PR
Calendar
Keyword Search
こうして、私の中の何とかして普通になりたい・・という気持ちは消えた。
私の中の親は死んだ。
幼い頃に、足湯を用意してくれたこと、日曜日に作ってくれた牛乳寒・・・・お世話になったことは感謝して覚えていよう。
それ以来、義父も私の家の件で、口を出さなくなった。
やがて、王子を妊娠・出産。
出産したとき、義母が実家に勇気を出して電話してくれた。母が出たらしいが、
「あぁそうですか」
素っ気無く切られたらしい。もう、どうでも良かった。当然来なかった。
だた、退院後に里帰りしないで殿の実家にお世話になったのは、不自然なことだったので、何も知らない人には、実家が工事していてかえれない・・とか、言い訳をするのが辛かった。
祖母のお葬式と兄の結婚式で2回顔を会わせたが、話などしない。15年間年賀状だけのほぼ絶縁状態だった。兄がいたのでなんとなく情報は入ってきた。
これだけ大変な思いで結婚したが、結婚というのは甘いだけではない。
女性にとっては世話をする人間がどんどん増えていくのだ。自分に回す時間がなくなっていく。
お互いに、こいつヤダ!って思うことだってあるし、いてくれて心強い時もある。
夫の価値・・下がったり、上がったり。
時と場合によってそんなものだ。
ただ、恋愛時代の暖かい恥ずかしいような可愛い思い出、相手が自分が居なくなったら、荒れるだろうな・・・そんな、必要とされている自信。身寄りがない、どんなことも二人で乗り切らなければ・・・という結束で17年が過ぎていったように思う。
自分で結婚相手を決めて心底良かったと思う。
完璧な相手など居るわけがなく、母の選んだ相手と無理やり結婚していたら相手の粗を見つける度に殿のことを思って親を恨み、これ見よがしに離婚したかもしれない。
若い頃や子供が小さいときの夫婦のぶつかりも、子供が大きくなり反抗期を迎えると死ぬまでは夫婦二人にもどるんだな・・・とふと気がつきお互いを大事にしようと思う。
老後は二人で助け合わなければならない。
私達も夫婦として落ち着いてきた。機嫌の悪い時の気配の消し方。
うっかりしそうな私への注意。
お互いトラブルを未然に防ぐ術を体得する。
一軒家にも結婚13年してからようやく住み、王子も一般的には良い子に育った。
嫁入り道具一つ持たないで嫁いだ私だが、一軒家に引っ越すときに父が冷蔵庫と洗濯機を買っってくれると連絡してきた。
父にとっては一軒家に住んだときに、自分も母の親から初めてお茶を出されたという思い出もあり、一軒家で落ち着いた・・という認識がどこかにあったのかとも思える。
こうして、少しずつ連絡が来るようになり、メール交換をするようになった。
それから、二年くらい経ってから母も携帯をかったからアドレスを交換しよう・・と言い出しメアドを教えられた。
なんのこっちゃ?なんだかこわいんですけど?
だた、文章だと用件がいい易く時々メールを交換するようになった。
おそらく、兄のお嫁さんが8歳も年下で 不思議ちゃん だったから、娘の良い子さが、解ったのだろう。
延々と嫁の愚痴を聞いて欲しいのである。勝手な人だ。
じわじわと歩み寄ってきて、バラを買ってくれたりお菓子をくれたりするようになったが家には来なかった。いつも父が一人で来ていた。
しかし、昨年愛犬のシェルティーのチョビちゃんが亡くなり、クッキーに会いたくなってとうとう家に来た。
なんてさらりと、来るのだろう。すげーよ、お母様。神経太いね。
殿には、こう言って度肝を抜く。
「ごめんねぇ~。あの時反対してぇ。だって、心配だったんだもん。悪かったねぇ。怒ってる?」
(;゜д゜)/・・・ あんた、自由だね。
本能のまま、裏表がない、思った事を口に出すひと・・・。
殿は、逆にすがすがしい。ぐちぐちこそこそしてなくて良いと言った。
ただ、あまり親しく関りたくはなさそうだ。
こうして、自由な母は、あっさりと。ごめんね~♪で終わらした。
殿と私が、十分年齢を重ねていて良かったね。 ばばぁ。
未婚の方へ・・・
結婚は、自分の責任。したいと思ったら勢いが大事!考えるような相手なら止めて置くべきである。一抹の不安は後で大きくふくらみ、やっぱり・・という後悔につながるから。
ご清聴ありがとうございました。