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2006年02月18日
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カテゴリ: 日記
1986年2月
昔の話を書くのが大分間が開いてしまいました、株を始めてから休止するまで、毎日ポートフォリオと日記をつけていたのを2年前の引越しのとき処分してしました(ダンボール2箱)
もう二度と相場をする事もないし、一軒家からマンションへの引越しだったのと、子供達の荷物かかなり増えたため、思い切って処分しました、それまでは、定年すぎたらそれまでの人生を振り返るのに貴重な資料だからと最後まで保存してました。
本を集めるのは好きなほうで、株式や商品投資の本は、いつも通っていた八重洲ブックセンターより多かったですね。林先生を始めコピーだけとかの資料多かったです。
思い出したくない記憶も、今後の参考のために思い出すことにしました。
したがって、今は自分の記憶を辿るのと図書館に行って昔の日本経済新聞の縮小版を見て当時を思い出すくらいですが、年のせいか縮小版とても見ずらいので止めてました。
今回のライブドアショックからの下げ相場での失敗から、昔の事をまた振り返ってみます。
神鋼鋼線
86年2月、大阪2部の地味な株だったんですけど、発泡アルミを材料に一相場ありました、場末の証券会社にまで、発泡アルミのサンプルが届くんですから、会社が株価を上げたがっているのは確かでした。

俗に今で言う見せ板ではなく、買い余力分相当を一度注文して、そこから分割して買い指値を変更して注文出していくんですが、その当時は、少しずつ買うと一括ではなく、約定毎に手数料計算されたため、かなり割高になるため、手数料を軽減するための知恵だったのですが、まあ普通考えるとストップ安で買い注文入れれば良い事だったんですが。
相場を押し上げてやろういう気持ちは少しありました。
自分の注文のせいで、提灯買いがつき結局後場は買い気配となり30円高で寄りつき、ストップ高比例配分で終了しました。
担当の女の子には、ストップ高買い気配に全部建玉ぶつけちゃえばと勧められたのですが、(買い始めて1週間で110円の利幅ありましたから)まだまだ相場はこれからという気持ちと、前場が20万株も出来高無かったですから、後場寄り前に1文高く30万株も買い注文だして、上がったところを利食うのはどんなものかと考えて取り止めにし、翌日以降も買い増しを行い、結局50万株買ってしまいました。
高値で売却出来なかった原因としては、昨年大儲けした金門製作所がその後も騰勢とまらずずっと新高値を更新していたのをみて、上がる株を長期に持てば良かったと利食いが遅れた為です、天井を付けて、出来高が細り相場も下落し始めたころ、高値売却を諦め撤退を始めたんですが、持ち株が毎日の出来高より多いので、売却するのにとても苦労しました、東証ならすぐ板がわかるのですが、大証ではかなり時間がかかり、結局3月上旬ですべて売り切りましたが、収支は5000万円を超える大赤字となり、東京電力に続き2敗目となりました。
さらに、この敗北を契機に相場で5000万円損するくらいならと金遣いが荒くなってしまった事が後から考えると悔やまれます。
その頃、3年前にマンションを買ったため毎月、住宅ローンの支払いに四苦八苦していて、83年にこれからは不動産が高騰するから早めにマンションを購入したのですが、大変無理な返済計画で、住宅ローンを払うと3万円位しか手取りで残らない、朝昼晩立ち食いそばが普通で、会社が終わってからパチンコで勝った時に焼き鳥屋で一杯飲むのがささやかな幸せでした。私の場合、食べることと飲むことが主体で、女の子のいる飲食店に行くことは会社の接待以外では考えられないことでした。それが、この敗北を機に毎日飲み歩くようになってしまいました。それまで、相場で儲けたお金は使わず再投資に廻して給料の範囲内で消費生活を送っていましたが、どうせ損するなら相場の金も使ってしまおう生活態度が変わってしまいました。
3月は、そこそこ売買していましたが、本腰を入れた売買はしてませんでした、まあその時点で5000万円の損が心理的に大きく、迷った売買ばかりでした、相変わらず飽きもせず毎日の証券会社通いは続いていました。
まあ場所的に勤めてた会社の4軒隣に証券会社があったのと、勤務先は8時にならないとビル開かないんですが、証券会社は7時には開いてましたので、いつも出勤前に証券会社で勤務先ではとっていない日刊工業新聞や日経産業新聞としょうもない業界紙をコーヒー飲みながら読んでました。
3月終わり頃になって、生活が株中心になってしまっていることに反省して、思い切って証券会社を変える事にしました。朝から証券会社に入り浸り、昼休み、夕方も証券会社に寄って帰るのは、通常な生活ではありません、頭の中が株、株、株ではいつかは破綻すると思ったんです。証券会社を替えるとき一悶着あるかとおもったんですが、現物株しか持ってなかったので口座整理するのはそう手間は掛かりませんでした。
生活を以前に戻そうと、高木証券で旧知の営業マンに口座を開いてもらいました。売買する株も以前から場帳をつけていた東京ガス、東急、東武、新日鉄など内需株に戻しました。ただ担当の営業マン(支店長)は大変いい人なんですが、会社では個人の売買の話はしないでくれとお願いしてたんですが、毎日会社に来ますので大変やりにくかったです。なんせ社長、専務、常務がそこと個人取引してましたから、会社で話をしないわけにはいかず、困りました。

高木証券の支店長は、見るからに叩き上げの営業マンなんですが、相場見通しが良く、的確な相場感を持っていて会社の持ち株も大体天井付近になると売却を勧める電話を掛けてくるんです、後で振り返ると大体そこが天井なんです。それと推奨する銘柄が、新規公開の長期保有です、昔も今も新規公開株は玉石混交ですが、玉だけを選んで勧めて来ます。
個別には、ソニー、パイオニアの優良株の波動取りを勧め、売買も信用買いはもちろんダメ、現物買いで目一杯買わず必ず余裕資金を持つこと、仕手株も手を出してはダメといろいろと制約をつけるんです、いままで信用取引や仕手株でずいぶん破産したり資産を減らしたりしたお客を見てきたので、若い人ほど基本に忠実に売買を重ねていって欲しいというのには説得力ありました。株式投資は資産を増やすのが目的で一攫千金を狙ってはいけないと。
結局、口座を開設して1ヶ月位した5月の連休明け、前の証券会社へ戻ることにしました。
高木の支店長には、なにも不満は無かったんですが、前の証券会社からの復帰攻勢に根負けしてしまいました。戻った理由としては、女の子の方が注文だすにも気楽でいいと、また売買に対していろいろ口出さないことです、それと過剰サービスになれてしまって、通常な取引では不満を持ってしまっていたことです。まあ過剰サービスは、専用の銘柄別の元帳と持ち株、注目株の日足の罫線をすべて描いてくれてたんですよね。持ち株のその日の4本値出来高、手口の一覧表毎日作って夕方行き着けの珈琲屋に届けて呉れるんですよね。そういうサービスは普通の証券会社ではやってくれません。口座引き払ってからも、毎日届けて呉れるんで、参ってしまいました。
口座移動の際は、引き止めとかで大変かと思ったのですが、まあ当時2億円の預かり資産は、大手ではゴミですが、中小では上得意になるみたいです。意外と支店長からは、なんら引き止めの言葉は無く、ただ証券会社を替えるのは構わないですが、今後の売買において「信用買いはしない」、「仕手株には手を出さない」この2点だけは必ず守ると約束してください。と言われました。いつも相場に失敗するとこの支店長の言葉が思い出されます。

高木証券と立花証券は中小証券では、良心的な店で、両者とも担当が転勤になってもそのまま店が替わるだけで担当者は永久にどちらかがやめないかぎり同じです。これは、大手とは大きな違いでした。自分の開拓した顧客が自分の財産になれば、おのずと営業態度も違ってきます。





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最終更新日  2006年02月19日 17時55分16秒
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