ぷりもな日々

ぷりもな日々

告知



私もリーフレットを渡された。あとは医師に呼ばれるのを待つだけだ。M医院の2週間の入院を含めて、すでに入院日数は5週間が過ぎていた、長い時間だったがもうすぐ家へ帰れるのだ。
まだ夏は始まったばかり。上手くすれば海に入る事は無理でも、行く位は可能なはずだった。

退院指導を今か今かと心待ちにしていたところ、リーフレットを渡されて2日めくらいにナースコールが私を呼んだ。「医師室に来てください。」ハイと答える声も軽やかだった。同室の人が口々に声をかけて来る。
「良かったねぇ。」「もう退院だね、おめでとう。」ありがとうと言うとリーフレットを掴み医師室に向かった。

そこにはスチールのデスクを前にS医師が何やら難しげな顔で腰掛けていた。デスクの上にはカルテが置いてある。そばの黒いスツールに腰掛けてS医師の言葉を待った。

彼はカルテに目を落とすと、こう云った。
「術後の経過は順調だね。傷も綺麗だし、問題はない。」言葉が途切れる。
私は黙って次の言葉を待った。S医師は次の言葉を続けた。
「だが、病理にちょっと問題があってね。」え?何?びょうりが何ですって?解出来なかった。私は素人なのだ。専門用語を使われても判らない。

「中間群と言ってあまり良くない細胞が見つかったのだ。」S医師は言葉をにごす。まだすっきり理解してはいなかったが、何か良くない事が起こっているのは明らかだった。

「それに癒着もあってね。」
切除した卵巣は見ていた。話によるとそれはソフトボール位の大きさで、ぱんぱんに腫れており執刀医がメスを刺すと、とたんにはじけて黄色い水が流れ出たという事だった。そんな物が私の痩せた薄っぺらなお腹の中にあったのに、何故表からは見つけられなかったのか理解する事が出来た。病巣は腰の奥の方に癒着していたからだった。

S医師はゆっくり言葉を続けた。
「この良くない細胞と癒着を治療する為に点滴をしなくちゃいけない。」
「はぁ。」
「5日間で終わるから。」まだピンとこなかった。「5日で終わるのですか?」私はてっきり5日間点滴すれば後は解放されるのだ、と早合点した。
「うむ。5日間の治療を1ヶ月に1回とし、これを5回治療して貰う事になる。点滴治療の「時は入院だが、治療と治療の合間には家に帰って居られるから。」何ですって?1ヶ月に1回、しかもその度に入院しなくてはいけないと言うのだ。頭がくらくらして来た。2~3日中には退院と思っていただけに、その現実は重くのしかかってきた。

S医師はそんな私におかまいなしな様子で説明を続けた。彼にとっては日常的な出来事なのだろう。「治療の1日目は8本の点滴を24時間かけて行う。それが終わったら、その日は4本、次の日は3本、2本。1本と減ってゆく。1日目はちょっと辛いだろうけれど、後は楽になって行くから。

なるほど、24時間もぶっ通しで点滴するのは、そりゃ辛いに違いない。創造しただけでうんざりした。もう体は元気なのだ。動けないでベッドに24時間寝ていなくてはいけない。

S医師の説明は副作用の事に移った。「吐き気やだるさ、白血球減少、脱毛等の副作用があるが、その強さは人によって違いがあるから。」”辛い”という言葉の真実の意味は24時間の拘束にあるのではなくて、副作用の事だった。オペが終わり落ち着いた時、患者さんの中で2~3人頭にネッカチーフとか被っている人達が居る事に気が付いていた。その頃は、この暑いのに何故あんな物を被っているのか不思議でならなかったが、S医師の説明で合点がいった。そうか、あの人達は点滴治療を受けていたんだ。みんな脱毛を隠す為に、このくそ暑い真夏日にもかかわらず、頭を隠していた。

そんなこんなで、その年の夏は、海へ行く事なんか諦めなくてはならなくなってしまった。

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