「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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piled timber
肉
母の体内から取り出され、温もりが残っているかのようなその肉の塊は、確かに私が生まれて来た場所なので在ろう。
「これが手術で摘出した子宮です」機械的に主治医の説明が続いていた。
切り開かれた肉の中に人工的なリングが入っていた。それは母が女である事の証のようにも私には見えた。
「後は術後の経過を見て・・・」主治医の説明を聞きながら父は肩を震わせていた。
父から連絡を貰ったのは、七月の半ば位だったろうか。
「最近だるいだるいと言って、すぐに横になるようになっていたから検査をさせたら、結果を聞きにいった日にそのまま入院と言われたらしい。
「肉親に病院まで来て欲しいと言われたのでおまえも来てくれないか」
そういう父の声は心なし震えていた。
「母ちゃんの様子はどうなんだい?動けないのか?」
「いや、動ける事はまだ動けるけど腹が張ってるらしい。何でも腹水がたまってるから手術が必要だとか・・」
「わかった、病院へは何時行けば良いんだ?」
「今週の日曜日だそうだ」
「判った、じゃあ日曜に直接病院まで行くから」そう答えた私も頭の中が何かにかき回されるような感じを覚えていた。
会社の知り合いから知人の医師を紹介して貰い、母の容態から考えられる事を教えて貰った。
「大まかな状況から判断すると、卵巣癌の末期の症状と考えられます。初期の頃に発見されたなら生存率は高いのですが、すでに腹水が貯まるような状態ですと、まず末期と判断出来ます」
「じゃあ手術しても助かる見込みは・・・」
「延命の効果が出るかも知れませんが、逆に手術をする事によって患者の体力を奪ってしまって死期を早めてしまう場合も在ります。その辺は主治医と良く相談した方が良いでしょう」目の前が真っ暗になって行くのを感じた。
「おまえが母親の命が少しでも生き延びる方が良いなら知り合いの病院に世話しても良いぞ」知り合いが横から私を元気づけようと言ってくれた。
「先生、母は後何日位生きられるんでしょうか?」
「そうだね、半年持てば良いところかな」きっぱりと医師は答えた。
「判りました、ありがとうございました」私はこう言って電話を切った。
その晩父に、電話を入れた。電話の向こうですすり泣く父がいた。私には慰める言葉も見つからず、週末病院で会う約束をして電話を切るしか出来なかった。
週末、主治医の話を聞く前に母の病室に立ち寄った。病院へ行く前に母の好きなケーキを買い求め、病院へ向かったのだが、母へかける言葉が見つからず、病室へ入る事を何度も躊躇してしまった。
「よお、元気そうじゃん」心なし声が震えるのが自分で判った。
「ごめんね、心配かけちゃって」いつもより小さく母親が見えた。
「これ、ケーキ」母に差し出すと、早速母は同室のみんなに分けていた。
父は病室へ少し立ち寄っただけで、待合室で待っていた。多少充血した目は父が睡眠をそれほどとっていない証のようだった。
主治医の話が始まるまで、私は母の病室で過ごした。話の中身の記憶は無い。けれど病気には関係のない子供の話、仕事の話何かをしていたように思う。
「北さん、先生の説明があります」看護婦がそう呼びに来た。
「手術は、取り敢えず患部の広がりとを見る為と、現状で摘出出来る部分は全て取った方が良いので取ります」淡々と主治医の説明は続いた。
そして父はその間中すすり泣いていた。
「術後どの程度生きられるんですか?」
「回復が良ければ何年とは言えません」
「じゃあ、今の段階ではどうなんですか?」
「人によって違いますから」あまりにもマニュアル的な回答に、私の語気はますます荒くなっていった。
「手術をしなければいけないと、先生は言いますが、手術をしない方法だってあるんじゃ無いですか?」
「当病院ではそのような治療はしていません」
「じゃあ、別の治療を望むなら・・・」
「別の病院に行って貰わなければなりませんね」主治医は自分は間違って無いとばかりに言い切った。私の頭の中を、この何日か読みあさった、様々な治療法を行っている病院の事がよぎった。そして、会社の知り合いから紹介して貰った医師が告げていた「病院には学閥が大きいですから地方の病院では治療法の新しさは望めませんよ。でもその病院なら。その地方では一番良い施設ですよ」という言葉が回っていた。母は転院させるしか無いのでは・・・そう考えた。
主治医の説明を一通り聞き終えた私は、父と共に母の病室へと向かった。
「手術は、やっぱりやらなきゃいけないみたいだよ」
「そう」悲しそうに母が呟いた。
「病院を代えれば、手術をしなくて良いところもあるんだけど」
「えっ」母の目が輝いて見えた。
「けど、その病院はこの近くには無いんだ。それでも良いなら手配を考えるけど」
「婆ちゃんと父ちゃんを置いては、遠くの病院へは行けない。手術を受けるよ」告げる母の目には、涙が光っていた。
数日後、入院先から母が電話をかけてきた。
「あき、あんまり先生に変な事言ってくれるな。先生に、お宅の息子さんは変な注文とか、文句が多くて困ってしまう。そう言われた。おまえの心配してくれる気持ちはありがたいけど・・」そこまで言うと母はすすり泣いていた。
「判った、もう先生には何も言わない」主治医に怒りは覚えたが、病気の母を苦しめたくなかった私はそういった。
「すまないね」母はそう言いながらも泣いていた。
手術前、母は退院を許された。
実家では久しぶりに家族が集まった。表向きは一家団らんの図だったけれどそれぞれは内心悲しみに包まれていた。そんな事を判りもしない息子が母に遊んで欲しそうにすり寄っていた。初めての孫がよほど可愛かったのだろう、孫が寄っていった時の母の笑顔が今でも目に焼き付いている。
術後の話が、続いていた。けれど話は上の空で、私の目は母の子宮を直視していた。赤黒い、ビロードのように輝いている子宮。そして私が生まれて来た場所。母の肉体の一部がそこにあった。
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