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そう言や、年内は都内に行けそうに無いと荒さんに言ってなかったと思い出して荒さんに電話を入れてみた。 こんなくそ坊主の言うことを優しく受け止めてくれる荒さんが其処に居た。 年下の僕が友人と言って良いかどうかは判らないし向こうがどう考えているかも判らないから僕だけがそう考えているのかも知れないが、ありがとね荒さん。 電話であれやこれやと話をし僕の大変さより相手の大変さが僕には気になったのだけど、それでも尚自分のことより相手のことを気にしてくれる友人にとても有り難いとつくづく感じた。 前に何度か書いたかも知れないが友人という物は友人?と確認しなくてもそう認識するのだと思うからと言うか、友人であるという認識と知人だと言う認識の差は何処にあるのか?とかねがね感じている。 ネットで多くの知人を得ているとは自覚はしている物の、その中で友人と言えるのは?限りなく難しい質問で、答えがあるようで無いと僕は考えるのだが…。
2005/11/30
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夜中に目が覚めたので家の端から端までトイレに行ったのだが、途中で真夜中なのに外が微妙に白んでいるな…と窓際に行ってみると、天気予報の通り行きが積もっていた。 天気予報の通りだと朝は曇りだと言うから降った雪は溶けてしまうに違いがないと思って寝たのだが、起きて見ると窓の外は真っ白な雪景色になっていた。 夜中に風呂に入ったときに残り湯を抜いて居たので風呂場を洗って出かける準備をし長靴を履いて外に出てみると雪は五六センチは積もっていた。まあこれくらいなら大丈夫だろうと道路に車を出してみると見事な圧雪だったので、何時にも増してシーズン入りだから…慎重に運転をした。 けど、圧雪が残っていたのは町内を抜けて安比を降りるまで降りてみると山一つ隔てただけの土地なのに道路状況はこんなに違う物なのか?と思うほどだった。 家から盛岡にはいるまで南へ車を走らせて居た訳だが、所々で天候の違いがあった所為だろう道路上に多くの雪が残っている所もあれば道路上に雪は全く無い所とかもあった。 姉の家に今年最後の露地栽培の椎茸を届けてみると姪がやってきていて、先日貰ったチーズケーキはとても美味しかったと言っていた。叔母が注文したいと言っていたと言うので姪に自分で注文してみる事を勧めて置いた。 んで病院に行き診察を受けて物療をして貰い、途中吉野家で昼食を食べて買い物をして帰宅。小屋からビン麦酒を持ってきて夜に備え、切り干し大根を鍋で戻して夕飯の準備に備えて置いた。 さてと、夕食の準備まで一休み一休み…。 んで、一休みした後は戻した切り干し大根にニンジンや揚げを加えて鳥出汁で煮込んで一煮立ちさせた所で出汁で味を調え煮込み、その合間にキャベツやエリンギを切って、キムチ鍋に使ったキムチの残りでキムチ炒めを作って夕食のおかずとした。 んで自室で晩酌。たまにはビン麦酒も悪くはないな…と思いつつキムチ炒めをつまみにゴクリと飲む麦酒の旨さかな…。さてと、今宵ものほほんと夜を過ごすとするかね…。
2005/11/30
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僕にとっての沖縄は小学生の頃の沖縄返還が一番最初に接したニュースだったかも知れない。本を読むことが好きだった僕にとっての沖縄は日本という国に虐げられ続けた国というイメージが出来ていたのかも知れないけれど、それは第二次大戦を通じた本の中から出来上がった僕のイメージなのかも知れない。 昨今は取り巻く状況や考え方の変化もあるだろうから、僕のように受け止め考える人は少数なのかも知れ無しけれど近代日本に置いての負のイメージが沖縄に有るというか、敗戦以降の負を押しつけて居るのでは無いか?と言う負い目のような気持ちが無いでは無い。 今から二十年ほど前に為るが、当時の僕の上司の一緒に暮らしていた相手は沖縄生まれの女の子であった。もう何年も一緒に暮らしているのに何故籍を入れないか?と一度だけ尋ねたところ、彼女の親が「やまとんちゅうには遣れん…」と言って反対しているから入籍できないんだよ…と聞いたことを未だに覚えている。 あの大戦から今日の今でさえ、僕の中では沖縄に対し負のイメージが強いと言うか申し訳ないと言う気持ちが消えずに残り続けている。それは先の大戦のイメージだけで無く、水商売時代に有った出来事にも由来しているからかも知れない。 何も考えていなかった?二十代前半の頃、知り合った沖縄の娘との出会いを未だに何処かで引きずって居る所為かも知れない。 今にして思えば、あの娘は僕のことを良い人と思っていたのかも知れないけれど、当時の僕と言えば自分の遣りたい事、自分の気持ち最優先でその娘の気持ちを思いやる優しさの欠片も無かった。 それゆえ贖罪の気持ちを未だに持ち続けて居るのかも知れないし、戦史とか読む度に日本という国に良いように弄ばれてるのが沖縄だな…と思うからこそ、未だに沖縄には感じるところがおおきい。 僕が罪悪感を感じなくとも良いとは思うのだが、不思議と沖縄に関しては罪悪感を感じてしまう僕が居る。
2005/11/30
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待ちに待った封筒が届いた。と封筒を手にした瞬間はこれで寂しい財布も一息つけるか?と思ったのも束の間だった。 封筒をにハサミを入れ出てきた物はと言うとてっきり見積書かと思いきや「照会書」これには口をあんぐりと開けてしまった。なんじゃこりゃとばかりに中身を確認すると医師の診断書のコピーを手にしている筈の保険会社が求めてきたのは自己申告?では無いか!。 もしや?と考え書類の担当者に連絡を入れて確認をしたところ、現状の僕からの自己申告で良いとの事。何で?ここで自己申告が必要になるのかは僕的には理解不能であるが保険会社が手続きに必要ならば…と書いて送ることにした。 これで、明日一番に送ったら明日中?遅くても明後日には届くと思うから、そこで保険会社の内部審査?を経てから見積もりが作られ、それが僕の元に送られ僕が確認し納得できたら送り返してそれでやっと振り込まれることになるのだろう。手続上仕方が無い事かも知れないが面倒な事この上無し。 この分では後十日はかかるかもね。 今日は終日ゴロゴロして過ごし、夕方には餃子スープとハンバーグで夕食のおかずとし、そんでもって自室で晩酌。今宵もゴロゴロしながら過ごすとしよう。 それにしても保険屋との交渉というか手続にはつくづく忍耐が必要だと再確認できたかな?。十月半ばで〆だった物が十二月に入ろうと言うのに未だ見積もりも貰えてない。 そこから考えると来月いっぱいで症状固定になったとしても示談までにどの程度の日数を考えねば為らないのか?。やはり二ヶ月は猶予を見て置かなくてはいけないのかも知れないね。
2005/11/29
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私が携帯電話を始めて自分で使い出したのはPHSが最初だった。使い始めた理由は…当時携帯端末を持ち運ぶ機会が頻繁になってきたので、それに伴って使いやすい?機種選択を考えたら公衆電話と同じような感覚で使える?PHSが手頃かな?と考えて使い始めたのが一番最初だったように思う。 PHSでもそれ程不満が有った訳でもないのだが、ユーザーの絶対数と言うのは悲しい現実で、数年後にはPHSと共にJ-PHONEユーザーにもなり、携帯端末を持ち歩かないように為ってからはJ-PHONEを止めDoCoMoへと変えていた。 日常生活で携帯電話って有って良かった…と思う機会はそれ程多くは無かった物の、週末毎にオフ会をしていた頃などは携帯電話は集合場所で無くては為らない物の一つだった。 それは大抵のオフ会には初参加の人間が居る物で、幹事は参加者が全員集まってくれないと飛び込みで会場に入るので無い限り事前に予約をしていることが当たり前で欠員が出てしまうと予算に狂いが出てくるからね。 また、初参加のオフ会だと集合場所に出向いても新宿駅などでは同じような集団があちらこちらに点在し携帯電話で連絡を取らないと合流できない等の事も珍しくないかった。 現にこれを書いてる僕ですら集合場所に行きはした物のメンバを探すことが出来なくて幹事の携帯番号も知らなかった為其処まで出向きながらオフ会には不参加だったと言う経験が何度か有るからね。 その昔は端に移動電話的な使い方だった携帯電話だが、ここ何年かはネットへの接続も当たり前のように為ってきて携帯の使い方も単なる電話だけと言う使い方では無く、携帯電話自体が移動端末として使う機会も増えてきているからこの先はパソコンの小型化に伴って携帯自体も色んな風に進化をし続けて行くに違いない。 急ぐこともないから…とゆっくり起き出して風呂の残り湯で洗濯しつつ風呂掃除。洗濯物を干したところで着替えて病院へと向かった。十二時まで一時間半程あったから午前中の診察に間に合うかな?と思って居たのだが、到着したのは十二時を少し過ぎていたので、診察は午後に決定。 仕方がないからと病院に入る前に蕎麦屋で昼食を食べてから病院に入りリハビリ>物療>診察とこなした。そういや、リハの担当から腕の痺れの原因は首からじゃ無いとは言いきれないが脳出血にも原因があるのでは無かろうか?と言われたのだが本当はどうなのだろう?。 てか、むち打ちを起こす前は今ある痺れは無かったのは事実で、遠因は脳出血にあったとしてもスイッチの切り替えはむち打ちで起きたのだとしたら、原因はむち打ちに有ると言えるのでは無いだろうか?。 ま、複合的な要素が複雑に絡み合っての事とは思うが何だかね…だよね。診察の時院長が面談?と尋ねてきたので保険会社が説明を求めて居るようだと言うことを伝えて置いた。 それにしても人間の体と言う物はもっと単純な作りや動きになっている?と思っていたのだがあらゆるところが複雑に絡み合っているのだな…とつくづく考えさせられた。てか、半年以上病院に通院していると有る程度は納得は出来ているつもりではいるのだが…納得しているつもりだったけど、納得していない心が有ったと言うべきかな。 病院を後にし帰路に付き、途中寝酒を買って帰宅。帰宅後はキムチ鍋と牡蠣のオムレツ擬きを作って夕食のおかずにし自室で晩酌。搭乗者保険の書類は今日も届かなかったが今週中には届くらしいから後は届いてからの話だよね。 さて今夜も録画でも見ながら夜を過ごすこととしようかな…。
2005/11/28
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競馬はスポーツと言うのは頭ではそうなのかな?とも考えていたのだけれど、僕の中ではスポーツ観戦?と言う楽しみ方では満足できないのだな…と言うことを今日のレース観戦で思い知った。 レースは淡々とした流れで進み、最後の直線での競り合いは今後何年間は語り継がれるようなデッドヒートであったと言うことは僕も認めるのにやぶさかでは無いけれど馬券を買ってないこの身にしてみると端に強かった…と言うだけのあっさりと流してしまいそうになる様な思いしか出てこなかった。 こんな感想しか出てこない僕にとっての競馬はギャンブルと言う側面の方が強いのだろう。 今日は起き出したのはゆっくりで、まずは親父に頼まれた軽トラックの給油に出かけ買い物をして帰宅。帰宅後はのほほんと発泡酒を飲んで昼寝を楽しみ、夕方にはサツマイモを使って肉じゃが擬きを作って夕食のおかずとし自室で晩酌&録画鑑賞をしながら夜を過ごすこととなった。 ま、今日の競馬は買っていたとしても勝った馬は買わなかったに違いが無いと思うからそう残念にも感じないから良しとするかね。
2005/11/27
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夜中に日付が変わる頃から天気予報では霙の予想だったから…てっきり朝起きたら外は真っ白かと思いきや、天気予報は見事に外れて外は秋景色のままだった。 今日はボランティアだから出かける前まで適当に過ごして時間が来たので出発。途中朝昼兼用のおにぎりと飲み物を買ってボランティアに向かって午前中は読書しながら過ごし、午後からはネットサーフィンしながら過ごした。 千メートル級の山はさすがに雪景色になってきているが、それより低い山々はまだまだ雪景色には時間がかかりそうだが、来月に入ったら家の周りの山々も雪景色に変わってしまうかもしれない。 今年中にもう一度は都内に行って来たいと考えていたのだが、当初の考えの通り症状固定になってからでも遅くは無いと考えるから都内に行くのは来年になるのかもね。ま、後一月余りで症状固定は確実のようだからそれが済んで後遺障害認定が終えてからでもね…。 夕方にはボランティアを終え手作りの焼き肉のたれを分けて貰って帰宅。早速そのたれを使って…とも考えたのだが、実際に作ったのは肉団子鍋?&簡単な煮物。 何時もの様に自室で晩酌しつつ録画鑑賞を楽しんだ。んで今夜は録画鑑賞で夜を過ごすことになる模様…。
2005/11/26
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お金がない!だからこそ保険からお金が出るのを待っているのだろう。けど、働いてないのだから金が無いのは当然の話で二年以上も働いて無くて金が有ったら、余程貯金でも有ったと言うことだろうが、生憎貯金の類は皆無だ。 それじゃあ、二年余りの生活は一体どうしていたか?と言うと健保の傷病者手当金請求を行って賄ってきていたのだが、それも事故を起こした春までの話…。事故を起こした頃は失業給付で凌いでいたのだが、それも夏頃までの話でその後は共済の通院手当を請求して過ごして現在に至っている。 今は搭乗者保険の書類が出来るのを待ってる状態で、受給が出来ればそれで示談までは過ごすことが出来るかな?と言うのが現状だ。ボランティアは無給では無いが月に二万円弱の金額ではわずかな足しにしか成らない。 正直、この歳になって親から金を貰うのに心の抵抗は感じつつも嬉しいなんて思ってしまうのが正直な所で、今朝なんて親父が突然部屋に現れ「今日は病院へ行くのだろう?これガソリン代」と言って二千円を置いて出て行ってしまった。 助かったと思いつつも、自分の情けなさを思い知った。 金が無いと言うことは他の人は違うかも知れないが、僕の場合は気持ちが委縮してしまう。書いてて思ったのはお金って気持ちの潤いみたいな物かも知れない?。 お金が無くなると、気持ちに潤いが無くなって乾いた様な心持ちになってしまうことが多いが、わずかでもお金を手にすると、その乾いた気持ちに潤いと言うか湿り気を得たような気がしたからだ。 自分の心持ちが悪いのかも知れないがお金で一喜一憂するのはどういうものよ!>自分 と言う感じかな?。 働いてないから…こういう状態なんだが、早く働きたい。働き始めたら今の状態から脱する事が出来るだろうと考えて居るが、その前にはむち打ちの症状固定が先決だよね。 早くこの件片付けて就職口見つけなきゃ…。 朝起きて着替えて病院へ受付を済ませ、診察の順番を待って診察。久しぶりに担当医と話をすると、保険会社から面談の申し込みがあったと言うので、以前先生が言ってた様に症状固定はまだか?と聞かれたから担当の先生からは遠い先では無いと言われたと言ってあるからその話の確認ではないか?。と一応告げた後で症状固定の予定は?と言う風に尋ねてみると、担当医が言うには僕の反応が神経質になっている様子もあるからどうかな?と考えては居たのだが、一応年内で症状固定の方向で考えていると教えて貰った。 診察の後は物療を受けリハビリを受けて、帰る途中で昼食を食べて夕飯の食材を買って帰宅。帰宅後は自室で動作がおかしくなっていた外付けHDのフォーマッタを何度となく試みているのだがどうにもエラーが出てしまってフォーマットは不完了=すなわち壊れたと言う事だね。 夕食のおかずには魚の煮物を作って自室で晩酌。 年内で治療が終了と言うことは、年が明けたら東京に戻る用意をしなくちゃいけないと言う事なんだな…と考えてしまった。つか、都内に戻る事考えて荷物整理を始めなきゃいけないのは確かにそうなのかも知れないけれど、症状固定に成ったら成ったで、今度は示談に向けて動き出さなきゃいけないのだよね。 症状固定でお終いじゃ無く、症状固定はその次に始まることの序章でしか無いのだから、症状固定以降の後遺障害申請>後遺障害認定への始まりでしか無く。無事に後遺障害が認定されたとしても、その後は示談の提示があって、それが適当かどうかの判断をしなくてはいけないだろうし、揉めたら揉めたで…と続くのは判っているからね。 とは言え、一区切りには違いがないからまずは様子見かな…。
2005/11/25
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示談交渉の遙か手前の通過儀礼的な搭乗者保険の請求の件だと考えていたのだが、病院で書類が発行されたのが今月十日、加害者側保険会社には数日で届いた物と思われるが。そこからコピーして被害者側保険会社に到着するまで約一週間、支払い明細を発行まで一週間はかかると言うことで、今月中との確約は貰えなかったが、来週中には届けられるのでは?と言う返事は貰うことが出来た。 被害者側自加入保険で〆日?から一ヶ月近く過ぎても終わらない対応を考えると、加害者側保険会社の対応はどんなに遅れてしまう物かと憂鬱な気分になってしまう。 貰うのが当然とは考えては居ないが、失った時間の対価を支払って貰っていると考えれば良いのかも知れない。けど、対価と考えた場合こんなもんで?と思わないでもないが、示談までの繋ぎ資金としては欠くことの出来ないお金であるから…。 明日には症状固定までのタイムテーブルを担当医に尋ねてみるつもり。タイムテーブルなんて無いと言われればそれはそれで仕方が無いのかも知れないけれど、先月まで一応半年で打ち切られる可能性が大というタイムテーブルで考えてきているから、今後を考えるとカウントダウンにはタイムテーブルは欠かせないから担当医の考えを問うて見なくてはね…。 それによって搭乗者保険から降りる金額の使い方も考えなくてはいけないだろうし、東京に戻るタイムテーブルも作れると言う物だろう。 果てさて、明日はどう言う風に答えを貰えるのかな?。 結局、薬局昼近くに町まで買い出しに出た以外は終日自室で過ごし、夕飯のおかず用には秋刀魚を煮て出して僕はと言えば自室で晩酌。貯まった動画を見ながらのんびりと夜を過ごすことに…。
2005/11/24
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本日は終日部屋でのんびりとして過ごす予定だったのだが、午後から親父から声がかかったので、親父に言われるままに山向こうの我が家の山まで出向いて切ってあったストーブ用の材木を軽トラックに積み込んで帰宅。 その途中で、親父が独り言のように言い出した「りんどうでも作るか?けどりんどうは一人では作れないから駄目か…」とね。思わず俺は来年には都内に戻るという話はしたよな?と言いそうになったが、考えて見りゃぼけるわけは無いのだし、こんな風にしか言えないのだな…と考えスルーした。 さてどうしたものかな?と考えないでも無いのだが、いくら考えても僕自身の中で答えはすでに出ているわけで…。 つくづく親不孝な息子だな…と自覚した僕が居た。
2005/11/23
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昨晩は風呂を洗って給湯までしたのに結局自室から風呂場までの道のりが遠くて寒かったから断念。だけど、その割には朝の目覚めは悪くは無かった。やはり外が寒くなってくると布団の中と外の差が顕著になって…必然眠りも深くなって居るのかも?と僕的には考えている。 一応起き出し親父に農協から貯金を引き出す事、姉の家にリンゴを届ける事を頼まれたは良いが、今日は代引きの宅配便が届く予定であるから、届く予定を確認すると小一時間ほどで届くというので届くまで待ってその上で家を出た。 家を出て向かった先は遠縁の店に出向きそこで東京の叔母に宅配でリンゴを送る手続きを済ませ余ったリンゴを車に積んで、農協に行って出金してから姉の家にリンゴを届けて、途中買い物を済ませて帰宅。 午後からはのんびりと自室で過ごし、夕方からは夕食のおかずでも作ろうかと時間を見ながらまずはきんぴらゴボウ擬きを作って、後は朝届いた蟹が解凍出来てるはずだから切り分けてストーブの上で焼いてそれを皿の上に並べたら出来上がり…となるはずだった。 が、実際には溶けてると思った蟹は凍ったままで無理に溶かしても…と考え断念。急遽考えたのは冷蔵庫にあったレトルトパックの八宝菜を使っての物。結局八宝菜となった。 晩酌後貰ったワインでも飲みながら録画のTVでも見ながら過ごすとするかね。そういやネットの天気予報で確認したら今晩は氷点下まで冷え込むとか、寝る前には風呂に入って体を温めてからにしようかね。
2005/11/22
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朝起きると外は白くは成っては居たが真っ白と言うほどでも無い程度だった。とは言えもしも…があったら困ると考え何時もの通院時間より小一時間も前に家を出ると、心配は見事に的中し道路はすっかりと氷って居るでは無いか?。 おそるおそる車を動かすと、怖々の運転は僕だけではなく他の車も皆同じようにのろのろ運転だった。町を越え程なくして警官発見。何事かと思いながら車列はスローダウンその脇に有った物は真横に成ったパジェロ?だった。 路面が凍っているのに過信してスピードを出していたのだろう。幸いに後続車も居なければ対向車も居ない田舎道だったのが幸いして二次災害には会わずに単独事故で済んで良かったと言うところかもね。 後続車が居たら…対向車が居たら…事故は単独では済まずに二次事故となって負傷者も出ていたかも知れないのだ。いくら四駆のパジェロと言えども過信した運転手じゃ性能発揮とは行かなかったのだろう。 事故はその一件だけで無く盛岡にはいるところで街灯がなぎ倒されているのが目に飛び込んできた。陸橋の下りで緩やかなコーナーになっているところでインに入ってぶつかったのだろうが、どういう運転だったかは想像するのは難しかった。ただね、普通車や小型車ならフロントをつぶす程度でなぎ倒すまでは行かない事故だと思うからぶつかったのは大型のトラックだろうな…という想像は出来た。 結局、路面を気にして早めに出たのだが、肝心の路面が悪かったのは安比を超えるまでで、超えた後は何事もなく普通の路面だったので病院に到着したのは十時前、受付を済ませリハビリから受けることになった。 そのリハビリで想わぬ事を聞いてしまった。保険の示談のことがあるから、症状固定を待って状況の準備をしたいとリハの担当に告げたらリハの担当曰く、リハ的には今の状況なら何時でも東京へ行けるよとあっさり言われてしまった。 僕的には担当医とリハの担当の間で意思の疎通が為されていると考えていたのだが、僕がそんな風に考えていただけで実際には意思の疎通は出来ていなかったのだ。 今度担当医と話をするのは週末の金曜の予定であるから、その時に今後のタイムテーブルを教えて貰わなきゃいけないかな…。 物療をして診察を受けて昼食を食べて帰宅。一昨日事故の保険会社から連絡が入っていたので書類が出来たのか?と考えて電話を入れたら事故の保険会社には違いが無かったのだが、こちらの加入している保険会社では無く、あちらの保険会社からの電話だった。現状を伝えて症状固定には未だ至らずと伝えて置いた。っていうより現在進行形で言うなら僕だって症状固定を望んでいるのだから後は担当医次第なんだよね。 夕食の用意をして風呂の掃除をして給湯を開始。自室で晩酌後しばしくつろいでいると遠縁の家から電話が入り「パソの調子が…」と連絡が入ったので着替えて出かけてみるとおかしい?と言っていた理由は端にフォントの指定がセルの幅にあって無かっただけでフォントを一つ小さな物に指定しただけで問題は解決したので帰宅。 のんびりと麦酒でも飲みながら搭乗者保険について考えてみよう?。
2005/11/21
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坊主頭にしたのは、元妻から後頭部が薄くなってきて居るんじゃないの?と言われたのが切っ掛けだったかも知れない。確か言われたのは夏で、その当時はちょんまげスタイルだったからまるで風呂上がりは河童のようだったのかも知れない。 言われてから何となく気にはしつつ冬までちょんまげで居続けたのだが、冬のある日何となく美容室に行って「バッサリと切ってください…」と言ったら何度も何度も「本当に切って良いんですよね」と念押しをされその上で切って「こんなの初めてです」なんて言われたのを覚えている。 それから何度か半年ぐらい掛けて伸ばしては数日ちょんまげをしてみてはバッサリ切る事が何度か有った後で最後に伸ばしてまたちょんまげをして、やっぱり坊主が楽だな…と自分で電動バリカンでバッサリと切った数日後に脳出血で倒れて、入院中は看護士に腕が動かないので電動バリカンで切って貰って居たのだが、退院後は不自由な腕を使ってどうにか電動バリカンで刈り続けて来たのだが、むち打ちから半年経過して示談が済んだら東京に戻ろうと考え始めてから二年ぶりで髪を伸ばし始めて見ている…。 如何せん髪の毛は思うように伸びることは無く薄さが気になるところだが、気分を変えるのは見た目を変えることも必要と思ったから今しばらくは伸ばしてみるつもりである。 坊主頭は電動バリカンが有れば一人で勝手に出来たけど、髪の毛を伸ばすと為れば一月もすれば出かけるときは癖毛を治してでないと出かけられなくなるのは目に見えている。が、それもまた楽しいことなのかも知れないと考えている。 取り敢えずは適当に…五六センチを目標にと考えているが、邪魔にならなかったらちょんまげまで復活させてみたいとも考えている。考えては居るが本当に底まで伸ばすかどうかは気分次第であるから、気分が伸ばす気分で無くなったらまたバッサリと言うことも十二分に考えられることでは有るな…。
2005/11/21
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銀行口座に残高がないので購入できないけど、予想だけでもしようかな?とも考えたのだが、買わずに予想が当たったら悔しいので予想はしなかった。結果予想もしなかった。 レースの結果は三連勝を目論んだ一番人気は見事に惨敗。買っていたならたぶん一番人気から買っていただろうから買わなくて大正解と言えるかもね。 今日は昼近くに買い物に出かけ、夕食用に鍋焼きうどんを購入して夕飯用に作って夕飯とした。 部屋は暖かく過ごせるものの、部屋と部屋の間は冷蔵庫の中のような寒さで寒暖の差が激しくとても体には厳しいかな?。 さて今宵ものんびり録画でも診て過ごすとするかね…。
2005/11/20
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朝起きるとメールのチェック、ふと気づくと着信の履歴があったので、誰からかな…と名前を確認すると保険の担当の人からだった。思わず今日にでも連絡を入れてみようかな?とも考えたのだが、土曜で休日だったから連絡は入れなかった。 話の中身は保険会社から書類が届いてその上で書類を作って送ったから届いたら内容を確認した上で判子を付いて返送して欲しいとの事だと想像は出来るけど、果たして見積もりの金額は借款通りの金額になるのか?それとも2ちゃんねるで散々書かれているようにそれなりに割り引かれた物なのかどうかは書面を見てみないことにはね…。 起きると洗濯を始め、風呂場の残り湯を掃除のために抜き、洗濯物を干した後は着替えてボランティアに出発。途中朝食用、昼食用のおにぎりと水分補給のためのペットボトルを買ってボランティアの場に到着。 取り敢えずボランティアは可もなく不可もなく開始。何時もと違ったのは小中生が一人も来なかった事だろうか?寒さを考えたら仕方がないのかな?。のんびりと収集活動をしながら終日読書三昧で過ごして帰宅。 帰宅後は収集したデータをパソにコピーをした後は夕飯の準備でネットで買った食材を加熱して夕飯におかずにした。こういう手抜きもたまにだから悪くは無いよね?。風呂に給湯始めて自室で晩酌。晩酌の後は昨日届いたケーキとお茶で食後の一服を用意した。 さてと、取り貯めた録画でも診るかな?。
2005/11/19
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朝、とても肌寒くて目が覚めた。曇りガラスの外は白かったからもしや…と考えると案の定雪が降っていた。が、ネットの天気予報では雪が降るとの予想は昼近くだけで後は曇りの予想だった。 でもひょっとして雪が安比に多く降って途中に積もっていたら病院までの時間は倍くらいになると予想して八時頃には家を出た。 出てみると雪は益々降り出し安比の辺りでは吹雪くほどだったが、山を越えてみると雪がちらつきもしやしない。そのまま病院に行く途中で叔母の家に立ち寄り昨日届いたケーキを届けてから病院に向かったのだが、到着した時間は何時もよりだいぶ早く余裕のよっちゃんだった。 まずは診察を受け、こう寒くなってくると体の動きも悪くなるのは当たり前とか言われたので、暖かい土地で暮らしたらこういう苦しみも無いのにね…などと話をしていると、担当医が突然「まあ、来年の春までは様子を見た方が…」と言い出すでは無いか!。この前担当医と話したときには確か症状固定はそお遠いことでは無いと言う発言だったし、それ以前にも担当医以外からではあるが目安として半年経過して改善出来ないようなら諦めた方が良いとか言われていたから半年を目安と考えてきたのだが、その半年を過ぎてアクションが無いな…と思っていたら来年の春とか言う話が出てくるとは考えもしなかったから言葉が出ずに診察は終了。 リハビリの担当にその話をすると良いんじゃ無いの?などと言われてしまうし…その後物療を受けて昼食を食べて帰路に付いたのだが、僕の腹時計のタイムテーブルでは年内に症状固定>後遺症認定>示談という流れで進み、年明けには都内に出かけて住むところを決めてその上で春までには東京に戻るつもりで居たのだが、症状固定が来年の春まで延びるのなら示談の話にたどり着くのは初夏の頃で東京に戻るのは夏頃になるのでは無かろうか?。 帰宅後居間のストーブに火を付けたり、自室の暖房を入れたりした後で夕食の準備を始めた。一応冷蔵庫にあった古い物を入れるまでは良かった筈なのだが古いのがかなり痛んでいたかもしれない。 何時もの様に自室で晩酌。晩酌終了後宅配便で届いたケーキを出してコーヒーと一緒にテーブルに出して僕は自室で麦酒とケーキ。 こうして夜もふけてゆくのかな…。
2005/11/18
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今日届くか明日は届くかと思いつつ一週間過ぎてしまったので朝から保険屋の担当者に書類が出来たのかどうかの確認をしてみた。するとあっさりと先方からまだ書面で貰ってないから書類は出来てないとか言われてしまった。 僕の知る限りでは先週の半ばには病院から保険会社に請求書が出されているのは僕が貰った保険会社への提出された物のコピーに日付が入っているから間違いなく、そこから更にコピーを貰えてないと言うのは保険会社の嫌がらせとも考えられた。 が、足下を見られる気がして急いでくれとは言わなかったが、病院から保険会社には先週中には届いているはずの旨を伝え請求して貰って書類を作って欲しい旨を伝えて電話を切った。 ネットで購入したチーズケーキが届いたので和室に置いて、車で役場に出かけ年金の免除申請をして帰宅。 午後からはゴロゴロして昼寝などして過ごし、夕方には冷蔵庫に作り置きしてあったカレーを出して電子レンジで加熱し目玉焼きを作ってその上にカレーを掛けて夕飯とした。 自室で晩酌後後片付けに台所に行き昼間届いたケーキとコーヒーを並べて食後のデザート代わりに出して、自分は麦酒とケーキで食べた。ネットショッピングはケーキは外れは少ないと思うが、それ以外の食材は当たりは少ないかも…。 さて、今夜はカレーだったから明日の晩は豚すき焼き擬きにしてみようかな?と考え中。
2005/11/17
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雪が降る位なのだから寒いのは当たり前と言えるのだが、判って居ても寒すぎる。何せ座敷の縁側にあたる通路に置いてるビールやアルコールはただ置いているだけなのに冷蔵庫に入っているより冷たく冷えるほどだし、ファンヒーターを付けたら付けたで温度がなかなか上がらずに居ることも少なくないし、有る程度上がったら自動的に火が小さくなるはずなのだが、火は小さくなることなく音を立てて燃えてたり…。 まだまだ庭の土が凍ってしまうほどの寒さには成っては居ないけどこの寒さだものね…。さすが北東北の冬の訪れという感じかな?。 朝起きると風呂場を夜に備えて洗ったり、何となく冷蔵庫を見て凍らせた食材があったので白菜と共に煮込んで晩のおかずにしたりしてから通院のために家を出た。 さすがにうっすらと雪景色を見た後だから運転には普段より注意を払ったのは言うまでもない。さすがに道路に雪は無いな…と思って走らせていたのだが安比を超える辺りは路肩に雪が見え隠れしていたから積雪の道路を走るのも遠いことでは無さそう…。 病院では診察を受けて物療をした後で昼食を食べて帰宅。帰宅すると婆から親戚から連絡があった旨を伝えられたが買ってきた物で果実酒を仕込んでから電話を入れて見ると、メンテの依頼だったのでそのまま出向いてさくっとメンテをし、お礼に麦酒を貰って帰宅。 帰宅後は朝作った煮物を温めテーブルに並べてから自室で晩酌。のほほんと録画を見ながら過ごす。宅配便が届いたので冷蔵庫に届いた食材をしまい込み自室で一休み。 先週病院から保険会社に請求書が送られているはずだから、その請求書を元に搭乗者保険の支払いの件で手紙が届くなり電話が来るかと待っているのだがなかなか来ない。正直こちらから請求というのは好きじゃ無いと言うか足下を見られるようで好きじゃ無いのだが、明日は電話を入れてみるつもり。 そうでないと月末の支払いが気になってしまいそうだからね。 共済の通院費の支払いが九月だったから財布の中も底をつきかかっているし、これが済んだら示談まで一息つけるかもしれないからね。とは言え七ヶ月を超えたのだが症状固定は何時?と言う気持ちで…。症状固定とならなきゃ示談の話には為らないだろうし、今からじゃ春に間に合うかどうか…ね。
2005/11/16
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この時期部屋と居間の間の廊下はまるで冷蔵庫の中のような寒さである。しかも電気も付けてない中を歩くのだから歩き方は自然と早くなってしまう。 外が静かだから思わず暗闇に目を向けたつもりだったのだが、暗闇だったのは昨日の晩まで事で、今晩は暗闇の筈だったのが薄暗く反射して見えるではないか!。 思わず目をこらして窓の外を眺めてみると、外はうっすらと雪景色に変わっていた。そりゃ確かに寒くも成ろうというものだ。 雪見で一杯と言うのも悪くは無いが明日は通院があるから日中は溶けて走るのに邪魔にならない程度に成って欲しい。だが、それよりも雪解けの道路は泥跳ねが酷くて車が汚れてしまうのも気になるところだ。
2005/11/15
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朝っぱらからカタカタと音がするな…と目を覚ましてみるとベッドがゆらゆらと揺れて居るでは無いか!!。だけど、毛布から出ている顔が冷たかったのでそのまましばらく潜って居ると、割合長く感じた揺れも何時しか止んでいた。 常時点けっぱなしのパソコンのモニタに目を向けTVソフトを起動させチャンネルをNHKにあわせて地震情報を見ているとしばらくして震度は三だった事が判明、比較的浅い震源地だったようだが、揺れた地域は北は北海道から福島当たりにまで及んで結構強かったのだな…と感じた。 その後で天気予報(ネット)を探してみてみると、朝の最低気温が氷点下の日が続くことが判り、実家周辺の山々はまだ秋と言う感じなのだが冬はもうそこまでやってきているのだな…と実感できた。 冬本番は仕方がないとは思うのだが、体のぎこちなさは依り増して、暖かい土地ならこんなに苦しむことも無いのかも?などと考えてしまう。 そういや、半年過ぎたら症状固定と思って良いと担当医以外から言われてきたし、症状固定はそう遠い話では無いと担当医も言っては居たのだが、七ヶ月過ぎたけれど素振りが無いのはどういう訳なのだろう?。 毎度考えてしまうのだが、担当医に下駄を預けた以上は言われるまでは通院を続けるしか無いのかな?。半年過ぎる頃加害者保険会社から担当医の判断に従いますとは言いはしたが、保険会社から言われた本人的にはどう考えているのですか?もう治る見込みがないと思うのなら担当医に話して症状固定を考えても良いんじゃ有りませんか?と言う言葉を考えてる僕が居る。 はっきり言うとマッサージをいくら続けても痺れに覆われた肩や肘では気持ちの良いはずのマッサージではあっても痺れで気持ちよさなど皆無で何の為?と思ってしまう僕が居るのは事実だ。 今日は朝からベッドでゴロゴロ、昼を越えても昼食も食べずにゴロゴロして夕方まで過ごし、夕方から居間に行きストーブに火を点け夕飯のおかずを用意して自室で晩酌のんびりとした一日がこうして過ぎてゆく…。
2005/11/15
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携帯はこの夏FOMAに変えたのだが、家の場所ではFOMAは圏外になってしまう事が多くメールも使えないことが珍しくない。 夕べの今日で一日遅れの?と言う内容でHappyBirthdayメールが届いたか?程度に朝は考えていたのだが、よくよく差出人の名前を確認してみると、珍しい女性からのメールだった。 この前僕からメールを出したのは一緒に食事が出来れば良いなと思って二年ぶりにメールをして食事をしてから何かあればメールをすることはあっても誕生日のメールなどしてきたことが無い女性からのメールだったのでとても驚かされると共に何となく気持ちが温かくなったような気がした。 最近メールも余りしなくなっていただけにこういうメールは嬉しい物だなと再発見した気分になった。 今日はゆっくり起き出して着替えて通院のため家を出て午前中の診察に間に合うように病院へ行った。リハをして物療を済ませてから吉野家で昼食を食べ買い物をして帰宅。 しばし部屋で休憩した後で夕食のおかずを作ってテーブルに並べ自室で晩酌。食べた食器を洗いに台所に行き風呂の給湯を開始して洗い物を済ませて部屋に戻りメールのチェックをして返事を出した。 さてとこの後はゆっくりと寛ぐことにするかな?。
2005/11/14
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何となくと言うか、話したい気分になって元妻に電話をした。本題なんて有って無い様な物。取り留めのない話に終始した。 共通の話題と言えば?持病と子供の話だけ…他に話すことと言えば互いの近況報告をしあう程度で話すことは無くなってしまうのも仕方が無いのだろう。 相手が疲れている事を感じ取っても自分に出来ることと言えば金銭的な事とか電話を短く終えることだけ…。 彼女には「ゴメン…」と謝ることしか何時も出来ない自分が居る。
2005/11/13
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朝起きたら、親父がやってきて今日の予定は?と聞かれたので隣町まで買い物に行く旨を伝えると、朝収穫したばかりの椎茸を姉の家に届けるように言われたので、冷蔵庫に入れてあった蟹も一緒に届けることにした。 出かける前には洗濯をしたり風呂を洗って夜の準備をして洗濯物を干してから家を出たのだが、どういう訳か出るときからテンションは上がらぬままだった。 姉の家に届け、さてどうしようかな?とも考えたのだが、市内に入る気にも為れなかったのでそのまま帰路に付き途中昼食を食べて買い物をして帰宅。 そのままボンヤリしながら自室で過ごし結局夜は買ってきた物を食べて過ごした。 テンションが上がらなかった訳は何処に原因があったのだろう?遠因は解らないでも無いのだが、ここまでテンションが下がってしまうものなのか?自分的にちと不思議。 さてと、今夜はこのまま部屋でゴロゴロしながら夜長を過ごすとしようかね。
2005/11/13
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都内で女子高生が刺し殺されたと言う事件を知ったのはネットのニュースからだった。 DVもそうかも知れないが、好きだから殺してしまうと言うのは僕はいくら考えても理解が出来ない。つうか好きだから殺したいと言う気持ちは解らないとしか言いようが無い。 ネットで見た事件であるが、過去に起きた好きだったから殺してしまった…と言う事件と同一と考えればいいのかも知れないとは考えつつも、それでも僕は好きな女を殺してしまうのはどうなのよ?と考えてしまう。 確かに恋愛の過程の中で燃え上がった気持ちをそのまま封じ込めて…と考えると心中という行為も理解できなくは無いと僕は考える。だが、その行為は独りよがりな行為では無く相手も同じ考えに立って成り立つ物では無かろうか?。 そう考えると、僕的には男子生徒の一方的な片思いの果ての結末でしか無く、殺された少女は男の子の妄想に殺されてしまったのでは無かろうか?と考えてしまう。 が、考えてはしまうが僕的にはその男の子をかばう気にも為れないし、少年犯罪として裁かれるより、普通の犯罪として裁かれるべきでは無かろうか?と考えてしまう。 殆どの今までのこういった犯罪の後の報道は事件を起こした少年が悪かったと言う報道にも成らなければ、事件の被害者の女子高生が生きていれば沢山得られたであろう事柄は無かった物として報道されているような気がして仕方が無い。 好きだった、受け入れてくれなかった…などと言ったら僕なんて一体何人殺さなくてはいけなかったのか…。 好きになるのはいけない事でも悪い事でも無いと思う。だがその気持ちの向ける先は違うだろ!!!と言いたい。
2005/11/12
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朝起きて着替えて外付けHDを持ってゆく準備をしボランティアに出かけた。途中で朝食兼昼食用のパンとおにぎりとお茶のペットボトルを購入してから公民館に到着。 一応今日はパソコンルームに暖房を入れて貰い、今日は数台のパソコンにソフトを入れることになった。正直面倒では無かったので収集活動を行いながらソフトのインストールを行ったり、パソコンスクールで調子が悪かったと言うパソコンを持ち込んだ人のノートパソのデフラグを欠けたりメンテツールを使ったり…。 午前中は何人かが入れ替わりやってきたのだが、午後からは閑散とした部屋で一人収集活動を行っていた。正直欲しいと思う物は少なく取り敢えず…的な収集だったのは否めない。 夕方時間が来たので終了して帰ってきたのだが、示談の話が出たらボランティアも終了の話をしなくてはならないと考えているのだが、来年も募集をするのかどうかは判らないからスルーして置いて良いのだろうか?。 家に戻り収集してきたデータをパソに移してから夕食のおかず作り開始。今日は昨日の残りに手を加えた物と鯖を焼いて出来上がり。僕的には焼き鮭が食べたかったのだがまた後日にしよう。 何時もの様に自室で晩酌。ふと考えたら43回目の誕生日だった。おめでとうと言ってくれる人も居なければお祝いのケーキも無し…なんて今に始まった事では無いから寂しいとか感じることはないのだが、それでも誰かにおめでとうとか言って欲しいかな?。
2005/11/12
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何だか我慢してないようで居て、それでも我慢してるのかな?と思うことが少なくない。てか、そう考える自体が我慢しているのだな…と自覚していると言うことなのかも知れない。 意味のある我慢であるならそれは無理とは思わないのだが、今僕がしている我慢は意味があると自身で思えるのかどうかは甚だ疑問。 むち打ちの後遺症の左半身の痺れ感は寒さが増してる時期になって痛みまで覚えるほどになっているが、これは今の季節を過ぎれば夏の状態に戻るのでは?と考えられるから…とは思うのだが暖かな地方だったら症状はもっと軽いのかも…と考えてみたりもする。 症状固定はまだであるが、現状が続くのであれば寒い時期は症状固定はせずに、来年の春近くになったら…と考えないでもない。ま、この件に関しては担当医に任せてあるのだから担当医の判断次第だよね…。 とは言え、今の左上半身は脳出血での退院時より違和感はばりばりにあって強いて言うなら大リーグ養成ギブスを左上半身にだけ固定して付けている様な気がするとでも言うギクシャク感かも…。 加えて言うなら肩胛骨の裏の所に鈍い痛みが発生し、それに伴って左肘から左手首、左手まで動かす感じはワンテンポ遅れた動作感とでも言った感覚かも知れない。 正直な話左半身の違和感は上半身だけでなく下半身にも有るのだが担当医的には下半身はスルーな感じだから、現状で症状固定となったら後遺障害の認定はどのように出てしまうのか?と考えてしまう。 脳出血の時は退院時にはこれほどの違和感も無かったからその後の不安も無かったのだが、現状では受け入れなきゃと言うことは理解してはいるのだが、脳出血で退院したときより良いとは正直言えない。 朝起きて夕べのカレーの鍋を洗い着替えて病院に通院のため出発。取り敢えず午前中には病院に到着し、午前中の診察を受けリハビリとマッサージをして病院を後にした。病院から先々月と先月の保険会社への請求のコピーを貰ったのだが、そこに書かれた金額に驚かされた。 夏まではほぼ月に十万程度の請求だった金額が先々月から健保を使っての請求金額に変わったとたん1/4程度まで安価になって居るでは無いか?。金額の違いに驚くと共に一応自費での通院は可能な金額と言うことを知ることが出来て良かったかな?。 そのまま吉野家にて昼食を食べて、途中買い物をして帰宅。帰宅後は出がけに目にしたナメコを使った料理を一品作って夕食のおかずとし、自分は何時もの如く自室で晩酌。取り貯めた録画を見て夜を過ごすことに…。
2005/11/11
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朝起きると外は快晴だった。窓から外を眺めると霜柱が立って居たから相当寒いに違いないとそのまま自室に戻って部屋でぬくぬくと過ごすことに…。 昼近くなったので再度台所に行き、風呂場を洗ったり昼食用に冷蔵庫に入っていた蕎麦を食べる準備をすると共に、夕飯用のカレーを作り始めた。蕎麦は昨日の鳥鍋の残りに少し汁を加えて残っている肉団子と椎茸を切って入れて汁は完成、蕎麦は冷蔵庫から取り出して蒸し器で蒸してから器に入れて鳥鍋の汁を入れて出来上がりとし、親父、婆、婆の手伝いに来ていた叔母さん達用に分けたら僕の分が無くなって居たから僕の分は無しとした。 昨夜の残りだったが、叔母さんは薄味で美味しいと言ってたな…。何も食べないのは…と考え一応みそ汁の椀に一杯だけカレーを入れて味見がてら昼食代わりとした。少し古くなりかかった肉だったがこうして使えば臭みも無く食べることが出来た。 午後からはのほほんと過ごしもう少ししたらカレーを温め夕食にするつもり。一応?鍋半分作るつもりであったのだが出来た量はほぼ鍋一杯だったから今夜だけじゃなく明日の夜もカレーかな?。
2005/11/10
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朝からネットに繋いだら札幌で雪…となっていたので慌ててTVソフトを立ち上げTVを見ていると、親父がやってきて車の鍵というので渡したらタイヤ交換するというので上下着込んでタイヤ交換の手伝いをすることに…。 札幌で雪かと考えてふと家の前の山頂に目を向けるとうっすらと白く雪を被っているでは無いか!。家の前の山であの程度と言うことは安比を超えるときにはどうなっているだろう?と思っていると親父からうっすら積もっているのでは?と言われた。 着替えて病院に通院のために家を出たのだが、途中スタンドに立ち寄り給油&エアチェック&ボルトの増し締めをして貰ってから安比を超えることにしたら安比からの吹き下ろしに雨が…と思っていたら霙になっていた。タイヤ交換したのは大正解だった。 色づいていた山々は白く雪を纏い、多彩な色だった野山は白黒の濃淡だけの墨絵の風景に変わる日も遠いことでは無いだろう。雪が道路に貯まり始めたら通院に要する時間は今の倍近くは考えなきゃいけないかな?と考えながら通院したのだが、何時もなら一時間半程度で到着出来た道のりに今日は二時間もかかっていた。 今日の途中霙だっただけで+30分なら積雪したら一時間は余分に考えるべきかもね。そういや、途中自車加入保険会社から電話が入り先月の請求が病院から出たら搭乗者保険の支払い手続きを進めますとのことだった。事故当日から二百日目までしか面倒見てくれないと初めから言われていたからそんなもんかな?と言う感じ。 一応支払い明細が届いてそれで納得なら署名捺印をして送り返しその上で振り込みと言うことになるのだが、明細が出てそれを見てから…が問題かも知れない。 病院への到着は午前中だったので午前中の診察を受けマッサージをして午後には帰路に付き、途中蕎麦屋で昼食を食べ少しだけ食材を買って帰宅。何時もなら夕方まで自室で寛ぎ、夕食の時間が近づいたら準備を始めるのだが、今日は何となく先に作ってしまおうと鳥のスープで鳥鍋?を作った。今夜相当余ったら明日の昼には蕎麦でも湯がいて鳥蕎麦にでもするかな?。 夕飯のおかずをテーブルに並べた後は自室にて晩酌。自室への行き帰りの寒さが身に染みる様で早歩きになってしまう。こんなんじゃゆっくり歩いて…何て言ってられないやね。んで、部屋でゴロゴロと動画鑑賞しつつ夜は過ぎてゆくのであった。
2005/11/09
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朝目覚めるとすでに時計の針は九時を回っていた。肩の辺りの寒さに毛布をかけ直ししばらく温もりを楽しみながら朝の寒さが途中で目覚めることなく九時まで寝ていられた原因なのだな…と布団の暖かさを感じていた。 ベッドから降りようとしたところ左半身の動きがギクシャクしているのが気になりはしたが、注射の効果が薄まってきたのだろうから仕方がない。とは言うものの薬が切れてきた動きは見た目にとてもぎこちなく写るのでは無かろうか?。 動き出してみると左上腕部のぎこちなさに思考が傾いてしまいついつい歩く法への施行は薄れがちになっていた。暖かな場所でのリハビリが重要では無いのかな?。 風呂場を洗う用意をし何となくふらりと買い物に出て昼食を食べ食材を買い求め帰宅。帰宅後は風呂を洗い、ショッピングセンターにあったレシピを片手に白菜とホタテの重ね蒸し伸した準備をし、後は夕食の一時間ほど前になったらもう一度台所に行き蒸し器を用意し蒸し上げ仕上げるつもり。 それにしても左上腕部のギクシャク感は操り人形にでもなっているかの様に感じられる。 夕食の準備を行い晩酌を済ませ寛ぎながらベッドで横になっていると突然の停電が起こった。ままある短い停電かと思いきや意外にも長い時間の停電で、停電だった時間は四十分余りだったろうか?。 その停電中久方ぶりの漆黒の闇を感じ夜の雨音を聞くことが出来たが正直嬉しくは無かった。が、自然の音以外は何も聞くことの出来ない夜なんてよほどの田舎でも無い限り経験は出来ないから…何て幼い頃から何度となく経験してきてるから珍しい話でも無いやね。 けど、田舎だから…こんなのんびりした話で済むと思うがこれが都会だったら一体どんな事態を引き起こすのだろう?。ネオン燦めく新宿で同じだけの停電が起こったとしたら一体何が起こってしまうのか?考えると想像しただけでも怖い物が有るかも知れない。 そういや、停電の際電力会社に電話したのだが、壊れた被害があるなら同じ番号で良いから連絡くださいとの事だったから、動かなくなったHDがあるから電話を入れてみようかな?。
2005/11/08
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朝から通院し帰宅後は遅めの昼寝んでもって夕飯の準備迄は落ち込みも感じてなかったのであるが、晩酌後にのんびりと過ごしている間にみるみる薬の効果が薄れてきたのか左上半身からどんよりとした重さを感じるようになってきた。 前々から感じている事ではあるが、薬の効果はほんの数日しか無いのは判っていることだから、注射無しで体を慣れさせるのが先決なのでは?と今更ながらに考えさせられた。 今日は病院で診察を受けてからリハビリを受けたのだが、進歩は有るようで無いのかも知れない。つか、本当に効果を高めたいと考えるなら集中的にリハを受けたほうが良いのではあるまいか?。とは言え、現実的にリハを毎日受けることは出来ない現状に加え、日々の生活でリハを思い出しながら体を動かせば…とリハの担当には言われるがそう出来る物では無いよね。 まあ、リハの担当が言う様に、僕が何処か意図的に動かしている事が原因なのだとしたら、事故以前は同じ体であったのに左半身に痛みを覚えることも無く生活出来ていたのだから、事故後にこうなってしまったのはリハにも責任の一端は有るのでは無かろうか?。意図的に動かすと簡単に言うけどそんな体の一部を意図的に動かせるとしたらなかなか思うように動いてくれない所だって意図的に動かせるのでは?と突っ込みを入れたくなった。 とは言え、寒さが増している状況では動きも悪くなってきているから相乗効果で悪化しているように思えるのかも知れないよね。
2005/11/07
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誰もしてくれとも言って無いのだが、どうにも本人的にはやらなくちゃいけないと言う義務感を感じてなのか、冷たい水で収穫した野菜をわざわざ水洗いをすると言う暴挙?に出た婆だったのだが…。 その反動は夕飯時に出て食が進まず食べたくない発言を繰り返し、やっと軽くよそった雑炊を食べた後は六時前だというのに早くも床についてしまう有様だ。 今夜のメニューはと言えばスッポン鍋とズワイガニ蒸しで、スッポン鍋はそう頻繁に食べるものでは無いし栄養を考えたら食べて欲しいと思ったのだが…全然食べてないのじゃ意味無いじゃん。 ただでさえ、疲れが残りやすいと思っているから無理などしなくても良いと思っているのに…何でするのかね?。疲れた体に食が進まないなんて言ったら風邪を引いてもおかしくないちゅうか?倒れ寝込んでも不思議は無いと親父も俺も思っているのに…。 まあ、本人的にはやらなきゃ…と駆られて行動だとは思うが、その後にぐったりした様子を見せられるこちら(親父と俺)側としては、ぐったりしない程度の活動に限定して欲しいと強く思ってしまうのだ。 せっかくのスッポン鍋もスッポンの雑炊も婆は殆ど食べないで終了。貰い物とは言え勿体ないお化けが出そうな感じ…。
2005/11/07
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書きかけの物がマウスを動かす際にと言うか触れた瞬間に画面が切り替わると同時に消えて無くなっていた。 ままあることと言え何となく呆然として似たような文章を書く気にもなれなかったので今夜の日記は終了することにした。 おやすみなさい。
2005/11/06
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病院に通院するときは必ずのようにラジオを流しながら車を走らせていたのだが、その見事な語り口調に釣られてしまいズワイガニを購入してしまった。何時もならそんな美味しい話は滅多にある物では無い事は骨身に染みて解っているはずなのに何故あの時だけは電話をしてしまったのか?。 電話をした後は軽い後悔の様な物が有ったが、荷物が到着し中身を見て家だけじゃ食べきれないから&冷蔵庫には入りきれないからと早速親戚の家にお裾分けを…。 んで、冷蔵庫の中身を何とかかなとか動かして冷凍庫に八匹のズワイガニを収め台所では二匹の蟹を自然解凍中で、何時もの夕食の量なら間違いなく解凍しながら食べたところだが、今日は親戚の法事が有ったとかで貰い物が多くついつい酒のつまみにと食べてしまったので今夜はスルーかな。 今夜自然解凍出来たら明日の晩は蟹で晩酌のつまみは決定だな。それにしても買うときはさほどでもないと考えて注文をしたのだが届いてみるとびっくりの量だった。てか、買うときには判っていたはずなのに何だかね…。 今日は朝起きると着替えてボランティアに出向いた。起きがけに夕べの飲み残しの酒があったので飲んでしまったら出がけに鏡で自分の顔を見て赤かったのには驚いた。 途中コンビニでサンドイッチとおにぎりを買ってボランティア開始。何時もならのんびりと過ごすのだが今日はのんびりと…というわけには行かず起動不能のパソコンの再セットアップをしたりプリンタ^サーバーとの接続をしたりと色々忙しい一日だった。 本来なら役場からの助成金を貰って行われるパソコン教室で使うということだから忙しくて出来ないで済ませても良かったのだが、事務の女の子が間に立って困った立場になっても…と考えて何とか間に合わせることが出来て良かった。 時間が来たのでボランティアを終了させ帰宅。帰宅後は少し自室で休んだ後で夕食の準備をした後は自室で晩酌。晩酌後は寛いでいると携帯が鳴って宅配便がもうすぐ届くと連絡が入ったので玄関脇で待機し、届いた荷物を台所に運んで…上に書いたようにしまい。入っていた箱はストーブで燃やして証拠は消してしまった。 けど、明日台所で蟹を見つけたら一緒やな…。 そういや、キムチ鍋をしようと買ってきたキムチが冷蔵庫に入っているし、知人から送られたスッポン鍋のセットも冷蔵庫に入っている。それに加えて今夜届いたズワイガニと贅沢なメニューが並んでいるが、片っ端から作らないと悪くなってしまう物も出てくるよね。何から作ることにしようかな?。
2005/11/05
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取り敢えず起床は七時だったけど動き出したのは八時過ぎ風呂場に行き風呂の水を抜き、車を駐車場から出して叔母さんの家に持ってゆく米を積みやすいようしてから風呂の水が抜けてることを確認し風呂掃除をして着替えて通院&米の配達のため家を出た。 真っ直ぐ叔母さんの家に行き、従姉妹が出てきたので家の玄関に米を下ろしてしばし世間話つうか年明けたら都内に戻ろうか?と言う話を伝えると驚いていた。 んで、病院に行き診察を受けブロック注射を肩胛骨の周囲に打って貰いどうにか最近痺れが顕著だった左の指先の痺れが押さえられたら良いのだが…。 それからリハビリに行き歩行練習をしたのだが、とてもバランスが悪いのと加重のかけ方が駄目だと言われて凹んでしまった。リハの担当が言わんとする事は解らないでも無いのだが、無意識で歩くときは歩きやすいように歩く癖が出来ているから、その癖を直すには入院でもして集中的に治すしか無いのでは?と考えてしまう。 リハの担当曰く一部の腹筋を常時使用状態に置ければ良い結果が…と言うことだが、実際にこうも見事に力が抜けてしまうのではリハだけでは遺憾ともし難いのでは?無かろうか。 リハの後では物療を受けたのだが、このところ寒くなってきてからは悪化傾向が顕著だっただけに注射に期待したのだが、期待したほどの効果は感じられなかった。 病院を後にし昼食を食べて帰路に付き途中食材を買い求めて帰宅。帰宅後は着替えて居間のストーブを付ける準備をしたり夕食の準備をして夕食の用意を済ませ自室にて晩酌。 2ちゃんねるの交通事故関連の書き込みを眺めては被害者様の書き込みを読んでは無謀な過剰要求をみて常識という物が欠けている人達が如何に多いか痛感。被害者様も多いが自分は悪くないと言う加害者もそれなりに居るのだな…と色々認識してみると、如何に今回の事故の加害者が悪どくないかが感じられた。 ま、その辺はおいて置いても、今後の見通しは医師任せで建ってないと言うのは何だかな?と言う感じかな?。そお遠くない症状固定?っていつ頃?になるのだろう?。
2005/11/04
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普通に目覚めさて何をしようかな?とベッドに寝ていると親父がやってきて今日は病院へは行かないのか?と尋ねてきた。今週から隔日通院に切り替えているから今日は行かないと告げるとそれじゃ明日は頼むなと一言。 そのまままた眠りにつき再び目を覚ましたのは十時過ぎだったので起き出し着替えて裏山に散歩に出かけ山中で公民館の事務の人に電話を入れ午後から出かけたい旨を伝えると今日は休みですと言われ本日が祭日であった事に始めて気が付いた。 毎日が休日のような日々を二年も続けているとカレンダーを見る事も無くなり祭日かどうかすら気づかぬ事も少なくなって来ているのだろう。 公民館へは土曜のボランティアの時に行くことにしてそのまま山中の散歩を続けてから自宅へ戻りしばし休息。 午後は親父のパイプハウスの解体の手伝いをするにはしたのだが、手伝うと言っても本当に軽い作業だけで終了。 山々を見渡せば色づきが良くなってきたな…と感じ始めたのも束の間、色づいた葉がどんどん落ち始めて山が坊主になる日も遠いことでは無いだろう。そういや、裏山に入ったときにまたここに来る日があるのかな?とふと考えた。 家に戻って遅い昼寝をして過ごした後で夕食の準備。と言っても一昨日作った物を暖め盛りつけただけで濁し部屋に戻って晩酌。 こうして祭日も終えようとしている。 何だか、日々の生活にストレスを感じてしまっている。一人だったら…親父と二人なら…とか色々考えてしまう。どの道を選んでも後悔することだけは間違いなく事実だろうという確信だけはあるのだが、出来るのは前に歩くことだけなんだよね。
2005/11/03
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外気が冷え込んで氷点下になる日も遠いことではなさそうな今朝の寒さだった。部屋で寝転がって過ごしていると親父がやってきて排水溝が詰まっている。昨日山葡萄を移した様だがその時に詰めてしまったのでは無いか?。と言ってきた。 が、山葡萄の容器の移し替えは流しで行った物では無いし、大部分は果実酒を抜いた後にビニール袋に直接取ったから濡れ衣だと言ってみたが婆は僕の所為だと言っていたようで僕が治すことに…。 水が流れきるまでの間風呂場を洗い水が流れきった後、何が詰まっているかを確かめたところ、実は何も詰まって無く、単に排水溝の上の蓋?が御新香の切れ端に圧されて蓋をずらし、結果流れが悪くなっていただけであった。 それにしても流しの掃除もしない俺に俺が掃除でもしたときに流しの排水溝の汚物入れをどかしたとかまで親父に言ってくれちゃって、あわや親父と口論するところだった。 そりゃ山葡萄が入っていた瓶を洗うときに敏に残っていたわずかな山葡萄を確かに流しに捨てはしたがそれが詰まった原因だなんて罪を被されたようでとても気分が悪かった。 ま、言っても今更どうにもなるまいから言うだけ無駄と考えこのままスルーしておくかね。 出かける前にはもう一件ボランティアの公民館からも連絡が入ったのだが、有料のパソコン教室の為にパソの設定を行わなくてはいけないというのはどうにも引っかかる物を感じてしまう。 取り敢えず設定のし直しをすることにはしたが、設定なんて何もしていないのだからプリンタドライバを組み込んで様子見かな?。 で、もって出かける途中で親父が居る田んぼに立ち寄り排水溝のつまりの件を伝えてから病院へ行き、何時もの様に診察&物療を受け帰路に付いた。途中、吉野家で昼飯を食べ夕食用の食材を買い求めて帰宅。 台所に行き食材を冷蔵庫に仕舞っていると叔母さんが婆を送ってきていて夕飯の用意をしてくれるとか。けど、正直な話一昨日の作り置きがあるからそれが無くなってからにして欲しかったのだがそうとも言えず、かろうじて一回分で作って欲しいとお願いをして置いた。 何しろ婆は何でも捨てるのをもったいがる癖に同じおかずが二晩続くのは嫌がるから、一回で食べられる量でないと後の始末に困ってしまうからだ。 結局夕飯に暖めたのは叔母さんが作ってくれた肉団子の水炊き?と秋刀魚を煮物。僕と言えば自室で晩酌。食べた後を洗おうと台所に持ってゆくと居間では今シーズン初のストーブに火が灯されその炎の暖かさに灯油とは違う炎の暖かさを感じた。同じ火なのに暖かさの感じ方が違うのは遠赤外線効果の違いだけだろうか?。
2005/11/02
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一度は朝早く目が覚めた物の、起き出す理由もないからと二度目をしたら気が付いたときは時計の針が十時を回っていた。ここ半年は平日は通院が習慣だったから隔日にならさなくてはいけないようだ。 夕飯はどうしようか?と考え隣町まで買い出しに行き駐車場の車内で弁当を食べ帰宅。 帰宅後は山葡萄の果実酒が入っていた瓶から別の容器に移し替えたのだが量が半分以下になるとは思いもしないことだった。 その後夕飯の支度に取りかかり夕飯様に作ったのは親子丼。ついで?と言うか鳥のスープに大根やらジャガイモやら加えて煮込み明日の一品も用意して置いた。 早々、昨日通院途中でテレホンショッピング(蟹)を申し込んでしまったが、美味しくなかったらづしよう?一万円で蟹が十数杯とのことだが、来る日に備えて冷凍庫を開けなきゃ…とは思う物の冷凍庫の中身の大半は婆が入れた物だから現実的には難しそう。 何時もの様に自室で晩酌。親父は夕食後温泉に行ってくると言って車で出かけ、婆はTVの有る居間でこたつにすっぽりと入っている。 僕と言えば何時もの様にこうして自室で過ごしている。 後何度こうした夜が有るのかな?。婆の年齢を考えると生きてる婆の姿を見れるのは家にいる今しか無いのかも知れないからね。
2005/11/01
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