ぴかろんの日常

ぴかろんの日常

リレー企画 185

千の想い 5 ぴかろん

何時間か経ったろうか…俺はふと目を覚ました
薄く開いた目に、テジュンの笑顔が飛び込んできた
ああ…テジュン…俺…すんごく辛い夢見てたんだ…
随分長い夢だったんだぜテジュン…
どきどきしたし哀しかったし苦しかったし…
でも夢だったんだテジュン…
よかった…
ああ…よかった…

俺はテジュンに微笑みかけた
テジュンも微笑みながら俺を抱きしめ
くふんと色っぽく笑って俺の唇を啄ばみそして深くくちづけた…
それは…
それはテジュンではなくて…

もがいて体を離そうとした
押さえ込まれて動けない

「どうしたの?○○…怖くないよ…僕が側にいる…」
「…」
「愛してるよ…○○…」

聞き取れない声で誰かの名前を呟き、俺の唇に覆い被さる…

彼女と…間違えている…
ヨンナムさんは…酔ってるから…

俺ではなくて、その向こうに見える人にするくちづけ…
俺ではなくて、その向こうにいる人に告げる愛の言葉…
俺は…ヒョンビン…
君のように…受け止められない…

もがいてもがいて、やっとのことで唇を離した
叫んだつもりの俺の声は震えていてヨンナムさんに届かない

「俺…俺…イナだよ…イナだよヨンナムさん…」
「…○○…」
「…イナ…だよ…イナ…」

俺の唇は再び強く塞がれて、狂おしいくちづけを受ける
俺は彼女じゃないと全身で叫びながらも彼を突き放すことができない…
やがて彼は俺の首筋に顔を埋めて再び夢の世界へ戻っていった

痛みが走る…心が散り散りになる…
俺はヨンナムさんの体の下でしゃくり上げて泣き続けた

先輩に付き合って新しい研修の案を練っていたら、いつの間にか午前3時を過ぎていた
明日は昼からでいいなどと鬼のような言葉を吐く先輩を睨みつけ、車を飛ばして家に戻った
ヨンナムは今夜、イナを誘って飲みに行くと言っていたが、本当に行ったんだろうか…
玄関の引き戸は開いていた
開けっ放しで寝たのか?無用心だな…珍しく…
ははーん、相当飲んだな…あの野郎飲むとなるととことん飲むからなぁ…
久しぶりに羽目を外したんだろう…
…彼女のこともあったし…
イナと間違いを起こすような奴じゃないし…うーんちょっとは心配だけどさ…
玄関を入ると、ヨンナムの部屋から灯りが漏れていた
その上ガサガサゴトンなんて音がする…
まさか泥棒?
僕は忍び足でヨンナムの部屋に近づき中をそっと覗いた…

からだが凍りついた
イナが…ヨンナムに組み敷かれてキスされている…
何がなんだか解らなくなった…
イナの体はヨンナムから逃れようともがいている

夢だ…悪い夢だ…
何かの間違いだ…
見なかった事にしよう…

僕はその場から立ち去ろうとした
でも体が動かないんだ…
視線さえも動かせない…

○○愛している…というヨンナムの甘い呟きが聞こえた…

彼女と…間違えている?

俺…イナだよ…イナだよ…

震えながら訴える悲痛なイナの声…

ああ…ああ…そうだ…
ヨンナムは酔っ払っていて、それでイナと彼女を間違えてキスしているんだ…
きっと…きっと…そうだきっと…

やがてヨンナムの寝息と、イナのすすり泣きが聞こえてきた
…そうだよ…ヨンナムは酔っ払っていて…
そうだ、イナも酔ってるから抵抗できなくて…
そうだ、そうに違いないよ…

僕は自分に言い聞かせて、ぼんやりした頭のままそっと自分の部屋に戻った…
僕の時間は止まっているのに外の時間は容赦なく過ぎていく
眠る事ができなかった…


千の想い 6 ぴかろん

空がすっかり白んだ頃、ヨンナムさんが唸って起き上がった
とっさに背中を向けて横になった…

いててて…あいてぇぇ…やっべぇ頭がんがんするぅ…飲みすぎちゃったよぉ…
…あり?イナ…なんでこんなとこにいるの?
ああ…ああそうか…昨日一緒に飲んでてぇ…僕送ってもらったのか?お?…
…イナ?寝てる?…寝てるかぁ…ごめんなぁ…僕迷惑かけたかなぁ…
やべぇなぁ…記憶ないや…いててて…
んと…二日酔いには…えっと何がきくんだっけうー…

ヨンナムさんは唸りながら台所へとフラフラ歩いて行った

ヨンナムさんの気配が消えて、俺の緊張が解けた
目を瞑ってため息をつく…
やっぱり…覚えてないんだよな…

『俺を抱いたのに記憶がないんだ、この人!』

ラブの声が突然聞こえた…
ああ…祭の日の夜、ギョンジンはラブを抱いたのにそれを覚えていなかった…俺のせいで…
ラブ…ごめんね…
俺、今になってあの時の罰を受けてるんだ…
キスだけでこんなに哀しいのに…お前…お前どんなに辛かったろう…ごめん…ラブ…
頭の中で何度もラブに詫びた
ラブがもういいんだよと笑った気がした
急激に疲れを感じ、俺はすうっと眠りに落ちた


なんだったんだろう
僕の見たあの光景は…
ヨンナムとイナ…
最も怖れていた事態

冷静になってその場面を思い出した
ヨンナムは…彼女の名前を呟いた
イナはヨンナムに自分の名前を訴えてもがいていた…

ヨンナムが…酔って間違えただけ…

そうだよな…そうだよ…
イナは嫌がっていたんだ…
酔っていたからどうする事もできなかったんだ…
そうだよな…そうだよ…
でも…
黒い霧が晴れない
本当にそうなんだろうか…
どうしてヨンナムはイナと二人きりで飲みたいなんて言ったのか…
僕から…イナを奪おうとしたんじゃないのか…
まさか…あいつは…
あいつはそんな男じゃない…
彼女が惚れた男だ…
そんな事するはずが…

…かつての僕の恋人達は、僕が忙しくなるとヨンナムのところへ相談に行って
そしていつの間にかヨンナムに恋してた…
ヨンナムにその気がなくても
あれだけ優しくて親切ないい男だ…
親身になって相談に乗ってくれたら誰でも…

僕のいない間にイナとヨンナムに何かあった?
ううん、ヨンナムもイナも何も言ってなかったじゃないか…
イナはともかく、ヨンナムは隠し事なんかできない性質だ

僕の思い過ごしだ…
僕の思い過ごし…
そうであってほしい…
泥酔していたんだヨンナムは…

僕は重い心を抱えたまま階下へと降りていった


「おはよう…」
「んぁ?テジュン?お前いつ帰ってきたの?」
「…夜中だ…」
「僕、いた?」
「…部屋の灯りはついてたぞ…。凄い顔だな…相当飲んだのか?」
「うん。かなり…へへ。楽しかったぁ…。ギョンジン君とラブ君も一緒でさ…。久しぶりだったなぁ友達とワイワイ騒ぐのって…」

ヨンナムは二日酔いのボロボロの顔を輝かせて嬉しそうに言った…
僕は…静かに探りを入れる…

「ラブも?」
「うん…あの子、鋭いねぇ。お前たちのフクザツな関係教えてくれた。これでやっと解ったぞ、この浮気者め!」
「…ふ…」
「…にしても…イナも祭の時はかなりブイブイだったって?信じらんないなぁ…」
「…」
「あー…頭痛い…。朝起きたらさぁ…イナが隣に寝てたんだよ…僕なんかやっちゃったかなぁへへっ」
「…イナ?」
「うん…楽しくてさぁガンガン飲んでたら途中から記憶がブッツリ…。ああこんなの久しぶり…おかげで頭ふらっふら…
イナになんか迷惑かけたかもしれない…」
「…寝てるの?あいつ…」
「うん。僕、どうやって帰ってきたのかなぁ…」
「覚えてないのか?」
「…うん…。…ひひ…」
「…珍しいな…珍しく上機嫌だな、お前…」
「とても…楽しかった…。テジュン、ありがとな、イナと飲みに行かせてくれて…」

柔らかい笑みが口元に浮んでいる
嘘をついている顔ではない
本当に記憶が飛んでいるようだ…
僕は少しだけほっとした

「そうそう…楽しいついでにさ、いい夢みちゃったんだ…。彼女と朝を迎えた夢…」
「…ヨンナム…」
「囚われてるとか言うなよ…。こんな夢…初めてだったんだから…」
「…」
「目を覚ますと横に彼女が眠っててね、可愛い顔してるんだ…。嬉しくてじっと見つめてたら彼女はふっと目を開けてにっこり微笑んだんだ…
僕は彼女が可愛くて愛しくて…そっと抱きしめてキスした…。幸せだった…すっごく…。んでね…えへへ…長い事キスしてたら彼女泣き出しちゃってさ…
髪を撫でてもう一度抱きしめてまたキスして…しゃくり上げてる彼女の肩に顔埋めて、ここにいるから…大丈夫だから…なぁんて言ってるのさ僕…
ドラマみたいだろ?…彼女、何で泣いたんだろう…気になったけど…そこで夢は終わっちゃった…。それでも…幸せだった…すっごく…」

それは…夢じゃないよヨンナム…
彼女じゃなくて…イナだ…
イナの叫びも聞こえないぐらい、お前…幸せな気持ちだったんだな…

ヨンナムの夢を壊したくなかった
ずっと彼女を想っていたこいつの夢を…
それと…本当はイナにキスしてたんだって事を言いたくなかった…
ヨンナムは…彼女にキスをしたんだ…
イナにじゃない…よかった…

「ごめん…変な話聞かせたな…」
「…あ…いや…」
「実現できなかった夢だ…許してくれよな…」
「…あ…うん…」
「さてと…二日酔いには…んーと…何が効くんだっけなぁ…。とりあえずおかゆでも作るか…」
「…イナ…見てくる…」
「ああ。寝かせといてやってよ」
「うん…」

後は…イナの反応だ…
ヨンナムよりは正気だったはずだ…
僕の顔を見てどうするだろう…
隠す?それとも正直に話す?
僕の心は意地悪くなっている
まるでイナを試しに行くみたいだ…
嫌な男だ
間違いであっても嫉妬している…
嫌な男…

ヨンナムの部屋を覗いてみる
イナが背中を向けて眠っている
僕はイナのそばに行き、覆いかぶさるように手をついてイナの寝顔を見つめた
イナがううんと息を漏らす
目を開けろ
僕を見ろ
お前…何をしたんだ…
猜疑心の塊の僕がイナを見下ろしている
イナが目をこする
とっさに笑顔を作る僕
さあ…見ろよ僕の顔を…
どうする?どんな顔をする?イナ…


少しだけ眠った俺は、目を擦りながらため息をついた
ぼんやりとした視界にとびこんできたのは見慣れた顔…

イナがびくついた
擦っていた目を見開いて、怖ろしげに僕の顔を見た

どっち?
テジュン?ヨンナムさん?
その人は笑っているけど俺はどうして怖いと感じるんだろう…
ああ…これは本当に怖い夢なのかもしれない…
俺が今までしてきた事の罰なのかもしれない…
怖くて…からだが震えて涙が零れた

泣いている?何故泣く?
僕は指でその涙を拭った
イナに触れた途端心の奥がぎゅっと締まった
誰にも盗られたくない
誰にも触れさせたくない
僕だけのイナ…愛しいイナ…
僕はイナにくちづけた

唇が塞がれる
ふっと鼻をくすぐったのはテジュンの香り…
ほっとした瞬間涙がどっと溢れた…
俺はテジュンの首に腕を回してテジュンの唇を貪った


片羽根  足バンさん

昨夜ドンジュンはギョンビンと出て行ったきり戻らず
もちろんうちにも来なかった
またふたりで飲んで騒いで歌でも歌ったのだろうか
僕たちの悪口でも言い合ってね
なんて…お気楽なことでも考えて無理に気分を変える

「今日来てもらったのはタイアップ企画の件なんだ」

僕はシン監督のオフィスの会議室で、監督とチョプロデューサーと向かい合っている

「企画?」
「ブライアン・ウィーバーってご存知?」
「イギリスのニットブランドですね」
「そう…そこが今度本格的に進出してくることになったんだけど
 そこのイメージキャラクターとしてジンを使おうかって話が出てる」
「ジンを…ですか?創作人物の?」
「うん…東洋をイメージした新作カラーで乗り込んでくるらしいんだ」
「映画の中で着るジンのニットをそのまま売り出すの」
「ジンにはウィーバーの新作のブルーのニットを着てもらってね
 ウィーバーはそのニットカラーを”ジンブルー”とネーミングするというわけ」
「なるほど」

「まず公開前にセーターを着たジンのイメージCMが流れる、映画のコメントは一切なしでね」
「ジンって何?誰?って感じにしたい」
「その撮影も監督が引き受ける」
「んでね、今回映画の制作発表は一切なしでネットのみの情報を流すでしょ
 これはミンチョルさんの音楽の情報と完全にリンクさせる」
「CM、ニット、ジン、音楽、映画となるわけ」
「映画スチールもウィーバーの専属カメラマンが担当する」
「どう?」
「それはプロモーションという位置づけですね?」
「そう映画のイメージをそのまま使うの」
「面白いんじゃないですか」
「おおっ賛同を得た」
「でもよくウィーバーに話が通りましたね」
「シン監督は顔広いから」
「あそこの会長とは4年ほど前に知り合った…今回直接”ジン”を売り込んだんだ」
「実はあなたのカメラテストの時企画担当が来てた」

「別の契約になるけど…了承願えますか?」
「作品の延長ということでしたら」
「よっしゃ!決まりだ」
「スヒョンさんはフリーという立場だからどうしても直接交渉になって悪いね…
 マネージャーを付けたりする気はないんでしょ?」
「ええ、この映画だけのつもりですから」
「直接だと話が早くていいんだけど…いや、先日も疲れてたみたいだからちょっと気になってさ」
「すみません…もう大丈夫です」
「じゃさっそくウィーバーの件を調整するよ」

チョプロデューサーが部屋を出て行った後シン監督が向き直った

「さて…本編の方なんだけどこれが手直しした台本」
「ええと大きく変わったのはヒョンジュの背景の設定とウナさんの役名、ラストシーン
 それからここのジンの心情が大きく変わったんだ」
「はい」
「彼女に惹かれていくことでヒョンジュにうしろめたさを感じ自己嫌悪するジン
 ここかなり難しい表現になると思うんだけどね」
「ええ…」

僕は文字を追いながらぼんやりとドンジュンを思い出していた

台本の中に入ってジンの気持ちを感じれば切ない想いが広がり
その切なさの延長には当然ミンチョルの横顔が浮かぶ
それは漠然とした不安へと波紋をひろげ…
その向こうにドンジュンの後ろ姿がゆらゆらと立つ

「ね…スヒョンさん…迷ってる?」
「え?」

台本から目を上げると監督がいつになく鋭い視線で見ている

「私は焦ってこの作品を台無しにしたくはないんだ…丁寧に仕上げていきたい」
「あ…はい」
「ウィーバーの会長の物づくりへの信念も同じだから今回の企画にも至った…
 ウナさんも最後の作品としてじっくり取り組めると考え受けてくれた
 そういう空気で全てを創り上げたい…わかってもらえるかな」
「はい」

彼の目線が急に柔らかい色味を帯びた

「今回の件であなたが何かを失うようなことにはなってほしくない
 私の夢を叶えるために誰かを踏み台にするような作品にはしたくないから」
「監督…」
「まだ時間はありますから気持ちを整えて下さい…ワケわかんなくなったらすぐ相談して」
「はい…」
「待ちますよ…私はあなた以外のジンは考えていませんから」

優しさの中の決然とした監督の声に僕はただ頷いた

2、3の確認事項の後席を立つ

契約のために間もなくミンチョルが来るが待つかと聞かれたが
僕は適当な理由をつけて事務所を出た
今のこんな気分で顔を合わせたくない
これ以上自分らしくない顔を見せたくなかった

エレベーターホールに向かわず奥の階段のドアをあける

2フロアほど下りた踊り場で足を止め
白い壁に肩で寄りかかってため息をつく

ーあなたが何かを失うようなことにはなってほしくない

もう一度落ち着いて話をすればわかってもらえるだろうか
ドンジュン…僕は変わらないからと
変わらない…?
何が変わらない?

硬い靴の足音が響いてきたので壁からゆっくり身を離すと
半階下の階段を回り登ってくるコートの男と目が合う

「スヒョン…どうしたんだ?」
「ミンチョル…」
「大丈夫か?気分でも悪いのか?」
「いや…おまえが階段なんてどういう気の迷いだ」
「ちょっと…その…そんな気になったんだ」

まったく…こんなものか…

何気ない表情で「今打合せが終ったところだよ…先に帰る」と言い
ミンチョルの横を通り過ぎようとした時腕を掴まれた

「スヒョン…ドンジュンと…どうかしたのか?」
「どうもしないよ」

そのまま行こうとする腕を尚も掴まれ
肩越しに振り向くと真剣な目が突き刺さる
僕はできるだけ柔らかい表情を作って掴まれている腕を外した

「大丈夫だよ…心配しなくていいから」
「僕じゃ助けにならないのか?」
「おまえにしてもらえることなんてないよ」
「そういう言い方はないだろう」
「心配しないで」
「毎日そんな顔を見続けて心配にならないわけないだろう」
「気をつけるよ」
「自分のことになるとどうしてそうなんだ」
「ふふ…そう突っかかるなよ」

僕はいつものスヒョンの調子を演出したつもりで
何気なくミンチョルの顎に指を添えた

「おまえもヒョンジュくらい静かだとかわいいんだけどな」

そう言って…突然ドキンとした
触れていた顎から慌てて指を離し
どういう意味だと無邪気にムッとしているミンチョルから目をそらす

いきなりミンチョルとヒョンジュの境目が曖昧になった
想像の中の愛しい気持ちにゆるりと襲われた

台本からミンチョルをイメージすればするほどそうなっていく
この先はもっとそうなっていく
僕の漠然とした不安はこれなのかもしれない
物語と現実の境界があやふやになってしまう瞬間
この僕の不安がそのままドンジュンの不安なんだろう

「監督が待ってるよ…先に帰る」
「スヒョン」

ミンチョルに笑顔を残して階段を駆け下りる
乾いた足音が行き場をなくしたこだまのように響いた


※文中のニットブランド Brian Weaver は創作です


僕たちの物語 5 れいんさん

寮の前で車を降りた
送ってもらったお礼に、テジンさんをお茶に誘ってみた
「せっかくだけど、急ぐから、今日のところは気持ちだけ貰っておくよ」
車の窓に片肘を乗せテジンさんが言った

ひょっとしてテジンさん、俺が淹れたお茶飲みたくない?
そんな事をちらっと思ったりもしたが、気にしない事にした
車を見送り、マンションの中に入る
たった数日の事なのに、久しぶりって感じがする
エントランスを横切る時、目の端に黒いものが映った
「おう、出迎えに来てくれたのか?」
物陰からひょこっと顔を出したブルーを見つけ、嬉しくなって近寄った

するとブルーのすぐ後にするりともう一匹猫が出てきた
光沢のあるグレーの毛並み、切れ長の目をした色っぽい猫
どこの猫だろ、飼い猫みたいだな。多分♀猫・・
ふぅん、いい女、じゃなくていい猫じゃん。
ブルー、おまえ年上好みだったのか、なかなかやるな・・
しかし、ご主人様がリトル家出してたってのに
可愛子ちゃんとヨロシクやってるなんてさ、あんまりじゃねえか
薄情な奴だぜ
ふん、そっちがそうなら俺にだって考えがある
おまえに浮世の義理と人情ってもんをきっちり教えてやるぜ
例え子猫だろうがそのへんの事はちゃんとしつけとかなきゃな

二人、いや、二匹で毛づくろいなんか始めて、いい雰囲気だったブルーをひょいと抱き上げ、スタスタとエレベーターに乗り込んだ
ブルーは柔らかい肉球の前足をいっぱいに伸ばしもがいていたが、俺の腕からは逃げられなかった
みゃぁぁぁん・・
ブルーの哀しい鳴き声をかき消す様にエレベーターのドアがぴしゃりと閉まった
突然の非情な別れを経験し、ブルーはがっくりとうなだれていた

ドンヒの部屋の前でつと立ち止まった
何て言おう・・
普通に「ただいま」でいいのかな
何かちょっと・・気まずいよなぁ
このところまともに話してなかったし
スハ先生のとこにふらりと行ったきりだったし・・
うぅむ・・
でも、テジンさんの話だとドンヒは病気で寝込んでいる
そんな状態なのにほっとけるわけない
それに病気の時ってのはつい弱気になるもんだ
誠心誠意、手厚い看護をすれば、あいつも涙涙で感謝するだろう
よし、なんとかなるさ
俺は、ちょいハッスルポーズで気合を入れ、ドアに鍵を差し込んだ

部屋に入ってすぐ辺りを見渡した
何かちょっと感じが違う
どこが違うかって・・
何かこう・・いつもより散らかっている
どうしたんだろ、あいつらしくもない・・
やっぱ相当具合が悪いんだな
俺は急いで寝室に行った
でもそこにドンヒの姿はなかった
ベッドの上には脱ぎっぱなしの着衣
トイレやバスルームも探してみた
やっぱりいない
どこ行ったんだ?
俺は急に気が抜けてソファにストンと座り込んだ
ヨンナムさんちに行ってるのかな
それとも病院?
ソファの背に体を預け、ふぅっと溜息をついたその時、俺はそれを見つけてしまった

長い長い髪の毛・・
これ・・俺のじゃない
ドンヒのでもない
・・あの子のだ
・・・
あの子、この部屋に来たんだ
俺がいない時に・・
ふぅん・・なんだ・・そういう事か
俺の留守をいい事に、ここに連れ込んだってわけかよ、ドンヒ
ちっ・・何だよ、馬鹿野郎・・人がせっかく心配してやったのによ
俺なんかいなくたって、あいつは楽しくやってたんじゃん
病気だかなんだか知らないけどよ


以前の俺ならそこでプイっと飛び出しただろう
でも、俺はもう昔の俺じゃない
求めるばかりでなく、与えられる人間になるって決めた
変わりたいと思ったはずだ
それくらいの事でへそ曲げてたら前と同じじゃねえか
お見舞いに来ただけとか、病院に付き添ってくれたとか、そういう事かもしれないしさ
髪の毛1本落ちてたからって、そんなのどうだっていいじゃねえか
大切なのは俺があいつに何をしてあげられるかって事
今まであいつが俺にしてくれたみたいにさ

俺は気を取り直し、とりあえずクッキーを紙袋から出しテーブルの上に置いた
ドンヒが帰ってきたら、これ食わせてやろっと
紅茶のクッキーだとか、黒ゴマ、チョコチップ、いろいろあるぜ
我ながら頑張っちゃったな
俺の手作りだって言ったら、あいつ驚くだろうな

それからその辺をざっと片付けたりなんかしてたら、ふとバルコニーに吊るしてあるワイシャツが目についた
おっと、それそれ、丁度いいもんがあるじゃねえか
あれでここ数日の練習成果見てみよう
あいつが帰ってくる前に、このド派手なワイシャツにぴしーーっと皺ひとつなくアイロンがけしといてやるぜ
へへっドンヒめ、腰抜かすなよ

俺はバルコニーに出て、ワイシャツをそっくり抱え込んだ
その時そのまますぐに部屋に入ればよかった
なのに俺は見てしまった
よりによってこんなタイミングで・・

手すりから見下ろした通りの反対側
横断歩道で信号待ちしているあいつ
傍にはマリアって子がいた
腕を組んで寄り添っていた
仲睦まじい恋人同士みたいに・・

ただそれだけの事なのに、頭ではわかってるのに
いざ目にすると説明しがたい感情が湧き上がる
嫉妬じゃない、恋でも愛でもない
自分でもそれが何なのかわからない
ただ、俺を見てくれって・・俺、頑張ろうとしてるのに・・って、そう思った


馬鹿だな俺
俺の出る幕なんてどこにもなかった
道化を演じてた間抜けな俺
可笑しくて情けなくて救いようがない
考えたら俺っていつもこうだ
頑張ろうと思ったっていつだって空回り
昔っから中途半端
ボクシングもいいところまでいったのに結局はああだったし
商売だってうまくいきかけたらあんな事に
幸せになりたかったのに、結局は誰の事も幸せにしてやれなかった
疫病神のダメな奴・・
俺はワイシャツを抱えたまま、その場にズルズル座り込んだ

あいつ・・元気そうじゃんか
どこがどう病気なんだ
テジンさんの・・嘘つき・・

見上げた空がやけに青くて心が痛かった


千の想い 7 ぴかろん

しがみつく可愛いイナ
何で泣く?どうして震えてる?
そのわけを…本当の事を…お前は僕に言うだろうか…

「どうしたの?寂しかった?」
「こ…こわかった…こわかったテジュン、テジュン」
「何が?怖い夢見たの?」
「…ひっくひっく…も…いやだもう…ヨンナムさんと二人で飲みになんか行かせないでっ…」
「どうして?」
「ううっ…ヨンナムさ…酔っ払って…俺に…俺にキスし…たっひっく…」
「キス?!」
「かっ…彼女と…間違えてっひっくひっく」
「…」
「も…やだ…やめてって…俺イナだって言ったのにっ言ったのにっ…ひっく…もう…いやだっ」

泣きじゃくって僕にしがみつくイナをしっかりと抱きしめた

「怖かった?いやだった?」
「いやだ…怖い…ひっくひっく…」

抱きしめながらほっとした…よかった…ちゃんと言ってくれた…
よかった…ごめんねイナ…ごめん…

「わかったイナ、もう二人でなんか飲みに行かせない…。でもなイナ、あいつ…あいつ、友達と飲みに行くの…久しぶりだったんだ…ずっと彼女のこと引きずってたから…
昨日…すごく楽しかったんだって…お前やラブ達とワイワイ騒げて嬉しかったって…子供みたいな顔で言うんだ…イナ…」
「ううっうっ…」
「だから…時々話聞いてやってくれないか?友達として…。頼むよ…従兄弟として頼む…。ほっとけないんだあいつ…」

僕は腕の中のイナにそう言った
イナは隠し事なんかしてない…
酔ってたから抵抗できなかったんだ…
イヤだったんだ、怖かったんだ…そんな思いはもうさせないから…
ああ、ああよかった…よかったイナ…

「お前は頑なな心を解す名人だからな…
あいつ…お前に随分助けられてるみたいだ
だから…イヤかもしんないけど、あいつの心を解してやってほしいんだ…」

イナの耳元にそう囁きながら僕はイナの体を擦り続けた

なんで?!なんで捉まえといてくんないの?
なんでまたヨンナムさんに会わせようとするの?

「…イナ…ダメか?ほんの…たまにでいい…相手してやってくんないか?」
「…ひっく…」

俺はテジュンを見つめた
…俺を試そうっての?

「…なんで?…俺が…怖いって言ってるのに…」
「あいつは…お前を…友達として好きなんだ…とてもとても…嬉しそうだったんだ…。僕が奪っていたその歓びを…あいつに返したい」
「…奪ってたって…」

ああ…彼女の事を黙ってたから…
だからあの人は鎧を身につけてそれで… 
テジュン…お前…

「お前って…従兄弟思いなんだな…テジュン…」
俺の事よりも…

「ごめんイナ…。あいつのあんな笑顔…ほんとに何年ぶりに見たろう…。もっと笑わせてやりたいんだ…ダメか?」
「…わかった…」

俺はヨンナムさんに…会いたい…
…でも会いたくない…
テジュン、ヨンナムさんに会っちゃうと俺、俺…

「…ほんとはヤなんだから…会いたくなんか…会いたくなんかないんだから」
会いたいんだ、ずっと一緒にいたいんだ…

「解ってる…ごめん…でも…お前にしか頼めない…」
よかった…嫌がってる…
こんな事を確かめている僕はずるい男だ…
でも…よかった…ああよかった…

「キ…スして…」

泣きじゃくりながらテジュンにしがみつく
俺が安心できるのはテジュンの胸の中だけだ
俺のいるべき場所はテジュンの心の中だけだ
俺はそれを知っている
キスされて抱かれて穏やかな気持ちになる

けどテジュン…ヨンナムさんに会っちゃうと俺、どんどんヨンナムさんを好きになってしまう…
ごめんテジュン…
お前に縋って泣きながら、お前に抱きしめられて安らぎを覚えながら、ヨンナムさんの事を考えている俺は
なんて汚い男なんだろう…
お前が好きだ
ヨンナムさんが好きだ…

お前…こんな俺に…そんなパスを渡していいの?

今解った…
俺はお前もヨンナムさんも傷つけたくないと言いながら
『友達』という隠れ蓑の下で
二人を裏切るんだ…

お前もヨンナムさんも…失いたくない…

俺はお前を裏切って
俺はヨンナムさんを裏切って
俺は俺を裏切って
全てを側に置いておこうとしている…

なんて汚い男なんだろう…

深い口付けを交わしたあと、俺は『お前を世界一愛している』という仮面をつける
…行こう、ヨンナムが朝飯作ってくれてるから…うん…
返事をしたあと、俺は『ヨンナムさんの友達』というパスをぶら下げる
俺は二人を守りたいと言って、俺の心に背いている
そうすれば…なにもかも…うまくいく…
俺の心なんて…他愛もない…
さっきまでぎくしゃくしていた俺の体が、心を丸めて捨てた途端、なめらかに動く

「おはようイナ。昨日ごめんな…。僕大迷惑だったろ?」
「ほんとだよ!タクシーで寝ちまうし降りないし、寝てるくせにタクシー降りる前にわざわざ靴脱いじゃうし!
ぐでんぐでんで重いしもう…」
「…ご…ごめん…」
「ヨンナムさんと二人でなんて絶対飲みに行かない!」
「…ええぇ…」

なめらかに動く舌。すらすらと出てくる親しげな言葉

「そうだよヨンナム、やっぱアルコール入るとお前は危険だ!」
「テジュン~…」
「イナと飲みたいなら、僕も交える事!いいな!」
「…えぇぇ…いなぁ…」
「てじゅもいっしょなら…たまにはいい…」
「…。僕そんなに酒癖悪いのぉ?」
「「そっ!」」

三人で笑った
テジュンは俺を優しく見つめて声を出さずにコマウォと言った
俺は口元で笑ってそれに応えた
心を捨てたから…もう何も感じない…
それでも俺は…二人を失くしたくないんだ
俺にこんな真似ができるなんて…
俺、こんな器用な男だったなんて…

引きちぎって丸めて捨てたから心は痛まない
チクチクするのは引きちぎられた傷口だ
一生膿み続ける傷口だ…
構わない…二人とも…欲しいから…

ヨンナムさんが微笑む
俺も笑顔を返す
テジュンが俺の腕を突く
甘えた目でテジュンを見る

こんな事ができるなんて…
ああなんて汚い男だろう…俺は…


替え歌 「Friend」 ロージーさん

微笑みさえ浮かべたまま
からだの奥をそっと
いま涙がおちてゆく
つめたくなる 指・髪・声
すべてをあざむいても
守りたいものがある
そう Friend
あなたとは Friend
はじめから Friend
上手くやれる

想い出にはできないから
この仮面をつけてまでも
そばにいたいから
もう Friend
いまからは Friend
このままで Friend
笑いあって

そう Friend
心から Friend
いつまでも Friend
あなたは
Friend

(安全地帯『 Friend 』)


千の想い 8  ぴかろん

おかゆを流し込んだ後、まだ頭が痛いと言うヨンナムさんにテジュンと二人で寝てろと言った
ヨンナムさんは素直に部屋へ戻っていった
俺は食器の後片付けをした
何かしていないと落ち着かない
洗い物をしている俺をテジュンが背中から抱きしめる
テジュンの唇が首筋を這う

いつもなら抵抗するのに
俺にその気力は残っていない
欲しいならどうにでもしろよ…
せめてお前の望み通りのイナになってやるから…

「ありがとうイナ」

肩を抱きしめたままテジュンは呟いた

「…片付け終わったら…送るよ…お前、あんまり寝てないだろ?」
「…お前こそ…」
「僕…今さ、新しい研修の準備に追われてて仕事の時間が不規則なんだ…。何時に終わるかとか、いつ帰って来るのかとか…てんでわかんない…
ごめんな…寂しい思いばかりさせている…」
「…わかってるから…気にするなよ…。お前こそ寝てないんだろ?俺、歩いて帰る。その方が酒、抜けるだろ?な?」

明るく答える俺
謝ってばかりのテジュン

洗い物を終えた俺は、しつこく「送る」というテジュンを先に部屋に返し、それから振り返らずに外へ出た
大通りに出てやっと息がつけた
ゆっくりと歩いていく
宙に浮いた俺の感情が、風船のように糸をつけたまま、俺の頭の真上に、いくつもいくつも浮いている
俺の後をついてくる
どうしてまだ切り離せないんだろう…
肝心なものは捨てたのに…

「あ…根っこ…」

…テジュンが張った根っこが…残ってるの?
そんなはずないよ…

何も感じないはずなのにまた涙が溢れ出す
歩きながら俺は、放り出した数々の事を考えていた

きっと…
二人ともを欲しがってるから…
きっと俺は…
全てを失くすのだろう…
そうなったら…どうしよう…

一番大切なものを
俺は切り捨ててしまった
だからもう…どうなったって…どうでもいい…

RRHに着いた
アンドルーさんに笑顔を向けてエレベーターに乗り込む
40階の扉が開き、誰もいないリビングを突っ切って俺は自分の部屋へ急ぐ
部屋の前に塊がある
蹲っているラブだった

「…何してるんだよラブ…」
「…あ…イナさん…」

顔を上げたラブは、まだ酔いが残っているのか薄ボンヤリしていた

「…なんでこんなとこにいるの?ギョンジンと喧嘩でもした?」
「…イナさんを待ってたの…」

蹲ったままそういうラブを引き上げた
立ち上がる時、ラブは顔を顰めた

「ん?頭痛いの?」
「…ん…」
「寝なきゃ…ほら、ギョンジンの部屋に帰れよ」
「…あるけない…」

目を瞑って呻くラブ
手を離すとそのままぶっ倒れそうだ
俺はため息をついてラブの肩を支え、ギョンジンの部屋まで連れて行った

「お前の彼氏はこういう時冷たいんだな」
「…イナさん…大丈夫?」
「俺の心配より自分の体心配しろよ!バカなんだから!」

ギョンジンの部屋を強くノックした
程なくドアが開いてギョンジンがまっすぐに俺を見つめた
その視線がちりちりと痛くて、俺はとっさにラブの方を見た

「ちゃんと管理しろよ!大事なダーリンだろ?喧嘩なんかすんなよ!」
「…喧嘩してないけど…」
「じゃあなんでこいつ俺の部屋の前にいたのよ!」
「動かないんだもん仕方ないでしょ?」
「…」
「入って。ベッドに寝かせてやってよ。お前のこと気にしてたからさ、ラブ」
「…あ…。ああ…」

俺はラブを引きずるようにしてベッドまで運んだ
心配してくれたのか?…余計なお世話だぞ…ラブ…
ベッドのふちに座らせ、そのままゆっくりと寝かせる
ラブは顔を顰めながら横になった
そう言えば随分顔色が悪い

「…吐いたのか?」
「昨日、帰り道にね」
「なんですぐに寝かせない!」
「ここに帰ってきたとたんお前の部屋の前から動かなくなった」
「せめて一緒にいてやれよ!」
「一人にしてって言われた」
「…心配じゃないのか?」
「様子は見てたよ。何か飲む?」
「…落ち着き払ってやなカンジだなぁお前」
「そう?ラブ、何か欲しい?」

ギョンジンは普段と全く変わらず…いや…普段よりずっと落ち着いてラブに対応していた
ラブは横になったままで答えなかった
ちょっと待っててねと言ってギョンジンはキッチンへ向かった
俺はラブの横に座り、苦しそうにしているラブの頭をそっと撫でてやった

「お前…なんで俺の事気にするのよ…ばか…」
「…ごめんね…役に立たなかった…俺…」
「…ラブ…謝るのは俺の方だ…祭のときの事、俺ちゃんと謝ってないような気がする…ごめんなラブ…」

ラブは目を開けて俺を見つめている
綺麗な瞳だね…
涙が溜まってる

「なんで…泣いてるの?」
「…イナさん…苦しそう…」

俺は…俺はもう…

「苦しくないよ…。なんとかいけそうだもん俺…」
「辛い道…選んでない?」

…突くなよラブ…
楽な道選んだんだから俺…

唇を噛みしめてラブを見つめた
ラブの瞳から涙が零れた
指でそれを拭ってやる
ラブが静かに泣いている
俺の代わりに泣いている

「お前…可愛いな…」
「…」

ラブの頬を撫で、俺はラブに唇を寄せた
泣くなよ
誰もそんな事頼んでないだろ…
俺の事なんか気にするなよ…
もう…気に留めないでくれないか?

人を思う気持ちも、自分を思う気持ちも、どっかに行った
だから俺の事はいいんだ…
お前の事も…もういいんだどうでも…
誰がどうなろうともうどうでもいい…
ただあの二人が俺のそばにいてくれたら
笑っててくれたらもうどうだって…

ラブの唇を吸った
ラブは呻いている
目を開けて夢中でキスをする俺
苦しそうなラブの顔
抵抗できないんだろ?
頭が痛いんだろ?
なんで俺の部屋の前なんかにいたのさ…
もう心配なんかするな
俺はお前まで踏みにじってしまう…

苦しげなラブに執拗にくちづけた
抵抗しろよ…できないのか?
唇から唇を離し、首筋を吸う
シャツのボタンを外してラブの肌に吸いつく…
ラブは震えて泣いている
静かに泣いているだけだ…
肩をはだけさせ、唇で入れ墨に触れる

「…イナさん…」

小さな声が耳に届いた
その響きが俺を止めさせた
どうして?
心を捨てたのにどうして?
なんでまだ涙が流れるの?
なんでまだ悔やむの?
どうして俺を突くの?

弱々しい腕が俺の背中を抱きしめる
感じないはずの鈍い痛みを俺は感じている
こんな俺をどうして受け止めてくれるの
なんでお前はそんなに優しいの
ラブに柔らかく抱きしめられて俺も静かに泣いた


僕たちの物語 6 れいんさん

公園の帰り道、肩を並べてマリアと歩いた
通りには春を待ちわびる街路樹たち
僕たちは押し黙ったままそこを歩き続けた
あの角を曲がったら寮はすぐそこ
僕は信号を渡り、君はそのまま真っ直ぐに通りを抜ける
あの信号から先は僕たちはそれぞれの道を歩く
君とこうして歩くのはこれが最後なのかな・・

ねえ、今、何を考えている?
どうして何も話さないの?
彼女の瞳を見れなくて俯いてしまう僕

角を曲がったところで僕の腕に彼女の腕が絡みつく
切ないよ・・マリア・・
君に触れれば触れるほど・・
君も同じ気持ちでいるの?
あの信号がずっと変わらなければいいのに・・
僕はまたそんな事を思ってしまう
・・もうよそう
僕の心は決まったはずだ
もう揺れちゃいけないんだ

信号のところで足を止める
赤信号がぼやけて見える
絡みつくマリアの腕に僅かに力がこもる
寄り添う彼女の体温が僕の心を締め付けた

お願いだ、そんな顔しないでくれ
僕の温もりを覚えていたいの?
それとも僕の言葉を待っているの?
「さよなら」じゃない言葉を・・
「君といたい」
そう言ったなら君はどうする?
僕はどうなる?
あいつは・・どう思う?

バルコニーの冷え切った床に座り込んだままぼんやりしていた
ふと我に返り、そんな事してる場合じゃないと気付いた
もうすぐドンヒが帰ってくる、あの子と一緒に
なのに俺がここにいちゃマズイ
俺はすぐさまここを出て、自分の部屋に駆け込むつもりだった
だけど・・もう遅かった

玄関の扉が開く音がした
ど、どうしよう・・
どこかに隠れなきゃ・・
咄嗟に俺は寝室のクローゼットに飛び込んだ

狭くて真っ暗なその場所
まだ暗闇に目が慣れない
ハンガーパイプに掛けてある服を移動し、立てるだけのスペースを確保する
隙を見てとそっと抜け出し、どうにかして俺の部屋に戻らなければ・・
全神経を集中して部屋の様子を伺った
話し声や物音は聞こえない
ドンヒ達がどの部屋にいるのかわからない
帰って来たのは間違いないと思うけど・・
その時俺はまだ、そこに隠れた事を後悔するとは思ってもいなかった

カチャ・・
寝室のドアが開いた
闇の中で息を潜めた
ここにいる事は絶対に気づかれないように・・
静まれ、俺の心臓・・
その鼓動が外に聞こえやしないかとにわかに緊張が走る

ギシ・・
ベッドのスプリングの音一つにも俺は飛び上がりそうになる
なんで俺・・こんなとこに隠れたんだろ
帰宅するなりすぐに寝室に来るなんて思わなかった
まずい展開になりそうな予感がする
だけど今ここから出るわけにはいかない
ドンヒとあの子が寝室を離れた隙に、そろりと部屋を抜け出す事だけを必死で考えていた
でも・・
二人揃って寝室に来たって事は・・
寝室に来てする事っていったら・・
って事はつまり俺は、コトが済むまでここから出られない?
ここで息を殺したまま、色々な音や声を聞くはめに?
頭の中がそんな想像でいっぱいになった

ギシギシ・・
またスプリングの軋む音がした
続けてドンヒの声が聞こえた
「こっちへおいで」
・・!
「なんだ・・冷たいな・・いいからこっちに来いよ」
ま、まずい、非常にまずい
思った通りだ
早速あの子を誘ってやがる
お茶ぐらい飲んでからにしろよ、このスケベ野郎め
相手は無言だ
そりゃそうだよな、こんな日の高いうちから・・
恥ずかしがってんのに、無理に誘うなよ馬鹿!

「どうしたんだ?・・寂しいじゃないか」
何やら動く気配とともに、ベッドの軋む音が微かに聞こえた
どうやらあの子がベッドに腰掛けたらしい
ああもう、どうすりゃいいんだ・・

「いい子だ」
「あんまり焦らすなよ」
「震えてる・・寒いのかい?」
お、おいっ・・
「柔らかくて温かかくて・・気持ちいい」
げげっ・・
「あっ・・馬鹿・・よせよ、くすぐったいだろ」
ひぃっ・・
「こら、そんな風にすると痛いじゃないか」
あう・・もしかしてあの子・・わりと積極的?
「あはは、参った参った、降参だ。大人しくするよ」
ううう・・馬鹿馬鹿ドンヒの馬鹿っ
「ああっ・・上に乗るなよ」
な、何っ?う、上っ?
「あ・・どこ触ってるんだ、やめろよ」
も、もしかして・・もう始まるってのか?
「ああ・・」
な、何だ?そのヘンな声は!
うわっ!も、もうダメだ!聞いてられないっ
これ以上はもう無理っ!


バターーンっ☆
たまらずクローゼットのドアを開けた
邪魔しちゃ悪いと分かっていたが、この際仕方なかった

「うわっ!・・ホ、ホンピョ?」

ギュッと瞑っていた目をおそるおそる開けてみた
そこにはあられもない姿で絡みつく男女の姿が・・あるはずだった
が、俺が目にしたのはベッドでじゃれ合うドンヒとブルーだった


Burden  オリーさん

「スヒョンさん、ちょっと元気がないけど」
何枚かの契約書の最後の一枚にサインを終えたと同時に監督が口を開いた
まるで待っていたかのように
「さっきそこで会いました。ちょっと疲れてるみたいです」
「それだけ?」
「たぶん。それ以上何か?」
探るようなシン監督の視線を捉えて僕は答えた
だが頭の中では踊り場で無理に微笑んでいたスヒョンらしくないスヒョンの顔が浮かぶ

やはりドンジュンと何かあった・・
昨夜、ドンジュンとミンはジホ監督に呼び出された
遅くに帰ってきたミンは何も言わずそのままベッドにもぐりこんで寝た
朝になっても口数は少なく、ミンにしては珍しく僕が出かける時にもまだパジャマを着ていた

「タイアップの話も決まってね」
監督の声で我に返った
「タイアップ?」
「ブライアン・ウィーバーのセーターで売り込もうって作戦」
「あのイギリスのニットブランド?」
「ジンの着るセーターをジンブルーってネーミングでCMを流すの」
「それはすごい。いい宣伝効果になりますよ」
「でしょう?映画の事は触れずに、ただジンが着るジンブルー。
君の音楽とも連携して、効果的に演出する作戦なんだ。映画の宣伝をしないでする」
「やりますね。じゃあ僕も頑張らないと」
「君もヒョンジュのセーターで出てみる?」
「それはだめです。ジンが主役だ。主役一本で絞らないと企画がぶれます」
「ふふ、そういう事はわかるのね」
「は?」
「いえいえ。でね、スヒョン君にも色々負担がかかるのが気になって。
さっきもちょっと話したんだけど、マネージャーもつけたくないって言うんだ」
「わかりました。ブライアン・ウィーバーとの契約には、誰かウチからつけてもいい。
ちょっと話してみます」
「悪いね」
「いえ。じゃあ僕はこれで」
僕は腰を浮かせた

「ああ、それから・・」
監督の言葉に僕はまた腰をおろした
「まだ何か?」
「台本にちょっと手を入れた。新しいのを持って行って読んでみてください」
「変更ですか」
「ヒョンジュの背景とウナさん役の名前をちょっと変えた」
「はあ」
「まあ読んでみて」
「わかりました」
渡された台本をはらはらとめくりながら
僕は気になっていたことを思い切って監督に聞いた
「監督・・」
「何?」
「ヒョンジュは僕でよかったのですか?」
「今サインしたでしょ。もう遅い」
「いえ、そうじゃなくて、僕のような素人で本当にいいのかと」
「君は素人だけど、僕はプロ。それで問題なし。素のままの君が欲しいんだ。
この意味がわかるかな?」
「何か特別な意味が?」
「自分をもっとよく見つめて」
「自分を?」
「そして理解して」
「・・・」
「そして受け入れる」
「僕が自分自身をわかってないと?」
「そうは言ってない。じゃあ質問を変えよう。君はどの自分が好き?」
「どの自分?」
「仕事してる君、恋人と甘い時間を過ごしてる君、疲れてイライラしてる君、
家に帰ってぼーっとしてる君。あらゆる場面の君を想像してみて、どれが好き?」
「・・・」
「わからない?」
「考えた事がありません。どれがいいかなんて」
「正解なんかない。どれでもいいんだ。君の事なんだから。
ただ君が自分を愛してるかって事、それがこの間からちょっと気になってね」
試すような監督の目がふっとなごんだ

「僕は・・」
僕自身を好きなのだろうか・・
監督の言葉にうろたえている自分に気づき、さらにうろたえた
「いや、君を追い詰めたりしてるわけじゃないんだ。自分の使う役者の事はわかっていたくてね。
僕の悪い癖。俳優は演技だけきっちりやってればいいだろう、なんて時々嫌味を言われる」
「そうですか」
「でも僕はそういう役者は使わないんだな、これが」
監督は愉快そうに笑った
彼は懐が深い
とぼけたり抜けたりしながら、きっちりと本質を押さえている
「僕はあまり自分のことは好きじゃないかもしれません。
正直考えたことがあまりないから」
監督は笑顔を僕に向けた
「ごめんごめん。そんなに深刻にならなくていいよ。
まいったなあ、こりゃ、僕もやられそうだ」
「え?」
「それが君なんだと思う。いいとか悪いとかじゃなくてね。
だから君の回りの人間は君をほっておけない」
「手がかかるって事はよく言われますよ」
「例の恋人に?」
「まあ・・」
「そうか。そりゃいいね、安心した」
「そうですか?」
「あまり肩肘張らずにやってみたらいいよ。リラックスしすぎても困るけどね」
「わかりました」
「君にとって自分を見直す機会になるかもしれない。だとしたら僕も嬉しい」
「はあ」
「それに僕はこの映画に賭けてる。もちろんヒット作にしたい、でもそれが目的じゃない。
撮りたい物語があってそれを撮る。それだけなんだけどね」
「・・・」
「人生いつ終わるかわからない。だからいつも走っていたい。出来る限りの力を出して。
それが生きてる者の務め、そんな風に思ってる。ハハッ、ちょっとカッコつけすぎかな」
監督が大きく顔をくずして笑った
でも僕は監督の目が笑っていないことに気づいていた
彼も何かを抱えているのだろうか
たぶんそう・・

「じゃあ、台本を預かって行きます。何かあったら連絡をください」
「わかりましたぞ。それではよろしく、ヒョンジュ殿」
監督はまたおどけて僕に笑顔をふりまいた
僕は挨拶をして監督のオフィスのドアを開いた

部屋の外に出て大きく深呼吸した
「君はどの自分が好き?」
監督の言葉が頭から離れなかった
僕は一体・・

ビルの外に出ると、風が冷たく日暮れが近い事に気づいた
あわててコートの襟を立てた
その時、向かいの植え込みからすっと黒い影が現れた
見覚えのあるその影を見て僕は小さく呟いた
「ミン・・」
「待ってたんだ。もうそろそろ出てくる頃だと思って」
はにかんだ笑顔のミンが僕に近づいてきた









© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: