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2週間ほど前のことです。
朝の5時半過ぎに夫が「オヤジが心肺停止だって!」と言って起きてきました。
急いで支度をして、義父がお世話になっている老健に向かいました。
4時過ぎに、ナースコールして痰を取ってもらって、おむつ替えてもらって、義父は「これで気持ちよく眠れるよ~」と言って寝たのだそうです。で、5時半には心肺停止。
2月下旬の自分の誕生日に念願の外出が認められて、久々に自宅に帰って義母と義妹夫妻・孫&ひ孫に誕生会をやってもらって、次は外泊だね、と言われていたくらい回復傾向がみられていたんですけどね。
その日は急にやってきました。
急にやってきたので、たぶん、そんなに苦しまずに済んだのでしょう。
穏やかな顔の義父でした。
老健を出発する準備をしている間に、義妹と私はそれぞれの子供たちに電話をしました。
義妹のところはすぐにつながったのに、うちの子どもたち2人とも電話にでない。
おまけにユキゾウの電話のコール音が海外っぽい。そういえば3月の中旬に会社の友達と南の島に行くって言ってたけど、今???
仕方がないからLineを送り、返事を待ちました。
しばらくしたら2人とも連絡を返してきましたが、ユキゾウはやはり南の島。帰国は翌々日。
お別れができるかどうかはお葬式の日程次第でした。
さて。お葬式等々をどうするか。
葬儀屋さんとお寺さんは決まっていました。
では義父をどこへ運ぶか?
義父はとても家に帰りたがっていたので、義母が「家に連れて帰る」というとばかり思っていたら、
「いいよ~連れて帰らなくても。そのまま葬儀屋さんでいいんじゃない?」と言い、
義父はお迎えに来た車に家の前を通ってもらって、葬儀屋さんに向かいました。
葬儀場で打合せをし、和尚さんに枕経をあげてもらい、義父を置いて義実家に戻りました。
色々都合があって、お通夜は翌々日・葬儀はその次の日に決まりました。
ユキゾウ、葬儀には間に合いました。
義実家に戻ってからまた、色々な決め事をしていったのですが、まあ決まらない。
義母は「こうしたい」ってことがあったのですが、それを言わない「察してちゃん」状態で、義妹の提案をことごとく「でもそれじゃあ・・・」「義理があるから・・・」と却下するので、義妹が「じゃあお母さんはどうしたいの?」と聞くと「あんたたちの好きにやってくれていいから」って。
喪主は夫が務めたのですが、夫は地元のことがさっぱりわからず、役に立たず。。。
色々時間がかかりました。
続く。