「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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ぴかろんの日常
リレー企画 274
なりゆき 6 ぴかろん
*****
夕方、イナはテジュンに存分に甘えながらBHCに辿り着いた
裏の戸口で、夜、お迎えしてやるから逃げるなよと言われ、イナは唇を尖らせた
微笑みを浮べて帰って行くテジュンを見送り、店の中に入る
続々とメンバーたちが集まってくる
今日もまたスヒョンはいない
シャワーを浴び、着替えを終え、開店前のミーティングに出る
イナと反対側の後ろの方に、ミンチョルが俯いて立っている
目の端で彼を意識しながら、視線を真逆に向けるイナ
そこで捉えたのは、穏やかに微笑んでいるラブと、少々涙目のギョンジンだった
よく見ると、ギョンジンの小指にラブの小指がそっと絡められている
ふぅん、珍しい…ラブの方が積極的?
イナは二人の顔を見つめた
「イナ、大丈夫か?」
「え?!」
声の主は親友のミンチョルだ
イナはどぎまぎして彼を見つめた
『箱をあげるから…』
「なんだよ、僕の顔に何かついてる?それとも久しぶりに見た親友の美しい瞳に惑わされたかな?」
ヒョンジュじゃない。紛れもなくミンチョルだ。こんなセリフがよく似合う、あのミンチョルだ
でも…その瞳は以前よりずっと澄んでいるように感じる
「イナ?どうした?」
「あ…ほんとに…うちゅくしいひとみれ…」
「…」
「あう…」
こんな場面でらりるれってどうするのだ!
イナはミンチョルから顔を逸らして唇を噛みしめた
「お前…熱でもあるんじゃないのか?大丈夫か本当に…」
「らいじょぶら!ちっと呂律が回らなかっただけらっ…」
「…。ふ。なんだか可愛らしいぞ。そう言えばテジュンさんと一緒にここまで来たんだって?愛されてるんだな」
何を…
愛されているのはお前だろう?
天使にも恋人にも『ジン』にも…
振り返って睨みつけようとした時、ミンチョルはイナの肩をポンと叩いてギョンビンの方へ歩き出した
あいつは…あいつの箱は…真っ白だ
あいつは『家』と『愛』を手に入れた
だからどうだって言うんだ!
蓋を開けてしまった黒い箱の底から、嫉妬や羨望が漏れ出している
開けっ放しておいていいのかどうか、判断もできない
しょうがない、俺はどうしようもない男なんだから…
テジュンがいなきゃ何もできないんだから!
白くなるほど力を込めて、イナは自分の拳を握り締めていた
*****
チョンエのために風呂を沸かし、皆が帰ってこないうちに入れとヨンナムは言う
「…覗く気じゃないわよね?」
「そんな事しないよ!」
「…わかんない。オッパ、いやらしいもん」
「…。しないから!僕は酒の肴でも作るから!入っておいでよ」
「…」
「五右衛門風呂だよ。入ってみたくない?」
「五右衛門…。ニホンの古いお風呂?」
「そ」
「…ほんとに覗かない?」
「覗きませんってば!」
「…なぁんだ。つまんない」
「へ?」
「なぁんちゃって。じゃ、信用して入ってくる」
「…。覗いて欲しかったの?」
「馬鹿」
「なんなら…」
「ん?」
「一緒に入ろうか?」
「馬鹿っ!」
チョンエはプリプリと怒って風呂場に向かう
クスクス笑った後、ヨンナムは真面目な顔で彼女と二人、狭い釜に浸かる自分を想像する
どきどきどき…
チョンエの長い睫毛、華奢な体…
もしそうなったら…
突然、イナの潤んだ瞳を思い出す
戸惑うヨンナムは堅く目を閉じてイナの顔を掻き消す
宴会だ!と無理矢理考える
冷蔵庫に顔を突っ込み、肴になりそうなものを捜す
何がいいんだろう…チョンエは何が好きなんだろう…
そう言えば酒は足りるんだろうか…
焼酎なら1ダースはある。でも…
見たところチョンエは酒豪のようだし、ソクさんとスヒョク君も帰って来るだろうし…というか、帰ってきてほしいし…
ああ帰って来なかったらどうしよう…
テジュンが意地悪くイナと二階にしけこんだら…ああ…ダメだ!雑魚寝しなきゃいけないんだから!
…でも焼酎なんて色気がないな…
チョンエは女性なんだから、ワインの方がいいかな…
うちにワインは無い、どうしよう…
あちこちに飛ぶ思考にアタフタしながらヨンナムはテジュンに電話を入れた
『なんだよ』
「あの…さ…、ワイン買ってきてくんない?」
『ワイン?』
「チョンエの歓迎会のための…」
『は?』
「それと、なんかツマミも…。あ、チャプチェ!僕がよく買ってくるあの店のチャプチェ。あとイナの好きな茎わかめとお前の好きなものも買ってきていいぞ。金は払うから。それとな、お前イナを迎えに行くだろ?その時にソクさんとスヒョク君も絶対一緒に連れてきてくれ。な?」
『…。お前随分テンパってない?』
「…え…」
『ワインはいいけど、お前んちでワインか?似合わないぞ。お前んちなら焼酎のがいいよ』
「でもチョンエが…」
『ワインはチョンエさんと二人っきりの時にしろよ』
「…ふたりっき…」
『どっか洒落たレストランなんかに行ってさ、チアーズ…これだよ』
「そ…そんなの…まるでデートじゃん!」
『そうだよ。デート。お前、チョンエさんの事、好きなんだろ?』
「…え…」
『僕にはそう思えるけどなぁ』
「…そんなんじゃ…ない」
『そか?さっさと決めればいいのに』
「へ?」
『チョンエさんと一発、ヤっちまえ』
「テ(@_@;)」
『くふふ。傍にいるのか?チョンエさん』
「いや…今風呂に入ってる…」
『風呂って…お前…ヤる気満々なんじゃねぇの?!』
「そんなんじゃないって言ってるだろ?!ほんとにそんなんじゃ…」
『そんなんになっちまえよ』
「…え?」
『そうなるのが一番いい』
「…。そ…」
『ま、なるようにしかなんないけどさ。ふ…。そうなるといいなと僕は思う』
「…。そ…かな…」
テジュンの言葉にヨンナムは照れて鼻を掻いた
『とにかくだな、お前んちの宴会に相応しいのは焼酎だ』
「…そかな…」
『焼酎のストック、あるだろ?』
「あるけど…1ダースだぜ。足りるか?6人で宴会だぜ。一人2本しかないぞ」
『足りない?』
「チョンエ、酒豪の顔つきだ」
『ふ。解った。もう1ダース買っていく』
「…それで足りると思う?」
『…。足りなかったらソクと僕がカクテル作ってやるよ。お前んちのサイドボードの酒、使っていいんだろ?』
「…そか…そだな。酒、あるな。じゃ、足りなくなったら頼むよ…」
『チャプチェとツマミと酒ね、了解。ソクとスヒョク君の件も了解だ』
「サンキュ、テジュン」
『なんならゆ~っくり帰るけど?』
「いいよ。すぐに来てくれよ。間が持たない」
『じゃ、先に宴会始めてろ』
「え…」
『その方が仲良くなる』
「…あ…うん…じゃ…ちょっと先に始めてるかも…」
『やっぱゆ~っくり帰ろうか?』
「だめ!早く帰ってきてくれ!頼む!」
『あはは。解ったよ。イナ達乗せて直行する』
「頼むぜ、従兄弟殿」
『はいはい』
*****
イナは営業をつつがなくこなし、閉店と同時にBHCの外に出た
開店前のミンチョルとの会話を除くと、仲間達との会話はほとんどとなかった
醒めた微笑みを浮かべるイナに、客たちは皆、大人っぽい雰囲気ね…と頬を赤らめた
つい、らりるれってしまいそうになる口を引き締めて、イナは「そう?」と一言、まるでスヒョンがするように口角を上げて答え、グラスの酒を一口飲む
今夜、店が終わった後、ヨンナムさんの家でチョンエの歓迎会がある
俺は二人の前でどうやって過ごせばいいのだろう…
大丈夫、テジュンがいる…テジュンが傍にいてくれるから大丈夫…
繰り返し浮ぶ思いを散らそうと、イナはまた酒を一口飲む
そんな風に仕事をこなした
外に出ると優しい微笑みが待っていてくれた
*****
風呂上りのチョンエを想像し、どぎまぎしていたヨンナムは、いささか期待を裏切られ、がっかりしたようなホッとしたような気持ちになった
チョンエは大き目のTシャツとジャージを穿いて、色気も何もあったもんじゃない
ただ濡れた髪が『女』を感じさせはしたが…
気をまわして、洗濯するものはないかと聞いたヨンナムの頬に、スナップの効いた平手が振り下ろされた
直後、容赦のない罵倒が浴びせられ、点目のヨンナムはその形の良い小さな唇に見惚れていた
それからハッと気づき、僕は変な意味で言ったんじゃない、親切で言ったんだぞ!何も叩かなくてもいいだろう、暴力女め!と怒鳴り返した
ふんっ!オッパはドスケベなんだから、変な意味じゃなくても変な意味なのよっ!洗濯ぐらい自分でしたわよ!どこに干せばいいの?!
は?…どこにって…は?じゃ、僕んちに泊まってくの?
…
あ…ふ…
なにニヤケてんのよっ!いいわよ!干さない!ビニール袋貸してちょうだいっ!ホテルに持って帰る!
ビニールなんかに濡れたもの入れてたらカビちゃうよ、干すなら裏に干すから貸して
自分で干すわよ、馬鹿っ
馬鹿とは何だよ、親切に言ってるのに!その裏口出たトコに物干し場があるから、勝手に干せば?!盗られたって知らないからな!
盗られたら着替えがなくなっちゃうじゃないの!馬鹿!
じゃあ干すなよ!
カビても着替えがなくなっちゃうじゃないのっ!
じゃあ買えよ!
イヤよ!
じゃあどうするんだよ、大体旅行するのに着替え一つしか持ってないってのがおかしいだろう!
持ってるわよ馬鹿!
…。じゃ、いいじゃん…口ごたえするなよ…
オッパが意地悪でスケベな事言うからっ!
僕は別に意地悪もスケベな事も言ってないよ、お前が勝手に僕をドスケベに仕立て上げてるんじゃないか!
何よ馬鹿!
…。なんだよっ!泣くなよ、卑怯だぞ!卑怯だ…もう…わかったよ、奥の部屋に干せよ…小物干し、持って来てやるから…
ヨンナムは裏に出て、物干し場から小物干しを持ってきた
奥の部屋にそれを吊るし、周りをタオルで囲ってやった
この中に干せよ、乾きは良くないかも知れないけど…
あ…ありがと…
涙目のチョンエは奥の部屋で自分の洗濯物を干した
ヨンナムは台所に戻り、今の会話を思い出していた
ふ…ふふ…可愛い…
膨れっ面も涙目も…とても可愛い…
意地っ張りで強くて…可愛いふふふ…
心が弾んでいた
*****
イナはテジュンの車に乗り込み、テジュンが運転席に着くのを待っていた
しかしテジュンはまだ車の外に突っ立っている
窓を開けて、どうしたの?と可愛らしく聞くイナに、テジュンは微笑んで答える、ソクとスヒョク君も連れて帰らなきゃなんないんだ…と
イナは、ふぅんと呟いて助手席に身を沈める
それから思い立ったようにテジュンを呼び、テジュンが顔を近づけると、唇を尖らせて目を閉じた
「なにやってんの、お前」
「…ちゅー…」
「こんなとんがり口じゃキスしたくなんないよ」
「ん~」
「え?甘えてるつもり?」
「ん~!」
「あんまり可愛くな~い」
「なんだよっ!」
「色気もないしぃ」
「あんだよっもういいもんっ」
頬を膨らませたイナを笑いながら見つめるテジュンは、それでもイナにキスしようとしなかった
意地悪だ、イナは思った
ちっとも優しくない、テジュンは俺に優しくなきゃいけないのに!…その言葉を頭に流してから、イナは自分はどうしてこんなに身勝手なのかと唇を噛んだ
イヤな男
黒い箱しか持てない…
俺はテジュンに甘えてもいいのか?
だってこれからヨンナムさんとチョンエの…
チョンエを見つめるヨンナムさんの潤んだ瞳を…俺は見なくちゃならないんだ…
そんなの…、テジュンが居なきゃ耐えられないもの…だからテジュンは俺に…俺に…
「てじゅ!」
「…」
「てじゅってばっ」
「…なんだよ」
「キスしてよっ!」
「…。ソク達捕まえなきゃなんないんだからさぁ…」
「優しくしてよっ!」
「…」
「俺に優しくし…」
*****
こいつのこんな我儘は初めてかもしれない
揺れまくって僕に頼って甘えて…
可愛いよ、イナ
可愛くて残酷だよ、イナ
ああ、優しくしなきゃね
大丈夫、ヨンナムたちの前でたっぷり優しくしてあげるから…
これはその予行演習…軽くね…軽くでいいだろ?ソク達を探さなきゃ…
テジュンはささくれ立つ心を宥めながら、イナの唇を軽く啄ばんだ
啄ばまれたイナは、テジュンの唇を捉え、絡まろうとした
ほんの一瞬、舌を絡ませて、テジュンはイナから離れた
「続きは後で…ね」
長い睫毛で軽くウインクを送ると、それが好きなイナはハッと目を潤ませて黙った
テジュンはとどめとばかり、イナの頬から耳に、長い指を軽く滑らせた
それが好きなイナは…
そうだね、お前は長い睫毛と長い指が好き
これで暫く大人しくしてなさい
誰だっていいんだろう?同じ顔の3人のうちの誰だって…
長い睫毛と長い指なら、僕でなくったって…
『だめだよテジュン…』
黒い箱の底から声がする
僕の心の黒い箱の中から、白い腕が這い出てくる
『そんな風に思っちゃだめだよ。この人は貴方が好き。貴方でなきゃダメなんだよ。俺は知ってる…。俺もアイツでなきゃダメ。知ってるでしょ?
だけどさ、俺、貴方も好きだよ。貴方も俺が…好きでしょ?だから…いいじゃない…ね?』
肩に刺青
触れ合うだけでいい…
僕はこいつでないとダメだから…
触れ合うだけでいいから…
助けて、僕を助けて…
細長い闇 2 あしばんさん
病院は、パクの会社からそれほど遠くはなかった
無理矢理っていうか…
1分しか時間がないって言ってた男が
車回しに用意されてた(たぶん自分の)高級車に僕を押し込め
それほど下手そうでもないハンドルさばきで発進する間
僕は黙って従ってた
実際、パク・ウソクがそんな行動に出たわけを分析するより
ハリョンのことが気になってたし
だから、やつがいつになく真剣な目で
いや、あの冷静そうな態度はいつもと同じなんだけど
どこかムキになったように運転する横顔も、ちらっと見ただけで
その後は、渋滞寸前の車の波を眺めてた
指定された場所に着くと、ハリョンはまだ処置室みたいなとこにいて
ぼんやりと天上を見上げてる
僕が質問の口を開く前に
側にいた銀色の眼鏡の女医が声をかけてきた
「おうちの方?」
「じゃないですけど…後からダンナが来ます…たぶん…」
「酷い貧血ですがもう大丈夫です、赤ちゃんの方はまだ心配ですけどね」
「…」
「もう少し様子を見ましょう、入院になるかもしれませんよ」
医者の言葉に驚くことはなかった
婦人科に来いって言われた時に、もう予想できたから
振り返ると、ハリョンが僕を見てる
「あの…どっか痛まない?」
「ドンジュン…赤ちゃんのことは、ギスにはまだ言わないで」
「そんなの…」
「今、あのひと大事な時なのよ」
「大事って、こっちだってこれ以上大事な時はないだろうが」
「わかってるけど」
「そういう気遣いってやつが不幸を招くんだよ!」
僕のちょと大きくなった声を聞いて、さっきの女医が睨んだ
・・・・・・・・・・
「チーフ、大丈夫?ちょっと休憩しようよ」
病院の暗い通路での撮影が終わる頃、
僕は、自分でも気づかずにふらついていたらしい
撮り直しは1度もなかった
充分時間をかけて
ヒョンジュを失ったジンに移入した
重い身体
感覚のない手足
何も見ていない目
どろどろになったような身体の内部
火のような喉の乾き
メイクさんの腕もいいのだろうが
モニターに写った自分の横顔は、ただの哀れな物体
シン監督は、OKの声の後すっと近づいて
よかった、イメージ通りだ、参ったよ、ユウジを亡くした時を思い出した
そう言ってポンポンと僕の腕を叩いた
ジンの感情から抜け出せずにいる
バカバカしいくらい、自分の気持ちがコントロールできない
もうヒョンジュがいないのだと思えば思うほど
もう触れることができないのだと思えば思うほど
その感触は鮮明に蘇って
内臓を手づかみでかき回す
台本の裏表紙の、シン監督の走り書きがよぎる
君に出会えて
どんなに幸せだったか
まだ伝えてなかったのに
明日もあると思って
明日でいいと思って
まだ君はそこにいるんだと思って
・・・・・・・・・・
「だからさ…わかる?…ちゃんと言わないとだめだって」
「…ドンジュン…」
「相手のこと考えるってのは、今の自分をちゃんと伝えることでしょ?」
「…」
「でも…あのひとに今、余計なこと考えさせたくなくて」
ベッドのシーツの端に腰掛けて
僕はハリョンの、涙の零れそうな目を覗き込んだ
「わかってる…でもね、大事なもののことを考えるのは余計なんかじゃない」
「…」
「ギスにとってハリョンの存在が大事だったら
どんな大変な時にどんな時間を使ったって、プラスになるはずでしょ」
言いながら、僕は頭のどっかで自分のことを考えてた
ひとには、こんなことサラッと言ってる自分がおかしい
僕は、結局自分を誤摩化してる
ううん、そうじゃなくて
自分の弱くて汚いところを他人に見せないようにしてる
スヒョンにさえも
僕がどんなに…
電源を切り忘れてた携帯がポケットで震え
液晶にギスの名前を見て、僕は急いで廊下に飛び出した
病院の外に出て、かけ直す
『どうした、会社から連絡があったけど、おまえ病院行ってくれてんだろ?』
「ハリョンが倒れた、直ぐ帰れ」
『それは聞いたが、今は落ち着いてると…』
「釜山からなら大した時間はかからないだろ」
『しかし最後の大事な会合が…』
「自分の子どもより大事なもんがあるかっ!」
僕の声に、病院の入口辺りを歩いてたひとのほとんどがビクリとした
『は?』
「子どもだよ!おまえの!ハリョンとおまえの!」
『…』
「おまえには黙ってろって言われたけど、僕が黙ってるわけねーだろ!」
『…』
「いいか!帰れ!直ぐ帰れ!今帰れ!荷物もそのままで帰れ!」
『ド…』
「帰らないと後悔するからな」
自分が目に涙を溜めてるなんて、気づいてなかった
「おまえのもんだろうけど、僕にとっても大事なひとだ」
『ドンジュン』
「帰らないなら、ハリョンは僕がもらうぞっ!いいか!マジだからな!」
『…』
「マジだからなっっ!」
そんな言葉が口をついたのも
胸のどこかをスヒョンの影がかすめて
あの声が身体に充満してて
もう感情がごっちゃになったんだって、認める
「大事なもの、ちゃんとしまっとけ!バカやろう!!」
昨日押さえた感情が流れ出てきて
収拾がつかなくなって、涙が出た
何かをすごく怖がってる自分に気づいて、涙が出た
どんなに…
どんなにあいつが必要か
まだ
何も伝えてないのに
病院の庭に続くスロープの低い壁に寄りかかり
閉じた携帯を持ったまま、膝に手をついてうなだれる
足元の乾いたコンクリートに涙が染みをつくるのを
僕は仇のように睨みつけた
そして
その直ぐ横の視界に黒い革靴があるのに気づいた
ピカピカに磨かれた黒い靴
そいつがいることなんて、すっかり忘れてた
そいつは声をかけるでも、手を差し伸べるわけでもなく
僕が顔を上げるまで、僕と同じように壁に寄りかかってた
「ごめ…すみません…もうダイジョブだから帰って下さい」
下を向いてるうちに涙を拭って
バカにしたような目で見られてるのを覚悟して、そろりと身体を起こすと
パク・ウソクはてんで関係のない方向を見てた
「言われなくても帰る」
2つ3つ出るかと思った嫌味は、なかった
「彼女についててやれ、代わりが来るまで」
「わかってる」
「…」
その切れ長の目が、何か言いたそうに僕を見た
「何だよ…」
「いや…君は…」
「何だよ」
「ひと前で泣けるんだな」
「…悪いか」
「悪かない」
「ガキだとか言うんだろ」
「ふぅ…暑苦しい男だな、まったく」
言い返してやろうかと思って口を開きかけた瞬間
そいつの…何て言うんだろう…困ったような、どこか優しげな目を見て
ちょっと言い淀んだ
そんなヘンチクリンなそいつの顔を見たのは、初めてだったから
どうして、そんな目をするんだろうか
大体、僕が病院に飛び入ってから今まで
時間給何十万ウォンだかの男がここで待ってたっていうことが
後から考えれば妙なことだったんだけど
その時の僕には、そんなことに気を回す余裕はなかった
「借りは返したからな」
「…あ…うん」
礼を言うのを忘れたことに気づいて声を掛けようとした時には
パク・ウソクは、向こうに停めてあった車に乗り込むところだったから
僕はぺこりとお辞儀だけをした
・・・・・・・・・・
「お疲れさま、スヒョンさん、名優ね」
ジンの部屋のセットへの移動中
久しぶりに声をかけてきたのはユン女史だった
最近は、スタジオでもほとんど言葉を交わしていなかった
彼女と普通に話すということは
ジンでない自分を切り取られてしまうような
そんな不安感もあるからなのかもしれない
肩のコリをほぐしたり、伸びをしている彼女は小柄で
こうして見れば、とてもカメラマンには見えない
撮影の時の、怖いほどのあの迫力はどこからくるのだろう
「僕は監督に言われるままにやってるだけです」
「うふふ…まぁそういうことにしておきましょうか?」
「それ以外ないですよ」
「でもさぁ、スヒョンさんって撮りにくいわぁ」
「悪い被写体ですか?」
「まさかぁ、最高よ、動きの予想がつかないってだけ」
「それは素人だからですよ」
「はは…まぁそうかもしれないけどね、恋人を亡くした辛い男って枠を越えてるのよね
何てのかなぁ…禁欲者?」
「え?」
「やだぁ…変な想像しないでね、自分を抑えてるってこと」
「…」
「物語に”もし”はないけど、考えちゃうの、ヒョンジュがずっと生きてたらって」
心臓がドクンと波うった
「意外と、ジンはずっとあのままだったりしてね」
「…」
「そんな感じをあなたのジンは滲ませてるなぁと思うの、わかる?」
「いや…」
「だから表情の予想がつかないんだよね
だって、今までそんな男に会ったことないんだもん」
ユン女史は、ちょっと肩をすくめて僕を見た
「手に入らないものって、余計に恋しいじゃない?
でも、そういうとこにより自分を追い込んで行くって感じかなぁ、わかる?」
「…いえ…」
「ふふふ、無自覚かぁ、罪ねぇ」
・・・・・・・・・・
のろのろとハリョンのところに戻ると
もう病室に移されてた
やっぱり入院になるらしい
小さなベッドで彼女は眠ってた
ー帰らないなら、ハリョンは僕がもらうぞっ!
ごめん…当てつけじゃないんだ
でも…当てつけだよね
自分にさ
病室の腰窓を開けて、外を見る
空調のきいた部屋に、湿気を含んだ空気が流れ込む
病院の外に真っ直ぐ続く道路に目を移し
何とはなしに、ついさっき出て行った車を探す
昼食会とやらは、やっぱりキャンセルしたんだろうか
僕なんかのために
「ヘンなやつ…」
その時、ホントはちょっと気づいてたのかもしれない
ジンの、スヒョンの後ろ姿と
パク・ウソクの後ろ姿がどこか似てるってことに
夕方
うろたえたギスが到着するまで
僕はハリョンの側を離れなかった
追想 白い道 オリーさん
その道は
どこまでも続いていると信じていた
透き通るような青い空には
ちぎれた綿菓子のような雲が浮かび
道の両側には深い緑の木立が続いている
ふたりで走ったあの白い道
ドイツが誇る有名なその道
アウトバーン
何度か受けたパッシングにようやく降参して
後ろからせっついてくるBMWロードスターに車線を譲った
ブロンドのショートヘアをなびかせ
鋭角的なサングラスをかけた女性ドライバーは
並走した一瞬の間、こちらにちらと視線を投げた直後、
確信的にアクセルを踏みこんだ
高速からのさらなる加速はあまりにも見事で
130キロは出ているはずのこちらのオペルは
みるみる置いてきぼりにされた
そして金髪の魔女が操る銀色の車体は
あっという間に視界から消えたのだった
「やれやれ、何であんなに急ぐのだろうね」
「こっちだって結構スピード出てるのにすごいね」
「お嬢様はアクセルを踏むのが好きなのさ」
「自分だってさっきまでアクセルふかして意地張ってたくせに」
「ふん」
「BMのZ4に勝てるわけないじゃん」
「同じドイツ車じゃないか」
「このオペルとは馬力が違うよ」
「まあ・・確かにお前の言うとおりだ」
ロンドンからフランクフルトへ飛び、そこで車をレンタルした
そしてミュンヘンを目指してアウトバーンを走っている
ふたりで旅をするのは初めてだった
目にする風景すべてにわくわくし
そして何よりふたりだけでいられることに興奮していた
「この道を走るとよくわかるな」
「何が?」
「ドイツの優秀な車がこの道を走るために作られたという事が」
「そうなの?」
「最初はベンツなどの自動車会社がここで最高速度を計っていた」
「へえ」
「第二次大戦の際には滑走路にも使われていた」
「すごいな・・その頃からあるんだ」
「確かに・・大したもんだな・・」
道の両側の木立の向こうには
緑の絨毯が広がり、合間に集落がぽつりぽつりと見える
イングランドのスロープが美しいと形容されるなら
ドイツのそれは、緑が濃く、深い
飛んでゆく風景と目の前に広がる白い道
そして傍らでハンドルを握るアーメッドの横顔を
胸を弾ませてかわりばんこに眺めていた
ロードスターほどのスピードはないにしても
ふたりだけの異国の地でのドライブは
この上ない開放感に満たされていた
今、この世界にふたりだけだ・・
ミュンヘンの郊外の小さな町
昼間、その見知らぬ町をひとりでぶらついていた
アーメッドの仕事が終わるまでの時間つぶしだ
短い通りの店を片端からのぞいていった
自然食品の小さなスーパー、地元の人で賑わう青空市場
特に目を引く物もない雑貨店、木製の物しか置いてない玩具店など
何度か通りを行き来して
最後には通りのはずれの小さな公園でブランコに乗った
それでもまだ時間があまったので、早めに待ち合わせのパブに行った
戸外にもテーブルが並ぶその店は地元の人間で賑わっていた
だがよそ者には見向きもしなかった
しばらく経ってアーメッドがやってきて目の前に腰をおろした
「まだ何も食べてないのか?」
「だって・・」
「注文してないのか?」
「店の人が注文を取りにこないんだ」
すねた言い方をして、少し離れたテーブルに視線を移した
そのテーブルには地元のドイツ人数人が陣取り
ビールを片手にソーセージやかたまり肉を頬張っている
そのテーブルに注文の品を運んできたウエイトレスに何度か声をかけた
だが、やや小太りで赤毛の女性はこちらの声には振り向きもしなかった
アーメッドはすっと立ち上がると
ちょうどビールを運んできた女性に近づいていった
身振り手振りで何かを話しているその様子を
あまり座り心地のよくない木の椅子に腰掛けたまま見つめていた
アーメッドは最後にその女性の肩を軽くたたいて戻ってきた
「注文できたの?」
「たぶん」
「ドイツでは英語は通じないのかと思った」
「ここは田舎だ、外国人は珍しいんだろう」
「何を注文したの?」
「あのテーブルにのっていた皿とビールを持って来いって言っただけだ」
「なあんだ。そんなことならできたのに」
「随分おとなしくなったじゃないか」
「そんなんじゃないよ」
ただ・・
誰かに寄りそうことを知ってしまったから
独りで突っ張ってきた自分がどんどん失くなっていく
ちょっと怖い気もしたけど、それがとてつもなく嬉しかったりもした
それからしばらくして
僕らの席にはソーセージの大盛りの皿とビールが運ばれてきた
アーメッドは大げさにお礼を言って女性にチップを握らせた
それですべてはうまくいった
なぜなら、おかわりのビールは何も言わなくても届いたから
僕は一番大きな骨付きのソーセージにかぶりついた
アーメッドは目を細めていた
あの時のアーメッドの瞳を今でも覚えている
穏やかで優しくて、そして一番大事なこと
まっすぐにこちらを見つめてくれていた・・
あの瞳
あんなに美味しいソーセージは初めてだった
もう二度とあんなソーセージを食べることはないだろう
ミュンヘンから南へ下り一気に国境を抜け、スイスに入った
バーゼルというその街は観光地のようで
ドイツのあの小さな町よりも何倍も賑やかだった
アーメッドはどこかへ出かけ
その間、またひとりで街を歩き回った
アーメッドがドイツやスイスで何をしていたのかは知らない
知る必要なんかなかった
アーメッドが何をしようが、後をついていく
それはもうずっと前から決まっていたこと
あの広い背中をずっと見つめていけるのだと信じて疑わなかった
永遠を感じる瞬間は確かにあるのに、
なぜそれは続かないのだろう・・
しばらくして待ち合わせのマクドナルドに入った
「スイス人はドイツ人よりも親切だよ」
待ち合わせの時間にわずかに遅れてきたアーメッドに言った
「どうして?」
「地図を広げていたら、店の人が何かお困りですかって聞いてきた」
アーメッドはそれを聞くとにやりと笑った
「スイスは観光立国だ、観光客にはとびきり親切さ」
「何だ、そうなのか・・」
「でもまあ、親切にされて悪い気分はしないな」
「そうさ。それで用事は済んだ?」
「終わった」
「そう、じゃあ後は帰るだけだね・・」
「どこかへ寄り道するか?」
「いいの?」
「どこか行きたい場所はあるか?」
「どこでもいいよ」
ふたり一緒なら・・
いきなり飛び込んできたハッサンが大声でまくしたてた
「撤収だ、今すぐここを出ろ!」
「どうしたの?」
「アーメッドが殺られた!」
「殺られたって・・」
「ここも危ない、逃げるんだ!」
「どうなったの?何があったの?」
「作戦は失敗だ、全部読まれてた」
「ねえ、アーメッドはどこ?」
「言っただろう、殺られたって。撃たれたんだ」
「嘘だ、嘘だ。どこにいるのさ?」
「アーメッドはもう帰ってこない」
「信じない、そんなの嘘だ・・」
「信じるも信じないもお前の勝手だ、だが逃げろ」
「いやだ!ここで待つって約束したんだ」
「いくら待っても、もう帰ってこないんだっ!」
「嘘だ、嘘だ、嘘だ!」
「嘘じゃない!連絡係のアリから連絡が入ったんだ」
「信じないから・・絶対に信じないからっ!」
「捕まればやっかいなことになる、わかるな?」
「・・・・」
「わかったらさっさと動けっ!」
「嫌だよ・・そんなの・・どうして・・」
「それから、あれを出せ」
「何?あれって?」
「とぼけるなっ!アーメッドがお前に預けたのは知ってるんだっ!」
「何のことだよっ!」
その道はどこまでも続いていると信じていた
ふたりで走ったあの白い道
ふたりならどこまででも行けると信じていた
いつまでも、どこまでも・・
ふたりなら・・
頭の上には透き通るような青い空
ちぎれた綿菓子のような雲
そして
道の両側に果てしなく続く緑の木立・・
なりゆき 7 ぴかろん
「テジュン、どうした?イナならとっくに帰った…って…あれ?車に乗ってるじゃん」
「…ソク…」
「どうしたんですか?テジュンさん」
「…ああ…。君達を待ってたんだ。ヨンナムがソク達を連れて帰ってきてくれって」
「なんで?」
「チョンエさんが来た。歓迎宴会するんだって」
「宴会?行きましょう、ソクさん」
「…。だってスヒョク、今夜はお前の寮でしっぽりと…」
「しっぼりと泣き濡れて『星の王子さま』読むより宴会の方が楽しいです!行きましょう!」
「ええ?…でも…」
スヒョクは二の足を踏んでいるソクを尻目に、さっさと車に乗り込んだ
ソクは渋々スヒョクの後に続いた
テジュンはクスクス笑いながら、ようやく運転席に身を沈めた
「てじゅ、キス!」
「まぁだ言ってる…さっきしたでしょーが」
「ソクさん、イナさん可愛いね」
「お前のほうが可愛いよ」
「ソクさん、キス」
「…す…スヒョク…」
「てじゅ、スヒョクもソクにキスっちってるからキス!」
「やだよ。行くぞ」
「あっ…てじゅううう…」
テジュンは笑い声を立てながら、車を発進させた
お前の思い通りになんか、動いてやるもんかと体中で叫びながら
*****
「それでね。お店、出せることになったの」
「そうなの?よかったね」
「あのね、オッパのおかげよ」
「僕の?なんで?」
「スヨンさんがね、ヨンナムさんが強く推してくれたから心が動いたって言ってた」
「…そ…。役に…立てたんだ…」
「うん。ありがと」
「チョンエが店長?」
「うーん、まだわかんないけどね。でぇ…店出す代わりにぃ…スヨンさんに頼まれちゃった…」
「何を?」
「うーんとぉ、ホテルとぉ、地元の人とをぉ結びつけるなんちゃらかんちゃら…」
「…あの…講師がどーのこーのって話?」
「うん」
「…。僕もそれ、ジャンスさんから言われた…」
「スヨンさんも言ってた。ヨンナムさんにもお願いしたから貴女もどう?って…」
「…。けどさ、君は済州島の住人だからいいとして、僕はソウルにいるのになんで?」
「庶民的だから丁度いいと思ったんじゃない?」
「庶民的…」
「オバチャンやオジチャンの人気者でしょ?オッパ」
「…あ…ああうん…まぁ…」
「コドモにも人気ある」
「えーっと…まぁ…うん…」
「だから地元の人のウケもいいって思ったんじゃない?スヨンさん」
「うーん…。けど、講師って言ったって、何を講義するんだよ…」
「だよね。私も一体何を講義するんだか…」
「でも君はその話、受けなきゃなんないんでしょ?」
「オッパが一緒だったらね」
「へ?」
「聞いてない?私、オッパが一緒だったら引き受けるって答えたの」
「き…聞いてないよ…」
「オッパがオッケーくれなきゃ、私も断わる。そうすると、別のマッサージ店がチュンムンホテルに入ることになる…」
「なんだって?!」
「かもしれない…」
「(@_@;)そんな…。じゃ、僕がその話引き受けなきゃ君が困るってこと?!それって脅しじゃんか!」
「『かもしれない』って言ったでしょ?」
「『かもしれない』かもしれないけど僕が断わったらチョンエの夢が壊れちゃうかもしれないじゃん…」
「そ」
「そ…って…えええっ?!だって僕、こっちの仕事もあるんだよ。そう言ってジャンスさんに断わる方向で話そうと思ってたのに…」
「オッパ~。やろうよぉ一緒にぃ」
「…ええん…」
「ね?私と一緒だよ。楽しいでしょ?」
「…一緒ったって、講義は別々でしょ?なんの講義だか知らないけどさぁ…」
「講義する日、済州島に来られるんだよぉ。チョンエに会えるんだよぉん」
「…。チョンエ、もう酔った?」
「酔ったぁぁ」
「うそ…酒豪じゃないの?」
「なんちって。酔うはずないじゃん、まだ一本しか空けてないのに!」
「…」
「ね?講師、やってみない?」
「…うーん…」
「こっちの仕事なら、イナ達に頼んじゃえばいいじゃん、昼間暇そうじゃんイナ」
「いや、イナはパン屋さんの仕事もあるし…。あ!そうだ!テス君の言ってたイナのパン、食べようよ」
「あん…。もう!逃げないでよ!」
「だってさぁ、何やるか解んないのに『あいあい~』って簡単に引き受けるわけにはいかないよ」
「…。臆病者」
「…」
「つまんないの」
「…つまんないって…」
「会うチャンスが増えると思ったのに」
「…。チョンエ?」
「…つまんなぁい…」
「…。チョンエ…」
唇を尖らせて拗ねた顔をするチョンエに、ヨンナムはゆっくりと近づきかけた
ガラガラガラーっただいまぁぁ、おーいヨンナムぅ、酒取りに来いよぉ、重いよぉ
「…。ちいっ…」
顰められたヨンナムの顔を見て、チョンエはクスクス笑う
「帰ってきたね」
「…。ちょっと行ってくるね」
「私も行くっ」
「え?」
*****
イナが運んでいた焼酎を、飛び出してきたチョンエが抱えた
イナはギョッとした顔でチョンエを見る
ニコッと笑った悪戯っ子のような顔は、昔のまんまだとイナは思った
お前、俺に惚れてた時もあったよな?
その後テスで、その後ヨンナムさんか?
みぃんな全然違うタイプだぞ
…なんて節操のない女なんだお前は…
「一緒にお酒飲むの久しぶりだよね、イナ」
「え?あ…うん…」
「ちょっと先にやってましたぁ」
「…やってって…」
「…。そのヤるとはわけが違いまぁす」
「…。解ってるよバカ」
「うふん。イーナ」
「あんだよ」
「アンタの彼氏、かっこいいね」
「そう…か?」
「うん。シブいし大人だよ、オッパより」
「…」
同じ顔だぞ…
同じ顔だ…
そうなんだ、ヨンナムさんは可愛いんだ…テジュンよりコドモなんだ…
「ん?どしたの、イナ?」
「…お前、風呂入ったのか?」
「うん。五右衛門風呂。面白かったぁ」
「…」
「でね。私、洗濯したの、いろいろ」
「…うん」
「それをね、オッパったら…」
チョンエの洗濯物の話を、イナは虚ろに聞いていた
楽しそうに話すチョンエの向こうに、戸惑い、怒り、微笑むヨンナムの顔が見える
ヨンナムはこの女の虜になりつつある…それは知っている、ただ自分が受け入れられないだけだ…
居間に入り、チョンエの話を聞きながら、イナは座り込む
テジュンが、手洗いうがいをしなさい!と父親のような事を言い、イナはまた立ち上がる
イナと入れ替わりに座ったテジュンに、チョンエがニコニコと挨拶をする
イナが随分お世話になってるそうでぇ~、いや、こちらこそヨンナムがお世話かけてるみたいで…
チョンエはじっとテジュンの瞳を見つめる
唇を少しだけ尖らせてから開く
「何かあったの?」
「え?」
「…。イナが…何か…やらかした?」
「は?」
「…。ごめんね、あの子ったら時々はっきりしないから…」
「…え…」
「根気がないとあの子に付き合えないわよ。私は根気ないから無理だったけど、スヨンさんは根気強かったわぁ」
「…」
「テジュンさんは大丈夫…かな…大丈夫よね?」
「…。何が?」
「イナを…好きなのよね?」
「好きですよ」
「…。…ま、いいか」
「なにが?」
「…。今さ、テジュンさんさ、ちょっとイナに意地悪してない?」
「え…」
「したくなるのも解るわぁ」
「…」
テジュンはまじまじとチョンエを見つめ、チョンエもまたテジュンを見つめる
「参ったな、これか」
「ん?」
「キミは心が読めるの?」
「え?」
「確かに、僕、今ちょっとイナに意地悪かもしれない」
「やっぱり…。ダメよ。あんまり苛めちゃ」
「ふふ」
「でも解るの。苛めると涙目になるでしょ?あの子」
「うん」
「それが堪んないのよね」
「あはは。うん。そうなんだよ」
「貴方には甘えられそうね、あの子」
「え?」
「甘えん坊のくせに甘えるの下手だからさ、イナ」
「…。さすがは幼なじみだね、よく解ってるな」
「イナのフクザツ~な気持ちも、解ってるよ」
「…」
「ね。オッパって」
「オッパ?ヨンナムの事?」
「うん。オッパって…、…。あ、いいや。自分で探る」
「は?」
「なんでもない」
「?…面白い人だな、チョンエさんって…」
「あは。ま、飲みましょうよ」
「ああうん…」
イナは手を洗って居間へ戻ろうとした
台所の前を通り過ぎた時、ヨンナムに呼び止められた
胸の鼓動が早くなるのを感じながら、ヨンナムに言われた物を居間に運んだ
自分達の荷物を二階に置いてきたソクとスヒョクも居間にやって来た
肴の皿を乗せた盆を持ってヨンナムが居間に入ると、本格的に宴会が始まった
なりゆき 8 ぴかろん
乾杯した後、グラスを置いたチョンエが皆の顔をじっくり眺めた
その後、隣にいるヨンナムの肩をパタパタとせわしなく叩き、騒ぎ始めた
「うわぁぁオッパ、オッパオッパ」
「なんだようるさいなぁ」
「ねねねねねね、オッパ」
「なんだよ」
「すっごぉい」
「なにが!」
「オッパ顔が三つだぁ」
「…」
「チョンエさん、立ってごらんよ」
スヒョクがにこやかに声をかける
チョンエは改めてスヒョクを見つめる
「イナ顔もふたぁつ…」
「あは。ウチの店に来たらもっと沢山同じ顔だよ」
「そ…そうね…それって凄いわよね…ねねねねねね、オッパ」
「イチイチ僕に話しかけるなよ」
「なによ、意地悪!」
チョンエはイナの気持ちが萎えて行くのを感じている
それでもヨンナムとの会話をやめようとしない
済州島で経験済みの事だが今日はテジュンがいるから大丈夫だろうとチョンエは考えた
イナはヨンナムを見ている
ヨンナムは…
あの時とは違う
ヨンナムの視線の先にいるのは自分だとチョンエは気づいている
「チョンエさんさ、ここに立って」
「え?ここ?」
「そ。んで、ソクさんここ。ヨンナムさんここ。テジュンさんここ。はい!くるっと回ってごらんよ」
「…。うわ。うわわわわわわ。すご…すごいわ…。オッパ顔が…きゃあああっこわいっ!」
同じ顔の3人の真ん中に立たされたチョンエは、その場で一回転したあと、叫んでしゃがみこんだ
スヒョクはケラケラと笑い、イナは息を吐きながらわざとらしいと言った
「ちょっとぉ、スヒョク君もやってごらんよぉ」
「え?俺?」
「やったんさい!コワいからっ!」
言われてスヒョクはチョンエの立っていた場所に立ち、くるりと一回転する
「うは。は。…。ほんとだ…。ちょっとコワいかも…」
「ね?そうでしょ?今度はイナ。こっちおいで」
「…いいよ俺は。別にコワくないから…」
「なによぅ、ホラ、一回試してごらんなさいよ」
「あっ!」
華奢だけれども力の強いチョンエに引っ張られ、イナはチョンエの立っていた場所に連れて来られた
くるりと一回転する
同じ顔、同じ顔、同じ顔
少しずつ違う
醒めた目で静かに優しく人を見つめているソク
前髪が少し伸びたね、テジュン。影になってお前の瞳がよく見えないや…
弾む…。弾む瞳が長い髪を追いかけている…。俺なんか目に入らない…そうだろ?ヨンナムさん…
「ふ…」
「コワいでしょ?」
「べっつに…」
「あらっ?ノリの悪い男!」
「もういいだろ、チョンエ。さぁみんな、座ってよ。飲もうぜ」
ヨンナムの一声に反応し、皆はまた席についた
イナの右隣にチョンエ、左隣にはテジュンがいる
テジュンの左にはスヒョク、その左にはソク、その左にはヨンナムがいて、そして…チョンエがいる
ぐるりと眺めながらイナは唇を尖らせる
テジュン顔は一つ飛びに並ばなくちゃいけないのに…
なんでソクとヨンナムさんが並んでるんだよ…
チョンエがソクの隣に行けばいいんじゃねぇか
そしたら俺は…
「イナっ。飲みねぇ飲みねぇ」
チョンエが焼酎の瓶を差し出す
「お前…どれだけ飲んだ?」
「ん?まだ焼酎二本」
「もう?!もう二本も飲んだのか?!」
「だって僕達先に飲み始めちゃったからさぁ」
ヨンナムがチョンエを庇うように割って入る
イナは唇の内側を少し噛み、それから反論する
「じゃ、ヨンナムさんももう二本飲んじゃったっての?飲んでないでしょ?コイツはウワバミなんだからね。しかも酒癖あんまり良くないし!」
「酒癖悪いのはイナもでしょ?!」
「なんだよ!俺は…」
「だぁって、昔二人で飲んでてヘベレケになって気づいたら一つの布団で抱き合って寝てたじゃない!あの時何もしなかったでしょうね?!」
「(@_@;)な…」
「…なん…だって?イナはチョンエと…つきあってたの?」
「ちっ(@_@;)ちがうよヨンナムさんっ」
「あのね、オッパ。私は昔、イナの女だったの」
「(@_@;)ちっちっちがっ」
「そう言いふらしてたの、イナが好きだったから。でも全然振り向いてくれなかったの。ほんとにつれないヤツ!」グビグビ
「あっ(@_@;)俺の焼酎…」
「はー、美味しい。皆でワイワイやるとほんとに美味しくて楽しいわね(^o^)」
「お前、誤解を解けよ!」
「だーって!私、イナが好きだったもん、あの頃は」グビグビ「ファースト・キスだってアンタとだったんだから」グビグビ
「あ(@_@;)…あれはお前が無理矢理…」
「懐かしいわ~なにかにつけて、イナに纏わりついてたのよね、私」グビグビ
「おまえっ!だからそれは俺の焼酎…」
「なによう!イナったらちょっと会わないうちにドケチになったわね!昔は『イナのものはチョンエのもの。チョンエのものはチョンエのもの』の仲だったのに…はぁぁ…せちがらい」グビグビグビ
イナのものはチョンエのもの…
イナのヨンナムさんは…チョンエのヨンナムさんか…
二人の会話を聞きながら、テジュンはそんな事を思った
「ふふふ…。仲がいいんだな、チョンエさんとイナは」
「うふ(^o^)」
「仲良くなんかない!<(`^´)>」
「…あんた、何怒ってるのよ」
「俺のものは俺のものなんだからっ!」
「…。はぁ?へんなとこに拘るわね。わかったわかった」グビグビグビ
「らからそれは俺のっ(;_;)」
「で、ヨンナムは『うん』って言った?」
「「へ?」」
テジュンの言葉にイナとチョンエは目を丸くした
「何を…何が『うん』なの?」
イナの不安そうな顔をみて、テジュンはほんわりと意地の悪い満足感を得る
「例のハ・ナ・シ」
わけが解らないイナはきょときょとと目を泳がせている
…お前に話してるんじゃないんだ。大人しくしてろ、浮気者
心の中で冷たい言葉を吐いて、テジュンはチョンエに微笑みかける
漸くテジュンの意図を理解したチョンエは、ああ…、中々手強くて…と答え、ヨンナムを見つめた
「…なんのこと?なんの話?」
恐る恐る口を開き、テジュンに縋るように聞くイナ
そのうちわかるさ、とまともに答えないテジュン
スヒョクは、そんな二人を心配そうに見つめ、ソクは4人を見比べている
「追い詰めないでくれよぉ、こっちの仕事だってあるんだしさぁ…」
「別に私、追い詰めてないもん。事実を伝えただけだもん」
「テジュン、やり方が汚いよ。僕を陥れたいわけ?」
「陥れるだなんて、人聞きの悪い…。僕はキッカケを与えてやってるのに」
「キッカケって…。けほ…。あ…」
「ねぇチョンエさん。君もヨンナムが一緒に講師やってくれたら心強いし嬉しいよね?」
「うん。そう言ってるのにさぁ」
「…てじゅ…なんのはな…」
「ヨンナムの返事次第でチョンエさんの仕事がうまくいくかどうかが決まる『かも』しれない」
「それだよ!それが陥れようとしてるとしか思えない」
「オッパ、私と一緒じゃヤなの?!」
「いや、だから…そうじゃなくてその…なんで僕が済州島に行かなきゃなんないのかって話で」
「済州島?!…てじゅ…どういう…」
「お前の人柄や仕事ぶりを見込んで頼んでるんじゃないか」
「そうよ、オッパの話術であのバリバリのスヨンさんが落ちたのよ」
「…すよんがおちたってなんのはな…」
「だよな?お前、人を説得するのに向いてるんだよ」
「ね!そうよね、テジュンさん」
「だよね?チョンエさん」
「…あの…てじゅ…なにがどう…」
「地元の人たちは、チュンムンリゾートのホテルが高級すぎて近づけないと思ってる。そうじゃないんだ。確かに立派なホテルだけど、フレンドリーな面もあるってこと、地元の人たちにわかって欲しいんだ」
「そんな説得、お前がやれよ!」
「僕じゃダメなんだよ、お前のその『庶民的雰囲気』がどうしても必要なんだ」
「同じ顔なんだから、お前が『庶民的な服』着て説明すればいいだろ?」
「チョンエさんと一緒にか?」
「…。講義は別々だろう?!」
「いや。二人でペアだ」
「え?!」
「そういう案もある。一人でも構わないけど。でも僕がお前の代わりにやるんだとしたら、あくまでもチョンエさんのアシストだからさ。二人でペア」
「…なんでアシストなんだよ…」
「僕はホテル側の人間だもん。地元の人が地元の人に講義するって原則に反するじゃん」
「…てじゅ…なんのはなしなのさ…」
イナの手がテジュンの腕に触れた。テジュンはチクリとした痛みとともにたまらない快感を覚える
もっと…苛めてやりたい…
「あとで説明する」
優しい顔で冷たく言い放つと、イナはションボリと俯く
…そうだ、その顔。大人しくしてろ、そのうち解るから…
たまりかねてソクが口を挟む
「おいおい、わけのわかんない話するなよ。何がどうなってるのか僕達に説明ぐらいしてくれてもいいだろう?可哀想に、ずっとイナを無視して。意地が悪いぞ、テジュン」
むっとした顔でソクを見たテジュンは、悪かったな、実はこうこうこうで…と、ヨンナムを講師にしたいという話をした
…もう少し意地悪したかったのに…
目の端に見えているイナは、俯いたままグラスを弄くっている
…聞いているのか?知りたかったんだろ?
※リレー275につづく
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