香月泰男



作者の言葉より

私の顔は、どれも同じような顔である。
“シベリヤ・シリーズ”に登場する顔には個性がない。
わざと個性を捨象したのだ。
兵隊は兵隊である限り、個性を奪われていた。
私は兵隊たちを描く。
同じ顔で描く。
私が描きたいのは、個々の兵隊ではなく、兵隊そのものであるからだ。


香月泰男は明治44年10月山口県大津郡三隅町に生まれ、同じ場所で死んだ。
1974年3月、62歳であった。
生死のところをおなじくした画家は、稀有であると言えよう。
そしてこのことは香月その人と、その画業を見事に象徴しているようだ。
その点、ある意味で最も幸福な人である。

香月泰男は1911(明治44)年10月、山口県三隅村に生まれました。
少年時代から画家を志し、東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業。
北海道の旧制中学校、下関の高等女学校の美術教師を勤めながら、
国画会展や文部省美術展に出品しました。

しかし、1943年に招集され中国東北部へ行き、
ハイラルで軍隊生活を送りました。

45年の敗戦でシベリアの収容所へ送られ、ナホトカから舞鶴に
帰国するまでの2年たらずの間で3ヶ所の収容所で飢餓と
強制労働、酷寒の生活を強いられました。

その体験がのちに、彼の代表作となる〈シベリア・シリーズ〉
を生み出させました。

また、香月の画業のもう一つの柱となる作品群は、彼が帰省後
「〈私の〉地球」と呼んだ"三隅"での暮らしのなかで目にした、
何気ない自然の景観、草木や鳥たち、台所の風景などを題材としたものです。
さらに戦場から家族へ宛てた軍事郵便はがき《ハイラル通信》、
水彩、素描、陶画類に、おもちゃ、テラコッタなどの小彫刻からなる
多様な造形世界も紹介創作しています。

名もない山や川を愛し、河原に咲く花や春秋の日の光や、
ねぐらに帰る鳥の姿を飽かずながめた作家香月に、
都会の風物は生気のないものとしか映らなかった。

どんなに誘われても中央に出ない香月という作家を、
人は奇異の目で見たが、香月自身は微動さえしなかった。

さわやかな故郷に比べたら、東京は鼻もちならぬ場所なのであろう。
『自分の生まれ育った場所が絵にならぬようでは絵描きとは言えない』
と香月は言う。田舎は美しい場所であり、シベリア帰りのこの人には
ふるさとは天国であった。

62年の生涯を閉じた香月泰男は、いつから意識的に黒の色彩美を
追求し始めたのであろうか。
強烈に生命感のあかしを立てたシベリア・シリーズにも、
身辺のモチーフに描いた小品にも、水彩デッサンにも、
黒はいずれも主役を演じている。
白っぽい萩焼きにも黒はしっくりと乗った。 
昭和30年ごろから香月の画面にしだいに色彩が少なくなっているが、
その翌年の第一回のヨーロッパ旅行を契機に、
香月独特の色調に自信を持ってからは、黒の追求はもう他の追随を
許さぬ独創態勢となった。


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: