「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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ぴかろんの日常
リレー企画 155
うるせぇやつら ぴかろん
昼に近い午前中、ミンチョルさんが出ていくのをイナさんと見送った
エレベーターの扉が閉まった後も俺はイナさんのバスローブの袖を掴んでいた
昨日ギョンジンから聞いた話を思い出して、どうか何事もなく二人が笑顔で帰ってきますようにと
そう祈らずにいられなかった
ミンチョルが心細げな顔をしていたので俺は思わずアイツをきつく抱きしめてやった
ギョンビンは大丈夫だから…お前がそんな顔して会いに行ったら余計あいつが心配するだろうって
大丈夫かな…
俺の親友はしっかりしているようで頼りない
大人なようで実は俺より子供だったりする…
自分の気持ちを隠すのがうまいつもりでいるけど、だだもれだって事解ってんのかな
アイツが扉の向こうに消えてからも、俺は袖に纏わりつくラブと一緒にその場から暫く動けなかった
俺はイナさんの顔を見つめた
昨日の夜は充実してたんだろうな…なんてちょっと羨望まじりに思ってた
俺だって…俺の心だって充実したもん…
自分が思ったことに少し悔しくなって、俺はイナさんに言った
「テジュン、どうだった?」
イナさんは『何が?』という顔をして俺を見た
「話してくれた?色々…」
くふっと笑って頷くイナさん
よかったねという思いと同時にまた少し悔しい思いが浮かび上がる
「俺も…ギョンジンから全部聞いたよ…」
全部…だと思う…
イナさんは少し俺を見つめてから口を開いた
「ギョンビンの事も?」
「うん」
即答してから不安になった
ギョンビンの…どういう事を?
「…そか…よかった…」
イナさんは真面目な顔でそう言った
「お前に話せるようになったんだ…よかった…。これで俺はてじゅに専念できるって事ね?」
柔らかく微笑んで俺を見つめるイナさんに、俺はまた軽い嫉妬を覚えた
「うん…。ギョンビンの事、ほんとに心配してた…。遠くにいてもビンビン伝わってくるって…。兄弟ってすごいな…」
「あいつらは特別すごいんだろうな…。特にギョンジンの方がギョンビンの事、思ってるから…」
「…」
「あんな事も乗り越えたんだもんな…」
「…」
あんな事?…
それは…どの事だろう…
「ああ…あれね…」
解らなくていい加減な返事をした
「アイツの事、包み込んでやってね。ああ見えてかなり脆いからさ」
温かい笑顔
どうしてギョンジンの事が解るの?!
「…イナさん…ギョンジンの過去の事、全部知ってるの?」
「いや…全部なんて知らない…」
「…じゃ…あんな事って…どの事よ…」
ラブの言葉にケンがある
…もしかしたらまだ言ってない?
しまった…
そりゃそうだ…一晩で語れるわけがない…
まして昨日の夜はまだミンチョルがいたんだから…
あの時のギョンジンのどろどろした思いをミンチョルに知られたら…
それは多分ギョンビンだって知らない思いだ…
それは多分…あいつと俺しか知らない…苦しくて辛い思いだ…
「ん…と…。あいつ…ギョンビンに固執してたから…祭のとき…。唯一の身内だからって手元に置きたがってさ…その…ミンチョルとの仲を裂こうとしてたじゃない…その事…」
歯切れが悪い…
「聞いてない?」
ラブの顔色が曇った
聞いてないみたいだ…
「あ…そりゃ全部聞こうと思ったら何十時間も必要だろうから…なぁ…」
「イナさんは知ってるんだ…ギョンビンとギョンジンの…複雑な関係…」
「ふ…複雑ってわけじゃねぇと…。ああ…わかんない…聞いてないならお前聞けよ…俺が言うのは変だもん…間違ってるかもしんないしさ…」
俺が聞いたのは、ギョンビンがゲイの教授に、情報と引き換えに体を求められたかもしれないって事
ギョンジンはギョンビンが可愛くて可愛くて、小さい時から自分が育てたようなもんだったって事
ずっと手元に置いておきたいと思った事
だから…ギョンビンの心が平穏なのかどうか解らない今は、俺とどうのこうのしようという気になんないんだって、そう思った
心配で堪んないんだって…兄貴として心配で堪んないんだって…
違うの?
もっと複雑なの?
ギョンジンがお父さんに疎まれてると思い込んでたことも、お父さんがギョンビンばかり可愛がってた事も聞いた
それと関係があるの?
ギョンビンに対する嫉妬?そういう複雑な思いって事?
「そんな顔してないで、本人に聞けよ、な」
イナさんの笑顔があんまり温かくて、俺はつい意地悪したくなった
首筋のピンクの跡に触れて言ってやった
「テジュン?」
「え…」
「ここ…キスしてもいい?」
言いながら唇を寄せた
とっさに身を引くイナさん
ふ…
イヤ?
イヤだよね…。わざとだもん…。わざとテジュンのつけた跡に俺がキスしてやろうと思ったんだもん…
俺はラブの指が触れた部分を手のひらで隠してラブから離れた
テジュンのつけた跡になんでラブがキスを?
…
昨日の二人の姿が圧し掛かってくる
テジュンが俺に触れた部分をなんでお前が…
離れてからラブを見た
…
させてやればよかった…
プイと顔を背けてギョンジンの部屋に行こうとするラブを慌てて捕まえて引き寄せ、そのまま抱きしめた
「ごめん…俺…」
「…」
「俺…イヤな奴だ…ごめん…」
「俺の事嫌いでしょ?」
「違う!嫌いじゃないよ!ごめん…俺…。昨日のお前とテジュンを思い出して…。ごめん…嫉妬した…」
どうしてイナさんは…
俺は自分が情けなくなった
どうして俺はこうも小さいんだろう…
どうしてこんなイナさんと勝負しようとしてるんだろう…
ギョンジンがイナさんを頼るはずだ…
こんなちっぽけな俺まで受け止めてくれて…
どうしてイナさんはこんなに…
悔しくて涙が溢れる
俺の知らないギョンジンを知っているイナさんに
ギョンジンをギョンジンにしたイナさんに
今テジュンの愛を全てその身に受けているイナさんに
そんなイナさんに嫉妬している自分が悔しくて
些細な嫉妬を認め、俺を一瞬傷つけた事を恥じ、自分の事より俺の傷を心配するイナさんに
正直なイナさんに
俺は嫉妬を覚える
抱きしめられて余計に惨めになる…
大好きなのに大嫌いだ…
大嫌いだと思う自分が大嫌いだ…
大好きなのに…
「ラブ…ごめんな…。俺、考えなしだからつい思ったこと口に出しちまう…。確かに俺、お前の知らないギョンジンの事知ってる。俺、今、お前がホントにギョンジンから何もかも聞いたのか、試そうとしてた…。イヤな奴だよな…ごめん…」
「…」
「テジュンとお前が一緒にいると…どうしても…ざわついちゃう…。お前と仲良くなれたのに…。ごめんな…ラブ…」
「…どうして…貴方はそうなの?」
「え?」
「なんでそんなに簡単に自分のイヤなトコを言葉にできるの?!」
「…」
「そうやって自分の悪いトコを俺に言ってさぁ…、結局、結局イイコぶってるんじゃん!」
俺はイイコぶるやつなんか…嫌いだもん…
「ラブ…イイコぶってなんか…。俺はただ、ヤな事思った自分が許せなくて…」
「ちょっとはイヤな奴でいてよ!」
「ラブ」
「俺、いつまでたってもイナさんに敵わないじゃねぇかっ!」
言ってて情けない
俺はやな奴でイナさんはとってもいい人だ…
とってもいい人だから一緒にいると温かくて安心できて大好きで…
みんなイナさんの事が大好きで
テジュンもギョンジンもイナさんが大好きで…
だから俺はイナさんが大嫌いで…
「何言ってるんだよラブ…、お前は…」
「お前は何?」
「…すっげぇいい奴で…俺が寂しがってたら優しくしてくれたし…テジュンと俺との事だって真剣に考えてくれてたし…」
「あの時はね!」
「ラブ」
「今は…」
今はね…嫌い…大嫌い…
Partner れいんさん
急にハンドルをきった兄貴の横顔を俺はちらりと盗み見た
普段と変わらない穏やかな横顔
車は細い路地を通り抜ける
どこに行くつもりなんだよ…
何考えてんだよ、兄貴…
…どこだっていいや…
どうせあいつの所には帰れねえ
宿無しの野良犬同然のこの俺だ
半ば自棄っぱちの俺は口の中のガムを威勢良く膨らませた
「さあ、着きましたよ」
兄貴がブレーキを踏んだ拍子に
俺の風船ガムはパチンと割れて口の周りに張り付いた
俺はそれを器用に剥がしながらその場所を見た
色鮮やかなイルミネーションが眩しいホテル…
「兄貴…ここ…」
「帰りたくないんでしょう?」
「それはそうだけど…」
「行くあてもないんでしょう?」
「…で、でも…」
「一雨来そうですが野宿でもしますか?」
「いっ、いや…でも…」
「それともこの狭いトラックの硬い座席で一晩明かします?明日の朝一に配達ありますけど」
「う…」
「とにかく入りましょう」
兄貴はさっさと車を降り、何の躊躇いもなく中へと入って行った
俺は困惑しながらもその後をついて行くしかなかった
人目を避ける様に肩を寄せ合う男女とすれ違った
俺達ってどんな風に見えるのかな…
まさか…兄貴…
傷心のこの俺をいいように丸め込んで…
いや、兄貴に限ってそんな…
でもよ、兄貴もれっきとした男だし
浮いた噂の一つもないなんておかしいよな
どうやら俺はほっとけないタイプらしいし
免疫少ない俺の弱みに付け込んで、ちゃっかり頂こうなんて腹づもりなんじゃ…
兄貴はフロント係と何やら言葉を交わし、キーを受け取った
「3Fですよ」
兄貴は慣れた様子でエレベーターに乗り込んだ
狭いその箱の中で俺の心臓の音が聞こえやしないかと
俺は鼻歌を歌って誤魔化した
暗くて細い廊下を抜け部屋の前で足を止める
ガチャリと扉を開き、兄貴は顎をしゃくった
俺は慣れてる風に見せかけようと胸を反らせて中に入った
背中ごしに重た気に扉がバタンと閉まった時は内心飛び上がりそうだった
兄貴は長い睫を伏せて俺の横を通り抜けた
あまり広くもない部屋の奥にはダブルサイズの丸いベッド
シェル型をイメージしたそのベッドには枕が二つ並べられていた
赤みがかったブラケットの灯りがそれを浮かび上がらせている
壁面には半裸の男女が艶かしく絡み合っている絵が飾られていた
俺は目のやり場に困り、かといって、どぎまぎしていると見破られるのも癪で
とりあえず頭をゴシゴシ撫で付けた
「へへへ…なんか…趣味わりい部屋だな。今時こんなベッドなんて笑わせるぜ」
乾いた唇からようやく搾り出したその声は微妙に上ずっていた
兄貴はそれには答えずに淡々とした口調で言った
「シャワー使いますか?」
「え…?」
「…シャワーですよ。浴びますか?」
「う…えっと…いや、家を出る前に風呂済ませてきたし…」
「そうですか」
兄貴は着ていた上着を脱いでソファの背にかけた
どきっ…
うそ…
兄貴…
まさか…マジで…?
「ちょっと浴室借りますよ」
兄貴はさっさと浴室に姿を消した
どっ、どっ、どうしよう…
ドンヒにさえ守った俺の純潔…
ここで兄貴に…?
に、逃げるなら今かな…
けど…でも…
あれこれ考えているうちに兄貴が出てきた
袖を捲り上げた手にはタオル
俺の心配をよそに兄貴はゴシゴシ顔を拭いていた
な、なんだ…顔洗ってただけか…
わざわざ今洗わなくたって…
「歯ブラシ、洗面用具は浴室に揃っています
テレビはそこ、電話はそこ。他に必要な物があったらフロントに
じゃ、僕はこれで。一晩ゆっくり考えるといい」
「えっ?兄貴帰っちゃうのか?俺…こんな所で一人で寝るのか?」
「僕と一緒にそこで寝たい?」
兄貴は品のないベッドを指差した
「え…やっ…その…そんなわけじゃ…」
「どうしてもと頼まれたなら断れませんがね
男二人こんな所で一晩過ごしても味気ないでしょう?
仕事も明日早いからこのへんで失礼しますよ。鍵はしっかり締めて。それじゃ」
「あっ…兄貴っ」
「…?」
「あ…ありがとう」
「どういたしまして。当分お風呂の掃除当番代わって下さいよ」
兄貴はいつものほっとする笑顔でそう言った
Transportation オリーさん
入国審査を受け到着ゲートから出た僕は足早に出口に向かった
オックスフォードまではブラックキャブを使おう、そう思った
出口近くで誰かに肩をつかまれた
「イ・ミンチョルさん?」
振り返るとハリウッドスター…のそっくりさんが立っていた
レーバンのサングラスを短く刈った髪に差込み
バーバリーのトレンチの襟を立てて僕をじっと見ている
「どなた?」
スターは胸元からIDらしきカードを引き出しちらっと僕に見せた
「迎えにきました。オックスフォードまで送りますよ」
そう言うとスターは僕の荷物を引き取り、どんどん歩き出した
正面の出口の脇にはエンジンがかかったままのサーブが停まっていた
僕は急いでスターの後を追った
スターは無造作にサーブのトランクを開け僕のボストンバッグを入れると
助手席に回りドアを開いて僕をうながした
荷物がすでに積み込まれてしまった僕は仕方なく開けられたドアから乗り込んだ
スターはドアを閉めるとすばやく運転席に回りこみ乗り込んできた
「ここ駐車禁止なんですよ。僕常習犯だから、見つからないうちにトンズラしないと」
そう言いながらアクセルを踏んだ
それからバックミラーを覗いてひゅうと口笛を吹いた
「やれやれ、今日はセーフ、ラッキーでしたよ」
それを皮切りにスターの口は動き続けた
「フライトは快適でした?ジェットラグは?初日にしくじると後が大変だから、
今夜はスコッチでもくっと飲んで早寝するにかぎりますよ
そうそう、KALのパイロットって皆空軍上がりだって噂、本当ですか?」
饒舌なスターらしい
「あの失礼ですが、あなたは?」
「ああ、失礼。自己紹介してませんでしたね。僕はMI6のロジャースと言います」
「やはり諜報機関の方?」
「そう、アメリカでいうCIAですよ」
「そんな人がなぜ僕の迎えに?」
「あの兄貴がきゃんきゃん吠えてうるさくてね。迎えに出ろの、宿はいいとこ取れの」
「兄貴?」
「あれ?一緒に住んでるって聞いてますけど、ミン・ギョンジン」
「お兄さんが連絡してくれたんですか」
ロジャースさんは愉快そうに笑った
「お兄さん…か、ほんとに兄弟そろって…」
「何か?」
「ケホッ、いや、気にしないで。僕はつい軽口をたたいてしまう癖があって」
「はあ…」
「宿も手配しました。オックスフォードだからリッツやサヴォイとはいきませんけど
なごめるいい宿ですよ」
「宿は着いてから何とかしようと思ってたので、助かりました。ありがとう」
「いえいえ、これであいつにまた貸しができた」
お兄さんに貸しを作れたスターは機嫌もいいらしい
「あの、ミンなんですけど…」
「ああ、彼ね」
「具合はどうなんでしょう?」
「経過は良好ですよ。弾は貫通してたし、切られたとこは思ったより浅かったし」
「撃たれて…切られたんですか」
「そうですよ、あのアラブの半月形のギンギラで」
「…」
「あ、すみません、刺激強すぎました?」
「いえ」
「出血多量で意識混濁しましたけど、一晩寝たらそれもOK。心配ないです」
「はあ」
「それより彼ね、お兄さんに電話したって言ったら随分あわててたなあ」
「え?」
「今から思うとあなたに知られたくなかったんですね。ふふ…」
ロジャースという名のブラピが僕を振り返った
「確かに今やってる仕事考えたら知られたくないだろうなあ…」
その目が意外にもまじめだったので、僕はまたミンのメールを思い出した
「今やってる仕事が何か?」
「いえ、詳しいことは僕も知りません。ああ、またよけいな事口走っちゃったか」
「よけいな事?」
「これ以上はノーコメントです。一応諜報部員ですから」
イケメンはアクセルを踏み込んだ
それからは静かなドライブになった
車の外はすっかり日が落ちて漆黒の夜が始まっていた
重量感のあるサーブのエンジン音が僕の心にかぶってきた
来てはいけなかったのだろうか…
お兄さんの行くなと言った言葉が思い出された
それでも僕は来てしまった
どうしても自分の目で確かめたくて
ミンの無事を
いけなかったのだろうか
しばらく走ってからまた彼は口を開いた
「オックスフォードは初めて?」
「ええ」
「小さい街だから歩きやすいですよ。ついでに観光もするといい」
「そうですね」
「でも今は観光どころじゃないって顔ですね」
「…」
「大丈夫、あんな怪我は僕らの世界じゃ日常茶飯事ですから」
「そうですか」
彼らの世界…それは僕が踏み込んではいけない世界
そして今その世界にミンは行ってしまっている
暖房がしっかりきいたスウェーデン製の車の中で
僕はまったく場違いな所に迷い込んだでしまったような気がした
しばしの沈黙の後、またブラピが口を開いた
「どうします?宿に行きます、それとも病院にちょっと顔出します?」
「病院に行ってもらえますか」
「わかりました。もう市内ですよ」
ブラピは右にハンドルを切った
「この道はハイストリートと言ってこの辺りがオックスフォードの中心です
両側にカレッジが並んでるでしょ
さっき通り越した高い建物がカーファックス塔で街を一望できます
ここの道を右折すればクライストチャーチです。ハリー・ポッターはお好き?」
そう話しながらも車はまっすぐ進み、Headley Wayと書いてある角で左折した
すぐに右手に大きな建物が見えてきた
思った以上に大きな病院だったので僕は少し安心した
建物をいったん通り越してロータリーを回って病院の入り口に着いた
ミンの病室を聞いて僕は車を降りた
「宿まで送るから待ってますよ」
饒舌なブラピは笑顔で言った
「いえ、後はタクシーを拾います」
「大丈夫?」
「ええ、ここまで連れてきていただいただけで十分です」
「じゃあ宿の住所を書きましょう」
僕は差し出された紙を受け取った
ブラピはトランクから僕のボストンを出してきてくれた
「ありがとう」
僕はお礼を言った
「あなた…」
「え?」
「ナースには気をつけた方がいい」
「は?」
「東洋の美形は女性に人気があるんですよ、ミステリアスだって」
「はあ」
「あなた、ミステリアスな上にゴージャスだから」
僕はちょっと考えた
「その言葉はそっくりそのままお返ししたいところですが、
ゴージャスが男性にも使える言葉だとは知りませんでした」
ブラピは吹き出した
「一本取られたな。確かに、男でこの言葉が似合うのは僕とあなたくらいですよ」
僕は苦笑した
「とにかくありがとう」
ブラピはサーブにもたれかかって僕に向かって軽い敬礼をした
行きかけて僕はまた戻った
「あの…」
運転席に乗り込もうとしていたブラピが振り返った
「この件ですけど、お兄さ…ギョンジン氏への貸しではなく
僕への貸しにしてくれませんか。送っていただいたのは僕ですから」
ブラピは楽しそうに顔をくずした
「最も、世界の違うあなたに僕が貸しを返せるかどうかわかりませんけど」
「じゃあ、あなたへの貸しにしましょう。いつどこで何があるかわかりません
いつか僕が困って助けを求めたら、お願いしましょう」
「タクシー代と宿の紹介くらいはお助けします」
ブラピはさらに顔をくずすと、運転席に滑り込んだ
そして車の中から僕に片手を振って車を出した
サーブがまたロータリーを回って消えるのを見送って病院に入った
夜の病院は静かだった
僕はまっすぐに病室を目指した
ミンのいる場所へ…
うるせぇやつら 2 ぴかろん
「今は俺…イナさんが大嫌い!」
「…ラ…」
「ギョンジンにちょっかい出さないで!ギョンジンに頼られても何もしないで!ギョンジンは俺のものなんだからっ!」
パン☆
いつの間にか部屋から出てきていたギョンジンが俺の頬を軽く叩いた
怖いくらい真剣な目で俺を見つめていた
押し黙ったまま俺の腕を引いて部屋に引っ張っていく
俺を部屋に押し込んでドアを閉める
いやだ…イナさんと二人きりにならないで!
「ごめんイナ…」
「…」
「僕がいけないんだ…ちゃんと話してないから…」
「…いや…。俺…余計なこと言ったから…」
「イナ…」
涙を浮かべているイナに近づこうとすると、イナが両手を伸ばして首を横に振った
「ラブを…見てやって…。ちゃんと話してやって。もうミンチョルは行ったから、ミンチョルには聞かれないから…お前の事…全部…。あの時の…お前も…全部…」
しゃくりあげながらイナは言った
全部…あの時の自分を全部…
改めてそう言われると躊躇ってしまう
そんな僕を見てまたイナはごめんと謝る
「…イナ…」
「ごめん…俺…」
「いや…話すつもりだから…」
「…できるのか?」
「…」
「お前が辛かったの俺、解ってる。せっかくあのドロドロの思いを散らしたのにまた集めなきゃなんないのかって思う…。でも…ラブには話してやってほしい。だってあいつは…」
「うん…僕がこうやって居られるのはお前とアイツのお陰だからね…。これからを生きていくために、僕はラブに僕の事を知っていてほしいと思ってるから…。だから…。話すよ、ちゃんと…」
「余計な事言ってごめん…俺…。お前きっと…ちゃんと話す時期とか考えてたんだろ?」
鼻をすすりながら僕に謝るイナを抱きしめたくてもう一度近づいてみた
イナは激しく首を横に振った
それで僕は部屋のドアを開け、ラブの腕をとり、イナの前に連れてきた
僕のせいでこの二人が仲たがいするなんておかしいもん…
「いやだ!イナさんなんか大嫌いだ!」
「イナじゃないだろ?ちゃんと話さない僕が嫌いなんだろ?イナに当たるな!」
「当たってなんかいない!イナさんなんか…イナさんなんかだいっきらい!」
ラブをじっと見つめていたイナが顔を歪めて叫んだ
「俺だってお前なんか嫌いだ!俺のテジュンと寝やがって!俺がどんな思いで待ってたか…俺がどんな思いでお前らのこと乗り越えたか知らないくせに!」
「イナさんだって俺がどんな思いしてたか知らないくせにっ!」
「ラブ、イナ…」
「イナさんがフラフラしてたからギョンジンはあの時アンタの名前を呼んだんだ!俺がどんなに傷ついたか解ってんの?」
「だからってテジュンと寝るなんて!」
「ギョンジンの事知ってるからって威張るな!」
「威張ってなんかいない!」
「止めろ!どうしたんだよ二人とも…。。ラブ、おいで…何もかも話すから…落ち着いて…ね?ラブ。イナも興奮しないで…」
「嫌いって言われて傷つかない奴はいねぇよ!」
「イナ!」
「黙って聞いてりゃ…」
「いい加減にしろよ」
騒がしかったからだろう、部屋から出てきていたテジュンさんが静かに言った
「ラブもイナもまだ拘ってんのか?二人ともずっと過去に縛られて生きていくつもり?」
「…」
「開き直るわけじゃないけどさ…四人で行った旅行のとき、僕とラブのことは解決させたんじゃなかったのか?もう終わった事だって…。僕達みんな新しい道を歩き出したんじゃないの?それを穿り返して嫌いだのなんだのって…くだらない。意味のない傷つけ合いじゃないか」
テジュンさんの落ち着いた声が澱んでいた空気を変えた
イナが真っ先に動いた
「ラブ…ごめん…俺」
「すぐにそうやって先に謝るんだイナさんは!」
「…」
「…たまには俺に先を譲ってよ…」
「…」
「…ごめんなさい…イナさんごめん…」
「ラブ…」
「…。羨ましくて仕方ないんだイナさんが…。いつも素直に自分の否を認められるイナさんが…。俺はいつも人のせいにしちゃうから…。思ったこと口に出してさ…正直でさ…」
「…お前だって今そうじゃんか!思いついた事ぱんぱん口に出して正直で…。けど嫌われてるなんてショックだった…」
「イナさ…」
ラブは泣きながらイナに飛びついた
「嘘だからねっ…大好きだからね…イナさん…俺、嫉妬してただけだ…俺、イナさんみたいになれないから…」
「ラブ…」
「イナさんみたいにギョンジンの事包んであげたいのに…俺…できないんだもん…」
「お前…ばっか…。お前は…」
イナはポロポロと涙を流した
「ギョンジンがどんだけお前を必要としてるか解ってるだろ?ギョンジンをこんな楽しい奴にしたの…お前なんだぞ。俺じゃない」
「…イナさん…」
「お前はお前にしかできないやり方でギョンジンの事支えてるんじゃんか…な?」
ラブは小さく頷いた
「…辛かったんだ…ギョンジン…あん時…。だから…」
イナは声を震わせてそれ以上何も言えなくなったようだ…
ラブは涙を拭って僕の方を見た
「アンタの話聞かせてくれる?それから…俺の話も…聞いてくれる?」
「ああ…」
僕はラブの手を引いて、部屋に戻った
僕に抱きつく我儘なラブを力いっぱい抱きしめて、一番辛かったあの時の自分をラブに話そうと思った
それでラブが逃げていくなら仕方がない
僕の中にいる怖しい自分をちゃんと認めて…今度こそ解き放したかった…
テジュンは俺の髪をくしゃっと撫でた
「なぁんでラブと解り合おうとするのかなあ…大喧嘩なんかしちゃってもう…。喧嘩するなら僕としなさい!」
「…お前が悪いんだからな…」
「人のせいにするし…」
「らって…お前がラブと…」
「じゃお前だってギョンジンと」
「何にもしてないもん!」
「抱きしめてたらしいしじゃねぇか…」
「らって…」
「僕はお前が『イイコ』だなんて思ってないから安心しな」
「…」
「ラブの方がよっはぽどイイコだからな…僕にとっちゃ…」
「…でじゅ…」
「でも…僕はそういう普通のイナが好きなんだからさ…」
「俺…意地悪だよな…ギョンジンの事ちょっと知ってるからって…意地悪した…。イヤな奴だよな」
「そういう時もあるさ」
「テジュン…」
「それが人間ってもんさ、なっイナ。気にすんな」
「…てじゅ…」
「僕ってすごいだろ?ますます好きだろ?」
「…」
俺はもう一度ラブに謝りたくてギョンジンの部屋に走っていき、ドアを開けた
そして慌ててドアを閉めた
らって二人はべっどのうえでちっと絡みあい始めてたから…
「なんてしゅばやいこうげきら…」
口走った俺の頭をコツンと叩いてテジュンが笑った
「ラブが不安定な時はほっとくの…ギョンジンが何とかするからさ…。二人の仲がうまくいってりゃラブは落ち着くんだからな?」
「…」
「ま、お前もそうだけど…ね…」
「…」
「じゃ、僕達ももう一回しよっか…」
「もういい!」
「よくない」
「いいって!」
「よくないから!」
「いいから!」
まだ一週間分取り戻してないからというテジュンの言葉に酔いそうになったけど、俺は踏ん張った
「てじゅは俺の過去、知りたい?」
「知ってるもん」
「なんでっ!」
「見たもん、ビデオ…」
「…」
「お前は知らなくていいよ、僕の過去」
「なんでっ!しょんなのっ!ひどいっ」
「くふふん…」
「てじゅっ」
「…気が向いたら教えてやる」
「しょのせりふ、仕事始めるときも聞いた!」
「くふふん」
「でじゅのぶぁがっ!」
「…ほんとにさぁ…」
「…」
「BHC辞めて…僕と一緒に…来ないか?」
テジュンの目がマジだった…
「…なんでそんな事言い出すの?…どっか行っちゃうの?」
「…好きだよイナ…」
「俺の事、不安にさせて楽しい?!お前がわけの解んない事いうたびに俺は寂しくて仕方なくなる…。ラブが不安定なの、よっく解る!
お前自分の事ばっかしで俺の気持ちなんか考えてないじゃんか!」
テジュンは優しく微笑んでいる
「なんで笑ってるんだよ!」
「…ん…。イナの考えてる事が解ってよかったなと思ってさ…」
「…」
「大好きだよイナ…」
「…」
「僕は訳の解んない事ばかり言うから、覚悟しといてね」
「しょんなのっ!」
「僕はそういう男だから…」
「…しょんなの…」
「お前が僕を嫌いになっても、僕はお前が好きだからね」
「…わけ解んないっ!てじゅのぶぁかっ!」
「考えといて」
「何を!」
「僕と一緒に来るかどうか…」
「…てじゅ?」
テジュンは微笑んだまま俺にキスをする
わけ解んないよテジュン…
惑わせないでよ…
BHCを辞める?一緒に行く?どこへ…どういう事さ…
「とりあえず今日は何して遊ぼう」
テジュンは笑って俺にそう言った
俺の不安はますます募る
何考えてるんだろう…
どうしたらいいんだろう俺…
Partner 2 れいんさん
涙を滲ませた悔しそうなあいつの顔
時間が経つにつれその残像が僕の心を支配する
頬の痛みは薄れてきても心の痛みは酷くなる一方
これでよかったんだとしきりに言い聞かせた
今まであいつには随分振り回されてきた
あいつの我儘を受け止めて
困った時は手を差し伸べて
寂しい時は抱きしめた
だけどこのへんで終わりにしよう
保護者なんて役回りはもう御免だ
僕はもう自由になれる…
あの時…もしも…もしも…
あいつが俺を殴らなかったら、そのままどうにかなってただろうか…
僕は本当にそれを望んでいたのだろうか
今さらあれこれ考えたって取り返しはつかない…
あいつはもう戻って来ない…
布団の上で大の字になって天井を見上げた
子猫のブルーがニャーと鳴いて俺のお腹に乗っかった
不自由な手でブルーを抱き上げ、その顔に鼻先をくっつけた
「ごめんな、ブルー。お前のご主人様は帰って来るかな
…お前だけは僕の傍にいてくれるんだな」
ブルーは小さな手足を伸ばして俺の顔にじゃれついた
トントン…
殺風景なこの部屋にノックの音が響いた
ヨンナムさんだった
「少しお邪魔してもいいですか?」
「…はい、どうぞ」
「ケガの具合はどうですか」
「この通りです」
「浮かない顔してどうかしましたか?」
「いえ…別に…」
「痛むのはその手だけではないようですね」
「…」
「差し出がましい様ですが、ドンヒ君の心配の種、実は居場所を知ってるんですよ」
「え…?」
ヨンナムさんはそう前置きして、ホンピョと偶然会った事から話し始めた
僕はうなだれたままじっと聞き入っていた
ヨンナムさんがポケットから一枚の紙切れを取り出した
「彼はここにいますよ。その地図でわかります?」
「ヨンナムさん…」
「テジュンが留守しているからトラック一台空いていますよ。その分なら運転もどうにかなるでしょう」
「でも…あいつは…僕が行っても喜ばない」
「それで後悔しませんか?引くに引けない意地っ張りのホンピョ君とこれっきりになっても?」
「何を話せばいいんです?僕が衝動的にしでかした取り返しのつかない事…
あいつはそれを拒絶して僕はそんな自分が許せない。それが全てです」
「互いの気持ちが友情なのかそれ以上なのか
性急に答えを出さなくてもいいんじゃないですか?
あなた方二人はまだ若い
色んな可能性を持っていて、これからも色んな形に変化していく
若い時は往々にして自分が正しいと突っ張ってみたり
他人に自分の考えを押し付けてみたりするものです
急いで答えを出そうとするのも若さ故の事
今はただ、互いに必要としている大切な相棒…それでいいじゃないですか」
「ヨンナムさん…」
「お喋りが過ぎましたね。お節介なのは僕の悪い癖です
さ、明日も朝から大忙し。このへんでお暇しましょう」
静かに扉が閉まり、廊下の軋む音が遠ざかっていった
僕は手渡された紙切れをじっと見つめ唇を噛みしめた
Compensation オリーさん
夜、教授が面会に来ると言った
できる限り毎日来ると…
たぶん仕事の事も気にかかっているのだろう
仕事…
怪我のせいで離れていた現実に僕は立ち戻っていた
決断しなくてはいけない
これ以上自分に嘘はつけない
病室のドアがノックされた時、教授だと思っていた
そして返事をする前にドアが開きその姿が見えた時、幻だと思った
幻…
その幻は僕のベッドの所までまっすぐに歩いてきた
手に持っていたボストンバッグを下におろすと
静かにベッドのふちに腰をおろした
僕は息が止まりそうになった
その幻は震える瞳でしばらく僕をじっと見つめていた
髪の毛から額、額から頬、頬から唇、唇から顎
何かを確認するように、幻はその熱い視線を動かして僕を見つめた
そしてゆっくりと手を伸ばし僕の頬に貼ってある絆創膏を親指で撫でた
その指先の感触に僕の体は小さく痙攣した
それからもう一方の手も頬にあて、両手で僕を包んだ
今度は暖かい感触が頬から全身に染み入ってきて、僕は思わず目を閉じた
これは夢…
幻が小さく囁いた
「よかった…」
目を開けると幻はまだそこにいた
「無事でよかった」
僕は唇を噛んでこみ上げてくる涙をこらえた
泣いてはいけない…
「どうして…どうしてここへ?」
かわりに間の抜けた質問をした
「お兄さんから怪我のことを聞いた」
僕の伝言は間に合わなかったんだ
「これでも万事順調なのかい?」
現実になった幻がちょっと目を吊り上げて僕を覗き込んだ
「ごめん、心配すると思って」
「心配なんかしてない」
「え?」
「気が狂うかと思った」
彼と僕の視線が間近で絡み合い溶け合った
僕は彼がどんな思いでここに来たのかを思い知った
彼は僕の右手を気にしながら、僕の頭を抱き寄せた
「ミン、無事でよかった…」
「ごめんね、ごめん…」
暖かい胸の中で僕はそれしか言えなかった
どうしたら僕は彼に償うことができるのだろう
今は謝るしかできない
彼は僕の額の生え際に唇を押し当てた
その唇は温かく柔らかかった
僕はまた目を閉じた
でも僕には彼がどんな顔をしているかよくわかる
額にあてられた唇はゆっくりと鼻筋をとおり、唇におりてきた
そしてやっぱりゆっくりと僕の唇を包んだ
その懐かしい愛しい甘い感触を全身で感じとった
彼が消えてしまわないように、左手でその肩先を懸命に掴んだ
突然降ってきたこの時を逃がさないように、懸命に…
そうやって僕たちは長いこと口づけを交わした
僕はこの時が止まってしまえばいい、と願った
彼はボストンバッグから何枚か着替えを出してベッドの脇の簡易クローゼットに入れた
「何が必要かよくわからなくて。急だったし…動転してたから」
「洗濯はしてもらえる。宿のご主人がすごくいい人で、毎日来てくれるし」
「そうか、よかった」
「ここまでどうやって?」
「空港でロジャースさんという人が迎えに来てくれた」
「ブラッド・ピットに似てなかった?」
「似てた。本人かと思ったよ」
「兄さんと知り合いらしい」
「そうらしいな。宿も手配してくれていた」
「宿…」
「とりあえずどのくらいの滞在になるかわからないから助かったよ」
「どのくらい?」
「ミンがよくなるまでそばにいるから」
彼はクロゼットの中を覗いてまま言った
僕がよくなるまで…
にわかに胸が苦しくなってきた
「仕事は?店やミューズは?」
少し震える声でそう尋ねた
彼はクロゼットの扉を閉めると僕のそばにまた腰かけた
「仕事ならいつでもできる。でも今ミンには僕が必要だろ」
彼は屈託なく笑い、僕の顔を覗き込んだ
恐ろしいことに僕は彼が幻でなかったことを呪ろい始めていた
至福の時を過ごした僕には神様が下された罰が待っていた
どうか僕に時間をください…
「ねえ僕にいつか言ってくれたこと覚えてる?」
「何?」
「僕が決めたことなら理解できるだろうって」
「覚えてる、ついこの間の話だ」
「本当に?」
「ああ」
「だったら…」
「だったら?」
「このまま帰って」
「ミン…」
「まだ仕事は終わってないんだ」
「仕事の邪魔はしないよ、わかってるつもりだ」
「お願いだから帰って」
「ミン…」
彼は僕から視線をはずし窓の外を見つめた
僕はそれを絶望的な思いで見ていた
この彼の横顔を忘れてはいけない
長いフライトの疲れが滲んでいてさえもなお美しい彼の横顔を
僕はシーツの下で指がどうにかなりそうなほど拳を握りしめ耐えていた
「せっかく来てくれたのにごめんね。怪我したからってやめれない」
わざと何気ない調子で話した
自分の声が空回りしていないか不安でたまらなかった
しばらく窓の外を見つめていた彼が僕を振り返った
「すまなかった」
「え…」
「邪魔するつもりはなかった。ひと目無事な姿を見たかった…それだけだ」
「ごめん」
「さっきから謝ってばかりだな」
「だって…」
「お兄さんからも行く必要はないと言われてた。勝手な事をしてすまなかった」
涙が溢れて、今度はとめることができなかった
違う、違う、僕が準備できてないんだ
謝るのは僕の方…
「顔が見れた、それだけで十分だ。明日帰るよ」
彼は僕の頬に伝わる涙をそっとぬぐった
「泣かなくていい。覚悟がなかったのは僕の方だ。すまない」
僕は自分が氷のようになれればいいと思った
すべてを凍らせてすべてを閉じ込めて…そんな風になれたら
彼は泣いている僕をまた抱き寄せた
「戻ってくるまで待ってるから。だから無理はしないで、いいね」
僕は黙って何度もうなづいた
涙の本当のわけを知ってもそんな風に言ってくれる?
彼はバッグからカーディガンを出した
「僕のだけど、これを置いていくよ」
そう言って僕の肩にかけた
「これから寒くなる一方だ。気をつけて」
「うん…」
僕はぼやけた視線を彼に向けた
「さすがに今夜の便は間に合わないだろ、明日にする」
彼がわざと明るく話している様子がさらに僕をさいなんだ
「明日ロンドンにでも出てレコードショップでも覗いてみるよ。リサーチがてらちょうどいい」
彼はそう言うと立ち上がった
「もう行くの?」
帰れといった僕の方が情けなかった
「顔が見れて、それだけでよかった。必要な物はない?あれば明日用意してもいいけど」
「大丈夫…」
必要なものは…まだ僕の手が届きません
「じゃあ、行くから」
彼は額に軽いキスをして僕から離れた
行かないで、行かないで、行かないで…
僕の声が体中で暴れまわっていた
彼は一度ドアのところで僕を振り返った
まぶしい笑顔がしばらく僕を見つめ、そしてドアの向こうへ消えた
僕は目を閉じて彼の笑顔を胸にしまった
僕にできる唯一のことだった
僕は世界一の大馬鹿者だ
彼がさっきまで見つめていた窓の外を僕もただ見つめていた
巴里から戻った僕の周辺 足バンさん
スヒョンがミンチョルさんの見送りに出て
ずいぶん経って僕はやっとこさベッドから這い出した
大きなため息をついてパソを開け
あのモドキ君からのメールをチェックする
昨日無事到着のメールはいれたんだけど
僕は今起きてるパリでの暴動が気になった
ルノーのショウルームが炎に包まれる映像にショックをうけた
もの言えぬ車たちが壊される映像に心が痛んだ
あんなに美しく輝いていたパリの街も深い闇を抱えている…
僕はものの二面性ってものをかなりずっしりと感じていた
モドキ君から返信あり
今のところ暴動の直接的な影響はないとのことでほっとする
それから今度のこちらでの会議に随行できるかもしれないということ
あいつの笑顔を思い出して少し元気が出た
その後、本当はハリョンに連絡した方が早いんだけど
「俺をないがしろにして!」なんて面倒なことになるのは嫌だからギスにメール
昨日まとめた例の構想と近いうちの日程案を送る
あいつと周りの石頭たちをどう口説くかに暫く苦労しそうだな
そこまで作業して
ふと部屋の隅のスーツケースを目にしてまたでかいため息
ウォータールーを出る時のギョンビンの寂しそうな笑顔を思い出す
パティックの店の前でそっと腕時計に触れていた彼
ブルーグレーのカーディガンを手に取って目を閉じていた彼
なんかあったんでしょ?怪我よりも厄介なこと…
「うぎゃあああ!」
僕はひと叫びして水をごくごく飲み干しその先を考えるのをやめた!
どんな状況にあったとしてもあいつは元気に帰ってくるって
そう思うことにしたんだった!
”やぁドンジュン君”みたいでたまに癪に障るあの爽やかな目で
きっとしれっと言うんでしょ
「ちょっと手間取っただけですよ、どうしたんですそんな顔して」…ふんっ
さっさと帰んないとおまえの客全部もらっちゃうからね
悔しかったら牽引されてでもとっとと帰ってこいっつうのっ
午後遅くになってスヒョンから電話があった
映画のプロデューサーに急にアポがとれたとかで
直接店に行くから僕にはひとりで出勤せよとのこと
何やら音楽のことで彼らに相談があるって言ってた
ちょっと忘れてたけど”映画の件”も気が重い
それこそスヒョンと暫く会えなくなるかもしれないでしょ
あの台本からするとすんごく参っちゃってる男になるっていうことで
僕との時間も全てオアズケになるかもしれない
「帰ってこないかもしれないの?」
「うん…深刻なシーンの撮影時はもしかしたらカンヅメかもね」
「ふぅん…僕は邪魔な存在ってわけか」
「人聞き悪いこと言わないように」
「じゃ日陰の身」
「もっと悪いでしょ」
「ああ…スヒョンが見知らぬ男女とアンナコトやコンナコトしてる間どうやって生きていよう」
「おまえ…その表現って絶対おかしいってば」
ふんっおかしくないでしょうがっ
とにかく時間になり僕はまだちょっとぼうっとする頭で
久しぶりのBHCに出勤した
真っ先に見つけてがっつり抱きしめてくれたのはテプンさんだった
「よくぞ迷子にならず帰ってきた」とか言っちゃって…
ジュンホ君やシチュン&チョンマン、イヌ先生、ウシクさんも笑顔で迎えてくれる
イナさんとラブ君、ギョンジンさんは何だかちょっとある種の空気をかもしてたけど
三人とも僕の頭をくしゃくしゃやって笑って迎えてくれた
テジンさんとスハさんはアクシデントで休んでいたようだけど心配な様子はなかった
ドンヒとホンピョは相変わらずで
ソヌさんとミンギ君もわざわざ側にきて挨拶してくれる
ジホのおっさんも「迷子にならずによかった」と大げさに僕をハグしくれた
何で僕は迷子になるって思われるんだ?
この人たちは”モドキ君発掘”の話にかなりウケてた
「お土産はギョンビンが帰ってからね」ってさらっと言うと
みんな何も言わずににっこり笑ってくれる
それでも食材は心配だから厨房に顔を出してテソンさんとmayoさんに渡したけど
ふたりも「まだまだもつから大事にとっておく」なんて言ってくれた
いろいろ説明しなくたってわかってくれる
僕はそんなところがここのメンバーのすっごく好きなところ
スヒョクさんが笑って迎えてくれたんで留守中のお礼を言ったんだけど
何だかちょっとムードが変わってた
「スヒョクさんもしかしてジジイの監視どころじゃなかった?」
「うんいろいろとあってさ」
「でも悪いことじゃなさそうじゃない?」
「うん…近いうちゆっくり話したいな」
「じゃ1回飲もうよ、ジジイ抜きで!」
ソクさんは近いうちまた休みをとって検査をするらしい
詳しいことは聞かなかった
そんな話をスヒョンにしていたらしいソクさんが事務所から出てくると
スヒョクさんがすっと側に寄って話しかける
その光景があんまり自然で
しっくりいってるってのはこんな感じかな、なんてぼんやり思う
久しぶりにみんなの顔を見て
みんな同じ場所にはいないんだなってことも感じた
毎日同じようでも少しずつ何かが変わってる
ひとつ越えてもまた越えるべきものがすぐ側に見えてくる
ドラマじゃないんだもんね
「おわり」の後にもまたずっと生活はつづく
「何だよぼんやりしちゃって…まだボケてるの?」
スヒョンのうちに帰ってソファに寝そべってると
椅子の背からひょっこりとやつが顔を覗かせる
「ちょっと来てごらん…mayoさんからメールが入ってる」
「ギスの件?」
「ずいぶん細かい報告がきてるよ、さすがだ」
ギスの会社の最新の経営状態、現施設の情報はもちろんのこと
経営陣や株主、スタッフ、その他ギスの縁者に至るまでの詳細や
以前労組に関わった人間のデータ
それから今回のヨーロッパ側企業の今までで最も詳しいデータ
その中にはあのパチフラの個人的な資料まであった
「すごい…すごいよ…ジャムひと瓶じゃまずかったなこりゃ」
「役立ちそう?」
「うん!今考えてることにすんごく有効だよこれ…もう1回お礼言わなくちゃ」
「僕からも礼を言っておくよ」
「やっぱスヒョンの監視もmayoさんに頼むんだったな」
「何ぶつぶつ言ってるの」
「そうだ…」
ダイニングの椅子に座ってるスヒョンの眼鏡をとりあげ
首にまとわりついてじいっと目を見る
「そういえば…真夜中に僕が電話した時だけどさ」
「あっ…そうそうあの時はミンチョルがいた、うん、酔ってここに泊まった」
「うげっ…何でいきなり白状するかなぁ!」
「隠すようなことしてないもの」
「ほんと?」
「ほんと」
「こーんなちょびっとも?」
「こーんなちょびっとは…さてどうだったかな」
と言いながらスヒョンはいきなり横から僕を抱きかかえキスをする
思いきり追求してやろうと思ったのに
あんまり巧みで官能的なキスをするもんだから
ワケわかんなくなるじゃない
ホントに油断も隙もないやつだけど
でもこうしていると心がゆったりと満ちていく
この腕に戻れた安堵感でいっぱいになる
どうか…
どうかこんな時が訪れますように
僕の大事な友人のもとにも
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