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他人は言う:配偶者のDVから逃れられたのだから食事にもトイレにも介護がついているのだから個室があるのだからそういう施設に入る金があるのだからあなたが面倒見なくていいのだからこどもどうしで押しつけ合わなくていいのだから と・・・それでも娘の私が不満を言うのは贅沢・・・ で す か ?日がな一日車椅子に座らされてみんなのいる部屋で片方が白内障の目で残った片方には合わない(乱視用ではないただの老眼鏡で)ぼんやりTVを見せられていて東京育ちのお嬢様は方言が嫌だと誰とも話もせずただただぼんやりと食べさせてくれて着替えさせてくれてトイレの始末はしてくれて入浴も介護されて寝る時には個室で車いすからベッドに移されて小さい電気をつけられて貴重品は持ち込めずアイロンの必要なものは着られずアクセサリーは高価なものは持ち込めず設備も職員もとってもすてきですけれど子供たちも夫も訪ねて来ず日がな一日ぼんやりと刺激もなく幸せですか?私だったらボケていなくてもボケてしまう。軽い認知症とパーキンソンで手足が不自由でだから入れられて幸せですか?私は母を引き取りたい・・・母も私の所に来たいと言っていてでも認知症では信用されなくて男たちがそばに置いときたいと主張してなのにちっとも訪ねないで私は母を引き取りたい私の家族も異議なしなのに私の元の家族が反対する・・・もっと近くにいるならばもっとしばしば訪ねますが・・・これでも幸せなんでしょうか?男たちは自分たちの見栄あるいはDVの父に何も言われたくないから黙って父の言うなりになっていて母の言葉には耳を貸さない親権問題があるから母を連れてくる方策私にはこれ以上何もできない・・・母は幸せ?私は幸せ?他人はこの状態を幸せと言うけれど・・・母も私もこれを幸せと思えるならばいいのですけれど・・・
Oct 11, 2007
まだ、やっぱりまだ早すぎると思うのですが、昨晩こどもに言われました。今の内に入りたい老人ホーム決めといてね。ぼけてからじゃ遅いんだからね。あっそう、つまり一緒には暮らさないって前提ね。あっそう、つまりこの家はどうなる?あれっ?夫、こどもから見た父親はどうなってる?あれっ?私がそういう年になるまで生き続けているって前提なのね?家を欲しいとは言ってこないからってことは不動産担保で終身っていう老人ホームってたしかあったような?自治体が面倒見るとかいうの。老人ホームを決めるって言ったって今から高齢社会どんどん老人ホームできていくだろうしそれに今から決めたって今から予約できるわけでなしどのくらい介護が必要かで入れる施設も違うしそもそもhttp://plaza.rakuten.co.jp/pombo/diary/200610130000/で書いたように今まで転居何度もしているから最長で10年しか継続して住んでいないんだからそろそろ転居の虫がうずき初めているってのに。次は沖縄か民博の側かなんて夢想しているってのにこどもが結婚してってのすらいつのことかわからないってのにこどもが住居を定めたらその側に行った方がいいかなとも思っているのに夫の兄弟や知人でこどもの近くに転居した方がいらしていい案だと思っているのに何しろ今の私母親の入所施設が遠すぎて音を上げているんだから。なんて親のことではなくて立場を入れ替えてこちらが親になって考えてみるとうわっなんだか目の前に迫ってきたのかなぁ。いえやっぱりまだちと早すぎると思うのですけれどこんなこと急にこどもに言われてなんだか老けてしまいそう・・・
Jan 17, 2007
特定疾患に指定されているパーキンソン病と、潰瘍性大腸炎の医療費公費補助の縮小を厚労省が検討している、らしい。「全国パーキンソン病友の会」http://www.jpda-net.org/にヒヤリングをしたことはしたらしいけれどヒヤリングをする前から公費縮小は決まっているらしくてどうも形だけのヒヤリング?しないよりはましでしょきくだけはききますよって感じ。パーキンソン病って特定疾患に指定されている難病...今のところ原因不明遺伝するかしないかも不明でも遺伝するかもって私が思うの当然でしょ。何しろ我が故祖母、パーキンソン病だった我が母、現在パーキンソン病そして父方叔母も現在パーキンソン病。つまり遺伝するならば私はパーキンソン病になる確率は高い。パーキンソン病一般向け書籍も専門書も結構出版されていて私大分読んだ。その中の2冊に書いてあったのが女性の場合喫煙者はパーキンソン病に罹らないっての。それを読んだ時から私は絶対に禁煙しないと決意した。煙草を吸い続けて肺ガンになったとしてもパーキンソンで苦しむのは嫌だ。祖母、母、叔母を見てきて大変だと思う。鬱病になる可能性がある。そりゃそうでしょ頭はまともでも動けなくなるんだから。徐々に徐々に身体が不自由になっていく。自殺しようと思ったってそれすらできない。私が母を引き取りたいと言った時母の主治医に脅された。最後の頃には呼吸も自発的にできなくなりますよ。その時素人に何ができますか。専門家じゃなければ、面倒見切れません。引き取るからといって素人の私が全部やるなんて思われたわけ?いえそれがもしかして実情?そういう実情なのかどうかは知らねどもほんと大変なのはわかっている。この上公費負担も減らされるわけか...こりゃ私絶対にパーキンソン病にはなりたくないわ。今、母は父の裕福な年金を使えば公費負担が縮小されたって問題無いだろうけれど私が年金暮らしになった時年金なんてどんどん少なくされているし療養費だとか介護施設に入所なんて経済的にできないかもしれなくて今の母の状態になったら自殺もできない。せっせと煙草を吸って肺ガンになることでも望みましょうか...年金も禁煙もパーキンソン病も介護も全部厚労省の管轄でしたっけ...早く死ねば年金受給年数も減るし...パーキンソン病にならずにすむかもしれないし...嗚呼お先真っ暗私ですらこう思う、感じるこりゃ自殺者増えるわけだそうかパーキンソン病への公費補助減らしてもパーキンソン病患者は自殺もできないからね。あれっ?自殺統計も厚労省? 警察?介護者、老老介護殺人...うわっ年金、パーキンソン病、禁煙、介護、自殺なんだか厚労省って...もしかして未来に希望が持てなくて自殺者が増える原因は...あ~めんら~めんひやそうめ~んやけのやんぱちいしなげた石意思医師遺志
Sep 13, 2006
私は交番や警察の生活安全課や男女共同参画の関係事務所や人権相談窓口や弁護士事務所にいるわけではないのに...どうして一日に二度も別々の女性から「殺されちゃう」などと恐ろしい言葉を耳にしなければならないの?明治初期に私の父方祖父の母は経済的にも社会的にも恵まれた環境で育っていた。その女性か家族が選んだ男性が問題だったのか...その女性は出産直後に離婚した。なぜ?わからない...もしかして...とは、思う。そして乳飲み子の息子を抱いて...実家からの援助があったのか生活が厳しかったという話しは伝わってこない。その女性の孫が私の父。そして一日の間にそれも2~3時間の間に私に「殺されちゃう」と言ったのは私の母そして私の義妹。「殺しそう」な行為者は私の父そして私の弟。お二人とも私以外に相談してよ。私、一年前にこの日記の冒頭にある諸機関に相談いたしましたわよ。パンフレットも頂いてお渡しいたしましたわよ。でも最終的にはご自信のご判断ではないの?私があの父にあの弟に対処しろというの?母の方は高齢者虐待も含まれるからしかも母は軽度の認知症で身体もやや不自由ですからかなり関わってきたつもりですけれど他の自治体に住んでいて母を引き取ることも周囲の反対でできず父は父で元職の立場から父の実体を廻りが信じてくださるまで時間がかかった(ている)しなかなか動いて頂けなかったし...母も義妹も同じような発言をする。「私が悪いのよ」「私が馬鹿だから」「私が言う通りにしないから」「一人じゃ生きていけないし」「自活できないし」あっっっもうやめてくれぇ。辛いのはわかる。でも、私に何ができる?加害者が私の父だからそして私の弟だから?でも、あなた方お二人の配偶者でしょ。無理矢理結婚させられたわけじゃないでしょ。家族関係から言ったら私よりあなた達がご自分達で動こうとしなければ何も変わりません。お辛いのはわかります。私は体験していないけれど辛いだろうとは思います。だからって一日にお二人から数時間の差で「殺されちゃう」などと耳にする私は辛くないわけではないのです...私が思ってしまうのは私の父の祖母が結婚した相手を恨むことだけ...暴力の連鎖DVの連鎖遺伝なのか環境なのか。遺伝では無いと望みたい...我がこどもにも遺伝しているなどとは思いたくない。私はもう父から離れたの。ましてや弟なんて...冗談じゃないわよ。父の干渉してこない父のいない場でのつかの間の平和...母との穏やかな時間...それだけがなぐさみ。
May 29, 2006
高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律離れて住む我が両親の実体昨年6/28日記http://plaza.rakuten.co.jp/pombo/diary/200506180000/以降状況は色々変化したもののまた元の鞘に戻ってしまっているので...ここで言う「高齢者」とは、六十五歳以上の者「高齢者虐待」とは、養護者による高齢者虐待及び養介護施設従事者等による高齢者虐待この法律の中にあるのが第二条4 この法律において「養護者による高齢者虐待」とは、次のいずれかに該当する行為をいう。 一 養護者がその養護する高齢者について行う次に掲げる行為 イ 高齢者の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること。ロ 高齢者を衰弱させるような著しい減食又は長時間の放置、養護者以外の同居人によるイ、ハ又はニに掲げる行為と同様の行為の放置等養護を著しく怠ること。ハ 高齢者に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応その他の高齢者に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。ニ 高齢者にわいせつな行為をすること又は高齢者をしてわいせつな行為をさせること。そして(養護者による高齢者虐待に係る通報等)第七条 養護者による高齢者虐待を受けたと思われる高齢者を発見した者は、当該高齢者の生命又は身体に重大な危険が生じている場合は、速やかに、これを市町村に通報しなければならない。詳しくお読みになりたい方、法律全文は ↓http://law.e-gov.go.jp/announce/H17HO124.htmlみなさん、高齢者虐待を見聞きしたら自治体に通報しなければならないんですよ!これ、児童虐待の場合と同じやっと同じになりました!少しだけほっとしているpomboなのです。
Mar 31, 2006
のんびり過ごしていたら突然電話がなった。最近固定電話はほとんどならないから何の音だっけ?音源を目で探し、しばし考え受話器を取った。のんびりしていた時でして(今までお読みになっていらした方々にしかご理解いただけない話しですけど)しかも昨年5月に私を勘当した方からでして久しぶりの電話を通しての声だったのとお歳をめされたから声がふにゃふにゃだったから「勘当されている」という構えもないままごくごく普通に応答していたのですがうわっ一人で「死にそうだ」(だから「来てくれ?」っての?)と思っていたら、それは言わず私の二言三言だけの発言にまたしても勝手にお怒りになりまして「人の言うことは黙って聴け」とのたまわれたので黙って聴いてさしあげましたが一人でどんどんテンションあげてがちゃんと電話を切られまして...あれは一体なんだったんだろう?なんだか...嵐...娘とはいえもう実家を離れて四半世紀以上たっているのです。久しぶりにかけてきた電話で怒鳴りまくってがちゃんする?娘が父親の「死にそう」という声を聴いたなら普通なら取る物もとりあえず、駆けつける...だろうなぁとは思えども5月に「勘当だ!」と怒鳴られそれでも行った6月には玄関先で殴られる寸前でしたし今更なによ母が体調を崩して入院して以来数ヶ月の私の安眠は妨げられ始めました。入院していた母は父のDVから遠ざかっていたから年末年始に一時帰宅してそのまま両親共に戻りたくない、戻したくないから...あの父の電話の調子あの頃と変わっていない...私に対してあんなに勝手に怒り狂ってしまうのだからさぞかし母にも同じ調子なのだろうと...またしてもDVが始まる...予感...さて私、実家に行けばやっぱりまたまた私にも勝手に怒り始めるのでしょうし行かない方がいいのかな...と一応結論は出したものの私眠りに就く頃になるとあっ今頃母がやられているかも頭をよぎる不安でまたまた睡眠障害が始まりそう...いえ、始まっています...一昨晩も昨晩も眠れないまま外が明るくなりました...ちゃんと眠らなけりゃ余計に冷静な判断が下せなくなる...のにね。
Jan 14, 2006
「Q君を埋めたでしょ、白状しなさい!可哀想に、冷たい土の下で。どこに埋めたの、白状しなさい!」「埋めてないってば」「じゃぁ、離婚したでしょ!私にぐらい正直に言ってよ!」「離婚してないってば。ずっとQ君と一緒よ。」「じゃぁ、浮気したでしょ。浮気なんていくらでもあることなんだから真面目に話しているんだからねっ!」「浮気、していないってば。」「再婚した相手の連れ子をちゃんと学校に通わせているの?」「連れ子...いないってば!浮気も離婚も再婚も、ましてや殺人なんてしてないってば!」「じゃぁ、この前のお正月に来た人は誰だって言うの?!」「だから、Q君に決まってるでしょ!」「あれは、Q君じゃないでしょ。この前のお正月に来た人は禿げていて外国人でだから連れ子も頭が禿げていて可哀想に...」はぁ...確かに我が夫Q君昔はふさふさの長髪でした。今は禿げているし短髪ですけれど日本人ですし...帰宅して夫Q君に言いました。「あなたが禿げたせいで、私は浮気して離婚して再婚してはてはあなたを殺した事にされているんだからねっ!」それにしてもこれを認知症というのだから...確かに認知障害ですけれどここまでの想像力というか創造力感心させられました...病室枕元のTVで推理ドラマの見過ぎ?「TVはほとんどみていないのよ。つまらないから」「ふ~ん...」元気だった頃の母の愛読書はやや(↑これ、とっても面白いです。笑えます)やなど女流作家というより随筆系と一時同級生だったシリーズやカトリック系のや等作家の作品でして推理小説系はほとんど読んでいない筈...一体どこから娘が夫を殺して埋めたなんて発想が湧き出てくるわけ?私...一般的に社会的にやましいこととされていることしていませんから...いくら昨日の話題を住所氏名を明らかにしたくないから直接警察学校にメールしなかったからと言って何もしていませんから!ましてや殺人なんて恐ろしいこと、していませんから!今度母の所に行く時にはQ君の四半世紀の髪の歩みいえ、髪の減少を表す写真を持って行かなきゃ...ふぅ...
Dec 16, 2005
今週月曜日、12/12 午後のことでした。病気ではあるけれど病気よりも父のDVから避難するために母が入院している病院の近くに警察学校があります。実習体験なのかボランティアなのかは存知ませんがその日、その病院には警察学校の学生さん(警察官の卵でも、学生さんでなくて給与がでているから警察官?)が集団でいらしていて、母は、警察学校の方々のなんらかの催し物の最中に気分が悪くなり、病室まで警察官に運ばれたそうです。病室入り口からベッドまでは横抱きにされてそっとベッドの上に置かれたそうです。列の一番端にいらした一番背の高い男性だったそうです。そしてまた、私が病院を訪ねた時丁度帰宅したくて病室入り口で靴下と靴を手に四つんばいになっていた母の側に駆け寄ってくださったのも今から思うと警察官だったのでしょうか。こちらは女性の方。母は、お礼を申したいと私に伝えました。ネットでその警察学校を探しました。警察本部からならメールを書ける様になっていましたが、住所氏名、全部書かなければ送信できなくて別になんのやましい事もしてはおりませんがネット上で住所氏名を明らかにするのには抵抗があったのでこういう形でここでお礼を述べさせて頂きます。ありがとうございました。警察官としての職務ではなかったでしょうに、母に優しくして頂きありがとうございました。病気特有の症状で表情筋があまり動かず言葉も小声になってしまいますので母のお礼の感情も言葉も警察学校の方々にはうまく伝わらなかったと思いますが...母は、嬉しそうに語っていました。どこの都道府県か明らかにしなければ...最低でも、たぶん47の警察学校があるんですものね。でも当事者ならおわかりだと思いますので...12/12今週月曜日午前中から午後5時前ぐらいまで病院にいらした集団。紺に白のラインが入ったジャージの集団。警察学校は病院から徒歩20分以内にあります。両方とも、山というか丘の上。この日記を読まれた方に警察、ないしは警察学校の方をご存じでしたらお知らせくださいませ。本当にありがとうございました。皆様が優しい警察官になってくださること心から願っております。もっとも...強盗やひったくりの時に被害者に優しいのはとっても歓迎ですが加害者を優しく追いかけるってのは...あっでも加害者にも人権が...いえやっぱり被害者の人権の方が先ですね。強く優しい人間味あふれる警察官になってくださいませ。ありがとうございました。
Dec 15, 2005
私の記憶中学1年の時美術の時間。各自が持ってきた新聞の広告欄から変わった字体を探し出しそれを別紙に書き写すという授業だった。そう、レタリングの練習字体の種類の学習。私がどんな字どんな字体を選んだのかは記憶のかなた。でも友人が選んだ字も字体も忘れられない。いえ記憶の奥底にあっただけで今日色々思い出している内にふとなぜか記憶の表面に浮かんできた...彼女が選んだ字は「ち」に点々「ち」の最後の部分が延びた字。ご存じでしょ。今でも時折みかける広告。そして母の記憶。母が認知症になってから記憶の時空系列が混乱して他人事としては楽しめる。海外にいた時の私が通学していた小学校では毎年クラス写真を撮っていた。それを見れば名前が分かる仕組み。母いわく母のショートステイ先にその私の同級生が訪ねてきたそうな。ジョージという名前の男の人が自分の家族、計4人で来たそうな。今は銀行の支配人をしているそうな。数日後に東京に行くから私に会いたいそうな。彼の電話番号を教えるために私に電話してきた、と母はいう。ちなみにその電話番号は私の電話番号で母がクラス写真で確かめてと言ったけれどジョージ君は同級生にはいなくてでも、私が後に別の国に居た時の知人の名で銀行の支配人というのはたぶん母が好きな英国の物語の登場人物でってな具合に解析できると面白い楽しめる。母の記憶の回路、時空間が混乱していて物語になるのが時にはSFになるのが私には楽しめる。9/22の日記に今日書いた今朝の私の夢不思議...夢とは最近の記憶を引き出しにしまう時に引き出しが開いて関連項目が飛び出して飛び出した記憶の断片が組み合わさって一つのストーリーを作り出すという説があるけれど今朝の私の夢母の記憶そして私が先ほど思い出した中学生の時のレタリングの授業みんな不思議...思い出すのが不思議。整理できるかできないか過去のことなのか現在のことなのか同じ時間、同じ空間のことなのか区別をつけられるかつけられないかそれだけの違いなのかもしれない認知症...
Sep 26, 2005
この前二つの日記こちらは直接このテーマとは関係ありません。しいて言えば2は、DVへの無理解を扱っていますが...1も2もそれぞれ伝えることの難しさを扱いました。1では伝えるのは私伝えたい相手は夫伝えたい内容は私の夢2では伝えるのは私、あるいは弟の奥さん伝えたい相手は父をよく知る人々伝えたい内容は母のDV被害,父の実体1でも2でも私も私の弟の奥さんも本人達は自分達で正常だと思っている人間。それでも伝えるのはとても困難でした。言葉で伝えるのには限界を感じました。もどかしさを感じました。正常なつもりの私達ですら。母が認知症。まだ軽度です。母の話は時間が飛びます。空間が飛びます。時系列と空間がごちゃまぜになります。聴いている私達には想像力と把握力が必要です。私は知らない、60年ぐらい前の母の知人と私が知っている、30年ぐらい前の母の知人とが母の10年ぐらい前の話しの中に登場してきます。60年前、30年前の知人と10年前の空間には母なりの共通項があります。それをどうつなげるかつなげられるかピースとピースの関連を見出すのは面白いとも思えます。こちらが楽しんでそこから母の伝えたいことを読みとれて母に適切に返答できれば母はそれで良い。でもいつもいつも母が伝えたいことがこちらに伝わるわけではありません。私達が他人に伝えたくて伝わらない時もどかしく感じる以上に母は私達に伝えたくて伝わらない時もどかしさを感じるのでしょうか...それともぼけの時空間の中でもどかしさを感じることもないのでしょうか...たぶんもどかしさを感じているのだと思います。もどかしいという表情を見せます。認知症だから、余計に言葉を探すのが難しいでしょうし。ごめんなさい...私達だって言葉を尽くしても伝えられないのですけれど...
Sep 24, 2005
母がショートステイをしています。将来のロングステイに備えての練習。その母、私がショートステイ先に行った晩、私が帰った後、不自由な身体だというのにベッドの柵を乗り越えてベッドから墜ちました。当然少しは打撲があったけれどあとはピンピン。翌朝母に尋ねました。「どうしてベッドから下りようとしたの?」「家に帰りたいから」「どうして、家に帰りたいの?家に帰れば、また叩かれたり暴言はかれるでしょ」(父は母にDV状態です)「また、そうなっても、いいの?」「うん、それでも帰りたい」「どうして?」「だって、パンが食べたいから。毎食お米じゃ、嫌なの」笑ってしまいました。脱走の理由は...パン?DVされるよりもパンが大事?早速、栄養士さんに伝えました。もちろん、洋食メニューはあるそうです。今朝、私はもう埼玉に帰宅していますが、今朝から、パンになった筈です。でも我が母のことだからきっと今度はパンにバターを塗りたいパンにジャムを塗りたいと申すでしょうし次には○○のバターが欲しい△△のジャムじゃなきゃ嫌だと申すでしょう。紅茶は○○ブランドの△△ブレンドじゃなきゃ嫌だとも申すでしょう。またまた墜落して打撲傷ができなければいいのですが。私よりよっぽど洋食好きでピザが食べたいフライドチキンが食べたいなどと申しておりました。人はパンのみにて生くるに非ずってのは、食に満ち足りて哲学的に生きたい人には良いのかもしれませんが...我が母以前食べることばかり言うのでDV父に「お前はなんのために生きているんだ?食べるためか」とからかわれて「食べるため」とはっきり。ここまで明言されると気持ちいいくらいでした。ってな母ですからきっとまたまた脱走試みることでしょう。楽しませてくれる母です。そう、母にとってはパンが大事なのです...不自由な身体で高さ30cm近くの柵を乗り越えるくらいに。それほど惚けていない母ですが、パンのみにて生くるに非ず...に非ず!
Sep 19, 2005
たった正味25分。どなたかの言葉ではないけれど想定内でした。父が今週半ば私の電話に出なかったから5/17日記http://plaza.rakuten.co.jp/pombo/diary/200505170000/の勘当を実行するのかなぁとも思っていましたから近くに住む義妹に一緒に行ってもらいました。義妹がインターホンで話したので玄関を開けにきた父私を見て玄関の内側で止まりました。固まったという感じ?それでも義妹がいたので玄関を開けてはくれました。義妹は「お母さん~」と声をかけてさっさと上がって行った後、私が上がろうとすると父が仁王立ち私にこりとしたら「ばかにしてんのか!」だから笑みを引っ込めたら「にらみつけるのか!」苦笑しかかった時に左ほほすれすれまで父の手が出てきました。私携帯を手にしてたのね。録音されるか撮影されるかと思ったらしく父は私の携帯を見て手の動きがとまりました。「勘当したんだから、来るな!」「おばぁちゃんに会いに来たの。片づけ頼まれてるし」父を玄関に置いて中に入ると母が床にへたりこんでいて義妹が「おかあさん、大丈夫ですか?」と助け起こそうとしていました。常連の方はご存じですよね。母は難病指定を受けています。歩行が不自由です。最近やや惚けも出てきています。義妹と私が両脇から母を立ち上がらせようとしている間中父はわめいていました。私を勘当した理由と母がへたりこんでいる理由をごっちゃまぜにして。私、ほとんど聞いていなかったのでよくはわからなかったのですがともかく母を起こして杖を持たせてベッドに行きたいというのでベッドまで連れて行って母に「私、来たけれど泊まった方がいい?帰った方がいい?」母は「一緒に帰る、埼玉に行く。「首根っこをつかまれて振り回された。このままじゃ、もう、殺されちゃう」と。驚きました。父のDV,そこまでやるか!困りました。母が心身共に健康体ならDVですから埼玉に連れてきました。歩行困難です。準備もせずに片道最速4.5時間を車椅子でラッシュ時間を移動なんて不可能(実際、私の帰宅時は首都圏ラッシュでしたし)やや惚けています。母の発言を私と義妹ははっきり聞いたけれどこれを誰が保証してくれる?私達が誘拐したことになりかねない。親族の一部に母が私の所に来ることに反対している者がおります。父が暴力を振るったこと直後に私と義妹が目にしたわけで私達ですら暴力行為を目にしていない。母が惚けていることを知っている親族が父の暴力を信じるでしょうか。まして父は社会的にある種のステータスのある人物。一般的には私達より信用される立場。外面はものすごく良い。実家に行く前に2時間以上話し合った介護関係者との間でゆっくり両親を引き離すと一応の結論を出した後しかも難病の介護が如何にたいへんかと兄弟間で意見が一致していないと余計に大変だと聞かされた後で直後に目にした実体。介護関係者達も父の外面しか見ていないから私がどんなに言葉を尽くしても一応の理解は得られて母からの言葉も耳にしていてでも実体からはほど遠い理解。義妹ですら実体を目の当たりにしたのは初めてだったらしいですし。父のすさまじさを知っているのは母そして私だけ。虐待が密室化している...母が助けを求めて私は助けを求められてでも連れ出せない...心が揺れます。まだ揺れています。埼玉県行田市の高齢者虐待通報義務http://plaza.rakuten.co.jp/pombo/diary/200506010000/が全国展開されたなら、自治体の条例ではなく国の法律になったなら我が両親の問題解決もう少しなんとかなるかもしれないと思うのですが...結局、母が「帰った方がいいわ。帰った方がおじいちゃんおとなしくなるかもしれないから」と言うので母を置いてきました。本当に父はおとなしくなったのでしょうか...帰り際に母をぎゅっと抱きしめて「また来るからね」と言って慌ただしく出てきました。今も揺れています。身体も心も...難病指定を受けていて、惚けも出始めていて介護が必要な高齢者がDV状態にある場合どれを基準に動けばいいのでしょう...あちこち公的機関に相談しました。一致して引き離せと...でも親族内に反対者がいて...母を引き離したら同様に高齢者の父は誰がどうする...どうしたらよいのか母は今は耐えられているけれど人権が無視されていてどこまで保つのか...自尊心がとことん傷つけられていて...それでも夫婦だから一緒に住まなければいけないのか...本当にわからなくなります。私の心も身体も揺れています...
Jun 18, 2005
家を出発してから帰宅するまで13時間実家のある市まで往復に9時間以上かかったからそして介護関係者との話し合いや移動で3時間強だったから実家にいたのは正味なんと25分。まぁ、この25分間の内容は次の日記に書くとして介護の前段階にこれだけ時間がかかるわけで遠距離介護なんてほとんど不可能で。でも実行してしまったんですが...そして私揺れています。心もですが何よりも身体が。往復9時間以上乗り継ぎを引いても6時間強は電車の中なわけで疲れているんだから眠れるだろうと思ったのに横になって目をつぶったら揺れているんですね。最初自律神経系統かなぁなんても思ってみたのですが目を開いても揺れている。壁にある垂直の線を基準に見ても身体が揺れている。目が揺れているのかとも思ったのですが本当に身体が揺れている。床についていない部分が特に揺れている。床に身体を全部付けるって至難の業なんですよ、なんでしたらお試しください。手の指、脚の指どこかが浮いている。そこが揺れる。電車の揺れと同じリズムで...だからもう眠るのあきらめて書き始めました。PC前の椅子に座って上半身が揺れています。電車の揺れと同じリズムで...心の揺れも書けば少しは鎮まるかもしれませんし。心の揺れの方は次の日記に今から書きます。
Jun 17, 2005
先に追記を二つ書きます。追記1)文章内のURLをくりっくしても不明になってしまいますが、コピペしてくだされば、到達できます。高齢者虐待、児童、障害者虐待に関心をお持ちの方、コピペでお願いします。それでも無理でしたら検索で行田市のHPに行かれて右の方にある、NEWの中にあります。追記2)現在、多くの虐待がケアマネージャーさんや医師によってみつけられるそうです。児童虐待の場合には法制化されたため医師や救急隊員等には通告義務がありますがDVや高齢者の場合には医師やケアマネージャーさんに守秘義務が発生するため通告できないのです。これが法制化を望む理由の一つになります。********************埼玉県行田(ぎょうだ)市で6月1日から施行された虐待防止条例に基づいて虐待防止ホットラインがスタートした。児童、高齢者、障害者への虐待の発見者に通告義務を課す内容埼玉県内では初の試み通告者が特定されないように配慮されている。通告を受けた場合には48時間以内に2人以上で現場訪問状況によっては関係機関と協議して一時保護などの措置を決める。緊急性のある場合は警察などに通報することもある。今後DVなどへの対応も検討する。http://www.city.gyoda.saitama.jp/fukushi/gyakutai.htmうらやましい限りです。高齢者虐待は法制化されていなくてややこしいんです。まずね緊急、一時保護施設が整備されていない。次に虐待の事実を被害者に確認とるのが困難。DVの場合には被害者本人が動くから被害事実が明らかにされるけれど。現在我が実家の問題一応解決の道を進んではいるのですが遅々として...このようなホットラインが全国に展開されることを望みます。高齢者虐待防止が法律となってその法律に基づいた担当部門機関施設等が整備されることを切に望んでおります。いつになるんだろう...はぁ~ため息です。
Jun 1, 2005
毎日四六時中愚痴、怒声の父。母に対して、母をかばう私に対して母の行為に穏やかに優しく対応する私に対して。私とうとうぶち切れた!(この時の内容は、はっきり言って、たいしたことじゃないのね、父は大げさに、執拗に、理屈にならない、逃げの一手の言い訳の怒声罵声だったけれど)その直後父が母に「どうしておまえはそんなに埼玉に行きたいんだ?!」母はもごもご。私が口出した。ぶちきれついでに、「あなたは介護していない」と一言だけ。父は私に向かってきた。怒声、罵声。私、携帯の録音機能を作動させた。万が一のために。たぶん、昨日ぐらいから私、母を護るって開き直ってるの。テレザ状態。(常連の方以外にはわからない表現ですみません。「テレザ」はこの日記トップにある本のタイトルです)父が至近距離で手を振り上げた。「録音してるからね。警察に電話するからね。」父の手は下りた。手をあげてほしかったってのもややあったの。警察沙汰にしてDVを明らかにしたかったから。でも、父はひるんでしまった、ちと、残念。「出てけ、帰れ、来るな」その後、久しぶりに出ました。「勘当だ」3回目か4回目ね。もう、慣れているの。テレザ状態の私、「今日は帰らない、明日帰る予定だから。また来月来るの。私の母親のために」それでね、直後母は失禁。当然また怒声。罵声。母は疲れて、昼寝しました。父は勘当のためにか法律書を探しだしてきて真剣に読んでいました。私母に頼まれていた家事を片付けに二階へ。しばらくして降りていくとベッドから起き上がった母の前に父が立っている。また何か始まるの?と注意して見ていたらなんと父が優しく立ち上がり方を指導している!トイレまで優しく誘導している!私見たの初めて!母も後で、初めてだと言ってました。もちろん、トイレも失敗しません!勘当されても感動しました。私のぶち切れが効いた?昨夕も今朝も私の作ったごはんを食べなかった父が今日の夕飯を作ってる!(もちろん、私の分もね)そして夕飯時いつもはぽろぽろこぼしてテーブルもエプロンもべたべたになるのに一つもこぼさずに母が食べたんです!まだ私にはぶっきらぼうな話し方の父が「これ最後の二つだから」と、レトルトのだけれどサトイモの煮っ転がしを母と私にすすめました。こんなのう~んと穏やかな時う~んと機嫌のよい時にしか無かったこと。それとなく母に話しかけるようにして父の耳にも届くように言っちゃいました。「おじぃちゃんが優しいとなんでも上手にできるじゃない、すごい!」ってね。でも、まぁ気を許しているわけではありません。初めての優しい対応で母があれだけ変化するのを見た父がいつまで優しくし続けられるかわからないから...でも、やったね!
May 17, 2005
まともに歩けないまともに見えないしかも認知症まで出てきてそんな母にもともとDV発言の父が身体的暴力を振るうようになって10ヶ月父も私が何するかわからない(前回、「警察に届ける」と言ったし、今までも法務局とか人権擁護委員会とか口にしているから)私が実家にいる間だけは母に手を出さないのだけれど母の行動に一々口うるさいやたらめったら愚痴ぐち口一つの件で延々と続くやれこぼしたやれもらしたやれ汚したやれ転びかけたやれわけのわからないことしている口答えする生意気だ母を引き取るって言っても絶対に母を手放さないのに母の面倒を見るのが面倒で母は父の愚痴ぐち口が始まると別世界に飛んでいく。別世界に飛んでいけないまだ認知症にはなっていない我が身はまともに耳に入ってくる愚痴ぐち口悪口雑言に耐えかねる。耐えかねるけれど切れたらおしまい。切れたら私は埼玉に帰れるけれど母はここに残るのだからだから腹立虫を抑えるそれが続くとなんだか全て馬鹿らしくなってきてただただ別世界に飛んでいる母が哀れでいとおしくなってきてよく介護の関係者が天使に出会えるっていうけれどあの感覚がわかるようになってきて別世界にいる母ってとても純粋で幼子と同じで。かわいいの。だから私は父がどんなに腹立てていてもとっても穏やかになってしまう。母に対してとっても優しくなってしまう。ところがどうもそれが父の腹を余計に立てる原因らしい。先月には「悟ってるような顔して」だったから「うん、私、悟ってる」って言った私。今日(もう、昨日ですね)「神様みたいに偉そうなこと言って」と言われて「うん、私、神様みたいだもん」とはさすがに言えませんでした。神様って偉そうに話すのかなぁ。たぶん偉そうに話すのは偽者の神様だろうなぁ。私偉そうなこと言ったわけじゃないんだけれどどうも悟った発言ってあおりたてるらしい...悟らないでむきになって一緒に声荒げるなんて私もううんざりなのよ。父よ、あなたは昔からそうだった。「うるさい」というから「黙れ」というから母が黙ると「人の言うこと聞いてんのか。何とか言ったらどうなんだ」と。挑発がお上手で。偉そうなこと言ってるという発言者こそ偉ぶりたいのでしょうね。相手が言うことの価値はわかっているけれど認められないなぜなら自分より偉い筈はないという裏返しだと私思うんですけれど。いかがでしょうか...私、神様じゃないからわかりませんが...
May 15, 2005
母は昔いえ、つい最近まで一度にいくつもの事を同時にこなせました。でも目が見えにくく手先が不自由で脚もおぼつかずその上昨年末ぐらいから認知症ですから一度にいくつもの事をやらないように一つずつこなすようにと指示しております。(私はね)(父は、一度にいくつも言うから母が混乱しているのだけれど)今日母は立ったまま瓶入り液体ヨーグルトのふたを開けようとしていました。転んだら危ないから声をかけたの。「おばぁちゃん、先に座ろう」ヨーグルトの瓶を持って母はテーブルにつき椅子に座ってから私に言うのです。「つばめが何だって?」まだらぼけの母ですから正常に認知している合間合間に15%ぐらい別世界が入ってくるのです。私てっきりまた母が別世界に飛んでいったと思いました。次の瞬間母が「座ろうって言ったでしょ」私しばし沈黙。わかります?わかりました?これ洒落ですか?それともそれでもぼけてたのかしら?英語が敵性語で女学校時代には学べなかったけれどビートルズやジョンレノンカーペンターズが好きな母に私一本取られました。スワロウ...認知症ならぬ認知賞!
May 14, 2005
久しぶりに静かな夜を迎えています。うわぁこんなのめったにない!前回4月の「助けてください」日記からは想像もできない...あっ、常連さんにしかわからない話でごめんなさい。んで、こちらにはじめての方とかたまにいらっしゃる方には何の話かわからないですよね。できることならその4月の日記にジャンプできるようにしたいのですが何しろモバイルで書いているので接続がゆっくりずむでしてとてもリンクを貼るために自分の日記の方を開くのが面倒でごめんなさい。今も声は聞こえるけれど父の愚痴らしいけれど音量も嫌味度もかなり低いレベル。あ~これが毎晩ならまだ我慢できる範囲かな。今日はいいことありましたし。一週間ぐらい前から義妹とケアマネージャーさんと打ち合わせていてスクラム組んで石橋を何度も叩いて渡らない父を説得したというよりも明るく強引に事を運んでしまい車椅子使用してしまいました。最初は坂道の上の方から監視していた父私達はそのまま数ブロック往復してそれからいっそのことこのまま行っちゃおうって近くのスーパーまで母を連れて行きました。車椅子初体験の母車椅子を押すのがほぼ初体験の私そこのスーパー初体験の母夫抜きでの買い物3年ぶりの母。疲れるかなと思ったけれどかえって母は元気になりました。よかったほっ。父や義妹や私に頼んでの買い物ではなくて自分の目で見て自分で選べる買い物とても楽しんでいたのですがそれでもしょっちゅう母は心配していました。早く帰らないと怖い私も心配していました。ケアマネージャーさんが帰って義妹が帰って私と犬A君だけになった頃父が強引な私達への責めを私一人にぶつけてくるんじゃなかろうかと。でも大丈夫でした。それにしても母、私、義妹、のみならずケアマネージャーさんさらには前日から嘔吐の犬A君とよくもまぁここまで手こずらせる父で...
May 12, 2005
私だけでなくて皆様もそうだと思うのですが、一つのことだけにかかずらわって生活しているわけではなくてDVってとても重いテーマなんですが、遠方の両親のでして今ここ埼玉にいる私がずぅっと私の心を100%占めているわけではなくてだってそんな状態ってとてもじゃないけれど耐えられないでしょ。手も足も出せない遠方にいて心配ばかりしているくらいならとっくに両親と同居するわけでかといって私、こちらに家族がいるわけで両親は転居を望まないし母は別居したいと望んでいても父は別居したら、たぶん...ってな状態なわけで我が目前というか我が周囲には夫も子供もいて仕事もこちらにあってってなわけでしてDVのことばかり考えていたら私それこそ鬱病になってしまうし日記って一つのテーマで書き続ける場合もあるでしょうけれど私の場合本来ペットで始まってねとうよさん達のおかげ?で平和論も論じていて(あのね、ねとうよさん達、おばかさんなのよ、こちとら左翼じゃあるまいしましてや徒党を組んでいるわけでもなし一個人なのにあぁやってやたらとちょっかい出してくるから受けて立つからかえって平和論を論じることになってねとうよさん達の行為って逆効果だってことねとうよさん達気付いていないの?)後は読書系ですし...こういう趣味、生活の部分が全くなくなってしまったなら味気ない生活両親のDVはたしかにとても重い問題ですしまだ未解決ですし前進させなければならない問題ですけれど私そればかりじゃ死んでしまいますから。ですからまた今までの話題系に戻りますね。当分発展があった時私が追いつめられた時にまた書きます。もうしばらくこの系統のテーマはおあずけ。ネット上でのみのおつきあいとはいえ皆様にご心配おかけいたしました。暖かいご助言の数々本当にありがとうございました。自分の考え方が決して少数派ではないとわかり安心できました。さぁ、次の日記からは日常に戻るぞぉ!
Apr 8, 2005
コメント、読ませていただいております。何度も。元々両親は東京出身ですので、両親の親戚はほとんどこちらにおります。昨日一昨日とその方々とも連絡を取り、どのように対処すべきか検討中です。実は私、昨日こちらに帰ってきて以来何しろ一週間自宅を空けていたものですから処理しなければならない物が多くてまだ家事もまともにできていない状況でして個々にコメントの御礼をできる状態ではございませんのでとりあえず、御礼方々このような現状でコメントできない旨お知らせいたします。本当にありがとうございました。
Apr 7, 2005
認知障害進行中の母が父によるDVを受けています。先ほど2階にいる私と犬A君が飛び上がるほどの音が下からしました。あわてて降りていったら座卓がひっくりかえっていました。私 : 何なの?父 : パジャマに着替えずにうろうろしているから 早く着ろと何度言ってもきかないからなんだよ。私 : ぼけているんだから、わからないんでしょ。父 : そんなはずはない、わかる時にはわかってるんだから。 お前はつべこべうるさいんだよ。一週間しかいなくて何がわかる。 こっちはたいへんなんだよ。私 : だから、この前、私が(母を)連れて行くって言ったのに、 大騒ぎしてなしくずしにしたのはそちらでしょ。父 : お前に何がわかる。俺の家なんだよ。放っといてくれ、俺の妻だ。私 : 私の母親なんです。父 : だからどうだっていうんだ。うるさいんだよ。母の杖(金属製4つ脚のしっかりしたもの)を畳にどんと突き立て、私の横をかすめるようにして飛ばしました。私 : 警察呼ぶわよ。父 : そんな恥ずかしいことできるもんならやってみろ。それまで、父はずっと怒鳴っていて、私は冷静でした。私も声を大きくして(でも、冷静に): この時間にそんな声を1時間以上出していたら近所迷惑でしょ。私が呼ばなくたって、その内、近所が呼ぶかもしれないのよ。父 : 恥さらし。 一緒になって怒鳴っているのはどこのどいつだ。私 : 一緒ってことは、自分が怒鳴っているのはわかってるのね。父は黙りこみました。母にパジャマを着せて、私は2階に上がってきました。ここ3ヶ月ぐらいで母のぼけはかなり進行してしまいました。年末年始にはたまにわからなくなることもありましたが、今日など、何度も。その度に、何かをして、その何かが直接父に迷惑のかかることではなくても毎回怒鳴り散らし、暴言を浴びせます。執拗に、叱るというよりも怒ります。時には(私がここにいる間はありませんが)身体的暴力もあります。私や親戚、ましてや第三者がいれば一見穏やかに見える父ですがそして、警察を呼ぼうかと私が思ったのも初めてですがよくある夫婦間の傷害事件や殺人事件まさかとは思うけれど起こりうるかもしれない危険性を初めて感じました。こういう場合、警察に届けたらどういう解決方法になるのでしょうか。両親が若いならシェルターもあり得るし両親がせめて健康なら一般的解決方法は思い浮かびもします。でも、COPDの父はともかくも認知障害と難病指定の疾患これで最終的に私が母を引き取るとしてもそれまでの間どこかいられる場所なんてあるのでしょうか。もしご存知の方いらしたらお教えください。今後同様の事態が起きた時に、警察に連絡しても、その後の受け答えが母にどれだけできるのかも不明ですし...私は明日、自分の家に帰ります。今度来られるのは40日後ぐらいです。それまでの間、殴られたりしてあざができたら(週一回来る)看護婦さんに言うのよとは母に伝えましたが。すみません、これ、結構深刻なので関連ご職業の方のアドバイスをいただきたいので、何回かアップさせていただきますね。
Apr 6, 2005
私が実家に帰るのは金曜日私が自宅に帰るのは木曜日。なぜでしょう。pomboの日記の常連さん方女性なら、たぶん想像つくかもしれませんね。うふふ。それにしても暑い日でした。明日、関東にどんなかっこで帰りましょうか。本当はね今日夕方に帰りたかったの。飛び出したかったの。でもね、母がってのもあったけれど何しろ台所でポテトサラダ作っている最中だったしもう母に対する暴言私が限界でしたから母は我慢してもう一晩いてって。ポテトサラダができあがってから口実作って外出、缶チューハイを買ってしまったのでした。そして8時過ぎに2階にあがってきてしまいました。犬A君は、早々に眠れるので喜んでいました。犬A君も今日はいつもよりぴりぴりでした。だって、たぶん犬A君も限界だったのかも、あの怒声に...犬A君が我が家に来る前のここ実家での犬A君も同じようでした。ほえまくりしかられてほえまくりの悪循環。ある意味、犬A君は我が家に来て救われたの。でも救えないのは母...たぶん、母はぼけてあの暴言から精神状態を保っているのかも...ただね、時々思うんです。こういう夫婦関係を作ってしまった責任の4割、3割かなぐらいは母にもあるんだと...おかげさまで反面教師で私は夫と良い関係を築いています。もしかしたら一方的な私の思い込みかもしれませんが。そういえば、実家からの介護というか対父バトルの日記書いていたおかげで、記入率の円グラフ、1%あがりました。うふふ。缶チューハイ、一杯ではこのストレス下ではほろ酔いにもなりゃしない!トイレが近くなるだけだわ。たしかに、2階のトイレは近いけれど。
Apr 6, 2005
「人の言うことに耳を貸さない」これあなたのいつもの台詞。それって、あなたじゃないですか?相談を持ちかけないでください。あなたの意見と違う意見は全て否定するんですよね。あなたが万が一こちらの意見が正しいと感じた時あなたはすねる、そして救心を服み食欲を失う。詐病だとは思いません。あなたの身体の反応でしょう。自分でもわかっていることを受け入れたくないから、の。母への暴言それがDVだということはあなたは認識している。でも、あなたは、やめない。いえ、自分にストップをかけられない。母の歩行が不自由になった時私達はそれでも母を外に連れ出そうとしました。何度も、色々な方法で、あなたを説得しようとあなたを理解させようとあなたの同意を求めようとしました。あなたはことごとく拒絶しました。眼科医を受診する必要があるとあなただって認識はしていた筈なのにそれでも眼科医に行かせなかったあなたですから母の気分転換のためでしかない外出をあなたが認める筈はありませんね。でも私達あなたのこども、その配偶者達はあなたの反対を押し切ってでも母を連れ出すべきでした。私達はあなたのだけじゃなくて母のこどもでもあるのですから。3年間外に出られずこの1年半本も読めない目TVすらまともに見続けられない目で歩行が不自由で手先が震えてだから包丁も取り上げられてしたい事はできずさせてもらえず外部の刺激も一切なくなり、母がぼけるのが目に見えていたのは私達だけじゃなかった筈でした。あなたは「わかっているんだよ」と口癖の様に私達に返答します。「わかっている」のかもしれません。たぶん。でも、頭だけではないでしょうか。行動が伴っていないのではないでしょうか。一週間しかいない私やたまに来る義妹に何がわかるか?「その時だけ連れ出したとしても意味がないじゃないか」そうでしょうか。1はゼロよりはるかに大きい。その違いは...出るはずでした。あなたの母に対する禁止事項が今の母のぼけを招いたと私は思っています。いずれぼけるにしてもこんなに早くぼけはしなかったでしょう。たぶん、ですけれど。あなたのかつての社会的地位ゆえに母の周囲の人間がどのような立場の人でも母に対して行動することを妨げ続けました。内科医の機転で?やっと介護関係の専門家が出入りできましたね。「週に3人も来るから、疲れる」というあなたですら外部の方々と接触した後には母への暴言が減っているということあなたは自覚していますか?外部の刺激が母のみならず一応今は正常いえ、正確に申せば今までのあなたのままという意味で何かと紙一重のあなたの行動がいわゆる一般的正常だとは一度も思ったことはないのですが。そんなあなたにですら外部の刺激は効果があるんです。今、私はあなたに最低限のことしか伝えないようにしているのです。あなたが私に言われると「こっちまで精神状態がおかしくなる」と言うから。あなたが招いたことですから、あなたなりの「なるようにしかならない」でも仕方ないことなのでしょう。本当にあなたも精神状態がおかしくなったらどうしましょうか。母は予想していたかの様に私がこちらに来る度に身辺整理をしていました。私は嫌な気分で手伝いましたがでも今、それが役立っています。母の整理整頓のおかげで私は物の所在が把握できています。一方あなたは床がぬけるかもしれないほどの蔵書の部屋にもう2年近く入ることもなくこどもが誰一人継がなかったあなたの専門領域の蔵書。その整理すらせず、郵便物と宅配便と新聞で生活をしてその事務処理と全般的にせざるを得なくなった家事で一日が終わる。あなたは「作ってやった」「やってやった」「なのにお前は感謝しない」一日に何十回も母に言っていますね。母はあなたにそうしていました。50年間。文句も言わず。あなたの無茶苦茶な論理とあなたの強引な性格、それでもまがりなりにも今こどもが皆、一応まともな社会人でいるのは経済的にはあなたに負うところが多いのですが心理的には、母の明るさゆえでした。今その母がこういう状態でそれでもどうにもできない私達...私が毎月一週間ここに来ると決めたこと私が犠牲になっているとは、申しません。私の大好きな仕事の回数が減るからといって、それを犠牲にしているとは、申しません。でも、私の家族、夫とこどもは犠牲になっているんです。それでも私は来ます。母のために。そして母に少しでも当たる回数が減るようにあなたの家事その他の負担が減るように。でもね、私だって疲れるんです。肉体的にはなんてことないけれど、母の介護もなんてことないけれど、連日四六時中のあなたの暴言を無茶苦茶な理屈を耳にしているのは疲れるんです。腹を立てれば鬱にはならない、そうです。あなたの前で私が腹を立てればあなたは暴言を吐く、何度もありました。母が元気な時には。今の母の状態だからあなたに私は穏やかに話します。それでも、「わかった風な口をきく」「悟ったような物言いをする」はい、わかっています、あなたより。はい悟っています、あなたより。だからあなたは余計に腹立てるのですよね。母の粗相に私がやさしく対応することもあなたには許せないことなんですよね。あなたは母にきつく当たるから、しからなければわからない、と思っているから。科学者ならば科学的に認識してください。ぼけの症状粗相に対して声を荒げることにどれほどの意味があるのか。決して良い意味ではなく、どれほどの悪化を招くか。あなたは頭では理解していますよね。行動にあらわしてください。もう疲れきった娘です。明日は帰宅します。母の問題行動が増えれば困るのはあなたなのに......
Apr 6, 2005
買い物にいきました。(こういうのを、「おつかい」って表現するのは関東人? それとも、年代による?)母は外に出してもらえないしそれに歩行不自由だし父も出不精プラス呼吸疾患だしってなわけで私の実家での最大貢献仕事は買い物。両親の欲求に従った物を買ってくるってこと。(これって、身内じゃないと、できないでしょ)〔メーカー、品種、量、金額等注文多いから...)今日は、食品の買い物と日用雑貨の買い物とを頼まれていました。方角が違うので、片方ずつ。まずは食品。生鮮食品を頼まれた時に母が、別レシートでチョコレートを5種類買ってきて、と。はい、買ってきました。チョコレートは母のお金で、他のは家計費で。夕食後、母は大きな缶を持ってきてその辺りにあった色々なお菓子チョコレート(今日買った分以外の)、おせんべい、キャンディetc.etc.のほぼ半分をその缶の中に入れました。そして、その缶に自分の名前を書きました。私が母に頼まれて買ってきた5種類のチョコレートの箱もその缶の中に入れました。それを見ていて父 : お前の入れた物の内 それとそれは、俺が自分で買ってきたものだ なんでそんなに入れるんだ。母 : だって、昨日、その缶(テーブル上の父のクッキー缶)の中の 食べたら、怒ったじゃないの。父 : お前がいつも食べてばかりいるからだろう。 これは俺が買ってきたんだから、俺のでいいの。母 : だから、私も自分の缶を作ってるの。父 : けちだねぇ。母 : そっちだってけちじゃないの。父 : この前娘が〔私)送ってきた煎餅だって、 10種類以上2枚ずつあったから 当然俺とお前で1枚ずつだと思っていたら いつのまにか、俺の好きなのがなくなっていて 食べたのはお前だって、白状しただろう。母 : あれは、食べている途中で同じの2枚目食べてるって気づいたけれど、 だから、謝ったじゃない。父 : 謝られたって、食べたものは戻ってこないだろうが。結局、我が実家の菓子は、二つの缶に分けられました。そして犬A君まで僕の缶はないの、ってな顔をして、私を見上げるんです。やめてくれぇ!この上、君まで缶がほしい?ところで、私、どちらのを食べたらいいのかしら。なんだか、この先が見えてくるようです。互いに自分の菓子の方がおいしいと私に食べさせようとするってのが...まだ続くのです。父が私にみつまめの缶を二つくれました。犬A君連れですから荷物は最小限。だから自宅宛に送る荷物に一緒に入れるようにと。母 : 私も食べたい。父 : これは、俺が注文したもんだから お前にはやらない。母 : けち。父 : だってそうだろう、俺が払ったんだから。母 : けち。さっき、夕食後の薬を服んだら、って言ったじゃないの。父 : そうは言ってない。まず、薬を服んでから、とは言ったけれど。母 : だから、食べていいんでしょ。父 : 勝手に解釈したんだ。今日食べるとは言っていない。母は、目に涙を浮かべました。私 : じゃぁ、おばあちゃん、さっき買ってきたチョコレート、 おじいちゃんにあげる?こくりと頷く母。私 : じゃぁ、みつまめ貰って、分ける?こくりと頷く母。私 : おじいちゃん、それでいい?こくりと頷く父。私、平等に3つに分けました。本当に平等に分けたのよ。だって、また喧嘩になったら嫌だもん。寒天も豆も数えて、色つき寒天や数の合わないフルーツも平等に。 あのね、冗談みたいでしょ。まるで幼い兄弟の喧嘩みたいでしょ。もしかして思春期青春期成長時代が戦前戦中戦後という食料の乏しい時期と重なったから?私、この手の言い合い小さいのは今までしょっちゅう見聞きしていたから、慣れてはいました。でも、でもね、今回は最初はあきれて終いには、おかしくて笑い泣きしていました。涙がとまりませんでした。あまりに馬鹿らしくていい歳した老夫婦が何やってんの!これで両親が認知障害になったなら〔母はもうその道を歩み始めていますが)この先お菓子をめぐる夫婦バトルはどうなるんだぁ!これから先私はおみやげを持っていったら平等に二つの缶に分けるのぉ?今日頼まれたもう一つの買い物日用品を買いに出たついでに書店に寄りました。この辺り近くに書店が二つもあります。〔我が家の近くにもあるにはあるけれど)この近くのは両方とも中堅チェーンのでそれぞれそれなりに独特の書籍並べをしていて面白いのです。今日も私の本さんになる前の本さん達を探しに書店でめぐり合いの幸せを感じ帰宅して見る楽しみを味わい今から読む楽しみを味わいます。私にとって消費?の中で何よりもの幸せは本を買うことなのかもしれません。実家での色々なストレスから一瞬離脱して、書店で私の腕の中で私の視力を通して私の頭の中で私の心の中で幸せなひと時を与えてくれるようです。では今からその幸せなひと時を過ごしますので、おやすみあそばせ。
Apr 5, 2005
母に尋ねた:今日のお風呂は、一緒?母の答え:あなたが一緒に入りたいならね。なんか引っかかる言い方、でしょ。どうしようか、どう答えようか一寸考えてまだ、介助が絶対必要なわけでもないし、一昨日は一緒に入ったし私の答え:お一人でどうぞ。母、洗面所に入った。父と話しながら一応念のため15分後に見に行った。洗面所のドアも、浴室のドアも少し開けてあります。万が一の時に声がきこえるように、ね。15分後まだ洗面所にいました。顔の手入れ髪の手入れ。おしゃれ心は忘れていません。30分後まだ洗面所にいました。そろそろ浴室に入る頃でした。45分後まだ浴槽に入らず浴室内でシャワーの下にいました。55分後長湯はよくないから見に行ってと父が言うので見に行きました。丁度浴室内から母の声が:ちょっと助けて...ドアを開けると浴槽に左足で立っていて手前の手すりに両手でつかまって右脚が入れられない体勢。なんていうの?あの、ビニール製の浴室用靴?あれをはいて私、浴室に入りまず左手を手すりから離して奥の手すりを握ってと伝え、それから右脚を私が持ち上げて私が曲げて浴槽に入れました。別に体が不自由なのではないのですがすべるから怖かったみたいで...(ほら、だから、私と入ろうって言えば一緒に入ってさしあげたのに、うふふ)(ちょっぴり意地悪な私でした)そして、母が:直に出るから入ってきていいわよ。私、ほぼ交代で浴室へその時母は洗面所。浴室でシャワーの後浴槽につかって1分もたっていない時洗面所から母:助けて、着られない浴槽から出て洗面所をのぞくとパジャマのズボンをはこうとしてしりもち状態の母。私、びしょびしょのまま洗面所に行き助け起こして大丈夫なのを確認して洗面所の水溜りを手近にあった犬A君用の雑巾で拭いて湯冷めしそうなので浴槽へ1分もしない内にまた母の声:パジャマの上が無い。えっ?私また浴槽から出て、びしょびしょのまま、まださっきの湯冷めから温まっていないしびしょびしょだから母のを取りには行けないし私、まだ出たくないしとりあえず私が着る予定だったトレーナーを着せてまたしてもびしょびしょになった洗面所の床をまたしても犬A君用の雑巾で拭いて私また浴槽へ温まってから出て、トレーナー以外を身につけ母のたんすからパジャマを出して母に貸した私のトレーナーを脱がせて母にパジャマを着せて私もトレーナー着てふぅっこんなんなら最初から一緒に入ればよかったぁ!
Apr 4, 2005
なんだか連日介護日記というよりも対父親バトルって感じで読まれる方面白いのかなぁみかちさんみみずくさんコメント読ませていただきました。後ほどREさせてくださいませ。とりあえず今朝の現状記述。ガスの元栓は閉めておいたから火の用心は問題なし。今朝ねぇ毎度のことながら母は早起き朝食後「物干し竿が使える?」と母。実は全自動洗濯乾燥機があってしかも母は外に出してもらえず(この外には、庭も含まれます)(段差があるから、危ないということで)父は「めんどくさい」で物干し竿はたまに私が来た時に大物に使うのみ。ということでそして父の庭弄りの趣味で(といっても、こちらも最近だいぶ手抜き)物干し竿の台は庭のすみに追いやられ物干し竿は地面に。「干せないの」と私。私が台所の洗い物をしている間、母が寝室でごそごそそれを見た父親が「なにかしてるから、見てやって」私が行ったら母が一生(所)懸命ベッドのシーツをはがしている。このベッド最近レンタルしたんです。(布団から母が立ち上がるのが大変だから私がさんざん勧めていた時にはたたみの上にベッドを置くと畳がいたむって反対していたんですが、介護の専門家に勧められて父がしぶしぶレンタルしたもの)ベッドの上にマットマットにはカバーその上にベッドパッドその上におねしょシート母はおねしょしたんです。量が多くてマットカバーまで染みていて上の2枚は家の物だからすぐ洗濯しました。マットカバー最初は拭いてみたんですがやっぱり残る父はそのままでいいと。私が表示を見たら洗えることになっているんです。だから洗っちゃいましたが、そして庭の物干し竿を設定して(これはたいへんでした)今干しています。このマットカバーが問題なんです。父は借り物だから汚しちゃ困る。だから洗濯も困る。(けど、そのままにしとくわけにもいかないじゃないの。)マットは引き取り、買取もできるはずと私が言っても、そんなの面倒だ、大変だ。(だから買えばと勧めていたのに。経済的には問題ないのに)。「洗う」と言ったら勝手にしろ誰が責任取るんだと、私に。そもそも、お前が寝る前に飲みすぎるからだいいかげんにしとくれまったく云々延々と母に...私ね、洗濯なんてたいしたことじゃないし母の母も老後特別有料老後施設に入っていたとはいえ結構状態見ていたしなんてことないの。けどね、何が嫌というかうんざりするかといえばもうこの父の母に対する対応。ってな調子です。またどう進展するか...今は乾燥機の容量を超えた部分を2階に干しにきたままここにとどまってあの長い暴言から我が精神を守っているところかな...?追記下に行ったら珍しく夫婦仲良く私がおりてきて10時のおやつを一緒にってのを待っていました。朝の騒動で、10時は11時に延びていましたが。一応平穏。犬A君は下では眠れず今、2階に連れてきたら横でうたたね。君もたいへんね。でも役得あったでしょ。おばぁちゃんがこぼしたケーキ...
Apr 4, 2005
さぁ今日も始まるどんな日が?今朝の日記を書いてPCをOFFして階段を下りられない犬A君を抱いて階段を下りる途中で...うわっ!!!何これ???やたらと煙い何?台所のガス台の上のフライパンの中でなんだか得体の知れぬ物体が真っ黒こげになって煙を発している。とっさにスイッチをOFFにし換気扇を強にしあちこちの窓を開け放つ。窓に取り付けた防犯ブザーがONになっているのを忘れていたからBIIIIIIと鳴り響くあわててOFFにする。はぁ~ふぅ~娘(つまり私)に何か作りたいってのと朝ごはんぐらい何か作りたいっていう長年の習慣でじゃがいもをフライパンで焼いていた母、けれど途中で忘れていた...ってこと...私がもう10分早く下に行っていたなら日記を書かずにPCをONせずに行っていたなら......朝から夫婦喧嘩いえいえ父の一方的な罵声、怒声「お前は台所仕事はしなくていいって言ってるだろう」「かえって迷惑なんだ」「火事にでもなっていたら、どうするんだ」しょんぼりうなだれていた母。でもね、ずぅっと、専業主婦で、料理を作ってきて料理作るのがかなり好きだったのに。目が見えにくくて(でも、目医者に行くのはたいへんだと、私や義妹が連れて行くのにも反対されてめがねやさんってのも同じ理由で反対されて、)指先が震えて(好きだった編み物や洋裁もできず)犬A君も我が家に追い出されて私が母を引き取ると言えば(離婚騒ぎになって)介護保険利用も3年間拒み続けかかりつけの内科医がうまくことを運んでやっと適用申請してなんと上から2番目という状態で(私、びっくりしたんです他から見たら、そこまで重い?)もうずいぶん長い間外出もできず(車椅子を買うと私が言ったら「邪魔だ、危ない」でしたし今やかかりつけの医者も往診になってしまって(行けないことなないんです、でも、父が「めんどくさい」なので)ぼけますよね。アルツハイマーでなくたって。いつもぼけているわけではないけれど。だからフライパンのこと忘れていた。指先が震えるから後片付けの最中に落とす、割る。時々つまずいて倒れる。倒れりゃ怪我する。怪我されりゃ「困る」「迷惑だ」だから何もさせてもらえない。私が作った朝食を食べている間中父は延々と文句を言っていた。はぁ~疲れます気疲れします介護保険適用で週に3人も来るから私がいない時でも母には接してくれる人がいる。父は「ちやほやされている」「甘やかされている」と言うけれど。その父今まで何も家事をしなかったのが一手に引き受けているからそれはそれですごく変わったとは思うけれどでもね、母のぼけは悪循環だと思うんですよね。私が冷静に言うと「生意気だこどものくせに」「何でもわかったような顔をして」「心理学など、正しいかどうかわからない」「DVだというなら、訴えればいいじゃないか」「やれるもんならやってみろ」結局母が悲しむから最近の私は父の発言は聞き流していますけれど...ガスの元栓、閉めてきちゃいました。今の母には力がないし開栓できない筈。父の発言にも問題あると思うけれど母の行動も危ないし。その案も父に提案したら「一々面倒だ」でしたけれど...犬A君をいつ下ろしたのか記憶にありません。窓を開け放ってBIIIIで私があせっていた時煙幕でなのか父の剣幕、「これ、何だ!」でなのか嘔吐していました。犬A君君、繊細過ぎるよぉ!かくして私の仕事を一つ増やしてくれたのでしたとほほ...
Apr 3, 2005
この時間に起きる私我が家でなら考えられない。我が家でなら目が覚めてもコントローラーでTVをONして半ば覚醒半ば夢の中。とろとろ1時間ぐらいってのにつまり実家は我が家ではないんだなぁ。我が両親そこだけはたいしたもんだわ。時間に縛られるのは平日数回のごみ出しぐらいなのにちゃんと同じ時刻に毎朝起きる毎朝食べる。前なら二人に任せて私、もう少し眠っていたけれど何しろなんとなく不安で私、下に行く。私がこちらにいなければ不安感じていても仕方ないからあきらめるけれどここにいる以上何かはできると思うから早めに下に行こうと目覚ましかけても起きる私。さぁ今日も始まるどんな日が?犬A君が足元布団の上で寝ているから実家だと私は足が自由に伸ばし辛い...なんだか毎日寝不足気味?
Apr 3, 2005
父も母も生き生きとしていました。介護保険も適用され、先月からは看護婦さんが来てくれて来週からはヘルパーさんも来てくれるようになり父の愚痴も減り母に優しくなり母の笑顔も増え犬A君も嬉しそう。家の中に春風が吹いています。リビングで打っています。もう、「私先に寝るわ」と上に逃げて行って一階から聞こえてくる父の怒声にうんざりすることもなく...今日4月1日エイプリルフールだから上に書いたことの半分は本当だけれど半分は嘘。どこが嘘かって...さぁ...明日からも書けたら書きます。こんな調子で毎日がエイプリルフール調で書けるなら...少しでも理想に近い状態を夢想して現実逃避できるならそれもいいかもなんて思うほど...あぁあ!
Apr 1, 2005
時々分分秒秒是介護な正月目が離せない手が離せない気が緩まない月曜日にここに来て今日、正月何曜日?土曜日だとこどもが今教えてくれた。頭にある曜日はごみの出せる時年末年始たまるしごみの分別もここじゃ異なるし。老人世帯だとね曜日が違っても同じリズム土日祝日だからと言って寝坊するわけじゃなしまぁ規則的ではあるんだけれどテレビで連ドラが無いニュースが年間特集になる一年を振り返ってなんてやっているからあぁ年末なんだぁと思って紅白歌合戦がかかっているから大晦日なんだぁと感じるだけでおせち料理埼玉から注文したのが届いたから食べてこんな具合だからお正月だからといって年賀状がたくさん届いたからといって別に父の愚痴が減るわけでもなし母の体調がよくなるわけでもなしここ日々、毎時毎分毎秒介護私あと数日で自宅に帰るのよ私や家族が帰ったらたまに弟夫婦が来るだけよ歩行困難食事、ぼろぼろこんなでも誰かを入れるってこと拒絶する私が母を引き取ると言ったら父がものすごい剣幕で母が埼玉に行くと言ったら行け行け離婚でもなんでもしてやるあのねまだいくらでも書きたいことあるみなさまに相談したいでもうんもうそろそろ下に行かなくちゃあと数日は夫もいてくれるから夫の前では父も少しはおとなしいからその後は...最初にはもっといる予定だったけれどこどもや夫がいなくなったら父は私に狙いを定めて母の変わりに私が挑発されるから...DVですよ。最近は母に対しても言葉の暴力だけではなくなってきて参っています。だから埼玉に行くと最初は言っていた母も結局やめるみたいでどうにもできないどうしようもないごめんなさい新年早々暗い話出口が見出せないでもみなさまあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。REをいろいろいただいていて本当は返事をゆっくりと書かせていただければとは思うのですがこの状況では...とりあえず近況報告でした。ごめんなさい埼玉に帰ったらゆっくりみなさまのサイトにおじゃまして心の洗濯させてくださいませ。
Jan 1, 2005
実家に参ります。今日はまるで大晦日のようで大掃除も終えたしなんだか気ぜわしいんです。ノートPCは買いましたけれど実家に行く時にはモバイルの犬A君連れなので29日までバイトのあるこどもが30日に持ってきてくれることになっていてそれまでしばらくPCとはお別れなので...たぶん31日にはPCに接する時間もあるだろうとは思いますがもしかしたら年明け...かもですから少々早めですがみなさまよい新年をお迎えくださいませ。
Dec 26, 2004
少しずつ準備していてんで、何を考えたかというと、無理をしたら私が共倒れするかも無理をしないためには別の世界私個人の世界をあまり変えないことたとえば私のPC生活を実家でも維持すること今まで数日から一週間前後実家に滞在して犬A君共々就寝前まで個人の生活がなくてそれって大家族なら当たり前のことなんだろうけれどそして結婚前実家にいた頃なら両親に対しての距離が大してなくても当たり前のことだったのだろうけれどでもね結婚して20年以上核家族だけだったから今更ながらに実家での私という個人の距離感というのかなぁ結構難しくも感じるところがあってだからこの際せめてPC生活だけでも維持しようとノートを買っちゃいました。通信はモバイルにしてあるけれど持ち運ばないで実家に置き去りの予定です。モバイルこれ、光ファイバーにする前に使っていたんだけれどやめていて、それを再度設定してここまででも結構面倒だったのです。今モバイルの方から初めて自分のページに来ました。そう、さっきやっと設定終了。後は本来の自宅のPCに来るメールの転送を設定すればかなり自宅と実家でのPC環境が近くなるはず。でもなぁ親の前ではこのページにはこないだろうなぁ。せいぜいメールチェックとゲームぐらい?タイプライター、ワープロは使える両親インターネットを使えるようになってくれたら買い物も便利になるはずなんだけれど。さぁどんなもんでしょうか。一週間後には私実家に帰ります。あとから他の家族がこのノートを持ってきてくれるだってね、私私と犬A君の移動だけでたいへんなんだもん。
Dec 19, 2004
10/14以降、介護系の話、これで4つ目。ここまで読まれた方、これを惚けだと思われたなら違うんですね。はい、ちゃんと診断も受けています。錯誤記憶障害幻覚はあるけれど、これ惚けじゃないの。ましてやアルツハイマーでもないの。惚けやアルツハイマーだったらこんなもんじゃない。我が家にはアルツハイマーのDNAはないらしい。けれど血縁者の配偶者で20年ほど前に亡くなった女性がアルツハイマーだったから、アルツハイマー患者の介護が如何に大変かは、聞かされている。その頃は、介護保険なんてなかったし今より家庭内のことは女性が担当というのが当たり前の時代だったから義母の面倒を見たお嫁さんがとっても苦労された。粗暴になるし排泄物を投げる、食べるだったそうだし。それに比べれば我が母なんて可愛いもんだと思う。ただ困るのは幻覚なのかどうかが不明な場合。服んでいる薬で幻覚が出る。この幻覚がとっても現実味がある。あまりに現実的だから本当の事だと思って真剣に聞いていたら違ったり幻覚だろうと思って適当に聞いていたら本当だったり。この見極めが難しい。幻覚症状が出ていない時には幻覚のストーリーが幻覚だと認識しているのだから余計にややこしいけれど幻覚の時には幻覚を事実だと主張するわけだし。空き巣が入ったけれど防犯ベルに驚いたのか何も盗らずに逃げたのは事実。夜中に侵入者が枕元を物色したのは幻覚。夕食の後「私、食べていない」と言われた時にはとうとう此処まで来たかと一瞬ぞっとしたが、「私(今日はおつけ物を)食べていない」だと理解してほっとしたり。4日分の日記に両親の実体を書き連ねてきたけれどやっぱり私どうすりゃいいのかわからない。単純には介護保険適用申請してヘルパーさんを入れることなんだろうけれど10/14に書いたような事情でして。ため息ばかり。
Oct 17, 2004
いくつお財布持っていらっしゃいますか?私は一つ。新しいのを買ったら、前のは捨てる。いくつもお財布持っていらっしゃる方色は?母は財布をいくつも持っている。新しいのを買っても前のを捨てない。前のを用途別に使い分けている。新券用小銭用家計費用予備費用とかね。しかも同型同色。偶然にも私が今使っているお財布も同型同色。実家は二人暮らしなのに居室数が多い。その内、母の物が置いてある場所は4部屋。財布が見つからないと言う。これ、探すのとても大変。何しろ4部屋。引き出しや椅子の上を探して押入やクローゼット机や箪笥、戸棚を探して、そしたら玄関にあったり、前日1階にあったから当然1階だと思うといつのまにか2階に持って行ってたりせっかく見つけたお財布もこれじゃなくて別のだといわれたり。短期記憶が弱くなっているから少し前の事を思い出せない。これ年取らなくともストレスがたまると若くたってなるし私は私で更年期性の短期記憶障害が出ているからこの手の記憶力の減退は理解できるけれど。私のお財布も一度やられたの。同型同色だから母は自分が忘れている昔のお財布だと思いこんでもう少しで私のお財布も私の捜索対象にされるところでした。年を取ってからの転居はいけないと言われている。近隣と築き上げた人間関係を切り離すからというのもあるらしいけれど物の位置がわからなくなるからというのもあるそうだ。母が病気になってから父が台所に入るようになって父が父の便利なように父の基準で台所の物の位置を変え始めている。これが、母の混乱を促進させそして年に数回しか訪ねない私をも混乱させている。私だって短期記憶が怪しいのに、自宅とは別に実家の台所の物置場所まで場所を変えられたり容器を変えられたりされるととっても困る。調味料が見つからなくて料理に適当なお皿が見つからなくてあちこち捜索することになる。こういう体験させられると自宅でも物は単純に分け置き場所は決め同じ物をいくつも持たないってなこと今の内から考えた方がよさそう。半年前の母にはこんな記憶の混乱はなかったのに。
Oct 16, 2004
10/14の日記に書いたように、両親揃って外出しない。ともかく外出しない。できないわけではないのにしない。どうしても必要な時にはタクシー。タクシーに乗るために玄関から門に行くだけで息を切らす父足取りおぼつかない母というわけで昨日も書いたけれど母は月1回父は月2回しか外出しない。通信販売を利用したり通信販売では入手しにくいものは私が埼玉から送っているから食べ物には困らない。光熱費等の各種支払いも自動引き落としすれば良いから困らない。困るのは.....本人が行かなけりゃどうにもならないことの場合。父は、医者嫌い。数ヶ月前、奥歯が抜けた。義歯を作ればよいのに歯医者に行くのがやっかい。一度で済むわけないから最初から行かない。よって、固い物は食べられない。でも、これ、本人が納得ずくだからまぁ、よしとしても、母の乱視度合いが進んだらしくて視力が落ちている。私にも乱視はあるということになっているが普段の生活には支障ないしまだ老眼にもなっていないらしいけれど時々自律神経系でも頭痛でもないのに目が疲れていると一時的に乱視が出てきて視野がぐるぐるっていうのか定まらない時があるから乱視で気分が悪くなることはある。私の場合、年に2・3回あるかないかだけれど。母、朝は問題なく、たぶん疲れが出てくるのか夕方から視界が揺らぐらしい。就寝前になるとかなり目が見えない状態になるらしい。乱視は眼科に行かなくとも最近なら眼鏡屋さんで検眼して合った眼鏡を作れば改善されることはわかっている。ところがこれまた、一人では行けない、行かさない。私がタクシーを利用すると言っても近くに住む息子や義理の娘が車で連れて行くと言っても父が断固反対する最初は眼鏡屋さんに行きたいと言っていた母も父の猛烈な反対を前にひるみ発言撤回する。最近ではどうせもうすぐ死ぬのだから、眼鏡を作っても無駄だからなんて母は言っている。介護保険適用申請をすれば、眼科医も歯科医も家に来られるかもしれないのに。この母の視力低下が大笑いの元になったのだけれどそれは、10/22の日記に書きますね。
Oct 15, 2004
交通機関がうまく接続したって4時間はかかる所に住んでいる両親共に70代後半。弟たちはそれぞれ結婚しこどももいて私より近場に住んでいる。経済的には全く問題なし。いわゆるリッチな年金層。父は慢性の呼吸器系疾患で足腰は丈夫、頭も惚けていないし、年齢相当よりしっかりしている。けれど、呼吸器系疾患で動くのが辛い。20メートルも離れていないゴミ出しにも10歩ぐらいの新聞受けに行くくらいでも息切れしている。介護保険を使える一番下のランクには相当している。母は特定難病にかかっていて歩行にやや支障が出ている。頭は、惚けているというのではないが記憶がやや頼りなくなっている。介護保険を使える下から3番目ぐらいには相当している。けれどねぇ、この二人、介護保険を使いたくない。特定疾患の母は、申請すれば治療費全額免除になるし家の改修にかかる費用も一部返金されることになっている。けれど、一度も申請したこと無い。まぁ、これは、経済的に問題なくて払えるんだから払うって主張にも一理どころか税金を払っている立場としては、十分にほめられることなんだけれど。ヘルパーさんを入れること、絶対いや。介護保険の申請をしないのだから、ヘルパーさんを入れるのも難しいのかもしれないけれど。ともかく、他人を家に入れるのは絶対いや。申請に行くのが面倒、ケアマネージャーに来られるのがいや対応するのが面倒。そりが合わない人だったらと思うとうっとうしいらしい。母は外出、月1回。通院の時のみ。父は、母の通院に付き添うのと別に1回、食品の買い出しの、あわせて月2回の外出。父はもともと出不精だから外出月2回でも不満はないらしいそれどころかおおいに満足しているふしもある。母は、もともと毎日買い物に行く人だったから月1回の外出では気分が沈む。けれど一人での外出には父が猛反対する。私が実家にいられる時だけでも車椅子で散歩に連れ出すってこと提案したのだけれどそれすらも父は猛反対。車椅子を置いておく場所がもったいない。車椅子が坂道で走り出したらどうするんだ。段差がありすぎて危ない。母の気分転換にと通所サービスも提案したがそれも両親揃って反対。母のリハビリをかねた対応、母の体に触るわけだから娘である私にしか気を許さない。近くに住んでいる弟の奥さんは結構気を遣ってくれて我が両親に対応してくれるのだけれど体に触れることは、やはり無理みたい。そりゃそうでしょ。血の繋がった息子達にだって抵抗感あるみたいだものね。食生活は通信販売を最大限に利用している。自治体の弁当宅配サービスの利用を提案したけれどこれも他人の作った弁当で食中毒起こしたらいやだと拒絶。築10年以上の家だからそろそろあちこち壊れ始めている。お金はあっても、修理の人を入れるのが面倒で修理を依頼するのが面倒で修理をどこに頼むかを決めるのが面倒であちこち壊れたまま。危ない。私にやらせてくれるなら片っ端から連絡してなんとかしちゃうのだけれどその辺りはまだかくしゃくとしているので私に任せるのは いや。自分の趣味で自分の目で確かめたいらしい。かくして私は何もできない。在宅介護自分で抱え込むなっていわれるけれど抱え込んでいるのは両親達自身で.....まだ抱え込んでいられるだけしっかりしているのかもしれないけれど。どうすりゃいいのよこの私。あれじゃぁ老老介護どころか病人病人介護だというのに。ためいきばかりです。
Oct 14, 2004
母の体調が思わしくない部分があって、とても不自由で不便なんだけれど、それは治療することはできないけれどある物を使えば、かなり改善できてそのある物を購入する経済的な点では全く問題無くてでも購入には本人がそこに行かなければならなくて母は「行きたい」と、私には言うのだけれど母は歩行が不自由で父は母を家から外に出したくなくて父の前では私が同じ質問をすると「行かない」と答えて。これ、前回このテーマで書いた時に車椅子の購入でも同じ展開だったのだけれど要するに母は外出したくて父はそれを強行に反対していて娘の私が連れ出そうとしても父の目を盗んでしか可能ではなくて私は父の目を盗んで連れ出せても私はずっと一緒に両親と住んでいるわけではないから私が自宅に戻った後で父と母が喧嘩することになるし。この件では前も書いたけれど人権委員会とか福祉関係とか色々相談してみたくもあってでも結局母は父の前では本音を言わないしこの父の前で本音を言えないってこともそもそも問題なんだけれど。なんだか、奥歯に物の挟まった様な表現になっているのはこの件で横やりを入れている私の兄弟がどうも私のHPに気付いているらしい雰囲気があって話がややこしくなりそうなので、もっとも気付いているらしい兄弟は全然両親のこと気にかけてはいないのだけれど。無理矢理連れ出すのが正しいのかそれとも父の手前、母に不自由な思いをさせても喧嘩を避ける方が賢明なのか。もううんざりしています。やるせない。
May 18, 2004
どれを買うかは選んだ。クレジット・カードで決済できるし今注文すれば、私が実家に帰る前に届く筈。でも、全く歩けない訳ではないし、車椅子を置いておくスペースとか文句をいわれるかもしれないし、それに、本当に乗ってくれるかどうか微妙だったからとりあえず試乗するために貸し出しも検討してみた。私が実家にいるのは数日間だからその間だけ貸してもらえれば良い。両親が住んでいる自治体のHPを訪ねてみた。車椅子の貸し出しはしている。貸し出しの手続きが、並大抵ではない。使う家族の印鑑が必要で市役所までいかなければならない。ここで私、むかついた。話には聴いていたけれど介護保険を使うのも介護用品を借りるのも手続きでうんざりするというのは結構老人介護や福祉系の文庫等ノンフィクションで出ているけれどそれは少し前までの話でこれだけ批判されているから少しは改善されているものと思っていたのにこれじゃ、必要とする時に使えない。埼玉に住んでいて、つまり同居していなくて姓も違うからそれに市役所に印鑑持っていくわけでそんなことしていたら、数日間の滞在、借りる前に終わってしまう。書類手続きが面倒そうだったからやっぱり買って送っちゃえばいいんだと結論出した。昨晩母から母の日のプレゼントが届いたとお礼の電話があった。ついでに車椅子の事を訊いてみた。横から父が猛反対。坂が多いから危ない。こどもがいない時は使わないんだから、場所を取る,etc.etc.私は、うん、うん、うんと、母の言葉に相づちをうっていたけれど、頭の中も心の中も爆発状態。母は言った。どうせ後2年ぐらいしか生きられないんだから無駄だしって。どこまで母を虜囚の民にしておけばいいの?人権委員会に相談しようと思ったことも今まで何回かあった。物理的な暴力は振るわないけれどあれじゃ、精神的暴力。埼玉に、母を引き取ろうと思ったことも何度もあった。でも、結局母は耐えている。老夫婦の間にどういう感情の動き、つながりがあるのか私には、理解できない。いえ、心理学的には理解できるけれど、そこから抜け出すことを考えても実行にうつせないというのも理解できるけれど、納得はできない。かくして、二日かけて調べ廻った車椅子借りることも買うこともなくまたしても母に気分転換させる試みは失敗。数日間来週あたり帰省するけれど結局母の愚痴を聞いて終わるんでしょう。嗚呼.....
May 9, 2004
東京生まれ東京育ちの私の両親親戚付き合いがうっとうしいと、転勤先の市に、退職後も住み着いてしまった。老夫婦二人だけの生活。私の住んでいるのは埼玉だから、片道数時間かかる。数年前、母が転んで、骨折したわけでもないが、しばらく家にとどまっていてから歩行が不自由とまでは行かないが転びやすくなって、外に出られなくなった。正確に言うと、母は外に出たいのだが父が許さない。許さなくたって、出れば良いのにと、私は思う。坂が危ない、転んで、今度こそ骨折したら歳が歳だけに、寝たきりになる。みっともない、eetc.etc.もう2年間以上、ほとんど外に出してもらえない。外に出られないから陽に当たらない、外に出られないから少し外に出ただけで疲れるようになった。私が帰省した時には連れだそうとするが父が、猛反対。父と私が喧嘩すれば、苦しむのは母だからできるだけ喧嘩はしないようにしているつもり。結局、母は外にでられない。母が可愛がっていた犬A君が今我が家にいるのも小さいのがうろうろすると余計に転びやすく危ないからと母と犬A君は、泣きの涙でお別れしたのよね。先日、母の日のプレゼントは贈った後で、もうすぐ数日間帰省するつもりだからいっそのこと車椅子を入手しようと思った。そうすれば、私の滞在中だけでも車椅子で外に出られるものね。父は父で、車椅子を押す体力は坂の多い町並みで無理なのはわかっているから私がいる時だけあとは、弟たちが来た時にでもと思った。インターネットで検索した。かなりの数があった。室内用と外出用、旅行用介助用と、自走式、電動式木製、アルミ製、スチール製折り畳み可能、不可能値段も一万円台から数十万円まで。ただ、みな重い。平均17kgぐらい。これじゃ私だって嫌だ。あちこち検索して一応この辺かなと思う物を、選んだ。(車椅子 2 に続く)
May 8, 2004
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