ぴかろんの日常

ぴかろんの日常

リレー企画 266

プラスマイナス…? 4  ぴかろん

ジホの言うことは解る。それでも拭いきれない不安をチョンマンは口に出した

「けど気になるよ…あいつらどうなっちゃうんだろうって…」
「どうなるかなんて誰にも解んない。ドンジュンもギョンビンも必死で頑張ってるし、スヒョンとミンチョルもあいつらに頼ってるんだよ。お互いを信じてるさ。…けど…『想い』って止められない…どうしても…」
「んまっ。随分大人っぽいこと言うようになったわねぇごさいじぃ」
「俺達にできることってなんだろう…。ただ話を聞くとか見守るとか…そんなことしかできないかもしれないな…」

見ているのが辛くて何かしてやりたくなる。実際には何もできないのが歯がゆい。自分が何かをしたところで彼らの事情がどうなるものでもないことは漠然と理解していた。イナの言葉が最善の方法かもしれないと頷き、チョンマンは気持ちを切り替えようと思った

「勉強になるわねぇ~。ごさいじったらいきなり『仙人の境地』だものぉ」
「…。監督のバカ!」
「ま。なんで僕がバカなのよ!そんな事言うとチケット返さないわよ!」
「さっきからゴチャゴチャ茶化してばっかりで!バカ」
「僕が茶々を入れなかったら、アンタ達、どんよりしちゃうじゃないの!」
「ちょっと黙ってて!…イナさん…解ったよ。僕も頑張る。あいつらの方がずっと苦しいのに僕が泣き言なんか言ってちゃダメだよね…」
「解ったなら皆に報告しておいでよぉ~」
「しない!」
「まっ(@_@;)」
「監督の言いなりにはならない!」
「んまっ!反抗的!覚えてらっしゃい!」

きーきーと腕を振り上げて騒ぐジホの手首が目に入る。監督は良い人だなとチョンマンは思う。時々する意地悪は、皆の『毒抜き』なのだろう
かなり痛いこともあるけれど、監督がつけた傷口から悪いものが流れ出て行くイメージが見える。それが彼の本質ならいいのにな、そしたら『大好き』になれるのに…
チョンマンはジホを軽く睨んだ

「うるさいな、もう。監督は黙ってて!」
「うきーっ!憎ったらしいっきーきー」
「イナさん…。イナさんも苦しかったんだよね…」
「…チョンマン…」
「それ、乗越えたんだもんね」
「…まだだよ。まだグズグズしてる…」
「…そうなの?」

イナはこっくりと頷いて小さな溜息をついた。前進したと思ってもまた振り出しに戻ってしまう感覚を何度も味わった
少しは成長しているのだろうかと疑いたくなる。ただ自分の知らないうちにテジュンが大きくなっていて、ゆったりと自分を待っていてくれるのが嬉しい
どこへ行っても行き着く先にはテジュンがいるのだと感じている。だからこんなに穏やかでいられるのだとイナは思う
好奇心一杯の瞳で、次の言葉を待っているチョンマンに、イナは笑いながら言った

「お前だって妖怪にとっ掴まってグズグズしてるじゃんか」
「…うん…そうなんだよねー。ヤな妖怪でしょ?」
「ほんとだな。掴みどころないしな、その『ヤな妖怪』」

「そうよねぇ、ソヌっちってヤな妖怪よねぇ」
「「…」」

本気なのかはぐらかしているのか解らないジホの言葉に黙り込んだ2人の後ろから、刺すような低い声がした

「誰が妖怪なのョ」
「あ…(・▽・)」
「アンタ達、いつまでサボってるのョ。もう閉店だョ(@_@)」
「「えっ?(^^??)(^^;;)」」「ラッキー(・▽・)」
「「(→^→)(→_→)」」「(・▼・;)」「(@_@)」

ソヌに睨まれても、のらくらし続けるジホを横目で見ながら、イナはまた、夢を見ているのかもしれないと思った
チョンマンには偉そうな事を言ったが、スヒョンとミンチョルが『肌をあわせた』という事実に動揺している自分がいる
冷静に受け止めたつもりでも信じられない。なぜだろう。想像に難いからか?
『肌が触れ合う』ことで通じ合う想いを、僅かながら自分は知っている。二人の間にある『想い』をもまた、自分は知っている

あの2人が?
あの2人だからこそ?
2人の事は2人に任せるしかない
これは『映画』の話なのだ…
そこからどこへ転がっていくのか…彼らはどんな道を選ぶのか
苦しいに違いない
いや、そうだろうか?

『様々な事柄の断片』がイナに打ち寄せる。出した答えを覆す心の波に、イナは何度も晒されてきた
きっと誰もがそんな経験をしているはずだとイナは思った

「楽しい事もあるのよ、ごさいじぃ」
「え?」
「人生苦しかったり楽しかったりよ。ね?ソヌっちぃ」
「ボクの人生、苦しみの連続なのョ」
「解ってるわよぉやぁねぇ」
「でも今、楽しいのョ。こんな事ができるから」ギリギリギリ
「うぎゃああっ!痛ぁい!酷ぉい!僕の手首抓らないでよ!アンタが絞めた跡、すんごい痛いんだからっ!(;_;)」
「嬉しそうじゃない」
「あはぁ~ん。ばれたぁ?」

「君達(;_;)!いつまで休憩時間れすかっ(;_;)!もし、チェミさんテス君ポールさんメイさんチェリムさんが助けに来てくれてなかったら(;_;)!BHCはどうなっていましたかっ(;_;)!僕はっ僕はっ(;_;)えうっえうっ(;_;)ヘルプの皆さんに申し訳ないっえうっえうっ(;_;)」
「モギュモギュ◎…センセ、泣かないでよ。ゴックン」
「ヴジグ…いくらお客様のリクエストだからってドーナツの一口食い十回もやるなんて(;_;)」
「盛り上がったからいいじゃん♪」
「…。今日、寝室は別にします」
「…」
「とにかく!閉店しましたから、ここでサボってた分、君達だけで掃除と後片付けしてってくださいよっ(;_;)」
「「「あーい」」」
「イヌ先生、ボクもなの?ボク、今この人達を注意しに来ただけなのョ」
「ソヌ君は免除します」
「ありがと。じゃ、よろしく」
「「…」」「あーい(・▽・)」

チョンマンとイナは、ジホを睨みつけてブツブツ文句を言っている。次々と帰っていく仲間たちの背中を見送りながら、2人はテキパキと掃除や片付けをした。ジホは厨房や控え室、ロッカールームの点検をするふりをしてのらくらしている。片付けながら、ふとイナは、今夜どこに帰ればいいのかを考えた
RRHにはミンチョルとギョンビンがいる。2人にどう接するのが一番良いのかと考えあぐねるうちに、ヨンナムに荷物を預けっぱなしだったことを思い出した

「これって『逃げ』なのかな…」
「え?」
「あ…いや…なんでもない」
「イナさん、もういいよね?」
「そうだな。俺達もそろそろ帰るか?」
「…イナさんRRHに帰るの?」
「それだよ…。ヨンナムさんちに帰るのってダメかな?」
「(@_@;)。イナさん、さっきの話に触発されて、また不穏なこと考えてるんじゃないだろうね(@_@;)」
「ちっ…違うよ!…ただ…ミンチョルとギョンビンにどう接すればいいか…。お前に偉そうなこと言ったけど、あいつらの顔見たら俺…」
「…。挙動不審になっちゃうよね…うん…」
「な、いいと思う?ヨンナムさんちに行っても…」
「(→α→)」
「…なんだよその目」

「やぁぁんイナちゃんったら!えっちぃぃぃ」
「は?」
「テジュンさんのいない間に…。いやらちいっ(>▽<)」
「…。そんなんじゃねぇよ!ジホさんのぶぁか!」

「イナさん」
「ん?」
「いいんじゃない?ソクさんとスヒョク、ヨンナムさんちに帰ってったから(^o^)」
「ほんと?じゃ安心だ」
「(^^;;)安心って…ははは」
「はは…ははは(^^;;)」
「あっらぁ、安心だなんてぇ。やーねー。見物人がいてこその●▽×◆じゃなぁぁぁい(>▽<)」
「ほっときましょう。さ、もう帰ろうよ。監督、帰るよ!」
「あん。チョンマン。チンさんとこに飲みに行かない?」
「チンさん?いいよ」
「よしゃ!行こう!じゃ、イナちゃん、お先にぃ」
「ばいばい」
「あ…イナちゃん」
「はい?」
「…。おイタしすぎないようにね。(^m^)」
「…」
「監督!じゃあね、イナさん」

チョンマンはジホを引っ張って帰っていった


Distance 7 微熱 オリーさん

シャワールームの曇った鏡を片手でなぞると
そこに映っている
濡れそぼった己の姿を見つけた

なぜそんな顔をしている?
嫉妬しているのか?
ムラムラとする胸の動悸はあのせい・・

「聞こえなかった?」
「聞こえなかった?」

気が強いのはわかっている
けれど
あんな風に挑発されたのは初めてだ
ミン・・
本当に・・

ふと鏡の中の胸元の印に気づいたのはその時だった
これはたぶんあの時
撮影の最中
スヒョンに抱かれた時についたものだろう
いや、ジン・・か

今日になって気づいたのは
やや色が変わってきたせい
昨日はもっと淡い色だったに違いない
だから・・
だから何だと言うのだ・・

ミン・・
気づいていたのか?

僕はシャワールームを飛び出した
けれど
ベッドの中にいたはずのミンの姿はなかった


この世に永遠などあるはずがないのに
人はなぜすぐにそれを忘れるのか

振り向けばその笑顔がそこにある
見つめればその視線が応えてくれる
愛の絶頂がいつまでも続くと
なぜ思い込んでしまうのだろう

愛されることに慣れた心は慢心し、
そして増殖する
愛してさえいれば
何をしても許されるのだと
失う物はないはずだと

胸についた印は
時とともに色を変え
やがて失せる
けれど
その印を受けた時の記憶は
消えない・・

あの瞬間
心がそれを望んだのだと
揺れたのは他でもない
僕の愚かな心

触れ合う肌の温もりが
確かに僕を誘い
僕はそれを求めた
その印がつけられたことにすら気づかぬほど
何もかも忘れて

それなのに
あの瞳が
いつも待っていることを望んでいた
あの口元から
優しい言葉がこぼれることを信じていた

この世に変わらないものなどないというのに
人はなぜすぐにそれを忘れるのか

求め合って
握り合う手と手が
絡まる指と指が
いつまでも温かいと思ってしまう

油断すると
その手は冷たくなり
指先は動かなくなってしまうのに

だが僕は動くことができない
この胸に印を抱いたまま
その笑顔を取り戻すことはできないのだから

イソップの童話
肉をくわえて橋を渡る犬の話
川面に映った犬が同じように肉をくわえている
欲張りな犬はその肉も欲しくなり
思わず川面に映った犬に吼える
肉は口から落ち、川面に映った犬の肉もなくなる
川面に映っていたのは自分自身なのだから

僕は愚かな犬になるのだろうか・・

愛を知らない子供が大人になり
ふたつも愛を見つけた
どちらも欲しいと欲張り
そして
どちらも・・

それでもなお
あの箱を見れば
胸の内がざわつき
嫉妬という感情が湧きあがる
何と言う身勝手さだ
僕という男は・・

デスクの上の水色の箱には
朝陽がきらきらと降り注いでいる

僕は長い間その箱から目が離せないでいた


プラスマイナス…? 5  ぴかろん

イナは控え室に戻り、ロッカーからジャケットを取り出した
そういえばテジュンに電話もしていない。もう部屋にいるだろうか?
イナはテジュンをコールした。呼び出し音が鳴ったかどうだかわからないうちに温かい声が聞こえた

『んむ…いなか?…んぐぐ…』
「…寝てたの?」
『ちっとウトウトしかけてた。ぐふ…お前の夢見てたよぉくふん』
「…ちゃんと仕事できたのか?」
『あったりまえだろ?お前は?』
「ん。遅刻したけど仕事したよ。ちっとアクシデントがあって居残りで掃除してた」
『アクシデント?』

イナは今日の出来事をテジュンに報告した。初めて一人で地下鉄に乗った事や玉水の駅でタクシーの運転手に拾われてBHCに着いた事など…
ヨンナムとのやりとりは言わずにいたが、テジュンは何もかも知っているんじゃないかと思っている
テジュンは今夜の部屋の様子を事細かに話す

浴室から部屋が見えて更に夜景も見えるんだ、こんなトコに一人で泊まる僕って気の毒だと思わないか?
だけどお前がいたとしてもだ、風呂から部屋の様子が見えたってなぁ…やっぱ一緒に風呂に入って夜景を楽しむってのがなあ…。そうするとだな、イナ、お前の部屋の風呂と一緒なんだよなー…だからだ、今度泊まる時は、コテージにしよう!一日中誰にも邪魔されずにイロイロできる!ひひん

テジュンの溶けた顔が見えるようだ。イナはクスクス笑いながらハイハイと受け流した
電話しながら廊下を歩く。途中、事務室のドアを開け、まだ何やら書類と睨めっこしているイヌと、その傍で眠そうな顔をして座っているウシクに会釈し、裏戸口に向かう

「明日は帰って来るんだよな」
『うん。いひん。早く会いたいな』
「ちゃんと仕事しろよな」
『ばっちりだ!』
「んじゃ、明日ね。おやすみ」
『なんだよぉ、愛してるって言ってよぉ』
「くふふ。やだよ」
『いなぁ。愛してるよん♪ほら、お前も言ってよ。それぐらいのサービスがなきゃ、僕があまりにも可哀想でしょ?』
「うふふ。ばーか」

ドアノブに手をかけてドアを開ける。いつもより軽い力でドアが開いた
イナは笑いながら受話器に呟く

「愛してるよ」

目の前に『テジュンの顔』がある

「…」
『きひっ。イナっ。きひーん。大好きだよっ愛してるん♪』

浮かれたテジュンの声。目の前の『テジュン』の幻影。イナは戸惑う。夢なのかと再び思う。『テジュンの幻影』がゆっくりと微笑みかける

ヨンナムさん…

『イナっ。もう一回言ってよぉん』
「…」
『イナぁ、イナってばっ!イナ!』
「…あ…愛して…る…よ…」

微笑んでいるヨンナムを見つめながらテジュンに愛を伝えた

『ん?どした?なんかあったか?』
「…いや…。ちょっと戸口に蹴躓いちゃって…」

誤魔化す必要などないはずだ
突然ヨンナムが現れてビックリしたと言えばいい…

『大丈夫か?お前ったら時々ボーッとしてるからなぁ心配だ』

心配だ…

軽く首を振り、ヨンナムから視線を逸らしてイナはテジュンに答えた

「心配なら明日サービスしろよな。切るよ。おやすみ」
『言われなくても大サービスするよ。くふっおやすみぃ~』
「ああ。仕事頑張ってね。愛してる」

愛してるの言葉を唱えながら、イナは視線をヨンナムに戻した
ヨンナムは穏やかに微笑んでいる
電話を切ってヨンナムに笑いかける

「どうしたのさ」
「うん、荷物とお土産持ってきた。ついでだからRRHまで送るよ」
「今からヨンナムさんちに行こうと思ってたのに」
「んふふ。疲れてるだろうと思って迎えにきた。ヨンナムタクシーだよ。店、遅刻しなかったか?」
「…」
「ん?」
「…。ヨンナムさんちに行っちゃダメ?」
「…。僕の家に?…泊りたいの?」
「…うん…」
「…。この小悪魔!」

悪戯っぽい目つきのヨンナムがイナの頭を小突きながら言った

「僕を惑わせようとして!この!」
「…ダメ?」
「…。なんかあったの?」
「RRHに帰りづらい」
「…。ふぅん…」
「ダメか?」
「ダメって言ったらお前どこに行くの?」
「…どっかその辺のホテル…」
「だめだめ!五歳児が一人でホテルだなんて!しょうがないなぁ、おじさんのおうちに泊めてあげるよ」
「…」
「ふふ。ははは。スヒョク君とソクさんがいるから大丈夫だ」

チョンマンが言ったと同じ事を言う。なにが大丈夫なんだよ!と突っかかりたかったができなかった
下心というほどではないが、ほんの少しだけヨンナムに触れたいという欲望が自分の心にある事は否めない
瞳がやけに色っぽいということを、彼は自覚しているのだろうか…
それはチョンエの影響なのかもしれない…
そう思った瞬間、チクリと胸が痛んだ

トラックの助手席にイナを乗せて、こんなことなら荷物も土産も持ってこなきゃよかったなぁとヨンナムは愚痴を言った
宴会用のつまみがないから、お前、あそこのコンビニでなんか買って来いとイナに使い走りをさせる
ブツブツ文句を言いながら車を降りて走っていくイナの後姿を見ながら、ヨンナムは苦笑する

愛してるって僕を見つめながらテジュンに言うなよ、まったくもう…

笑いながら溜息をつくヨンナムの心も、チクリと痛んだ


帰る途中で電話を入れておいたので、家に着いた時には宴会準備が整っていた
引き戸を開けた途端、ソクがイナとヨンナムに向かって「土産土産」と連呼し、そんなソクをスヒョクが叱りつけた
それからイナはシャワーを浴び、あとの3人は居間の卓を囲んで先にいつものように宴会を始めた
イナが居間に戻ると、皆は本格的に済州島限定の焼酎を飲みだした。ソクもスヒョクも済州島での出来事を楽しそうに聞いていた

「へぇ~。ふぅ~ん。じゃ、ヨンナムさんは2人の女性とイイコトしたんだぁ」
「イイコトって人聞きの悪い!スヨンさんとは2人で飲んだだけだし、チョンエさんとは…」
「すっげぇキスしたんだぜ。おまけにさ、別れ際に『今度は抱いてやる~』って叫んだんだぜ、かっこ悪い」
「「ひゅう~」」
「いや…あれはその…ノリで…(^^;;)」
「よかったね、ヨンナムさん」

ソクが嬉しそうに言い、その横でスヒョクがニコニコと頷いた

「よかったんでしょうか…」
「だって。な。イナ?」
「…なんで俺に振るんだよ!」
「あ…イナが妬いてる…」
「妬いてねぇよ!ふんっ!」
「ふふん。妬いてる妬いてる。それでテジュンは?どうだった?喜んだろ?」
「ん?ああ、テジュンなぁ…」
「あいつ、ボクが行くことも、イナが今日帰って来ることも知らなくて可哀想に…クックックッ…」
「ブ…そうなのか?…フフ…フハハハッ。それはさぞかし…クックッ…」

ソクは何度も吹きだした。それから4人はテジュンを肴に飲んだ
夜も更けていつものように雑魚寝をするのだと思い、イナとヨンナムは居間に布団を運び始めたが、ソクとスヒョクは俺達二階で寝ますと言って階段を昇っていった
残された二人は顔を見合わせた

「…どうする?」
「…。どうするって何が…」

心臓の鼓動が大きくなるのを感じながらイナは聞き返した

「ここで…寝る?」
「…。俺はここで寝るけど…」
「ふむ。じゃ、そうしよう」
「…。ヨンナムさんも…ここで?」
「いけない?」
「…いや…別に…」
「あ!お前ったら何か期待してる?」
「は?」
「襲ってほしいの?」
「ばかっ!」
「あはは。冗談だよ。疲れてるし襲いませんって」

ヨンナムはさっさと自分の布団を敷いて中に潜り込んだ

「おやすみぃ~」

目を閉じたヨンナムの顔を見つめ、イナは布団を少し離して床についた
本当に疲れていたのだろう、ヨンナムはすぐに寝息を立て始めた

店は皆の応援で『人手不足』を解消できた
できたものの自分達はサボってしまったし、ギョンビンとドンジュンは結局2人組で接客していた
ミンチョルとスヒョンの穴は大きい…
特に今夜は…
今日は…
あいつら…

この流れがどこへ辿り着くのか
周りの人間はただ見ているしかない
自分が苦しんでいた時、ヤツラはこんな想いで自分を見ていてくれたのかもしれない
イナは胸が熱くなるのを感じた

苦しくて辛いのに甘い…

すやすやと眠っているヨンナムの顔を見つめながらイナは『ジンとヒョンジュ』を思った
そして自分の中の想いが、まだ消えずに残っていることを改めて感じた

俺の想いは…どこへ行くのだろう

『僕、お前が好きだよ』
『お前を知れば知るほどきっと、僕、本当にお前と友達になれると思う…』

やはりあなたにとって、俺は『友達』でしかないんだろうな…

小さな溜息をついてイナは目を閉じた


無・果・儚・夢・幻 1  ぴかろん

*****

艶かしい夢を見た
組み敷いているのはチョンエだ
僕の愛撫に顔を歪め、甘い吐息を漏らしている
僕は彼女と繋がっていて震えるほど感じている
高まりを極めようとしたところで僕は跳ね起きた
体中の血管が逆流している
どうしてこんな夢を…
昼間のくちづけが引鉄か?
そんなにも僕はチョンエが好き?
いや…
僕はただ…

「…う…ん…」

隣で小さな寝息を立てるイナを見た
僕はずっと死んだように生きてきた
彼女が星になってからずっと、こんな事とは無縁だった
動かしたのはこの男だ
ついこの間、僕はこの男を好きだったのではないのか?
この男と睦み合おうとしたのではないのか?
それが…
それがどうだろう…

チョンエの唇
柔らかな身体

僕の奥底から湧き上がった衝動
イナの時とは違う…
獣だ…
恥ずかしい…

チョンエを好き?
ああ、いい人だと思う
綺麗だし可愛いし癒される
けど
恋人にしたいと思っただろうか?
出会ったばかりじゃないか
まだお互いをよく知らないのに…



触れ合わなければよかった…
なんて浅ましい僕…

シーリングライトの豆電球がオレンジの光を放つ

隣で眠る男は
その僅かな灯の下
半開きの唇で僕を誘う
僕はその頭の両脇に手をついて
真上から男の顔を見つめる
ゆっくりと顔を近づけてみる
触れそうになるまで唇を近づけてみる
僕は欲望の塊になって
この男とその女を見ている
恥ずかしい
厭らしい
それが僕なんだ…

****

眠りの途中で俺は目を開いた
ヨンナムさんの顔が目の前にあった
なぜ驚かなかったのだろう
俺達はお互いに醒めた瞳で見つめ合っていた
なぜ心が凪いでいるのだろう

ずっと夢が続いていると思っていたのに
今、俺は、これが現実だと知っている
暫く見つめ合った後に、ヨンナムさんはゴクリと唾を呑み込んで口を開いた

「キス…していいか?」

答えずにいた
ヨンナムさんの唇が俺の唇を捉え、こじ開けて中に入ってきた
舌を強く吸われたとき、俺の心に細波が立った
心臓がどきどきと音を立て始める

俺は…
好き…
テジュン…
俺はまだ…
好きなんだ、この人が…

唇を離しながら薄く息を吐いてヨンナムさんは俺の下唇を噛んだ
それから耳に唇を這わせた
甘い刺激に小さな声を上げてしまった
ヨンナムさんは俺のシャツを捲りあげて身体を弄る
吐息を漏らした唇を再び強く吸われた
唇が俺の顎から喉元へと滑って行く
露わになっている胸に舌を這わせる
耳に自分の甘い声が響く
胸を吸う彼の頭を抱きしめて仰け反る

ミンチョルとスヒョンもこうやって…

「ふ…」

唇を離して俺の胸に突っ伏したヨンナムさんは小さな声でごめんと言った

「なにやってんだろ…僕…」

ここまでだ…これ以上は進めやしない…
ミンチョルとスヒョンもそうなのかな…
ヨンナムさんの髪を撫でながらぼんやりと天井を見つめた

「…どうして…お前は…女じゃないの?…お前が女なら僕…」

ヨンナムさんは顔を上げてまた俺の唇に吸い付いた
どうして女じゃないのって?
そんなこと…

苦しそうなヨンナムさんの接吻に応えながら、ふと気づいた
ヨンナムさんが求めているのは『雌』なんだ
気づいた途端、目の奥が熱くなった
俺はどうあっても『女』にはなれない
どうしたってヨンナムさんの期待には応えられない
交わることなくこのままずっと俺達は歩いていくしかないのだ
ヨンナムさんは俺を好きだと言った
それは、ただ友達として、俺を好きという意味だ
だからあの時も今日も
そしてこれからも
俺達は交わることは無いのだ
ようやくはっきりと解った
ヨンナムさんとは通じ合えないことを

*****

イナが女でないことを責めるなんてどうかしている
イナが好きだ
チョンエが好きだ
身体が火照っている
三つとも別々のことなのに、どうして僕は一纏めにしようとしているのか
自分のあさましい欲望に説明をつけたいのか…
イナが女であれば、イナが好きだから抱くことができる?
チョンエは女で僕達はお互いに好意を持っているから睦み合ってもいいはずだ?
理由があればそうなっても許される?
僕はイナを…チョンエを…どんな風に好きなんだろう…

*****

ずっと諦めていなかったのか?
いつかこの人が俺を振り向いて、交わりあえると?

テジュンがいるのに…

わかってた?あなたの従兄弟だもんね
ヨンナムさんは『女性を求めている』って、お前は知ってたんだきっと…

わざとヨンナムさんを好きになったんじゃない
避けてたのに入り込んできたんだ
いつのまにか染み込んでいた

心が揺れて涙が溢れそうになった
悲しいわけじゃない
寂しいわけじゃない
隠れて見えなかったものが見えたんだ
こんなちっぽけだったのかと
こんなからくりだったのかと
自分にもヨンナムさんにもがっかりした気分なんだ

「ごめん…僕…」

ヨンナムさんは俺の肩に突っ伏して呟いた
唾を呑み込んで心を落ち着かせ、俺は言った

「ヨンナムさんは女の人とちゃんと付き合わなきゃだめだよ…」
「…」
「チョンエでもスヨンでも誰でもいい…女の人とちゃんと…愛し合って…」
「…ごめん…僕、まだ自分がよくわかんない…でも僕…僕はお前が好きなんだ、イナ…」

もう見えたんだ
あなたが求めているのは俺じゃない
俺はこれから先、テジュンと一緒に
あなたの姿を見つめていくしかないんだ

あなたを突き放せない
あなたが縋ってきたら抱きしめてしまう
その度にテジュンの心を痛ませながら

触れ合うことで通ずる想いを俺は知っている
けれどそれで全てを理解できるわけじゃない
ヨンナムさんは俺を好きだと言うけれど
俺の想いに報いてくれるものではない

「ふ…ヨンナムさんったら我儘だな…。俺に女になれっていうの?」
「…ごめん…変なこと言った…」
「無理だよそれは。ね、俺、疲れた。もう寝るからさ、自分の布団に戻ってよ」

声は震えていないだろうか
悟られないように息を整えて言ってみたけれど…

ヨンナムさんは俺の肩に顔を埋めたまま動こうとしない

「ね、もう眠ろうよ…」
「…変な夢…見たんだ…。チョンエを…その…」
「…」
「夢の中で…抱いてた…」
「…。そう…」

心臓の音が伝わらないだろうか
今、大きな音を立てたこと、気づかれていないだろうか…

「僕、こんなに…浅ましい男だったのかな…。チョンエには好感持ったよ、キスは確かに刺激的だった…あの時、衝動的に抱きたいとは思った…でもさ…」
「久しぶりに女の子に触れたから…でしょ?あなたそう言ったじゃない。大丈夫だよ。それ、正常な反応だ。浅ましくなんかない」
「…そう…かな…」
「そうだよ。ね、俺、眠い…眠らせて…」

ヨンナムさんの肩をそっと押す
ごめんと言ってヨンナムさんが離れて行く
彼に背を向け布団を被り目を瞑る
深呼吸を繰り返し眠気を集める

ミンチョル
お前は幸せな奴だな…
ギョンビンにもスヒョンにも愛されてる…
俺は…ただの『友達』だ


夢は、つまり  あしばんさん

その日、ドンジュンが撮影所に顔を出すと言い出したのは
全くの思いつきでしかなかったのだが
後から思えば、それは本人にとって重要なことだったのかもしれない



目覚めれば
いつものようにドンジュンが肩先に鼻をつけて眠っていた
ブラインドのほんの隙間から漏れる光もいつものよう
僅かに位置がずれているのは季節が移ろっているささやかな証しだ

ドンジュンを起こさぬように身体を起こしたスヒョンは
ベッドヘッドに背を預けて朝の静けさに身を任せる

ありがたかったことといえば、いつにも増して静かな夜と
どんな夢をみることもなく眠れたこと
そして、眠りつくまでドンジュンが素直に拗ねてくれたことだろうか
いや、本人は断じて否定するだろうが
ふくれたりしぼんだりの百面相は、どこから見ても「控え目に拗ねて」いた

わかってはいる
昨日の撮影が終わったことは
何がどうであれドンジュンにとっては大きなことなのだ
直接何も言わないのがせめてもの意思表示なのだろうと

だから、朝、約束のフレンチトーストを満足そうに頬張りながら
まるで一緒に買い物にでも出掛けようというような調子で
その日の撮影について行くと言い出した時、スヒョンは少なからず驚いた

「何でそんな顔すんの?」
「だっておまえ…」
「チョンマンにも前から来いって言われてたんだ、迷惑?」
「いや」
「じゃいいね、昼までしかいられないけど、お邪魔はしませんから」
「ああ」
「あ…んと…今日はジンひとりの撮影だよね?」
「…ああ」
「よっしゃ、決まり」
「…」
「さすがの僕も、ふたりのシーンを見る勇気はないもん」

肩をすくめてまた唇を尖らせるドンジュンを見つめながら
スヒョンは、少し濃目にいれた珈琲に口をつけた

そう、スヒョンにとってその朝は想像していたほど悪いものではなかった
満たされぬ泥に沈むのかとさえ憂えた夜は過ぎたようにも思え
見慣れた部屋には陽も射している
そして目の前のその笑顔は…

スヒョンは、不意に思い出した
撮影中、咄嗟に口をついて出た言葉




ドンジュンが「上司がお世話になっております」と頭を下げる度に
隣に立っているジホが「僕は上司じゃないから、主役ふたりのことだから」とコメントし
またドンジュンが「でも店じゃこの人が一番偉そうにしてます」と返す
その掛け合いのような挨拶回りは、スタッフたちに大いにウケた

そんな調子なので、誰ひとりとして主役との関係を勘ぐるような者はいなかった
ただひとり、自称「そういう目には肥えている」ユン女史を除いては

しかし、そのユン女史ですら
シン監督は勿論のこと、挨拶を交わしたスタジオの誰かれ構わず
手帳にサインをしてもらっているドンジュンには笑ってしまった

「ウナさん、シン監督、までは理解できるけど、あら…うちのアシスタントのまである
 このサインの山の価値は何なの?」
「だってどこから線引きしていいのかわかりませんもん、皆さん大事なスタッフでしょ?」
「ふふ、まぁね…でも肝心の主役さんたちのサインがないじゃない」
「そか…そう言えばそうだ」
「あなただって主題歌歌うんでしょ?」
「あ、じゃ僕のも書いとこ」
「あははは…ホントBHCさんは変わった人ばかりね」
「よくそう言われます」

面白そうにコロコロ笑っていた目の前の青年が、少しだけ躊躇して
それから真っ直ぐに自分を見つめ直したような気がした

「…あの…ユンさん」
「はい?」
「あの…どうですか?彼ら」
「彼ら?スヒョンさんたちのこと?」
「ええ」
「仕事のことよね?」
「勿論」
「ふふん…それはもう最高ですよ」
「ホントに?」

「うん、真面目な話、凄いと思うわよ、初日にスタッフの不安は吹っ飛んだし
 日を追うごとに良くなってきて、もう彼らの世界は揺るがないわね」
「そう…」
「周りも凄く感化されて、いい仕事させていただいてます」
「そうですか…」
「心配だった?」
「あ…ええ…でもそれならよかった」

口を一文字に結んで何かを納得するように目を伏せる青年に
ベテランカメラマンは、敢えてそれ以上を尋ねようとは思わなかった



ドンジュンは、楽屋に足を運ぶこともなく
スヒョンがスタジオ入りすると、部屋の一番目立たない場所に収まった

その日は、いくつものセットを巡るような撮影だった
様々な短いシーンを細切れのように撮っていく

診療所のデスクで、ひとりもの思いにふけるジン
パソコンで、深夜までヒョンジュの症例を調べ続けるジン
小さな会議室で医師たちを相手に講義する
珈琲カップを片手に談笑する
喫茶店の奥まった座席でヒョンジュを待つ、ジン

そしてそんなシーンの一瞬一瞬に見せる
優しく遠くをーヒョンジュをー見つめる目

あいつ…あんな目をしてくれたことあったかな
そんなことを、ドンジュンは嫌味ではなく素直に感じた

次第に、しんと鎮まりかえっていくかのような腹の底
あれは映画だ…ジホが言っていた言葉に
そうだとも、そうでないとも答えられるような不思議な感覚

日々のジホやチョンマンの報告からも
ギョンビンが見学の日のことを多く語らないことからも…
読み取り覚悟していたものは漠としていたが、こういうことだった

そう、スヒョンはあまりにも見事にジンとなって
自分の全てを表現しているのだ



照明を落としたカウンセリングルームで安楽椅子に座りひとり音楽を聴くジン
スタジオに流れる「マスカーニ」の美しい旋律は
ヒョンジュが好きな曲、という設定だとジホが話していた

黒革の大きな椅子に寝そべるように腰掛け
頬づえをついている男の、苦しげに閉じられた目
その奥は、大切なひととのこれからをどう考えるべきかで渦巻いているのだろう

堅く握った左の拳を眉間に当てて何かを耐えているジン
その手を勢いよく振ればサイドテーブルのアンティークランプが飛び
美しい緑色の硝子に冷たいひびが入る

ドンジュンは思わず息を止めていた
台本で約束された動きだとは言え
勿論、そんなスヒョンを見るのは初めてだった

自分の…
全てを表現しているスヒョン




「おや、マックス君、もう帰るの?みんなと昼飯食べない?」
「うん、出勤の前にひと仕事しなくちゃなんないから」
「そ」
「おっさん、いろいろありがとね、じゃ」
「あ、ちょっと!」

呼び止めたジホの声はあまり聞き慣れない調子で
スタジオの分厚い防音壁に吸い込まれた

「マックス君、何かあった?」
「へ?」
「だって、来た時と目が違うもん」
「別に…ああ、そうね、うん、僕も仕事頑張ろって思った」
「それだけ?」
「それ以外にどんな答えが聞きたいの?」
「ふふん」
「何よ」
「な~んかサクッと諦めよかなぁ…なんて思ってないでしょうね」

「ジホのおっさんって、案外人を見る目ないんじゃないの?」
「おっと…そう来たか」
「スヒョンのことでしょ?」
「はい」
「あのジジィは、何だってかんだって手を抜かないんだ
 仕事もコマシも癒しも愛情関係も一切、手を抜きゃしない、アッタマくるほどにさ」
「ほう」
「だからこっちも絶対に手を抜かない
 見えないふりも、知らないふりも、わかんないふりもしない」
「ふぅん」
「それ以外に何ができるっていうの?」

ドンジュンの目は強く光っている
その印象は、ジホが初めて会った時と何も変わっていない

「でも今日…イッコ変わった」
「お?」
「ヒョンジュなら…いいかな」
「お?」
「相手がヒョンジュならいいや…あいつひとりぼっちだから」
「…」
「あいつにはジンが必要だし…」
「…」
「僕がいたら…あいつを…絶対に死なせたりしないのに」

ジホは黙ってドンジュンの顔を見ていた
自分には珍しく、切って返す言葉が見つからない

ただ、今日、ユン女史がポロリと零した言葉を思い出していた

ーなるほどねぇ
 ああゆう充電器君が側にいるから、ああなんだ、スヒョンさん

「で、スヒョン、どこに行ったか知ってる?」
「え…ああ…休憩かな」



建物と建物の間の妙に静かな空間
スタジオの裏にスヒョンはいた

シャラシャラと葉の擦れる音がして
殺風景なコンクリートの中に、けやきの枝は真っ直ぐに自分を主張している

この樹ってちょっとおまえみたいだと思ったんだ
いつもの、積まれた木材に腰掛けたスヒョンがそんな言葉をかける前に
隣にドスンと座り足を投げ出したドンジュンが口を開いた

「この樹さ、ここが火事になった時に1本だけ残ったんだって」
「…」
「ジホのおっさんが言ってたよ、根性入ってんだってコイツ」

また、葉陰が風に揺れた

「ねぇ…んと…スヒョン…野暮なこと聞いていい?」
「ん?」
「ヒョンジュを…ああ…だめだ、うん、ヒョンジュってのはごまかしだ」
「ん?」
「だからさ…」
「…」
「ミンチョルさんを抱いて、幸せだった?」

スヒョンは目の前の顔を見た
ドンジュンは、おかしなほど力を込めた口元で真っ直ぐこちらを見つめている
こういう時の彼にはどんなごまかしもできないし
はぐらかしていいような話ではない

スヒョンは真面目な視線で「いや」と言い
自分でも不思議なくらい穏やかな心持ちで言葉を繋いだ

「僕はジンでしかないし、あいつもヒョンジュでしかない」
「でも中身はスヒョンでしょ」
「うん…そうね」
「それなのに?」
「あれは…夢だ」
「僕は、夢でもすごく幸せな気分になれることがある」
「そうか…そうね、そういうこともある」
「なのに違うの?」
「…ん…」
「答えたくなかったらちゃんと言って?もう聞かないから」
「うん」
「…」
「辛かった」
「…」
「辛かったよ」

それからもずいぶん長い時間、ドンジュンは相手を見つめていた
スヒョンの少しだけ潤んだ目は、コンクリートの白い光が反射して美しい

辛かった
そのひと言がスヒョンの本心なのだろう

「そう…そか…」
「ドンジュン?」
「…ごめん…最近忙し過ぎて、何だかおかしくなっちゃったよ」
「ん?」
「何でもない、ごめん、やっぱ野暮だった」
「おまえ…」
「僕が真っ正面から聞けば、ちゃんと正直に答えてくれる、それが嬉しくもあり、その逆でもあり
 ああ…でもやっと聞けた」
「ドンジュン…」
「キス」
「…ん?」
「キスしてくれる?」
「…」
「我慢してたんだ…昨日まで…何だかそうしなくちゃと思って」

拒絶された時の言葉を考える間もなく、スヒョンの顔が近づいて唇が重ねられた
優しく柔らかく湿り気を帯びている
決して自分だけのものではないのだと思えば、尚愛おしい

最後に小さな音を立てて、唇は静かに離れた

「今日…見に来てよかった」
「そう?」
「うん、何てのか…すごく…うまく言えないけど…ちゃんとわかった、スヒョンの仕事」

スヒョンが次の言葉を継げずにいる間に勢いよく立ち上がったドンジュンは
大きく伸びをして乾燥した空気を目一杯吸い込んだ

撮影中
咄嗟にジンの口をついて出た言葉
ーどうして彼が僕の…

僕の側にいてくれたのか

そう言いたかったんだ、僕は

ヒョンジュに…
そしてこいつに…


「イケね…ハリョンとこ行く時間だ、じゃね、頑張ってね」
「ああ」
「そうだ、あとでサイン頂戴ね!」

手を振って走って行くドンジュンが
いつものように笑っていたのかどうかは、よく見えなかった

葉陰は
尚、風に揺れている












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