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先日母の服を複数枚探しにショッピングモールやデパートをうろうろ何店舗見たのかもう数えられない・・・百近く?施設入所の母アイロンをかけるものはあんまり望ましくないらしく簡単に洗濯機で洗えるものが望ましいらしくこれって材質だけでも大変。コットンジャージ系じゃないと洗うのが簡単でアイロンが不要ってことにならない。ワンピース?介護でどっちが楽?上下分かれていた方が洗濯が簡単だろうしそれでも上、つまりT-シャツとかブラウス系はある。問題はスカート。10代20代のお店の方がたくさんあるし安い。安いから洗濯が簡単なものがたくさんある。30代、中高年の婦人物の階では質が良くなってその分クリーニングの問題が生じる。で限界を感じて少しは買ったけれどまぁ地元のスーパーの方が普段着の簡単に洗えるものがあるのではないだろうかと地元のスーパーに行ったらうっそぉそういえばデパート系でもスカートは少なかったけれど地元スーパーに行ったらスカート皆無・・・アッパッパー(わかります?)なら数枚だけあったけれど・・・いわゆるスカートが皆無。こんなに服飾文化が変化してしまった?そりゃ私もうずいぶん長い間家の中でもスカートはいていないしワンピースもたんすのこやしだしでもここまでスカート廃れた?たぶん介護紙おむつ交換のことを考えたらスカートの方が楽だと思うのですが・・・
Jul 14, 2007
エッセイのタイトル直後の冒頭の文章が「殴られる、蹴られるなんていうのは当たり前。ひどいのになるとコンパスの針で刺してきたりスタンガンまで持ち出す高校生もいる」うわっififまでいじめの実体?ぎょっ読み続けるべきかやめるべきか悩んででも頭は悩みながらも目の方は頭の悩みとは独立して進んで行くから・・・続きは…いじめではない…でもある種のいじめかも気になられたらauショップでifif入手してお読みになってくださいませ。う~ん・・・実体ではあるわけで・・・
Dec 10, 2006
30ってきりもいいしでも、まだ書き残したこともたくさんあるしどうしようかと思っていてそしたら昨日いじめ加害者に対して出席停止処分とか体罰って説が出ていると報道されて・・・出席停止・・・いまさらなによ。前からやっていいことにはなっていても実施できていないでしょ。それにあくまでもまずは被害者救済でその為には加害者を遠ざけるってのは正しいけれど出席停止じゃなくて加害者の方をせめて転校ぐらいにしてほしい。出席停止ってのは教育放棄よ。ただでさえ加害者って色々問題抱えているんだからそれを教育放棄したって結局反省しないわけだからその場しのぎになる。体罰?体罰が代々繰り返されるってのはもう心理学者じゃなくたって知っている筈。体罰はさらなる体罰、暴力を生むんです!次世代次次世代に暴力が引き継がれていくんです。どうしても体罰というならばもしかしたら被害者がされたことを被害者が加害者にするという形をとればある程度は被害者の傷は救われるかもとは思います。ただしちゃんと教育者立ち会いの下でならね。目には目を歯には歯をこれってね同じ仕返しをするっていうんじゃなくて同じ程度までよという過度な仕返しを防ぐ言葉なんだから。なんかなぁ31回目は書きたくないなぁ。明日から月が変わるし・・・だから色々ばらばらにまとまらないまま思ったこと、感じたこと、思いついたことなど書いて、終わりにしたい。*****これだけゲームがある国連の機関だってPCゲームを作って無料配布しているんだから、いっそのこと文科省さん無料配布ゲームを作りませんか?ネットでもできる印刷教材各クラス配布とか人生ゲームパターンでもカードゲームでもあまりつまらなくならないようにできる、でしょ?いじめ被害体験を加害者にさせるゲームとかいじめ被害者を救済するゲーム後者は、先生や教委用にね。もう先生や教委の世代だって充分ゲーム世代なんですから。*****被害者乗り越えても時折どす黒い思いにとらわれてそれにどうしても対人関係が臆病になります。深いつきあいに対して慎重になる。本当に信じて良いのだろうか。裏切られないだろうか。表面的でいれば傷つかないでいられるし。社会的に見て、マイナスでしょ。人間関係がよけいに希薄になる、でしょ。*****良い先生ほどつぶれます。適当にやっていられる先生ほど生き延びます。先生に限らずあちこちでそうなんでしょうけれど。教育というのが特に義務教育期間というのがこどもたちが大人社会に入っていくための基礎小さな社会の体験の段階であるならば、そこで良い先生に巡り合うことってとっても大事だと思います。だから良い先生がつぶされないようなシステムにして頂きたい。真剣にならなければ小手先だけではいじめは解決できません。児童生徒を見る目を持てる余裕があるようなね。現在の、提出書類がやたらと多いようなシステムなんとかならないものでしょうか。文科省が、都道府県教委が、市区町村教委が通達やなんだかんだと出す度に適応しようとしてつぶされていく先生も出てしまう。いじめの件でも、これだけ騒がれてそれで余計に忙しくなって結局子供達に目を向ける心のゆとりがなくなるなんてことにはならないでほしい。*****いじめの加害者それを見逃している大人全て人権意識の欠如だと思います。人権意識をしっかり育ててほしい。まずは大人から。大人の背中を見てこどもは育ちます。*****家庭教育力あるのでしょうかどんどん低下してきているように感じます。経済格差と無縁だとは思えません。必死で働いてそれでもworking poorだったらこどものことを見る余裕、ゆとりってどうしたって減る。*****通達や条例や法律それを守るのが大切なのではなくてそれで護られるのが大切なのではないでしょうか。強い者、権力を持つ者を護るのではなく弱者を護るのが法律本来のあり方だと思います。こどもを保護者を教員を教委を縛る法律ではなくてこどもが護られるそういう法律こどもの心を縛る法律はもうたくさんです。*****「いじめに関して」というタイトルで始まり途中で「いじめの構造」にタイトルが変わり一日に2つ書いた日もあり、25番は2つあり、結局11月中このテーマで書いてしまいました。コメントをお寄せいただいたみなさまありがとうございました。「後日触れます」と書いておきながら触れていないことがございましたら申し訳ございません。当面、このテーマは休題にいたします。いじめ被害者の方たぶんここまで読む勇気のあった方はもう乗り越え間近なのだと思います。私こうやって30回書き続けて一つだけ良かったかもしれないと思っています。私の乗り越えた度合いが少し上がった、みたいです。被害者のみなさん発言しましょう。書きましょう。少しずつその方が少しずつ楽になります。*****こちらへの訪問者数最初の頃より1割は減りました。マスコミでとりあげられる頻度も減ったように感じます。いじめそのものが減ったのではないと思います。世間の関心が減っただけ・・・氷山の一角から氷山全体の内ほんの少しでも救えたのでしたらいいのですが。でもいじめは続く続かないでほしいけれど。こういうことを欠かざるを得ないのは最終回であってほしい・・・
Nov 30, 2006
今日のはどす黒いです。いじめの加害者私の加害者だった相手を憎み続けました。同じ名字の人、同じ名前の人に出会った時加害者を思い出しては、加害者を憎みました。出会った人に対しても、先入観を持ってしまいました。小説を読んでいても、同じ名前だと思考と感情がそちらに流れました。幸いそれから40年近く会っていませんが10年ぐらい前、いえ5年ぐらい前まで憎み続けました。我が子の加害者を私は今も憎み続けています。同じ名字、同じ名前に巡り会うとぞっとします。以前、我が子の加害者を私がいかに憎み続けているかここの日記に書いたこともあります。どす黒い思いにどっぷり浸かる時があります。どういう時かって?いじめ被害者がいじめ加害者を殺害したという報道があった時。普段は死刑を国家による殺人だと思いテロや戦争を殺人行為と思う私ですがいじめの被害者がいじめの加害者を殺した時にはやりきれない思いと同時にとても同情してしまうのです。いじめ加害者の命を奪っていじめ被害者は殺人加害者になるそこまでわかっていても殺してしまう。そこまで怒りが悔しさが数年間、数十年間続くってこと私は理解するから。呪い殺せるならば呪い殺したい。いじめ被害者は正義の鉄槌が下されなかったことに割り切れなさを感じる。たとえ正義の鉄槌が下されたとしてもいじめ加害者がいじめ被害者の心境に至るまでいじめに遭うわけではないから。我が子の加害者を街でみかけた時視線で殺せるものならば殺したかった。いじめ被害者による殺人事件が起きる度にその件以外のいじめ加害者がもしかしてぞっとしているならばそれぐらい嬉しいことはない今でもそう思う私です。私に対する加害者我が子に対する加害者への怒り憎しみで眠れなくなることがあります。呪い殺したいと呪いがかけられるならとどんな死に方させてやろうかと考えているとどんどん眠れなくなる。とってもよくない状態になるわけです。どんどんマイナス思考になるわけです。どんどん消耗していくわけです。眠れなくなります。殺意を抱くと結局余計に自分が傷つくわけです。被害の辛さを思い出したくないから加害者をうらんで眠れなくなるのはいやなものです。これほどにね長く続くんです。だからいじめなんて昔からあったとかいじめなんて自分だって被害者だったしとか自分だって加害者だったしとかどこにでもあることですよとかそうやって成長していくのですから加害者にも人権があることですから等等等等等加害者や加害者保護者や学校関係者の口から聞きたくない。マスコミのコメンテーターの口から聞きたくない。そういう軽い口調で扱わないでいただきたい。私、この年になっても少しは引きずっているんですから。被害者はねいつまでも考えるんです。どうして?なぜ?どうして加害者は平気で生きている?どうして?加害者にはどういう背景があった?どうして?加害者がいじめた理由は?いつまでも考えるんです。知りたいんです。なぜ?どうして?生命をかけて自殺して被害を受けたと遺書残してそれでもいじめが自殺の原因ではないそんなことを言える方々が信じられません。いじめ被害者は私みたいに書きます。いつかは書きます。でもいじめ加害者は書かない。罪悪感があるからならまだしもたぶん、記憶すらしていない?いつまでも把握できない。やっぱり加害者得これ変。変だと思うまま生きていく。加害者も生きていく。加害行為は記憶から薄れて?いえいえ被害者が自殺した場合の加害者はやっぱりいくつになっても覚えているでしょうね。ざまぁみろ。被害者が加害者を殺したという報道があればもしやと少しはぞっとする?ざまぁみろ。もしいじめ加害者がこれを読まれているならざまぁみろずっと被害者に殺されるかもしれないって思い続ける恐怖感被害者に自殺されたから味わったかもしれない後悔をずっと生きている間中味わっている辛さそれをたっぷり味わいなさい。ざまぁみろ!これが正直な気持ちよ。
Nov 29, 2006
いじめには首謀者がいます。首謀者の周囲の同性が加害者集団になっていきます。首謀者の周囲の異性が加害者集団をとりまくようになっていきます。被害者の友人でそれほど親しくないものが離れていきます。被害者の親友ですら離れていく場合もあります。完全に孤立する。こんなこと私が書かなくたってわかりきっていること、でしょ?これがロールプレイングの手法でできないものでしょうか。(実施例を見たことはあります。ってことは逆にいえば、それほど実行はされていなくてまだ珍しいのでしょうか)被害者の置かれた立場を加害者に体験させる。実は私一度だけ(前の前の日に書いた友人の一人)先生をしている友人に頼まれてある学校のあるクラスでこのロールプレイングに似たことをやったことがあるんです。教員免許が役にたちました。じゃないと教委が校長が許可するわけなかったみたいです。私がかつていた事のある国から外国人家族が来日していてそこのこどもが日本の公立学校で孤立している悪口を言われている日本語がわからないから教科もわからないとされてバカにされている。いじめの初期状態なのでなんとかできないかという相談を持ちかけられました。担任と相談の上担任から私が道徳の授業を30分頂きました。私が何をするつもりなのか担任ですらまともには知りませんでした。担任から紹介された直後私その子の国の言葉で30分間授業をしました。一切日本語を使わずに。その子だけは私が何を言っているか判る。他の30人前後の日本人は全く判らない。全く判らない言語で話され板書される授業がどれほど辛いものなのか30分間ぼうっとした顔がたくさん。ジョークを入れていましたからその子は笑う。その子だけ笑う。他の子達はとまどい顔。それでね私の授業の後、担任、一切フォローせず。後は自分達で考えなさいってこと。その後その子へのいじめはほとんど無くなったそうです。このパターンの難しいでしょうか。加害者が多数だったからこういう方法が採れたのでしょうけれど。加害者が被害者の立場になるって難しいでしょうか。案外加害者ってもろいから強がって大きく見せようとしているから加害者を被害者の立場に立たせるとうっかりそれこそ登校拒否でもされたり万が一自殺でもされたりしたらと思うと危なくてできないですか?でも被害者はそれだけ苦しんだのに?加害者矯正法としては考慮されてもいい手法だとは思うのですが。あちらこちらの先生方いかがですか?
Nov 28, 2006
水洗トイレが増えてきた頃家での葬儀が減ってきたそうです。だから死にお目にかからない子が増えてきたそうです。だから知人友人同級生を死に追いやることが平気になるそうです。TVゲームが増えてきて暴力シーンが増えてきてだから暴力に対する抵抗感がなくなりだから死んでも生き返ると思っている子が増えてきたそうです。そうなの?関連があるようなでも、ほんと?私は疑問に思います。たしかに死を目にする機会が減れば死を意識することが減れば死がTVやゲームであふれていても死と生命の関係がわからなくなる?あくまでも個人的な範囲での認識ですが自殺を考えたことの無い人は平気で人をいじめる。いじめの加害者になるような感じがしています。自殺を真剣に考えたことあります?あるいは死と生命の教育を受けたことあります?私が高校生の頃倫理社会という教科がありました。必修でした。今必修の世界史ですらうっかりすると履修しないわけですからきっと倫理社会なんて先生も少ない?という話も聞いたことありますし。人間、なんで生きるのか私はいまだに答えを見いだせません。答えが見いだせなくてかといって自殺するとみんなに迷惑かけるしでもしたいことは全てしてしまったし生きている理由は特になくて一年半ほど前でしたっけ都知事の発言ありましたよね。ああいうの聴くと個人的には納得してしまいます。まだ高齢者の枠に入るにはだいぶある私ですけれど年金はどれほど少ないだろうかわからないですし消費税はアップする可能性ありますし医療費はアップしていますし介護保険もどこまでせばめられるかわかりませんし国家による国民いじめの感もありますし少子化の上に自殺者が増えてきて今の年金システムでは高齢者を支え切れなさそうですしなんで生きていなくてはいけないのか。いじめに遭った時にも自殺を考えました。思春期の時にも自殺を考えました。今は上に書いた様にただただ自殺すると周囲に迷惑かけるから。生きてはいますけれど。周囲に迷惑かけたくないから自殺してしまう場合もあるわけでもう辛いから生きていて辛さに耐えられないから自殺してしまうわけで生きているのもわずらわしいから面倒だから自殺してしまいたいと思うこともあるわけで。もう考えるのも面倒になって自殺してしまうこともあるわけで。疲労の極限で発作的というのもあるわけで。ですから自殺を考えたことは何度もあります。でも殺人事件がある度に交通事故死者が出るたびに戦死者報道がある度にテロ死報道がある度に自殺の報道がある度にとても辛いのです。私の知らない人々なのに本人の意志でもないのに死ぬ人が出るのは辛いのです。自分が死ぬのはよくても誰かの命が失われるのは特に若い命が失われるのはやっぱり辛い。何のために生きているのか私にはいまだ答えが出せません。でもこの周囲を辛くさせないために生きているって生き方もあるのかもしれません。いじめに遭って自殺を考えた時色々自殺方法を考えました。首をつって死ぬ?中学校の同級生に二人いました。舌がはみだして、脱糞して、きれいじゃないのね。脱糞は腸の筋肉がゆるむから排泄してしまうわけで腸や膀胱に何もない状態でなければ脱糞、失禁はあるわけで。鉄道に飛び込む?遺体はばらばらになるしあっと言う間に死ねるからでもね、周囲はたいへんよ。電車が止まったあいだの補償金。薬をたくさん服む?たくさん服んで死ねる薬って少ないそうです。高校の同級生に一人いました。3度試してやっと3度めに死ねました。最初の2度の後ただでさえ死にたい上に胃腸の調子が悪くなって余計に苦しんでいたそうです。高い所から飛び降りる?地面につくまで結構長いそうでその間にあっしまったやっぱり生きていようって思っても遅いでしょ。凍死?寒いし死ぬ直前になぜか暑く感じて衣服を脱いでしまうそうですし。刃物で刺す?中学の同級生と高校の同級生それぞれ一人ずついました。血まみれになってそれに痛いでしょ。食物の入手できない所で飢え死にする?飢え死にって相当苦しいらしいですし飢え死にする前に発見されること多いらしいですし。ミイラになろうとした方々哲学・宗教学んでたから耐えられたのだろうし。こうやって色々考えはしました。でもねなんであいつのために私が死ななきゃいけないの?ここでばからしくなったのですけれどね。ばからしいでしょ。あいつの為に自分が辛くてそれで自分が死ぬなんて。しかも楽に死ねる方法なんてほとんど無いに等しくて。それでも自殺、したいですか?せめてあいつのやったことやった日あいつのひどさ自分の苦しさ自分の辛さ全部書き出してからでないとあなた死に損。周囲がどう嘆くかどう悲しむかそんなのどうでもいい?死ぬ気になったら何でもできるでもねそれすら感じなくなることもありました。今の私もそうかも。でも、今の私、したいこと全てしてしまったし。若いならしたいこといっぱいあるでしょ。今は無くなってしまっていても少し前まではなりたいものしたいこといっぱいあったでしょ。自分がどう生きていきたいか書き出してみるとそれを物語にしてみるとどう生きたいかのためにどうしたらいいのかもしかしたら生きる道がみつかるかもしれません。自殺を何度も考えた私です。でも生きています。中学高校の同級生達が何人も自殺していってそれでも生きている私です。これが生きるってことなのでしょうか・・・「食べるために生きる」母の言葉です。DV父の「おまえは何のために生きているんだ」の発言への答え。すごい、でしょ。これでもいいんですよね。だって何のために生きているなんてわかりっこない。それぞれ答えはあるかもしれないけれどみんなに当てはまる答えなんてないのかもしれないし。まぁね人間はいつかは死ぬわけで何も急いで死ななくても結局は死ぬわけでそれまで生きてみましょうよ。ねっ。
Nov 27, 2006
私には教員をやっている、やっていた友人が多いのです。私は学校や教員のカウンセラーをしたことはありません。教員免許は持っていてもカウンセラー免許は持っていないし。ですから今からここに書くことは友人として聞いたことであり私には守秘義務は発生しませんから。いじめに遭ったこどもがいてそれを学校や教委に訴える親がいる。学校はね申し送りをするわけです。(我が子の場合もそうですけれど書面には残さないのよね。口頭でね、それすら我が子の場合はされなかったわけですけれど)いじめの被害者だったとかいじめの加害者だったってのは申し送りされるべきことでしょ?でもねそれよりもなによりもうるさい親ってのが申し送り事項になるそうです。変でしょ。友人の子つまり教員の子がね雑巾を持って行くのを忘れたそうです。担任はその子の服を脱がせてその服を雑巾がわりに使わせたそうです。変でしょ。別の友人の子大病を患い入院していました。退院してでもまだ完璧な体調ではなかったので初登校の日には診断書も持たせました。担任は今までおまえがやらなかった分みんなが掃除を分担したんだから今週はおまえ一人で掃除区域を掃除しろ、と。変でしょ。別の友人の子癖毛でした。高校入学以前にそういうことを届ける用紙があってちゃんと届けたのに頭髪検査てひっかかりました。パーマかけているって。なんの為の届け出だったのか。変でしょ。別の友人の子喘息持ちでした。でも脚が早かったんですね。学校対抗のリレー選手に選ばれて強化チームに入れられて本人が喘息持ちだと伝えたらその学期から体育の成績はいくらペーパーがよくても真ん中より下の成績がつけられるようになりました。授業にはちゃんと参加していたのにね。変でしょ。別の友人の子体罰を受けました。教委に訴えました。教委は何もしませんでした。体罰をしたのが教委内部者の配偶者だったから。変でしょ。別の友人の子地毛が黒ではありませんでした。中学入学前に届け出ました。頭髪検査で引っかかりました。染めているって。届け出ていたのにね。放課後残されて注意されて。変でしょ。それを知った同級生で私の知人の外国人の子本来茶髪だったのを黒髪に染めました。染めるのがいけないのか茶髪がいけないのか変でしょ。別の友人担任をしているクラスの子の親からクラスの子が体罰を受けたと報告された。体罰したのは特別学級を運営していた教委所属の先生。担任は校長に報告したけれど校長は教委に報告できなかった。というよりどこに報告したらよいのか困ったそうな。当の教委内部に体罰加害者がいるわけだから。これね先生達から聞いた他の先生達の話です。実例いくつもあるでしょ。届け出ても診断書持って行っても無視される。私や我が子が関わった先生達でもそうでした。アレルギーがあることを学年が始まる前に渡される用紙に記入してもアレルギーはわがままだと思われたりね。アレルギーで食べられないものがあるのに好き嫌いだと思われたりね。音楽の授業の間何も教えずお説教ばかりそれもその先生個人の怒りばっかりなんて先生とかね。これ、多い?私も我が子も体験している。授業はただただ教科書を棒読みする先生とかね。授業は、宿題に出した問題集の答えを解説もなくただただ読み上げる先生とかね。自分のクラスの可愛い子の側から集会の間中離れずにいてしかる理由もないのにしかっていた先生とかね。これ、私の側で隣のクラスの担任がしていたこと。毎週の様にされていたのね。怖いというか気味悪かった。授業をできない先生免許を持っていないのに教えるからまともに教えない先生とかね。どこのクラスであれどこの学年であれどこの学校であれ授業ができない先生とかね。こんな先生達を再教育するシステムって今、あるでしょ。でもね友人の話に拠ると校長が届け出ない。校長が届け出ても教委が受け付けない。市区町村教委が受け付けても都道府県教委が受け付けない。公務員だからあの先生にも家族がいるから組合ともうまくやっていきたいし退職間近だし別の学区にたらいまわしすればいいしってのが理由だそうですけれどここの上の方に書いた先生の子供達の担任私が知る限り、定年退職者を除きまだ教員やっています。こういう人権に無感覚な先生ばかりではないってのもちゃんとわかっていますよ。でもねこういう先生達に出会ったら一年間、うっかりすると数年間不幸よね。文科省がいくらがんばっても都道府県教委や市区町村教委が校長が管理職が組合がはしにもぼうにもかからない教師を野放しにしている。ほんとはそういう一握りの問題教師を野放しにしているから教育に対する信頼が失われてだからいじめがあっても親は学校に相談しない。こどもは担任を信頼できない。怖いと思いませんか。文科省がいくら言ってもどうにもならないならもしかして文科省の指導力こそが問われている?
Nov 26, 2006
姑にいびられたから自分が姑になった時に嫁をいびるこの構造、いじめと同じ…でもたぶん、たぶんですけれど本当にいじめに遭った人なら他人をいじめないと思いたいのです。少なくとも私の知る限りいじめに遭った人は他人をいじめない。もしいじめに遭ったから誰かをいじめるのだったらいじめに遭ったのは本当のいじめではなかったのではないでしょうかと私は思いたいのです。自分がいじめに遭ってどれほど辛い思いをしたかをきちんと認識できたなら他者をいじめることはあり得ない。でもね人間って浅はかな者らしくて戦争被害に遭うと戦争加害になろうとする。自分が強くなって相手をやっつけようとする。それってやっぱり変いつまでも続いてしまう。どこかで断ち切らないといつまでも続いてしまう。嫌でしょ?嫌と思えるならばあなたは他者をいじめないでください。お願いします。みんながそう思えるようになったならいじめが無くなったら戦争も無くなるかもしれませんし。
Nov 25, 2006
あなたは正義感が強いですかあたなは転校生ですかあなたは背が高いですかあなたの親は会社員ですかあなたは太っていますかあなたは個性が少ないですかあなたは離島に住んでいますかあなたは清潔ですかあなたは優等生ですかあなたは茶髪ですかあなたは目が小さいですかあなたは東京出身ですかあなたはまじめですかあなたは長髪ですかあなたの親は修士号博士号を持っていますかあなたは大声ですかあなたはおしゃべりですかあなたは視力が良いですかあなたは脚が短いですかあなたは日本から外に出たことがありませんかあなたは足が遅いですかあなたは二重ですかあなたは沖縄出身ですかあなたの家は農家ですかあなたは鈍いですかあなたは両親以外の人と住んでいますかあなたは妥協しますかあなたは友人が少ないですかあなたは背が低いですかあなたの親は中卒ですかあなたは体育が苦手ですかあなたは痩せていますかあなたは汚れていますかあなたは劣等生ですかあなたには好き嫌いがありませんかあなたは北海道出身ですかあなたは大食ですかあなたには得意科目がありますかあなたは男らしいですかあなたにはあざがありますかあなたは東北出身ですかあなたは女らしいですかあなたはクラブや部に入っていますかあなたは下級生ですかあなたは片親ですかあなたはダブルですか?あなたの親は裕福ですかあなたは個性豊かですかあなたはめがねをかけていますかあたなの親は高卒ですかあなたは暗い性格ですかあなたは色白ですかあなたの親は商売をしていますかあなたは黒髪ですかあなたは野球やサッカーの選手ですかあなたは一重ですかあなたは短髪ですかあなたは外国に行ったことがありますかあなたは小声ですかあなたの親は公務員ですかあなたはふまじめですかあなたは口数が少ないですかあなたは都道府県庁所在地に住んでいますかあなたは視力が悪いですかあなたには両親がいますかあなたは脚が長いですかあなたは歯列矯正をしていますかあなたの親は大卒ですかあなたは水泳が得意ですかあなたは足が速いですかあなたは敏感ですかあなたは目が大きいですかあなたには苦手科目がありますかあなたは女々しい男ですかあなたの家族は代々そこに住んでいますかあなたは女々しい女ですかあなたはクラブや部の部長をしていますかあなたは上級生ですかあなたには両親がいますかあなたは関西出身ですかあなたの親は貧しいですかあなたは明るい性格ですかあなたは色黒ですかあなたは何でも食べられれますかあなたは小食ですかあなたには友人が多いですかこのどれにもあてはまらない人っていないでしょ。このどれかにあてはまれば、いじめに遭う可能性はあるのです。誰でもいじめに遭う可能性はあるのです。いじめは無いに超したことはない。けれどいじめはいつでもどこでも誰にでも起こりうる。要は起きた時に早期に対応できるかできないかではないでしょうか?早期に解決されないとトラウマになる。どこにでも起こること先生が気付かなかったってそれを責めたって仕方ないの。いじめがあることがわかった時にきちんと対応してほしいの。隠さないで。そしてまずは被害者を救ってください。とことん救い出してください。これが中途半端だからトラウマが残る。その後必ず加害者への対応をお忘れなく。これが一番怠られている。正義が曖昧になると被害者のトラウマになる。正義が曖昧になると加害者は続ける。正義が曖昧になると傍観者の正義感がゆがむ。
Nov 24, 2006
加害者を訴えるという視点があります。はい、もちろん、私も考えました。自分の時ではないですよ。我が子の時ね。でもね、これって難しい。心身症になってもその原因がいじめの加害者だということが親も本人も判っていたとしても医者がそこまで断言して診断書を書くわけではない。医者が書いてくれたとしてもそれを法がどこまでとらえるか。証拠は?因果関係は?いじめの被害者は概ね未成年ですから発言には親が尽きそうことになる。親の前で、どこまで詳しく語れるか。未成年の主張や発言をどこまで法が認めるか。DVやパワハラでも被害者の口は重い。成人でも話したくない。傷を広げることもあり得る。(何度も何度も話すとだんだん客観視できるようになって楽になるとも言えるのですが)身体に傷があるならば写真を撮れる。診断書も得られる。書面のいじめなら証拠になる。でも言葉の場合は?録音してありますか?録画してありますか?最近は自分のこどもがいじめに遭っている可能性が高い場合探偵社などに依頼して録音録がもするそうですが。最近は携帯やネットでの誹謗中傷が増えてきていてこれならば証拠として残せますけれど。日本の社会ってもめごと、嫌いでしょ。警察沙汰とか裁判沙汰って嫌がられるでしょ。警察に連絡して裁判で勝ってでもその後今の日本の社会って穏やかに暮らせるわけではないでしょ。逆恨みされることもあるでしょ。私など保護者会での発言だけで充分逆恨みされたらしいですし。つまりね大人が作っている社会がすでにいじめを表面化させない雰囲気に満ちているんです。だから児童生徒のいじめを無くそうとするならば大人社会のいじめ類似のDV,パワハラ、セクハラ等を無くすしかない。こどもは見ています。いかにずるく立ち回るかを。正義って何なのか。正しいことが正しく行われないのを見せられて育つとどんどんそうなる?悪循環。
Nov 23, 2006
例えば日本での被爆者例えば韓国での元従軍慰安婦例えばハンセン(氏)病患者戦争や病で弱者になってそれだけでもたいへんなのにさらに迫害される。なぜ?身体の中に病原菌が入ってきたとき免疫機能が働いて病原菌を追い出そうとする。生物とはそういうものでだから生物の社会もそうなる?だから異質なものを排除しようとし、排除された弱者は余計に迫害される?日本での被爆者を作った原爆を作った人、落とした人、国家韓国での元従軍慰安婦を作った当時の日本、買った男性、ハンセン病患者を駆り立てた官憲、隔離した制度法律的に裁かれることはあっても加害者側は迫害されない。強い者にはまかれろ寄らば大樹の陰親方日の丸今も経済格差の中で勝ち組と負け組に分かれてきていてどうもどういう状況でも人間って勝ち組、強い方に付く?勝ち馬に乗りたい?判官贔屓って言葉もあるけれど…利己的、自己の生命を守るためには自分の生活を守らなければならなくてそのためには勝ち馬に乗る?政治家達も利他的に見えて利己的権力争いこれねいじめと関係ないと思われますか?ここが解明されないと強くて声高な首謀者に取り巻きが付いて傍観者が付いていじめの被害者が出て被害者は救済されずいじめの被害者だったからと余計に迫害されて加害者には正義の鉄槌は下されずってことになるわけで。利他的他者の利益のためにどこまで動けるか…どこまで同情できるかどこまで行動に移せるか相手が動物だと徳島の犬埼玉の熊みたいに保護しようとする利他的な行動を取ることもある人間。他者が幸せならば自己も幸せになるそういう発想ができるようになればいじめもなくなる戦争もなくなるのでは?
Nov 22, 2006
一昨日昨日と書いたように私の場合は給食が食べられなくなり我が子の場合は微熱が出てでもそれって学校にいる間だけなんですね。私は家では普通に食べられていましたし我が子は帰宅すると微熱は下がる。これでは学校も親も分かりにくい。私の場合は担任に手紙を書いて我が子の場合は私に伝えてきてそれでやっと何が起きているのかがわかったのでした。でもね思うんです。私の場合は担任が対応して下さった。我が子の場合は私が聴けた。けれどまず信頼できる友人をも疑い始め担任に相談しても気のせいだ、おまえが悪いんだ、今忙しいから、後でとなったり親に相談しても気のせいだ、おまえが悪いんだ、今忙しいから後でと後が無い聴く耳持たないそれって本当に忙しい先生や両親だったら普通に口に出してしまう言葉、でしょ?口に出して相談するまでにも相当の心理的葛藤があってやっと口から絞り出して入り口でシャットアウトされたら…すぐに対応されなかったら…絶望してしまう…そういう意味でね、文科省に手紙書くって書けただけでもすごいこと。その書けた内容に対応されなかった場合…とても恐ろしいです…我が子、小学校の低学年ででも自殺を考えたのです。ましてやそれより年齢が上でしたら…
Nov 21, 2006
我が子の場合やはり症状は学校内でのみ出ていました。微熱。最初の内は月数回その内週1週に何回もになってきて「お子さんが微熱です、迎えにきてください」と非常にしばしば電話がかかってくるようになって保健室にしばしば迎えに行くのですから保健室の先生とも顔なじみになり…「ストレスでしょうか…」ってな会話。親の私、異常だとは思いました。もしかしていじめ?そうも思いました。一緒に入浴していた頃ですからこどもの身体をよく見ました。傷もあざも無い。喧嘩している?いじめられている?尋ねました。否定の返事。いじめでなくとも学校に行けばなんらかのストレスがある?なんて思っていていじめだなんて思ってもいなかったある夕方、「お母さん、明日から学校に行かない。」私に抱きついてきて顔を隠して涙を流して(我が子が言った言葉まだ覚えています。でも、それを明らかにはしたくないので)「死ぬ」とはっきり言いました。理由も告げられました。授業中、休み時間中、給食中、下校時つまり登校時を除いて四六時中いじめに遭っていた。言葉と暴力と。どうして傷もあざも無かったのか…首謀者も首謀者の周囲も皆、上手。見つからないわからないようにしていた…先生にも親にもわからないように…小学校の低学年でですよ。したたか悪意がはっきりある。犯罪者の素質。今それからずいぶん経ったのにこれを書いていて涙が出そうになります。だからまた明日。
Nov 20, 2006
我が子の場合もやはりほぼ3カ月間誰にも相談しませんでした。私が相談したのは担任。担任を信頼していたから、できたことです。我が子が相談したのは私。私の場合も我が子の場合もほぼ3カ月間誰にも相談しなかったのでした。その間いじめに遭い続け、なにも無かったか…そんなことありません。私の場合その年齢では私の状態がいじめに拠るストレスから来る心身症だなどとは本人ですら気づかなかったのです。給食が食べられなくなりました。喉を通らないのです。でもねそれに気付くのって学校での私を見ている人でしかない。家では朝食も夕食も普通に食べられていましたから家族が気付くわけがない。給食をほぼ毎回残す残すのはだめだったから食べ終わるまで昼休み時間がなくなる。幸いなことに?別の理由で給食を食べきれない同級生っているわけでその子達の解決方法担任がいないすきに大食漢の誰かに食べてもらうとか水洗トイレに流すって方法でごまかしてしまっていましたから担任も私が毎食のように食べられなくなっていたことは知りませんでした。
Nov 19, 2006
被害者が最初にいじめに遭った時、最初からそれがいじめだと被害者本人ですら気づくなんてことはありません。いじわる、暴言、乱暴だとはわかっても驚くのです。なんで?いったい何?何度も繰り返されて自分が的にされていると気づく。それでも、原因を考えてしまう。自分は何か悪いことをしただろうか。自分の感じ方、とらえ方は、変なのか。「いじめ」という言葉で定義されるより先に状況が発生していて「いじめ」に遭っていると気づいた頃にはかなり孤立している。気づくのはそれまで親しかった友人達ですら距離を置き始める頃。親しい友人ですら加害者側かもしれないから友人にも相談するのをためらい始める。先生に言う?親に言う?自分は○年生として、○組の児童生徒として先生との関係を保っている。先生から見て、普通の児童生徒でありたい。自分はいじめに遭うくらいひどい子なんだなんて思われたくない。家庭とは別の世界自分が触れている、親のいない自分の世界で自分はちゃんと普通に生きている、毎日ちゃんと生活しているそれなりのプライドが幼くたってあるんです。まして思春期に入り始めたこども達なら親の力を借りずに自分の手で解決したい。親に心配をかけたくない。今でも自分を振り返ってどうして初期に黙っていたのか誰にも相談しなかったのかその心境をはっきりとはつかめません。トラウマだから思い出せないのか嫌なことは忘れようとしたからなのかともかくいじめに遭い始めてほぼ3カ月間、私は誰にも言いませんでした。
Nov 18, 2006
どうして見抜けないか。そんなにたやすく見抜かれるような行動を加害者はとりません。概ね放課後あるいは休み時間授業中でも、先生が板書している時あるいは自習時間。下校時の道や公園で校舎外の掃除場所でトイレで。加害者には悪意がある。だから隠す。当然、人目につかない場所を選びます。そして被害者も…これが問題なんですけれど、この心境、いじめに遭った人なら体験したことあると思います。(詳しくは別の日に書きます)ともかく被害者も隠してしまう。つまり両親や担任がいじめはどこかにあるもんだと最初から思っていて注意していてもなかなか気づかない。加害者が被害者の側にしばしばいるのを見ていても加害者と被害者が仲間、友人だと誤解してしまう。加害者はそう装うし被害者もそう装う、装わせられる。見抜くのはかなり難しいと思います。被害者だった私の場合もそうでした。我が子が被害者だった時もそうでした。
Nov 17, 2006
11日に自殺をするという予告「証明」の手紙を文科省大臣に出した方いたずらだったという見方もされていますが、本当だという前提で対応した文科省、よくやったと思います。今までにも、同種の手紙は届いていた筈だと思います。私も、我が子の時、いっそのこと文科省に書こうかと思いはしました。握りつぶされるだろうと思ってやめましたが。そう思った親や子が全国にどれほどいらっしゃったのか。そう思う親や子が全国にどれほどいらっしゃるのか。今回は握りつぶされなかったのですね。我が子がいじめに遭った時結局地元の教育委員会にも報告されていなかった件、私はそれ以上報告しようとは思いませんでした。報告されていれば都道府県教委から文科省へと連絡が行き統計に含まれていじめ対策をより強化する一助にはなったのかもしれませんが。その後の全国で続くいじめを少しは減らす役目を果たせば我が子がいじめに遭ったのも無駄にはならなかったと考えることもできたのかもしれませんが…11日に児童生徒の自殺があったのかなかったのかあるいは文科大臣が対応なさったから、自殺をやめたのか豊(島)~の学校の先生方が努力されたからなのか本物だったと仮定してあれを書きたくなる感情は理解できます。もしかしたら11月11日に自殺されたいじめがあった時よりもずっと後になって自殺されたお子さまをお持ちの保護者が書いたのかもとも私は思っていたのですが、「証明する」という言い方に幼さを感じたのでやっぱり本人。いじめに遭っているのか過去のいじめをまだ乗り越えていないからなのか。それほどにうらみは持続する…あの翌日どこかのTVでコメンテーターが「いじめの加害者も、担任も、親も、教委も、何もしてくれないからという所に、他力本願が感じられる。自分でなんとかしようとしないという部分が云々」と語っていました。あっ、この人、わかっていないんだなって、2点で思いました。1点目、そういう感覚になるんです。どうにもできない、大人はわかってくれないまして、あの手紙の場合、担任にもそっけなく対応されていたわけで。2点目、せっかく、文科省、文科大臣が対応しようとしている時に他力本願という言い方。いじめに遭っている児童生徒ってプライドがとっても傷ついている。誰に相談するのも辛い。親や担任を信頼していればいるほど、親や担任に実体を伝えるのが、辛い。でも、信頼にたる親や担任しか解決策は見いだせない。このジレンマだから誰にも語らず、遺書だけで自殺に走る子もいるというのに。遺書すら残さず、加害者やり得の自殺者もいるというのに。せっかくマスコミも含めて誰にでもいいから相談しなさい、何があったのか話しなさいって言っている時に他力本願という冷徹な視点…この人もまたいじめに遭っている児童生徒の心情を理解できない大人なんだな、そういうコメントは差し控えるだけの配慮ができない大人なんだなと思わされました。こういうコメンテーターが多いからただでさえ辛いニュースが余計に辛くなる…
Nov 16, 2006
保護者会で我が子がいじめに遭った件を語って以来我が家を訪ねてくる親我が家に電話をかけてくる親が出てきました。中にはクラスや学年が違ってほとんど知らない方からも。教職課程を取り教員免許は何種類か持っていても教育学部出身ではない私、はからずも望みもしないのに教育関連の相談を受ける立場になってしまいました。「どうして学校に相談なさらないのですか?私、しろうとですよ」皆さん、口々におっしゃった。「学校を、担任を信用できない。」「狭い地域社会で、告げ口したみたいで、あとあと生活し辛い」「相手の家にどなりこんじゃったら、認めてくれなくて余計にいじめがひどくなって」「こどもに、我慢しなさいって言っているのだけれど」色々対応に苦労なさってらっしゃる様でした。我が子の場合でも解決しきったわけではなかったのに。余所のお子さんがいじめに遭っているのを耳にするのだって我が子もそうだったのかもと思うから辛いのに。話は聴きました。親だって誰かに話したいってのは判っていましたから。でも、皆さんにお伝えしました。担任の先生にご相談なさるのが一番ですよ。担任が信頼できないなら、学年主任の先生とかそれとも教委とか…内何人かは学校に相談したそうです。多くは解決されていったようです。少しは我が子がいじめに遭ったことも役に立ったのかもしれません。少しは学校にも解決能力があったのでしょう。
Nov 15, 2006
加害者に対応しない。親の態度が態度だからなのかどうにもできない。謝罪してほしかったけれどそれって謝罪してくれる状況だったならいじめが途絶えると思われたからであってでも謝罪の感覚を持っていない親の元でこどもが謝罪の感覚を持つだろうか。どこまで担任が持たせられるだろうか。無理だろうなぁというのが感想でした。そして案の定その後もほぼ3年間続くわけですが。つまりねあったいじめを無かったことにしてしまうと加害者や同じ学級、学年、学校ひいては日本全体でいじめは やり得になるんですね。加害者は見ています。加害者予備軍も見ています。大丈夫なんだと…これでいいのですか?先日書いた、日本の未成年犯罪者の統計から見てもここに書いた心の動きから見ても加害者にもきちんと対処しないと犯罪に結びつく可能性が高いのです。社会にとっても損失です。対処するのはいじめが起きた場所を管理する方なのではないでしょうか?その場所の管理の上部機関なのではないでしょうか?そういう機関、つまり、学校や教育委員会が嘘を付く学校に捜査はなじまない加害者にも人権がある色々いいわけをしてあった犯罪をなかったことにしてしまう。その態度そのものがいじめを増やすいじめを見逃す将来の加害者を増やす。将来の被害者を増やす。加害者の人権が重視される。特に被害者が自殺した場合生き残っているのは加害者達のみですからよけいに加害者の人権重視。担任は加害者のこども達と仲良くしたい。加害者の親達とよい?関係のままでいたい。問題は起こしたくない。教育委員会は地域住民である親達と問題は起こしたくない。議員も同様。上部教育委員会も同様。でもその姿勢が結局加害者の将来の過ちにつながることが多いならそれは加害者の人権を損なうことにもなる。せめて教育に義務教育に携わる先生方は嘘を付く利点などごまかしてすむことなど加害者ばかり人権が護られることなどこどもたちに見せないでほしい。
Nov 14, 2006
保護者会がありました。最後に参加者が一言ずつという時間になりました。私、いじめに遭っていたこと一応対処されたことを話しました。つまり、それ以前には担任の口からはいじめがあったことは一切話題にされていなかったのです。どうして担任は話題にしなかったのでしょうか…うまく言えば、我が子のプライバシーをまもった?いえ、たぶん、校長に言われていたのでしょう。しーんと静まる教室。知りませんでした。ごめんなさい。と謝罪するいじめには加わっていなかった子の親もいらっしゃいました。私加害者達の名前は一切挙げませんでした。そんなの挙げなくたって小学校の学区は狭いですし誰が何をしていたかなどその内すぐに判ることですし。保護者会以前に謝罪された親もいらっしゃいました。「家の子も一緒になって」と保護者会で、再度謝罪された方もいらっしゃいました。でも、耳を疑いました。加害者の親の発言。自分の子が加害者だなどとはもちろん口にせず、「いじめなんて、いつでも、どこでもあることですよね。そんなの気にしていられません。家の上の子もいじめられていたことがあって、お風呂に入るとあざや傷があって、でも、私、いじめた子にも親にも何も言いませんでした。学校の先生に告げ口するなんて、こどもの世界に大人がしゃしゃりでることでしょ。」すごい!開き直っている?挑戦?なんなの?これじゃだめだ。まだ続く…子は親を見て育つ…
Nov 13, 2006
未成年者の犯罪統計に犯罪に至る前の経歴等を記載したものを何度か目にしています。今、具体的にどこのサイトでとかどの書籍でというのを思い出せないのですが、おおざっぱにまとめると1) いじめの被害者は突如として大きな犯罪を犯すことがある。2) いじめの被害者は犯罪の被害者や加害者になる確立が高い。3) いじめの加害者は、その後も同じ類の犯罪(恐喝・暴行等)を犯す、繰り返すことが多い。4) 警察官や教員のこどもは、他の職業の親を持つ場合に比べて青少年犯罪率が高い。いじめに対して正しい処置をとらないとこういう犯罪に結びつく可能性が高いということです。我が子は被害者でした。思春期の間、ずっと怖かったのは私です。我が子は落ち込む度に、いじめに遭っていた頃の事を思い出す。そういう時にとんでもないことをしでかすのでは…と。我が子の時の加害者の内の首謀者その後、知る限り小中学校9年間我が子を対象とする以外にもなんらかのいじめ行動を起こしていました。我が子の時の加害者達の親達、当然担任から報告を受けました。直接謝罪に訪ねて来られた方もいらっしゃいました。こどもを連れて、我が子に謝らせた親もいらっしゃいました。なみだぐむ母親やこどももいました。でも首謀者からも、首謀者の親からも謝罪の言葉は一言もありませんでした。
Nov 12, 2006
9,10で扱った学校や教育委員会そもそも実体があいまい。校長は2,3年で異動する。教育委員会も同じ。何か事が起きたらその場だけ解決すればあとはまた別の人が来る。書類にしなければ跡が残らない。口頭で連絡もされなければ何も残らない。あったことはなかったことにされる。誰も傷つかない…何が起きたら誰の責任?これとっても曖昧。いじめが起きた。担任は校長に連絡する。ここまではいいのよね。(これすらしない先生がいるけれど)その先が問題。校長は市町村区教委に隠す。市町村区教委は知らないから都道府県教委には連絡できない。都道府県教委は知らないから文科省には連絡できない。だから国家の統計としてはいじめ自殺はなかったことにされる。異常な事態。ましてや責任なんて誰の?責任の所在は曖昧なまま。被害者には対応しても加害者にまで対応仕切れない。結局問題は根本的な解決に至らない。犯罪事実は隠蔽される。被害者は被害を受けただけ。ある程度のフォローはされるけれど(これも、されない場合が結構あるらしいですし)そこでおしまい…体裁をつくろえばどこかで嘘、どこかに無理いつかはばれる。それを加害者も見ている…?見ていますよ。しっかりと。(明日に続く)
Nov 11, 2006
どこまで曖昧にして書くか似た様なことはどこででも起きていると思いますが。四半世紀程前にある小学校に文部省の視察が入ったそうな。視察と言っても要するに学校の実体を見るためのね。当然、見解が出た。口頭で。「もう少し衛生状態に気を付けた方が」って。そしたらねその小学校だけではなく市町村区内の小中学校一斉に、ある行動(以下Aとします)を取ったわけ。文科省の指導?なわけだから近隣の市町村区もみんな同じことを始めた。毎日毎日あっちの小学校でもこっちの中学校でもAという行動を取るわけ。Aという行動衛生状態に配慮する行動なわけ。間違いではない。たしかにとってもとってもとっても衛生状態に配慮されているわけ。でも一般的、常識的に見て異常な行動だったのね。でも代々引き継がれていくから井の中の蛙というかみんなでやれば怖くないというかあっちもこっちもどっちもなわけだから井の外の人が入ってきて何それ? なんで? なんて疑問をはさんでもどうにもならない異常な行動Aだったのね。それから10年ぐらいたって同一市町村区立の別の学校にまた文部省の視察が入った。文部省から視察に来た人、驚いた。「これは行き過ぎだ」と発言した。その発言が同一市町村区内から近隣の市町村区に広まってAという行動一斉に収まった。私、収まった直後に井の外から入ってきてそれでもまだあまりに特異なのにびっくらこいたぁんでこの話を聴いたわけ。これほどに文部省、文科省の影響って大きいんですね。形が大事…文科省の目に触れさせてはならない問題…この序列関係が優秀な先生達が問題をひた隠しにする理由?その文科省もやらせ…ため息…文科省も期待が重すぎる?いじめ対策もこれくらい効果があればいいのだけれど福岡でしたっけ?書類作って...終わり?なんかなぁ国民の税金から収入を得ている国民の為に奉仕する職業に就いている方々もマニュアル世代?心と頭で考えてほしいなぁ。
Nov 10, 2006
不思議でした。小学校の入学式での新入生代表答辞新入生保護者代表答辞。あれって知る限り小学校の学区内の主立った幼稚園保育園の中で順番に誰かを選ぶ、らしい。なんのため?式のかっこをつけるため。そうそう、運動会や体育祭でも予行演習ってあるでしょ。まぁ、あれは、実際に児童生徒の移動にどれくらい時間がかかるかを計るって目的もあるらしいですけれど。卒業式になるともっとすごい。みんなが参加できるようにって建前でかわりばんこにしゃべらされる。立ったり座ったりその原稿は私の知る限り先生達が作ったもの。うっかりすると毎年同じもの。なんのため?かっこつけるため。文化人類学的に言えば式は通過儀礼。入学式や卒業式があるからこそ切れ目分かれ目がはっきりしてってことの意義はある、とは思います。でもなんであんなにやらせばっかり?謝恩会なんてのもありますねぇ。児童生徒が先生にその保護者が先生にっての。本心はお礼なんて言いたくなくとも謝恩会はある。保護者は出たくなければ出なくたっていい?下に弟妹がいたらまだまだお世話になる可能性のある学校ですしねぇ。児童生徒の謝恩会ってこれ最初からある、って決まってます。先生達が決めるんですね。自分たちに感謝してもらう場を。変でしょ。でもまぁ入学式と卒業式はともかくもこの形を作るやらせってのが横行しているんですね。先日ニュースで、国会ですっぱ抜かれた青森八戸タウンミーティングの件あれね、全然不思議じゃないの。ニュースを見た私あああ、とうとうやっちゃったぁ!声出して笑ってしまいました。だってねこども達の学校生活の中に少なくとも保護者の参観日ってのがあるでしょ。こどもだったあなた保護者だったあなたお気づきになってらしたでしょ。あの時に備える先生って保護者からどう見られるかってなもんだからまだしも各教科での授業研究会とかね市町村区教委や都道府県教委や文科省の視察ってのがあるのよねぇ。そういう時の先生達って…想像つくでしょ?前もって準備して準備に準備を重ねてつまり形をつくる。見られても良い形を作る。児童生徒に質問する内容が配られることもある。予行演習をする。同じことをフォーラムでやっちゃったんですねぇ。こういう教育環境で育ってきた私たち私たちのこども達そのまたこども達。形さえ良ければいい。かっこついてさえいればいい。本音?そんなの隠しなさい。いじめ?そりゃまずい解決の姿勢はみせなけりゃならないけれど報告はしないですませよう、なかったことにしましょ。形が整えばいいんです。ねっ?
Nov 9, 2006
「学校」この実態はあるのに妙な存在。建物があってこども達がいて先生達がいて小さな社会。その上にあると思われているのが一番小さい単位の自治体の教育委員会その上に都道府県教委その上に文科省普通、そう認識されていると思います。私もそう認識しています、今でもね。ただ市町村区立小中学校と市町村区教育委員会って本当に上下関係?あるいは市町村区教育委員会と都道府県教育委員会って本当に上下関係?あっ都道府県教育委員会と文科省ってのはまた独特らしいのですが…(これも、別の日に書きます)実態は上下関係では無い。という結論に達しました。ぐる言葉、悪いですか?でもやっぱりぐる。優秀な先生達のぐる。言い換えましょうか?つるんでる。一番明らかに判るのが最近は減ってきたけれど年度末直前に新聞に掲載される教職員異動の一覧。○○中学校の先生が市町村区教育委員会へ市町村区教育委員会の◎◎先生が△小学校へ市町村区教委の××先生が都道府県教委へ結局ぐる。優秀な先生達の優秀なキャリアアップの流れだからその6で書いた様に問題があったらさぁたいへん同僚であり、上部機関でありでも指導するのも指導されるのも文書であれ口頭であれ一応形だけはいかしこまりましたってなもんで。要するに形が大事なの。優秀で良い先生が教育長になることもあるけれどただ優秀な先生が教育長になるってことの方が多い。優秀で良い先生が教育長になってもよっぽどうまくやらなければつるんだぐるどうしの中で良い教育を行おうとするのは困難。形に関しては、また明日書きます。そういえば、途中からいじめに関してというタイトルがいじめの構造に変わってしまっていたのです。そのままにしておきますが。どなたからもご指摘ない...
Nov 8, 2006
私、大学4年生だった時、教員免許を取るためには教育実習をせざるを得なかった。教育実習は今とは異なり2週間。2週間なんてあっという間に過ぎてしまう。なのにその間に現職教員から飲まないかと誘われた。私が大学卒業後すぐに教員になるものだと決めてかかっていたらしい。(なっていません、一応記載しておきます)断る理由もなかったから誘われるまま、一杯。飲んでいる最中に誘われた理由が判明した。来年教員になったらぜひうちの組合に参加してくれという要請だった。翌々日私が組合に勧誘されたことを知った別の教員が喫茶店に誘ってきた。理由はあちらではなく、こちらの組合に入ってほしいという要請だった。さらに数日後校内で教頭から口頭で言われた。「組合活動は自由ですが教員生活初期に決めることではないでしょう」と。あと、組合活動に参加するとどうのこうのと付け加えられてました。まだ教員になっていない私に対して3方向から色々言われたわけ。これと同様の事態が我が子の場合にもあった。「あっちの組合とは別なので、何も言えない」「こっちの組合加入者ならば、なんとかできる」「あの先生は組合だから」「管理職は教育委員会にべったりだから」云々云々あのね、どの先生が、どの管理職がどの団体に属していようとそんなことどうでもいいの。いじめに遭っているこどもにとってもそれに対処しようとしている親にとってもそんなことどうでもいいの。我が子を救ってほしいの。けれどたぶん皆様の中にもこの前のその7を読まれた段階で日教組だから、学校だから教育委員会だからって思われた方いらっしゃるでしょ。我が家の中でも日教組の先生方に良い先生が多かったと体験している私と日教組の先生にはろくなやつはいなかったと主張する夫がいるわけ。その7はあくまでも私の体験です。個人でみるか団体としてみるか団体に所属している個人としてみるかこの視点の問題も実はいじめが解決されない理由の一つだと思っている私です。
Nov 7, 2006
一方、良い先生これ、児童生徒は敏感に察知する。新学期になって担任の名前が発表された時し~んとなるのは人気のない先生。うわぁと嬉しそうなあるいはうらやましそうな歓声があがるのが良い先生。概ね間違いがないのが児童生徒の反応。教員の点数制を取らざるを得ないのならこの部分を点数化してほしい。歓声があがる先生って人気があるわけで人気があると最初から学級の児童生徒の心をつかんでいるわけで学級運営がうまくいきやすい。(と同時に、最初だけ心をつかむ、児童生徒におもねる危険性のある先生や児童生徒保護者の期待が重くてつぶされる先生ってのもいらっしゃるのですが)ともあれ、良い人柄の先生っていらっしゃるでしょ。児童生徒のことを親身になって考えて下さってでもそういう先生で校長や教育委員会のおぼえが良い方少ない。なぜって優秀ではないから。今の教育に疑問を持った時に良い先生はなんとかしようとするはいはいと聞くわけではない。発言する。うとまれる。校長ににらまれる教育委員会ににらまれる出世しない。日教組の先生になぜか良い先生が多い。なぜか子供達に好かれる先生が多い。けれど出世できない。(たまに、日教組出身の校長なんてのにもお目にかかったことはありますが)良い先生や日教組の先生たちは教育委員会には入らないいえ入れてもらえないことが多いですし日常、同僚から距離を置かれているからよけいにいじめに遭って孤立している子供達の感覚がわかるのかもしれませんが…ここまで読まれて、反論が生じるのも推測できます。コメントなさりたい方その8を読んでからになさってください。このあとすぐアップします。
Nov 7, 2006
「優秀な先生」と「良い先生」とどちらが良いですか?そりゃ、優秀で良い先生なら最高ですが…こどもの成績だけを気にするならば優秀な先生って授業技術も優秀だと思われる?いえいえ、優秀な先生というのはヒラメ先生。公務員としての教員の枠の中で出世しやすい先生。上の言うことはそのまま聞いて同僚とも仲良く波風立てず要するに出世頭。こういう先生にとって自分の担当学級でいじめがあったら、さぁ大変記録になど残すわけもない。まぁ大変! どうしようの後に取るパターンは色々で対処なされる方もいらっしゃるのでしょうけれどともかく波風立てずが信条ですからそして学級担任ならまだしも校長にはこの優秀な先生が多い。つまり教育委員会に報告するような事態は避けたい…もっと優秀になりたいですしね。あくまでも私やこどもが出会ってきた出遭ってきた先生方を見た上でのことです。中には良い、優秀な先生も数名はいらっしゃいました。でも全員ではない。ごく一部。これが現実。良い先生、しかも優秀な先生が理想だと思うのですが…
Nov 6, 2006
さらに2年後今度はやっと別のクラスになった。偶然教頭と話す機会があった。「家の子、低学年の時にいじめられていて中学年になる時にまた加害者と一緒になってやっと今度は別れさせて頂きました」その教頭1年前に異動してきていたから家の子が低学年だった時にはいなかった人。家の子がいじめられていようがいまいがその頃のことを知らなくて当然。なのに「いじめなんてなかったでしょ」言下に応えた。学校をまもる姿勢みえみえ。「どうして判るのですか?いらっしゃらなかったでしょ」「いやぁ、いじめだったらきちんと記載されているはずだ」その後「やっぱり記載されていませんでした。お母さんの思い違いではないですか?」「そうですか、記載されていないんですか。中学年の担任は認識なさってらして、ですから高学年で別のクラスにされたと思っていたのですが、記載されていないんですか?口頭でも連絡されていないんですか?」(申し送りされていたことは別のルートで、私知りましたが)口調はともかくも、私、かなり怒っていた。「書類に残さないわけですね。ですからいじめはなかった、とおっしゃるわけですね。低学年時の担任と中学年時の担任に確認とっていただけますか?」それから半年後くらいにまた教頭と会話する機会があった時その教頭自分の発言の過ちを認めた。「担任達から聴取しました、いじめがあったと今は認識しています」と。そう、一応謝罪された。一応、あったことを認めた。なかったことにはされなかった。少なくともこの教頭人間としては私の信頼を回復はしたけれど。「書類に記載されていないんですね」「はい」「つまり、家の子がいじめに遭ったことは埼玉県のにも文部省のにも統計上掲載されていないんですね」「そういうことになります」こういうのが、全国にどれくらいあるのでしょうか。
Nov 5, 2006
こどもがいじめられた。担任に報告した。一応あくまでも一応解決された。(どのような解決方法だったのかは別の日に記載します)けれどねクラス換えの時に加害者と別のクラスにしてくれるよう事前に念押ししたのにもかかわらず同じクラスにされてしまった。新しい学年の担任にその旨伝えた。新しい学年の担任、驚いた。校内で一切報告されていなかったと、後で知らされた。結局また加害者と2年間同じクラス。いじめのレベルは下がった?いえ、変化なし。より陰湿になった。クラスを分けていれば防げた筈のことを学校はおこたった。
Nov 4, 2006
「いじめられる」のと「いじめ」とは異なります。いじめの定義をここでするつもりはございませんが。いじめは、陰湿。気づかれない所で行われる。気づいても気づかないふりをする人が増える。いじめに遭い自殺する児童生徒、大人。これだけ報道されても報道で模倣する人が増えてもその度に文科省が色々言っても繰り返されるのは自殺ではなくて自殺された学校の教員や教育委員会の対応のまずさ。気づかない所で行われたいじめ気づいても気づかないふりをする周囲が増えていくいじめそれがいじめの構造なのに自殺されてそれでもまだ教員や教育委員会は気づかないふりをする。気づかなかったというのならあり得るとも思います。今の学校現場の忙しさ児童生徒に目配り気配りする暇がないのかもしれないからましてや隠れた場所でいじめるのですから気づかなかったというのならあり得るとも思います。でもいじめに遭っていたという内容を口頭であるいは遺書で伝えてもそれでもいじめがあったことを認めない方々はあなた達もいじめに後から加担しているということに気づかないのですか?そこに気づかないことが信じられない。いえ、そこに気づかないでほとんどいつも遺書があってもいじめでは無かったかのようにふるまうあなた達あなた達の行為そのものがいじめと同じ構造なのですよ。そして教員や教育委員会がそういう態度を取っているということを生き残った児童生徒が見ている。いじめはし得になる。そういう社会なのだからいじめはあって当然いじめはやって当然いじめられたこどもは死んでおしまい。いじめたこどもは悪いとも思わない。そういう社会だから。そういう構造だから。救いようのないのはいじめをしているこどもたちよりもそれを見て見ぬふりする大人達。両親の次にこどもたちの近くにいるあなた達教員や教育委員会の人たちあなた達の姿勢がいじめを増殖させている。岐阜県の女子中学生の自殺の件いじめがあったと最初に認めたのにあれは言わされたのだと撤回した件。その後、再度認めたけれど一回撤回した段階であなた達の犯した罪、わかりますか?この件に限らず多くの場合、このパターン。なぜ?最初にいじめがあったと認めた時におお、珍しい。よく言えた。いいことだと私は思ったのでした。それを撤回する。撤回した方々は、いじめの共犯者になってしまったのです。そこを理解なさってますか?
Nov 3, 2006
私はいじめに遭ったことがある。私のこどもの一人もいじめに遭ったことがある。いじめに遭ったことの無い人は歳を取れば忘れるなどと気楽に言う。忘れませんよ。私この歳になってもしっかり覚えていますよ。私も私のこどもも自殺はしなかったけれども自殺を考えたことはありますよ。私のこども今でも小学校の卒業アルバムを見たがりませんよ。アルバムの、何人かの写真の上にはポストイットが貼られていますよ。数十年前の私の体験、小学校低学年時のこどもの体験いまだに両方とも生々しく記憶しています。いまだに思い出すと腹が立つ私おちこみスパイラルに陥るこども今書けるだけには私は回復している。こどもはいまだに回復途上。「いじめなんて」「たかがいじめ」「いじめるのもいじめられるのもこどもの間のことだから」「親が口出すことじゃない」こういう言葉を耳にする度にうんざりします。特にTVでのコメンテーターや報道に対しての教育関係者が言うと腹立ちさえ感じます。ご自分が、おこさまが「いじめに遭った、でもなんてことなかった」って言えるならそれはいじめではなかった…いじめに遭えばトラウマになります。たぶんこれがいじめに遭ったのかどうかの分かれ目。体験しなければわからない。乗り越えることはできても忘れることはできない。
Nov 2, 2006
というテーマを投稿しようかと思いました。最近またマスコミで話題になっていますから色々書きたい方いらっしゃるでしょうし。でもやめました。なぜならこのテーマを作るときっといじめに遭っている、いじめに遭った人がアップするでしょ。戦争反対テーマで投稿して言論テロに遭った身としては同様に言論テロに遭う可能性がある。優しいコメントも多数寄せられるかもしれないけれど1割の言論テロに翻弄される可能性がある。いじめに遭った、遭っている人にとって1割の言論テロは現在や過去のいじめを更に辛いものにされる、から。またいじめのテーマをつくるといじめに遭った、遭っていない方々の色々な意見、見解が寄せられることになる。いじめと言っても色々なものがありますし色々な解決策もあるわけで一方的に一面的に決められるものではないですし。ですからテーマ投稿はいたしませんがこれから数日私とこどもの一人が体験したいじめに関して書き連ねます。万人に当てはまるとは申しません。昨日も愛知県でいじめに対応してらっしゃる方の「いじめる方もいじめられる方も家庭に問題がある」とのTVでの発言にそういう場合もあるとは思うけれどそうでない場合もあると思う私なのでして。この言葉に、私、少しだけですが傷ついたのです。こどもとしていじめに遭った身いじめに遭ったこどもの親としても。今の私でも傷つく。ましてや現在いじめに遭っているこどもの場合よけいに傷つく可能性があるからいじめというテーマに集まってきてそこで更に被害を拡大させるなど避けたいのです。いつまでたってもくりかえされるいじめ経験から学べない人間...
Nov 1, 2006
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