一教会の家庭が何千人と集まっていますが、何千人も必要ありません。皆さん自身が、ここで一番になることを願っています。そうでしょう?  一等になることを願うでしょう?  だれでも一等になることができます。

 もし、”一等になることができる人になった"というとき、一等になることができる人に一点だけでも加えれば、また一等が生まれるでしょう?  それには限界がありません。限界を無限に克服することができる、真の愛の道理が生じるのです。

……(略)……
(分派の皆さん、「天のお母様」がいるか? 居ないか? の話です。)

 先ほど話した、高く、広く、深く、大きい神様が、愛を慕って訪ねて来られるのが復帰路程です。何が慕わしいのですか? (「愛です」)。愛です。神様は、男やもめの立場ですか、父親の立場ですか? (「男やもめの立場です」)

 父親の立場ならば、母親を慕って、愛する何かがなければならないのですが、「父親」という言葉を聞くためには、母親と愛した関係において血筋が連結させてこそ"父親"という位置が成立するのです。

 それでは、天のお母様がいますか?  天のお母様がいますか、いませんか? (「いません」)。わたしは"いない"と思います。どちらですか? 「どちらなのか?」と尋ねているではないですか?

 わたしは「いない」と言ったのですが、あなたたちはどうですか? (「います」)。本当ですか? (「はい」)。やあ、それは、わたしが一つ学ばなければなりませんね。どのようなものがあるのですか?  どのように応えるのですか? これが問題なのです。

 それでは、「いる」という母親を、どこから捜し出してくるのですか?  アダム家庭以外に母親がいたでしょうか、いなかったでしょうか? 見えない神様の二性性相と、見えるアダムとエバの四人が、このように座っているのですが、無形の実体を持った性相と形状の父母は、有形の実体である性相と形吠の存在が絶対に必要です。分かりますか? (「はい」)

 神様がいらっしゃる無形世界が、いくらりっぱで良くても、それ(無形世界)を補充することができる有形世界の完全な標的を決定づける内容がなければ、無形世界もなくならなければなりません。

……(略)……
(姜賢實女史の養子としてサンクチュアリ教会・亨進家庭、しかしながら、父母に侍る家庭?)

姜賢實さん? そのようなことを考えていますか? 息子、娘がいないではないですか? 考えだけではいけません。十二弟子よりも良い、神様の何と言うのでしょうか?  養子を選ぶことができるのです。精誠を尽くさなければなりません。それゆえに、霊界の人々もすべて祝福してあげるのです。

 霊的結婚した人が、地上で十二人のふらふらしている息子、娘を持った人よりも、もっと忠誠を尽くそうとし、"それよりも良くならなければならない"と思って精誠を尽くせば、地上において解放の恵沢を受け、真の父母の祝福を相続することのできる子女の家庭になるのです。

 その家庭においては、間違いなく額を付き合わせて二十四時間、そのにおいをかぎ、足のにおい、何々のにおい、父母が病気になって苦労したにおい、すべてを自分が喜んでもみ洗いしながら待って暮らすことができるのです。そのような息子、娘にならなければなりません。子供になるのに、父母に侍ることができないそのような息子、娘はいません。分かりますか? (「はい」)

 それで、写真に侍る運動を何年前から始めましたか? すでに七年たったでしょう? 郭錠煥氏? (「はい」)(「九二年から八年になります」)。わたしよりももっと記憶が良いですね。わたしは苦労しましたが、苦労しないで記憶が残っていますね。それほど過ぎたのですか?

​ですから、写真を置いて、毎日のように真のご父母様に侍り、きのう死んだ夫の墓を訪ねて、行ったり来たりしながら暮らす、そのような精誠で保護する生活をすることができませんでした。それを始めなければなりません。​

 神様は、アダム家庭の王です。そうでしょう? (「はい」)。真のご父母様は、アダムの三代圏内の王です。それでは、真の父母とは何でしょうか?

 真の父母とは何かというと、霊界のすべての家庭と、地上のすべての家庭の代表f王となられるかたが、真のごごふぼ様です。(「アーメン」)

 真の父母は、どこにいますか?  忍耐するので、真の父母と言うのです。(韓国語で「참 부모(チャムプモー真の父母)」の「참(チャム)」と「참다(チャムダ一耐える)」の「참(チャム)」が、同じ発音であることから、このように言われる)ここに立っている文総裁は、虎よりも恐ろしく、毒蛇よりもしつこいのですが、真の父母になることができますか?
 復帰路程において勝刊するためには必要でしたが、平安に休む所においては、そのような性格は必要ありません。ですから、皆さんは、羊よりもおとなしく、天下太平で、それよりも従順にすることができる皆さんになってこそ、祭物なく解放的な祭壇の上において、神様がつくってくださった、血を流さない自然的贈り物を食べて暮らすことができる主人になるのです。アーメン。(「アーメン」)。このようになってこそ、解放されるのです。

先生よりも良いでしょう?  先生の家庭は複雑です。複雑ではないですか? 複雑ですか、複雑ではないですか? 主人が野うさぎを捕まえに行ったのですが、カインを愛するために家うさぎを捨てて歩き回っていると、虎が人ってきて、家うさぎをすべて捕まえて食べてしまうようになっています。

 今、先生が「訓読会」をしているものは、先生の一生の戦勝記録だと言ったでしょう?  戦勝記録です。それは、皆さんが一生を生きていくにおいて、困難な方向を経ていきながら……。そのみ言は、先生一人のみ言ではありません。

……(略)……

 宿命的な課題を持った血筋が連結された子女であることに間違いないとすれば、その道を行かなければならないということを肝に銘じることを願います。分かりますか?(「はい」)

そして、四十周年となるこの日を中心として、今朝、式をしたのですが、式の途中で訓示した内容はどのような内容ですか? 今から、入籍家庭が出発したので……。堕落した世界を抜け出すのです。

​​

……(略)……

 "食べて遊ぼう"という者は、盗人です。先進国の者たちは、おなかが張り裂けるほど食べても余りあるものだから、「八時間労働しなさい」と言っているのです。一日に一食も食べられない国があるのに、「八時間労働」ですか?  このようにして搾取していき、力のない所から良い
ものを奪っていくような国を、わたしは見てあげることはできません。

 それで、南方天地の太平洋圏を生かしてあげようと思うのです。それで、アメリカとロシアと中共と、それから北韓、日本、インド、四十か国を連結させ、第二世界平和の部隊を編成するための準備をしておきました。分かりますか、分かりませんか? (「分かります」)

……(略)……

 わたしに、できないことがありますか、ありませんか)(「ありません」一。闘いはどうですか? (「お上手です」)。闘うのも上手なのですか?  その闘いに強い人が、どうして教主になれるのでしょうか?  なぜですか?  サタンが闘ってくるからです。

 また、神様とも闘うのです。神様と角の突き合いをして、神様がわたしに負けたので、神様はどこにも行けずに、わたしを助けてくれるのです。そうか、そうでないか、尋ねてみてください。歴史以来、神様を泣かせた人は、わたししかいません。(拍手)

 さあ、きょぅの「真の子女の日」の中で、最も喜びの日は何ですか?  天地父母を自分の家の永遠の主人、永遠の王として待って暮らすことができる解放的家庭が出発したという、この日の前に、"そのような相続者は、私の家庭だけだ"という決意を誓うこの時間となってこそ、四十周年を記念する「(真の)子女の日」がすべて終わるのです。「(真の)父母の日」も、「(真の)子女の日」も、「(真の)万物の日」も、すべての行事もすべて過ぎていきます。

 アダムの第四次アダム圏時代に、なんの国があり、何の記念があったでしょうか?  そこから全体の出発がなされ、名づけるとおりに、自分が願うとおりに暮らすことができる環境になったので、地上が天国でなくても天国になったのであり、「天国がない」と言って、天上から逃げていっても、天国の中に入っていくことができるのです。

 そのような王子、直系の長孫、後継者として選択された家庭となり、神様に待って、堂々とその王権を授与される相続者なのです。そのことは間違いないということが分かったので、万万世感謝していきます。アー!(「アーメン」)。「メン」と言って、感謝します。(「感謝します」)。「アーメ
ン」と言って、感謝しなければならないでしょう? (拍手)さあ、祈祷しましょう。 (終)
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Last updated  2020.10.29 20:37:38
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