ぴかろんの日常

ぴかろんの日常

リレー企画 172

思い出 2 ぴかろん

ヨンナムさんは、自分とテジュンが時々入れ替わって生活した事を話した
両親に内緒でお互いを装い、そのままそれぞれの家に行き、お互いになりすまして何日か過ごしたのだという
ヨンナムさんはテジュンとして、テジュンの学校に行き、テジュンの友達と遊び、テジュンとして生活する
テジュンはヨンナムさんとして、同じよう小学校に行き、ヨンナムさんの友達と遊び、ヨンナムさんとして生活する
それは小学三年生の頃に始めた事だったそうだ
そうして二、三日すると、どちらかの親がどちらかの家に何かしら忘れ物をしたとか言って子供を一緒に連れて行き
そこでヨンナムさんとテジュンはさりげなく服を変え、さりげなく入れ替わる
どちらかの親は、入れ替わった子供を連れて帰り、二人はまた自分として生活した
それは双方の親達に見抜かれていた事だった
ばれていたと解ったのは高校生になってからだった…

「それまで騙せてたと思ってた僕等っておめでたい奴等だったんだよね」
「…ご両親が『解ってたよ』とか言ったの?」
「…。それがね…」

それが…親たちは、息子たちが入れ替わって生活するのがとても面白くて、騙されたふりをして過ごしていたんだ
だから二、三日すると用事があると言って入れ替わった僕達を連れて行ったんだ…
僕達の演技も二、三日が限度だったからね

「うわてだろ?親ってさ…」

それでも高校二年生になるまでは騙されたふりをしてくれてた
僕達、小学校中学校は別々の学校だったけど、高校は同じだったんだ
ある日テジュンが僕になりすまして僕の家に来ていた
その頃オヤジは水の配達の仕事を始めたばかりでね、昼間は両親とも家にいなかったんだ
それでテジュンは…

「付き合い始めたばかりの女の子を連れ込んだの…。でね…今のテジュンの部屋で初めてのキスをしたんだって」
「…」
「ほら。若いから…歯止めがきかないじゃない?当然キスだけで終わらない」
「…」
「で、次の段階に行こうとしてたんだね。女の子は抵抗したらしいけど…」
「…」
「バタバタしてるときに部屋のドアが開いて」
「…」
「『テジュンこのどアホウ!』ってオヤジが…」
「…」

それから散々絞られどやされて、テジュンの家にいた僕も呼び戻されてさ
女の子は泣き続けてるしテジュンは真っ青な顔してるしオヤジは鬼のようだし…
ま、それ以来この家の二階では『淫らな行為禁止』ってことになってるの…
で、それ以来僕達も親の前で入れ替わるのは辞めたんだ
最初から解ってたって
面白かったから見てたんだって…
テジュンは僕のオヤジにこっぴどく叱られてたなぁ…
テジュンのオヤジさんはあまり子供を叱らない人だから、テジュンはものすごく落ち込んでた
でもすぐ立ち直って叱られた事忘れて…オヤジの目を盗んで淫らな行為にトライしてたなぁ…

「…」
「…根っからのスケベだと思うよアイツ…」
「…」

僕のオヤジが死んだ時、アイツは物凄く悲しんだ
すぐに立ち直るヤツが長い事浮き上がれずにいた
大人になってからどうしてそんなに悲しんだのか聞いてみたらね
叱ってくれた事が忘れられないって…

あいつ…いい奴だよ…
自分勝手だけど情の深いいい奴だよ…

「…ヨンナムさんだって…」
「僕なんかよりずっと心の優しい男なんだよ、テジュンは…」
「…」
「ああそれからこんな事もあったなぁ…」


ヨンナムさんは他にも二人の幼かった頃のエピソードを話してくれた
そのどれもが楽しくて面白かったけれど…俺は…
俺は一生懸命笑顔を作って話を聞いていたのだけれど

「イナ?」
「はい?」
「…僕は…君にこの話をしているんだよ」
「…はい…」
「彼女の事、気にしなくていいんだよ」
「…」
「今話したこと、彼女には話してないけど、きっと彼女はテジュンから聞いてると思うよ」
「…はぃ…」
「楽しくないか?」
「…」
「聞きたかったんだろ?」
「…ぅん…」
「だったら…泣かないでよ…」
「…泣いてなんか…」
「泣き虫」
「泣いてない…」
「そんな引きつった顔して…」
「…」
「なんの涙?」
「…。わかんない…」
「馬鹿だな…」

馬鹿だよね…なんで涙が出るのか解んないよ
嬉しいのに…楽しいのに…なんでこんなに胸が苦しいんだろう…
俯いている俺をヨンナムさんが包み込んだ
俺の体は強張った

「お昼ご飯作るよ。ラーメンでいいかな?それ食ったら送るよ」
「…」
「ラーメンじゃイヤ?」
「あ…いいえ…」
「ふ…元気づけようと思ったのに逆効果だったのかな…余計寂しくなった?」
「…ううん…そんなんじゃ…」
「明日の夜にはアイツ、帰って来るんだよ」
「…うん…」
「思いっきり甘えればいい…」
「…」
「あと一日だ…」
「ヨンナムさん」
「ん?」
「…」
「なぁに?」
「少しだけ…テジュンになって…」
「…」

ヨンナムさんはふふっと笑った後、口を閉じて俺を抱きしめてくれた
テジュンじゃない…
ヨンナムさんだ…
気持ちを落ち着けたかった
抱きしめられても俺の心は落ち着かなかった

「どう?気持ち、鎮まった?」
「…ぁ…ぅん…」

嘘だ
きっとヨンナムさんに伝わってる
体中がどきどきしている

「後のことはテジュンから直接聞くといい…」
「…」

俺の額にくちづけをしてヨンナムさんは立ち上がった
ラーメンが出来上がるまでに俺は俺の気持ちをなんとか治めた
ヨンナムさん特製のラーメンを啜り、ヨンナムさんの配達トラックでRRHに帰った
痛めた腰にシップを貼って、俺は店に出るまでの時間、眠ることにした
昨日からの疲れが出て、俺はすぐに眠りに落ちた


声  ぴかろん

店に出ても腰がまだ痛くて蹴りのリクエストが受けられない
申し訳なく思う
ヘルプに新人三人組をつけてなんとか凌いだ
勢いで喋るビョンウと若年寄ってかんじのソグとちょっとアブナそうなジョンドゥは中々面白いトリオだ
ビョンウとジョンドゥは売り込み方が激しくてソグは静かだけど押しが強い
そんな印象を受けた

俺は少し休みたくて裏へ行った
通路にある椅子に座って腰を擦っていたとき、裏口の来訪者を継げるベルが鳴った

ヨンナムさんだ…
きっとそうだ…

俺は戸惑った
俺が…扉を開けていいのだろうか…
俺が…一番にあの人に会っていいのだろうか…
俺の中に彼女が住み着いてから、俺はヨンナムさんを意識している

誰かが出てくれるかもしれない…
躊躇ったその時、心の中で声がした

『会いたい』

その声に突き動かされて俺は立ち上がる
扉を開けると予想通りヨンナムさんがいた

「やぁ」
「…」
「…どした?」

ああ俺はまた引きつった笑顔なのだろう…
自分がどんな顔をしているのかさえも解らない
にっこり笑って中へ入っていくヨンナムさんの背中を俺は見送った
鼓動が激しくなる
『会いたい』って言ったのは…『彼女』なんだ…
この鼓動は…『彼女』の鼓動なんだ…だから…
意識しなくていいんだ俺…
もう一度椅子に座って腰を擦った

空のボトルを提げたヨンナムさんが厨房から出てくる
俺の前で立ち止まり、俺を見下ろしている
俺は顔を上げられずにいる
意識しなくていいのに俺…

「どしたんだよ、イナ。腰、痛むの?」
「…」
「ん?」

ヨンナムさんはしゃがみ込んで俺の顔を覗き込んだ

「ぁ…の…」

視線が定まらない

「何だよ…テジュンと間違えた?」
「…」
「イナ?どうしたの?」
「ぁの…ね…。『彼女』が…『会いたい』って…言ったから俺…」
「…」
「ごめん…自分と混同しちゃって…ちょっと意識した…んだ…」
「…」

ヨンナムさんは俯いた
まともに顔を見ることができない…
何やってんだろ、俺…

「…ぁ…会いたいって?僕に?…彼女が?」
「…ぁ…ぅん…そ…」
「…ほんとに?…」
「ぅん…」
「…」

ヨンナムさんは俯いたまま立ち上がり、そのまま外へ出て行った
俺はその後姿を定まらない視線のまま追った
パタンと扉が閉まる
ふいに涙が流れた
あ…
もっと…話したかったんだ…
俺は立ち上がってヨンナムさんを追いかけた

ヨンナムさんはトラックに寄りかかっていた
数メートル離れたところからでも
ヨンナムさんが泣いているのが解った…
俺はそれ以上近づけなかった

ごめん…
ごめんなさい…

涙が零れ落ちる
俺はBHCの裏口の横の壁際に座り込んで唇を噛んだ

暫くしてヨンナムさんは『オールイン』へ水を持って行った
座り込んでいる俺には気付いてない
辛そうな顔をちらりと見て、俺の胸の奥がまた痛んだ
誰なんだよ俺は…
何でなんだよ…
何でいつもこうなんだ…
今までは誰に踏み込んでも平気だったのに…
今までは…突き崩す事なんてなんでもなかったのに…
彼女が住み着いているから
貴方だから…
胸が痛いよ

大きなため息をついてポケットからタバコを取り出した
また立て続けに三本吸った
三本目をふかしている時、『オールイン』からヨンナムさんが出てきた
ヨンナムさんの瞳が俺に気付く
そして俺に近づいてくる
ああ…
来ないで…
ごめんなさい来ないで

「イナ…」
「ごめ…」

ヨンナムさんの顔を見ていられなくて
俺は俯いて謝ろうとした

「イナ…ありがと」
「…」
「ありがとね…イナ…」
「ヨンナムさん俺」
「嬉しかった」
「…」
「泣かないで…」
「…」
「もう…いいから…。もう十分だからイナ…」
「ヨ…」
「明日、テジュンが帰って来るでしょ?その時は…イナに戻っててね」
「ヨンナムさん…」
「もう…昨日で僕は…。昨日彼女に会えただけで僕は一生生きていけるから…ありがと…」

ヨンナムさんはそう言ってトラックに向かった
胸がきりきり痛んだ
俺はシャツの、その痛む場所を掴んで必死で立ち上がった
ヨンナムさんはトラックに乗り込んで車を発進した
俺は…追いつけなかった

想いが…宙に浮いたままなんだ…
ヨンナムさんの想いが…

昨日から何度無理に気持ちをおさめただろう…

店に戻って仕事をし、RRHに帰る
今日はラブもやって来た
部屋に戻ろうとする俺をギョンジンとラブが呼び止めた

「飲もうよイナさん」
「…」
「ね?」

それで俺は…二人と一緒にリビングのソファに座った
ミンチョルはミンの世話があるからと寝室に行った
ギョンジンがくふんくふん言って残念がり、ラブに頭を引っ叩かれていた
その後マジメな顔つきで俺に言った

「もし話す気があるなら…話してごらんよ…」

ラブが用意してくれたバーボンを一口飲んだ
何も話すつもりはなかったのに、俺の口からこんな言葉が出ていた

「想いを終わらせるのって…どうすればいいんだ?」

ギョンジンは俺をじっと見つめて、それから言った

「吐き出したらいい」
「…俺の事じゃないんだ…」
「解ってる。吐き出させればいい」
「…」
「お前、僕にそうしてくれた…」
「…」
「だからラブに出会うことができた」
「…」
「ソクさんだってそうだろ?お前がいたから、お前が吐き出させたからスヒョク君と出会えた…」
「俺…別に…」
「誰に首突っ込んだか知らないけどお前らしくないな…。ハッタリかますの得意だろ?」
「…」
「ハッタリもかませない相手なの?」
「…」
「俺もイナさんにハッタリかまされて随分ラクになったよ」
「ラブ…」
「いつものイナさんならもっと…堂々としてるのにな…」
「…。なぁ…吐き出すとラクになる?」
「…僕はとてもラクになった」
「俺もだよ、イナさん…」
「…俺、なんでこんなに苦しいんだろう…」
「イナ…」
「ふー…もう一度考えてみる…終わらせる方法…」
「…」
「ごめん…二人で飲んでて…」
「あ…ああ…」

俺はラブとギョンジンにおやすみを言って部屋に戻った

どうしたいんだ俺
どうしたいの?君は…
ヨンナムさんにどうしてほしいの?
君が出たり入ったりで…俺も情緒不安定だよ…
明日はテジュンが帰って来るってのに…

「ぁ…」

もしかして君、テジュンに会いたいの?

『チガウ』

違うの?…じゃやっぱり…ヨンナムさん?

『ソ…』

何かを伝えたいんだよね…

『イッパイ…』

彼女の声を聞いたような気がした
俺は…きっと明日も…ヨンナムさんに会いに行く…
このままじゃいけない…

俺は無理矢理目を閉じて、彼女とヨンナムさんとテジュンにおやすみと言った


朝早く目覚めた俺は、腰の具合がすっかりよくなっているのを確認してジョギングのウエアに着替えた
俺は俺を止められない
俺は俺の中の君に操られている

何を伝えたいの?

エレベーターに飛び乗り、トンプソンさんに挨拶して軽く走り出す

ねぇ…君は俺に降りてきてる
時々俺は君になる
胸の痛みと涙が合図?
その時思ってる事、ヨンナムさんに伝えてもいいの?
俺が思う事って君が思ってる事と同じかな…

だよね…俺じゃないんだもの…
いいよね…思ったこと伝えても…

テジュンの顔を見る前に君の伝えたい事、ヨンナムさんに伝えるよ
いいよね?

彼女は返事をくれない
でもきっと胸の痛みで知らせてくれる
ソレヲツタエテと

俺はまたヨンナムさんの家に向かう
大きな道路を渡り終えた時、見慣れた車が目に飛び込んで来た
その車のドアに凭れて俺を見ている人がいた

「ヨンナムさ…」

また鼓動が激しくなる
…そんなに…会いたかったの?

『ソ…』

俺はヨンナムさんに向かってまっすぐ歩いて行った


伝言  ぴかろん

「おはよう」
「…おはよう…ございます…」
「時間ある?」
「…ヨンナムさんは?」
「…今日も午後の遅い時間からの配達だ。ちょっと…付き合ってくれる?」
「…はい…」

俺はヨンナムさんのトラックの助手席に乗った
ヨンナムさんは静かに車を動かした

「腰は?…ジョギングしてるとこをみると大丈夫そうだけど…」
「うん…すっかりよくなった…」
「そう。よかった…」

お互い、まるでこうなる事を知っていたかのように落ち着いている
俺はヨンナムさんに会いたかったし、ヨンナムさんは俺に話があるようだったし…
ヨンナムさんは市内外れへと車を走らせた
俺達は二人とも押し黙ったままでいた
行き先はなんとなく解っていた

ヨンナムさんは車を止めて、降りようと言った
朝早くにこんなところに来るのは、ジョギングか体操する人ぐらいだろう…
俺はついこのあいだ知ったばかりのその場所に、ヨンナムさんと並んで入って行った

薄暗い林を抜けて、あの広場に到着する
ヨンナムさんの聖地
君に会える場所だ…
あの日俺はここで泣いた
きっと君はその時俺の中に降りてきたんだね…
俺、うまく伝えられるかな…
ちゃんとフォローしてよね…

二、三歩先を行っていたヨンナムさんが俺に向かって振り返る
俺は口元を引き締めてヨンナムさんに近づく
正面に立った時、ヨンナムさんが口を開いた

「抱きしめてもいいか?」

胸が疼いた
どうする?
頷くよ?

返事はない
俺は頷いた
ゆっくり広げられたヨンナムさんの胸の中に俺は体を埋めた

「温かい…」
「…イナ…」
「ヨンナムさんは…あったかいね…」
「…。彼女は僕に…何を伝えたいんだろう…」
「…」
「僕の人生を生きてほしいって言ってたね。それから…前に進めって…。どうすれば進めるのかな…。忘れろって事かな…」
「…忘れてほしくはないみたい…」
「そ…。よかった…。忘れたくないもの」
「けど…愛する人をみつけてほしいみたい…」
「…」
「忘れないで、でも囚われないで…」
「イナ…」
「俺でもきっとそう思うよ、ヨンナムさん…」

「ね…。彼女の最期の事、テジュンからちゃんと聞いてないんだろ?」
「…」
「聞いたほうがいい」
「…。そう…彼女が言ってるの?」
「…それは解んないけど…それは俺が思うことだけど…」
「…怖いよ…辛くて悲しいよ…」
「でも彼女はもっと辛かったはずだ…」
「…」
「貴方もテジュンも俺も生きてる。やろうと思えばなんだってできるはずだもん…。彼女にはもうできない」
「イナ…やめて」

俺の体を押し戻してヨンナムさんは顔を背けた
胸がきりきり痛む
いいんだよね?
そうして欲しいんだよね?

『ウン…』

「彼女がそう言ってるんだ。テジュンに話を聞いて欲しいって…」

それで…終わらせてほしいって…

「区切りをつけろって言うの?もうそらに話しちゃいけないって…」
『チガウヨ』
「いやだ…あの時の悲しい姿なんて考えたくない…」
「テジュンは見たんだ。だから終わる事ができたんだ」
「綺麗なまま覚えておきたい。僕の中ではまだ彼女は生きてる」
「だからだよ!…もう彼女はいないんだ」
「やめて…」
「やめない!」
「イナ!」

涙がぽろぽろ零れ落ちる
心臓が今にも破裂しそうだ
苦しくて、苦しめたくないのに
それでも俺は止まらなかった

『チャント認メテ…コノ世ニハイナイッテ事ヲ…』
「いやだ」
『テジュンニ話ヲ聞イテ…。チャント終ワラセテ…』
「奪わないでくれ!僕の生きがいを!」
『生キガイ?』「生きてないくせに」
「…」
「動いてないくせに!」
「…」
「そんなに…そんなにそらに行きたいなら…とっとと行けばいい!とっとと死んじゃえばいい!」
「…イナ…」
「そんな勇気もないくせに!生きていたいくせに!」
「…」
「俺が行かせてやろうか?彼女のとこへ」
「…イナ…」

「貴方のし続けてる事なんか彼女は望んでない!」
「…。どうして君は…また僕を崩すの?…もういいって言ったろ?どうして僕を気にするの?」
「俺じゃない!彼女が貴方を気にしてるんだ!」
「この世にいないのに?!お前の言う事は矛盾だらけだ!お前、僕に何を求めてるんだよ!僕に絡むのはテジュンの代わりをしてほしいからか?」
「言っただろ?!貴方は貴方だって!」
「じゃあお前は誰なんだ!」
「俺は…」
「こんな風に僕を突き崩すお前は誰なんだよ!イナだろ?!」
「…俺は…」

貴方の彼女だもん…

「お前は彼女じゃない!僕をどうしたいんだ!どうしろって言うんだ!惑わせるな!もういい!ほっといてくれ!」
「いやだ…いやだヨンナムさん…」
「少しラクになれたのに…どうしてお前は僕をかき乱す…」
「…」
「もう僕の前に現れないでくれ!」
「ヨンナムさん…」
「もうこれ以上僕に関わらないでくれ!僕は僕の思うように生きていく!誰が何と言おうと僕の気持ちは動かせない!」
「そんな事彼女は望んでない」
「お前は彼女じゃない!」
「俺の中に彼女を感じたんだろ?」
「…」
「引っ張り出してほしいんだろ?」
「…」
「吐き出したいくせにっ!俺に手伝ってほしいくせにっ!」
「…」
「俺にしかできないんだ!俺にはできるんだ!ヨンナムさんを動かせるの、俺しかいないんだ!だから彼女が降りてきたんだ!」
「…イナ…」

『忘レナイデ欲シイ…デモ囚ワレナイデ…留マラナイデ…』

「昨日…貴方…俺に話してくれたよね、小さい頃のテジュンと貴方の事…」
「…」
「幸せだったって…一番幸せな頃だったって」
「…ああ…」
「どうして『一番』なの?」
「…え?…」
「これからもっと幸せになれるかもしれないのに、どうして『一番だった』って決め付けるの?!」
「…」
「辛くても悲しくても…そうやって色んな事感じ取ることって幸せだ。違う?貴方は心を動かすのを止めてる。そらの彼女に話しかける時でもそうなんだろ?
寂しいのに寂しいって言わない。悔しかったのにそんな事おくびにも出さない。会いたかったのに会いに行かなかった
彼女は貴方に会いたかったはずだ!来て欲しかったはずだ!どうして行かなかったの?!」
「…テジュンが行けば…十分だろ?」
「彼女がそう言ったの?!貴方が勝手に決めたことだ!怖がって行かなかっただけだ!」
「…じゃあ…イナ…。もしテジュンが…」

そんな風になっていたらお前は瀕死のテジュンの姿を…、死んでいくテジュンの姿を見に行けるのか?
できないだろう?お前にできるはずがない!

「もし…、もし俺が動けなくても…怖くて動く事ができなくても…俺は行きたいと思うだろうし…きっと俺の仲間が手助けしてくれる…」
「…」
「怖くて辛くて悲しくても…俺はちゃんと受け止める。俺はちゃんと立ち上がる…俺達みんなそれができるんだ…貴方だってできるはずだ…」
「…」
「だから…テジュンから話を聞いて…」
「いやだ…」
「ヨンナムさん…」
「いやだ…彼女が消えてしまう…」
「…」

へたり込んで嗚咽を漏らすヨンナムさんを抱きしめた
さわさわと木の葉が揺れる
しっかりと大地に根を張ったその木々がざわめく
空も大地も触れ合っていてそこにある
消し去る事のできない想い
…テジュン…
お前だって俺の知らないそういう想いを沢山抱えてるよね?
終わらせても残るよね?形を変えて…

「消えないよ…貴方のここにいつまでも残る。小さくなっても光り輝いてずっと残っていく。貴方の一部になってずっと一緒に生きていく
そのための作業だよ…」
「…」
「テジュンが帰ってきたら…ちゃんと…聞いてね…テジュンはそんな山、いくつも越えてるから…」
「イナ…」

涙に濡れた顔で俺を見つめるヨンナムさんをもう一度強く抱きしめた

ねぇ…これでいいの?
君もそれを望んでいるんだよね?

『ソ…』

彼女が短く答えた瞬間、ヨンナムさんの唇が俺の…彼女の…唇を塞いだ
俺は…彼女は…その唇を受け止めた
俺の体は彼の聖地に横たわり、溶け出した
彼はその聖なる大地に深いくちづけを落とした
留めていた熱いその想いがあの時よりもっと激しく流れ込む
俺は苦しくなって俺を消した
消したのに心がわしづかみにされていつまでも疼いている
唇を離したあとも俺にしがみついて泣き続ける彼
その背中を撫でながら、俺は俺自身の気持ちも撫で付けた

少し身を起こして見ると、親指を噛んだまま虚ろな目をしている彼がいた
そのまま一緒に彼と起き上がる

「…ヨンナムさん…」
「…怖いな…」
「…」
「側にいてくれないかな…」
「え…」
「テジュンに…聞くから側にいてくれないかな…」
「…」
「すぐ側でなくてもいいから…近くにいてほしい…」
「…ヨンナムさん…」
「お前にしかできない事なんだろ?お前ならできるんだろ?僕を助けてくれるんだろ?」

甘えてもいいんだろ?

いい?
俺が君の代わりに
この人を押し上げてもいい?

『…ウン…』

ありがと…

「解った…近くにいる…」

そう答えると、ヨンナムさんは俺に体を預けて、そしてまた顔をくしゃくしゃにして泣いた


こたえ…  ぴかろん

陽が高くなり、俺達は光に包まれていた
ようやく落ち着いたヨンナムさんを抱きしめたまま
俺はそらを見上げていた

これでこの人、一歩進む事ができるだろうか…
ほんとに俺でよかったの?
なんで俺だったの?

話しかけても答えはない
ごくりと唾を飲み込んだとき、長い指が俺の唇に触れた
そっと唇をなぞって、俺じゃない人を見つめている
それから俺を抱え起こして俺の瞳を覗き込む

「言ってもいい?」

なにを?

「今まで言えなかった言葉…」
「…うん…」
「…君は…イナじゃないよね…」
「…。うん…」

俺は…

「君と出会えて幸せだった…君を好きになって幸せだった…。一緒に過ごせて幸せだった…。君がテジュンと幸せそうに微笑んでいるのがとても好きだった…」

ヨンナムさん…俺は…

「愛している…」

澄んだ瞳が俺の目を突き抜けて彼女を見ている
その言葉に触れたひとが俺の目から一滴の涙を零させた
ヨンナムさんの瞳が大きく揺れ、涙で一杯になる
彼女の手が、溢れ出した彼の涙を拭い、そのまま彼の頬を包む
彼女の唇が、ゆっくりと彼の唇に近づき、静かに触れる
やわらかなくちづけ
それがこたえ
二人は静かに抱き合って
不必要なものをそぎ落としていく

俺にはわからない
彼女はなんて答えたのか…
もし俺が彼女なら…

きっとヨンナムさんを好きになってる…

ヨンナムさんの体がゆっくりと離れていく
俺が俺に戻る
でも俺の心にはまだ彼女が残っていて
きりきりと寂しさが締め付ける
奥歯を噛みしめて堪えた

そらを見上げたヨンナムさんは大きく息を吐いた
それから俺の方に視線を戻した
ヨンナムさんの指がまた俺の頬を包む
ヨンナムさんの唇が俺の唇に近づく

触れそうになったところでヨンナムさんは小さく首を横に振り
俺から遠ざかった
目を瞑って唾を呑み込み、深呼吸をしてから目を開けた
俺はずっと奥歯を噛みしめていた

「帰ろう…」
「…うん…」

ヨンナムさんに促されて俺はその場を後にした
行きと同じように押し黙ったまま市内へと戻る
俺はRRHの近くで車から降り、会釈をしてヨンナムさんに背を向けた
背後で車の走り去る音がした

トンプソンさんにただいまと告げてエレベーターに乗り込む
40階に着いて扉が開いた
リビングには誰もいない
突っ切って部屋に戻る
洗面所で顔を洗った
それからベッドに倒れこんだ
車の中で一言、ヨンナムさんが言った

「今晩、テジュン…帰って来るね…」
「…ぅん…」

ああそうだ…
テジュンが帰って来る…
よかった
これで元通り…
よかった…

わしづかみにされた胸の奥が震えている
込み上げてくる涙が抑えられない
泣き虫…
なんで泣く…
触れるのを止めた唇
触れて欲しかった唇
役目が終わったのに出て行かない彼女
しゃくり上げて泣いているのは君だ
俺じゃない…

「テジュンに会える…今夜会えるもん…」

そう呟いてみてもちっとも嬉しくなかった


酔  ぴかろん

今夜はなんとかリクエストをこなせた
テジュンに会える
テジュンに会える
そうやって唱えていると段々俺が戻ってきた

店でみんなによかったなとか嬉しいだろ?とか言われる度に
笑みが自然になる

1本だけ残っていたタバコを、指名の合間に外で吸った
店に戻ろうとした時、中からドアが開いた
出てきたのは空のボトルを提げたヨンナムさんだった…

「「あ」」

どきんとした
まだ…いるの?君…

「…いろいろありがとう…」
「…いえ…」
「明日にでもテジュンに聞いてみる…彼女の話…」
「…」
「…イナ…」
「ん?」
「今夜、うちに来ない?」
「…え…」
「あいつ一度うちに帰って来ると思うから…」
「…」
「あいつの部屋で待ってて驚かせてやれば?」
「…あは…」
「店、終わったら…よかったらおいでよ…」
「…ぅん…」
「イヤだったら来なくてもいいからね」
「…うん…」

ニコっと笑って手を振って行ってしまった
BHCの中に入って顔を洗った
テジュンに…会える…

控え室に入って電話を見た
着信はない
ロッカーに電話をしまおうとした時、電話が鳴った

「ヨボセヨ」
『イナっああんもうっイナぁ』
「…テジュン…。研修終わった?」
『もう少しで終わる。けどまだ反省会があるんだ…』
「うん…」
『もしかすると今夜、RRHに寄れないかもしれない…。一度家に帰らなくちゃなんないから…。書類とかいろいろ荷物があるからさぁ…ぐすん…
すぐにでも飛んでいきたいんだけどなぁぐすん…』
「…じゃ…明日になっちゃう?」
『かもしれない。そうなったらまた電話するからさ』
「…解った…。仕方ないもんね」
『会えたらたっぷり埋め合わせするからねっ♪ああっ早く会いたいっ』
「くふ…俺も…早く会いたいよ、テジュン」
『きいっかわいいっきいっ』
「くはは…。じゃあね…もう少し頑張れよ」
『あん、頑張る。ちゅっ』
「…。ちゅ」
『じゃぁ切るね…ああんイナぁ~』
「ん…ばいばい」
『愛してるよぉっ』
「…」

愛している…

「あ…俺も…愛してるよ…」

パタン
電話を切ってロッカーに仕舞う
…早くテジュンの顔が見たい…

捉まえてないと知らないからな!

「捉まえてもらいに…行くか…」

店が捌けたらテジュンの部屋へ行こう…
やっぱり早く会いたい…


閉店してからミンチョルに、テジュンのところへ行くと言ってヨンナムさんのうちに向かった

「こんばんは…」
「やぁ来たね」

ヨンナムさんは台所から顔を覗かせた

「…何してるの?」
「あいつが帰ってきたら一緒に飲もうかと思ってさ…つまみ…」
「…」
「ぼーっと待ってたって仕方ないだろ?飲みながら待とうよ…」
「あ…うん…」
「小さい頃の話、まだまだ面白いのがあるんだ。聞きたいだろ?」
「…うん…聞きたい…」
「じゃ、座って待ってて」
「俺も手伝うよ」
「ほんと?じゃさ、葱刻んでよ」
「うん…」

俺はヨンナムさんの隣に立って手伝いをした
つまみが出来上がり、焼酎やらバーボンやらとグラスを持って、俺達は居間の座卓に座った

「ちょっと作りすぎたかなぁ。明日の朝飯もコレだ」
「ええっ…。じゃ、俺、パス!」
「だめだ!」
「だぁって…朝飯ってカンジじゃないもん…」

以前の感覚が戻ってきたかな…
普通に話ができる…
やっぱり俺の役目は終わったんだよね?
あとはヨンナムさん自身がなんとかするよね…

ヨンナムさんはテジュンとの色々なエピソードを話してくれた
テジュンのすけべはオヤジさん譲りだとか僕のマジメさもオヤジ譲りなんだとか…
ひとしきり話し終えた後、ヨンナムさんは俺の小さい頃の話を聞きたいと言った
あんな放浪生活を?…
伯父貴がいてくれたから楽しかったけどさ…
ついでにムショの話もした
ヨンナムさんは興味深そうに聞いてくれた

「じゃあ…テジュンとのなれそめは?」
「…なれそめっていうと…」

俺はあの間違いメールの話をした
ヨンナムさんはくすくす笑って聞いていた

「得意だからなぁアイツ、人のモノ横取りすんの…」
「ヨンナムさんも煮え湯を飲まされた方?」
「うーん…僕はぁ…そぉだなぁ…、『引き分け』だな」
「引き分け…。ヨンナムさんは…横取りしない人だよね?」
「さぁねぇ…した事はないけど、これからはするかもしれないな…」

そう答えてヨンナムさんは窓の方を見上げた…
彼女を横取りすればよかったのに…
そんな事できない人なんだな…

だけどテジュンも…
ほんとはそんな事できない男だよ、ヨンナムさん…

「もし君と僕がそんな風に出会ってたらどうなってたろうなぁ…考えられないなあ」
「ふ…。その前にヨンナムさんがメールするなんて考えられないよ」
「失礼だな、僕だってメールぐらいするぞ!」
「ほえ~、イメージじゃないなぁ…。大体ヨンナムさんが携帯で電話するってのもなんだか違和感あるのに…」
「なんなんだよっ!どういうイメージなんだよっ」
「だってさぁ…」
「あのねぇ僕は商売柄携帯は手放せないの。それに、僕は一度電話番号聞いただけですぐにその人のトコにかけることができるんだぜ」
「は?」
「言ってごらんよイナの携帯の番号」
「…」
「聞いてすぐにかけてやる」
「…。○○○…」
「ん、○○○…ね?」
「聞いてすぐってのがミソなわけ?」
「いや、10分以内なら忘れない」
「ふんとにい?信じられないなぁ」
「ごちゃごちゃ言うなよ、忘れちゃうじゃないか」
「ま、飲んでよヨンナムさん」
「おう…おっとっと…」

俺はヨンナムさんに酒を注いだりつまみを食べさせてやったりして、その特技?の邪魔をした

「妨害すんなよぉ…ええっと…」

ヨンナムさんの指が携帯の上を走る
ほんとに覚えてるのかよ…

ヨンナムさんが俺を見てニヤリと笑った
途端にズボンのポケットが震えだした

「あ…」
「出てよ」
「…」

慌てて出てみる

「ヨボセヨ」
「やあ」
「…ほんとだ…すげぇ…一回しか言わなかったのに…」
「特技だもん」
「すげぇ…」

俺の目は画面の着信番号から動かなかった…
ヨンナムさんの…電話番号だ…

俺の指が…その番号を…登録した…

「遅いな、テジュン」
「ほんとだね。寝て待つか?テジュンの部屋で寝るといいよ。あいつ帰ってきたらどんな顔するだろう…クフフ」
「…殴られないかなぁ泥棒と間違えて」
「…やりかねないなぁアイツ…」

「…ヨンナムさん…ここ…淫らな行為は厳禁だよなぁ…」
「…なに…。ヤる気なの?!」
「俺はその気ないけどアイツが…」
「ああそうか…」
「「根っからのスケベだもんなぁ」」

二人で大笑いして卓の上を片付け、俺はテジュンの部屋に行った
テジュンの布団を敷いて、そこに潜り込む
酒も少しまわっていて俺はすっと眠りについた

ズボンのポケットに入れたままだった携帯が震え、俺は眠りを妨げられた

「ん…誰…」
『イナ…やっぱ今日帰れそうもない…』
「…てじゅ…」
『ごめんなぁ…明日の昼からあそぼぉな』
「…うん解った…ヨンナムさんちには帰るんだろ?」
『いや…ここに泊まって明日の朝会社に寄って、昼まで仕事してから帰る。昼ごはん一緒に食べよう。誘いに行くからさ』
「…」
『イナ?』
「…泊まるの?…」
『ああ…みんな泊まるから…。なんだよ、こんな時間から帰るの大変なんだもぉん、酒飲んでるしぃ…』
「…」
『イナ?』
「…わかった…じゃあな…」
『ごめんよぉ明日埋め合わせするからなぁじゃあなぁくひん』
「…おやすみ…」
『おやすみぃ』☆


なんだよ…

俺…何しに来たんだよ…

「はぁ…いっつも…」

馬鹿馬鹿しくなって起き上がった
いてもしかたない
かえろう…

ジャケットを羽織って布団をたたみ、ヨンナムさんに手紙を書いて、そっと階段を降りた
少し軋む音がするけど起きないだろう…

居間の座卓の上に置手紙を置いてそっと戸口に向かった

「イナ…何してるの?」

目を擦りながらヨンナムさんが部屋から出てきた

「あ…の…てじゅから電話が…」
「え?何…迎えに出ろって?」
「…ううん…今日…帰れないからって…。そのまま…そのまま…泊まるからって…」
「ふぅん。それで?君何してるの?」
「…帰るよ…」
「は?」
「いても仕方ないもの…」
「なんで。朝になったら帰って来るだろ?あいつ…」
「…会社に寄って、昼頃帰って来るって…」
「じゃあそれまでいればいいじゃない」
「…ヨンナムさんの邪魔になるから帰る」
「何言ってるの!こんな真夜中に!僕、酒飲んじゃったから送れないしいいじゃないか泊まっていけば」
「…帰る…」
「おい、イナ…待てよ。こら!」

戸口に向かう俺を追いかけてヨンナムさんが俺の肩を掴んだ

「どうやって帰るつもりだよ!」
「歩いて…」
「馬鹿!真夜中だぞ!凍え死ぬぞ!」
「…大丈夫だよ…」
「大丈夫じゃない!いいから泊まっていきなさい!」
「…」
「イナ?」
「…」

ヨンナムさんが俺を抱きしめた

「言っただろう?あいつについていくのは辛いって…」
「…」

我慢していたのにダメだった
しゃくりあげて泣いてしまった

「…僕をテジュンだと思って言いたいこと言いなさい…」
「うっ…ううっ…あ…会いたかったのに…。今日はどうしても…どうしても顔見たかったのに…テジュン…テジュン…」
「…」
「いやだもう…嫌いだ…お前なんか好きになるんじゃなかった…もういやだ!何遍待てばいいんだよ!ううっうううっ」

ヨンナムさんに向かってテジュンへの悪態をついた
本心と本心でない言葉を吐き続けた
ヨンナムさんは黙って俺の背中を撫でていてくれた…
散々喚いて泣きつかれて、俺はヨンナムさんの胸の中で静かになった
ヨンナムさんは無言で俺を部屋に入れてくれた

「僕の布団で寝ればいい。僕がテジュンの部屋に行くから」
「一人でいたくない…」
「…」
「一人なら帰る…マンションに帰ればミンチョル達がいるもん…」
「…じゃあこの部屋で一緒に寝よう。もう一つ布団敷くから…」

ヨンナムさんは奥の部屋から布団を出してきて元々敷いてあった布団の横に並べた

「さ…どうぞ」

促されて俺は布団に入った

「ごめんなさい…」

恥かしかった…

「恩返し」
「え?」
「君もこうしてくれたから」
「…え…」
「テジュンの代わりだよ」
「…ヨンナムさん…」
「…今日はどうしても…テジュンに会いたかった?」
「…」
「何故?」
「…」
「…イナ…」
「…」
「君にキスしてもいい?」
「え…」
「君に何かお礼がしたくて…」
「…」
「は…キスじゃお礼にならないか…。じゃ、何がいいかな…」
「…」
「考えといて。寝ようよ…おやすみ…」
「…昼間…キスしようとして止めたでしょ?」
「うん」
「誰にキスしようとしてたの?」
「…」
「彼女?」
「…君に…」
「…」
「だから…止めた…」
「…キス…して…」
「…イナ…」
「テジュンのかわりに俺にキスして…」
「…」
「ごめん…うそ…」

ヨンナムさんに背を向け横を向いて涙を堪えた
俺の涙腺はぶっ壊れてしまった
毎日毎日よくこんなに涙が出るものだ
会いたかったのに…
抱きしめてほしかったのに…
俺がお前を好きだって事、感じさせてほしかったのにテジュン…

俺の体を仰向けにさせて、ヨンナムさんが俺の顔を覗き込んだ
唇が近づく…

また寸止めだろ?
『俺』には、キスなんかしないんだろ?
義理でキスなんかするなよな…

小声でヨンナムさんに毒づいた
同情でキスなんか…してほしくない!
俺が欲しいのはテジュンのキスだもん…テジュンの…

涙を堪えようとして歪んだ俺の唇に
ヨンナムさんの唇が重なった
そのくちづけは深くて暖かくて優しかった

長いくちづけの後、離れていこうとする唇を追いかけた
その唇はもう一度俺の唇に降りてきて、さっきより深く、さっきより執拗に口内に潜り込む

ヨンナムさんだ…
テジュンじゃない…
ヨンナムさんだ…
…掴まえててよテジュン…

苦しくなって唇を振りほどこうとするのに、また追いかけてしまう
優しく応えないで
冷たく突き放して
貴方は…優しすぎる…

酔ってるんだ
俺もヨンナムさんも…
お前が帰ってこないから…
酔っ払ってるんだ…
お前に早く帰って来てほしくて…

優しいヨンナムさんは俺を抱きしめてうつらうつら眠った
目が覚めて俺と目が合うと、黙ってキスをしてくれた
早く…帰ってきてテジュン…
早く…酔いを醒まして…


プレゼンの行方  足バンさん

大きな黒い扉が開き
スーツの男はブリーフケースとコートを片手に入ってきた
その様子はあたかもスローモーションのような優雅な印象を与える

ミンチョルがスタジオに入ってきた

カメラテストが無事に終わり緩んでいた空気が変わる
監督以下スタッフの誰もが彼に一瞬目を奪われる

ミンチョルは僕にちらりと視線を投げ僅かに頭を揺らして合図した

会場の隅のスチールチェアでくつろいでいた僕は
立ち上がってミンチョルとタイミングを合わせる
テーブルで凝視している監督たちの元に
ミンチョルが到着すると同時に肩を並べるよう歩み寄った

インパクトが大事だ
僕たちは彼らの前に風のように立った

「こちらがお話しましたミューズのイ・ミンチョルです」
「初めまして、お時間をとっていただき感謝します」

監督もプロデューサーも一瞬返事が遅れた
まずまずのようだ

「どうも…私がPやってますチョです、こちらシン監督、よろしく」
「よろしくお願いします」

その後監督は音楽監督のカンさんを紹介し
3人とも握手をしながらミンチョルの様子を伺っている
品定めの時間だ
ここから先、僕は無用
ミンチョルに奥で待っていることを告げてその場を離れ
すでに隅にどけられていたカメラテスト用のソファに腰をおろした

実際彼らに時間がないとはいえ
こんなスタジオでのプレゼンはミンチョルにとってはマイナスだろう
周りのスタッフも動き回り集中力を欠く

案外あのしたたかなPがわざとセッティングをしたのかもしれない
こんな場所で相手を引き込むのはかなりの力量がいるだろうから

しばらく制作者側の話を聞いていたミンチョルがゆっくりと口を開き
プレゼンが始まったようだ
テーブルの上のファイルを示しながら相手を見据える
鋭い目と抑揚ある口調は離れていてもよくわかる

目を周りに向けるとカメラマンのユン女史や他のスタッフも
何やら興味深そうに様子を伺っているように見える

僕はスタジオの熱いライトの中で進められる静かな戦いを見ながら
どこか楽しんでもいた
今までも店で彼の仕事はいやというほど見てきたし
祭でもその才能は十分見たが
こんな風にあいつを傍観したことはなかったように思う

生き生きと交渉を進めるその横顔を見ていると嬉しくなる

あの祭の夜の約束

ずっと見ているから…

なんだろうね、この気持ちは
ずっと支えていってやりたいってこの気持ちは

お互い大事なものの手をしっかり握りしめながら
交わることのない隣り合う平行線の上を歩き続けながら
今どんな顔で過ごしているかを見ている

そして僕は
できればおまえより半歩先を歩いて…

「いいっ!…いいわぁすっごくいいわぁ!」

驚いて振り向くとユン女史がハンドカメラを片手に
ソファの向こうで笑っている

「まんまイケそうじゃないその表情!ヒョンジュへの想い!」
「参ったな…いつの間にいらしたんですか」
「まずあなたがどういう人なのかをよぅく見る、これが私のやり方」
「ふふっなるほどね」
「最高のチェ・スヒョンを引き出してあげますからね」
「楽しみにしてます」
「おっと…お友達のお話済んだみたいよ、じゃあね、くふっ」

顔を戻すとミンチョルが監督たちに礼を言ってこちらに歩いてくるところで
代わりに女史が監督に呼ばれたようだった
ミンチョルはすれ違う彼女ににっこり会釈すると
そのまま僕の隣に腰をおろし前髪をふぅと吹いた

「お疲れ」
「少しここで待っていてくれということだ」
「感触は?」
「悪くはない、チョさんはかなり興味を持ってくれたようだが」
「監督は?」
「正直言ってわからない、最後まで値踏みされた気がする」
「音楽監督は?」
「意外と感触はいい、面識はあるし昔の仕事も知っていてくれてるようだ」

僕は周りに気づかれぬように一瞬手の甲でミンチョルの頬に触れた

「記念の復帰第1回交渉ご苦労さん」
「世話になったな」
「とっかかりができるといいな」
「ああ、何とかしてここからスタートしたい」
「再起のためだけ?」
「何が?」
「ここまで一生懸命やってるの」
「何が言いたい」
「”スヒョンと一緒に仕事したいんだ”ってひとこと言うとイイ男がひとり喜ぶんだけど」
「ばかっこんなところで何言ってるんだ」
「言わないとあとでひどいよ」
「え?」
「あっ、今何想像した?」
「ばかっ」

少し緊張気味だったミンチョルがやっと笑った

しばらく何やら話し込んでいた監督たちが立ち上がったのを見て
僕たちも立ち上がった

近づいてきた彼らの目は決して和んだものではなかった
僕とミンチョルはちらと目配せをして進む

「ミンチョルさん、申し訳ないが今即答はできません」
「こちらでもよく検討したいので少し時間をもらいますよ」
「勿論です」
「いや、あなたの企画は素晴らしいですよ、思っていた以上だ」
「もう2、3懸案事項がありますので」
「わかりました、よろしくお願いします」
「ではスヒョンさんも今日はこれで、またすぐ連絡しますから」

僕たちは礼を言い、ミンチョルは彼らと握手をして出口に向かった

ドアを出るまで彼らは視線を外さない
元ヴィクトリーのミンチョルは余程警戒されているのだろうか

僕たちはそのまま車で店に向かい
いつものように仕事をこなす

店は盛況でそれなりに忙しいかったせいもあるが
今日の打合せの件についてはお互い触れなかった
閉店後
事務室で残務をする僕たちの目の前の電話が鳴るまでは

デスクの向こうで電話をとったミンチョルは僕に目配せをした
監督からのようだ

今日の礼を言って少し後ミンチョルの顔が急に明るくなった

「本当ですか!ありがとうございます!」

彼は机をココンとノックするように叩いて嬉しそうにウィンクをした
成功したらしい

僕はほっとしたのと同時に喜ぶミンチョルの笑顔が嬉しくて
椅子の背にもたれてその表情を眺めていた

しかし浮わついた気分はすぐになりを潜める

なぜなら”すぐに進める”といった内容の後に
何やら僕のあずかり知らぬ方向に話が発展しているようだったから

「ヒョンジュ?それって…その…」

急に曇った…
というか明らかに戸惑っている様子のミンチョルが
顔を上げてすがるような目で僕を見る

「とても…その…すぐにお返事は…」

そのまま向こうの話を聞いて何かを答えていたが
ミンチョルの表情は確実に混乱している

しばらくして礼の言葉を述べると、そのまま力なく受話器を置いた

ミンチョルがデスクの向こうでぼんやりと僕を見た
僕は持っていた書類を置き覗き込む

「どうしたの?」
「企画は通ったみたいだ」
「任せてもらえる?」
「大体、今日の感じでいけそうだ」
「で?何か問題?」
「あ、ああ」
「さっきヒョンジュとか言ってた?」
「ああ…」
「何?」
「僕に…やってみないかと…」
「何?」
「音楽とその、つまり…ヒョンジュ」
「わかってるよ、そうじゃなくて…え?何だって?」

「僕にヒョンジュをやってほしいって…」
「…」
「スヒョン…」
「…」
「あの、スヒョン?」
「…」
「ちょっと混乱してるんだが…」

「ヒョンジュって、まさかあの彼の役じゃないよね?」

僕は思考停止状態に陥っていた









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