「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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ぴかろんの日常
リレー企画 303
しあわせなあさ 2 ぴかろん
【『Forno felice (幸せパン屋)』店内】
開店十分前になり、ウインドウのロールカーテンを開ける。いよいよドア横のパネルがお目見えってわけだ
テスと闇夜がロールカーテンを順に巻きあげていく。店内が露わになると、並んでいた人々がぴったりガラスにくっつく
「ああん!べったりくっつかないでよぉ~。窓がよごれちゃうじゃんかぁ」
「テスシ、いいっていいって。フキフキすればぴっかぴか」
「…そっか…、そだね」
「しかし壮観。こんなに並んでくれるとはねぇ」
「うん。うれしいね、mayoッシ♪」
「同じ顔くっつけて覗き込まれるなんて嬉しいことだもんね♪」
「しあわせ~だねっmayoッシ♪」
「テスシ、写真撮っとこう!」
「ラジャ♪」
闇夜とテスは、ウインドウ越しに外の写真を撮っている。俺は運んだパンを棚のトレイに並べ、店内をじっくり眺めてみた。沢山のパンに囲まれてる。うん。ほんとにしあわせ~♪
写真を撮り終えた闇夜とテスがパネル前のカーテンを巻き上げると、並んでいるお客さん達がおおおっと声をあげた。俺も見たい!
楽しそうな声が店内にまで聞こえてくる。ああ…、しあわせ~♪
【『Forno felice (幸せパン屋)』ウィンドウ・パネル(
左
・
右
)前】
「テジ君、これ、かわいいね」
「ほんとだね、ジュン君、ウォンちゃん」
「お部屋にほしい~」
「あ、そうだ。僕、カメラ持ってるから写真撮ろうよ」
「ほんとう?!」
「テジ君、用意がいいのね、うれしい!お父さん、私達3人、このお飾りの前で写真撮って」
「ぼく、うまくうつせるかなぁ…。てぷんさんにたのんだほうがいいんじゃない?」
「そうだぞ、テジ。そういうことなら俺に任しとけ!」
「…え…でも…」
「ん?なんだ?俺に写真撮ってもらうのが恥ずかしいのか?はっはっは。だろうなぁ、こんなかっこいいお父さんがカメラ構えちゃったら恥ずかしくて変な顔になっちまうもんなぁはっはっはっ」
「テジ、私が撮ってあげる」
「チェリムヒョン~ありがとう~」
「チェリム。いつ起きた」
「テジュンさんが表に出てきた時から起きてる」
「なに?!ならなんで背中から下りない!」
「だってラクチンだしぃ」
「俺は重い!」
「気持ちいいしぃ~」
「…。気持ちいいのか?」
「うん♪」
「そうか。ずっとおんぶしててやる!」
「写真撮るから下りる」
「おんぶされたまま撮ればいい」
「いいよ、もう」
「遠慮するな」
「撮りにくいし」
「…そうか…」
「またおんぶしてね♪」
「お、おう!おんぶならいつだってオッケーだ!これならお前を大満足させることができる!」
「ばか!デカい声で叫ぶんじゃないわよ!」
「…すまん…」
「ヒョン、早くしないと店が開いちゃう」
「ごめんごめん。はい、キムチー」
「「「キムチー」」」
「このパネル、可愛くてすてきぃ。ねぇテプン~。部屋にこういうの、飾ろぉよ~」
「どこに」
「寝室」
「…」
「なんで黙るのよ!」
「急に腰が痛くなった…」
【『Forno felice (幸せパン屋)』開店時刻】
9時になり店のドアを開け放つ。『Forno felice』の開店だ
一番乗りのテプン達、二番目のジュンホ家族、『オールイン』の『食いしん坊達』の顔やBHCの常連客もちらほら見える
一度には入りきらないけど、皆、きちんと並んで順番を待ってくれている。ウインドウに張り付いて中の様子を窺う数人は同じ顔…
店内のお客さんはあれこれ悩みながらも、待ってる人のために素早く品物を選んでいる。レジを待つ間、テソンがサービスの特製スープを振舞う
テジュンの手馴れたレジスター捌きは見事だ。かっくいい
闇夜と俺はショーケースの後ろに立ち、スウィーツやパウンドケーキの注文を聞く。闇夜は器用に箱詰めするけど、俺は危なっかしいらしい
店内で愛想を振りまいていたテスが、見てらンないと言って手伝いに来た
「こどもぱん、足らなくなるかもしれないから、もう少し作っといたほうがいいんじゃない?」
「ひえ?そうなのか?」
「ちぇみも頑張ってるしさ♪」
「わかった。俺も頑張る」
というわけで、俺はチェミさんと工房に篭り、もうちょっとばかりパンを作った。出だし好調。でも一般のお客さんがもっと来てくれるといいのになぁ
※ ご参考
リレー139「ベーカリー物語5」
・
リレー156「La mia casa25」
*****
テプン一家がレジをしている最中に、テスがテジ君に走りより可愛い封筒を渡して耳打ちしていた
手を振りながら店を後にするテプン一家。俺はテスを捕まえて、テジ君に何を渡したのか聞いてみた
「んとね。チェミのケーキ・サービス券。テプンさん一家、この店の第1号のお客様だから」
「ケーキ・サービス券?」
*****
「テジ、テスさんに何を貰ったんだ?」
「ケーキのサービス券だよ。チェミさんオリジナルのケーキを好きな日に作ってもらえるんだ」
「テジィ、よかったじゃない。もうすぐあんたの誕生日でしょ?お誕生日のケーキ、頼んでおけば?」
「…そだね…今から頼んでくる!」
「おう!行って来い」
*****
テスによると、チェミさんのケーキは特別なお客様の注文だけを受けるんだそうだ
第1号のお客様であるテプン一家は特別ってわけで、第1号チェミさんケーキの『注文権券』が渡されたのだ
話を聞いている最中にテジ君が戻ってきた。テジ君はテスに耳打ちし、ニコッと笑って去っていった
「なんだ?もう注文してったのか?」
「…」
「テス?テス!どしたんだよ、なんで泣いてるんだよ」
「らってテジ君ったら(;_;)」
「どうしたんだよ」
「バースデー・ウエディングケーキ注文してった(;_;)」
「ばーすでーうえでぃんぐ?」
「自分の誕生日とテプンさんとチェリムさんのウエディングケーキ、ミックスしてほしいって(;_;)あうあう…なんてイイコなんだあうあう」
「…。テジ…」
工房のみんなは、その話を聞いてほうっとため息をついた。ああほんとに、テジはテプン一家の大黒柱だよな…うん…
「しあわせパン屋に相応しいケーキの注文だ。幸先いいぞ。頑張ってパンを作ろう!」
「「「おーっ!」」」
パン製作班はますます張り切って作業にいそしんだ
*****
「ひいはあはあ監督も先輩もひどいよ、待っててって言ったのにぃ」
「だって開店しちゃうもん。ね?ソヌッち」
「ミンギが遅いのがいけないのょ」
「だってお花…監督が取りに行くって言ってたくせに、結局僕が行く羽目になったんじゃん!それも今朝になって一方的な電話でもう!」
「パシリは若者の役目でショ?」
「だってぇぇ」
「どんな花?」
「わかんない。既にラッピングされてました」
「もうすぐ僕らの順番が来るね、ジホさん」
「そだね、ソヌッち」
「うわぁ~楽しみだなぁ~。僕、全種類一個ずつ買いたい!」
「あら?ミンギは一番後ろに並ばなきゃだめだょ」
「え?」
「そうだよ。みんなお前が横から入ったと思って睨んでるだろ?」
「は?」
「僕達まで悪者になっちゃう。後ろに行きなさいょ」
「ほ?」
「じゃ、ね。ミンギ」
「バイバイミンギ」
「はぁ?!ちょ、先輩、監督」
「ミンギ君」
「チョンマンさん、このおじさん達酷くない?」
「でも順番は守らないと」
「ひ?」
「後ろ、行ってね。ばいばーい」
「ちょ…チョンマンさんまでっ!ひどぉぉぉい」
*****
「ね。どのパンにする?」
「くりぃむぱんは外せないだろ?それからイングリッシュ・マフィン」
「アールグレイパンも美味しそう♪ああん。リリー・シロップって可愛い♪」
「迷うね。こどもぱんも買わなきゃいけないし」
「あ!俺、こどもぱん全種類買う!」
「ラブ…そんなにたくさん食べられるの?」
「食べる!」
「太る」
「…」
「開店セールは3日間あるんだろ?今日は半分にしとけば?」
「でもだって明日のラインナップは今日のと違うかもしれないじゃん!」
店内のあちこちで俺達と同様の争い(特にイヌ先生とウシクさんのやりとりは俺達とそっくり同じだった)が勃発していたが、みんな他のお客さんのことなんかも考えたりしてそれぞれ適量を買い求めていた
レジに行くとテジュンが可愛らしいピンクのバンダナを巻いてニコニコ笑っていた
「ありがとうございます、お会計いたします」
「かわいい…」
呟いた俺をチラッと見て微笑むテジュン
「お前の方が可愛いよ」
と小さな声で囁いた
「タチの悪い店員だ!」
ギョンジンが身を乗り出してテジュンに言った
シレッとした顔のテジュンはうふふと笑ってレジを打つ。俺はギョンジンを宥めた
ととととと、と工房の方からイナさんがやってきた。テジュンとお揃いのバンダナ。俺を睨んでいる
「…なによ…俺、何もしてないけど…」
そう言うと、イナさんは口元を緩めてにっこり笑った。それから俺達二人を見て、よかったなと呟いた
「昨日はRRHに帰ったのか?」
「うん」
「きつね、いたか?」
「うん」
「あいつ、並んでねぇよな」
「ミンチョルさん、仕事が忙しいみたいだったよ」
「そう言えばCDがどーのこーの言ってたっけ。今日、来れないのかな。とするとあの野郎、また俺のパンを食わずじまいかよ。けっ!親友のくせに!」
「仕方ないじゃん、仕事だろ?」
「…。お前ら、この後どこか行く?」
「公園でも行ってパン食べてのんびり過ごすつもりだけど」
「じゃあさ、きつねの会社にパン届けてやってくんないか?」
「いいけど」
「適当に見繕うから待っててくれ!」
イナさんはとととと、と工房に走って戻った
暫くするとパンを詰め込んだらしいラッピングされたカゴを持って来た。『ミンチョルさん江 しんゆうより』と書かれたカードが立ててある(センス無いよな~)
「これ、きつねに届けて。んでこれも」
手渡されたのは『請求書』だ
「プレゼントじゃないの?」
「みんな並んで買ってくれてるのになんできつねにプレゼントしなきゃなんないんだよ」
押し売りみたい。俺達、その手先?
「大丈夫だ。きつねは腹が太い…もとい!…太っ腹だ」
「もしかしたら買いに来るかもしれないのに…」
「それならそれで買ってもらう」
そういうわけで、ギョンジンと俺はミンチョルさんの会社にパンを配達することになった
「配達のお駄賃は?」
「セコいこと言うな」
「イナさんが一番セコいんじゃないの?」
「なんだと?…んじゃあ…」
ガサゴソと何かを袋に入れ、イナさんは俺にそれを押し付けた
「なにこれ?」
「余り生地で作ったクマパンだ」
「?」
「クマの形になってる。お駄賃だ。頼んだぞ」
そう言うとイナさんはそそくさと工房に戻っていった
俺達は自分達が買ったパンと小さな紙袋と大きなカゴを下げて店の外に出た
*****
ミンチョルもだが、ギョンビン、スヒョン、ドンジュンの3人も列に並んでいなかった
スヒョンは撮影かな? ギョンビンとドンジュンは、もしかしたら昼からにでも来るかもしれない
レジにはジホさんとチョンマンがいて、その後ろのソヌさんは工房のチェミさんに、クォータードンクは無いの?と聞いた
「明日だ」
「予約してもいい?プレゼント用にラッピングしてほしいのょ」
「了解。『彼女』にか?」
「ふふん」
「なによなによ、ソヌッチったら僕に内緒で『彼女』作ったのぉ?」
「さあね」
「なによなによなによぉ、ソヌっちジホっちの仲じゃない、秘密は無しよぉ~」
秘密だらけのジホさんが何を言うか!
「んもぉぉぉ!やっと入れた!」
「ミンギ。遅かったね」
「先輩達が意地悪だからじゃないですか!花が枯れたらどうするんですかっ!」
「こわーい。ミンギったら、こわーい」
「ふん!…ヌナぁ」
花らしきラッピングを抱えたミンギが闇夜を呼んだ
「これ、スヒョンさんから開店祝い」
「うわぁ。忙しいのに覚えてくれてたんだぁ。みんなぁ、天使からお花いただいたよぉ」
「おお。流石は天使。細やかな気遣いだ」
「ジホさん、これから撮影現場行く?」
「うん。行くよ」
「チェミさん、パンカゴのプレゼント、届けてもらおうよ」
「そうだな。ジホさん、頼めるか?」
「いいよ。ミンギが持ってってくれるから」
「ええっ?監督が頼まれてるんでしょ?!僕、大学に戻らないと…」
「戻りがてら持って行ってよぉ。僕…肩と腕が神経痛で重いものが持てないの~」
「大うそつきめ!」
「ミンギ、若い者はトッショリを労わらないと。運ぶだけ運んだげてよ、ね?」
「ヌナまでそんなこと言うぅ」
即興で『Forno felice のしあわせパンカゴ』をアレンジし、ミンギに渡す。ミンギは涙目で、僕にもパン、サービスしてよ!と叫んだ。闇夜はくすくす笑いながら、あんたのはここ、と言ってミンギのバックパックに紙袋を入れた。スヒョンは本当に気が回る男だ。映画の撮影で手一杯のはずなのに…
それにしても、あいつら、今、どうなってるんだろう…
俺はふと『星の王様』の続きを読んでいないことに気づいた
*****
朝早くから仕事をこなし、一段落ついた。ブレイクタイムにキチャンと民族音楽の話をした
世界中には色々なリズムがあって、特にアフリカ系の音楽には興味をそそられる、そういえば昨日渡したアフリカのポップはどうでしたか?と振られた
そのCDは店に置いてきてしまったというと、気分転換にもってこいですよ、是非聞いてみてくださいと言われた
ここのところ仕事詰めの毎日だ。気分転換か…ふむ
「ちょっと出てくる」
「どちらへ?」
「『気分転換』のための気分転換をしてくる」
「は?」
「CDを取りがてら街中をドライブしてくる。30分で戻る」
「…。1時間にしてください。でないと室長、三車線斜めぶっちぎり運転しちゃうでしょ?」
「…」
「安全運転で気分転換してきてください」
「わかった」
愛用のメルセデスに乗り込み、タイヤを鳴らしながら車を発進させる。キチャンに怒られるかな?
会社からBHCに向かう。キチャンの怒る顔を想像すると笑みが漏れる。会社がうまくいっているのは彼おかげだ。怒らせてはいけない。三車線斜め運転は控えた
店に着き、裏口から中に入る。朝のBHCは妙な雰囲気だ。暗い店内を眺める。誰もいないと案外狭く感じるものだと思った
ロッカールームに置いてあったCDを取り店の外に出ると、道行く人の数がいつもより多い。しかも皆同じ紙袋をかき抱いている。幸せそうな笑顔と幸せそうな香り
「あら、ミンチョルさん」
一人のご婦人に声をかけられた
「ああ、これはマダム…」
BHCのお客様だ。名前は…失念した
「もうパンはお買いになられたの?」
「パン?」
「チェミさんの」
「…。これからです」
「早く行かないと売り切れちゃうわよ。とても美味しそうで私、沢山買っちゃった♪」
「そうですか。では僕も急いで行って参ります」
今日はチェミさんのパン屋の開店日じゃないか!なんてことだ、あんなに楽しみにしていたのに忘れるなんて
僕はマダムに微笑み、足早にcasaに向かった
*****
「ここの棚もここの棚も、からっぽだ」
「すごい売れ行きだよね~こどもぱんとくりぃむばん、やっぱ人気あるね」
客足の途切れた店内で、テスと二人、空になった棚を見回した
「流石は天使だな。いかにも『あやかしい』雰囲気の花だ。うむ」
「そだね。実物入りっての、気に入ったな。『これから実を結ぶ』ってカンジでさ」
「ん。さりげなく目立たないようで印象的だ。センスがある。テソン、お前のようだな。あ、誉めすぎか。はははは」
「…。チェミさん、せめて僕が一照れしてから『誉めすぎか』っちってくんない?」
「わははは。俺はせっかちなんだ。わははははは」
カフェ部分にあるテーブルの上に、ミンギが届けてくれたスヒョンからの
花
が飾られた。なるほど男っぽい配色で、casaの面々の雰囲気にぴったりだ。(闇夜にもぴったり…)
スヒョンの奴、映画の撮影で大変なのに、こーゆーところの気配りは流石だ。やっぱアイツはBHCになくてはならない『万年チーフ』かもしんない。
ミンチョルだとこうはいかないだろう。『花を贈る』ことには敏感なきつねだが、どうしたって、必ず、なにがなんでも、あいつが贈るのは『赤い薔薇』だからなぁ…。
イヌ先生は『チーフ代理』の仕事で余裕がないから仕方ない。きっと店が始まる頃に気付いて、涙目で花を贈らなかったことを悔いるに違いない。それだけで闇夜は先生を許すだろう、ふふふ
もし俺がチーフなら(有り得ないけど)、どんな花を贈るかなぁ…。…。やっぱし、黄色いお花?
んなことを思いめぐらせていると、店の扉が開いた
キィィ
「「いらっしゃいませ」」
「やあ、遅くなってすまない」
噂をすれば『きつね』だ。随分嬉しそうな顔は、ちっともすまなさそうじゃない
「おまえ…仕事じゃなかったのか?」
「気分転換に来た」
ミンチョルは挨拶もそこそこにパンのディスプレイ棚の前に立った。そしてフリーズした
目玉にガラスが嵌ったな。ふふん。凍りつけ、きつねめ!
パンは今、ほとんどない。ぐふふふ…
「ミンチョル、どうしたの?」
「ぱん…ないのか?」
「おかげさまですごい売れ行きだ」
「…」
ミンチョルはゴクリと唾を飲み込み、魂が抜けたような表情でふわふわと扉に向かった
「どこ行くんだよ」
「…気分転換しに来ただけだから…」
ガラスの目玉にうっすら涙がたまり、声が少々震えている。来るのが遅いんだよ!ふふん
「…失礼する…」
「パン、買わないのか?」
「…ないじゃないか、パン…」
「お前って運のいい奴だよな~」
そう言ってやると、ミンチョルは不思議そうな顔をして俺を見た
「はいはいはい、そこ退いてください」
テソンが焼きたてパンの入った新しいトレイを運んできた。途端に輝きだすミンチョルの瞳
「イナシ、運ぶの手伝ってよ」
「あ、ごめんごめん」
テソンに言われてテスと俺はトレイを棚に運んだ。突っ立っているキツネは呆けたような表情を浮かべている
棚がパンで埋まるにつれ、不安げな顔になる。それから腰に左手を、額に右手をあてて薄く唇を開き、ふうと息を吐いた
「『これはげんじつなのだろうか?おいしそうなぱんが、つぎつぎとはこばれてくる。もしかしたらゆめかもしれない。ゆめからさめたら、ぱんはいっこもなくなっていて、ぼくはとほうにくれてふたたびこおりついてしまうだろう…』」
「イナ?なにをぶつぶつ言ってるの?」
テジュンがきょとんとした顔で俺に聞いた
「きつねの心の声」
「あは」
「ミンチョルさん、お待たせ。お好きなパンをどうぞ」
「あ…ああ。テス君、ありがとう…」
新たに焼いたパンの前に立ったミンチョルは微動だにしない
「『やったぞ。これはげんじつだ。やきたてぱんをひとりじめだ。ぼくのかしきりだ。だってぼくったら御曹司だものうふふふ。だれもぼくのぱんにさわるな。これはぜんぶぼくのものだ。でもたべすぎるとおしおきがこわいじょ。どうしよう…』。きつね、葛藤中」
「背中がそう語ってるね」
「だろ?」
やがて振り向いたミンチョルは、店の入り口にあるトングとトレイを持ち、恐ろしい勢いでパンを選び始めた
よかったなぁ、焼きたてパンにありつけて…。いっぱい買え、買っちまえ、そして食っちまえ(>▽<)
あ…でも、ラブとギョンジンにパンを届けてもらってるんだった…。食わせすぎかな…。ま、いいか
タン
レジにパンを山積みにしたトレイを置いたミンチョルの目は、怖いくらい血走っていた
「テジュンさん、可愛い色のバンダナですね。イナとお揃いですか?」
息づかいが荒いぞミンチョル。テンションがジェットコースター並みに上下したせいだろうか?
「沢山のお買い上げありがとうございます。このバンダナ、テジンさんがデザインされたそうですよ」
「ほう。いいですね。僕も欲しいな」
「お前、頭に巻くのか?!」
「いけないか?」
「似合わねぇよ」
「なら、首に巻こうか?♪」
無表情を装っているがきつねはハイテンションだ。パンにありつけたのがよほど嬉しかったのだろう
「こんなにたくさん一人で食べるのか?」
「…。いや。会社の連中にも分けてやろうと思って」
俺はミンチョルの選んだ20個ほどあるパンを袋に詰めた
「…。何か買い忘れてないか?」
「え?これだけあれば十分だろう?」
「こどもばん、買わないのか?」
「こどもぱん?」
「…。俺の作ったパンだ、馬鹿野郎!」
「…。馬鹿野郎はないだろう」
「ばか!ばかぎつね!」
「な…」
俺はカウンターから出て、ミンチョルを『こどもぱん』の前に連れて行った
「こっ、これがっこれがっ『きつねのしっぽばん』で、これがっ『きつねのみみぱん』でっ」
「どれも同じ形だな」
「だからっ!前々から説明してるようにっ、全部味が違うんだっ!」
「ふぅん」
「『ふうん』じゃねえ!俺が作ったパンだ!買えよ食えよ!」
「僕はチェミさんのくりぃむぱんが好みだ」
「…」
「買わなきゃいけないのか?」
「もういい!お前には一生こどもぱんを売らない!」
「怒ったのか?」
「知るか!」
「仕方ないな、少しもらうよ」
「…」
こいつは本当に俺の親友なんだろうか?普通なら親友の作ったバンを味わってみようと思わないか?全く、なにが『しゅこしもらうよ』だ!くそっ!
「イナ、ミンチョルさんは『天然』なんだ。イライラしないの。ね?」
テジュンがニコリと微笑んだので、俺は無礼なきつねに対する怒りを治めた
「テジュンさん、これも追加してください」
「…。ありがとうございます」
「おまえっ!2個っておまえ!」
「だってもうこんなに沢山買ったから…」
「こどもばんは五つ買ったらポイントシールがつくんだぞ!」
「ぽいんと?」
「シールを集めて『こどもぱんぐっず』を貰おうっていう企画、前に話しただろう?!」
「はて」
「『はて』じゃねぇよ!こういうのがもらえるんだぞ!」
俺はカウンターの下から、『こどもぱんぐっず』の一つ、
ランチクロス
を掴み出し、ミンチョルにつきつけた
「…」
「どうだ!可愛いだろう!」
「これは…僕か?」
「そうだ」
「僕と手を繋いでいるのはミンか?ミンにしてはアホ面だが…」
「<(`^´)>それは俺だっ!」
「ああ。どおりで」
「きいっ!もういい!お前は一生こどもぱんを食べるな!グッズのデザイン、変更してもらう、きいっ!」
「イナ。イライラしてちゃダメだぞ」
「むきーっ!」
「仕方ないな、あと三つ追加しよう」
無礼なミンチョルは、こどもぱんを三つ追加した
「ありがとうございます。こちらはポイントシールです。こどもぱん五つにつき1ポイント差し上げます。貯まった点数により、『こどもぱんぐっず』と交換いたします。ぜひ集めてくださいね」
テジュンの接客はピカ一だ。見つめているとミンチョルへの怒りが消える
「このぽいんとシール…」
「可愛いでしょう?イナですよ」
「イナ?!…。可愛らしすぎますね。ウソはいけません」
「なんだと?!」
「すまない。僕は嘘は嫌いだ」
「むきーっ」
ミンチョルは、4万ウォンほどパンを買って帰った。ふん、会社に戻って驚けぶぁか!同じぐらいのカゴ盛りパン、支払ってもらうからにゃ!ふん!
腹が立ったものの、元気そうで天然無礼炸裂なミンチョルを見て、俺は安心した
*****
時間が空いたものから順に食えとチェミさんから指令がくだったので、俺はテジュンと二人、casaの二階で先に昼食をとっている
テソンが作っておいてくれた炊き込みご飯とスープとサラダ。冷めていても美味しい
中庭のベンチで食べさせあいっこしながらゆっくり味わいたいのだが、今日はそうもいかない。黙々と飯を食い、食後のコーヒーを流し込んだ
店に入れないはるみちゃんが退屈そうにしている。ふわぁにゃふわぁ~と両前足を上げて伸びをする様は、とても猫とは思えない
暇もないのに俺ははるみちゃんの堂々とした『伸び』を携帯で写真に撮った
「んにゃ?」
「可愛く撮れてるよ。くふふ」
「ん?ん?んにゃ!にゃにゃー!」
「ブサイクじゃないよ、可愛いって。きゃはは」
「にゃー!」
「あはは、俺、仕事しなきゃなんないから。また後でね、はるみちゃん」
「イナ、もう行くの?僕まだ食べてない」
「テジュンはお口が小さいからなぁ…。ゆっくり食べなよ、俺、店番代わってくる」
テジュンに軽くキスして階段を降りかけた。今撮ったはるみちゃんの写真をみんなに見せてやろうと携帯を取り出し、メールに気づいた
ドンジュンからだった。ふぅん、こいつも忙しいのか
文面最後にあった泣き顔の顔文字が、ドンジュンの泣き顔に変わる
あいつら、大丈夫なんだろうか…
なんて心配しても、なるようにしかなんないしな…
俺は降りかけた階段を戻り、テジュンにフグ坊主からのメールを見せた
「へぇ…仕事、忙しいんだ。なのに僕のアクターのメンテなんてできるのかな?」
「それだけパンが食べたいってことかもな。とっといてやんなきゃ」
「ドンジュン君、詰め込み食いしちゃうのかな」
「ふむ。一つ一つじっくりと味わっていただきたいものですな」
「ふはは。イナには似合わない口調」
「そうですかな?…ん…」
「ん」
ちゅ
もう一度キスをして微笑みあう俺達
「ドンジュン君とスヒョンさん、うまくいってる?」
「え?なんで?」
「二人とも忙しそうだからさ…」
「テジュンが心配したってどうにもなんないよ」
「そりゃそうだけど…」
「なるようにしかなんないだろ?」
俺達もそうだった。こんがらがりながらここまで来たんだ。あいつらだって…どうなるのかわかんないけど
「見守ってることしかできない」
「…ん…」
「…下、行くね」
「やだ」
「お?」
「もうちょっと」
テジュンが俺に抱きつく。俺の顔はだらしなくにやける。逆転?逆転だよね?俺って主導権握ってる?ぐふふふ…
「あと二晩…我慢しなきゃダメ?」
「ぶ」
鼻血が出そうになった
「我慢できないのか?」
「…」
うるうるの瞳が俺に甘えている。あああ、絶好のチャンスじゃないか!逆転の…あああああ。でも!
「開店セール中は朝早いからなぁ~我慢しなきゃなぁ~」
「やだ!」
「ずっと一緒にいられるじゃん」
「だって!イナは夕方、BHCに行っちゃうじゃないか!」
なんて可愛らしいことを…あうあう
「…でも…我慢する…」
あうう。『耐えるテジュン』ってとっても可愛い。待ってろよ、セールが終わったらきっとお前を…
「早く抱きたい」
「は?」
「早くイナを蕩けさせたい」
「は?!」
「…。ヤなの?」
「ちょ、待てよ。俺がお前を抱くんだろ?」
「は?」
「だってお前、こんな可愛いのに」
「はぁ?!何いってんのさ!イナが僕をどうこうできるわけないだろ?」
「なっ」
「不可能なこと考えるな」
「ふっ」
「どう考えたって無理だろ?お前が僕を…。ふっ。ふははは、あはははは」
ひどい!笑うことないじゃないか!試したこともないくせに!
「…。下に行ってくる!」
「…。いってらっしゃい!」
「…。むかつく」
「…。なにが」
「…。なんか、腹立つ」
「だって無理じゃん!」
「やってもいないこと、どーして無理って決めつけるんだよ!」
「…」
「…」
「わかった。あさっての夜、勝負しよう」
「望むところだ!」
「ふん!僕の勝ちに決まってる」
「ふん!うぬぼれんな!」
「「ふん!」」
俺は『幸せな口喧嘩』にプンプンしながら工房に戻った
シャッフル ぴかろん
チェミさんの『Forno felice (幸せパン屋)』が開店して3日目の夜、すなわち今夜、俺はテジュンとの『勝負』に費やす時間をなくした
開店したその日の夜、俺はBHCできつねにパンの感想を聞いた。奴は目を泳がせてからふうっと笑い、とても美味しかったよ、と答えた
どれだけ食ったのかと聞くと、また目を泳がせ、口を噤み、ああそうだ、代金を払わなくてはと胸ポケットをさぐり、手を止めて、会社に置いてきた、すまないと言った
お前、食ってないんだろ、俺のパン!と強く言うとワンテンポ遅れていや、食べたと答える
じゃあ何パン食ったんだと問い詰めると、何パンだかわからないと言う
何拍子か遅れて奴はいつもの笑顔を見せ、まあいいじゃないか、美味しくいただいたよ、美味しく…そう言って高笑いまでしてみせた
なにかいつもと違うように感じ、俺はふぅんと答えて奴から離れた
その後のきつねは、やはりいつもと変わらぬ様子で…いや、いつも以上に陽気に接客をしていた
ギョンビンは急な仕事が入り、今夜は休みらしいとギョンジンから聞いた
パートナーの不在がきつねの調子を狂わせているのかと思い、ひっかかるものを感じながらも気に止めないよう心がけた
次の日もパン屋は順調で、テジュンは店の売り子として可愛らしく働き、俺は前日よりも頑張ってパンを作った
夜、ギョンビンは引き続き仕事があるため、そしてミンチョルは副業の詰め作業だとかでBHCを休んだ
人手不足ではあったが、イヌ先生の采配とこのところ急激に育ってきた新人たちの頑張りに助けられ、俺達はいつも通り営業した
その次の日、やはりパン屋は順調で、前夜、一人自分のマンションに帰ったというラブが、早起きしちゃったからと手伝いに来た
お前は売り子をするな!
なんでだよ、俺はテジュンと並んで売り子したくて来たんだからっ!
という口喧嘩の後、ラブには俺のアシストをさせた
成型の最中に、ギョンジンはどうしたんだと聞くと、昨日はRRHに帰るっちってた…とほんの少し寂しそうな顔をして答えた
「なんかあった?」
「え?」
「ギョンジン…っていうかギョンビンっていうか…」
「わかんない…でも…」
「でも?」
「…イナさんがうつったみたい」
ラブは口角をあげて悪戯っぽく笑った
「なに?俺がうつるって」
「ちょっとザワっと来てるかな…」
「…。それって」
「電話しても通じない。でも大丈夫」
「なにが大丈夫なんだよ、おい!」
「ざわつくけど大丈夫だよ、イナさん」
きつねの様子とギョンビンの仕事とギョンジンの電話とが絡まりあい、何か大変なことが起こっているのではないかと俺は心配になった
「大丈夫だよ、何かあったら俺、立ってられないと思うから」
「…お前の勘なんか信用できるか!」
「ふ。俺を見くびらないでよね」
「…。自信あるのか?」
「かなり」
「…」
そうだな、なにがなんだかわかんないのにあれこれ心配しても仕方ないか…と呟いた俺に、ラブはもう一度、しっかりした口調で大丈夫だよと言った
その夜、つまりテジュンと『勝負』を約束した夜なのだが、甘くて暢気な勝負事に時間を費やしている場合ではないことがわかった
かといって、俺達にはどうすることもできない
ミンチョルとギョンビンが事件に巻き込まれて大怪我を負ったのだ
ただ、命に別状はないということで、皆一様に胸を撫で下ろした
詳しい事情がわからないまま、お客様に悟られることなく営業を終えた
唯一事情を知るギョンジンは2人の看病でおらず、ラブもまだ詳しい話は聞いていないという
チーフ代理のイヌ先生は、大丈夫ですから心配しないでください、ご迷惑かけてすみませんとギョンビンから直接電話を受けている
皆、先生のまわりに群がり、どんな口調だったとか、明るい声だったかとか聞いていた
「しっかりした話しぶりだったし、お兄さんが側にいるからか落ち着いていたよ」
「…。なら俺達は、奴等の快復を祈るだけだ。頑張って仕事して待っていよう」
前向きなテプンの発言に皆が頷いた
「事情、わかんないの?」
ラブに尋ねてみた
「うん。電話はあったけど、心配ないからって一言。アイツに怪我はないみたい。だから…2人もきっと大丈夫なんだよ」
一拍おいて切り替えるように笑ったラブの肩を、俺はポンと叩いた
「おい!奴等の快復、祈ったのか?!」
テプンが俺達を睨んだ。ラブと俺は目を閉じ、両手を固く組んで、ミンチョルとギョンビンが早く元気になるように祈った
営業終了後、瞳を潤ませ溢れるふぇろもんを醸し出しながら裏戸口にニコニコ顔で迎えに来たテジュンの腕を掴み、今日の勝負は中止だと告げるのは辛かった
俺はまだいい。事情を知って、『今日の勝負は延期だ』と気持ちの整理がついていたから…
全く何も知らないテジュンは、俺を睨み付けながら、どういうことだ、どうしてなんだ!ひどい、ひどいじゃないか!今夜は待ちに待ってたのにっ!今夜はぁぁぁっとごねまくった
ごめんを繰り返す俺の後ろからソクの腕が伸び、テジュンの頭を羽交い絞めにして、いいからこっちへ来いと連れて行った
どこへ連れて行くのだろうと疑問を抱いた俺にラブが声をかけた
「いいの?楽しみにしてたんじゃないの?テジュン」
隣にくっついて歩くラブに俺は答えた
「いくらなんでも仲間が大怪我してる時に『勝負』なんかできるかよ」
「そだよね、イナさん」
俺とラブの間にスヒョクが割って入り、ラブの腕にまとわりついた。こないだからこいつらはアヤシイ
「ほんとに俺も行っていいの?ヨンナムさんに言ってある?」
「大丈夫だってば。ね、イナさん」
「ヨンナムさんって?」
「おーい、イナ、スヒョクく~ん」
噂をすればヨンナムさんだ。ということはまさか…
「ヨンナムさんちで宴会なのか?!」
「そだよ。ソクさんがね、電話したの。テジュンさん車でしょ?ヨンナムさんのトラックの荷台にも人が乗れるし、運転手別でも6、7人は運べる。ホンピョとドンヒも来るけど、なんとか乗れるよ」
「へ?!ちょっと待てよ。いいのか?ミンチョルとギョンビンが治療中だっつーのに、宴会なんかやっちゃって楽しんじゃって…」
「いいじゃん。無事だったんだしさ」
「えと…なら俺…えと…、楽しんでもいいのなら俺…えと…」
「あ!や~だな~イナさんったら、テジュンさんとの甘~い時間を取るつもり?それはダメだよ!それと宴会とは別なんだから!」
「どどどどう別なんだよ!」
「宴会は宴会でも、2人の快復を祈っての宴会なんだからね。それに」
「それになんだ!」
スヒョクはいきなりラブの腕から離れ、俺の耳に噛み付くように囁いた。くすぐったい
「ラブ一人にしちゃ可哀想だろ?」
「…ああ…そうか…だな…うん」
確かに、テジュンとの『勝負』はお預けにしたからと言って、俺も、誰もいないRRHに帰るのは辛い。一人でいれば心配が募る
ラブだってそうだろう、仲間の前では気丈にしていても、一人になったら余計な事を考えてしまうに違いない
俺は納得してスヒョクに頷いた。ニッコリ笑ったスヒョクは、俺の頭を優しく撫でた。おい!ガキ扱いかよ!
でも!だって!そんなの!わかるけど!でも!だって!だってだってだってぇぇぇ…。わかるけど…わかるよそりゃ…ちくしょー…はぁぁ…
ソクに諭されたらしいテジュンの、意気消沈した姿が見える。可哀想になぁ、うふふ
一緒に居られるんだから良しとしよう…
そんなわけで、俺達は胸の中で仲間の快復を祈りつつ、ヨンナムさんちの宴会に参加した
俺はテジュンの車の助手席に乗り、バックシートにはラブとスヒョクとソク、ヨンナムさんのトラックの助手席にはホンピョ、荷台にはドンヒが乗ってヨンナムさんちに向かった。ドンヒって損な役回りじゃないか?と誰かが口走る。
確かになぁ、ホンピョの尻拭いばかりさせられてないか?
でもさぁ、なんか嬉しそうじゃん、あいつ
そうかなぁ、時々虚空を見つめてるよ
ホントかよ
んじゃ、ドンヒを慰めてやろうよ
だな、ホンピョをこき使おう!
俺達はそんな話をしながらヨンナムさんちに向かった
宴会の準備も風呂の準備も万端だった
乾杯をしてから代わる代わる風呂に入った
風呂から上がり部屋に戻ってテジュンの横に座ろうとすると、スヒョクが大声でダメぇと怒鳴った
「え?なんでダメ?」
「今日はカップルをばらけます」
「へ?」
「イナさんはココ」
「はい?」
スヒョクにグイグイ引っ張られて座らされたのはホンピョとドンヒの間だった
「なあ。ラブがいるからか?」
俺は小声でスヒョクに尋ねた。スヒョクは黙って頷いた
「ここまで徹底すんのか。仲間思いだな、スヒョクは」
「親友だもん。んふ。親友以上…かな」
「いつの間にそんな仲になったんだ?ろくでもねぇぞ、あいつ」
「俺にはすっごく優しいよ」
「へぇん」
「とにかくイナさんはココね」
「お前はどこに座るの?」
「ホンピョとラブの間」
「なんかずるくないか、お前」
「どうして?いいじゃん、友達なんだから」
「親友以上じゃなかったの?」
「いいの!さ、みんな、今日はいつもと違うパートナーと仲良くなろうね」
にっこり笑う強引なスヒョクに誰も逆らえない。俺はドンヒとホンピョに頭を下げて、どうも、キム・イナです、と挨拶した
ホンピョは知ってる、と答え、ドンヒはイナさんの隣に座れて光栄です、と言った
どう考えたってドンヒの方が好感が持てる。自然とドンヒにばかり話しかけてしまう。ドンヒは自分に振られた話題をホンピョにも振り、気を遣っている
だがホンピョはとても横柄だ。そのうち勝手に席を立ってヨンナムさんの横に移動した。スヒョクに咎められたホンピョは、いいだろ、いつもと違うパートナーなんだからよ、な、兄貴、と言ってヨンナムさんの腕にしなだれかかった
ドンヒは心配そうにそちらを見ていた
「そういやドンヒ、トラックの荷台の乗り心地はどうだった?」
「え?ああ、そうですね…寒かったです」
「ホンピョに言われたの?荷台に乗れって」
「あは。まぁ、遠回しに…」
「遠回しって?」
「…ヨンナムさんの隣に座りたいって言うから…」
ドンヒはそう答えてまたチラリとヨンナムさんの方を見る
「…あいつ、ジジイ好きなのか?」
「兄貴っぽい人が好きみたいです」
「ふぅん。兄貴ねぇ」
「あいつ、お兄さん達と離れ離れになってたから…。だから優しそうな年上の人見るとすぐになつくんですよ」
「あれ?俺にはなつかねぇけど?」
「そ…それはぁ…」
「ま、あいつにも選ぶ権利はあるよな」
「そ…そんな…あの…すみません…」
「ふ。冗談だってば。堅いなぁドンヒは」
「す…すみません…」
「まあ飲めよ」
「あ…はい」
「畏まるなって。それにしてもなんでお前はあいつのわがまま、聞いてやってるんだ?」
「え…と…。どうしてだろう…。なんとなく最初っからあいつの面倒見るのは僕の役割だって思ってて…」
「お前って…」
損な役回りだよな、やっぱり…
ホンピョは分かってんのか?ドンヒのおかげでホ○トとして立派にやってけてるっての…
「なん…ですか?僕って何でしょう」
「え?あ…いや、いい奴だな」
「ありがとうございます」
「素直だし」
「いや、そんな…嬉しいです」
ドンヒは照れくさそうに笑い、頭を掻いた
俺の左横にはドンヒがいて、その左隣がテジュンだ。その次がソクでその次がヨンナムさん
その隣はホンピョで少し離れてラブとスヒョク。間があいて、俺に戻る
なんだかなぁ、ラブとスヒョクは随分くっついてるぞ、ずるくねぇか?仲良しだし…いいのか?ソクよ…
「あの、イナさん、お注ぎします」
「ああ、サンキュ」
ドンヒはよく気のつく奴でもある。俺のグラスが空くとすぐに焼酎を注いでくれる。俺は、お前も飲めよと注ぎ返す。二人で乾杯してまた酒を注ぐ
テジュンはソクと話し込んでいてこっちを見ない。ちぇ。さっきはあんなにごねてたのに…
「あは。MKB顔が三つ揃いですね」
「うん。壮観だな、やっぱ」
「あの、濃いですよね、MKB顔…」
「うふふ、でも可愛いんだよ、睫毛長くてさぁうふふ」
「ラブラブなんですね、イナさんとテジュンさんって。祭の時からずーっとラブラブなんですね」
「うーん…まぁ…トータルするとそうなるかな。へへ」
「いいな、好きな人がいるって」
「お前は恋人いないの?」
「はい。もっぱらホンピョの世話に追われてます」
「そっかぁ、手がかかるだろうなぁ」
「赤ん坊みたいなもんです。だけどあいつ『パパ』なんですよね~、子供がいるもの」
言葉では面倒そうに言うけれど、ホンピョの話題になるとドンヒは嬉しそうだ
ドンヒはホンピョと違ってきちんとしてて男前だし責任感もある。女が寄ってこないわけがない
『ガキ』の世話に夢中で恋する暇もないってか?
「お前の方がパパみたい」
「え?」
「ん?いや、なんでもない。さ、飲めよ」
「はい」
時折、俺はテジュンの、ドンヒはホンピョの様子を伺いながらたわいもない話をして飲み続けた
テジュンは何を話し込んでるんだ?随分と楽しそうな様子だぞ…
そちらを見つめていたら、テジュンの頭がゆっくり後ろに仰け反った
「ふぁぁぁ…」
「眠くなったのか?お前明日も仕事だろ?もうそろそろ寝たほうがいいな」
「…うん…」
「ヨンナムさん、布団敷こうか」
「ああそうですね、ホンピョ、布団持ってくるの手伝って」
「あい」
「あ。僕も行く」
「僕も手伝うよ」
「…僕も運んできますね」
テジュンのあくびをきっかけに、MKB顔の三人とホンピョとドンヒが立ち上がった
俺も手伝ったほうがいいかなと思い、テジュンの後についていこうとすると、お前はいいよとソクが遮った
なんで!
ソクはふわふわとあくびを連発するテジュンの肩に手を置き、嬉しそうな顔をして話しかけている
ん?ソクよ…まさかお前テジュンを…
…
…
いや…
それはない!断じてない!というかあってはならないことだ!MKB顔同士であーだこーだはダメだ!
だって『濃すぎて耐えられない』もん!
けど何故ソクは俺の邪魔をするんだ!ムキッ
そんな俺の思いも知らず、あくびをしすぎて涙を流すテジュンのかわりにソクはせっせと布団を敷いている
「…スヒョクゥ、どういう風に寝るんだ?」
気になったので聞いてみた
「今の組み合わせで寝ます」
「えーっ!」
「なんだよ!文句あんの?」
「…俺、テジュンとちっとも触れ合ってないんだけどぉ」
「シャラップ!」
スヒョクは俺に一喝すると、小声で、ラブの前でいちゃいちゃしないの!と鋭く言った
「一日ぐらい我慢できるでしょ?!俺なんか何ヶ月も我慢してるのに」
「…。あい、わかりました」
スヒョクの目がとっても怖かった…
ヨンナムさんの横にホンピョ、その隣にテジュン、そしてソク、俺、ドンヒ、ラブ、スヒョクと並んだ
ああ、ソクの野郎、テジュンを隠すように横向いて寝やがったぜ、ちくしょう!
「気になります?」
「あお?おおん、いや、けほん、寝よう」
「大丈夫かな、あいつ…ヨンナムさんにくっつきまくってるけど…」
ドンヒの心配げな呟きに乗っかって、俺も不安を口に出した
「…テジュン大丈夫かな…」
「テジュンのことなら心配するな。可愛い顔して眠ってる」
振り向いたソクがニヤリと笑って俺に言った。可愛い顔だと?!見せてくれよ、クソジジイ!
俺がムッとするとソクはますますニヤニヤと笑った
「ソクよ」
「静かに。テジュンが起きる」
「お前、テジュンのこと、好き?」
「好きだよ」
「…。どういう好き?」
「仲間として」
「ほんとにそれだけ?」
「どういうことだ?」
「今日のお前、なんだか…」
「ん?」
「テジュンに随分優しいからさ」
「だって可愛いんだもんコイツ。だろ?」
「…そ…それは」
確かに、ここんとこテジュンはとっても可愛いけど…
「さ、お前も寝ろよ。明日もパン作り、あるんだろ?」
「あ…うん…」
「おやすみ」
「…おやすみ…」
何かしら違和感を感じながら、俺は目を閉じた
夜中、誰かが部屋を出て行った雰囲気をぼんやりと感じた。しばらくすると、その誰かはゴソゴソと布団に入った
…トントンしてくれ
…なんだよ、お前。アニキにトントンしてもらったんじゃないのか?
…うまく眠れなくてよ。お前のトントンでないとダメだ
…何言ってるんだ
…トントンしてくれよ、なぁ…
ホンピョか。ドンヒは奴のご希望に応えてやってるんだろうな、優しいもん、アイツ…
少し意識がはっきりした時に、もう一人誰かが起き出した。俺は目を開けてその人影を見た
テジュンだ。トイレかな?
テジュンはボケボケと部屋を出て行った
…。もしかしたら『ふれあい』のチャンスかも!
俺はそっと起き上がりテジュンの後をつけ、トイレの前でテジュンが出てくるのを待った
どんな顔するかな。にっこり笑ってくれるかな。うふふ。うふふふふ
頬が緩むぜうふふふふ
カチャリとドアが開き、半眼のテジュンが目の前に立った
「て~じゅ」
「んぁ?」
「イナだよ」
「ん」
「…」
テジュンは半分眠っているようで、俺を無視してそのままトポトポと部屋に戻って行った
可愛い子ちゃんはおねむらしい。つまんねぇの!
俺はトイレに入り用を足し、それから裏口に向かった。外の空気を吸いたかった
裏の戸を開け、洗濯物干し場に出ると、タバコをくゆらせているテジュンがいた
参ったな、この野郎
その背中に近づき後ろから包み込む
「なにしてるんだ?」
「たばこ」
「俺にも一本くれる?」
顔を覗きこむとテジュンは吸っていたタバコを俺に咥えさせた
「これ、やる」
「ヒャンキュー」
頭をくっつけて一服した
ソクと随分仲いいな、と言うと、うん、優しいと答えた
「お前、寝に帰ったんじゃなかったの?」
「タバコ吸いたくなったから」
「それでここへ?」
「…。イナが来ると思って」
「そっか。罠だったのか、あのボケボケは」
「うふん」
俺はテジュンに唇を寄せた。テジュンはゆっくり目を閉じ、俺達の唇は数十時間ぶりに触れ合…
「テジュン?」
バタバタバタげほげほげほっ
「ん?イナもいるのか?何やってんだ」
チキショー!ソクのクソジジイ!何しに来たんだバカヤロー!
俺はテジュンから離れて咳き込んだ
「タバコ?だめだよ、体に悪い」
「いいじゃん、一服ぐらい~」
「だ~め。お前今日飲みすぎてるから早く寝なさい」
クソジジーは父親が小さい子供に言うように、テジュンにそう言った
「イナよ」
「げほん。なんだよ!」
「今夜は『いつもと違うパートナーと仲良く』しなきゃいけないんだぞ、ん?」
「…真夜中の秘め事ぐらい見逃せよ、気が利かないジジイだな」
「お前らだけ仲良くするなんて卑怯だぞ」
卑怯?!
「とにかく、テジュン、布団に戻ろうね」
「…は~い」
は~い?!
てじゅ!なんだってクソジジイの言うことなんかきくんだ!
「じゃ、イナ、僕、先に戻るね。行こうか、ソク」
「ああ。じゃあな、イナ」
「ふぇ?はぁ?」
トテトテトテ
ソクとテジュンは部屋に戻っていった
信じられない
どぉぉぉしてテジュンはソクの言いなりなんだ?!
というか、どぉぉしてテジュンはソクと一緒に部屋に戻るんだ?!
ここに来るってなった時、あんなに、あんなにごねてたのにっ(@_@;;)
もんもん。もんもんもん
悶々とした気持ちが溢れ出し、俺は大きなため息をついた
ったく…
ラブが一人で可哀想だからこうなった
ラブが一人なのはギョンジンが入院しているギョンビンとミンチョルの看病をするためで
ギョンビンとミンチョルが入院したのは事件に巻き込まれたからで
ギョンビンとミンチョルが事件に巻き込まれたのは…
んーっと…なんでかな…わかんない…
とにかく!
今夜はなぁんにも期待しちゃいけなかったってことか…ふぅ…
それにしてもソクの野郎、絶対てじゅに惚れてるだろう!
やめてくれっそれだけはやめてくれ。クソジジーはてじゅじゃなくてスヒョクをかまえばいいのに!きいっ
もんもんもんもん
俺は暫くため息を繰り返した
仕方ない
なんだかわかんないけど仕方ない
何度も何度も大きく息を吐いて、俺は気持ちを落ち着かせた
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