陽炎の向こう側             浅井 キラリ

陽炎の向こう側   浅井 キラリ

優しく抱きしめて 48



「遅くなってすみません。」

「いいえ。お忙しいんじゃないんですか?大丈夫ですか?」

「僕だって、昼ご飯ぐらい食べさせて下さいよ。」

「そんな。」

2人は、見つめ合って微笑んだ。

どこから見ても2人は、恋人同士にしか見えない。

まだ、つきあい始めたばかりの。

でも、精神科医と患者なのだ。

その関係は、絶対的に2人を位置づけている。

美奈は、そんなことは全く気が付いていない。

森口に安らぎを求めているのだ。

森口は、それを知りながら、美奈に惹かれていく自分を抑えられずにいる。

『側で見守って上げられればそれでいい。彼女は、分かっていない。』

森口は、微笑みながらも心の中でつぶやくのだった。

「食事が終わったら、タクシーで庭園美術館へ行ってみましょうか?」

「庭園美術館?」

「白金台にあるんです。旧朝香宮邸なんです。今、そこで印象派展をやっているんです。アールデコ調の建物で建物自体も美術品のようなものですよ。

お庭もきれいですし。今の季節、緑が美しいと思います。体調は、大丈夫ですか?」

「ええ。平気です。それに、お医者さん付きですしね。」

美奈は、無邪気に笑った。

「私は、村沢さんのお抱え医師ですね。」

2人は、ランチコースの最後のコーヒーを飲み終わると、タクシーで庭園美術館へ向かった。

途中、外苑の緑も美しかった。

美奈は、森口と一緒にいると心が満たされる感じがした。

あれ程、ハツラツとして生きてきた美奈だったのに、今は、幼い子供のように心がもろく、誰かに支えてもらわなければ立っていられないような感じだった。

でも、森口と一緒にいると心から安心感を得ることができた。

美術館の前で、タクシーを降りた2人は、美術館の門をくぐった。

門から、美術館の宮邸のエンタランスまで木立の間を少し歩いた。

「先生。」

「なんですか?」

「私、もっと先生のこと、森口さんのこと知りたいです。」

『感情転移している患者は、治療者の個人的なことに興味を抱いてくる。』

「例えば、どんなことですか?」

「私、森口さんの住んでいる所とか好きな食べ物も何も知りませんもの。こうして、一緒にいるのに。」

「何でも、お答えしますよ。私は、病院の近くのワンルームマンションに住んでいます。勿論、1人で寂しいですけど。

好きな食べ物は、そうですね。余り、好き嫌いがないんです。子供の頃から、出されたものは、何でも食べなければいけないと、両親から言われて育ったので。だから、余り、味覚も発達していないかもしれません。」

「じゃあ、結婚されたら、奥様は楽ですよね。何でも、美味しく食べてもらえて。」

『感情転移している患者は、もっともっと治療者のことを知りたくなるんだ。』

「そうですね。まだまだ、先の話になりそうですけれど。」

「病院内なら、出会いとか多そうじゃないですか?」

「そうでもないですよ。それに、仕事が忙しいので、中々、出会いのチャンスはないですね。学生時代に捕まえておかなきゃいけなかったって後悔していますよ。」

「先生なら、優しいしモテたでしょうね。」

「そうでもないんですよ。村沢さんこそ、モテたでしょう?」

「私ですか?モテないですよ。先生、森口さんの前だと、おすまししていますけれど、いつもは、口が悪いですし。

学生時代に付き合っていた人がいたんですけれど、私は、院に進んで、彼は、商社に入って、海外赴任になって長距離恋愛していたんですけれど・・・。」

「無理に話さなくてもいいですよ。それに、僕は今の村沢さんも本当の村沢さんだと思いますよ。その時、その時、場合、場合によって、変えられるってすばらしいことだと思います。それに、本当の村沢さんは、今の村沢さんかもって思いますけれど。」

「そうかも。森口さんといると、思っていることを素直に言えるし、無理しなくてすむんです。いままで、私って、親の前でも友達の前でも彼も前でも明るい自分を演じてきたのかもしれません。

こうして、ゆったり、静かな時間を過ごしていると解放されるような感じがします。これが、もしかしたら、本当の自分なのかもしれません。

本当は、弱い。」

「弱い訳ではないと思いますよ。ただ、いい子でいようと突っ張ってきたのはそうかも知れませんね。今の村沢さんは、自然体で魅力的ですよ。」

「え、そうですか?そんなこと言ってもらえるなんて。こんな病気の私を。」

「こんな病気なんて言わないで下さい。一生懸命生きてきた証拠ですよ。きれいな心を持っているからこそなる病気なんですよ。」

「森口さん・・・・。ありがとう。」

美奈の目にうっすらと涙がこみ上げてきた。

2人は、宮邸の入り口に着いた。

美奈は、まるで、誰かのお屋敷に招待を受けて来たような気分がした。

ドアのガラスには、アールデコ調のカッティングがされていた。

「わあ、ステキ。」

「ステキでしょう?この建物自体が芸術品でしょう?」

「中も、ステキですね。この赤い絨毯が敷かれた階段も。お姫様気分です。」

「村沢さんがそんなこと言う人だなんて思いませんでした。案外、カワイイ人なんですね。」

「あら、先生、いえ、森口さん、今頃気が付いたんですか?」

「失礼しました。」

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