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「真の父母論」第2日目も参加させていただきました。帰って来てからは、ブログのアクセスレポートの記事ランキングをチェックしながら、ある記事に目が留まりました。それが以下です。◆「「独生女」考(6)-- コーヒーブレイク」(2016.12.23)「コーヒーブレイク」だからといって、休憩をはさむつもりは毛頭ない。個人的見解をもう一度確認しておく。歴代の会長、櫻井夫人らが三男派、七男派へ行かれた話は聞く。大先輩としてのご苦労してこられたことは認めるが、果たして、エバ国・日本がお母様とより一つとなっていくことを願われたのは真のお父様(文鮮明総裁)であったはずだ。そこにみ旨の中心があり、決して子女様方ではなかったことを今一度振り返っていただきたい。大先輩の方々がそうであっても、私の「良心」はそこには向かない。また、ほかの方々も判断基準は自分の「良心」を尊重されることを願う。聖和された神山氏の最後のメッセージが「許せ、愛せ、団結せよ!」だ。果たして、これは誰に呼び掛けたものか? 「ゴッディズム」「父母主義」「頭翼思想」、言葉は違うがその根本は同じだ。「父母主義」だ。イエス様の再臨の目的は何か。家庭を持つことだ。三男派、七男派ともに真のお父様お一人を担いでみたところで、2000年前のイエス様と同じことの繰り返しに過ぎない。ブログ村記事を見れは、三男派、七男派がお互いにしのぎを削っり合っている。キリスト教が教派分裂をしていった歴史の過ちを犯そうとしている。兄弟喧嘩、それを収拾できるのは兄弟共通の父母以外にはないということだ。また、以下は2016-12-20付でサンクチュアリ(FanClub HyungJin)のYouTubeにUPされた動画。(※ アカウント停止で動画は見れません)動画の流れからは八大教材教本のみを肯定し、天一国経典は認められない。また、お母様の「独生女」は間違っているとでも言いたいのだろう。これらは三男派、七男派が共通して家庭連合を批判してきたことで、黒・天聖経を容認している。ところがだ。八大教材教本の黒・天聖経にも「独生女」の記述がある。これをどのように理解するのか?文亨進牧師はこれをご存じなのか、これを問うてみたい。「「独生女・考」過去記事整理 -- 分派は「独生女」を置いて黒・天聖経を改ざん?! 」(2016.11.13)を参照のこと。さらに記事のリンクを遡っていくと、韓国週刊誌で米国でヤンキースタジアム大会40周年を祝う式典で韓総裁が語られた「クリスチャン2000年の歴史は、独生女を探していく摂理歴史」だと言いうみ言もそのままに紹介されていました。◆「「独生女」考(1)--クリスチャン2000年の歴史は、独生女を探していく摂理歴史」週刊傾向1181号(2016.06.21)https://weekly.khan.co.kr/khnm.html?mode=view&code=116&artid=201606141117241独り子・独生女の結合強調家庭連合「の教義」家庭連合の教義や集会行事を見ると、既存の教会と共通のもあるが、独自に発展した内容も多い。この日の行事の開始に先立って演奏された賛美歌(worship music)を見ると、カトリックでも呼ばれる「主なる神偉大で戸田(How great thou art)」のような歌もありますが、私たちにはジョン・デンバーの歌でおなじみの「テイクミホームカントリーロード」のような歌でも呼ばれた。 「アーメン」という言葉の代わりに「アジュ」という言葉を書いたり、集会が終わって参加者が「億万歳」を呼ぶなどの独自フォーマットも発展してきた。この日の行事のハイライトは、韓鶴子総裁の基調講演であった。韓総裁の基調講演には、これまで家庭連合が主張してきた教義の核心が入っていた。 「イエス様が独り子としていらして、その時独生女が誕生された場合イエス様は神の夢を実現することができる位置に進むことができただろう。しかし、そのようにされていなかった。クリスチャン2000年の歴史は、独生女を探していく摂理歴史である。」「独り子イエス」は、家庭を成し遂げられなかったため「神の夢」を実現していないし、家庭連合が強調する家の価値、つまり独り子と独生女のの結合を介して「神の摂理」が実現されるというものである。この世に存在するすべての宗教は、いくつかのドクトリンではなく、家庭や兄弟姉妹愛のような価値を実現するための手段という説明である。米国の役割の摂理的説明も同じだ。神はアメリカを全世界に存在する200以上の国の長子国、兄の位置に置いた、その役割を放棄して、自分だけよく生きるとはならないというのが韓総裁の主張である。家庭連合の関係者は、「独り子と独生女のの結合は、すでに文鮮明総裁がおられたときから主張してき原理的話」とし「文総裁は聖和する前に『世界基督教統一神霊協会』という看板を下ろし、『世界平和統一家庭連合』に行かなければならないという御言葉をされましたが、それは宗教が自らの存在理由になることがなく、1つの家庭や平和のような大きな価値を実現する手段でなければならないということを意味するのだろう」と付け加えた。偶然の一致なのか、韓総裁の基調講演直後嵐が固め打ちした。出席者が「ユー・アー・マイサンシャイン」を呼んだが雨はより強まるだけだった。この日の午後には、一心純度の誓いイベントやテコンドーなどの行事が行われる予定だった。記者が生前文牧師の執務室でのイベントに参加したパッシブ樫野などをインタビューの中で、いつ雨がきたのかというように日差しが戻ってギラギラとなった。後日、この日のことも信者たちは、摂理が作用したものと解釈してされるか。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.07
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『原理講論』, 前編, 第一章 創造原理, 第三節 創造目的, (二) 神の喜びのための善の対象 既に説明したすべての事実を総合してみると、天国は神の本性相と本形状のとおりに、個性を完成した人間一人の容貌に似た世界であるということを、我々は知ることができる。人間において、その心の命令が中枢神経を通じて、その四肢五体に伝達されることにより、その人体が一つの目的を指向して動じ静ずるように、天国においては、神の命令が人類の真の父母を通して、すべての子女たちに伝達されることにより、みな一つの目的に向かって動じ静ずるようになるのである。『原理講論』, 前編, 第二章 堕落論, 第四節 人間堕落の結果, (五) 罪 第四に、自犯罪というものがあるが、これは、自身が直接犯した罪である。ここにおいて、我々が前に述べたところの原罪を、罪の根というならば、遺伝的罪は罪の幹、連帯罪は罪の枝、自犯罪は罪の葉に該当するのである。しかし、すべての罪は、その根に該当する原罪から生ずる。それゆえに、原罪を清算しない限りは、他の罪を根本的に清算することはできない。しかしながら、隠されているこの罪の根はいかなる人間も知ることができないもので、ただ人間の根として、また、真の父母として降臨されるイエスのみがこれを知り、清算することができるのである。『原理講論』, 前編, 第三章 人類歴史の終末論, 第三節 終末, (二) 終末の徴候に関する聖句 , (5) 日と月が光を失い星が空から落ちる(マタイ二四・29) 創世記三七章9節以下を見れば、ヤコブの十二人の子供たちのうち、十一番目の息子であるヨセフが夢を見たとあり、その内容について「ヨセフはまた一つの夢を見て、それを兄弟たちに語って言った、『わたしはまた夢を見ました。日と月と十一の星とがわたしを拝みました』。彼はこれを父と兄弟たちに語ったので、父は彼をとがめて言った、『あなたが見たその夢はどういうのか。ほんとうにわたしとあなたの母と、兄弟たちとが行って地に伏し、あなたを拝むのか』」と記録されている。ところがヨセフが成長して、エジプトの総理大臣になったとき、まさしくこの夢のとおり、その父母と兄弟たちが彼を拝んだのである。 この聖書のみ言を見れば、日と月は父母を象徴したのであり、星は子女たちを象徴したものだということを知ることができる。キリスト論で述べるように、イエスと聖霊はアダムとエバの代わりに、人類を重生させてくださる真の父母として来られたのである。それゆえに、日と月はイエスと聖霊を象徴しているのであり、星は子女に該当するキリスト教徒たちを象徴しているのである。『原理講論』, 前編, 第三章 人類歴史の終末論, 第四節 終末と現世, (二) 第二祝福復帰の現象 神の第二祝福は、アダムとエバが真の父母として完成し、善の子女を繁殖することにより、善主権の家庭と、社会と、世界を成就するようになるということを意味する。しかし、アダムとエバは堕落して悪の父母となったので、全人類は悪の子女となり、悪主権に拘束された世界をつくってしまったのである。しかし神は一方に宗教を立てて摂理することにより、内的なサタン分立による心霊復帰の摂理をされ、また、他方においては、闘争と戦争による外的なサタン分立をすることにより、内外両面における主権復帰の摂理をしてこられたのである。このように人類歴史は、内外両面のサタン分立による復帰摂理を通じて、将来の真の親であられるイエスに仕えることのできる子女を探し求めて、神の第二祝福を復帰してきたから、それは宗教を中心とする文化圏の発展史と国家興亡史とに現れた内外両面における神の主権復帰の現象を見ることによって、現世がすなわち終末であるということを知ることができるのである。…(略)… キリスト教が他の宗教と異なるところは、全人類の真の父母を立てて、その父母によってすべての人間が重生し、善の子女となることによって、神の創造本然の大家族の世界を復帰するところに、その目的があるという点である。これはとりもなおさず、キリスト教が、復帰摂理の目的を完成する中心的な宗教であるということを意味するのである。このように、現世に至っては、世界がキリスト教を中心として一つの文化圏を形成し、人類の真の父母であられるイエスと聖霊(前編第七章参照)を中心として、すべての人間が善の子女の立場に立つことにより、神の第二祝福復帰の現象を見せている。このような事実を見ても我々は現代が終末であるということを否定することができないのである。『原理講論』, 前編, 第七章 キリスト論, 第二節 創造目的を完成した人間とイエス, (二) 創造目的の完成から見た人間とイエス原理は、これまで多くの信徒たちが信じてきたように、イエスを神であると信じる信仰に対しては異議がない。なぜなら、完成した人間が神と一体であるということは事実だからである。また原理が、イエスに対して、彼は創造目的を完成した一人の人間であると主張したとしても、彼の価値を決して少しも下げるものではない。ただ、創造原理は、完成された創造本然の人間の価値を、イエスの価値と同等の立場に引きあげるだけである。我々は、既に、イエスはどこまでも、創造目的を完成した一人の人間であることを論じた。そこで、これを立証できる聖書的根拠を探してみることにしよう。テモテⅠ二章5節に、「神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである」と記録されてあり、また、ロマ書五章19節には、「ひとりの人(アダム)の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとり(イエス)の従順によって、多くの人が義人とされるのである」と記録されている。また、コリントⅠ一五章21節には、「死がひとりの人(アダム)によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人(イエス)によってこなければならない」と表明されている。使徒行伝一七章31節には、「神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている」と言い、ルカ福音書一七章26節には、「ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう」と言われた。このように聖書は、どこまでも、イエスが人間であることを明らかに示している。特にイエスは人類を新たに生み直してくださる真の父母として来られる方であるから、その点から見ても、人間として降臨なさらなければならないのである。『原理講論』, 前編, 第七章 キリスト論, 第三節 堕落人間とイエス したがって、人間は堕落した状態にとどまっている限り、何らの価値もない存在であるが、真の父母としてのイエスによって重生され、原罪を脱いで善の子女になれば、イエスのように創造目的を完成した人間に復帰されるのである。それはちょうど、我々人間社会の父子の間において、父と子としての順位があるだけで、その本然の価値には少しの差異もないのと同じである。ゆえに、キリストは教会のかしらとなり(エペソ一・22)、我々は彼の体となり、また肢体となる(コリントⅠ一二・27)。したがって、イエスは本神殿であり、我々は彼の分神殿となるのである。そして、イエスはぶどうの木であり、我々は彼の枝である(ヨハネ一五・5)。また、野のオリーブである我々は、もとのオリーブなるイエスに接がれることによって、オリーブとなることができるのである(ロマ一一・17)。ゆえに、イエスは私たちを友達と呼ばれ(ヨハネ一五・14)、また、彼(イエス)が現れるとき、私たちも彼に似るものとなることを知っている(ヨハネⅠ三・2)という聖句もある。そして、聖書は、復活するのは「最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち」であることをも明らかにしている(コリントⅠ一五・23)のである。『原理講論』, 前編, 第七章 キリスト論, 第四節 重生論と三位一体論, (一) 重生論 , (1) 重生の使命から見たイエスと聖霊 イエスは、自分を訪ねてきたユダヤ人の官吏ニコデモに、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできないと言われた(ヨハネ三・3)。重生とは二度生まれるという意味である。では、人間はなぜ新たに生まれなければならないのであろうか。我々はここで、堕落人間が重生しなければならない理由について調べてみることにしよう。 アダムとエバが創造理想を完成して、人類の真の父母となったならば、彼らから生まれた子女たちは原罪がない善の子女となり、地上天国をつくったであろう。しかし、彼らは堕落して人類の悪の父母となったので、悪の子女を生み殖やして、地上地獄をつくることになったのである。したがって、イエスが、ニコデモに言われたみ言どおり、堕落した人間は原罪がない子女として新たに生まれ直さなければ、神の国を見ることができないのである。『原理講論』, 前編, 第七章 キリスト論, 第四節 重生論と三位一体論, (一) 重生論 , (2) ロゴスの二性性相から見たイエスと聖霊 アダムが創造理想を完成した男性、すなわち生命の木となり、エバが創造理想を完成した女性、すなわち善悪を知る木となって、人類の真の父母となったならば、そのときに、神の三大祝福が完成され、地上天国は成就されたはずであった。しかし、彼らが堕落したので、反対に、地上地獄になってしまった。それゆえ、堕落人間を再び生み直してくださるために、イエスは、後のアダム(コリントⅠ一五・45)として、生命の木の使命をもって(黙二二・14)人類の真の父として来られたのである。このように考えてくると、ここに後のエバとして、善悪を知る木の使命をもった人類の真の母が(黙二二・17 )、当然いなければならないということになる。これがすなわち、堕落した人間を、再び生んでくださる真の母として来られる聖霊なのである。『原理講論』, 前編, 第七章 キリスト論, 第四節 重生論と三位一体論, (一) 重生論 , (3) イエスと聖霊による霊的重生 父母の愛がなくては、新たな命が生まれることはできない。それゆえ、我々がコリントⅠ一二章3節に記録されているみ言のように、聖霊の感動によって、イエスを救い主として信じるようになれば、霊的な真の父であるイエスと、霊的な真の母である聖霊との授受作用によって生ずる霊的な真の父母の愛を受けるようになる。そうすればここで、彼を信じる信徒たちは、その愛によって新たな命が注入され、新しい霊的自我に重生されるのである。これを霊的重生という。ところが、人間は霊肉共に堕落したので、なお、肉的重生を受けることによって、原罪を清算しなければならないのである。イエスは、人間の肉的重生による肉的救いのため、必然的に、再臨されるようになるのである。『原理講論』, 前編, 第七章 キリスト論, 第四節 重生論と三位一体論, (二) 三位一体論 創造原理によれば、正分合作用により、三対象目的を達成した四位基台の基盤なくしては、神の創造目的は完成されないことになっている。したがって、その目的を達成するためには、イエスと聖霊も、神の二性性相から実体的に分立された対象として立って、お互いに授受作用をして合性一体化することにより、神を中心とする四位基台をつくらなければならない。このとき、イエスと聖霊は、神を中心として一体となるのであるが、これがすなわち三位一体なのである。 元来、神がアダムとエバを創造された目的は、彼らを人類の真の父母に立て、合性一体化させて、神を中心とした四位基台をつくり、三位一体をなさしめるところにあった。もし、彼らが堕落しないで完成し、神を中心として、真の父母としての三位一体をつくり、善の子女を生み殖やしたならば、彼らの子孫も、やはり、神を中心とする善の夫婦となって、各々三位一体をなしたはずである。したがって、神の三大祝福完成による地上天国は、そのとき、既に完成されたはずであった。しかし、アダムとエバが堕落して、サタンを中心として四位基台を造成したので、サタンを中心とする三位一体となってしまった。ゆえに彼らの子孫もやはり、サタンを中心として三位一体を形成して、堕落した人間社会をつくってしまったのである。 それゆえ、神はイエスと聖霊を、後のアダムと後のエバとして立て、人類の真の父母として立たしめることにより、堕落人間を重生させて、彼らもまた、神を中心とする三位一体をなすようにしなければならないのである。しかし、イエスと聖霊とは、神を中心とする霊的な三位一体をつくることによって、霊的真の父母の使命を果たしただけで終わった。したがって、イエスと聖霊は霊的重生の使命だけをなさっているので、信徒たちも、やはり、霊的な三位一体としてのみ復帰され、いまだ、霊的子女の立場にとどまっているのである。ゆえに、イエスは自ら神を中心とする実体的な三位一体をつくり、霊肉共に真の父母となることによって、堕落人間を霊肉共に重生させ、彼らをして原罪を清算させて、神を中心とする実体的な三位一体をつくらせるために再臨されるのである。このようにして、堕落人間が神を中心として創造本然の四位基台を造成すれば、そのとき初めて、神の三大祝福を完成した地上天国が復帰されるのである。『原理講論』, 後編, 緒論 復帰摂理とは、堕落した人間に創造目的を完成せしめるために、彼らを創造本然の人間に復帰していく神の摂理をいうのである。前編で既に論証したように、人間は長成期の完成級において堕落し、サタンの主管下におかれるようになってしまった。したがって、このような人間を復帰するためには、まず、サタンを分立する摂理をなさらなくてはならないのである。しかし、既にキリスト論において詳しく論じたように、堕落人間がサタンを分立して、堕落以前の本然の人間として復帰するには、原罪を取り除かなければならない。ところで、この原罪は、人間が、その真の父母として来られるメシヤによって重生されるのでなければ、取り除くことはできないのである。それゆえに、堕落した人間はサタン分立の路程を通して、アダムとエバが成長した基準、すなわち、長成期の完成級まで復帰した型を備えた基台の上でメシヤを迎え、重生することによって、アダムとエバの堕落以前の立場を復帰したのち、メシヤに従って更に成長し、そこで初めて創造目的を完成することができるのである。このように復帰摂理は、創造目的を再び成就するための再創造の摂理であるから、どこまでも原理によって摂理されなければならない。それゆえに、これを復帰原理というのである。我々はここにおいて、復帰摂理がどのようにして成就されるかということについて調べてみることにしよう。『原理講論』, 後編, 緒論, (一) 蕩減復帰原理 , (2) メシヤのための基台 メシヤは人類の真の父母として来られなければならない。彼が人類の真の父母として来られなければならない理由は、堕落した父母から生まれた人類を重生させ、その原罪を贖ってくださらなければならないからである(前編第七章第四節(一)(1))。したがって、堕落人間が創造本然の人間に復帰するためには、「メシヤのための基台」を完成した基台の上でメシヤを迎え、原罪を取り除かなければならない。『原理講論』, 後編, 第二章 モーセとイエスを中心とする復帰摂理, 第二節 モーセを中心とする復帰摂理, (二) モーセを中心とする民族的カナン復帰路程 , (2) 第二次民族的カナン復帰路程 , 2 実体基台 第三の奇跡は、川の水を陸地に注いで血となるようにしたことである(出エ四・9)。これは、無機物(水)に等しい命のない存在が、有機物(血)に等しい命のある存在として復帰されるということを、象徴的に見せてくださったのであった。水は堕落して命を失った世間一般の人間を意味するのであるから(黙一七・15)、この奇跡は将来イエスと聖霊とが来られて、命を失った堕落人間を、命のある子女として復帰させるということを、見せてくださったのである。以上のような三つの権能を表されたのは、イスラエル民族の前に、将来イエスと聖霊とが、人類の真の父母として来られ、全人類を子女として復帰し、サタンに奪われた創造本然の四位基台を復帰することができる、象徴的な蕩減条件を立て得るようにされるためであった。『原理講論』, 後編, 第二章 モーセとイエスを中心とする復帰摂理, 第三節 イエスを中心とする復帰摂理, (三) 第三次世界的カナン復帰路程 , (1) イエスを中心とする霊的カナン復帰路程 , 2 霊的な実体基台 イエスは、霊的な洗礼ヨハネ使命者の立場から、霊的な復活「四十日サタン分立基台」を造成なさることにより、霊的な真の父母の立場でもって霊的な「信仰基台」を復帰すると同時に、また、霊的な子女の立場でもって「堕落性を脱ぐための世界的な蕩減条件」を立てるための、霊的なアベルの位置をも確立されたのである。そのようにして、イエスは、モーセがイスラエル民族を導いて荒野流浪の四十年蕩減期間を送ることにより、第三次民族的カナン復帰のための「信仰基台」を造成したように、第三次世界的カナン復帰のための、霊的な「信仰基台」を造成することができたのである。『原理講論』, 後編, 第二章 モーセとイエスを中心とする復帰摂理, 第三節 イエスを中心とする復帰摂理, (三) 第三次世界的カナン復帰路程 , (1) イエスを中心とする霊的カナン復帰路程 , 3 メシヤのための霊的な基台 イエスが十字架で亡くなられたのち、取り残された十一人の弟子たちはみな力を失って、四方に散らばってしまっていた。ところが、イエスは復活されるとまた、彼らを再びひとところに集められ、霊的カナン復帰の新しい摂理を始められたのである。弟子たちは、イスカリオテのユダの代わりにマッテヤを選んで、十二弟子の数を整え、復活されたイエスを命を懸けて信奉することにより、「霊的な実体基台」を造成し、それによって「メシヤのための霊的な基台」を復帰した。そこでイエスは、この基台の上で、霊的な洗礼ヨハネ使命者の立場から、霊的なメシヤの立場を確立し、聖霊を復帰することによって、霊的な真の父母となり、重生の摂理をされるようになったのである。すなわち、使徒行伝二章1節から4節にかけて記録されているように、五旬節に聖霊が降臨されてのち、復活されたイエスは霊的な真の父として、霊的な真の母聖霊と一つになって摂理されることにより、信徒たちを霊的に接がしめて、霊的に重生せしめる摂理をされて、霊的救いの摂理だけを成就するようになられたのである(前編第四章第一節(四))。したがって、イエスが復活した圏内では、サタンの霊的讒訴条件が清算されているので、それは霊的面におけるサタンの不可侵圏となっているのである。『原理講論』, 後編, 第二章 モーセとイエスを中心とする復帰摂理, 第三節 イエスを中心とする復帰摂理, (三) 第三次世界的カナン復帰路程 , (2) 再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程 しかし、再臨主はいくら険しい苦難の道を歩まれるといっても、初臨のときのように、復帰摂理の目的を完遂できないで、亡くなられるということはない。その理由は、神が人類の真の父母を立てることによって(前編第七章第四節(一)(1))、創造目的を完遂なさろうとする摂理は、アダムからイエスを経て再臨主に至るまで三度を数え、この三度目である再臨のときには、必ず、その摂理が成就されるようになっているからであり、その上、後編第四章第七節に論述されているように、イエス以後二〇〇〇年間の霊的な復帰摂理によって、彼が働き得る社会を造成するために、民主主義時代をつくっておかれたからである。イエスは、初臨のときには、ユダヤ教の反逆者であるとみなされて亡くなられたのであったが、彼が再臨なさる民主主義社会においては、たとえ、彼が異端者として追われることがあるとしても、それによって死の立場にまで追いこまれるようなことはないのである。…(略)… イエスは、原罪のない、神の血統を受けた直系のひとり子として来られ、堕落したすべての人類を彼に接がせて一体となることにより、彼らが原罪を脱いで神の直系の血統的子女として復帰することができるように摂理しようとしてこられたのである。イエスと聖霊とが、人類の真の父母として、このように堕落人間を接がせ、原罪を脱がしめることにより、神との創造本然の血統的因縁を結ばしめる摂理を、重生というのである(前編第七章第四節参照)。それゆえに、イエスは、野生のオリーブである堕落人間を接がせるために、善いオリーブとして来られた方であるということを、我々は知らなければならない。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.07
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� 7月6日〜7日のスケジュール1日目7/6(土)10:00 開場10:20 讃美 聖歌讃美10:30 �開講式(40分)11:30 �ポイント解説(25分)12:00 昼食(50分)12:50 讃美(徹夜精誠「涙の歴史」)13:00 �第1講座「序論」(50分)13:50 休憩15分14:05 �第2講座「天の父母様」(40分)14:45 休憩15分15:00 讃美(聖歌讃美)15:10 �第3講座「キリスト教の2000年歴史の本質」(45分)15:55 休憩15分16:10 �第4講座「6000年を経て降臨された初臨の一人娘・真のお母様」(45分)16:55 天心苑祈祷 聖歌讃美 合心共鳴祈祷17:10 解散・感想文2日目7/7(日)10:00 開場10:30 礼拝(田中会長の映像)12:00 昼食50分12:45 讃美 映像視聴「孝心」13:00 �第5講座「イエス様の使命を引き継いだ再臨のメシヤ・真のお父様」(60分)14:00 休憩15分14:15 �第6講座「天一国安着の主要摂理」(55分)15:10 休憩15分15:25 �閉講式(30分)15:50 天心苑祈祷 聖歌讃美 合心共鳴祈祷16:10 解散・感想文 【映像】「真の父母論」の概要のポイント(太田朝久講師、18分)【映像】「真の父母論」を学ぶときの基本姿勢(心構え)(太田朝久講師、14分)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.06
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2024年6月8日真のお母様招請神日本牧会者特別集会2024/06/162024年6月8日、天正宮に真のお母様が神日本牧会者を招請してくださり、特別集会が開かれました。{文字起こし}天の父母様の夢--子女たちと地上で住みたかった。中心民族がある摂理についていけないと蕩減がある。バビロン捕虜になったり、エジプトの奴隷になったり、また1つにならなくて目の前に国があるのに入れず40年もかかって入った。どうして? 一世圏と二世圏が1つにならないと、摂理の完成はない。神様は完成期に独生子イエスを誕生させた。しかし、本質が分からないので責任果たせなかった。マリアを聖母として祭っている。しかし、今も、イエスがまた来るといった理由を深く考え、天に訪ねる思いもなかった。キリスト教も多くの失敗をした。例えば、神様を信じるキリスト教で、神がないという共産主義が出た。統一教会はどうして異端扱いをされた? 考えてみましたか? 創造原則や本質、また来るイエスの意味を深く理解し、それを実践する方向で行ったら、摂理はそんなに長く荒野路程にならなかっただろう。結論は独生女を探すことだった。しかし、聖婚後にも遅れてしまった。責任を果たせなかったイスラエルに独生女を送ることができない、それ以上摂理を延長させることができず、1943年韓半島に独生女を誕生させた。独生女は戦中、キリスト教の基盤で生まれるアベル圏中心に韓国に独生女を送るが、終戦後、韓国は南北に別れた。知られてない韓国動乱に国連がどうして参加されたのか? 反対するソ連もあったのに、これが神様の摂理だ。戦争中にも天は独生女を保護された。そのことは70年間隠されていた。しかし、天は私に、基元節を宣布するようにさせ、それを明らかにした。しかし、天一国安着のためには7か国家と7宗団復帰が必要だった。韓国の先輩家庭から理解してもらわず反対が強かった。それで、天の父母様と独生女を自ら宣布した。アメリカのキリスト教では歓迎を受けたが、先輩家庭は理解しなかった。理解するまで待つ時間はなく、海外、アフリカ、セネガルに行ったら、ムスリムは独生女を歓迎すると。南アフリカ、ハテベも、ウンダンガも神霊役事を通して受け入れ、天寳家庭になった。ニジェールでも受け入れた。その時私は70歳だった。そして、天正宮はあったが、神様の家がなかった。真の父母様によって、天の父母様を迎える環境権になっているが、迎える家がなく、立てる経済的基盤もなかった。仕方なく全てを投入して天苑宮建立を進めてきた。皆さんは天苑宮に行って、天の父母様、申し訳ありませんと悔い改めしました?皆様は独生女に対しても責任を果たせなかった者です。この期間、悔い改めし、新しい出発を決意しましたか? 天一国に日本は外してもいいのか?(いいえ)外さない為にはどうすればいい? 日本はどうして天の父母様を知らない? 日本は高齢化が進んでいる。しかし、家庭連合は祝福を通して、若者も多いし誕生も旺盛ですので、それが分かれば歓迎を受けるようになっている。自信を持っていけば、何の心配もない。皆様は独生女、平和の母と1つになるべきだ。君だけでなく、指導者もそうであり、日本に行くと言ったら責任者を始め、皆様が迎えに来てこそ、日本の祝福の道がある。責任を果たせないと、蕩減がついてくる。知らないことがあれば尋ねなさい。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.06.16
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「真の父母論」を学ぶときの基本姿勢(心構え)(1) 太田朝久講師2024/05/27【関連記事】◆「「真の父母論」を学ぶときの基本姿勢(心構え)」(真の父母様サイト)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.28
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真の父母様宣布文サイトからの新着NEWSで真の「真の父母論」を学ぶときの基本姿勢(心構え) |(1)真のお父様は、真のお母様の生涯路程を常に重視され、お母様と共に摂理を推進された 「真の父母論」で論じられているように、真の父母様は摂理完成のための〝中心軸〟に立っておられる。真のお父様が摂理を進めるにあたって、お母様を立てられ、常に摂理を推進してこられたことを理解しておく必要がある。非原理集団は〝お母様によってお父様の伝統が覆されている〟かのように批判している。しかし、この批判は、お父様が今日まで、いかにお母様を重視して摂理を進めてこられたのかを知らずに批判しているものに過ぎない。 具体例を挙げると、非原理集団は〝お父様が2010年に定められた「天基元年」の年号が、2013年にお母様によって「天一国元年」に改められた。お父様が立てられた伝統をお母様が覆している〟と批判する。しかし、この批判は、お父様の摂理観と一致していない批判である。お父様が進められた摂理は、お母様と共にあったものであり、お父様が定められた「基元節」のもつ意義を理解していれば生じることのない批判であると言わざるを得ない。 お父様は2010年に「天基元年」を宣布された。そして2013年1月13日の「基元節」をDデーと定め、3度目の「聖婚式」を行うと語っておられた。お母様は、このお父様が定められた2013年1月13日の「基元節」を迎えて、「天一国元年」を宣布された。これは、お父様の願いに基づいたものである。 お父様が推進された天の摂理は、常にお母様の勝利圏と共にあった事実を踏まえ、以下の内容に対し理解をさらに深めなければならない。①一度目の「聖婚式」(小羊の婚宴)と「天紀元年」の発表 まず、1960年のお母様との一度目の「聖婚式」を機に、人類の「真の父母」が立ったことを宣言された。お父様はそれを〝小羊の婚宴〟と呼ばれ、お父様はお母様と共に祝福結婚による血統転換をなしながら、人類の救援摂理を推し進められた。お父様だけでなく、お母様がおらずして人類の救援摂理はあり得ないことを知らなければならない。 お父様は1977年2月23日の聖誕日に「天紀元年」を発表された。その日を「地勝日(天地勝利の日)」とされ、次のようにみ言を語られた。 「陰暦の1977年の1月6日は私と妻の誕生日であり、また歴史的新紀元の年(天紀元年)を発表した日として、全員でそれを祝いました。全宇宙も祝ってくれます。……天宙的新紀元が始まるからです。きょう、妻(真のお母様)は34歳を越えます。イエス様は、33歳以上行くことができませんでした。イエス様は、34歳の誕生日を神と共に祝いたかったのです。しかし、十字架のゆえにできませんでした。今年、妻は、34歳を越え、イエス様の33歳を越えていくことになります。ですから、そういう意味でも、きょうは最も記念すべき日なのです」(『祝福家庭と理想天国(Ⅱ)』557~558ページ、『御旨と世界』は545ページ)。お母様は、お父様と共に〝摂理の中心軸〟となっておられるのである。このように、お母様が34歳を迎えられた時に、イエス様の越えられなかった33歳を越えたとして、お父様は「天紀元年」を発表されたのである。②聖婚33周年に「成約時代」を宣布 次に、お父様は1993年に「成約時代」を宣布され、そこから「成約時代」を数えていかれた。お父様は1993年の「父母の日」に、次のように語られた。 「きょうは第34回父母の日です。33周年です。33は完成を意味します。それは、きょうの父母の日はイエス様の年齢だということです。イエス様は、33歳の時に家庭をなすはずでしたが、十字架上で亡くなり、その立場をなせませんでした」(『祝福』1993年夏季号、55ページ)。このように、お母様との聖婚33周年を「完成を意味」すると語っておられる。お父様はイースト・ガーデンで〝特別なお祝い〟をされ、お母様に指輪を贈られた。そのお祝いについて次のように語られた。 「この前、イエス様の33回目の誕生日を祝いましたね。……それで先生は、イエス様を解放して、イエス様が家庭を持って43歳(お母様の還暦の2003年)になるまでに、完全な世界的基盤をつくらなければならないので、急いでいるのです」(『ファミリー』1993年9月号35ページ)。このように、お母様の〝還暦〟の年をめざして「完全な世界的基盤をつくらなければならない」と語っておられる。お母様は、お父様と共に〝摂理の中心軸〟となっておられる。 そして、1993年から「成約時代」を数えられ、成約時代7年目(1999年)の6月14日、第37回「真の万物の日」に「真の父母様天宙勝利祝賀宣布式」を挙行された。お父様はお母様に〝表彰牌〟を贈られ、お二人が対等な位置にあることを繰り返し明言され、次のように語られた。 「あなた(真のお母様)は……真の父母の使命を完遂されました」(『真の父母經』1440ページ)。「お母様が今からは対等な位置に立つようになりました。男女平等圏時代が訪れたのです」(同1441ページ)。お父様は、お母様が真の父母として「対等な位置」「同等な立場」に立ち、さらに「天国の門を私(真のお父様)よりも先にお母様が開かなければならない」(1999年4月16日、『ファミリー』1999年6月号21ページ)とまで語られた。お母様は、お父様と共に〝摂理の中心軸〟となっておられるのである。③お母様の還暦の時、二度目の「聖婚式」を挙行(略)<続きはこちらから>上記はほんの一例ですが、お父様はお母様の年齢に合わせて重要な「宣布」を成されてきたことを物語っていました。このことから見てもお父様お一人で摂理をされてこられたのではなかったことを推し量ることが出来ます。また、宣布文サイトの記事後半はこれまでの非原理集団の誤った〝お母様批判〟についても書き足していました。是非参考にしてください。以下は自称ルポライターtomy4509の過去記事です。サンクチュアリ教会・亨進牧師がお父様聖和の時にお母様についての証をしていたものです。◆「爆弾「聖和の辞」は無事に炸裂した(拡散された)でしょうか? |」(2020.10.22)文鮮明総裁の聖和式後の9月17日における「基元節勝利のための統一教世界指導者特別集会」での文亨進氏の映像でもお母様を以下のように証ししていました。<文亨進(문형진)様のみ言>第一に、真のお母様は1960年に第一次蘇生級完成式を通じて本然のアダムとして来られた真のお父様により神の娘として創造され真のお父様の直接主管圏の中でただ、真のお父様のみを見つめられ成長と完成の路程を歩まれました第二に、真のお母様は真のお父様と縦的に一つになる17年路程を通して1977年2月、地勝日を迎え娘の位置から妹の位置に上がられ完全な解放と共に天基元年と基元節の宣布を可能とされました第三に、1977年から始まった14年路程を勝利された真のお母様は1991年7月1日神様祝福永遠宣布式を通じて妹の位置から夫人の位置に上がられ真のお父様の横の位置に立たれるようになりました第四に、1991年から9年路程を勝利された真のお母様は1999年世界80ケ都市巡回講演を終えられ真のお父様から表彰を受けられましたついに神様が公認しサタンが公認し人類が公認する位置に上がられ夫人の位置から母の位置に上がられ真のお父様と対等な位置に立たれ男女平等圏時代を開いて下さいました第五に、1999年から1年路程を勝利された真のお母様は2000年世界40ケ都市巡回講演を勝利され母の位置から祖父母の位置に上がられ真のお父様と同じ位置に上がられ国家単位の入籍を許諾する祝福時代を開いて下さいました第六に、2000年から3年路程を勝利された真のお母様は2003年1月6日祖母の位置から女王の位置に上がられ第二次長生級完成式を天地父母様天一国開門祝福聖婚式と天宙天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式の挙行を可能にされましたそれ以降、真のお母様は真のお父様と一体となられ天一国の門を大きく開いて下さり天一国入籍祝福の時代を開いて下さりました最後に、真のお母様は女王の位置から神様の実体の位置に上がられる3年路程を勝利されました2005年、天宙平和連合を創設され世界180か国巡回講演が行われた2006年6月13日に挙行された天正宮入宮戴冠式を神様と真の父母様が一体となって挙行され神様が真の父母様の体を使われ有形で顕現され神様と真の父母様をこれ以上区別できない新しい時代が開かれましたこのように僕の僕の位置から人類の真の母として歩まれた路程は決してご自身の安定と権威を高めるためのものではありませんでした神様の解放と人類の救援と恒久的な平和理想世界具現のため昼夜を問わず神様と真のお父様と一生涯を共に歩んでこられた真のお母様でした特に6000年人類歴史の中で最初の神様の願いである完成した一人の男性と一人の女性として神様の真の愛を相続し人類の真の父母になられ人類を救援され地上での摂理を全て成し遂げられましたしかし神様は真の父母様を侍り地上で喜びの一日を祝う前に天上の摂理のために真のお父様を呼ばれました真のお父様が地上を後にされたことは全人類にとって最も大きな衝撃であり悲しみですが一生涯を共にされた真のお母様は世の中のどんな言葉でも慰労することができない痛みを経験されましたしかし人類の真のお母様は今日、この場に神々しく立たれましたこれは真のお父様と最終的な完全統一一体完成を成され昼の神様として真のお父様と真のお母様ご夫妻の間にはこれ以上隙間のない聖体となられたため真のお母様は一人の方ではありません本日みなさんに紹介する方は神様と真のお父様が貴く見つめられる真の母として三位一体の実体ですしたがって今からは天上の門は地上の真のお母様を通じて開かれており夜の神様と一体となられた真のお父様は地上の実体としておられる真のお母様を通じて生きた役事を引き続きされることでしょう愛する天一国市民のみなさんもう一度席をお立ちになり新天新地の新しい国の希望となり人類の真の母であり真のお父様と最終一体を完成完結完了され真のお父様の実体の役事をされる天地人真の父母様を熱烈な歓迎とともにお迎えしましょう2012年9月17日 基元節勝利のための統一教世界指導者特別集会一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.21
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