「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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ぴかろんの日常
リレー企画 240
訪問者 6 オリーさん
「ちょっといいですか」
「何か?」
「カウンターにいる客の事なんですけど」
控え室に入ろうとした僕の腕を引く者がいた
ソクさんだった
「ギョンビン君ご指名の」
「ミンの?」
ソクさんは端的に状況を教えてくれた
素晴らしく綺麗な子だけど、素晴らしく根性もいいですよ
ギョンビン君が切れる前にお願いします
ソクさんは言い残して裏口から店に戻って行った
さすが機敏な動作は天下一品
撮影初日
カメラのこちら側から歌手を見たことはあるが
カメラに映される側は初めての経験
思いのほか強い照明にさらされ、
物語と現実とが混沌とする緊迫する現場
監督の一言一言に緊張、集中、当惑の連続
予想以上に神経を使った初めての撮影だが
スヒョンの一言で何かが変わったような気がする
打ち合わせが残っているというスヒョンを残し
先に店に着いた僕は、いきなり現実の世界に戻った
店に入ると、フロアを回っていたソヌさんが合図する
やはりカウンターの方を顎でしゃくって
僕は軽く頷いてカウンターに入った
「こんばんは」
わざと二人の間に入った
ミンはちょっと驚いた様子
そして問題の客は確かに素晴らしく綺麗だ
「初めてですね?」
その綺麗な顔に聞いてみる
「先生のところの学生さんです」
ミンが横から答えた
すかさず反対から声が聞こえた
「ワインバーグ先生ですよ、先生のことご存知?」
振り返ると青年の瞳が好奇心で輝いている
僕はそれには答えず
ミンを移動させ二人の真ん中に座った
「ちょっと喉が渇いてしまって。ビールもらってもいい?」
綺麗な客はどうぞと、にこやかに笑った
すぐにソクさんがピルスナーグラスを手元に置いてくれたので
僕はそれを一気に飲んだ
「いい飲みっぷりだなあ」
横から青年が声を上げた
そうだろう?
そう見えるように飲んでるんだ
グラスを空にした僕は
一息ついてから青年を振り返った
「自己紹介が遅れましたね。イ・ミンチョルです」
「はじめまして、僕はファン・ミンス。あなたがRRHのもう一人の住人だね」
「RRH?」
「実物の方が写真で見るより素敵だな」
「写真?」
「ほら、これ」
青年は革ジャンの内ポケットから
紙切れを取り出しカウンターの上に置いた
それは写真でRRHの正面玄関から出たばかりの
僕とミンが写っていた
「これは・・」
「ふふ、どう?」
青年は嬉しそうに僕の顔を覗き込む
僕はその写真を手に取った
脇のミンが動く気配がしたので
その腕をそっと押えて僕は聞いた
「どういうこと?」
「だからぁ、ギョンビンさんをちょっと調べてみたの。
そしたら、こんな楽しいこともわかっちゃって、ふふっ」
綺麗な笑顔だ
その言葉さえなければ
僕はその写真をもう一度見た
望遠でかなりな精度の物だ
素人の仕事ではないだろう
「君が撮ったの?」
「僕じゃないよ。それ専門の人がいるでしょ」
「誰かを君が雇って?」
「そうだよぉ」
「学生なのに余裕があるんだね」
「僕じゃなくて父親がね。RRHに住めるほどじゃないけどさ」
「頼もしいお父さんだ」
「そうねえ、それだけは長所かな、あのオヤジの」
「なるほど」
「ねえ、よく撮れてるでしょう?」
青年は写真を覗き込んではしゃいだ声を出した
「確かによく撮れてる」
後ろから突然声がして、するりと手から写真が抜き取られた
お兄さんだ
「ピントもばっちり合ってる。RRHの正面玄関かあ、いやあ見事な盗撮だ」
青年は声の方を振り仰いだ
「やだなあ、盗撮だなんてはっきり言っちゃって。あなた誰?」
「僕はこの見事な被写体の身内だよ」
「え?」
「ギョンビンの兄、ギョンジンです。よろしく」
「お兄さんなの?」
「お見知りおきを」
「ふうん、そう言えば似てる」
青年はお兄さんとミンの顔を交互に見比べた
「かっこいい兄弟だねえ」
「そりゃどうも。君も素晴らしくカッコいいよ」
「そんなことないんだなあ・・誰かさんには敵わないみたい・・」
青年はチラッとミンに視線を流した
お兄さんは写真をひらつかせて言った
「それより今度盗撮する時は、僕も撮ってほしいな。一応僕もRRHの住人だし」
「え?」
「弟やミンチョルさんと一緒に撮った写真ないからね」
「あなたも撮られたいって?」
「あっと撮る時は撮るって教えてほしいな。ポーズ取れないから」
青年はカラカラと笑った
「そりゃいいや。これから盗撮しますからポーズ決めてくださいって言うの?」
「そうさ。撮る側の礼儀だろ」
「内緒で撮らなきゃ意味ないじゃん」
「確かにそうだ。無礼この上ないやり方だね」
「無礼?」
途端に美しい瞳が険しい光を帯びた
「おっと君がやったわけじゃないんだろう?
無礼な事を頼んだだけだもんね。ちゃあんとわかってるさ」
その声にわずかだが凄みが混じる
青年の顔がさらに険しくなった
お兄さんは頓着せずに写真を僕の手に戻して愛想よく微笑んだ
「とにかく、次回は僕をお忘れなく。それじゃ、どうぞごゆっくり」
青年は鋭い目つきでその後姿を見送っていたが
ふいにミンを振り返り、また笑顔で言った
「大したお兄さんですねえ。一緒に暮らしてるのは知らなかったなぁ」
「そこまでは調べなかったのかな?」
ミンが言い返すと
「あちゃ、やられちゃったなぁ」
とまたカラカラと笑った
それから突然殊勝な面持ちを作って
無礼なまねしてごめんなさいと、ぺこりと頭を下げた
僕とミンは思わず顔を見合わせた
だがそれもほんの一時
次に顔を上げた時には元の笑顔に戻っていた
「でもやっちゃったことは仕方ないよねぇ、ね?」
カメレオンのようにクルクル変わる態度
懲りない性格のようだ
お兄さんの援護射撃を無にしては申しわけない
僕はミンに言った
「そう言えば、二人で撮った写真はまだなかったね」
ミンはちょっととまどった顔をした
「ファン君と言ったかな、この写真を僕にくれないかな。
RRHも写ってるから記念になる。ね、ミン?」
僕はミンの首すじに手を置いた
「欲しいならどうぞ。何枚かあるけどそれが一番よく写ってる」
青年がちょっと不満そうな声を出した
「ありがとう。ほら、記念だ」
僕はそう言ってミンに写真を渡した
「望遠じゃなくてちゃんとしたのを撮りたいね」
ミンが言った
「ああ、そのうちに。それまでこれで我慢しておこう」
「そうだね」
「いい子だ」
僕とミンは顔を見合わせて笑った
隣からちょっといらついた声がした
「ねえ、さっきの質問にまだ答えてないよ」
「えっと、何か聞かれてたかな?」
「ワインバーグ先生のこと知ってるの?」
「エリックなら友人だが、それが何か?」
「そんな仲なの?」
「そんな仲って?」
「ファーストネームで呼び合う仲なの?」
「あちらがそうするから、合わせてるだけだよ。
外国の人はよくそうするだろう?ミンは先生って呼んでる、ね?」
僕はまたミンを見て笑った
「いつ会ったの?」
「君はほんとは探偵みたいだね。写真といい、質問攻めといい」
「そんなこと・・ないよ」
「ミンが仕事でイギリスに行ってる時に、それが最初だな」
「あなたもイギリスに行ったの?」
「ああ。その後ここのクリスマスパーティに来てくれたね」
「あの時に大学を下見したんだよ」
ミンが相槌を打つ
「残念ながら今回はまだ挨拶してないな、お互い忙しくて。
韓国料理をご馳走したいと思っているんだが」
「僕がこの間食べさせました」
「そうだった。あの時、僕はいなかったからね。残念だった」
「また次の機会に」
「そうだね。調整してみてくれ」
「わかった」
青年は細い指でグラスの氷をつつきながら呟いた
「何だ、先生のこと知ってた・・のか」
「それが何か?」
「別にぃ。ちょっと当てがはずれたかなぁ・・」
言いながら彼は目線を上げ、こちらを見た
切れ長の瞳がきらきらと照明に映え、やはり美しい
「どういう意味?」
僕は腰に片手をあて、わけがわからないという素振りをした
「先生とあなたの隣の人があやしいって踏んでたんだけど」
「僕の隣の人?」
僕は大げさにミンを振り返った
「先生とあやしいのか?」
「いいかげんにして」
「本人はこう言ってるけど」
「ふうん・・」
青年の瞳は見る間に輝きを失った
子供がいきなりおもちゃを取り上げられたような・・
「何か不満そうだね」
「そんなことないけどさ」
「ラッキーだと思うよ」
「ラッキー?」
「もし本当にミンが君のライバルだったら、相当手ごわいからね」
「・・・」
「それは僕が保証する」
「それどういう意味?」
隣からミンが声をあげた
「だってミンは頑固で厳しいもの、敵に回したくない」
「敵に回すだなんて・・バカみたい」
「そのバカみたいなのを好きなのはどこの誰?」
「もうっ」
僕はもう一度ミンの首すじに手をあて軽く抱き寄せた
その時、グラスが三人の目の前に置かれた
「チャールズ・ディケンズはいかが?私からのサービスです」
「ディケンズ?ドライマティーニでしょ、これ・・」
ミンが尋ねた
「やだな、ギョンビン君知らないの?」
「はい?」
「文豪ディケンズの代表作は?」
「二都物語?」
「ブーっ!」
「オリバー・ツイスト?」
「ビンゴ!」
「それで?」
「まだわからないのお?もうっ」
「だって・・」
「マティーニの中にはオリーブをツイストして入れるでしょ」
「ええ・・」
「オリーブをツイスト・・オリーブツイスト・・オリバー・ツイスト・・うはははっ!」
「・・・」
「だめ?」
「説明が長すぎます」
「ダメかあ・・ところでお味の方はいかがです?ジンを控えめにしてみたんだけど」
「飲み口が柔らかくて美味しいよ」
「ふふん、ありがとうございます」
「カビのはえたような作家は嫌いだな」
僕らの会話を遮るように青年が声を上げた
カウンターの上を突風が吹いたようだった
「オリヴァー・ツイストは貧乏くさいしね」
そう言って一息にグラスをかたむけた
「悪くないけど、僕は思い切りドライが好きだな」
「それは失礼しました。お客様に合わせたつもりでしたが」
「僕にカクテルを教えてくれた人はね、マティーニは思い切りドライで、
オリーブは別に食べる、そういう人だったの」
「それはそれは。どんな方なんでしょうね」
「あなたに関係ない」
「立ち入った事をお聞きしました」
青年はグラスをソクさんの方へ押し戻すと立ち上がり
チェックして、とつっけんどに言った
カウンターの中でソクさんが小さくうなづいた
僕とミンは突っ張った青年を見送るため店の出口までつきそった
青年は出口の手前で振り返った
「また来てもいいよね?」
その声にはかすかに媚びるような響きがあった
「もちろん、いつでもどうぞ。ただし・・」
「何?」
「今度はお父さんが一緒だといいね」
「オヤジと?」
「気前がいいみたいだから」
「わかったよ。オヤジは勘弁だけど、ボトル入れてあげる」
「それはどうも」
「コートをお忘れですよ」
ソヌさんが後ろから声をかけた
「どうぞ」
青年はソヌさんを見て愛想よくにっこりと頷いた
「ありがとう。あなたとってもイケてる」
「それはどうも」
ソヌさんもにこやかに青年にコートを着せた
「それからプレゼントがあります」
「何?」
「君の写真」
「え・・」
「あんまりイケてるので撮らせていただきました」
ソヌさんは写真を一枚差し出した
カウンターで微笑む青年が写っていた
「何枚かあるけど、それが一番いいです。記念にどうぞ」
青年の顔がまた険しくなった
「仕返しってわけ?」
「とんでもない。お客様へのサービスです」
「客相手に随分なことする店だね」
「お客様に合わせたサービスを心がけておりますので」
ソヌさんは唇の端を軽くあげ、口だけで笑った
「さっきの言葉取り消すよ」
「はい?」
「あなためちゃイケてるっていうの」
「残念です」
ソヌさんは引き続き口元だけで微笑んでいる
それを見た青年はふいにまた顔を輝かせた
「イケてる上に切れるんだね。どう、僕の仕事やらない?」
「仕事は選ぶタイプなんで」
「ギャラならはずむよ」
「お金には困ってませんので」
「そっか、残念だな」
青年はちょっと口をとがらせた
それから笑顔で僕たちを振り返った
「それじゃ。ギョンビンさん、彼氏とそのまま仲良くしててね」
最後にばか丁寧なお辞儀をしてくるりと踵を返した
その後姿を見ながら、ソヌさんが口を開いた
「何だ、あれ」
「さあ・・よくわかりません。写真、早業でしたね」
「ふふん。ちょちょっとね。でも若造があんなコート着てるなんてね」
「どこの?」
「ディオール。最高級のカシミア、あんなに質感があるけど羽のように軽い。
欧州の金持ちがビジネスの時好んで着るタイプだ。しかも仕立てたもの。
まあ仕立てたわりにはサイズが合ってなかったけどね」
僕らはソヌさんの説明を聞きながら青年の消えた出口をしばらく眺めていた
その時、僕はもちろんミンでさえ、その青年の本当の姿に気づいてはいなかった
千の想い 192 ぴかろん
「あった!あそこ!」
「屋台?」
「ラポッキ、食べよう!」
「ラポッキ?」
「トッポッキにラーメンの麺混ぜたやつ!きひっ」
「…嬉しそうだね…」
「オデンもいいな…ウナギもいいな」
「…」
「食欲ない?」
「いや…俺そのラポッキだけでいいや…」
「お前飲んでもいいよ。僕は車だから飲まないけど」
「…いい…悪酔いしそう…」
元気のないイナ
今から僕が元気にしてあげる…ね?
イナの頭をスリスリしてやると、イナは変な顔をした
*****
「さ、座って。まぁ一杯ぐらい飲めよな?」
「いいって…」
「僕の酒が飲めないのか!」
「…」
「アジュンマー、焼酎1本とラポッキとぉウナギとオデンっ」
「…。そんなに食うの?」
僕は笑ってイナの顔を見た
「なんで元気ないの?パンのせい?」
「…」
「気持ち、言わないからだ」
「…また…。もういいよ…」
「テジュンを思ってましたって素直に言えよ」
「…ヨンナムさん…」
アジュンマが持ってきた酒をイナに注ぐ
僕は車だからな…車だけど…うむむ…ソクさん、迎えに来てくれないかな…
「ヨンナムさん、どこに電話してんの?」
「あいや、ちっとソクさんに」
「は?」
「あ、ソクさん?僕です。あのお願いが…」
ソクさんに電話したらブーブー言いながら、いたしかたないですなぁまったく!貴方が帰ってこないうちにスヒョクとキメようとしてたのにっ…と『口だけセクハラ』をかまして、それでも、迎えにいきますと言ってくれた
「さ、これで飲める♪」
「ヨンナムさん、この頃ソクと仲良すぎない?」
「うん。同じ顔の『同志』だから」
「同志?」
「そ…。さ、飲も♪」
景気づけに僕は酒を煽った
ちゃんと僕の気持ちをイナに話そう
そして…
「イナ」
「ん?」
「お前ね、悪い魔法にかかってるんだよ」
「は?」
「その魔法をかけたのは僕」
「…」
「だから、魔法を解いてあげるね」
「ヨンナムさん?」
「だけど、完全に魔法を解くには、かかった人も努力しなきゃなんないんだ」
「…」
「お前と僕にしかできないんだよ。いいね」
「…何言ってるの?」
焼酎の入ったグラスをイナのグラスにコツンとぶつける
飲め、と促し、同時に飲む
「よし。じゃ、解くか…」
「…なんなのさ…」
「テジュンに会いたくないか?」
「は?!」
「正直に言いなよ」
「…ヨンナムさん…」
イナは僕を訝しげに見た
「はいお待たせぇ」
アジュンマが頼んだものを次々と持ってきた
「先に食べようか」
「…ん…」
イナはラポッキを、僕はウナギをつまみながら酒を飲んだ
ずるずると麺を啜る音に誘われて、僕はその皿にチョッカラクをつっ込んだ
「ふむ?!」
「ちょっとちょーだいね」
「ふぁ?!」
麺と餅をかなりたくさん取ってやった
イナは僕を睨んだ
暫く食べている姿を眺めていた
イナは可愛い
可愛くていい奴だ
「大好きだよ」
口に出して言った
イナは餅を咥えたまんま僕を見た
「大好きだよ、イナ」
「…ん…」
「ずっと一緒にいたい。ずっとこうやって遊びたいな、お前と」
「…くふ…ぅん…」
イナは俯いて笑い、そして頷いた
俯いた表情がほんの少し翳りを帯びたのを僕は見逃さなかった
「お前は?どう?」
「え?…けほ…うん。一緒にいたいよ、ずぅっと一緒に…。楽しく…過ごしたいな…ずっと…」
どこを見て答えてるんだよ…ばか…
「そうだね、公園ばっかりじゃなくて、どっかに美味しいものを食べに行ったりさぁ、遊園地にも行きたいなぁ」
「…遊…園地…」
「それから…そうだ!カラオケ!」
「カラオケ?!」
「うん。みんなで行くの」
「みんなって…」
「みんなはみんな」
「…。ヨンナムさん…どうしたの?」
「イナ」
「はい」
「大好きだよ」
「…」
「ずっと一緒にいてほしい。僕を一人にしないでほしい」
「…うん…はい…」
「でもそれは『恋人』としてじゃない」
「…」
「『友達』として…一緒にいたいんだ、イナ、ずっとずぅっと…」
「…は?」
「お前の恋人は、アイツだろ?」
「は?」
「会いたいだろ?テジュンに」
「…ヨンナムさん…何言ってるのさ!どういう事さ!俺は…俺は貴方と…」
「嘘をつくなよ」
「…ヨンナムさ…」
「どうしてお前を抱けなかったか、どうしてお前が僕を抱けなかったか、わかんないか?」
「…」
「お前も僕も、その瞬間に見てたんだ、テジュンを」
「…ちが…」
「違わない。見てるのに無意識に掻き消そうとしてた…だからこんなにぐちゃぐちゃになったんだ」
「そんなの…そんなこと今更…」
「漸くハッキリしたんだ、僕の気持ち。そしたらお前の気持ちもよぉく見えるようになった」
「…は…」
「こんな風にしたのは僕だ。だから僕が魔法を解く。お前はテジュンのところに行けよ」
「い…行けるわけないだろっ」
「なんで?」
「い…」
「テジュンが好きなくせに」
「俺は…俺はヨンナムさんをっ」
「僕に恋してくれたのはちょっと前の事。違うか?お前言ってただろ?僕への気持ちとテジュンへの気持ちは少し違うって」
「それはあの時で、今は」
「今も変わってない」
「違うっ」
「違わない。隠すな。押し込めなくていい」
「…」
「僕に悪いと思わなくていいんだぞ、イナ」
「そんなんじゃないっ」
「じゃ、ラブ君?」
「…」
イナは公園でしていたように顔を覆って泣き出した
頑固な奴…
引っ掛かるの?ラブ君とテジュンのことが…
自分の電話を取り出してかけた
目の前にいるイナのジャケットの中から着信音が響く
イナは目を擦りながら電話を取り出し、画面を見て僕を見た
僕はイナの電話を素早く掴み、取り上げた
「なに…」
「泣いてろ、バカ」
「…」
電話帳を繰ってアイツに繋げ、イナの耳に電話を当てた
「だれにかけたの?!」
「解ってるだろ?」
「やめろよ!」
「ねじ伏せるな!押し込めるな!僕が捨てた鎧を拾うな!お前が言ったんだ、鎧を脱げって!」
「…」
「嘘ついたまま一生送る気か?!そんな事、僕がさせない!」
抵抗する腕を押さえ、僕はイナの耳から電話を離さなかった
*****
突然ヨンナムさんが訳の解らない事を言い出した
そして俺の電話を俺に押し付けた
コール音が切れ、受話器の向こうから懐かしい声が聞こえた
『…イナ…なの?』
「て…じゅ…」
『…。どうしたの?』
ぐちゃぐちゃの想いが流れ出していった
『イナ?イナ…泣いてるの?どうした?ヨンナムと何かあったのか?』
テジュンの顔が浮ぶ
テジュンの声が俺の中に溢れ出す
『イナ?イナ…』
「あ…い…たい…」
『え?』
「…あいたい…てじゅ…」
*****
突然イナから電話があった
泣いていると解った途端、僕は尋常でなくなった
ヨンナムが何か言ったのか?
どうして泣いているんだ?
必死で呼びかけた
イナが消えそうな声で会いたいと言った
クローゼットにかけてあるジャケットを取り出しながら、今どこにいるのか聞いた
『…わか…ない…』
「え?」
『わかんない…』
「ヨンナムは?一緒じゃないのか?」
ジャケットと部屋のキーを持って僕は慌てて部屋を出た
イナの居場所も解らないのに、とにかく行ってやらなくちゃいけないと思った
取り乱していた
嬉しいのか怖いのか解らなかった
『一緒にいた…今いない…』
「と…とにかく、そこを動くな!いいな?すぐに行くから!今すぐに行くから!」
『…てじゅ…』
「うん」
『あいたい…』
「イナ…。会いに行くから待ってて!」
エレベーターを待てなかった
非常階段を駆け下りながらヨンナムをコールした
「ヨンナム!」
『おう』
「イナはどこにいるんだ!」
『ふ。お前の泊まってるホテルの裏に公園があるだろ?そこの屋台に置いてきた』
「なんで!なんで泣かす!」
『テジュン、後は頼むな』
「ヨンナム!なんでお前」
『じゃあな』
「ヨンナム!」
その後何度かけてもヨンナムは出なかった
漸く地上に駆け下り、ホテルの裏にある公園に入る
屋台の灯に向かって走った
会いたくてたまらなかった
息を切らせて駆け込んだ屋台に、イナの姿はなかった
千の想い 193 ぴかろん
どこへ行ったんだ!
辺りを見回し、今突っ切ってきた公園に戻る
遊具のある子供の遊び場に行き、闇の中を探した
滑り台の下で蹲っている男を見つけた
僕の…
「イナ…」
大切な人が…そこにいた
抱き起こそうと傍に駆け寄ったけれど、その腕に触れることができなかった
「…イナ…どうしたの?ヨンナムとケンカでもした?ん?」
ゆっくりと
掌で顔を覆ったまま
頭をもたげるイナ
手を伸ばせば抱き寄せられるのに
僕は躊躇う
掌の仮面を剥ぎ取って
頬を伝う涙の滴を拭ってやりたい
簡単なことなのに
僕はそれができない
イナは…
ヨンナムの…
泣いているイナに触れられない
どうすればいいのか解らない
ただ会いたくてここに来た
会いたいと…イナがそう言ったから…
「電話くれたの…どうして?」
「…ヨンナムさ…かってに…」
「…会いたいって…言わなかった?」
「…う…ううっ」
「僕は…」
会いたかった…会いたかった、イナ…
「…僕の泊まってるホテル、すぐそこなんだ…。よかったら来ないか?」
「…」
「…部屋に来る?…お茶飲んで…少し話そう…。その後、送るから…」
「…」
「何も…。へ…変な事は何もしないから…。しないから…」
情けない
どうしてイナにこんな事言わなきゃなんないんだ…
「…ただ…話がしたいんだ…話…」
気まずくなって俯いていると、イナは涙を拭って立ち上がった
「…行く…。貴方の部屋へ…」
「…ん…」
抱き寄せて歩きたかった
僕はイナの数歩先を行き、イナは俯いて着いてきた
手を伸ばして掴みたい
伸ばした掌に捉まってほしい
そんな簡単なこともできずに
イナに想いだけを伸ばす
*****
会いたかった…
会いたかったのに会うのが怖かった
テジュンに会ってしまえば
俺は…
どうしてヨンナムさんはこんな事を…
テジュンを見ずに歩いた
縋りつきたくなるから
テジュンの部屋に誘われた
なにもしないからなんて言わせてしまった
端と端に別れてエレベーターに乗った
もしこのままこの箱の中に閉じ込められたら…
そうなったら…
扉が開いて、テジュンの部屋に案内された
「何か飲む?紅茶、コーヒー、ナツメ茶に柚子茶…全部インスタントだけどね、揃ってるよ。何がいい?」
「…なんでも…」
「…そ…か…」
お茶を用意するテジュンの姿を見ないようにした
部屋をぼんやり眺めた
ベッドが目に留まった
何歩か近づいて、二つ並んだ枕を見つめた
「イナ…お茶…」
*****
お茶が入ったと声をかけた時、イナはベッドの前で突っ立っていた
「イナ…ここに座って…」
イナはベッドを睨めつけてから、窓辺のテーブルに来た
「温まるよ。飲んで」
「…ありがとう…」
目が赤い
鼻声だ
何があった?
「ヨンナムは…お前を大事にしてくれる?」
「ああ」
「いつも一緒にいてくれるか?」
「ああ。優しくて可愛らしくて一緒に居ると楽しい…」
「幸せ?」
「…。ああ…。しあわせ…」
「ならなんで泣いてたんだ」
「…」
「なんでヨンナムはお前をほったらかしてどっか行っちゃったんだよ」
「…は…なしが終わったら…迎えに来て貰う…」
「…そう…」
「…電話…しなきゃ…電話…」
そう言ってイナは切羽詰ったように電話を取り出した
コール音が聞こえる
何度鳴ってもでない
「くそ!…」
イナは爪を噛んで携帯の番号を繰る
またかける
「もしもし、ヨンナムさんいるだろ?代わって」
*****
「なに?」
「代われって」
「いいよ」
「よくない。納得してないじゃんコイツ」
「…。テジュンが納得させるだろ?」
「あーもー。とにかく代わってよ、僕運転中なんだから!」
ソクさんが携帯を僕に寄越した
仕方なく出る
「なに?」
『迎えに来てよ!迎えに…』
「行かない」
『…なんっ…なんでっ!』
「今日は帰って来るな」
『ヨ…』
「帰って来ても鍵閉めてあるから入れない」
『なんでっ!なん…』
「ちゃんと自分の気持ち、伝えろよな?」
『俺は…俺はヨンナムさんと…』
「僕達は『友達』なんだ。『恋人同士』じゃない。解ってるだろ?何がひっかかるの?ラブ君とテジュンが寝たことか?」
『ヨンナムさん、迎えにきてよっ』
「あれは僕のせいだ」
『…』
「僕の魔法のせいであの二人は寝ちゃったの。お前にはそれを乗越える力があるの。ね?」
『魔法ってなんだよっ俺は何なんだよ』
「大事な友達だ。だからお前には幸せになってほしいんだ」
『ずっと一緒だって言ったじゃないか!なんでこんな事…』
「会いたかったんだろ?テジュンに…。じっくり話しろよ。な?」
『ない!話す事なんか何にもっはやく来てよはやく…あっ』
『ヨンナム!』
「おお…テジュンか」
『なんでイナを泣かす!なんでほったらかしにする!』
「…ふ…ふふ」
『なにが可笑しい!』
「僕が前に言ったセリフ…まさかお前に言われるなんてね」
『ふざけるな!お前…お前…』
「テジュン…」
テジュンの暑苦しい泣き顔が浮んだ
*****
目の前のイナを見ていられなかった
どうしてこんな姿を僕に見せる?
幸せなんじゃないのか?
その取り乱した声と震える体に僕は耐え切れず、イナが握り締めていた電話をもぎ取った
*****
テジュンが俺の電話を奪い取り、泣きながらヨンナムさんに怒鳴りつけている
手を伸ばせば触れられる…
なんでお前が泣いてるの?
なんで俺はここにいるの?
長い睫毛
柔らかな唇
しなやかな指
突然甦るテジュンの感触
『ちゃんと自分の気持ち…伝えろよな…』
ヨンナムさん…
俺も知ってる
自分の気持ちがテジュンにあること…
でも、それを伝えたら俺は…貴方を放り出す事になる
また一人になっちゃうじゃんか…
だって貴方にはラブもスヒョクもいないんだぜ…
どうするんだよ…
できないよ…俺…
訪問者7 オリーさん
カップの中でクルクルと小さな渦を巻く褐色の液体に
白い筋が螺旋を描いて吸い込まれるのを見つめながら
僕は昨日のことを思い出していた
店が引けた後
彼と控え室に入るとジホ監督が熱弁をふるっていた
「いやあ、そりゃあもういい出だしでね」
「現場もいい雰囲気でさ、シン監督の久しぶりの作品だから
スタッフも気合入ってるわけ」
「でもって主役と相手役の二人がど素人でしょ?
それがまた現場に緊張感与えるわけなのね」
「こいつら大丈夫かいなとか、こいつらの足らない分
技術でカバーしなくちゃな、とかまあいろいろね」
「でもチーフは大丈夫だろうって思われているんだけどね、
ほら、もう一人、不器用そうな方がいらっしゃるでしょ?」
「監督も内心は心配しててねえ。ちょっとぴりぴりしてたわけよ。
ところがね、開けてびっくり玉手箱とでも言いましょうかねえ、!
あの元チーフが案外器用なわけよ。意外でしょ?」
「そうなのよ、ここじゃ不器用で通ってるからね。
それが一回ダメだしくらっただけで、あとはほとんどおーけーぼくじょー、
なんちゃって、古くてダサイよね、わかってるって」
「よくこの役しかできないって役者いるじゃない、あれよ、あれ。
これしかできないけど、これだけは天下一品って」
「案外使い方考えれば、あの人いけるかもねえ。僕も使ってみようかなあ」
「え?何?後ろにいる?不器用が?・・・・あ、ども」
「どうも。今日はお世話になりました」
彼が苦笑いをしながらジホさんに挨拶した
「いやいやいやいや、とんでもない。僕の出番なかったじゃないのお。
すんごくよかったって、シンさんもびっくり・・じゃなくて、大喜び」
「不器用でご心配おかけしてます」
「いやいやいやいや・・それはその、ほら言葉のアヤってやつよ。
でもね、正直あそこまでやるって誰も思ってなかったからね」
「あの・・それはたぶん僕のせいではないでしょう」
「はい?」
「ダメだしの後で、スヒョンがアドバイスくれたんです。
それで、ちょっと考えてみたらあんな風に・・たぶんそのおかげかと」
「天使のちょっかいが功を奏したってわけね」
「ええ、まあ」
「そっかあ。前半は二人がメインだからお互い助け合ってやってくださいよ、ね?
おっと、ギョンビン君、今、目吊り上げた?」
「いえ」
「あっそ。気のせいならいんだけど。おおいっ、青年もどっかでふくれてないかぁ」
「ふくれてませんよぉ」
奥からドンジュンさんがほっぺを膨らませて顔をのぞかせた
みんながそれを見て大爆笑して一気に坐が和んだ
「ま、そんなこんなで初日は終わったわけよ。明日は野外ロケ」
「それっ見に行ってもいいよね?」
「落ち着きなさい、チョンマン君。特別に僕の許可があれば・・何とかねえ・・こほっ」
「監督、自分の映画と勘違いしてない?」
「ははっ、シン君の映画は僕の映画ってね」
「ちゃうでしょっ!」
またみんなが笑った
その時、スヒョンさんが顔を出した
「やあ、主役の登場だ」
「は・・」
「今ねクランクインの報告をしてたとこでね」
「ああ」
「お疲れさまでした」
「ジホ監督こそ、色々ありがとうございます」
「でね、この人の天然役者ぶりをみんなに話してたとこ」
「天然役者ぶり?」
「この人、不器用そうで器用だからねえ」
ジホ監督はニタニタしながら彼を見つめた
彼はまた苦笑いをした
「明日も朝早いから、今日はゆっくり休んで、ね?」
「ありがとうございます」
「んじゃ、みな解散!」
「ちょっと、監督いつからチーフになったの?」
「あ、そっか。ここBHCだったか。チーフ何か伝達事項は?」
「いえ、特にありませんが」
スヒョンさんは薄く微笑んだ
そしてそのままの顔で挨拶した
「何とか初日が終わりました。
店に出られるかと思ったけどちょっと無理だった。
これからこんな日が多くなってみんなにも迷惑をかけると思うけど、
イヌ先生にお願いしてますので、よろしく頼みます」
「大丈夫ですよ、心配しないで」
とイヌ先生が声をかけ、みんなはそれぞれにうなづいた
それでお開きになった
スヒョンさんがいつもと違う
微笑みに余裕がなかった
ジンが抜けきれていない?
主役だから、それだけ負担が大きいのだろう
僕は隣にいる彼を見つめた
どこを探してもヒョンジュはいない
いつもの彼
僕は改めて思った
この人は本当にイノセンスなのだと
いい意味でも、悪い意味でも
その後、彼がスヒョンさんと打ち合わせしている間
ドンジュンさんが寄ってきた
「ようよう、今日のあれ何?」
「あの客のこと?」
「それっきゃないでしょ」
「先生の大学の学生さん。先生にちょっかい出したがってて」
「それで何でここ来るの? 」
「僕と先生があやしいって・・」
「はあん、なるほどねえ。敵状視察ってわけね」
「そういう言い方やめてくださいよ」
「うひ。それでミンチョルさんがわざとあんたにペタペタしてたのね」
「ペタペタ?」
「カウンターでぴったり寄り添っちゃってさあ。
店であんなことするの今まで見たことないよなあ」
「・・・」
「ばかっ、赤くなるなよっ」
「すみません・・それより」
「ん?」
「スヒョンさん、相当疲れてるみたい」
「わかる?」
「まあ、何となく」
「そうなのよねえ・・いろいろとねえ・・覚悟の上だから仕方ないけどさあ」
「不器用な方は案外タフみたい」
「それよっ。どうなってるの、あの人」
「さあ」
「まあ二人してどっぷりされてても困るから、別にいいけどさ」
「そうですね」
「とにかくまだ初日だから」
「ですね」
「明日も早いみたいだから、そろそろ帰ろうか」
「僕らも午後からレッスンですよ」
「はいはい。こうなりゃこっちも思いっきり歌っちゃうか」
「そうですね。レコーディングも近いし」
「じゃあ明日は現地集合っつうことで」
「はい」
こうして僕らは帰路についた
彼は僕のローバーを運転したいと言い
僕は彼にキーを渡した
「疲れてないの?」
「うん・・」
「撮影大変だった?」
「まあ・・」
「あの・・」
「ん?」
「今日はごめんね」
「何?」
「変な客が来ちゃって」
「ああ、あれか・・気にすることはない」
「でも・・」
「みんなもそれぞれフォローしてくれたし」
「ソヌさんが久しぶりに面白かったって・・」
「そう言ったのか、ソヌさん。ふふ・・あの人らしいな」
「迷惑かけちゃったね」
「いいんだ」
「ごめん」
「気にしなくていい。いいね?」
彼はバックミラー越しに僕に微笑んだ
僕もちょっと笑った
ねえ、いつまで経っても僕はその瞳に慣れないよ
どきどきするんだ・・
「それから」
「何?」
「今日のことはワインバーグ先生にも知らせておいた方がいいだろう」
「ああ」
「僕らの写真まで撮ってるんだ。先生も撮られてるだろう」
「明日にでも連絡してみる」
「まったく大した坊やだ」
「そうだね」
彼は気分転換にハンドルを握っていたかったらしく、少し遠回りをした
僕は思いがけないプチドライブにちょっとうきうきした
彼の運転する車から見る夜景は、なぜかいつもより綺麗だ
部屋に着くと、彼はシャワーを浴びてすぐベッドに入った
僕がシャワーを浴びて出てきた時には、もうすっかり眠っていた
僕はしばらくその寝顔を見ていた
それからそっとベッドに入り、彼を抱きしめた
彼の寝息と自分の呼吸を合わせながら、
やがて僕も眠りについた
白いクリームがほとんどコーヒーに溶け込んだ
僕はそれを見届けてからカップを持ち上げ口に運んだ
ここのコーヒーはいける
そう思った時、待たせたね、と声がして振り仰ぐと先生が立っていた
ボタンダウンのオックスフォードシャツに
ざっくりとしたウールのカーディガン
こんなにラフな格好の先生を見るのは初めてかもしれない
「まさか君の方が早いとは。悪かったね」
微笑みながら先生は僕の前に腰をおろした
それからウェイターを目で合図して呼びつけた
朝、撮影に行く彼を送り出した後、
先生に連絡を取ってここへやってきた
先生が泊まっているホテルのラウンジ
この人は僕の話をどう思うだろう
紅茶を注文している先生を見ながら
僕は昨日のことを何から話せばいいか、
改めて考えをめぐらせた
千の想い 194 ぴかろん
*****
テジュンが泣きながら僕にイナの事を訴えている
まったく…お前に託したのに…
「お前、イナを抱きしめてやった?」
『…え…』
「抱きしめてキスしてやった?」
『…』
「してないの?」
『…そんな事は…お前がするべき…』
「ばかか!」
『…イナは…お前と…』
「テジュン、イナと僕は『友達』以上にはなれない」
『…なに…何を今更そんな…。お前、イナを好きだって言ったじゃないか!気持ちがはっきりしたって言ったじゃないか!』
「好きだよ。ずっと一緒にいたい。友達としてね」
『…なん…だよ…それ…』
「イナはずっとお前を見てる。僕はイナを『恋人』としては見れない。そういう事」
『…』
「イナの恋人はお前だ。それがはっきり解った。だから後はよろしくな」
『待てよ!どういう…』
「それについては酒でも飲みながらゆっくり話そう。それより今はお前達だ。なんとかしろ」
『…』
「…もしかして僕に気を遣ってる?」
『…』
「僕の事は気にしなくていい。気持ちがはっきりして前途洋々って感じだから。ホントだよ。イナにもそう伝えて」
『…』
「テジュン…。僕達、逆の立場になってるな」
『…え…』
「彼女の時と…。あの時の自分を思い出してみろよ」
『…』
「僕は今のお前みたいに、どうして彼女を泣かせるのかって詰め寄ったし、お前は今の僕みたいに彼女の気持ちが見えていた」
『…ヨンナム…』
「こないだまでの僕を見りゃわかるだろ?あんな風になりたくないだろ?僕の鎧はイナが外してくれた。なのにそれをお前とイナは身につけようとしてる」
『鎧…』
「それに、僕はあの時のお前になりたくない。うやむやにしたくない。逃げたくない。本当の答えは出てる。僕の答えが正解だ」
『…』
「今晩イナがこっちに帰って来ても、家に入れないからな。お前がなんとかしてやれ。じゃ」
電話を切って溜息をついた
ソクさんがそっと手の甲を撫でてくれた
「…気持ち悪…」
「…言うねぇ…慰めてやってんのに」
ポン…と撫でていた甲を軽く叩いてソクさんの手はハンドルに戻った
「…ソクさん…」
「辛いッスか?」
「ちっと辛いッスね」
ソクさんはクフンと鼻で笑った
『僕も経験しました』ってところか…
「あの男はバカだからねぇ」
「だよね」
「顔も性格もくどいけど理解力もくどい」
「…顔…くどいですか?僕たち」
「僕等の中ではあいつがダントツでしょう!」
「…うん…そうだよね」
「んでさ、イナの事となると一人でバタバタしてるよねぇ…んふ」
「…ふ…今回は僕がかき回したけど…」
「腹括ってないんだよアイツ。水のやり方も肥料のやり方もいつまでたっても間違える。それはね、自己流だからですよヨンナムさん」
「…あの…なんの話で…」
「『イナの育て方』ですよ!アイツの『育て方』は『放任主義』もいいとこです!もう少しなんというか手をかけてやってもいいと思います!」
「うふふ。それでイナは『頑固』に育っちゃったんですか?…」
「…貴方の事、気にしてるんです。スヒョクから聞きました」
「…」
「僕達の時は、僕にはスヒョクがいたしギョンジンにはラブがいた。だからイナはテジュンのところに戻っても安心だったんじゃないかな」
「え?じゃ、僕が甲斐性なしってこと?」
「まあそうですねぇ」
「…そんな事までアイツ…。ばか…」
「ま、ほっときましょう。なんだかんだ言っても、あいつらは何とかなりますって」
「…ですかね?…。…です…よね?」
「です。早く帰って三人で宴会しましょう!」
「そうですね。こんな時には宴会ですよね?」
「そうですぅうふふん…」
「ソクさん…ありがとう…感謝します」
「いえいえどういたしまして。一応『イナセン』ですから」
「いなせん?!…。イナ専門ってこと?!」
「げほっ!ちっ…ちがいますっ!そういうことなら僕は『ヒョク専』…」
「じゃ、なんなんです?!」
「げほん…つまり…『イナの、友達以上恋人未満から友人に移行することに関しての先輩』…略してイナせ…」
「あーはいはい!感謝の気持ちが薄れます!」
「可愛くない後輩だ…」
「…あの…。あなたの可愛い彼氏が、およそ可愛くない風情であそこに…」
丁度ウチの駐車場に着いた
そこにスヒョク君が仁王立ちで待っていた
ソクさんは彼の表情を見て青くなり、慌てて車から飛び降りた
「遅い!」
「素早い!」
「もぉ!10分で帰ってこれる距離ですよ!40分も何してたんですかっ!ジジイ!」
「だぁってスヒョク、機敏すぎるんだもぉん…」
スヒョク君は僕のトラックに乗って一足先に帰っていた
そんなに待たせたのか、この寒空の下で…
悪かったなぁ…
「ソクさん」
「はい?」
「今夜は特別に、お部屋で『みだらなこうい』許可します」
「ぅえ?」
「ほんと?ヨンナムさん」
僕の言葉に反応したのはソクさんではなくてスヒョク君だった
「ぅ…スヒョク…いや、ヨンナムさん今から宴会をする計画じゃ…」
「ええ、宴会して酒かっくらって僕は熟睡しますから、後はお部屋でなんでもどーぞ」
「やった!」
「やったってスヒョク…う…あ…ヨンナムさぁぁん…助けてぇぇ…」
ソクさんはズルズルとスヒョク君に引っ張られていった
*****
フリップを閉じてイナに電話を返した
イナの瞳は宙を彷徨っていた
『抱きしめてやれよ。抱きしめてキスしてやれよ!』
うろついていた視線が、ふと後方に向けられた
「…ここで…寝たんだ、ラブとまた」
「…イナ…」
「知ってるよ。知りたくもないのに…感じた…」
「…イナ…僕は」
ゴクリと唾を呑み込み、僕は口を開いた
「抱いたよ…ラブを…」
「…」
「でも…ラブじゃダメだったんだ…」
「…なにそれ…。酷いじゃん。…ラブが可哀想じゃん!」
「ラブは…。ラブは…僕に…僕の本当の気持ちを見せるためにここに…」
「ラブはテジュンを好きだって言った!」
「…」
「本気でぶつかって来たはずだ!」
「…うん…」
「…貴方は本気じゃなかったの?来る者拒まずってわけ?節操がないよね」
あちこちに瞳を飛ばしながら捲し立てるイナに、僕は頷くしかなかった
「…うん…」
「ダメって…どういう事?」
「…僕は…イナ…」
「本気じゃないなんて…ラブもギョンジンも可哀想じゃん!ギョンジンは知ってるんだ!貴方とラブが寝たって事!」
「…。まさか…あの二人、それでギクシャクしてるってことは…」
「ないよ!ギョンジンはすげぇ奴だからちゃんとラブを受け止めてる」
「…そう。よかった…」
「よくねぇよ!」
「…。ラブにも…ギョンジンにも迷惑かけた。迷惑かけまくってやっと解った…。僕は…僕はお前でなきゃダメなんだ、イナ…」
「…」
「ごめん…こんな事…」
イナの瞳がテーブルの上で止まった
「僕はただ…お前が好きだって伝えたくて…。僕自身の事は何も望んでない。お前に幸せになってほしい…。ホントにそれだけなんだ…。それが漸く…解ったんだ…」
「…。俺だって…お前が幸せでいてほしいのに…」
「イナ…」
「ラブと…新しく始めるんだと思ってたのに…ラブならギョンジンと貴方との間でうまくやってくれるって思ってたのにっ!」
*****
ラブじゃダメだった?
何がダメなんだよ!
ラブは本気だったはずだ!なんでいい加減な気持ちで抱くんだよ!
ラブを受け止めてるギョンジンはどうなるんだよ!
あの瞬間、お前を諦めた俺はどう…
諦めた?…お前を?
顔を出すモノに砂を被せる
それを遮断して頭の中を整理する
弾かれ出てきたのは俺に向けられたいくつかの言葉…
『あの子自身が納得してやった事だから』
…ギョンジン…
納得してやったって…どういう…
『ラブのテジュンさんに対する気持ちは…イナさんなら解るはずだよ』
…スヒョク…
ラブの…気持ちって…
『…ラブは…僕に…僕の本当の気持ちを見せるためにここに…』
テジュンの本当の気持ちを『見せるため』って…
『イナさんなら解るはず』
なんで俺が…ラブの気持ちを…
ラブのテジュンに対する気持ち…
『閉じこもってたあの人達を、殻の中から引っ張り出して…』
俺は自分のしたいようにしただけだ…
殻の中から…
ラブ…
スヒョク…
俺がギョンジンにやったのと同じ事を…ラブ…
俺がソクに切り込んだように…スヒョク…
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